治療を受けると決めた先生は担当医へ連絡し、
TETSUとも一緒に話し合って治療を決行することが決まった。
「そうと決まればすぐにやるぜ、一刻の猶予もねえ。
化学放射線療法を始める!治ることができるのかは天に祈ってくれや。
全員覚悟を決めな、そしてやれることは全部やるぞ。
まずは合併症予防のための手術だ!」(ギュッ)
2日後、TETSUによる合併症予防のための手術が行われることとなった。
ナカヤマフェスタにも連絡が行っていたらしく、
TETSUが術前準備を行っていると訪れた彼女から声をかけられた。
「TETSU!手術するって、先生は治るのか!?」
「なんだ、ナカヤマも来てたのか。
言っとくがお前さんがここにいてもいなくても手術の結果は変わらんぜ。
それにな、今日の手術はただの前準備。本当の治療はこの後始まるんだ。
そっちで治るかは運としか言えねえよ」
「そ、そうなのか…」
「『先生』とやらからナカヤマの話をされたんだが、お前さんは勝負師らしいな。
だったら祈っとけ、お前と先生に運があることを」
TETSUはそう言い残して手術室へと入っていった。
ナカヤマフェスタは不安そうな顔をしながら、手術室の外にある椅子に腰かけた。
「運、ね…。私の運を先生にわけられりゃいいんだがなァ…」
TETSUが担当医や助手たちと共に手術に臨む。
この手術は癌そのものの治療ではなく、その前準備として行われるものである。
「さて、切除不能局所進行食道癌への化学放射線療法を行うとき、
考えなくちゃならんのは
これが発生したら即効で命に関わるが、治療をするなら避けては通れない。
じゃあどうするか?答えはシンプルだ。
発生しても命取りにならんよう、先んじて処置をしておけばいいって寸法よ」
そう言ってTETSUはカテーテルを手に取った。
ナカヤマフェスタから話を聞いてすぐ、自分のアジトから持参してきたものである。
「というわけで、AEF予防を目的とした
これをやっておけば穿孔ができても瘻孔にはならず、致命傷に至らねえで済むはずだ。
まだほとんど報告例はない施術だが、オレは何度かやったことがある」
【AEF】
大動脈食道瘻(aortoesophageal fistula:AEF)。
大動脈と食道が穴で交通し、大動脈から食道への大出血や、
食道からの縦隔への感染が広がり全身性感染症に至る極めて予後不良の疾患。
現在、世界的にも明確な治療指針はなく、その死亡率は 33~100%とも言われている。
一次性と二次性に分類され、前者は食道損傷・癌などの食道疾患や、
大動脈瘤・解離などの大動脈疾患に伴うAEF、
後者は胸部大動脈人工血管置換術や胸部大動脈ステントグラフト内挿術などの
大動脈疾患治療後に発生するAEFである。
重度の食道癌に対して化学放射線治療を行うと低くない確率で発生するため、
AEFにどう対処するのかが治療するうえで重要なポイントとなる。
【TEVAR】
胸部大動脈ステントグラフト内挿術(thoracic endovascular aortic repair:TEVAR)。
主に胸部大動脈瘤の治療で用いられる。
ステントグラフトとは、人工血管にステントといわれる金属を取り付けたもの。
足の動脈からステントグラフトの付いたカテーテルを入れ、
レントゲン装置(透視装置)で見ながら胸部大動脈まで運ぶ。
治療部位にて、カテーテルに収納されていたステントグラフトを拡げ、
動脈瘤へ血液が流れ込まないようにする。
これにより動脈瘤に圧がかからなくなるため、破裂を防ぐことができるようになる。
人工血管置換術と比べて切開部を小さくすることができ、
所要時間も短いので、身体にかかる負担が少ないのが特徴。
デメリットとしては動脈瘤自体は残ったままなので、
経過によっては症状が再発する場合があることや、
二次性AEFが発生する場合があること。
「行くぞ、大腿動脈からカテーテル挿入!」
TETSUはよどみない動きで足を切開し大体動脈を開き、
素早く確実にカテーテルを挿入し大動脈まで到達させた。
「よし、浸潤部位の大動脈内でステントグラフトを展開!
この患者は動脈瘤があるわけじゃないからな、シンプルに、確実に留置するだけだ」
大動脈内部でステントグラフトを展開し、食道癌の浸潤箇所の補強が完了した。
普通の医者なら30分~1時間程度で終了する手術だったが、
TETSUの腕前なら15分ほどで完了したために見ていた者は感嘆の声を上げる。
流石は大病院から紹介されてきた医者だ、と感心しているようだった。
その紹介状は脅して作らせたものではあるのだが。
TETSUの手さばきで、手術はもろもろの全工程を含めて1時間かからず終了した。
片づけは助手に任せて手術室から外に出ると、ナカヤマフェスタがすぐに寄ってきた。
「TETSU!手術はどうだった!?」
「心配すんな、成功だよ。だけど言ったろ、これは治療の前準備にすぎねえ。
レースで言えばスターティングゲートに入ったくらいの話だ。
本当の勝負はここからだぞ」
「そ、そうなのか…」
ナカヤマフェスタの表情は硬く、手は少し震えていた。
かなりの不安があることが見て取れる。
「おいおいナカヤマよォ、お前はオレを代打ちに選んだんだぜ?
それなのにいかにも『不安です』って顔されちゃあ面白くねえな」
「あっ…すまない。わ、私自身も情けねぇって思うよ。
でも、勝負するのは先生とアンタで、私は外から見守ることしかできない。
それだとこんな不安になっちまうんだな。それにな…
いつもは敗色濃厚な賭けも勝利の味を求めて笑って飛び込んでいけるんだが…
先生に関してだけは…勝利の快感よりも、敗北の恐怖が勝っちまうんだ」
ナカヤマフェスタは震える自分の手を見つめながらそう言った。
それを見てTETSUが言う。
「でも先生は言っていたぜ?『賭けはナカヤマの勝ち』で、
希望を貰ったから手術する決意ができたってな」
「えっ…!先生がそんなことを?」
ナカヤマフェスタがパッと顔を上げた。
「ああ、どんな勝負をしてたのかは知らんがお前は勝ったらしい。
だったら見せるべきなのは笑顔だろ、そのひでぇ表情で先生の前に立つつもりか?
治療はこっからが本番だってのに気分が萎えちまったら困るぜ」
「そうか…私は先生に希望を与えられたんだな。
私のやったことは無意味じゃなかったんだな…」
自分の生き方で、先生に希望を与えることができていた。
それを知ったナカヤマフェスタは、目に少し力が宿ったようだ。
「死を受け入れている先生を見るのが苦しかった、悲しかった。
生きると、生きたいと言ってほしかった。
私のことをこれからも見ていたいと言ってほしかった。
だから私の生き方を見せて行ったのに、状況が変わらないことがつらかった。
でも無意味じゃなかったんだな。先生の気持ちを変えることができたんだな」
「患者にやる気がなけりゃ治療なんて無理だからな。
それを出させたならまあ、ガキにしちゃあ上出来だ」
「ハッ、本当に上出来だな。これまでのどんな勝負よりもうれしいぜ。
それにありがとうTETSU。勝負どうこう言っても、
アンタがいなけりゃどうにもなってなかったんだろ。
本格的な治療はこれかららしいし、今後も先生のことを頼むよ」
「ああ、ある程度治るまでは付き合ってやるよ。
でも言っておくがナカヤマの仕事もあるぞ?」
「え、私に?」
「これからの治療は副作用がきつい治療だ。
患者の気力が欠かせねえ、それを湧かせるのがお前の仕事だ」
「そうか、それなら任せておきな。これから菊花賞を取って三冠を手にしてやる。
そんでその先も面白い生き方を見せてやるつもりだからな」
「まあやり方は任せるぜ。
ところで治療費の話があったがな、その分としておめぇにはお遣いをしてもらおうか。
費用はおめぇ持ちでな」
「お遣い…?別に構わないけどそんなのでいいのか?」
「ああ。まずデッケェ花束を買ってだな…オシャレして先生に会いに来い。
それとおめぇはまだガキだ。強がらずに本音で会話をしろ」
「ちょっ、お遣いってそういう感じかよ。まあ別にいいけどさ」
「治療方針は固まったがな、いつどうなってもおかしくない状況に変わりはねえ。
会えるうちに会って、話せるうちに話しておけ。
いくら希望が見えていても、現実も無視しちゃいけねえからな」
TETSUは、歩む道を違えた自分の兄が、
母親や自分と再会することなく命を失ったことを思い出す。
またKAZUYAが死んだ時はそれを後から知ったため、
死ぬ前に顔くらい見ておきたかったと残念に思う。
万一のことがあった時、自分と同じようなさみしさを味わってほしくなかった。
「突然のことがあっても後悔しないように生きろ。
たとえ癌が治ったとしても、いつかは別れが来るんだからな」
「わかった、言われた通りにするよ」
「そうしろ。ついでにお前と会えば気力を湧かせることができるだろうぜ」
数日後、先生のもとにまたナカヤマフェスタが訪れた。
手術を行った日は全身麻酔の後だったため特に会話ができなかったのである。
「よう先生、具合はどうだい?」
「あらフェスタ、また来てくれたのね。
手術の日も来てくれてたみたいだけど眠ってたからごめんなさいね」
「いいよ、何回だって会いに来るさ。
先生と会うと私も元気が出てくるんだよな」
「ありがとう。それにしてもフェスタ、今日はずいぶん可愛らしい恰好ね」
「ああ、先生が治療を始めるって聞いたんでね。
嬉しかったからとびきりオシャレをしてお見舞いに来たんだよ」
ナカヤマフェスタはそう言うと、持っていた大きい花束を先生に渡した。
TETSUに言われた通り、これからは先生の負担にならない範囲で、
出来るだけ多めに会いに来ることにしたのだった。
なお今日のナカヤマフェスタはいつものようなラフな格好ではなく、
女の子らしく可愛らしい恰好に身を包んでいる。
これはシリウスシンボリと行ったコーディネートの権利を賭けた勝負に負けたからである。
「先生、私は応援することしかできないけど…ずっと傍にいるからさ。
これから元気になれることを信じてるよ」
「ええ、頑張るわね。やるのはちょっと大変な治療法なのだけど、
あなたが希望をくれたから、へこたれることなくやっていけるわ。
ありがとうフェスタ、私に希望をくれて。賭けはあなたの勝ちね」
「これほど勝ててうれしい勝負もなかったよ。
もう勝負は終わったけど、私はまだまだ『生き方』を見せていく。
先生も見守っていてくれよな」
「そうね、あなたがパリへ行くときについて行けるように頑張るわ。
私の生き方も見ていてちょうだいね」
「それじゃ、今度は賭けじゃなくて約束だ。
お互いの生き方を、お互いに見せつけていくってことで」
ナカヤマフェスタはそう言って小指を先生の前に出した。
先生はまだ弱弱しい腕を、だが強い気持ちを込めて前に出す。
2人は新しい約束を守ることを誓って指切りをした。
TETSUはTEVARの後、化学放射線療法の治療方針を指示し入院中の病院で行ってもらった。
治療費に関してはこれらを行ったことでかなり増大したのだが、
TETSUがその分は懐から出してくれたので先生の負担が増えたりはしなかったらしい。
さらに作業費を出すからと言って、先生の容体を綿密に監視するよう病院に頼んでいた。
化学放射線療法が始まって6週間ほどが経過。
気力に溢れる先生は副作用である体の負担も乗り越えることができているようだ。
治療の経過も良好で、病巣の大きさは徐々に小さくなっていることが確認できた。
しかしその後、危惧していた通り食道に穿孔が発生。
だがTEVARと綿密な監視のおかげで大事に至ることは無く、
早期の手術によってごく軽症で済んだ。
その連絡を受け、TETSUは化学放射線療法によって縮小した病変部を再度確認。
これならば切除も可能だろうということで摘出手術を行った。
胸部食道の全摘と同時に食道再建手術を行い無事に終了。
今後の観察で問題がなければリハビリ終了後に退院できるだろうとのことだ。
年も暮れるころ、ナカヤマフェスタは先生と共に散歩をしていた。
少々肌寒い風が吹いているが、先生はそれに負けないくらいに体が回復している。
ナカヤマフェスタは無事に菊花賞にも勝って三冠を手に入れ、
今後は凱旋門を目指すつもりである。
「先生、普通に外出ができるくらい回復できたな。
春ごろには退院できそうなんだって?」
「ええ、治療の効果が高くてよかったわ。
これからはあなたのレースを直接見に行くことができそうよ!
惜しいなあ。もうちょっと早ければ菊花賞も見に行けたのに」
「ま、これからもヒリつくレースに出ていくからそっちで我慢してよ。
しかしなァ、三冠とってもあんまり評価されないのはさすがに悔しいぜ。
最初のビッグマウスがあまりにもやりすぎだったか?」
ナカヤマフェスタはやれやれと言ったポーズをとった。
「いいじゃないの。
フェスタは昔から人の評価なんて気にしないタイプだったでしょ?」
「そりゃそうだけどさ。
でもまあ、私を一番評価してほしいのは先生だからそれ以外はどうでもいいな。
このままフランスに行って、私を舐めてるやつらの度肝を抜いてやるぜ。
あっちのレースも心臓が震えそうなものばかり。楽しい勝負になりそうだ」
楽しそうに話すナカヤマフェスタの姿を見て、先生があきれるように言う。
「まったく、あなたは相変わらずね」
「悪いけどこれは私のサガだからな。
私のバカにはつける薬がありゃしない、って医者に言われたぜ」
「うーん、真面目な子の爪の垢とかが薬にならないかしら?」
「ハハ、そういう民間療法に賭けてみるのはいいかもなァ!」
「ふふっ、やっぱり賭けになっちゃうわね。
でもあなたの賭けにのったおかげでこんなに元気になれたんだし、
案外賭けも悪くないのかもしれないわ」
「いやァ、今回の賭けは私はだいぶビビってたんだけどな。
それに結局頑張ったのは先生と医者だろ。私は外で応援してただけだ」
「あなたが連れて来たお医者さんがいろいろやってくれたからね。
それはやっぱりあなたのおかげでもあると思うわ。
それにしてもあの前髪の長いお医者さん…TETSU先生は、
お礼を言いたいのに全然連絡先が分からないのよね。
フェスタは知ってる?」
ナカヤマフェスタは首を横に振った。
「いや、全然。私もちゃんと礼をしたかったんだけど…
先生の食道切除手術は後から聞かされたからその時には会えなかったし、
連絡先は教えてくれなかったし、どこで何やってんのかわからないな」
そこまで言ったあたりで、ナカヤマフェスタはTETSUが闇医者だったことを思い出した。
流石にそのことは先生に伏せておいた方がいいだろう。
「そういや、あの医者は全国を回っている流れの医者らしいよ。
だから今もどこかで活躍してるだろうさ」
「へえ、そんな面白い方だったの。
フェスタと同じで自由に世界を駆けている人なのね」
「医者と勝負師じゃスタンスが真逆だと思うけど…
あの実力は見習いたいもんだな。いつかまた会った時、今度はリベンジしてやる。
今度フランス流のサバットを習うから次は簡単には負けないぜ」
リベンジと言う言葉を聞き、先生がきょとんとしてナカヤマフェスタに尋ねた。
「リベンジ?あのお医者さんとも何か勝負したの?」
「ああ、最初に会った時力ずくで連行しようとしたのにさ、
逆に私がボコボコにやられちまっ…て………
あっ。ヤベェッ…」
ナカヤマフェスタはTETSUとの出会いを楽しそうに語り始めた矢先、
あの時の内容がだいぶやばいことであることに気づいて口を押えたが手遅れである。
恐る恐る先生の方を向くと、明らかに怒っているとすぐわかる。
先生がウマ娘であったなら、相当耳を引き絞っているだろう。
先生はナカヤマフェスタの頭を掴み、ぎりぎりと万力のように締め上げた。
「フェスタ…あなた、なんてことをしているの…?」
「ち、違っ…!あ、あれはあの医者の方から言ってきたことなんだって…!
いでで…!せ、先生だいぶ力が戻ったみたいで嬉し…イデデデ!!!!」
澄み切った冬の晴れ空に、ナカヤマフェスタの悲鳴が響いた。