季節は冬を終えた春の始まり。
暖かい陽気に包まれ、花も咲き始め景色が華やかになるこの時期。
多くの者にとって過ごしやすく楽しい季節だ。
しかしそこに1人、例外であるウマ娘がいた。
「へくちっ。うーん、やっぱり春とは仲良しになれませんね」
小さくくしゃみをした彼女はアストンマーチャン。
短距離からマイルまでを走り、ジュニア級から好成績を残しているウマ娘だ。
最近ではフィリーズレビューに勝利し、クラシックでの活躍も期待されている。
「この時期だけは体調が少し悪くなるから広報活動がはかどらなくて残念です。
花粉症と言うわけでもないのですけどねえ」
アストンマーチャンは昔から、春の時期だけ体調が芳しくなくなるのだ。
何かの病気かと体を調べてみても特に異常は見つからず、
かといって花粉症のようなものでもなかった。
原因がわからないうえにそれほど深刻でもないので、今では『そういうもの』と諦めている。
アストンマーチャンが朝練のためにトレーニングコースに行くと、
彼女のトレーナーが待っていた。
「おはようマーチャン。でもちょっと遅刻だぞ」
「ごめんなさい、なんだか眠くって…昨日はちゃんと早く眠ったんですけどね」
「それって例のやつか?体調悪いならトレーニングは中止するけど」
「いえ、それは大丈夫なのです。いつも通りやっていきましょう」
アストンマーチャンの言う通り、若干のぎこちなさはあるものの、
問題になるほど体調がおかしいわけではないことはトレーナーにも分かった。
なのでいつもより若干控えめにはしたが、普段とそう変わらないトレーニングを行った。
その日、マーチャンはトレーナーと一緒に昼食をとった。
「マーチャン、今日はずっと微妙な感じだったか?
春はいつもこうだって言ってたよな」
「ええ、そうですが基本は大丈夫ですよ。
体が動かなくなるわけではないですし。
見てください、ご飯がおいしくて食欲もたっぷり。
もう一杯おかわりを貰ってきますね」
アストンマーチャンは食欲はあるようで、山盛りのうどんを4杯食べていた。
そこに追加でさらに食べるらしい。
トレーナーは「さすがウマ娘…」と思いながら眺める。
「今日も元気だ、ごはんが美味しい。
いっぱい食べて大きくなって体積アップするのです。
そうするとこの世界でマーチャンが占める割合が高まっていきますので」
美味しそうにうどんを食べながら、よくわからないことを言うアストンマーチャン。
「それはいいけど…世界のマーチャン比率が上昇するのは嬉しいが、
もし横方向に増えてた場合は減少させるぞ?
体積は増えても勝率や可愛さが減ってトータルでマイナスになるからな」
体調が芳しくないといっても一般的なトレーニングをするのに支障はない。
とはいえ高い強度のトレーニングはさせたくないので、
トレーナーとしてはあまり食べられると困るのである。
「あやや、それは困りますね。
体積は縦方向に増やし、マーチャンボディの密度を上げて質量も増やす…
これが最適なマーチャン増大計画でしょうか」
アストンマーチャンはしっかりと食事を平らげ、
またトレーナーと共にトレーニングへと向かった。
そんな折に、一つの話をトレーナーが持ちこんできた。
「マーチャン、また体調は相変わらずか?」
トレーナーが尋ねると、アストンマーチャンは少し気怠そうに答える。
「はい。こればかりはどうにもなりませんね…」
「なあ、それについてだけど。今度医者に診てもらわないか?
マーチャンの親も医者だから調べたことがあると言ってたけどさ、
沖野トレーナーから聞いたんだがドクターKっていう凄い医者がいるらしいんだ」
「ドクターK?そういえばマーちゃんも聞いたことがある気がしますね。
確かウオッカやスカーレットがその名前を言ってたような」
「医学界では凄腕の医者として伝説的存在らしい。
スーパードクターと呼ばれてるんだってさ。
そんな医者なら、マーチャンのそれを治してくれるかもしれないぞ」
「伝説的なお医者さん…そんなにすごい方なのですか!?」
アストンマーチャンは少し興奮しながら食いついてきた。
トレーナーはもし病院に行くこと渋られたとき説得するために、
と聞いてあった凄腕エピソードを伝えるが、
アストンマーチャンはそれについてはあまり興味を示さず、
ドクターKがどのくらい有名なのかなどを訊ねてくる。
そこでトレーナーは気づいた。
アストンマーチャンが興味あるのはドクターKの医者としての実力ではなく、
ドクターKという人物がどれほど皆に知られているかについてなのだと。
「伝説と言われるほどだからな。
医学界じゃ知らない人はいないレベルなんじゃないか?
それが権威によるものじゃなく、実力によるものだって言うからすごいもんだよなあ」
「おー、素晴らしいお医者さんなのです。
マーちゃんもそういう伝説のウマ娘になりたいものですね。
マーちゃんの旅はまだ道半ば。スーパーマスコットにも、スーパーウマ娘にもなれてないのです」
「どうかな、N県のT村ってところにいるらしいから行ってみないか?
人気者になる方法についても参考になるかもしれないぞ」
アストンマーチャンはT村と言われても全然ピンと来なかったが、
そんなすごい人物なら会ってみてもいいな、と思った。
「そうですねぇ。興味ありますし行ってみましょうか。
もし体が治って、人気者への道も知れれば万々歳なのです」
「よし、そうと決まれば明日にでも行ってみよう」
トレーナーはその日のうちにKの診療所へと連絡をして、
症状の相談と明日向かうことを伝えたのだった。
翌日。
ここはT村へと向かうバスの中。
T村は田舎であるためいつもバスの乗客はあまりおらず、数人程度の場合が多い。
この日も同じ状態ではあるのだが、しかしここには異様な雰囲気が漂っていた。
そのバスには町から帰る途中のイシが乗り合わせているが、
そこそこ長い人生の中でも初めての経験をしている。
バスに乗っているのはイシのほかにT村の住民が3人ほどだが、そちらも同じような気持ちだろう。
さらに運転手も含めたバスの乗客たちはチラチラとある場所に視線を向ける。
そこにいるのは他にあと2人いたバスの乗客。
1人は若いウマ娘で怪しいところもないのだが、その隣に座るもう1人が問題だった。
『それ』は隣のウマ娘と同じ姿をしていた。
だが双子ということではない。
そして『同じ姿』ではあるが、『そっくり』と言う意味ではない。
もう1人の誰か、それは横のウマ娘の姿を模した『着ぐるみ』だった。
そして「アストンマーチャン」と書かれたタスキを着けている。
周囲も「おそらく隣にいる本物のウマ娘の名前なのだろう」と推測できた。
だが、なぜこんな格好をしてバスに乗り込んでいるのかはその場の誰一人理解できていない。
異様な雰囲気をまき散らすそれに気圧されたのか、
乗客の誰もそれに触れることはできなかった。
運転手も乗車の際に咎めるべきかを悩んだのだが、
あまりの異様さについ見て見ぬふりをしてしまったのだった。
イシも無視した方がいいとは思いつつ、どうしても視線を向けてしまう。
(一体なんじゃ、あの変なやつは…。
どこから来たのか知らんが、この村に来るまでずっとあの格好しとったんか?)
実際、イシの推測通り本当に出発の段階からその着ぐるみを着ていたのだが、
このバスに乗る前に乗った電車などでは駅員に連行され警察を呼ばれそうになったため脱いでいたのだった。
いつもなら気のいいイシ。
初見の客には情報収集も兼ねて話しかけながらお菓子や果物をあげたりするのだが、
今回ばかりはそういうことをせずに離れた位置で見ているだけだった。
一同はしばらくバスに揺られ、T村へ入ってから数個目のバス停が来ると、
そのウマ娘と着ぐるみが「降りる」のボタンを押した。
「さて、この辺りで降りるのです。行きますよ」
アストンマーチャンは隣の着ぐるみの手を引いて立ち上がらせた。
着ぐるみは何も喋ることは無かったが、
ふりふりと手を振りながら出口へと歩いていく。
まだ乗っているイシたち村の住人は引きつった笑みで受け流すだけだった。
「はい、運賃なのです。運転手さんありがとうございました」
「は…はい、確かに2人分ね。ありがとうございました」
アストンマーチャンはにこやかな笑顔で運転手に声をかけた。
運転手としては可愛らしい子にお礼を言われて嬉しい状況なのだが、
後ろからついて来ている着ぐるみのせいで素直に喜べなかった。
そしてアストンマーチャンらは降車する直前、後ろに向き直ってポーズをとった。
「かわいいと言えばマスコット、マスコットと言えばマーちゃん。
世界に羽ばたくスーパーマスコット、アストンマーチャンをよろしくなのです!」
アストンマーチャンとその着ぐるみは、手を振り一礼をしてから降りて行った。
ようやく謎の存在が消えたバス内の住民は当然その話でもちきりになる。
「なんだったんじゃあいつらは…。
アストンマーチャンとかいっとったが誰か知っとるか?」
「いんや、オラは知らねえな。
あんまりウマ娘には詳しくねえが、それほど有名な子ではないと思うわ」
「まあ見た感じではデビューしてちょっとくらいの体つきしてたわな。
もしかするとこれから活躍するのかもしれんが…」
「ウマ娘じゃったから治療目的でK先生の所へ行くと思っとったが、
どうも全然違うところで降りたなあ。
一体どこへ向かうんだべか?」
乗客がそう言うと、イシは前日にKとした会話を思い出した。
ウマ娘のトレーナーから電話が来て、明日村に診てもらいに来るという話だった。
「そう言えば昨日、K先生がウマ娘の患者が尋ねてくるようなこといっとったぞ。
たぶんあの子なんじゃねえか?降りる場所を間違えただけかもしれんな」
一方アストンマーチャンは。
村の中心よりも比較的遠い位置でバスを降り、辺りを見回しながら歩いていた。
そしてアストンマーチャンとともに歩く隣の着ぐるみ、それの中身は当然彼女のトレーナー。
できるだけ民家の近くを意識して、進む道を考える。
「道の様子から想像してはいましたが、人の少ないところですね。
バスでももっと人がいればいっぱい宣伝出来てよかったのですけれど」
「思ってたより民家がまばらだな。
マーチャン広報作戦が上手くハマらないかもしれない」
「まあ嘆いていても仕方ありません。
村中を練り歩いてマーちゃんの姿を知らしめる作戦…
理想通りの状況ではありませんが、とにかくレッツゴーです」
アストンマーチャンたちがバス停を降りたのは計画通りだった。
村の中を歩くことでアストンマーチャンの宣伝をしようとしているのだ。
そうしてKの診療所に向かう道すがら村の中を練り歩く1人と1体。
ウマ娘はともかく着ぐるみのほうは遠目で見ても異様な存在だった。
それを見た老人たちは、はじめは物の怪が出たのかと驚いたそうな。
診療所に一足先に戻ったイシはKたちに、バスで出会った者について話した。
「…ちゅうわけでな、変なウマ娘がおったんじゃよ」
イシが説明するとKは苦笑いしながら言う。
「なるほど…。
昨日伝えましたが、今日はウマ娘が1人訪ねてくることになっています。
予約の時間はあと1時間後くらいですが…たぶんその子なんでしょうね。
一緒にいたのはおそらくトレーナーでしょう」
「たぶんそうじゃな。
村を少し観光してから来ようと思ったのかもしれん。
まあこの村はなんもねぇから楽しくはないじゃろうが。
それにしてもあんな格好、一昔前なら妖怪として怪談話にされとるぞ…」
イシは呆れながらそう言った。
そして約1時間後、予約の時間付近になり、
アストンマーチャンとトレーナーは診療所の前へと到着した。
トレーナーは時間を見て間に合っていることを確認し、着ぐるみを脱ぎ始める。
いくら春先とはいえ着ぐるみを着て山がちな田舎を歩き回ったので汗だくである。
「ハアハア…よし、時間通り到着したな。
あんまり人は多くなかったけど、役場の付近は結構民家もあったし宣伝できたと思う」
「こういう狭い地域は、一度有名になればずっと覚えてくれるものです。
今回ので効果があればうれしいですね」
アストンマーチャンはトレーナーが脱いだ着ぐるみを畳んで片付け、
その間にトレーナーは汗を拭いて身支度を整える。
病院に入るときの姿勢はわきまえているのだ。
この2人、狂気と常識が共存する者たちである。
2人は診療所の扉を開け、中へ入っていった。
「失礼します。電話で予約した者ですが…」
トレーナーがそう言うと、Kが答えて座るように促す。
「お待ちしていました。どうぞおかけください」
トレーナーとアストンマーチャンはKに促され、椅子に腰かけた。
アストンマーチャンはKや富永らに手を振りながらやってきたが、
バスで会っていたイシを見るととてもうれしそうに耳をピコピコと動かした。
一方のイシは表情を変えなかったが、内心では若干不気味がっている。
(本当にバスにいた子じゃったか。
隣にいるのがあの着ぐるみの中身じゃろうな。
ウマ娘は可愛らしいし、トレーナーもいい男のようじゃが…どっちも変なやつなんじゃのォ)
Kもイシから奇行を聞いているため少し身構えていたが、
診療所に来た状態では普通の姿だったので安心して診察を始める。
「さて、遠いところまで来ていただいてありがとうございます。
今回はそちらのウマ娘さんのことでご相談と言うことでしたね?
まずはお名前を窺いましょうか」
Kがそう言うと、アストンマーチャンは待ってましたとばかりの反応をした。
満面の笑みで両手にピースを作りながら自己紹介をする。
「マーちゃんはこれから世界に羽ばたくマスコットです。
マーちゃんはあなたを癒すラブリーチャーミーなウマ娘。
アストンマーチャン、アストンマーチャンです。憶えてくださいね」
ここぞとばかりにしっかりと自分の名前を言ったアストンマーチャン。
しかし少しくらい手ごたえがあったのは富永くらいのもので、
他のメンバーはほとんどそのまま聞き流していた。
患者が変なことを言うのは慣れっこであり、気にしない習慣がついている。
ただここで1つ、Kがミスを犯した。
「なるほど、『アストンマー』さんですね。それで今日はどのような…」
Kはアストンマーチャンの一人称が「マーちゃん」だったのと混同し、
彼女の名前を勘違いしてしまったのだ。
Kに名前を間違われ、耳を絞ってぷりぷりと怒るアストンマーチャン。
「あれれ…!?ち、違いますよ!
マーちゃんの名前は『アストンマーチャン』ですっ!
リピートアフタミー!?」
「あっ…失礼いたしました。『アストンマーチャン』さん…ですね?」
「ノン♪ノン♪『アストン♡マーチャン』。もっと愛をこめてください♪」
アストンマーチャンにそう言われてKは一瞬渋い顔をしたが、
「名前を間違えたからな…」と仕方なく営業スマイルを作り、名を呼んだ。
「こほん…ア、アストン♡マーチャン…さん」
「うーん、愛が足りない気もしますがよしとしましょう。
きっとこれも、あなたの忘れられない思い出になるのです」
Kに正しく名を呼ばれ満足げなアストンマーチャン。
富永や麻上は、可愛く喋ることが全然似合わないKの姿を見て笑いをこらえていた。
Kは「ふう…」とため息をついて真顔に戻った。
だがその直後、視線が鋭くなりトレーナーのほうを見た。
「ところでトレーナーさん、どうやらあなたは体調がよくなさそうですが大丈夫ですか?」
「え、俺ですか?そう言われるとちょっと怠い気はしますが…
この村を歩いて来たからちょっと疲れてるだけだと思います」
「歩いて、ね…。あなたが着ぐるみを着ていたという目撃証言があったのですが?」
「本当ですか!そうなんですよ、このマーチャンを宣伝するために着てきましてね!
そこに畳んであるのでお見せしましょうか!?」
自分の着ぐるみがちゃんと話題になっていることに喜び、
着ぐるみを取り出そうとするトレーナーをKが制止する。
「院内なので出さなくていいです。
あのですね、いくらまだ暑い時期ではないとはいえ、
着ぐるみを着てこの山がちで坂の多い村を歩き回ったら汗だくになるでしょう。
汗臭いという話ではありません、見たところ軽い熱中症と脱水症状が出ているようです。
麻上くん、隣の部屋に連れて行って対応してやってくれ」
「わかりました。点滴を打ちましょうか?」
「いや、経口補水液を与えて体を冷やせばいいだろう。
ではそちらは頼んだ」
麻上とトレーナーは隣の部屋に移動した。
Kはトレーナーたちに聞こえないように「まったく愚かなことを…」とつぶやくと、
イシや富永は内心で大きく頷いたのだった。