僕は自由が欲しかった。何物にも縛られず、何者にも干渉されない、あるがままに生きたかった。だから僕は鳥に憧れた。彼らは自由だった。重力に負けることもなく大空を飛び回り、誰かに何かを言われることもなく好きな場所へ好きなときに飛んでいける。空を飛べることは自由なことなんだと疑わなかった僕は自由を謳歌する鳥に憧れた。
小学校に入ってから、幾ばくか過ぎて、僕は空を飛ぶための翼を手に入れた。これまでは見上げるだけだった空が、やっと、近づいたように思った。ただ飛んだ。風に乗り、身を宙に任せ、より高く、より速く空を目指した。幼い頃に見上げた空のように、自由になれていると思っていた。これがあれば、自由になれると。誰よりも一番、縛られずにいられると。そう、信じていた。
...…だから、その時が来た時、僕は本当に、何も見えなくなってしまった。遮るものもなかったはずなのに、そこに『何か』があった時。寄り添ってくれたはずの空が、最初からなかったように、遙か先に消えてしまった時。もうそこには、僕が望む場所は存在しなかった。側にあったはずの蒼の世界は、僕のものでは、なくなってしまった。手を伸ばす力もなくなり、僕はまた、縛られていった。
───だから僕は、空を追うのをやめたんだ。
「...ふう」
いつものように登校し、教室に入る。自分の席に着くと、思わず息がこぼれた。それも仕方がないだろう。間に合ったとはいえ、今日はいつになくぎりぎりの登校だったのだ。普段であれば後30分は早く着いているのが常なのでこのような5分前登校というのは珍しい。
「おはよ~。珍しいね~」
「.....ああ、みさきさんか。おはよう」
間延びした声で話しかけてきた彼女は鳶沢みさき。1年の頃からの付き合いで馬が合うのか何かと話すことが多い。ちなみに彼女の今のぽやっとした雰囲気は低血圧で朝に弱いからであって、時間がたてば元に戻る。平常時とこの状態が違いすぎて昔はかなり困惑したものだ。
「今日は久しぶりに歩いて登校したんだよ。久し振りすぎて時間配分を間違えたのは失敗だったけどね」
「そっかー。わたしは眠たいよー」
「ちゃんと聞いているかい?」
「んー?」
「いや、いいけどね」
そんな風に成立しない会話をしつつふと窓の方に視線を向けると、空の彼方からやってくる男女を一組見つけた。最初こそ仲むつまじいものだと微笑ましい気持ちで見ていたが、校庭に近づいてくるに連れて徐々に大きくなる輪郭が見知った存在であることを報せてくる。片方は見たことのないピンクの長髪の女の子。そこまでよくは見えないが、明るく元気そうな雰囲気が伝わってくる。そして問題のもう片方である黒髪の男。彼の名前は日向昌也。彼も同じく1年の頃からの付き合いだ。彼は空を飛ぶのがあまり好きじゃないのか、いつも徒歩だったはずなのに珍しいこともあるものだ。そんな風に思いつつ隣に目を向けると彼女もちょうど同じところを見ていたようだ。あまり表情が変わらないから何を考えているのかはわからないが、じーっと一点を見つめているのは端から見ると少し怖い。
「あれは昌也だね。僕の知らない人と一緒みたいだったけど、みさきさんは知ってる?」
「なんか手繋いでたねー」
「……そうだね。もうすぐこっちに着くだろうし、聞いてみようか」
まあ、今の彼女に質問してもまともに帰ってこないのは想定内だ。大人しく昌也が教室にくるのを待つことにすると、さほど時間をかけずに目的の人物がやってきて自席に座っていた。そこまで確認すると二人で彼の元へと歩いていく。
「ねえ、さっき手を繋いでたの誰~?」
「おはよう昌也。すごく目立つ髪色の女の子だったね。知り合い?」
「……出し抜けだな。おはよう二人とも。とりあえずみさきは先に挨拶をしろ」
あまり見られたくない場面だったのか朝のみさきさんとの会話が面倒だからなのか昌也はジト目を向けていた。その後のぽやっとしたみさきさんの挨拶にはため息を吐いていた。
「で、俺が手を繋いでたって?」
「うん?」
「みさきさんと二人で話してたらチラッとみえてね。もちろんみさきさんにも見られてるよ」
「目が良いんだな、お前ら」
「ふつーだよー」
「アフリカのとある部族は1㎞先の出来事も見通すほどの視力を持つらしい。それに比べればここから校庭で何をやっているのかがわかるくらい大したことじゃないよ」
「……そんな特殊な事例と比べられてもな」
「で、なんの話だっけ?」
「……おい」
「今日もみさきさんは変わらないね」
「あ」
「思い出したか?」
「もうお腹がすいてきた……朝御飯食べたばっかなのに」
「本当に変わらないね」
そんな風に取り留めのない話をしていると担任の各務先生がやってきたため、話を終わらせて各自席に着くことにした。彼女は生徒の黒歴史を集めていて、生徒が遅刻したり問題行動を起こした場合、その人の黒歴史を全員の前で公開するとかいうとんでもないことをすることで有名な先生だ。別に黒歴史なんてないけれど、不必要に目をつけられることもないと真面目に先生の話を聞く。さほど長くないホームルームを終え、一限の準備をしようとしている時、各務先生に名前を呼ばれた。
「と、そうだ。昌也……あと狩谷」
「はい?」
「なんでしょうか」
「あとで話がある。……そうだな。少し長くなりそうだから放課後で」
昌也はともかく、僕はなにも問題を起こしていないはずなんだけどいったいどんな用事なんだろう。なんとなく嫌な予感を覚えつつあまり気にしても仕方ないと切り替え授業に集中することにした。