-ZERO of HELL- 地獄の虚無   作:相沢something

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3_Crossing/交錯する倨傲

 

 トリステイン魔法学院・本塔。

 その一階と二階を吹き抜けに連ねる大食堂、通称『アルヴィーズ(小人像たち)』の食堂にて。

 

 

 学院に勤めるメイドのシエスタは、今日も慎ましやかな給仕の一人として、テーブルでお喋りに興じる生徒たちにケーキを配り歩いていた。

 

 大きなお盆を片手に、銀のトングで一つひとつを丁寧に挟み、形を崩さぬよう慎重にデザート用の小皿に乗せてゆく。

 それは小ぶりなケーキであったが、それでも生徒たち皆に行き渡らせるとなると複数人がかりで、何往復もすることになった。

 あまり要領がいいとはいえない自分だけれど……ご奉公をはじめてから何度もお仕事をこなすうちに、配膳の作業だけは、そこそこ小慣れてきたかも……との評価を、シエスタは自身に下していた。

 

 だからだろうか。──慣れと(こな)れは違う、ということかもしれない。

 シエスタには、思いもよらない不運が己の身に降りかかろうとしていることを……まだ察することはできなかった。

 

 

 食堂はいつものように大盛況であった。年頃の生徒たちが一堂に会する食事の時間は、クラスの枠を越えてあちらこちらで歓談の声が響く。

 他方、二階との間に設けられた教師専用のロフト席では、階下の喧騒などまるで意に介することもなく、今日も穏やかな談笑が交わされていた。

 

 その一階ホールの中央。二学年に割り当てられた大テーブルの、端っこのほうにて。

 

 毛先の巻いた金髪を気障(キザ)ったらしくかき流し、取り巻きに──というよりは野次馬に近い悪友たちに──囲まれて得意顔を決めながら、己の武勇伝を語る一人の男子生徒がいた。

 二年生のちょっとした有名人、のうちの一人……ギーシュ・ド・グラモンその人である。

 特徴はシャツが派手。お調子者。薔薇の造花を杖にする。そして群を抜いた女好き……ときたものだ。

 面白半分に(はや)したてる同級生は後を絶たず、本人もそれで延々と調子に乗るのだから、需給の一致ここに極まれり──といったところであった。

 

「なあギーシュ、()()誰と付き合ってるんだよ! こないだ『アウストリ』の広場で話しかけてた新入生か?」

「ヒュー! 手が早いなぁ、きみってやつは!」

「いやいや、それは早計というものだよ。きみたち。彼女とは単に、落としたハンカチを拾ってもらっただけの関係さ」

 

 話の流れはよくあるシチュエーションだが、落としたのは何故かギーシュのほうであるということに、つっこみを入れる野暮な人物は誰もいなかった。

 

「おいおい、じゃあいったい誰が恋人なんだ? やっぱり家同士の()()だっていう……」

「おっとと。誤解されては困るのだがね。“薔薇”という花は、より多くの人々の目を楽しませるために咲くのだよ」

 

 すさっ! と足を組み、これ見よがしな動作で人差し指を立ててから、ギーシュは続ける。

 

「──つまり、ぼくにそのような()()()女性はいないのだ。たったひとりの持つ花瓶の中にいては、“薔薇”の本懐はとげられないだろう?」

 

 うおおおお!! と取り巻きから歓声が上がる。コレだよコレ! ギーシュといえばこうでないと! ……などと、であるが。

 しかしながら、意味不明なことを言って拍手喝采を浴びる権利に(あずか)るギーシュはというと実に、心から満足そうな得意(ドヤ)顔を極め(キメ)ていた。

 

 そんなだから当然、彼が前のめりになった際にポケットから透明な小(びん)がこぼれ落ちたことにも、誰一人として気付くことはなかった。

 

「やはりギーシュ、きみってやつはすごいな! 惚れなおしたぜ!」

「ははは! そうだとも! そうだろうとも!!」

 

 

 さて。一方、そんな馬鹿騒ぎとは無関係のシエスタはというと。

 彼女は生徒たちの会話内容に耳を傾ける余裕はなく、かれらの邪魔にならないように神経を使いながら、クリームのふんだんに盛られたケーキを皿に乗せる作業に集中していた。

 ちょうど、厨房に近い側から順に並べつつ移動し、そろそろ反対端の席へ到るかといった頃合いである。

 先ほどのギーシュと悪友たちがたむろしているのも、まさにその地点であった。

 

 ギーシュのポケットから落ちた小壜は、彼が座る椅子のすぐ横の方向へと転がっていた。

 不運は、シエスタが悪友たちの皿にもケーキを配り、彼の席にさしかかろうとした──その瞬間に襲いかかった。

 

 ツル、と何かを踏んで滑る靴底の感触。

 大きなお盆で足元に死角のあったシエスタは、“それ”の存在に気付くことのないまま……その場所に足を下ろしてしまったのだ。

 

「きゃあぁ────!?」

 

 パリン、と何かが砕ける音と共に、シエスタは後ろへひっくり返って派手に転倒した。

 辺り一帯には唐突に、花のような濃い香りがぶわっと広がる。それとまた同時、宙を舞ったクリームのケーキが……不幸にも、ちょうどギーシュの頭部を直撃してしまった。

 気付いたシエスタは蒼白になった。

 

「あ、あぁあ…………」

「…………ふむ?」

 

 ギーシュは、自分の頭にぶつかってきた白い物体を手に取ると、不思議そうに観察した。甘い匂いがする。これはホイップクリームだなぁ。

 そして足元ですっ転んだ、哀れなメイドにちらっと目線を向ける。周囲にはスポンジケーキの残骸が散らばっている。これはきっと、彼女が運んでいたものだろうなぁ。

 しかし、それとはまた違う、辺りを漂うおしゃれな花っぽい香りは何だろう。なんだか憶えがあるような……?

 首を傾げるギーシュの隣席に座っていた、間一髪でこの災難を逃れたらしき様子の悪友が、不機嫌にじろりとメイドを睨んで言った。

 

「そこのメイドくん? きみは、自分がいったい何をしたのか、理解しているかな?」

「す、すみません、すみませんっ……!」

「謝ればそれで済むものでもないがね。というか、この香りは何だ? 誰かの香水のようだが……」

 

 きょろきょろと見回した彼は、自分とギーシュとの間に落ちている、割れた小壜と淡い色のついた液体を発見した。

 ギーシュはその正体にようやく思い当たり、冷や汗を流しはじめる。

 

「こんな所で小壜が割れてるな。それにこの香調(ノート)は……〈香水〉のモンモランシーが使ってるものじゃないか?」

「なんだって! モンモランシーだと?」

 

 バレた。まさか、よりによって食堂で()()なるとは。

 危機感に襲われたギーシュは、想定される最悪の事態を回避すべく、必死に頭*をフル回転させる。

 

「おかしいな、さっきまでは何もなかったはずだ……それに彼女の使う香水は、自分のためだけに調合しているものだと聞いたことがあるぞ……」

「ということは……やっぱりそうじゃないか! ギーシュ、これはきみが落としたんだろう! きみの付き合っている恋人とは、ずばり、モンモランシーなんだな!」

「いや、知らないな。なんでそれがこんな所に落ちてるんだ?」

 

 しれっと。冷や汗を垂らしながらも、真顔でギーシュはすっとぼけた。

 客観的には、考えうる限り──最悪の反応であった。

 

「とぼけるなって。ぼくにも心当たりはないし、他の誰がこんな場所に落とすっていうんだ? 本人だって向こうの席にいるんだからな」

「しかし、ぼくでもないんだよ。そもそも彼女の名誉のために言っておくが、ぼくらは──」

「ギーシュさま……」

 

 その台詞を遮ったのは、後ろのテーブルの席に座っていた……栗色の髪の可愛らしい少女だった。

 茶色のマントを羽織っている。新一年生のクラスの生徒だ。

 彼女は一杯の涙を目に浮かべて彼に歩み寄ると、ふるふると身体を震わせながら口を開く。

 

「やはり、ミス・モンモランシと……」

「待ってくれ、彼らは誤解しているんだ。ケティ。いいかい、ぼくの心に住んでいるのは、きみだけ──」

 

 パァン! と頬を張る音が食堂に響く。

 じつに最悪のワードチョイスであった。

 

「そこの香水の匂い(ノート)が、何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 

 パタパタと走り去っていく少女の背を、ギーシュは頬をさすりながら、ぼんやりと見送った。

 しかし悲しいかな、騒動はこれだけでは終わらない。続いて『向こうの席』にいたモンモランシーもガタッと立ち上がり、つかつかつかと、競歩もかくやという勢いでギーシュに迫ってきた。

 ギーシュはスッと姿勢を正した。

 

「モンモランシー。誤解だ。ケティ……あの一年生とは、ただ一緒に、ラ・ロシェールの森まで遠乗りを──」

「それで、わたしの香水はお役御免になった。ってことね」

 

 彼女の発する声は、それはもう、底冷えするような音色だった。

 耳にするギーシュは震えあがる気持ちでいたが、幸か不幸か、硬直した身体は微動だにしなかった。

 

「──お願いだよ。〈香水〉のモンモランシー。きみの香水がお役御免なんて、あるはずがないじゃないか。咲き誇る“薔薇”のような顔を、そのような怒りで歪ませないでおくれよ」

 

 真剣なギーシュの顔つきと声音は……しかしながら、彼女の憤懣(ふんまん)を宥めるといったことは、少しもできなかったようだった。

 

「その甘ったるいにおい……わたしの香水なんかよりも、よっぽどあなたの頭にはお似合いですこと。こちらも加えたらなおさら完璧ね」

 

 そう言うと、モンモランシーはワインの瓶を逆さにしてギーシュにぶっかけた。クリームの乗った頭からである。──クリームはスポンジと共に流れ落ちた。

 そして一瞬だけ、ちらとシエスタの方を見たが……ふんと鼻を鳴らして、そのまま歩き去っていった。

 

 シエスタはその間、ずっとぶるぶると震えていた。目の前で繰り広げられる修羅場に関しては、何の事情もわからなかったが……とにもかくにも、その空気感が怖かったのである。

 

「──やれやれ。あの淑女(レディ)たちは、“薔薇”の存在の意味を理解していないようだ」

 

 渦中のギーシュは、もはやなんだか吹っ切れたみたいな調子で、両手を上げて肩を(すく)める仕草をしながらそう宣った。

 何も褒められたことではないが、大した肝の太さである。

 

「……あんなに怒ったモンモランシー、はじめて見たよ。大丈夫なのかなあ」

「まあ、ギーシュだしなぁ……」

 

 観衆の反応はそれなりだった。さすがに頭が冷えてきたようだ。そろそろ引き上げるか? といった雰囲気も漂っている。

 ささっとハンカチで顔を拭いたギーシュは、倒れたままのシエスタを向いて声をかけた。

 

「きみ」

「は、はぃいっ」

「ぼくの頭にケーキを直撃させたことは不問としよう。しかしだね、きみがそこの小壜を踏み割ったせいで、二人の女性の名誉が傷ついたんだ。その埋め合わせはするべきだと、ぼくは思うのだがね」

「ひぅっ……!」

 

 シエスタは(おのの)いた。ケーキの件は不問と告げられたとはいえ──それだって、シエスタからすれば信じられないほどの恩情である──自分が貴族の持ち物を壊してしまったことは確かだ。

 その埋め合わせとは、いったいどのようなものになるか。平民のシエスタには、まるで想像がつかなかった。

 たとえ金銭的賠償であっても、それがシエスタの貯めている給金から支払える額かもわからない。同じ物を献上するという内容だとしても、話を聞いていた限りでは、恐らく不可能に近い。

 もしもそれ以外、それこそ物品ではなく“名誉”そのものの埋め合わせといったならば、はたして何を言いつけられるか……。

 

 ああ、もはや覚悟を決めるしかないのか。

 そうシエスタが絶望しかけたその時────。

 

 まるで一筋の光明のように、目の前の貴族を挟んだ向こう側から、鈴の鳴るように上品な音色を伴って……誰かの咎める声が響いた。

 

 

「────ねえ。邪魔なんだけど」

 

 

 


 

 

 ……時は遡り。ルイズが試みた《錬金》で、対象の小石ごと教卓を爆破してから十数分後のこと。

 

 騒ぎになった当初は姿を消していたルイズの使い魔──と見せかけた、ただの“護衛”──である真上は、付近に誰もいなくなってから、再びその教室に姿を現した。

 苦労して煤を拭いているルイズのことは何も気にかける様子もなく、彼は壊れた机やヒビの入った床などを、さも興味深そうに眺めたり触ったりしていた。

 

 当然ルイズはキレた。“使い魔役”をこなすのであれば、主人を手伝うのは当たり前の話だからだ。

 なのに彼は()()()()使()()()としての振る舞いすら否定し、あまつさえ、彼女の失敗を(あげつら)ってきたのだ。……ルイズはそのように解釈していた。

 反抗するだけならまだいい。よくはないが、理解はできる。

 

 だが、人の失敗に棘を刺すのは、どういう了見か。

 そういう自分はどうなんだ、とルイズは思った。そんなに人のことをバカにするなら、自分はさぞかし完璧に、なんでもこなせるんでしょうね、と。

 そんな調子で鬱々と考えていたら、不意に昼休みを告げる鐘が塔内に鳴り渡って──ルイズはさっと青ざめると、今までの倍の速度で復旧作業を再開したのであった。

 

 ……そう。昼休みの時間とは当然、昼餉の時間でもある。

 罰を言いつけた教師を恨みそうにもなった。明らかに作業量と時間が釣り合っていないのである。

 なにが『片付け終わるまで休み時間なし』か。『魔法も使用禁止』などとはよくも言えたものだ。こちとら、それを使ったら更に作業が十割増し(倍率ドン)であるというのに。(ルイズはその教師の顔に見覚えがなかったので、たぶん別の学年を受け持っていたのだろう。)*

 慌てるルイズを見た真上は、ここにきてやっと同情か憐憫(れんびん)かを抱いたのか、あるいは彼女の“身を守る”仕事の一環か──また姿を消したかと思ったら、机やら黒板やらの運搬と設置だけは、自主的にやってくれたのであった。

 

 細かな作業と力仕事。二者による分担を経て、ルイズたちはなんとか、時間内にだいたいの復旧を終わらせることができた。

 最後のほうはゴリ押しだった。ルイズの清掃作業の進行具合を見た真上が、まだ煤まみれの机をおもむろに()()()()()新品とすり替えたのには、さすがのルイズも見ないフリをした。

 対外的には魔法の失敗による被害が増えたことになるが、背に腹は代えられない。文字通りの意味で。くっつきそうなお腹を宥めながら、ルイズは自分を納得させるために頷いた。

 ……というかそれなら自分も拭けばいいのでは? とも思ったのだが、真上の場合はそれが一番早かったので仕方がなかった。*

 

 数個の机と教室全体の清涼感を犠牲に昼餉の時間を勝ち取ったルイズは、予備の制服に急いで着替え(これも真上が手配してくれていたようだ)、そのまま本塔の食堂に向かった。

 道中、同行する真上に食事はどうするのか訊いたが、彼は後に平民用の小食堂で出される(まかな)いをとるらしい。

 口ではなんだかんだ言いつつも、どうやら手伝ってくれたらしい力仕事のぶんもあるし──必要なら、自分のを分けてあげてもいいけど……などと考えていたルイズは肩透かしをくらった気分だったが、それならそうと気にかける必要はない、と割り切ることにした。

 

 そして、自分の席にいちばん近い右手の両開き扉を急ぎ足で通り抜け、目的の地をめざして歩を向けたところで……件の騒動に出くわしたのである。

 

 


 

 

「邪魔なんだけど。通してくれる?」

 

 ルイズは、空腹と理不尽な罰によるストレスによってささくれ立った声を上げて、端的に要求を告げた。

 対面のギーシュと野次馬は、三つ並ぶ長テーブルのうちの真ん中……その端っこ付近の右列の席と、その周辺をまるごと囲んで占領している。

 彼と同じクラスであるルイズの席は、ここから彼の席を挟んで向こう側の、やっぱり同じ列に割り当てられていた。すると必然的に、彼の後ろを通らなければ、彼女は大きく遠回りすることになる。

 テーブルは長大だった。

 

「なんだね? いまは真剣な話をしている最中なのだよ。きみこそ、邪魔をしないでくれたまえ」

 

 輪の中心に座すギーシュは、なんとも仰々しく肩を竦めてそう言ってのけた。残念なまでに態度が大き(デカ)い。

 

「ちょっと通してって言ってるだけじゃない。早くこいつらを退けなさいよ」

 

 対するルイズの態度もまた、負けず劣らず大き(デカ)かった。

 こいつら呼ばわりされた野次馬も、これにはムッときて口々に言い返す。

 

「うるさいな、反対側を通っていけばいいじゃないか。遅れてきたくせに頭が高いぞ」

「そうだそうだ。人に頼む態度ってものがなってない」

 

 その多勢に無勢な様子を見て、気が大きくなったギーシュはさらに攻勢をかけた。

 たとえその必要がなくとも──トリステイン貴族は喧嘩が大好きなのだ。

 

「きみは魔法が使えないから、ピンとこないかもしれないがね。平民が貴族(メイジ)に粗相を働いたならば、きちんと教育してやるのが筋というものだよ。それを邪魔するなんてとんでもないね!」

「は?」

 

 魔法については大地雷である。ルイズは本日数度目にキレた。

 ただでさえ空腹で気が立っているのだ。キレないわけがなかった。

 

 よく見れば、ギーシュの座る椅子のすぐ傍らの床には、顔を青ざめさせたメイドが身を縮ませていた。

 黒い目と髪をした、そばかすの散る素朴な顔立ちの……歳だけなら*ルイズとそう変わらなそうな平民の女の子である。

 床とテーブルとギーシュの頭に残るケーキの残骸からして、彼女がすっ転んでそれをぶちまけたのは、‘火を見るくらいに’明らかであった。

 

 ドジなメイドね、とルイズは思った。それだけである。

 あえて付け加えるとするならば、ギーシュの頭に見事ケーキを直撃させたであろう点だけは誉めてもいい、といった程度か。

 しかし彼女がやらかしたおかげで、いまルイズは深刻な危機に晒されている。よってその功績はチャラだ。

 

 つまるところ──ルイズは一秒でも早く、自席につかなければならないのであった。

 なぜならば、食いっぱぐれるからである。

 

「──それで? メイド一人のミスがどうしたっていうのよ。あんたの頭ならむしろお似合いだわ」

「それはいいんだよ別に。いやよくはないが、今回の問題はそこじゃなくてだな……」

 

 ふん、とルイズは鼻を鳴らす。

 言い争うくらいなら遠回りをしたほうが明らかに早いのだが、脳を働かせるためのエネルギーが不足した状態では、そこまで思い至ることはできなかった。

 トリステイン貴族は喧嘩っ早いのだ。

 

「小壜を踏んだのがどうのって? あんたバカじゃないの? 落として気付かないほうが悪いでしょうが」

「なっ……!」

 

 聞いていたのか、とギーシュは(うめ)いた。

 平民が相手なら勢いで押せると思っていたのだが、あてが外れた。

 その平民の側から首を突っ込む(やから)が現れたせいで、だ。

 

「しかしだね。彼女があれを割ったことで、二人のレディの名誉を傷つけた件はどうなるんだ」

「二人の?」

「そうだとも。ケティとモンモランシーの二人だよ」

 

 はーん、とルイズは理解した。──要するに、全部こいつの自業自得ってわけ。

 それは女の勘であった。つまり、めちゃめちゃ鋭いやつである。

 

「どうせ不義理でも働いてたんでしょ? 傷つけたのはあんたのほうじゃない。他人のせいにするなんて最低ね」

「うっ」

 

 その鮮やかな論破には、野次馬もルイズの側に着いておおいに盛り上がった。野次馬とは無責任なものである。

 

「いやはや。その通りだ! 二股かけたギーシュが悪い!」

「あーあ、()()()にフラれてやんの!」

「うぐっ! そ、それはだな、お互いの親が決めたことであって……」

「婚約ってそういうもんでしょ。ほら、わかったらさっさと退きなさい」

 

 勝利を確信したルイズは、ふんぞり返ってギーシュを睥睨した。

 ルイズだけに限らず、トリステイン貴族はだいたい尊大であった。

 

 だがしかし、それにはギーシュも当然ながら該当する。

 わなわなと震える彼は、なんとか形勢を逆転する一手を探した。このまま引っ込むわけにはいかないが、さりとて他の手段も思い浮かばない。どうしよう。どうすればいい。

 追いつめられた彼は……とうとう、派手なシャツの胸ポケットから“薔薇”を引き抜き──それをルイズに掲げて宣言した。

 

「そんなにそこの()()を庇いたいのならば、貴族(メイジ)としてのやり方で示してみたまえ。すなわち──“決闘”でだ」

「……はあ?」

「……うん?」

 

 ルイズは眉をひそめた。言われたことの意味が分からなかったからだ。平民? なにそれ?

 ギーシュもピンとこない様子のルイズを見て、頭に『?』を浮かべた。彼は本気で、ルイズがそこのメイドを庇っているものだと思っていた。だって使い魔も平民らしいし。

 で、あるからこそ、彼は“その手段”で論争の決着をつけようとしたのである。おまけに()()が相手なら、勝敗を心配する必要もないからして。

 

 しかし……いかに現状魔法の使えないルイズとて、誇り高き(好戦的な)トリステイン貴族の一人であることに変わりはない。売られた決闘(ケンカ)を買わない選択肢など存在しないのだ。

 空腹はもはや(いき)値を超えて、むしろ完全に意識から弾き出されたところだった。

 不自然にちょっと空いた間は、二人のあいだでは簡単に無かったことになった。

 

「マガミ」

 

 振り返りもせず、声を張るでもなく、ルイズはその名をぞんざいに呼びつける。──ハルケギニア(こちら)では難しい発音だったが、彼女は紹介された時にきちんと覚えていた。

 貴人の従者やら護衛やらであるなら、みな一声で駆けつけるのが当たり前だ。公爵令嬢であるルイズはそのように思っている。

 

 例によって、その男は当然のごとく……自ずと割れる野次馬たちの間から、悠々とこの場に現れた。

 じとりとルイズは半目で見やる。どうにもこの男には、危機感というものが足りていない。*

 ちょうどいいわ、と思った。

 

「出番よ。あんた退屈そうにしてたでしょ。()()()させてあげるから、感謝しなさい」

 

 すぐ外で待機していたところを呼び出された真上は、そんなルイズの物言いに対し、ついと視線を向ける。

 特に気分を害した風でもない。ただ()()()()()()とでもいうように、口端を上げなどした。

 

「愉しめれば、の話だがな──」

「よく言うわよ。ちょっと力が強いからって、調子に乗ってると痛い目みるんだから」

 

 フ、と冷笑を返した真上を、こちらも負けじと顎を上げてルイズは見下す。*

 ……そういえば、いまは朝と同じ白いコートを身につけた恰好だが、さっきの煤まみれになった教室内には、それを脱いで入ってきた気がする。

 黒かったり白かったり忙しい男ね、という感想をルイズは抱いた。現在の状況とはまるで関係のない話である。

 

「ギーシュ。あんたの相手はこいつがするわ。たしか、貴族同士の決闘は禁止されてたわよね?」

「校則違反が怖いのかい? ふん、まあいいだろう。ぼくたち貴族(メイジ)の相手など、平民に務まるものではないと思うがね」

「やってみなくちゃ分からないでしょ。ってことで、煮るなり焼くなり好きにしなさい」

「……へ?」

 

 さらっととんでもない発言をかましたルイズには、さすがのギーシュも目を丸くして首を傾げた。*

 

「ルイズ。きみは、いったいどういう立ち位置なんだ……?」

「細かいことはどうでもいいじゃない。ただし、命だけは奪わないこと。止めたらすぐにやめること。……あと、校則違反はさすがにアウトよ」

 

 ルイズは規律に厳しい教育を受けた息女であった。

 

 ……そして、なぜか妙な方向に転がってゆく話を止めてくれる()()()な──あるいは正気の──人物は、誰一人としてこの場に残ってはいなかった。

 渦中の二人と一人も、頭の中はすでに戦いで“決着”をつけることしか考えていない。細かい部分は本当に全部スルーして、さも当たり前のように話は進んでしまった。

 それが直前でも直後でも、食事のタイミングで頭の働く人物というのは、きっと滅多に存在しないのだろう。

 

 ギーシュは神妙に頷いた。

 

「では、『ヴェストリ』の広場に移動するとしよう。食堂を血で汚すわけにはいかないからな」

「賛成よ。ここじゃ人が多すぎてやりづらいったらないわ」

 

 席を立ったギーシュを先頭に、一人と二人はついさっき入ってきたはずの扉から食堂を去っていく。

 会話すら微妙にズレの生じたままであるが、真上は賢明かつ大いに無関心であったため、余計な口は一言たりとも挟みはしなかった。

 

 野次馬も、放置されておろおろするシエスタも……一連の流れには、固唾を呑んで見守る以外に道はなかった。

 つまるところ、誰もつっこんではくれなかったのである。

 

「なあ……ルイズの平民、無事で済むのかなぁ」

「けどあいつ、なんか雰囲気強そうじゃなかったか? 案外、面白い見世物になるかもしれないぞ」

「でも、ギーシュだからなあ…………」

「……わたし、どうしたらいいんでしょう……」

 

 反応はまちまちだった。

 

 


 

 

 場所はトリステイン魔法学院が中庭、北西に位置する『ヴェストリ(西小人)』の広場。

 方角的に昼間もあまり陽が射さない、一日を通して人気のない広場である。

 

 人が少なく、だだっ広いということは、つまり決闘に最適な場所ということだ。

 日照時間の短さゆえに樹木や花壇も少なく、目立つのは中央の噴水と各所のベンチくらい。広さだけはそれなりにあるので、暴れる場所には困らなかった。

 

 

「主人の命令とあれば、逃げ出すわけにもいかないだろう。──恨まないでくれたまえよ。これは、レディの名誉をかけた戦いなのだからね」

 

 短く揃えられた芝の上を踏みしめ、ギーシュと真上は十メイルほどの距離を空けて対峙する。

 薔薇の造花を片手に、ギーシュは一丁前に冷たく微笑んでみせた。観衆の前でなければ、そこそこ見せられる男なのかもしれない。……しかし、その野次馬も懲りずに集まりつつある。

 

「御託はいい。“決闘”とやらに規定(ルール)はあるか? 俺は貴族のやり方には疎いのでな──」

 

 真上は腕を組んだまま無感情にギーシュを見やり、問う。

 ……彼はどうしても目つきと態度が悪いので、その雰囲気は必然的に剣呑な空気を帯びる。顔の良さを全部ふっ飛ばしてただただ治安の悪い印象だけを残す、とはルイズの評価である。

 ちなみに当人の内心はというと、今は別段悪い気分ではないので、特別にこの“子供(ガキ)(たわむ)れ”にも付き合ってやろう──といったような具合だった。妥当とはいえ、じつに上から目線である。

 

「厳密にいえばあるが、きみは平民だからな。負けを認める際は『降参』を宣言すること、それ以外に求めることはないさ」

 

 それを見たギーシュは、目の前の相手が()()()であると認識した。なるほど、平民にしては大した度胸だ。案外と忠誠心の(あつ)い使い魔である。……と。

 彼とてルイズが平民を使い魔にしたことは半信半疑であったが、この忠誠を見る限りはたぶんそうなのだろう、と思った。

 でなければ、メイジを相手にした時点で逃げ出しているはずだ。誰だって命は惜しいだろう。

 

「ぼくは〈青銅〉のギーシュ・ド・グラモンだ。したがって二つ名の通り、“青銅”のゴーレム『ワルキューレ』がお相手しよう」

 

 納得したギーシュは右手の薔薇を振り、散った花びらから一体のゴーレムを創り出す。

 一瞬日光を照り返した女性型の甲冑の表面が、即座に“青みがかった緑”の緑青(ろくしょう)色に変化する。そうすることで硬度が増し、刃を防ぐことができるのだ。

 硬質な表面と強靭な内側の二層構造。それがワルキューレの強みであった。

 平民に理解できるかはわからないが、さて、この強敵を前にどのような反応を示すだろうか? ギーシュは対面する相手の様子を窺ったが……。

 

「真上遼。──で? それで終わりか?」

「……なんだと?」

「貴様の魔法とやらはそれで(しま)いか、と訊いている。勿体つけずに全て見せてみろ。それが出来るのであれば、な」

 

 当の真上はひとつも表情を変えずに……さらには顎を持ち上げ、口先で挑発するなどした。

 それがたとえ子供(ガキ)の喧嘩であろうと──メイジとの実戦データを得るいい機会だと思えば、彼にとって逃す手はなかったのだ。

 早い話が、“さっさと手の内を見せろ”といったところである。危機感はカケラもなかった。

 

「言ったな。後悔するなよ」

 

 ナメられたギーシュの顔から笑みが消える。ヘラヘラしてさえいなければ……彼もまた、美形(イケメン)ではあった。

 薔薇の造花から更に六枚の花弁が舞い、新たに同数のワルキューレが形成される。これが彼の扱える上限数だ。

 追加した六体で包囲網を作って逃げ道を塞ぎ、最初の一体を突撃させる。こちらを挑発した以上、手加減するつもりなどない。

 

「…………」

 

 その質量保存の法則を完全に無視した現象に、真上は“物理法則も何もあったものではないな”と、内心で呟いた。きっと魔法全般がそういうものなのだろう。

 

 突き出される正拳を余裕をもって(かわ)しがてら、円を描くように背後に回る……そう見せかけてカウンター気味に、脇腹に肘打ちを一つ見舞ってみる。

 

 腰と胴体の装甲の繋ぎ目を狙う、そこそこ相対速度も乗った一撃に──ワルキューレは、バキッと二つに崩れ落ちて動かなくなった。

 

「「…………は?」」

「……?」

 

 ほんの一秒未満の早業であった。

 ……身体の動作は見えていたのに、それが実際どのように動いて何が起きたのか、まるで理解が追いつかない。後方のルイズとギーシュは思わずすっ頓狂な声を上げた。

 

 流れるように数歩分の距離を置いて止まった真上は、訝しんだ目で周囲を見回した。今のは牽制ではないのか?

 その大振り加減から回避先に本命の攻撃が来るとにらんで、あえて距離を空けてから、即座の反撃へと転じてみたのだ。対応しきれなかったのだろうか。

 

 メイジを相手にするならば、自分以外の全ての存在が“敵”に回る。授業の内容やコルベールとの交戦経験から、真上はそのように考えていた。

 空気、地面、さらには目の前のゴーレムの残骸まで。それらがいつ、どのように動いて牙を剥くか、わかったものではない。

 ゆえに、移動は素早く慎重に。同じ場所に留まらず、予測を避けて不規則に。なんならゴーレムが変形してカウンターへのカウンターを行ってくることまで警戒していたのだ。

 ……彼は魔法をそういうものだと思っていたのである。確かに、メイジ次第では間違っていないのだが。

 

 

「………………」

 

 少しの間、沈黙が降りる。

 包囲するワルキューレは逃げ道を塞ぐ役割を負っているので、一定範囲に接近を感知するまで動かない。万一にもすり抜けられないようにと、それなりの距離を置いていたのが裏目に出た。

 司令塔であるギーシュは戸惑った。この平民、もしかして……いまの一瞬でワルキューレを倒したのか? と。なにせ自分がしくじったわけではない……はずだからだ。しかし、そんなことがありえるか?

 

 その様子を見た真上はようやく理解する。──所詮、子供(ガキ)に寄せるべき期待ではなかったようだ、と。

 腕を軽く曲げ、戦闘服の調子を確認する。防護材(プロテクター)に問題はなさそうだ。しかしまあ、上のコートくらいは脱いだほうがよかったか。

 

 そうして、真上はニヤリと嗤って彼に告げる。

 

「どうした、もう音を上げたか? ()()()()()()()()()()()()()が、ずいぶんと大口を叩いたものだ──。」

「ッ────ふざけたことを……!」

 

 挑発に乗せられたギーシュは薔薇を振り、包囲する六体をいっせいに躍りかからせる。

 いくら相手の動きが早くても、これには対応できまい──。

 

 走り出したワルキューレの一体が、突然背中から折れ曲がって(ひしゃ)げ飛ぶ。自ら距離を詰め、足元の脇を捻るように前転して背後をとった真上が、そのまま回し蹴りを喰らわせたのだ。

 真上の筋力から放たれる、内に合金の仕込まれたブーツの威力である。いくら耐久性を工夫しようと、“青銅”の鎧には荷が重かった。

 

 振るう拳を受け流され、関節部に肘を打ち込まれて腕を()がれる一体。横薙ぎに蹴り飛ばされる一体。さらに────

 

(ま……まずい……!?)

 

 切羽詰まったギーシュはつい、薔薇を振ってワルキューレに──“武器”を持たせてしまった。

 無手で挑むから壊される。それは無意識下での手加減だったのだ……と、反射的に思ってしまったのである。

 

 造花の花弁が舞い、まだ無事なワルキューレの手に青銅製の短槍が形成される。

 それを見た真上の目がギラリと光った。……あっさりと、それを腕ごと奪われる。

 

「えっ?」

 

 ブンッ! と鈍器の如く振り回された、長さにして一メイル少々の短槍が、ワルキューレたちの頭部と四肢を次々に破壊する。

 両膝を薙ぎ払われ、顔面に柄頭(石突)を捩じ込まれ。大上段からの振り下ろしで、肩より先を順に叩き落とされ────。

 操り手が未熟な以上、素人同然の動きしかできないワルキューレは……吹き荒れる暴力の嵐を前に、瞬く間に全滅した。

 

 ──────ブォンッッ!!

 

「…………」

 

 ギーシュは、風切り音を上げて自らの横を通過していったものを──それが何度も叩きつけられた末に潰れて歪んだ短槍の成れ果てであることを──数秒遅れて、認識する。

 

(あっ)

 

 これは、まずい。

 

 よく見たら相手は、歯を剥いて唇を吊り上げる()()()()()を浮かべながら此方に歩み寄ってくるところだった。目が笑えてないのが一番ダメだ。

 

 目撃した(してしまった)ギーシュはスッと真顔になって……そして、サッと両手を上げて宣言した。

 

「参った。降参だ」

 

 彼は完全に行き詰まると、逆に、(表面上)とても冷静に振る舞えるようになる男であった。

 ──女関係以外でそれが(あらわ)れるのは、初めての事であった。

 

 真上もスンと無表情に戻った。

 

 

「…………」

 

 再び、辺りに気まずげな沈黙が降りる。

 真上は観衆の中のルイズをチラと窺った。

 

 ルイズは真顔で右手を上げて、真上と目が合うとカクカクと顔を上下させて頷き、両手で“カムバック”の仕草を送ってくる。

 そこに込められた『ストップ。OK。撤収』の意味を完璧に理解した真上は、ひとつ自然に鼻を鳴らして──広場を離脱する彼女の背を悠々と追った。

 

 後には真顔のギーシュと、唖然とする野次馬と、ワルキューレたちの哀れな骸だけが残されていた。

 

 

 こうして、傲岸で傍迷惑な者共の巻き起こした交通事故は、真上の勝利という形で……一応の収束をみせたのである。

 

 

 

*
当然クリームもたっぷり乗っている。

*
教師「昼餉を抜けとまでは言っていない(伝達不足)」

*
力仕事以外やる気のない脳筋による教室復旧RTA

*
それ以外はお察しである。

*
危機感“ゼロ”はお互い様である──

*
今回は距離が近かったので、なかなか難易度が高かった。

*
ちなみに彼は煮るのも焼くのも不得意だった。『土』なので……




〈人物情報〉
▼真上 遼(マガミ-リョウ)
 美形(イケメン)台無しの人相の悪さに定評のある 脳筋 傭われの男。顔は怖いが笑顔はもっと怖い。おまけにニヒルでクールを気取っ(スカし)た態度を崩さない。年齢はおそらく二十代、身長はたぶん175~178サントくらい……に見える。色白だが一応日本人。
 闘うことにしか興味を持たない戦闘狂であり、残念ながらコミュ力は戦闘力に反比例してほぼ最低レベルである。ただし、必要最低限の良識()()(わきま)える模様。本当か?

 現状はオスマン学院長に(名目上)使用人として直接雇用され、彼の仲介の下で、ルイズとの間に“護衛契約”を結ぶ形に落ち着いている。なので、実際の命令権と給与の支払い義務は学院長側にある。なおコルベールの給与はちょっと減ったらしい。

 実は歴代でも随一級にドスの利いた『CV:日野聡』族のうちの一人。
 
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