スーパードクターU   作:黒い平方四辺形

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話と時間軸は同じですが、この話以降はエピローグの後から追加したものなので分けました。


シーズン2
闘魂


 

とあるG2レースの直前、控室。

そこにはダート専門ウマ娘のワンダーアキュートとそのトレーナーがいた。

 

「ううん、やっぱり緊張して手が冷たいよお。

トレーナーさん、いつものやってもらえるかねぇ?」

 

「もちろんだ、行くぞ!闘魂肩たたき!」

 

トレーナーがワンダーアキュートの肩を強くビシバシと何度も叩く。

ワンダーアキュートはそれを心地よさそうに受け、そして叩かれるたびに顔に闘志がみなぎる。

 

「ひゃあー!やっぱりこれじゃねぇ!元気いっぱいじゃ、行ってくるよぉ!」

 

「よし、頑張れ!」

 

トレーナーに肩をたたかれたことで心も体もほぐれたワンダーアキュート。

力強い足取りでコースへと向かっていった。

 

 

そのレースはワンダーアキュートの調子はすこぶるよく、

最初から先頭をキープしたまま後続を寄せ付けない走りをしていた。

 

『ワンダーアキュート強い!後続も追いすがるがこれは届かない!

ワンダーアキュート、1着でゴールイン!』

 

「やったねぇ、あたしの勝ちじゃ~!」

 

手を掲げて喜ぶワンダーアキュート。

会場が盛り上がる中、その観客席には富永がいた。

今日は診療所から休みをもらっていたので、レースの観戦に来ていたのだった。

 

 

「うーん、ワンダーアキュートはなかなかいい走りだったな。

デビューはずいぶん遅かったみたいだけど、これからもっと伸びていきそうだぞ。要チェックだ」

 

いい走りを見ることができたのでレース後のインタビューも見に行くことにした。

これまで特にチェックしていなかったウマ娘だったが、

戦歴を見るとGIでも入着経験があるらしい。

この様子ならそのうちGIレースで勝てるようになるかもしれないな、と感じる。

 

 

『ワンダーアキュートさん、今日は素晴らしい走りでしたね!』

 

「ありがとうねぇ、思いっきり走れてよかったよぉ~。

理想通りの走りができたって感じじゃねぇ」

 

『終始安定した走りでした。レースには冷静に挑むことができたわけですね』

 

「そうでもないのよ、あたしけっこう緊張しいでねぇ。

走る前に体がビリビリ~するし、手もしばれるようになるんよ。

でも、トレーナーさんに『えいやっ』って肩を叩いてもらったら元気になれるのよぉ。

応援されると勇気が出るもんじゃねぇ」

 

『なるほど、トレーナーさんとの絆の力もあるということですね!

素晴らしい走りを見せてくれたワンダーアキュートさん、今後の活躍にも期待です!』

 

 

 

インタビューを聞き終えた富永は、ワンダーアキュートの今後の展望を思案していた。

もうすぐ帝王賞もあるしそれに出てくるのかな、と思いながら帰り支度をしていた時、

先ほどインタビューで言っていた話が頭に引っかかった。

トレーナーに肩を叩いてもらったら勇気が出た、と言うことだったが、

声掛けによる励ましではなく実際に叩いてるような話だった。

それに手足がしばれる…しびれるの聞き間違いか?それともそのまま「寒い」の意味か?

何かわからないが、「緊張で震える」のような表現にしては違和感がある。

 

「まさか、何かあるんじゃあるまいな…」

 

どうしても気になった富永は、傍らにあった医療用具の入ったカバンを開いた。

ライスシャワーの事故に立ち会って以来、

レースを見に来るときは常に医療用具を持ったまま訪れるようにしていた。

中にはいろいろな道具や輸液などが用意されているが、医者のシンボルである白衣も入っている。

富永は白衣を取り出してそれに着替えた。

 

「よーし、この格好ならどこを歩いていても不審者にはならんぞ!」

 

そう、医者の格好であれば関係者が入る所を歩いていても不審がられることはほぼ無い。

患者のためなら割と強引に突っ込んでいくKを見習いつつも、

彼の黒マントと違い医者とわかってもらえる白衣を着用することを選んだのだった。

 

そうしてウマ娘の控室のある方に侵入していった富永。

人とすれ違うたびに内心はドキドキしていたが、

堂々と歩きつつ会釈も行っていたので外部の人間だと気付く者はいなかったようだ。

しばらく歩いて見つけた控室、そこにワンダーアキュートの名が書いてある部屋があった。

中から話し声が聞こえてくるので彼女も部屋にいるらしい。

 

富永は意を決して部屋をノックした。

 

「はい、なんでしょうか?あれ…お医者さんですか?」

 

中からはトレーナーが出てきて、奥にはこちらを覗いているワンダーアキュートの姿も見える。

さあなんと話したもんかな、と考えながら、

とりあえずそれらしい嘘をついて探ってみることにした。

 

「失礼します、私は富永と言います。見ての通り医師をやっています。

今日はレース場の待機医として来ていたんですが何事もなく終わってよかったです。

ワンダーアキュートさんのレースを見せてもらったんですがね、とても素晴らしかった!

感激してしまったので一言挨拶だけでも…とここまで来てしまいました」

 

「アハハ、そうなんですか。

アキュート、このお医者さん…富永先生が君のファンになったってさ」

 

トレーナーが奥にいたワンダーアキュートに声をかけると、

ワンダーアキュートも扉に近寄ってきた。

 

「ほー、あたしのふぁんになってくれたのかい、うれしいねえ。

これからも頑張っていくから、応援よろしくねぇ」

 

「はい、応援してますよ!頑張ってくださいね!」

 

富永はそう言いながら手を出して握手を求めると、

ワンダーアキュートも自然に握手に応じてくれた。

その握手の際、富永はワンダーアキュートの目や耳の動き、呼吸などの様子を窺い、

何か異常がないかを探していた。そちらでは特に何も異常は感じなかったが…

握手をした瞬間に違和感を覚えた。ワンダーアキュートの手がひんやりとしていたのだ。

 

(冷たい?レースからある程度時間が経っているとはいえ、

この段階で冷たいなんてことがあるか…?)

 

見てみると肌の色も少し白っぽい。それも、そうなっているのは腕だけであり、

顔や足は特に何かあるようには見えない。

やはり何かありそうだな、と思った富永は少し探ってみることにした。

 

「あの…せっかくですからお聞きしたいんですが、体に何か不調はありませんか?

もし何か気になることがあったら僕に診せてもらいたいんですが」

 

「不調ねぇ、特に思いつかないねぇ。あたしは元気なのが取り柄じゃからね。

今日も元気いっぱいで走れたよぉ」

 

「そうでしたね、僕も見ていましたがとてもいい走りでした。

そう言えばインタビューも見ましたよ、なんでもトレーナーさんに元気をもらったとか?」

 

「ええ、そうよぉ。少し緊張してたあたしの肩をバシッと叩いてもらってねぇ。

そうしたら凄い元気が出るのよぉ」

 

「叩く…と言うのは比喩ではなく、実際に叩いているんですか?」

 

「ええ、肩をたたいてもらうのって気持ちよくてねぇ。それで気合も入るんよ」

 

「なるほど…そういうのはプロレスラーとかボクサーでも見かけますね。

それで、手がしばれると言っていましたがそれも治るんですか?」

 

その質問にはトレーナーが答えた。

 

「ええ、アキュートは緊張すると血行が悪くなっちゃうみたいでしてね。

そのせいか手が冷えちゃうし、少しピリピリとしびれるような感覚があるそうです。

でも肩をたたいて闘魂を入れると元気になる、というので私も手伝っているんです」

 

「ふむ…」

 

富永は考え込んだ。

手が冷えるだけならともかく、しびれるような感覚があるというのはやはりおかしい。

これは一度しっかり調べた方がよさそうだ。

 

「あの…失礼ですが、手の冷えやしびれは緊張のせいではない可能性があります。

もしよければ、僕に診察させてもらえませんか?」

 

富永の提案に、ワンダーアキュートとトレーナーはかなり驚いたようだった。

 

「えっ、アキュートの緊張のせいじゃないって、つまり病気と言うことですか?」

 

「わかりませんが、可能性があります」

 

「そ、それは困るな…。アキュートどうだ?一回診てもらおうか」

 

トレーナーがワンダーアキュートの方を向くと、彼女は少し目をそらしている。

 

「え、ええと…ちょっと大げさすぎやしないかねぇ。

あたしは元気よ?今日だって1着を取れたわけだし…」

 

病院を嫌がるそぶりを見たトレーナーは思い出した。

ワンダーアキュートは小さいころ病院が大の苦手で、連れて行こうとすると暴れだしたらしい。

今はさすがに暴れるようなことはしないが、

病院が嫌いであることは変わりがないと彼女の両親から聞かされていたのだった。

 

しかしそうはいっても体に異常があるのなら放置はできない。

ここはトレーナーとして折れるわけにはいかなかった。

 

「アキュート、俺は君のことが大切なんだ。

調べてもらえばもし何かあったら治すことができるし、

何もなければ安心してトレーニングができる。

せっかくの機会だから診てもらわないか?」

 

トレーナーが心底心配そうに言ってくるのを見て、ワンダーアキュートも渋々了承したのだった。

 

富永はワンダーアキュートとトレーナーを連れて、比較的近場にあった自分の実家…

富永の父親が経営する富永総合病院へと向かった。

 

病院に着くと、さっそく父親の富永進太郎が一行を出迎えた。

 

 

【富永進太郎】

富永研太の父。富永総合病院の院長を務める。

以前脳腫瘍を患ったが、富永とKの執刀で脳機能に影響を与えずに手術を成功させ、

後遺症が一切ないままに完治。

その際に富永の実力を認めて後継ぎとして自分の病院に迎え入れようとしたが、

富永はその時に実家に戻ってくることは不本意であったため、

Kの診療所に多くの患者を残してきていることを知り、

納得いくまでやってくるようにと富永をKの診療所に再び送り出した。

 

 

 

 

 

「何やっとるんだ研太!お前はK先生のところで勉強中のはずじゃなかったのか?

こんなところでなにを油売っとるんだ!」

 

「うるさいな、いくらなんだって休日くらいあるよ!それより連絡した設備、準備してくれた?」

 

「ああ、今日は空いてるから連絡されてた分は貸してやるわ。

だがなぁ、急に連絡されてもいつも空いてるとは限らんぞ、うちだって忙しいんだからな。

まあいい。ワンダーアキュートさんとトレーナーさん、こちらへどうぞ」

 

富永総合病院は、個人病院としてはかなり大規模な病院である。

思っていたよりも大きい建屋を見て、ワンダーアキュートとトレーナーは少々驚いたようだ。

 

「ほぁ~、おっきい病院じゃねぇ。富永先生はここの息子さんなのかい~?」

 

「ええ、まあ今は別な先生の診療所で勉強中なんですけどね。

K先生…ドクターKって言えばわかるかも?

物凄い実力の先生で、トレセン学園にも何度か行ってますよ」

 

ドクターKという言葉は、ワンダーアキュートは知らなかったようだが、

トレーナーの方は聞いたことがあったらしい。

 

「ドクターK、聞いたことありますね。確かトウカイテイオーの怪我を治したとか」

 

「K先生は凄い人ですからね。

僕はまだ彼には及びませんが…でも精いっぱいやらせていただきます」

 

富永が2人を案内し、さっそく検査を始めた。

行ったのは血液検査とMRI。

ワンダーアキュートは検査を拒否はしなかったが、血液採取の際はかなり怖がっていたし、

MRIに入ると「ほんに騒がしいもんじゃねぇ…」と稼働音に嫌そうな顔をしていた。

 

 

検査をしている富永の下に父親が様子を見に来た。

 

「研太、状況はどうだ?」

 

「あ、オヤジ。今MRIを撮っているところだよ、血液検査もしてるけどこっちが本命だね」

 

「お前は彼女の何を疑っているんだ?ここまで連れてくるくらいだから何かあるんだろう?」

 

「うん、疑ってるのは血管か神経関係の疾患さ。

彼女の腕がやけに冷たかったんだ。レースの少し後だから体は火照っているはずなのにね。

肌も色白かったし、動脈に狭窄とかがあるんじゃないかと思ってる」

 

「なるほどな、あり得る話だ。腕が冷たいなら肩付近の問題かもしれん。

どれ、そろそろ撮影が終わるからわしも見てやろう」

 

数分後に撮影が終わり、2人は画像を分析する。

するとやはり肩のあたりに問題点を発見した。

それを見ると、筋肉によって鎖骨下動脈と腕神経叢が圧迫されている様子がわずかに確認できる。

 

「あった!これだな、この部分が少し圧迫されてる!」

 

「ほう確かに。よく見つけたな、こいつはおそらくTOSだ。

神経も少しやられているようだが、MRIの検査一発で見つかるのは運がいい」

 

「原因がはっきりわかるのも運がいいね。他に異変は…特になさそうだね。

頸椎のヘルニアとかもないからやっぱり原因はここみたいだな。

今のところ症状は深刻ではないみたいだし、手術よりは理学療法で対処した方がよさそうだ」

 

「うむ、それでいいだろう。おそらく合っているだろうとは思うが、

念のため超音波検査とアドソンテストもやって、もう一度しっかりと確認してきなさい」

 

「そうだね、やっとくよ。ちゃんと正しそうだったら治療の設備も借りるね。

とりあえずあんまり大ごとじゃなさそうでよかった」

 

 

検査と分析を終えた富永はワンダーアキュートとトレーナーを呼び出し、状況の説明を始めた。

 

「検査の結果が出ました。ワンダーアキュートさん、あなたは胸郭出口症候群(TOS)です!」(ギュッ)

 

「胸郭出口症候群…?よう知らん病気じゃねぇ。それはまずいものなのかい?」

 

「若者には比較的少ないものですが、けっこうよくある症候群ですね。

肩を酷使するアスリートや職業の方によく発生します。

致命的な状況に陥ることはほとんどありませんが、

悪化すると慢性的な痛みやしびれに苛まれることがあります」

 

 

【胸郭出口症候群】

胸郭出口症候群(thoracicoutlet syndrome:TOS)とは、

首と胸の間を通る神経、動脈、静脈が圧迫されて起こる一群の病気のこと。

胸郭出口とは首と胸の間にある通路で、主要な血管や多くの神経がここを通って腕に抜けていく。

この通路は多くの器官で混み合っているため、

腕へ伸びる血管や神経が周囲の構造物(肋骨、鎖骨、筋肉)によって締めつけられ症状が現れる。

女性に多く発生し、35~55歳に発症するのが一般的。

肩の関節に負担がかかる生活をしていると発生しやすいので、

野球やバレーのようなオーバーヘッドスポーツの選手にも起こりやすい。

 

また、腕全体にかけて様々な病態として発症するため。

検査を行っても胸郭出口症候群である可能性を考えていない場合は気づかれないこともよくある。

 

胸郭出口症候群の正確な原因は不明である場合が多い。

原因が明確である場合の一例は、頸肋(頚椎から発生する肋骨)や異常に発生した骨、

鎖骨骨折の治癒時に変形してしまう、付近の筋肉の肥大などがある。

神経が圧迫されると、手、首、肩、腕に痛みやチクチクする感覚(錯感覚)が起こる。

動脈が圧迫されると腕が青白く冷たくなり、静脈が圧迫されると腕が腫れたり、皮膚が青くなる。

重度の場合はチアノーゼを起こしたり、筋力低下を起こす場合もある。

 

 

 

 

 

 

 

「そもそも僕がワンダーアキュートさんに何かあるんじゃないかと考えた理由は、

レース後に行われたインタビューの話でした。

レース前に肩を叩いてもらうと元気が出るという話でしたが、

それと言うのも体がしばれるからだと言ってましたね。

どうにも単なる緊張のせいとは思えなくて、直接確認しに行ったわけです」

 

「ほー、そうだったのかい。わざわざありがとうねぇ。でもそれじゃあ…

あたしの『ふぁん』になったと言っていたのは嘘だったということかねぇ…」

 

ワンダーアキュートは少ししょんぼりとした。

 

「い、いやいや!ファンになったのは本当ですよ!

だからインタビューまでしっかり見てたんですから!

…コホン!とにかくですね、何か異常があるんじゃないかと思って様子を見せてもらったところ、

腕だけが色白く、さらに通常より冷えていることがわかりました。

なのでおそらく腕の血量が少なくなっているのだろうと考えたのです。

そして検査の結果、胸郭出口症候群であることがわかりました。

あなたの場合はその一種である『斜角筋症候群』と呼ばれるものです。

肩にある斜角筋が炎症を起こし肥大したことで神経と血管が圧迫されて症状が出たのです。

 

レース前に肩を叩いてもらったら調子が良くなるという話ですが、

ストレスや緊張で筋肉が強張ったことで血管や神経を圧迫してしまったのを、

叩くという行為のマッサージ効果と心理的な効果が強張りを緩め、

筋肉の隙間を広げてくれたことで症状が治まってくれたのでしょう」

 

トレーナーが肩周辺の人体構造を思い浮かべながら言う。

 

「斜角筋…筋肉が原因なんですね。こうなったそもそもの原因と言うのはあるんですか?」

 

「肩に負担がかかることをしたからだと思います、それで炎症が起こってしまったんでしょう。

心当たりはありませんか?重い荷物を持ったり、肩周辺にハードなトレーニングをしたりとか」

 

「ああ、それならあたし、ボクシングをやっているんじゃよ。

じゃから負担はかけてるかもしれないねぇ」

 

ワンダーアキュートがそう言いながら軽くジャブをする。

軽くとはいえ経験と魂のこもったそれは妙な迫力を感じさせた。

しかも富永の戦闘力では、その軌跡を捉えることすら困難であるほどだ。

 

「うおっ…!ボクシングですか、たぶんそれですね…」

富永は話をしながら、ジャブでそれなら本気のパンチを喰らったら内臓が破裂しそうだと慄く。

 

「ボクシングは体にいいと思ってたんじゃけど、そうでもないのかい?」

 

「いえ、運動ですから体に悪いってことは無いですよ。

まあ、試合だと頭部や胴体を殴打しますからその辺はいいとは言えませんけど。

斜角筋そのものを鍛えようとしたわけではないと思いますが、

トレーニングしているうちに負荷がかかってしまったんでしょうね。

それで炎症してしまったのは少々運が悪かったですね。

でも大丈夫!ちゃんと治療すれば問題なくなりますから!

それに治療も手術とかをするわけではないので、痛くもないですよ」

 

「そうかい、それじゃあお願いしようかねえ」

 

「富永先生、アキュートのことよろしくお願いします!」

 

「ええ、任せてください!」

 

富永がワンダーアキュートを別室に移動させた。

ここには治療に使用される機器が用意されている。

 

「これから高電圧パルス電流治療(HVPC)というのを行います。

これは名前通りパルス電流を流すことで筋肉に刺激を与え、

筋肉の弛緩、炎症の緩和、血流の促進などの効果が期待できます」

 

ワンダーアキュートの首周辺に電流を流すと、ピリピリとした電気的な刺激が感じられた。

 

「ふほぉ~…ピリピリするねえ…。でも嫌な感じじゃないよぉ。

なんだか肩たたきでもしてもらってるような気分だねぇ…」

 

「それは良かった。人によっては電気刺激が合わないこともありますから。

これを10分くらい行えばOKです」

 

10分後。電気刺激を終えたワンダーアキュートはずいぶん元気そうだった。

少々色白になっていた腕も血色がよくなっている。

 

「おお~、なんだか腕が軽くなったようじゃ!

富永先生はすごいお医者さんじゃ。ありがとねぇ」

 

「アハハ、凄いのは僕じゃなくてその機械を作った人ですよ。流石に1回だけでは治らないから、

うちの病院じゃなくてもいいので週に1度同じことをやってもらってください。

治るまでの目安は4~6回程度ですかね。

もしこれで全然改善されなかったり、また再発した時は相談してください。

また、しっかり治るまではできるだけ負担をかけないような生活をしてもらうこと。

それとストレッチやマッサージで筋肉をほぐす必要もあるので、

やり方についてこれから理学療法士の方に教えてもらってください」

 

「ええ、わかったわ。しっかり治して、次のレースも頑張らんとねぇ」

 

「僕も応援してますよ。それじゃあ、お大事になさってくださいね」

 

治療が終わり、ワンダーアキュートとトレーナーはトレセン学園へと帰っていった。

帰り際に可愛らしく手を振ってきたワンダーアキュートに手を振り返した富永は、

少しデレっとした表情なのだった。

 

 

その後富永がカルテをまとめていると、父の進太郎がやってきた。

 

「研太、今日は休日だというのにご苦労だったな。それになかなか判断はよかったぞ」

 

「なんだよ、急に褒められると気味悪いなァ」

 

「全く、素直に受け取らんか。

TOSはMRIなどを使ってもなかなか診断しにくいものだ。

それを一発で見抜いた観察力はよかった。これもK先生に鍛えてもらっとるおかげか?」

 

「そうかもなァ。Kは僕より圧倒的に鋭いけど、少しでも近づこうと頑張ってんだ。

どうだいオヤジどの、男子三日会わざれば…ってやつですよ」

 

そう言ってドヤ顔をする富永の頭を進太郎がバシッとどついた。

 

「バカモン、調子に乗るんじゃない。褒めた途端にこれだから困る。

お前が自分で言った通りK先生には程遠いんだ、威張れる立場か」

 

「痛ったいなァ~!わかってるさ、僕はまだまだだって!」

 

富永は叩かれた頭をさすりながら、進太郎の方に向き直った。

 

「だからさ、まだしばらく向こうで勉強してくるから。

勉強を終えて戻ってくる時まで待っててよ」

 

強い意思が宿るその顔は、未熟だったころとは見違えるようだった。

富永がはじめにT村に向かったのは、親の敷いたレールに従いたくないという反骨心からだった。

予定と異なりT村は無医村ではなく最高峰の医師であるKがいたわけだが、

そこで得た経験は富永の実力を国際的に通用するレベルまで引き上げてくれている。

進太郎は心も体も成長した息子の姿に感激し、笑みを浮かべる。

 

「…ああ、納得するまでしっかりやってきなさい」

 

 

時刻はもう夜になっていた。

富永は元の予定では休日にレース観戦をしに来ただけなので日帰りのつもりだったのだが、

今回の件で時間を食ったため診療所に戻るのは翌日にし、診療所にもその旨を連絡した。

 

「というわけでオヤジ、急で悪いけど今日は泊めてもらうから」

 

「そもそもここに来たこと自体が急だったろうが。

ま、せっかくだから酒でも飲みながら、診療所の話でも聞かせてくれ。

貰い物のいいやつがあるんだ」

 

「いいよ、向こうも色々あるからね。話したいことはいっぱいあるな」

 

2人が帰宅の準備をしていると、そこに電話が鳴った。

 

「わしだ、どうした?…なに、自動車事故で救急の受け入れ要請だと?

重傷者2名か、わかった!うちでOKだ!2人ともすぐ連れて来てくれ!すぐ準備にかかる!」

 

進太郎が受話器を置いて富永の方へ振り向いた。

 

「聞こえてたか?酒の件は無しだ。

重傷者が送られてくるから人手が必要だ。研太にも手伝ってもらうぞ」

 

「もちろん!絶対に助けてやろう!」

 

2人は帰宅を中止し再び白衣に着替え、手術室に向っていった。

搬入されてきた重傷者を2人が手分けして対応し、見事に手術を完了。

 

その手術の手腕に、富永はずっと見続けてきた偉大な父の背中を、

進太郎は立派に成長した我が子の姿を見た。

 

のんびり語り合う時間は無くなってしまったが、

医師同士、言葉で語り合うよりも深く心が通じ合えたのだった。

父子の間に、かけがえのない絆を感じたひとときだった…。

 

 

 

 

 

 

約2か月後。

ワンダーアキュートは数回の電気治療と日頃の入念なストレッチによって、

胸郭出口症候群を完治できた。

そして今日は帝王賞の日。

GIレースに挑むにあたり、控室では気合を入れる姿が見える。

 

「うんうん。体の調子はばっちりだし、あたしも全力を出せそうじゃよ」

 

「例の症候群もしっかり治せたしな。もう手が冷えたりしてないんだよな?」

 

「うん、大丈夫よぉ。でもトレーナーさん、またその…肩を叩いてくれるかい?

肩におかしいところはなくなったけれど、やっぱり気合が入るんよ。

もう『るーちーん』ってやつになっとるんじゃ」

 

「わかった。行くぞ!闘魂肩たたき!!」

 

トレーナーは力を込めて、ワンダーアキュートの肩を強くビシバシと叩いた。

 

「ふほー!やっぱりこれじゃねえ!それじゃあ勝ってくるからねえ!」

 

トレーナーの手で気合がしっかり入ったワンダーアキュート。

全身に漲る力と迸る闘志と共に、コースへと向かっていった。

 

 

 

「さあて…今日も調子はばっちりじゃ。頑張っていくよぉ!」

 

スタート前でも昂ぶり続けているワンダーアキュートのもとに、コパノリッキーがやってきた。

トレセン学園では日ごろから仲良くしている友人だが、今日は同じレースに出走するライバルだ。

 

「アキュートさん仕上がってるね~。でも私も負けないから!

今日は晴天、風は南西。土の方位から高い氣をはらんだ風が私に力をくれる!」

 

「おやまあリッキーちゃんも仕上がっとるねぇ、お手柔らかに頼むよお」

 

2人の間にバチバチとした雰囲気が流れる。

お互いに相手の力量を知っているから、手ごわい存在であることを理解しているのだ。

 

 

『1番人気コパノリッキー、2番人気ワンダーアキュート。

2人ともレースに向けてしっかりと仕上がっているようです。

高い実力と強い闘志がこちらにも伝わってくるかのようです』

 

 

 

帝王賞のレースが始まる。

Kの診療所では富永がテレビをつけて見守っていた。

 

「コパノリッキーとワンダーアキュート、実力から言えば勝つのはこのどちらかだ。

はたしてどうなるかな…?」

 

 

レースは富永の予想と人気の通り、ワンダーアキュートとコパノリッキーの勝負となっていた。

最終直線、先頭はわずかにコパノリッキー。

 

「風の聲も大地の聲も力強く感じる!今日の主役は、私だーっ!」

 

「支えてくれるトレーナーさんのために、応援してくれるジムの人やおばあちゃんのために…

勝つのは、あたしだよぉっ!」

 

激しいデッドヒートの末、勝利をつかみ取ったのは————

 

『1着は…ワンダーアキュート!ワンダーアキュートです!

コパノリッキーはわずかにハナ差、惜しくも2着です!』

 

 

「やったよぉ~!みんな見ててくれたかねえ?」

 

「あーっ!!!負けた———っ!!なんでぇ!?

今日は空も大地も聲がバッチリ聞こえていたのに!」

 

「お疲れ様、リッキーちゃん。

うふふ、あたしにはその『だいちのこえ』?というのは聞こえんけれど…

あたしを応援してくれるみんなの声が聞こえてくるからねえ。

リッキーちゃんにも負けないくらい励まされてるんよ」

 

「ぐ、ぐぬぬ…!今回負けたのは私の実力が足りてなかったからだもん。

聲の大きさでは負けてない!体を鍛えなおして、次は私が勝つからね!」

 

「えいとも!またよろしくねぇ!」

 

 

 

 

 

「勝ったのは、ワンダーアキュート、か…」

 

テレビでレースを眺めていた富永の下に、麻上がやってきた。

 

「あら、その子って富永先生が治療したと言ってたワンダーアキュートって子ですよね。

1着なんてすごいですね!富永先生の力ですかね、おめでとうございます!」

 

麻上がニコニコしながら富永の方を向くと、富永はやけに渋い顔をしている。

それはどう見ても喜んでいる表情には見えなかった。

 

「と…富永先生?なにやら渋い表情ですけど、どうしました?若干涙目だし…。

ワンダーアキュートさんに何か問題でも?」

 

「いやね…医者としてはワンダーアキュートさんが勝ってくれたのはうれしいんだ。

ウマ娘として気に入ってるし、治療を手掛けた患者が元気になってくれたわけだからね。

でもね…僕は…僕のダート最推しはコパノリッキーなんだよね…!」

 

富永が悔しそうにうつむいて、こぶしを握り締めた。

 

「えっ…!あー、コパノリッキーさん、2着ですか…」

 

「そう、医者としてはうれしいけどファンとしては悔しいんだなァ…。

しかも僕がワンダーアキュートさんを治療したことで少しは彼女の力になっていると考えると、

コパノリッキーを負かすのに僕が一役買ってるってことになるんじゃあないか?」

 

富永は腕を組み、眉間に皺を寄せた。

 

「そ、そんなに深く考えなくてもいいじゃないですか。

コパノリッキーさんもこの負けを糧にしてまた強くなってくれますよ。

それにコパノリッキーさんだって、弱ってる相手に勝って喜ぶような子じゃないでしょう?」

 

「ふう…そうか、そうだよね。ワンダーアキュートさん、おめでとう。

コパノリッキー、次頑張れよ…!」

 

嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちを切り替えようとしている富永。

そこに麻上が何かの箱を渡してきた。

 

「そうそう、これを持ってきたんです。

富永先生のお父様から荷物が届いたので渡しておきますね。

クール便だし食べ物のようですよ」

 

「あ、ありがとう。オヤジから?冷蔵品って中身はなんだろう」

 

富永が箱を開けると、そこに入っていたのは漬物。どうやら大根の糠漬けらしい。

それと一緒に父からのメモが入っていた。

 

『研太へ。ワンダーアキュートさんからお礼として漬物が送られてきたので、

研太の方にも送っておきます。手作りのものだそうです。

診療所の皆さんと分けて食べるように。』

とのこと。

 

「漬物か…渋いな。ワンダーアキュートさんありがとう。

次も頑張ってくれよ…くっ…!」

 

富永が微妙な顔をしながらその漬物を食べた。

ぽりぽりとした食感の漬物はなかなかおいしい。

優しい塩味のついたそれは、涙の味に似ているのだった。

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