メジロマックイーンが体調不良だという知らせを聞いたトウカイテイオー。
脚は創外固定器によって支えられているため、骨がつながる前でも歩くこともできる。
とはいえずっとそれで歩くのは望ましくないため、
医師から外出の許可を貰ったのちに、メジロマックイーンのお見舞いに行くことにした。
「はちみーはちみー♪はっちっみー♪はちみーを
マックイーンならお菓子持ってってあげれば喜ぶよねー。
でもメジロもだいぶお金持ちだからその辺のお菓子じゃ珍しくもないか。
よし、ここはメジロ家には絶対置いてなさそうな、
知育菓子のハンバーガーと寿司セットを持っていこうっと!」
そうしてお土産を持ってメジロ家を訪れたトウカイテイオー。
「うへー、相変わらずでっかいなあ。どう入ればいいかよくわかんないよ。
まあいっか、勝手に入っちゃお!お邪魔しまーす!」
メジロ家はかなりの名家であるため、家も非常に大きい。
トウカイテイオーも裕福な家庭で育っているのだが、
それから見てもメジロ家はさすがの一言である。
トウカイテイオーが敷地内に入って進んでいくと、
メジロ家のじいやがいるのを見つけた。
「あっ、じいやさんだ!こんにちは!」
「おや、テイオーさま。いらしていたのですか。
脚の治療中と聞いておりましたが、外出できるのですね」
「うん、普通に出歩くくらいなら問題ないんだって!
ごめんなさい、入り方よくわかんないから勝手に入っちゃった。
マックイーンが調子悪いって聞いたからお見舞いに来ました!
ねえ、今マックイーンに会えます?」
トウカイテイオーがメジロマックイーンのことを口に出すと、
じいやはとても苦い顔をした。
「申し訳ありません。お嬢様は現在、メジロ家の療養所にいらっしゃいます」
「えー!せっかく来たのにー!でも先に確認しなかったボクが悪いかぁ…」
「お嬢様が帰られましたらご連絡差し上げましょうか?」
「んー、そうしてもらおうかな。
ところでマックイーンが療養所に行ってるって、具合はどんな感じなんですか?」
トウカイテイオーのその問いに、じいやは少し迷ったようだが、
現状をはっきりと答えた。
「お嬢様は左脚繋靭帯炎を発症いたしました。
繋靭帯炎はウマ娘にとって不治の病と言われ…
治療には通常1年はかかり、そして治まった後も再発の可能性が非常に高い。
ですからお嬢様は、今後どうなるかわからない状況です」
「えっ…!?マックイーンが繋靭帯炎!?」
「主治医がおっしゃるには、お嬢様の症状は非常に深刻です。
まずは日常生活を不自由なく過ごせるようになるのが目標ということで、
レースについては身を引くしかないでしょう…」
「そんな…!」
「お嬢様もとても落ち込んでおられます。
出来れば、テイオーさまからもお嬢様を励ましてあげて頂きたいのです」
【繋靭帯炎】
ウマ娘に発生する故障。
ウマ娘にのみ存在する、繋靭帯という部位の炎症を総称してこう呼ばれる。
繋靭帯とは脚部の管骨の後面を走行している強固な結合組織で、
力を入れていると骨と見紛うほどの硬さとなる。
繋靭帯は他の靭帯組織と異なり、筋組織が多く含まれているのが特徴。
繋靭帯炎を発症すると、踏み込むたびに患部に激痛が走る。
症状が重い場合は歩くだけでも痛み、跛行が発生する場合もある。
休養によって炎症が収まっても、運動を再開すると再発する可能性が非常に高い。
繋靭帯が断裂したことで炎症が起きる場合や、
付着している靭帯が骨の表面を引き剥がして剥離骨折となる場合などもある。
外科的治療ではPRP(多血小板血漿)、濃縮骨髄、骨髄幹細胞などを患部に投与することで、
ある程度の組織治癒が期待できる。
また、穿刺や切開によって病巣内貯留物の排出や血管新生促成を行ったり、
激しい疼痛を緩和するために神経を切除する場合もある。
メジロマックイーンの繋靭帯炎。
そのことにショックを受けながら、メジロ宅から病院へと戻ったトウカイテイオー。
メジロマックイーンの件はその翌日に公表され、秋の天皇賞も辞退すると発表された。
その2日後。
この日はKと寺井が病院に来て治療の経過を評価してもらう日だった。
「うんうん、テイオーちゃんの脚は素晴らしいわね!もうすぐ骨もつながるわ!
このまま順調にいけば11月の半ばごろには治療が終わっちゃいそうね!
私も結構この手術をしてきたけれど、歴代最速かもしれないわよ~!」
「本当ですね、かなりの再生力だ。トウカイテイオーさんはまだ成長期なのでしょうね。
それでもこの早さは相当だ、素晴らしい肉体を持っている」
「えへへ、ありがとー」
Kらに褒められてうれしそうなトウカイテイオー。
しかし彼女の意識は今、別にある。
「あのね、今日は先生たちに頼みがあるんだ」
「頼み?どんなことだ?」
「えっと…先生たちもマックイーンのこと、知ってる?」
「ああ、マックイーンちゃん。ニュースでもいっぱい流れてるわね」
「メジロマックイーンか…。繋靭帯炎を発症して秋の天皇賞は辞退したと」
「うん。それでさ…先生たちならマックイーンの繋靭帯炎を治せないかな、って」
「うむ…。繋靭帯炎はなかなか治療の難しい病気だ。
原因がはっきりしないことが多いし、一度治まっても再発することが多い。
現在では幹細胞投与などで治療されることもあるが、根治は難しいな」
「メジロ家には優秀な医療チームがあると聞いてるわ。
おそらくK先生と同じ意見でしょうね…。
私たちのような外のお医者さんより、メジロ家をよく知る彼らに任せるのが良いかと思うわ」
「そう…かもね。マックイーンの主治医さんはボクも知ってる人だし。
だからマックイーンへの今の対応は、医療チームの総意なんだと思う」
「おそらくそうだろうな。繋靭帯炎は長い治療をしなければならないことが殆どだ。
なのでじっくりと腰を据えて対応する必要がある。
つきっきりで治療を行ってくれるメジロ家の医療チームに任せるのがよいだろう」
Kの意見はメジロ家の医療チームの意見と一緒。
だったらそれは正しい事なんだろう。けど、それでも。
「そうだよね、きっとそれは正しいんだと思う。
だからこれは、そう、ボクのエゴやワガママなんだろうけど…」
トウカイテイオーが拳をぐっと握る。
「マックイーンには走ることを諦めてほしくないんだ!
歩けるようになればいいなんて、そんなのじゃ全然足りない!
また一緒に走りたい、勝負したいんだ!K先生、どうにか治してやってよ!」
トウカイテイオーが縋るような目つきでKを見つめる。
自分を助けてくれた時のように、メジロマックイーンのことも助けてほしい。
そういう期待が込められていた。
「…ふむ。俺も治療に参加することは可能だろう。
しかしな…メジロマックイーン本人の状況がおそらく芳しくないのではないか?」
「マックイーンの状況って…?」
「実は昨日、メジロマックイーンの件については沖野さんからも少し聞いている。
俺が答えたのは今君に言ったこととほとんど同じだが、
それというのもメジロマックイーン…彼女の状況も教えてもらったからだ。
沖野さんが言うには、彼女は表面上は冷静なように繕っているが、
精神面へのダメージが非常に大きいようだ」
「精神面…メンタルかぁ。まあそりゃそうだよね、ボクもかなりアレだったし…」
「なので彼女を治療するには、まず精神面から立ち直ってもらわねばならない。
治療法についてはいくつか考えられるが、1年近くかかるのは間違いないし、
治療への労力やリハビリの辛さも相当のものだ、すぐに行うのは難しいだろうな。
そういう意味でも、彼女と関係の深いメジロ家の医療チームが適任なのだ」
「で、でもさ。メンタルはとりあえず置いといて、治療だけしちゃえばいいんじゃないの?
メンタルが体に影響あるってのは知ってるけどさ、それはそれとして治療はできるでしょ?
体を治していけば一緒に心も治っていくんじゃない?」
「それが、そうでもないのだ。患者への負担が大きい治療法というものは、
心が弱っている状態では効果が薄いどころか、悪化させる可能性もある。
例えば君の脚の治療。これは毎日きちんと骨延長の作業を行い、リハビリをしっかりし、
無理な負担をかけず、患部の洗浄を徹底して細菌感染に気を遣う。
これらができなければ全く効果がないどころか、二度と歩けなくなることだってあり得る。
患者本人が治療に向き合う姿勢がなくてはならず、強制的な治療は意味がない」
「うっ…そう言われるとそうかも…」
「トウカイテイオーさん、君はすっかり立ち直ったようだから伝えておこうと思う。
君のその脚は、俺の診療所で検査をしたときから、
治せる可能性が高いとはわかっていたのだ」
「えっ!?だったらあの時すぐ言ってくれればよかったのに!」
「言ったとしてどうなっただろうな。治る可能性は高いが、再発の可能性も無視できない。
骨そのものは治っても、周囲の筋肉や神経の影響がどうなるかもはっきりとは言えない。
あの時の精神状態で、今のこの治療を真剣にできたと思うかな?」
トウカイテイオーはKの診療所を訪れたころの自分を振り返った。
あの時はもう自暴自棄に近い状態で、半ばヤケになっていたっけな。
「あー…えへへ…無理だったかもね。」
「医者の心構えとして富永たちにも言ってあることだが…
医者は病気やケガを治すための機械ではない。
患者が病に立ち向かうのをサポートする存在なのだ。
生命やQOLに直結する緊急事態ならまた話は別だが、
患者にその気がなければ医者は何もできんのだよ」
Kのその言葉を聞いて、自分のいた状況に気づいたトウカイテイオー。
自分が諦めかけていたあの時、
周りのみんなはボクが立ち直ることを信じて準備をしてくれていたのだ。
「そっか…今気づいたけど、この治療をやたら手際よく進めてくれたのって、
ボクが精神的に立ち直ったらすぐに始められるように準備してくれてたんだね。
主治医さんはともかく、K先生や寺井先生が待ち構えてたのを考えればわかることだった」
「そう、俺たちは君が立ち直るのを待っていたのだ。
だからメジロマックイーンも同じだ。
治療の準備はできるが、治療を始められるかは本人次第。
ひとまずメジロ家の医療チームとは話をしてみよう。
彼女がその気になった時、すぐに治療を始められるようにな」
「K先生ありがとう!どうにかマックイーンのことお願いします!
でも、マックイーン自身が立ち上がらないといけないんだね…」
トウカイテイオーが目を閉じて、あのミニライブの日を思い出す。
ボクのことを応援してくれたキタちゃんやトレーナー、
ファンのみんな、スピカのみんな、K先生たち。
そして何より、諦めないことの大切さを教えてくれたターボ。
押し寄せる不安に挫けて躓いて、見失った遠ざかる夢に、また手を伸ばす勇気をくれた。
だったら今度は、ボクの番じゃないのか!
「だったらボクがマックイーンのことを立ち直らせてみせるよ。
3度も骨折したボクがまたレースに出て、勝つ姿を見せる。
それできっと、マックイーンに勇気を届けてあげられるはず」
「いいと思うわ。あなたの脚はそう遠くなく治りそうだしね!
あなたが立派に走る姿を見れば、マックイーンちゃんも元気出してくれるわね!」
寺井はしっかり前向きになっているトウカイテイオーを確認でき、嬉しそうだ。
「うん。それで寺井先生が最初に言ってたよね、
ボクの脚は11月の半ばごろには治りそうだって」
「ええ、言ったわよ」
「それなら。それなら…ボクは有馬記念に出たい。
そこでボクが治ったことを見せてやりたい」
「えっ、有馬記念ですって!?」
予想外の言葉に、寺井が驚いて声を上げた。
「有馬記念は年末、十分走れるようになっているでしょ?」
「え、ええ…この分なら走ることは問題ないと思うけれど…」
「だが、レースに出ることと勝つことは話が違うのはわかるだろう。
君は足のケガで前のレースからかなりブランクがある。
それにこの治療もまだ途中、11月の半ばに治ったとしても、
まともにトレーニングができる期間は1か月程度しかない。
それでGIレースに出るというのか?」
「うん。出たい」
トウカイテイオーの目は真剣だった。
自分の時を思い返すと、完全に諦めてしまったらおそらく二度と復活はできないだろう。
出来るだけ早く、そしてできるだけ劇的な舞台で、自分の復活を見せつける。
そうすることがマックイーンのためにできる唯一のことだと考えた。
「ふむ…」
Kと寺井は考える。年末ならばおそらくレースに出ることは可能だろう。
その結果着順がどうなるかはかなり怪しいものだが、
トウカイテイオーが走れているということを見せられればいいのなら、
ツインターボの時とは異なり必ずしも1着ではなくてよさそうだ。
それならばやってみる価値はある。
「わかった、いいだろう。
直前まで検査はさせてもらうが、それで問題がなければレースに出るといい。
メジロマックイーンのために、勝利を掴んで来い!」
「頑張ってね、テイオーちゃん!あなたがやるというのなら、私たち医者は応援するだけよ!」
「ありがとう!この治療を頑張って、ちゃんと脚を治して、
テイオーが復活したって全世界に見せつける!
そしてマックイーンに元気を出してもらって、また一緒に走るんだ!」
マックイーン。いつかまたキミと、風を切って喜び合えたら。
そんな未来を夢に見て、ボクは有馬で勝ってみせる!
トウカイテイオーが改めてお見舞いに行こうと思い、
メジロマックイーンがいるかをじいやに確認するため電話をしたところ。
彼女は行き先を告げずに姿を消しており、一同で捜索中だと教えられた。
この日は雨が降っており、外に行ってしまったのなら、
早めに見つけないと体調を悪くする危険がある。
マックイーンが行方不明。ボクが同じ状態だったらどこに行くかな?
それはきっと…あそこしかない。
トウカイテイオーが向かったのはメジロ家所有のトレーニングコース。
コースに到着すると、雨が降りしきる中でコースを走る人影が見える。
それは予想通り、メジロマックイーンだった。
「マックイーン!!」
「あ…あら、テイオー。どうしたのですか、そんなに慌てて」
メジロマックイーンはトウカイテイオーに気付くと、
痛みによって苦悶に歪む表情を隠して平静を装いながら話した。
「じいやさんから聞いたよ、行先も告げずに出て行っちゃったって」
「ああ…ちゃんと伝えるのを忘れていましたわ。あとで謝っておきませんと。
秋の天皇賞はもうすぐです、トレーニングを続けなくては…」
「何言ってるのさ…天皇賞は辞退したんでしょ?」
「あれはおばあ様やじいやが勝手に言ってるだけですわ。
わたくしはもちろん出るつもりです」
繕った表情で、硬い笑みを浮かべるメジロマックイーン。
現実を受け入れられなくて、現実から逃げているのだ。
トウカイテイオーも、彼女の心中がどうなのかはすぐ理解した。
「でも繋靭帯炎なんでしょ。
かなり痛むって聞いてるよ、せめて痛みが治まるまでは休んだ方が…」
「痛みくらい我慢してみせますわ。
このくらいなんとも…ぐうっ!!!」
メジロマックイーンが数歩歩くと、痛みに悶えながら倒れ込んだ。
「あっ!無理しちゃだめだよ!」
「無理なんてしてません!!わたくしは強くあらねばなりません!
挫けることなく堂々と、最強のウマ娘の座にい続けなくては!
そこでテイオーを待つのです!ずっと…楽しみに…!」
メジロマックイーンは立ち上がろうとするも、激しい痛みによってまた倒れ込んでしまった。
「う…ううっ…!なのに…動かない…動かせない…!
もう…走れないの…!あなたとの約束は…果たせないの…!
う…うわぁぁぁん…!」
トウカイテイオーと会い、強がっていた心の糸が切れてしまったメジロマックイーン。
かつて一度もしたことのないような悲しい表情で、子供のように泣き始めた。
(マックイーン…やっぱりあの時のボクとそっくりだ)
過去のトウカイテイオーも同じだった。
もう走ることができなくなったと思い、絶望して何もかもを諦めてしまったあの時と。
「運命ってさ、イジワルだよね。どうしてもボクとマックイーンを勝負させたくないみたい。
宝塚記念で一緒に走れるかと思ったらまた骨折しちゃって、
もう元のようには走れない、なんて言われて。それで今度はマックイーンまで…。
きっと、もう諦めちゃった方が楽なんだよね。
でも!ボクはまだ諦めたくない!もう一度キミと走りたいよ!
マックイーンは、違うの?」
「そんなの…走りたいに決まってます!!だけどもう無理なんです!
もう、一生まともに走ることなんてできない!
奇跡でも起きない限り元のように駆けることは叶わない!
あなたと一緒ですわ!!…あっ!!」
自分の放ったあまりの失言に気付き、我に返るメジロマックイーン。
「ごっ…ごめんなさい…」
トウカイテイオーはメジロマックイーンに対して、穏やかに、だが力強く答えた。
「うん、そうだよね。奇跡が起きなきゃ無理だ。…だから起こすよ、奇跡」
「……!」
「ボクの脚はまだ治療中。骨が治った後にどういう走りになるのかわからない。
ブライアンみたいに故障のせいで全然違う走りになっちゃうかもしれない。
でも…たとえそうなったとしてもボクは走るよ。
ボクが証明して見せる。ボクとマックイーンはもう一度絶対走れるようになるって。
今度の有馬記念、見てて。ボクはそこで誰よりも先にゴールする」
「そ…そんなこと不可能です…今のあなたが勝つなんて…」
「奇跡を望んで頑張れば、必ずできる」
「っ…!!」
『奇跡は起きます。それを望み、奮起する者のもとに。…必ず、きっと』
メジロマックイーンは、かつて自分がトウカイテイオーにかけた言葉を思い出した。
「テイオー…」
「ボクが走るのを諦めかけたとき、引っ張ってくれた。
くじけそうなとき、側にいてくれた。
ボクの目標になる、強いウマ娘で居続けてくれた。
待ってるって言ったのは、マックイーンだった。
今度は、ボクの番だ。だから見てて、マックイーン」
Kはトウカイテイオーのリハビリに付き合いながら、
沖野も交えてレースに向けた作戦会議を行った。
「君がまともにトレーニングできるのは1か月強だけ、これは変えられない。
ならばリハビリをしている今でも、少しでもできることをやっておくといい」
「そうだね、今できることをしなくちゃ」
「トレーニングは左脚に負荷のかかるもの以外は問題ない。
出来るだけ右脚を鍛えておき、強い踏み込みができるようにしておけ。
左脚は治った後もなるべく強い負荷を与えたくないことも踏まえて、
右脚を主軸にした走りをするのがいいだろう」
「わかった、そうするよ。そしたら走り方の調整とそれに合わせた脚運びとか、
その辺もいろいろ勉強しなくちゃね」
「左脚に関してはリハビリの強度をある程度上げよう。
本来は筋力や関節を衰えさせないために行うリハビリだが、
やり方を調整すればそれらを高めるトレーニングにもなる。
治療部に負担を与えないように気を付けながら、可能な限り行っていくのだ」
「うん」
「創外固定器が取り外せるようになったらスタミナのトレーニングだな。
水中ならば脚への負担は少なくて済むので、通常とあまり差のない運動ができるだろう。
念のためギプスで固めながら、水中トレーニングで体力を上げる。
脚は治っても有馬の時点ではどれほど元の走りができるかわからない。
ならば元の走りを意識しつつも、それがダメな時のために二の矢、三の矢を用意しておけ」
Kたちと沖野が話し合い、トウカイテイオーのトレーニングを進めていった。
治療中の怪我人にしてはかなりのトレーニング量であるため、
常に沖野かスピカの誰かがつきっきりでサポートを行った。
有馬記念は元々トウカイテイオーの適性に対しては少し長め。
それを補うためにスタミナを可能な限り高め、
トレーニングのできる期間の短い左脚を補うために右脚の強度を上げていく。
「よーし、テイオーちゃんの骨は完璧に戻ったわ!
検査も一切問題なし、今日からはもう走って構わないわよ!
た・だ・し!無茶は厳禁よ!私たちと相談した通り、節度を保ってすること!」
11月中旬には予定通りトウカイテイオーの脚は完治。
骨延長を施した仮骨は十分な強度に固まり、走力トレーニングを始めた。
当然ながら故障する前に比べてかなり体の鈍りを感じたものの、
強めのリハビリとトレーニングを行ってきたおかげで能力の回復は目覚ましかった。
全ては有馬記念で勝つために。
トウカイテイオーは全てを賭けてトレーニングを行っていく。
そして同時に水面下で進行する、Kによるメジロマックイーンの治療計画。
Kはメジロ家にコンタクトを取り、メジロマックイーンの主治医と会うこととなった。
「おお、あなたがドクターKですか。お噂はかねがね…。
私はメジロマックイーンお嬢様の主治医です」
「初めまして、Kです。メジロ家の医療チームは優秀と聞いておりますので、
部外者の私が口をはさむのは失礼かとも思ったのですが…
沖野さんやトウカイテイオーさんに頼まれましてね、協力させてください」
「いえ、あなたほどの方が来てくれて文句のある者などおりません。
さっそくですが、こちらがお嬢様のカルテです」
メジロマックイーンの主治医がKにカルテを差し出した。
「ふむ、なるほど。ある程度話を聞いていましたが、これはかなり重症ですね」
「そうなのです。PRPや幹細胞を投与する準備は進めているのですが、
これほど重度の繋靭帯炎ではどこまで効果があるか。
現状では歩くだけでも痛むようですから、
せめて日常生活に問題ないところまでは持っていきたいものです。
もし改善がなされない場合、状況によっては神経切断術も考慮しております」
【神経切断術】
神経を切除することによって痛みの緩和を図る治療手段。
爪に疾病を持つウマ娘や、繋靭帯炎に苦しむウマ娘などに施されることがある。
神経を切除するだけなので患部の治癒になる行為ではないが、
激しい痛みによって生活もままならない場合に行われる。
痛みを抑えている間に出来る限りの治療を行い、患部をなるべく修復する。
上述の通り患部が治癒する治療ではないため、
この状態で激しい運動を行うと疾病の悪化や別の疾病の誘発につながる可能性が高い。
そのため神経切断術を施されたウマ娘は公式の運動競技に出ることを禁じられており、
それを隠して参加した場合は成績と出場権を剥奪される。
「神経切断術…。それを行えば痛みは無くなるでしょうね。
しかしそれを施されたウマ娘は、競技に出ることができなくなるはず」
「その通りです、ですが必要とあらば仕方ありません。
お嬢様はレースを生きがいになさっていましたが、それはおそらくもう…。
ならばせめて生活に不自由のない状態にしてあげたいのです」
主治医はこぶしを強く握り、悔しそうな表情をした。
自分は主治医なのに、患者を真に救ってやることはできない。
主治医はメジロマックイーンのことを生まれた時から知っているのだ。
どれほどレースが好きであるかも、どれほどレースのために頑張ってきたのかも。
もしも彼女に神経切断術を行うことになれば、
そのレース人生に終止符を打つのが自分ということになる。
医師としてやらなければならないことであっても、それはどれほどつらいことだろう。
「主治医さん。私がここに来たのは、
メジロマックイーンさんの苦しみを緩和するためではありません。
彼女を元通り走れるようにしたいと思っているのです」
「元通りにですか…?それができればどれほどいいでしょうか。
もちろん繋靭帯炎から復帰したウマ娘がいることは知っています。
ですがそれは全体の数から考えれば数少ない例外で、
復帰に向けた努力をし続けた末に無念のまま去ったウマ娘は数知れない。
お嬢様にそれを強いるのは私には…」
「努力を強いる、ですか。
それはメジロマックイーンさんが復帰を諦めているからでしょう。
ですがトウカイテイオーさんが言っていましたよ、
『自分が必ずマックイーンを立ち直らせる』と」
「トウカイテイオーさんが…?彼女も大きな故障で苦しんだウマ娘ですが、
K先生たちの尽力で復帰に向けての努力を行っていると聞いておりますね」
「確かに治療そのものは私も参加しましたが、
彼女もメジロマックイーンさんと同じで、度重なる故障に心が挫けた。
しかしメジロマックイーンさんたち、仲間の励ましによって再び立ち上がることを決めた。
彼女を救ったのはメジロマックイーンさんたちなのです。
だから彼女はそれをメジロマックイーンさんに返してやる番だと言っていました」
「そうなのですね。トウカイテイオーさんがそのようなことを…」
「復帰を諦めることはいつでもできます。
ですが可能性があるうちはそれを追い求めるべきです。
メジロマックイーンさんが諦めないと決めた時、
我々がサポートできる体制を整えておくのです。
メジロマックイーンさんも強いウマ娘だ。立ち直ってくれる可能性は十分あるはずです」
主治医はKの言葉でハッと気づいた。
メジロマックイーンはどんな困難にも挫けずに立ち向かってきたウマ娘だ。
これまでも怪我を乗り越えて来たし、天皇賞3連覇を逃した時も人前では涙一つ零さなかった。
彼女の強さは自分も知っている。
今、少し心が挫けていても、きっとまた立ち上がってくれるはずだ。
それなのに主治医である自分が諦めそうになっていたなんて。
「K先生ありがとうございます、おかげで目が覚めました!
どうやら私の方が諦めそうになっていたようです…。
私は主治医です!お嬢様のために、可能な限りの努力をしようと思います!」
主治医の顔に気迫が籠った。
彼もまた、戦う覚悟を決めたのだろう。
「ふふ…さすがはメジロ家の主治医さんだ。ともに尽力しましょう!」
「よろしくお願いします!」
「さて、具体的な治療プランについて考えましょう。
主治医さんが先ほどおっしゃってましたが、
メジロマックイーンさんのPRPや幹細胞の投与を準備しているとか?」
「ええ、まずはある程度の治療実績のあるこれらを行おうと思います」
「既に体組織の採取はできているのですか?」
「はい、幹細胞は既に採取しており、現在培養中です。
PRPは血液を採取すればすぐ作成できますのでまだですが」
「なるほど…幹細胞を培養しているのならば都合がいい。
私も同じような治療を行ったことは何度かありましてね。
私の診療所でも幹細胞を培養する環境があります。
少し提供していただいてもいいですか?」
「構いませんが、培養なら私どもの方でもできますよ。
何か別の用途に使うのですか?」
「ええ、使い道が他にもありますのでね。私が考えている治療法は…」
Kと主治医の会議はしばらく続き、方針が決まった。
ひとまず、すぐにPRP療法を施して炎症の悪化を止める。
そして有馬記念…トウカイテイオーのレースの結果を見て、
本格的な治療に踏み切るかどうかを判断する。
だがKたちはメジロマックイーンが立ち直ってくれると信じ、
それを前提とした治療の準備を進めていった。