-ZERO of HELL- 地獄の虚無   作:相沢something

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2_Contract/交わされた契約

 

 ────翌朝。

 

 

「………………。」

 

 ルイズは……爽やかな朝の空気と、機嫌良さげな小鳥の歌声で目を覚ました。

 

 それらに不釣り合いなほどに、どんよりと……どこか怨念すら(こも)っていそうな曇った眼で、窓の外を眺める。

 忌々しいくらいにいい朝だった。寝不足の目にとてもよく滲みわたる。

 

 おのれ、我が使い魔め。

 ルイズは主人に要らぬ心労をかける不埒者の黒い姿(シルエット)を思い返し、拳を握った。

 

 

 話は昨日の『儀式』まで(さかのぼ)る。

 

 あの無礼な使い魔(予定)は、あろうことかご主人様(予定)をガン無視して教師とチャンバラした挙句、その教師と話をするために姿を晦ましてしまった。

 

 もちろん、彼を連れていったというか、ルイズを先に教室へ帰らせたのは、他ならぬ教師ことコルベールなのだが……彼女にとってはそんな違いなど些細なことだった。

 

 

 まだ《コントラクト・サーヴァント》が済んでいない。

 つまり儀式が完了していない。

 儀式の未了は落第も同義。

 

 …………呑気に寝られるはずがない。

 

 

 いったいどうしろというのか。……そもそもごく普通の平民のどこを見て、何の“系統”を判断しろという話でもあるわけだが……。

 教師は彼女を裏切ったのか? いや、そんなはずはない。……普通に考えて。ルイズの教師として。

 しかし、その場にいない使い魔と“契約”をするなんて芸当は、例えこの国の姫様に命令されたって無理・不可能な話である。

 

 ────やっぱり逃げ出したんじゃないの?

 

 ルイズはそう思った。

 教師の隙をついてあいつが逃げ出したから、昨日はあれ以降、まったく音沙汰がなかったのではないか。

 でなければ、あのあと連れていった教師から、何らかの経過報告があって(しか)るべきであるからだ。

 状況を整理して……ルイズはそのように推論した。

 

 …………許すまじ。おのれ使い魔許すまじ。

 あとほんと履修どうしよう。今日から一年生のクラスに移動させられたりとか? もし退学を言い渡されでもしたら、ショックで魂が口から抜けてしまうかもしれない。

 ルイズは恐慌した。

 

 

 さて。しかし、無常にも時は過ぎゆくもので。

 早く本塔の食堂に移動しないと、朝餉(あさげ)を食いっぱぐれてしまう。

 

 すでに怒りとか恐れとかよりも、もうなんだか哀しみに暮れてしまったルイズは……よろよろと立ち上がって、冷たい水で雪のように可憐な小顔を清め、朝陽に輝く絹糸にも似たピンクブロンドの柔髪を梳かし。

 ……ボタンを掛け違えて四苦八苦しながら純白のブラウスを身にまとい、細い脚をもつれさせつつグレーのスカートに足を通し、眩い膝小僧が隠れる位置まで黒いニーソックスを順番に引き上げ。同じく現二年生用の黒いロングマントと、金色の五芒星(ペンタグラム)があしらわれた紐タイを留め。

 そして、先祖代々受け継いできた、繊細かつ華奢な姿をした小ぶりの(ワンド)──まるで使い手であるルイズ自身のような──を、マント裏地のホルダーに差し……ふらふらとした足どりで寮の自室を後にした。

 

 

「あら、ルイズじゃない。おはよう。ひどい顔ね?」

「うわ……おはよ……」

 

 そしてドアから出て早々に、怨敵フォン・ツェルプストー家のキュルケと顔を合わせるはめになった。

 ルイズは露骨にイヤな顔になった。

 

「なぁに? 寝不足丸出しの顔なんかしちゃって……まるで、昨日の儀式で“契約”に失敗でもしたみたいじゃないの」

「し、してないわよ!」

 

 実際、していない。失敗ではなく、契約自体を。

 

「本当に? なら、どうして使い魔を連れていないのかしら?」

「ちょ……ちょっと不都合があるだけよ! ここ女子寮だし!」

「ふーん?」

 

 胸の下で腕を組み、小悪魔みたいな表情を彫りの深い顔に浮かべ、キュルケは首を傾げてルイズの顔を覗き込む。

 彼女はすると、腕の上に『たゆん』と胸が乗って、異性にとっては大変悩ましいであろう光景ができあがるのだ。

 ────ルイズと違って。

 

 キュルケはルイズとは正反対の背の高さ、胸の豊満さ、肌の浅黒さから醸し出される妖しげな魅力を惜しむことなく周囲に振りまく、大変ゲルマニア人らしいスピリッツに溢れる“女”生徒である。ちなみにルイズの隣室(おとなりさん)

 顔は良くても、体格はせいぜい“小娘”がいいところのルイズなんかでは、大人っぽさの点では逆立ちしたって敵わない──いわばいつもの『ヴァリエール』と『ツェルプストー』の関係なのである。おまけに領地まで隣接している(おとなりさん)*

 

 歳が二つ違うだけで、こうも差が出るというのか。まあ領地の広さと格式高さで言えば、公爵家(ウチ)のがはるかに上なんだけど。

 ルイズは憎々しげに目の前の双丘を睨んだ。

 

「ま、たしかに、()()()の部屋がお隣じゃ……あなたの使い魔だって主人を替えたくなるかもしれないものね。毎朝毎晩、こんな貧相な小娘と比べることになるんですもの」

「うぐ、ぐぐぐ…………」

 

 ルイズの向ける嫉妬の視線をさらっと跳ね返して、キュルケがふふんと勝ち誇る。

 側にはキュルケの召喚したサラマンダー(火炎蜥蜴)が付き従ってきゅるきゅる鳴いている*。当然そっちも羨ましい。ぐぬぬ。

 

「あたしの“フレイム”はサラマンダー……しかも、あの『火竜山脈』の超・優秀で強力な個体なんですのよ〜? 毎日一緒のベッドで寝れるし、一緒のお風呂にも入れるのよ〜。嗚呼、なんて素晴らしい同居生活かしら……!」

 

 効くとみたキュルケはすご〜くにんまりとして、わざとっぽく口調を変えてさらにルイズを煽った。無茶苦茶言って煽った。

 

「ベッド燃えるわよ。あと寮の中で勝手に風呂を沸かすんじゃないわよ。サラマンダーを何だと思ってるのよ」

「何か問題ある?」

「むしろ無いほうが驚きよ」

「そう。でも“人間の男”じゃ、こうはいかないものね。ご愁傷さま」

 

 そう言い残して、すぐに飽きたらしい気分屋なキュルケは歩み去っていく。

 燃えるように鮮やかな赤毛を(なび)かせ、『火』のメイジである自身に相応しい使い魔を傍らに伴って。

 ……煽りの内容はつっこみどころも多いが、しかし、悔しいものは悔しい。

 歯噛みするルイズをキュルケは振り返り──ふっ、と笑った。

 

「あなたの使い魔がただの平民だろうと……()()にしては、よくやったほうではなくって?」

「ッ──!」

 

 去り際の捨て台詞だけは反則だと、ルイズは常々思う。

 

 

 

 


 

 

 

 そして、その男はあっさりと姿を現した。

 

 

「…………っ、」

 

 恨み事を飲み込んだルイズの睨みなど歯牙にもかけず、目を閉じ壁に(もた)れ腕を組み、召喚した時とは対照的な白いロングコートに身を包んで──その男は、朝餉終わりのルイズを廊下で待ち構えていた。

 

「…………」

 

 首の周りまで伸ばされた、不揃いながらも艶のある黒髪は、光の加減によって烏羽のように色彩を微変させる。

 その下に隠れるのは……まるで滑らかな陶器を想起させる、白くも不思議な色合いを含んだ芸術品じみた肌。トリステイン人とは異なる、控えめな形に整った鼻筋。引き結ばれた唇。それらの繊細な印象を(くつがえ)す、力強く精悍な眉目。

 こうしてじっくりと観察すれば、いっそのこと精緻な人形を思わせるような造形美すら感じさせる男だった。

 

 年齢すら定かではない。

 体格からしておそらく二十代だろうという推測はつくが、その異国風(エキゾチック)な顔貌は、こちらの者と比べるとずいぶん年若くも見える。

 一方で、(まと)う空気が他人を近づかせない圧力のようなものを放っており、その成熟した印象や表情からすれば、三十を超えていたなんて場合でも──驚きこそすれ、否定はできないかもしれない。

 

 神秘的、不可思議、奇妙。そういった形容が似合う。

 そんな男が短い沈黙のあと、瞼を上げて己を睨むルイズを流し見た。

 ──苛烈。一言でいうならそれに尽きる。

 暗灰の瞳が宿す光は、その強烈な意志の強さを表すかのごとく、硬質な鋭さで()ってルイズの鳶色を貫き返した。

 

 …………さっきまでの雰囲気を、目つき(人相)の悪さが全部持って行ってるわね。と、密かにルイズは思った。

 

「────学院長からの呼び出しだ」

 

 ついてこい、とばかりに、緩やかな円形の廊下の先を顎でしゃくって背を向ける。

 視線をぶつけていたルイズは呆気にとられたが、彼はいっさい歩みの速度を緩めない。

 遠巻きに様子を眺めていた観衆がざわめいた。──なんだあれ。あのルイズの使い魔だろ? 平民が使い魔だって? ちょっぴり怖そうな人……。全然使い魔って態度に見えないな。そりゃ主人がただの()()だから────。

 

 珊瑚色の薄い唇を噛みしめ、ルイズは周囲を()めつける。

 そのまま無言で男の背を追った。

 

 

「ちょっと。なんで昨日一回も顔出さなかったのよ」

 

 (いら)えはない。

 昨日と()()()()同じ、無視の扱い。

 

 …………こいつはわたしのこと、主人とも何とも思っちゃいない。

 ルイズはそれを察して喉奥で唸った。それが何より悔しかったのだ。

 

 ──自分は召喚した使い魔にすら見離されるのか? と。

 

 

「……許さないから」

「…………」

 

 振り返りすらせずに、フン、と鼻を鳴らし*。男は一定のペースで石造りの階段を上っていく。

 コツ、コツ、と二人分の足音だけが、本塔最上階の六階へと続く螺旋階段に反響した。

 ルイズのものは軽く、男のものは重く。それが思ったより静かで、硬質なように感じられるのは、重苦しい沈黙がこの場を満たしているせいか。

 

 踊り場のドアを押し開き、誰もいない廊下を通って、ついに学院長室の前まで到着する。

 

 ……何の呼び出しだろう? 使い魔自身は戻ってきたみたいだけど……結局、昨日中に“契約”は行えなかった。

 嫌な想像ばかりが頭をよぎる。自然、俯く格好になるルイズにはやっぱり、ちらりとも視線を寄越さずに──男はその重厚な扉をノックした。

 

「──ヴァリエール嬢を招請しました」

 

 男が告げれば、扉の向こう側でオールド・オスマンの招く声がする。

 それが好々爺風のいつもの喋り声だ、と分かり……ちょっぴり安心した気持ちで、ルイズは男に促されて開けられた扉をくぐった。

 

 

 

「…………それ、本当なんですか……?」

 

 話を聞かされたルイズは愕然として、部屋の主である老学院長──オールド・オスマンを見た。

 

「そうじゃ。彼には暫くの間、君に使い魔“(ふう)”の護衛として付き添ってもらうことになる。仲良くするんじゃぞ?」

 

 ほっほ、などと、目の前に立つオスマン老はあっけらかんに笑う。

 ルイズの隣後ろの男……真上はまるで他人事のように、また腕を組んで目を閉じている。

 

「でも、“契約”しないと進級はできない、って……」

「それは心配には及ばんよ、ミス・ヴァリエール。春の『儀式』は、昨日の時点ですでに()()しておる」

 

 オスマン老は意味深に笑んだ。

 その隣に控えていた、昨日ルイズから使い魔(未定)を引き離した教師──コルベールが受け継ぎ、続ける。

 

「実は昨日、この三人で話し合って、ミス・ヴァリエールと──そちらのマガミ殿との間に、“契約関係”を結ぶことにしたんだ」

「え……?」

 

 いつの間に、そしていったい何があったというのだろう。

 ルイズ本人を差し置いて行われた“契約”に、当のルイズは狼狽する一方だった。

 

「すなわち、マガミ殿がミス・ヴァリエールの身柄を護衛し……その逆に、ミス・ヴァリエールがマガミ殿の身分を保証する、といった内容の……ですな?」

 

 コルベールは真上に確認するような問いを投げかけた。

 真上は顔を上げてチラと視線をやり──首肯するように再び目を閉じて、元の角度に戻った。

 

「……で、あるそうなので……ある種の“契約(コントラクト)”は結ばれたという扱いになり、ミス・ヴァリエールは無事、課程の履修が可能になった……というわけですな?」

「うむ、その通りじゃ。なにせ『儀式』の文言には、契約の()()までは明記されておらんかったからの。ほほほ、よかったのう」

「……」

 

 コルベールの確認に、オスマン老はやはり楽天的な言葉を返すのみである。

 その“三人”の内に含まれる真上は、一瞬何かを言いたげにしたが……やはり首を突っ込まないことにして、平静な装いを保った。

 彼の前方に立っているルイズはそれに気付くことなく、ただただ当惑した声を上げた。

 

「それって、わたしに使い魔を持つなってことですか……!?」

 

 彼女としては当然の主張だ。使い魔を持たないメイジは、同格のメイジに比して著しく不利である。

 遠隔で視野や聴覚を得ることは、情報収集の面で有用極まりなく……魔法を十全に使いこなすのならば、秘薬もまた必要不可欠のものであるからだ。

 ……それが()()()メイジであれば、の話だが。

 

「ほれ、それはまあ、今すぐに必要というものでもないじゃろ。卒業してからまた、ゆっくり召喚するでもよかろうて」

 

 うむうむ、と頷きながら(のたま)うオスマン老だが、ルイズにすればそういうわけにもいかない。

 

「でも! せっかく召喚に成功したんですし、わたしがきちんと魔法を使えることを──」

「いやいやミス・ヴァリエール、慌ててはいかん。とりあえず落第は免れたのだし、使い魔に人間が選ばれることは前代未聞の件であるからしてね。そう、もう少し落ち着いてから、考えてみてもいいのではないかね?」

 

 “証明したい”と言いかけたルイズを押し止めるように、あわあわと明らかに当人のほうが慌てた様相をしてコルベールが(まく)したてる。

 その勢いには思わず呑まれかけるルイズであったが……オスマン老はそんなコルベールを(たしな)めるように、肩をポンポンと叩いて声をかけるのだった。

 

「これこれ、そんなに勢い込んで女子(おなご)に言い寄るでない。びっくりしてしまうじゃろうが。だから未だに嫁さんも貰えとらんのじゃろ、君は……のう? コル……コルベ……コルベロス君じゃったかの?」

「コルベールです。地獄の番犬みたいに言わんでください」

 

 ルイズと、ついでに真上も*、その掛け合いに呆れた目線を送る。無論、色々と弄られたコルベールもである。

 いっせいに突き刺さる冷えひえの眼差しを受けながらも、飄々としたオスマン老はさっぱり動じることなく、長い白髭をいじくり弄りこう曰う。

 

「ほれ。このように、人生には心の潤いと余裕が必須というわけじゃ。諸君らもこの学院で過ごす内に、それを()く学ぶとよい────。」

「はあ……」

 

 ルイズは茫然として気のない返事をしながら……平民である後ろの男も、どこかの学校に通ったことはあるのだろうか──と、やや現実逃避じみたことを考えた。

 

 

 


 

 

 ……お為ごかしはいいが、と真上は内心で独りごちる。

 自分のところの生徒を適当に言い(くる)めるのはいい。しかし、契約条項の伝達が不十分なのは、あまり戴けないのではないか。

 まあ、それで仮に何らかの問題が発生したとしても、真上はそれに関わるつもりは一切ないからどうでもいいのだが。

 

 

 下方へ段状になった扇形の教室内では、護衛対象であるルイズの出席する二限目の授業が行われている。体感から計測するに、一限ごとに約90分の配分だ。高等学校というよりは大学の行う講義形態に近い。

 現在の科目は『土』系統、らしい。科目……つまり“系統”によって、それを受ける教室が異なると思われる。

 本塔を中心点として、外壁とともに五角形(ペンタゴン)を形成する五つの塔のうち、東に位置するのが現在地の『土』の塔だ。

 

 寮塔を除く各系統の名を冠する塔は、各々が本塔の二階から橋のように渡された、長い空中廊下で接続されている。

 その橋に区切られた中庭には、南東と北西にそれぞれ大小の広場が存在し、南西には貴族以外の人間……則ち“平民”に宛てられた施設が、木々に隠されるようにして外壁沿いに打ち建てられていた。

 初日に通されたコルベールの研究室は、北の『火』の塔側に近い北東の隅、土の塔との間に挟まれる位置にある。

 

「ミセス・シュヴルーズ! かぜっぴきのマリコルヌがわたしを侮辱しました!」*

「ああん!? 誰がかぜっぴきだと! (オレちゃん)は〈風上〉のマリコちゃんだっつーの!」

「あんたのガラガラ声は風邪でも引いてるみたいなのよ!」

「はい、ミス・ヴァリエール。ミスタ・グランドプレ。みっともない口論は即刻おやめなさい」

 

 今は、護衛対象と他の生徒との間で言い争いが発生し、ふくよかな魔女といった出で立ちの教師が何らかの魔法で仲裁したところだ。とても冷静に。

 観察していた限りでは、昨日コルベールが最初に使用したものに近い性質を持つように見えた。気体を収束させ、一瞬ないし継続的に圧力を加える効果……だろうか。

 それを膝裏に喰らわせ、距離の離れた生徒二名を同時に着席させた手際は見物と言えた。しかし、これは少なくとも『土』ではなさそうだ。

 

 ……なお、他の生徒は揃って(今日のマリコルヌはまた一段とおかしいな……)*という顔をしていたのだが、教室の一番後ろの壁に寄りかかって参観している真上の位置からは覗えなかった。

 

「でも先生、()()は事実じゃないですか? だってルイズってば、平民を()んじゃうくらい才能ないんですもの」

「あんたもバカにしたわね!  撤回しなさい、〈洪水〉の()()()()()()()!」

「だ、誰がおねしょですってぇ!! そんなの漏らしたことないわよ!! それにわたしは〈香水〉!」

「ミス・()()()()()()もですよ。ミス・ヴァリエールを含め、全員それ以上お友達を罵倒するのであれば口を塞ぎます」

 

 半ば名指しの形で警告を受け、クラスメイトの揶揄する視線を避けるように最後列の席に座っていたルイズは、がっくりと(うな)垂れて静かになった。

 ……一方その後ろで真上はというと、ほんの少し評価を改めたような目線を彼女の背に向けていた。

 何の評価かは……各々推して量るべし、である。しかし彼にとっては、何かしらに通ずるものがあったようだ。

 

「さて……皆さん。ご存じの通り、わたくし、シュヴルーズの誇る二つ名は〈赤土〉。『土』系統のメイジとして、これから一年間、『土』の魔法について皆さんに講義いたします」

 

 ふくよかでおおらかな教師は、何事もなかったかのように講義を再開した。

 

 

「我々メイジの扱う魔法には、四大系統ともう一つ、今では失われた系統が存在しますが……その中においても、『土』は()()重要なポジションを占めていると、私は考えます。もちろん、単なる身びいきではありませんよ。──オホン」

 

 ……勿体ぶった話を要約すると、『土』は物質それ自体に対する組成の変化や成形・構築を行う、といった内容のようだ。

 応用性が高く、農耕や建造などの分野にも活用されるというが──それを代替する技術が発展しなかったのは、おおかた身分制度による特権の独占が原因だろうか。

 教師は実演として、小石を体積そのまま真鍮に変化させてみせたが(《錬金》と言っていた)、明らかに化学的見地からは離れた芸当であった。便利といえば確かにそうだろう。

 ()()としての不足分はどこから捻出している計算になるのか、気になるものであるが。

 

 また、メイジの実力の指数として『スクウェア』やら『トライアングル』やらといった表現が為されたが、これは事前にコルベールから聞いたところによると、“系統”と表される属性を足せる『最大数』でもあるらしい。

 ではスクウェアは四系統を全て足せるのかと問えば、別にそういうわけでもないのだという。“ただ増やせばいいというものでもありませんぞ”とは彼の弁であるが、(はなは)だ疑問である。*

 

「では、ミス・ヴァリエール。さっきお喋りをしていた、あなたにもやっていただきましょう」

 

 ルイズが実技に指名されると、教室内はにわかに動揺が走った。何の事情も知らない者であっても、その異常が察せられるくらいに、だ。……指名した当人を除いては。

 

「先生、ルイズにやらせるのはちょっと、やめといた方がいいと思いますけど……」

「おや、どうしてですか? ミス・ツェルプストー」

「危険です」

 

 赤毛の生徒は端的に評言した。真上に面識はないが──ルイズと今朝っぱらも一悶着あったキュルケであった。

 教室のほぼ全員がそれに頷く。

 

「危険……? いったい何が危険だというのです?」

「ルイズを教えるのは初めてですよね?」

 

 シュヴルーズは心底理解できないといった様子で首を傾げたが、キュルケはやけに真剣な顔をして問い返した。

 

「ええ……ですが、彼女が努力家であるということは、他の先生からも聞いています。さあ、ミス・ヴァリエール。気にせずこちらへいらっしゃい」

 

 キュルケの忠言も届かなかったその教師は、ニコニコとして「やってみなければ成功も失敗もありませんよ」だの、「失敗を恐れては何もできません」だのルイズに教示している。

 それを耳にしたルイズは────触発されてしまった。

 

 

 真上は視界内の生徒全員が、例外なく机の下に潜り込み……まるで統率された軍隊がごとく、一糸乱れぬ対爆姿勢を取り始めた光景を、やや感心したように眺めていた。*

 そして薄々この先の展望が読めてしまった彼は、ただ黙って近くの扉を引き、静かに教室を立ち去っていった。

 

「…………」

 

 距離を置いて壁に背を預け、さっきまで居た教室の様子を窺っていると──ズシンとした地響きと共に、爆発音とガラスの割れる音、そして響き渡る阿鼻叫喚(よう)の悲鳴が耳に届く。

 思い返すのは、昨日の“地雷”。

 あれはもしかすると意図的なものではなかったのかもしれない、と、真上はここに至ってようやく事情を悟ったのであった。

 

 チラリと教室内を覗けば、煤まみれになりながらも……全くもって何事もなかったかのようにすっくと立ち上がるルイズの姿と、一方で倒れ伏したままピクピクと震えている教師。暴れる使い魔たちとそれを(なだ)める生徒。吹き飛んだ窓。窪んで割れた黒板に、もはや存在すらしない教卓……などといった、なかなかの惨状が目に入る。

 それらの状況が危機的でないことを確認すると、余計な面倒事に巻き込まれないうちにその場を後にした。

 

 ……護衛対象の()()に関しては、いかな真上にも、どうにもならない話である。

 

 

 ルイズは柳の細眉を上品に寄せ、ハンカチで顔についた煤を拭きながら、しかし堂々たる仁王立ち姿で(のたま)った。

 

「──ちょっと失敗みたいね」

「どう見ても『ちょっと』じゃないだろ!! 成功率()()のルイズ!」

「ぼくのラッキーが蛇に食われたああああ」

「ゲホッ! 目、目に煤がッッ!!」

 

 その大混乱の地獄絵図模様を前にしても、“さすがである”彼女にはいっさい動じたところがない。

 さっと教室内を見渡し、己の使()()()の姿が見当たらないことに気付くと──さっきまでぴくりとも変えなかった表情を盛大に引き()らせ、拳を固く握りしめる。

 

 ────あいつ、やっぱり逃げたじゃない……!!

 

 怒りに任せてルイズが地団駄を踏みかけた直後、塔に控えていた別の教師(こちらも土のメイジだ)が、すわ何事かと教室に姿を現し……そして、あまりの状況に言葉を失った。

 生徒から経緯を訊いたその教師は、失神したシュヴルーズを《浮遊》レビテーションで医務室へと運び出しながらも、ルイズへの罰として『爆破した教室の原状回復』を言いつけるのであった。

 

 

 


 

 

 

 搬送された教師に別状はないらしい。外傷はせいぜい打撲や擦り傷といった程度で済んだ、と、すれ違う職員がそのように噂していた。

 

 真上は騒動が一段落した頃を見計らい、人の気配のなくなった廊下に硬い靴音を響かせて、改めて階下の現場へと向かった。

 到着した教室内を眺めれば……なんとも酷い有様である。

 全体的に煤っぽいうえに、黒板にも、教卓が存在した辺りの床にも、一見して加わった衝撃の想像がつくほどの大きなヒビが入っている。

 それで負傷者が他に出なかったというのは──これが()()()()()であったならば、不幸中の幸いと言えたところだ。

 

「…………何やってるのよ」

 

 いかにも不機嫌といった声で、床や机を拭いていた護衛対象がこちらを振り向いて唸る。

 何をしたか問われるべき事象を引き起こしたのは、むしろそちらのほうだが──と薄く思いはしたが、真上は深く関与したくなかったので黙っていた。

 

()()()は知らないかもしれないけど、“使い魔”っていうのは普通、常に主人(メイジ)のそばに控えてなきゃならないのよ」

 

 真上は変わらず何も反応を返さないまま、現場の見分を続ける。

 やはり──明らかに構造物の損壊状況と、人的な被害が釣り合っていない。

 

 吹き飛んだ二名が激突したことで生じた黒板のヒビについても同様だが……硬質な石の床にまで被害が及んでいるにも係わらず、最も近い位置にいたルイズ自身は、その軽い打撲を除いてほとんど無傷なのである。

 素肌についた煤は教卓によるもの──さらに言えばその末路──であって、拭き取られた下の部分に、爆風による熱傷や内出血の類はいっさい見られない。一方で、衣服は千切れ飛んでいる部分すらある。

 例の焼失した教卓についてはもっと謎だ。全体が瞬時に炭化して粉末状に飛散したとでもいうのか。周囲に熱の影響を与えることもなく?

 理屈が解らない。これが“魔法”という名のシロモノか。もはや利便性だけの枠には収まらない────

 

「ちょっと」

「……。」

「拭いて。この教室ぜんぶ。……あと、壊れたぶんの新しい机とか黒板も持ってきて。…………床のタイルと窓も」

「…………」

「ねえ! 聞いてるの!?」

 

 何を言っても無視を貫く真上に堪忍袋の緒が切れたルイズは、さっきまで拭いていた机をバン! と叩いて声を荒らげた。

 ────もういい、あとは知らない。残りの作業全部やってもらう。それがただの()であろうと、ご主人様を無視する使い魔なんてのは、前代未聞であるからして。

 そんな八つ当たりめいた理屈で、今日一番の力を込めて真上を睨みつけたルイズであったが……その真上はつまらなそうに、ついと無感情な瞳を彼女へ向けると、同様の平坦な声でこう答えた。

 

「俺の仕事は護衛であって、()()ではない──」

「な……っ!?」

「──おまけに、あくまでも雇い主(クライアント)はオスマン学院長であって、()ではない。学院長はそれを伝えなかったようだがな」

「や、雇い主……って、」

 

 淡々と告げられた、彼女だけが未知の事実に……ルイズは動揺を抑えきれなかった。

 それをどうにか覆い隠そうとして、せめてもの声を振り絞る。

 

「ど……どういうことよ! 聞いてないわよ、そんなの……!」

「簡単な話だ──。()()()()()()()()()()

「くっ……!」

 

 あくまでも気取ったような物言いを続ける真上に、ついにルイズは杖を振り上げる。だが──。

 ……やがて彼女は力が抜けた様子で腕を垂らし、目線を床に落とすと……いじけたように、ぽつりと零した。

 

「なによ。どうせ……()()()もわたしのこと、“ゼロ”だってバカにしてるんでしょ? 普通のはずのことが何もできない、魔法の成功率ゼロだって」

 

 ふらふらと手近な机に備えられた椅子に腰かけ、背中を向ける形で片膝を抱き寄せて、俯く。

 直前までの威勢の良さとはかけ離れた、突然の豹変であった。

 その様子を──真上は怪訝な顔で観察する。

 

「……何の話だ?」

「失敗しかしない、落ちこぼれのご主人様なんかイヤなんでしょ、って言ってるの。……いいわよ、もう。勝手にすれば」

 

 ちらと後ろを窺ってから、ふいと顔を背けるルイズ。……それはただの、ふてくされた子供のような振る舞いだった。

 当然といえば当然である。彼女はまだ十六歳になったばかりの、位高い裕福な貴族の息女だ。こんな逆境を毅然と撥ね飛ばせるほど、彼女はまだ強くはなかった。

 ただ、今まで騙しだまし、それを怒りに変えることで耐えてきただけだ。

 

 真上は彼女の事情を知らないし、特別知ろうとも思わない。

 単に、今の彼女に“魔法”を使う気力はないと判断し、そのまま立ち上がって去ろうとしたに過ぎなかった。

 ……しかし、先までの思考に引き摺られてか──室内に刻まれた痕が視界に入ったことで、懐疑的に眉を顰めた彼はつい、それを零してしまったようだった。

 

「失敗──?」

「…………」

 

 漏らされた疑問にぴくり、と反応したルイズの気配を、ひたと背に感じ取って立ち止まる。

 

「…………ええ、そうよ、当たり前じゃない。わたしが唱えたのは《錬金》よ、《錬金》。()()()に変えようとしたのよ。まかり間違っても、爆発させたかったわけじゃないわ」

 

 ギリ、と歯を食いしばる音が耳に届く。強く拳を握る、皮膚の擦れる音も。

 ──ルイズは本気で悔しがっていた。心の底からその“失敗”を(うと)み、嫌悪しているようであった。

 

「昔は……一回だけなら、成功したことがあったのに。なのに、あれっきり──。そんなの誰も信じてなんかくれない。だけどわたしは……絶対に、“ゼロ”なんかじゃない──。」

 

 その独白を背に、真上は尚も沈黙を続けるままだった。

 

 

*
ところでヴァリエール領は原作の描写的に平地っぽい印象があるが、ツェルプストー領は山間なのだろうか?

*
(朝餉に遅刻しますよご主人〜)

*
例によって“ちょっと笑ったつもり”なんてこと誰が"理解る"って? と、少なくともルイズが真相を知ったら相当キレるだろう。

*
『地獄』ワードに反応した

*
やはり人一倍、侮辱には敏感なルイズであった。

*
一人称すら怪しい。実際に熱でもあるのかもしれない。

*
余談だが、真上は賢い脳筋の疑いがある。

*
“避難訓練”という認識は彼の中には無かった。




〈人物情報〉
▽ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール
 トリステイン王国屈指の名門『ラ・ヴァリエール』公爵家の三女にして、この歳で魔法の成功率“ゼロ”という類稀なる落ちこぼれ。トリステイン魔法学院2年生の16歳。身長は153サント(155cm)。なお、体格は全体として細っこい。
 負けん気が誰よりも強く、気性が荒……勝気であり、その貴族らしい高慢さでもって、自身の裡に山のように(そび)える劣等感を覆い隠している。

 ──自分が『“極々稀に”魔法を使える』ということを心の支えに信じており、その可能性を“ゼロ”と評されると、ほとんど防衛反射的に激しい怒りを抱く。

 あと男の好みはたぶん『オトナ・カッコいい・紳士的』の三条件。
 
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