この話はあまりKを絡ませられなくて反省です。
ナリタブライアンの休養明けから続く、惜しくもない結果となった連敗。
彼女に対する評価は以前と大きく様変わりしていた。
かつて最強と呼ばれるほどの強さを誇ったナリタブライアンだったが、
今やその強さを求める観客はほとんどいなくなってしまった。
かつては無敵だったが今は老い果てた狼、それが彼女に対する現実だった。
有馬記念の直後。
トレーナーは1人、有馬記念の走りを思い起こしていた。
明らかに前と違う、まるで足掻くかのような走り。
トレーニングにみっちりと付き合うようになってようやく気づいた。
ブライアンが負け続けているのは怪我の痛みや調整不足ではない。
今のブライアンはかつての『あの走り』ができなくなっているのだ。
秋の天皇賞で流した涙は、おそらくそれがわかったからなんだろう。
だが、知れでも彼女の眼差しは変わらない。
ゴールだけを見据える、あの鋭いまなざしのままだった。
ならば、トレーナーとして俺が支えてやらなければならない。
「しかし…なぜ昔の走りが出来なくなったんだ…?」
ブライアンには怪我の痛みはないようだし、脚部の異常も特にないと言われている。
何かしらの後遺症が残っているのだろうが、それは一体なんだろうか?
俺が選ぶべきは、昔の走りを取り戻す努力をすること、
もしくは今できる走りを磨いて成長させること、このどちらかだ。
さて、どうしたものか…。
トレーナーが悩んでいるところに、ノックの音が響く。
入ってきたのはまたビワハヤヒデだった。
「やあ、失礼する」
「お、ハヤヒデ。最近よく会うね」
「妹がああだからな。今日は有馬の礼をしに来たんだ。
アイツを出させてくれて感謝する。結果は残念なものだったがな。
世間の動きは君の能力不足ではなくブライアンの強さが失われたという方面のようだ。
君に悪影響は少なそうだから少しだけ安心だ」
「俺は何と思われても構わないんだけどな。
ブライアンを勝たせることができなかったのも事実だ」
「まあ君はそう言う奴だものな、だから君に任せたんだ。
なので私が外から口を挟むのは失礼かとも思ったのだが…少し話があってな」
「どんな要件?」
「有馬記念を見て思ったのだが、ブライアンの走りは以前と違う。
脚の鋭さが明らかに落ちている。それで必死な表情で走ってもあの結果だ」
「ああ…俺も思ったよ。昔のように低い重心の強い踏み込みができていない。
トレーニング中も少し感じていたんだが、レースを見てハッキリわかった」
「なんだ、君も分かっていたのか。ブライアンに話は聞いたか?」
「やんわりとは聞いた。でも何も言ってはこなかったよ」
「そうか。まあ、アイツならそうだろうな。
しかしわかっているなら話が早い、原因はなんだと思う?」
「状況的に考えたら、あの関節炎の後遺症だろうね。
何かおかしくなっているのか、イップス的なものなのか…」
「後遺症というのは同感だ。
そうすると、原因を知れれば治すことができる可能性があるのではないか?」
「まあね。でも医者も特に問題は見られないと言っていたから、原因を探すのが難しいのかも」
「それだ。君はそれを本当にそうだと思うか?」
ビワハヤヒデから出た言葉に驚くトレーナー。
「えっ?それは…医者がウソをついているかもしれないということか?」
「そうだ。私は私なりにブライアンの病態について研究してみようと思い、
カルテを貰えないかを頼みに病院に行ったんだ。
本人ではないから貰えなくても不思議ではないが、可能性はある。
そう思って話をしてみたのだが…」
ビワハヤヒデが考え込むような仕草をして言った。
「その時言われたんだよ。『カルテは本人以外には開示しないよう要請されている』と」
「開示しないようにって…?
それは、例えば親族を装ったマスコミが来ないとも限らないからじゃないのか?」
「それはありえないことではないが、病院は厳正な機関だ。
マスコミのやり方程度で開示してしまうようなヘマはしない。
それに私がブライアンの親族であることは明白なのだから、
無関係の人間に渡す恐れはない。断るにしても違う言い方になるだろう」
「ん…?じゃあつまりどういうことだ?」
「簡単な事だ。ブライアン自身がカルテを他の人に見られたくなかった。
だから誰であっても開示しないようにと要請したんだろう。
そしてなぜそんなことをするのか?それを考えると答えは一つ」
「ブライアンが何か隠している、ということか…!」
「私にはそうとしか考えられん。
しかしアイツのことだ、我々が問い詰めても答えはしないだろう。
病院にカルテを請求しても無理だ。さてどうするか…?」
「ううん、困るな…」
「私に一つ案がある。我々が手出しをできないなら、別な医者に頼めばいい」
「別な医者だって…?ブライアンを別な病院に連れて行くと?」
「いや、それは無理だ。それでついてくるような奴ではない。
アイツを縛ってから麻袋詰めにして連行すれば別だが」
「だよな。じゃあどうするんだ?」
「うむ。君も知っての通り、私も大きな怪我で療養することになったわけだが、
その時にタキオン君にいい医者を紹介されたんだ。
私は今掛かっている病院で問題なかったので会いに行ってないのだが…
その医者は、時に自らが赴いて患者の治療にあたるらしい。
ならば、うちに来てくれるかもしれない」
「えっ…アグネスタキオンの紹介する医者…?大丈夫なのかそれは?」
「私も少々不安だから調べてみたんだが問題はない。
タキオン君の脚を治し、ジョーダン君の脚や、
ウインディ君のトレーナーの腕も治療した経験があるそうだ」
「それは凄いな。しかしアグネスタキオンって怪我したことがあったのか」
「あっ。つい言ってしまったが広めないでくれよ。
彼女の脚部には今にも壊れそうな不安があったそうなんだがね、
ダービーで走る映像を見ただけでそれを見抜いてトレセン学園まで来てくれたそうだ」
「アグネスタキオンのダービー…俺も見たけど何も問題は感じなかったぞ。
凄いんだなその医者は」
「その医者の名はドクターK。界隈では伝説の医者と呼ばれる者だ」
ビワハヤヒデがKの診療所に連絡を取ってみると、
トレセン学園まで赴いて見に来てくれることとなった。
数日後、年が明ける前にと、Kがトレセン学園にやってきた。
「こんにちは、Kです」
「ビワハヤヒデです、来てくれてありがとうございます。
こちらはブライアンのトレーナーさんです」
「よ、よろしくお願いします。ブライアンは呼べばすぐ来ますので」
「電話では、ナリタブライアンさんの関節炎による後遺症について調べたいと?」
「ええ。最近分かったんですが、ブライアンは昔の走り方ができなくなっているようなんです。
ですが原因について何か知っているようなんですが、我々には話してくれません」
「走り方ですか。確かに私もジャパンカップを見たときに違和感を覚えました。
治療をしているのかと思っていましたが、ナリタブライアンさんが状況を隠しているのですか?」
トレーナーとビワハヤヒデは「ジャパンカップの時点でわかってただと…?」と驚いたが、
とりあえず話を進めていく。
「私は姉だから、ブライアンのサポートをしたいと病院にカルテを貰いに行きました。
病態がわかれば何か支援ができるかもしれないと考えたからですが、
病院からは本人以外にはカルテを開示しないように要請されていたそうです。
アイツの状況を考えると、個人情報を守るためではなく、
知られたくない情報があるとしか考えられません。
なので高名な医師であるあなたに診てもらって、カルテも見てもらいたいんです」
「そういう状況なら手伝いましょう。
一応、現時点で判明している情報はもらっておきます。
用意しておいてくれましたか?」
「ええ、こちらに」
トレーナーがKに封筒を差し出した。
今手に入る限りの情報を集めてある。
関節炎を起こした時の検査結果や、治療前後の写真等が入っている。
Kは素早くそれらを確認していく。
その中で、特にじっくりと見ていたのは治療後のCT画像だった。
「なるほど…これは確かに。ナリタブライアンさんを呼んでくれますか?」
「…! そ、それだけでわかったんですか!?」
「詳しくはカルテや本人を見てからですが、ある程度は」
「すご…!じゃあブライアンを呼んできます!」
トレーナーがナリタブライアンを呼ぶと、数分後にやってきた。
「何だトレーナー、話とは?」
トレーナー室に入ったナリタブライアンは、すぐさま見慣れない男に目を向ける。
「…む?なんだこの黒マントの男は…?」
「よく来たブライアン。その人は医者だ。君の脚に関して話があるそうだ」
「私には話すことなどない。それが要件ならば帰る」
そう言って踵を返すナリタブライアン。
Kはそれに声をかける。
「話すことはない…ね。本当にそうか?
ナリタブライアンさん、あなたは足がうまく動かせないことに悩んでいるのでは?」
ナリタブライアンが足を止めた。
「…抽象的な言葉だな。誰にでもあてはまるような、適当な占いのように聞こえる」
「ならば具体的に言おう。君の脚部のCTを見せてもらった。
これで気づいたのだが、君の脚は神経に問題があるのだろう。
その結果、脚の反応速度が遅れ、昔の走りができなくなった。違うかな?」
それを聞いた途端、驚きからかナリタブライアンの目が大きく開く。
隣で聞いていたトレーナーとビワハヤヒデも同じような反応だった。
「…アンタ、何者だ?何故そんなことがわかる?」
「俺はK、医者だ。今までしてきた勉強と経験でわかる」
ナリタブライアンはしばらく沈黙したのち、舌打ちをして言った。
「チッ。だったらなんだというんだ?私に走るのをやめろと言いに来たのか?」
「いいや、逆だ。今後も走る気があるのなら治療を受けろ」
「なんだと…?」
その言葉は予想外だったらしく、少し眉間が緩んだ。
「君のカルテや診察はまだ詳しくしていないからCTなどからの推測だが…
君が発症した関節炎の影響で、致命的ではないが脚部に末梢神経障害が出た。
それによって足が以前と同じように動かすのは難しいと判断された。
医者としては走ることを推奨できない状態だった。
だから君は半ば強引に走ることを選び、医者にも口止めをして、
今できる限りを尽くそう…そう考えたのではないか?」
ナリタブライアンの額から汗が流れ、歯を食いしばる。
その様子を見れば、図星であることは明白だった。
「……くそっ。
トレーナーか姉貴の差し金か知らんが、随分いい医者を連れてきたものだな」
ナリタブライアンがトレーナーの方に向き直る。
その表情には申し訳なさそうな気持ちがこもっているようだった。
「そうだ、その医者の言うとおりだ。
私は関節炎の後で軽いギラン・バレー症候群になっていた。
病名は医者なら知っているんだろうが…」
【ギラン・バレー症候群】
末梢神経障害の一つ。
ウイルス感染や細菌感染などにより身体の免疫システムが活発化した際、
免疫システムが誤って末梢神経の一部を攻撃してしまうことで発症する。
それにより末梢神経に異常が生じ、麻痺、しびれ、痛み、脱力などの症状が現れる。
痛覚や温度覚や触覚を伝える神経だけでなく、
筋肉の運動に関与する神経にも影響を与えることもあり、
それにより筋力低下や感覚消失を引き起こす可能性がある。
かつては積極的な治療を施さずとも問題なく回復することが多い病気と考えられていた…
が、今は違う。
後遺症が残ったり、重篤な症状に移行する場合もあるので、
判明した場合は血液浄化療法や免疫グロブリン大量静注療法など施し、速やかな治癒を目指す。
症状のピークは発症から4週間程度で、半年から1年程度でほとんどの患者は回復する。
罹患者は10万人当たり1~2人程度。
全ての年齢層においてかかる稀な疾患だが、
平均では成人と男性に発生することが多い。
呼吸筋などの重要な筋肉が麻痺した場合は死に至ることもあり、
3~5%の患者が合併症で死亡する。
「それ自体はもう治り、不意の脱力や麻痺も残ってはいない。
しかし…その後遺症で神経に損傷が出たらしい。
そのせいで僅かに脚の感覚にズレが生まれてしまったようだ。
神経の切断などがされているわけではないから保存的治療がいいと言われているが、
それは今の状態を保ち続けるということになる。
当然、走るのは推奨できないと言われたよ。
だが、するとどうなる?今も走ること自体はできる私に、
本当に治るかもわからない期待を持ってずっと立ち止まっていろと?
それを待っている間に私は衰え、競技者としての時間は減っていく。
数年経って完治したとして、いったい何の慰めになるというんだ?
だから私は『今』を走る。昔の走りができないのなら、
今できる走りで私は上を目指す。
トレーナー、アンタに説明をしなかったのは悪かった。
きっと止められるだろうと思っていたからな…。
すまない。私はアンタを…」
ナリタブライアンは胸中を語った。
療養期間中に発症したギラン・バレー症候群は、
軽度であったため誰にも言わないように生活していた。
トレーナーやビワハヤヒデにも告げず、1人で抱え込んだ。
そして後遺症で昔の走りが出来なくなったことも、誰にも告げなかった。
だがそれは、トレーナーの事を信じていなかったことになってしまうのかもしれない。
「ブライアン、気にしないでくれ。
そういう重要な事を話せるような、信頼できるトレーナーになれなかった俺が悪いんだ」
「チッ、そういう自虐めいた言い方は気に食わん。
1人で黙り込んでいた私が悪いと何故言わない?」
「俺はトレーナーだからな。君の異変に気付かなかったのは俺の不徳だ。
でも…俺を信じてほしい。俺は君の意思を、いつだって第一に考えるから」
トレーナーにまっすぐな目を向けられ、視線をそらすナリタブライアン。
「そうだな、アンタはそう言う奴だった。有馬の時もそうだったな…。
私はアンタを信用しているが、だからこそ言い出せなかったんだな。
怖かったのかもしれない、もしかすると私の走りに終わりを告げられるかも、と」
「ブライアン…。まだ君は諦めていないんだろう?
だったら俺も絶対にあきらめない!一緒に、戦おう!」
「…ああ!」
トレーナーの差し出した拳に、ナリタブライアンが拳を合わせた。
Kに促され、ナリタブライアンのかかりつけの病院へと移動した一行。
事情を話し、Kがカルテを読み込んでからいくつかの検査をした。
「ナリタブライアンさん、一通り状況はわかった。
これなら何とかなりそうだな」
「アンタ、Kと言ったな?本当に私の脚は治るのか?」
「ああ、CTやカルテから確認できたのは神経の僅かな萎縮だ。
僅かと言っても、刹那を生きるウマ娘にとっては致命的となってしまうが。
これを修復すれば脚の機能が回復する可能性は高い」
「なるほど。だがそれならば、なぜ今の医者はそれをやろうとしない?」
「現状では保存的治療以外は難しいのは事実だからだ。
俺が君に施そうとしているのは、日本では治験でしか行われていない術式だ。
バイオ3Dプリンターと呼ばれる装置で、君の神経を作成し今の神経を補わせる」
「…バイオ3Dプリンターだと?何だそれは」
【バイオ3Dプリンター】
細胞やバイオマテリアルを素材とする3Dプリンター。
患者から採取した細胞からiPS細胞を作成して培養し、
それを適切に分化して三次元的に配置させることで生体組織を作り出す事が出来る。
血管、神経、心筋などの組織を作成することができ、
将来的には臓器そのものの作成も目指して研究が行われている。
新たな再生医療の技術として期待が高まっており、
Kの診療所でも村井の希望により導入されている。
「そんなものがあったのか。医療にもいろいろあるんだな」
「ただ、今言ったようにこれはまだ日本では認可されていない。
そういった術式をやりたくないのであればまた別な方法を考えるが」
「それをやるのが、ベストな治療法なのか?」
「ああ」
「ならば構わない。私は新しいものに恐れたりはしない。
それよりも、このまま衰えていくことの方がよっぽど恐ろしいんだ」
「わかった、ならば任せておけ。
今日は君の組織を採取し、ここから培養する必要がある。
1か月後だ。そこで手術をし、さらにまた1か月待って神経の同化を促す。
それがうまくいけば、君の脚は以前のように戻る」
「…アンタには私の状態を見抜いた目、姉貴やトレーナーからの信頼もあるようだ。
頼んだ、K。私もアンタを信じよう」
そう言ってKを見つめるナリタブライアンの瞳。
そこには、かつてのような強い輝きが戻りつつあった。
「さて。治療の準備に関しては俺の方で準備をするので問題はないが…
ナリタブライアンさんにもひとつ、やっておいてもらわなければならないことがある」
「何だ。やるべきことがあるのなら、どんなことでもしよう」
「ああ、それは―――――」
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ナリタブライアンから組織を採取したKが診療所に戻り、
さっそく村井へとそれを渡した。
「これがナリタブライアンさんのものです。村井さん、よろしくお願いします」
「おお、ありがとうございますK先生。
いやあ腕がなりますな、バイオ3Dプリンターを現役ウマ娘に使うのは初めてです…!」
「村井さんは腕がいいですからね、この新しい術式でも安心して使用できる」
「お褒めいただき光栄ですが、これも村の者たちの協力あってこそ。
多くの授け手たちに報いるためにも、この村は常に最前線を行かなければなりませぬ」
「ええ…!頑張りましょう!」
Kたちの住むT村では、このバイオ3Dプリンターを使用した治療もすでに何度も行われている。
クエイド財団の協力も得ながら、新しい医療技術の開発にも数多く携わっているのだ。
この村の人間は医学の発展のためなら違法行為などものともしないため、
危険なものでなければ研究のためにいろいろなものが使用される、
半ば医学の試験場ともいえる村なのである。
Kがナリタブライアンの事を富永たちに報告すると、麻上が大きな声を上げた。
「えーっ!K先生、ブライアンさんと会ってきたんですか!」
「ビワハヤヒデから頼まれてな。アグネスタキオンから俺の事を聞いていたらしい」
「し、仕事とはいえ羨ましいです…!
でもブライアンさんがギラン・バレー症候群だったなんて。
後遺症は神経を補強すれば治るんですか?」
「ああ、そのままでも恐らく自然に再生していくだろうが、
それでは元に戻るまでどのくらいかかるかわからない。
レースを走るウマ娘にそれを求めるのは酷だからな。
ならば新しい神経を植え付けてやるのが最も確実だ」
「お願いしますね、K先生!そして村井さん!
絶対…!絶対、ブライアンさんを助けてくださいね!
食事の用意とか、私もイシさんの手伝いしますから、
先生たちが好きなだけ治療に取り組めるようにサポートします!」
そう言って気合を入れる麻上を、少々困惑した表情で見つめるメンバーたち。
「麻上くんはブライアンのことがそんなに好きだったんだな…」
「私が言うのもなんですが、医療に私情を挟むのは感心しませんぞ」
村井の手によってナリタブライアンの細胞が培養され、
1か月後、予定通り手術の準備が整った。
本日は手術のためにナリタブライアンがKの診療所へと赴いてきた。
「アンタの病院は随分田舎の方にあるんだな。
Kは世界最高の医者だと聞いたから、どこかのでかい病院にいるのかと思ってたぞ」
「こらブライアン、失礼だろう。K先生、今日はよろしくお願いします」
「よく来た、ナリタブライアンさん、トレーナーさん。
予定通りナリタブライアンさんの神経に新しい神経を植え付ける手術をする」
「ああ、頼む。このために私は多くの努力をしてきたんだからな。
私のこの渇きは…もはやレースを走ることでしか満たされない…!」
「任せておけ。君の努力…無駄にはしない!」(ギュッ)
「では、患者に局麻をかけて手術を開始する。術式は神経移植手術。
村井さん、富永、麻上くん、イシさん、よろしくお願いします」
「「「はい!」」」
神経移植手術はKにとっては難しい手術ではない。
助手が信頼できる診療所のメンバーであることも相まって、
素晴らしいスピードで手術は行われていく。
ナリタブライアンは、術部は見えないし痛みもないものの、
自分の脚が切開されて神経を植え込まれていることに言いようのない感覚を覚えた。
(こんな本格的な手術を意識ありで受けるのは少々不安になってしまうな。
まあ天才医師という話だから問題はないんだろうが。しかし…アレは何だ?)
ナリタブライアンの視線の先にあったのは一也だった。
助手ではないが、手術を見学するために手術室に入っていたのだ。
そしてKたちの手の動きを観察しながら、自らはシャドーで手術の追憶を行っていく。
(アイツはまだ私と同じくらいだろう、医者の年ではないはずだ。
それなのに手術に参加しているのか…凄いな。
アイツも私と同じなのだろう。あのギラついた目、目指す場所は相当な高みに違いない。
そしてそれを指導するのが、その目標となるのが、このKというわけか…。
私は他のウマ娘やトレーナーとしか深くかかわったことがないが、
これもまた、私たちと違う世界で最強を目指す者たちなんだな)
ナリタブライアンは、一也の姿を見てこの診療所の者たちの強さを理解した。
それと同時に、手術を行う医師たちの瞳に宿る力強い物も見た。
この診療所は一見ちっぽけだが、その中身はGIレースをも超えるような高みの場所なのだろう。
そう思えたときから手術に対する不安は一切なくなり、最後まで冷静なまま手術を終えた。
「お疲れ様でした。手術は無事に完了した。
術部安定のために1か月は安静にしてもらうが、
それが経過した後に感覚に問題がなければ、そこからは走っても構わない」
「わかった、1か月だな。それより後ならレースに出てもいいということだな?」
「問題がなければ、な。
異常を感じたり、感覚が改善されないようだったら再手術を行う事になる。
その場合は必ず俺に言うことだ。分かったな?」
「ああ、分かった。それならば…トレーナー。
問題がなければ、私は阪神大賞典に出たい。
レースは2か月後だ、期間は問題ないだろう?」
トレーナーがちらりとKの顔色を窺うと、Kは無言でうなずいた。
「よしわかった、阪神大賞典だな。
ブライアンの脚が治ったかを試す試金石としては申し分ないだろう。
今日から1か月は脚を使ったトレーニングはできないが、
これまで十分に鍛えてきた積み重ねがある。
脚がうまく動かなくても、諦めることなく鍛え続けた君だから。
昔の『あの走り』を取り戻し、必ず勝利しような!」
「ああ…!私の心はこれ以上なく滾っている。
全員をブッちぎって、全員を食らいつくしてやる!」