スーパードクターU   作:黒い平方四辺形

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奇跡の娘(後編)

 

 Kはケイエスミラクルのトレーナーと連絡を取り、予定通り日曜日に会うことになった。

 ケイエスミラクル本人にはトレーナーからそれを伝えておいた。彼女も断ることはしなかったが、快く思っていなそうな雰囲気は感じられ、治療に対して後ろ向きなのは最近は同じだった。

 

 土曜の夜、Kと会う前日。

 最近のケイエスミラクルは夜9時には就寝するようになっているので身支度を整えて布団に入ると、ダイイチルビーが声をかけた。

 検査がダイイチルビーによって用意されたものであることは、恩着せがましくならないよう本人もトレーナーも隠しているので、小耳にはさんだテイで話す。

 

「ミラクルさんは明日、検査がおありでしたね。良い結果が出るようお祈りしております」

 

「うん……ありがとう。それじゃあ、おれは寝るから。おやすみ」

 

 ケイエスミラクルは素っ気ない返答で布団に潜りこんだ。

 ダイイチルビーは仕方ないことだとしてなんとも思っていないが、ケイエスミラクルは自責の念を持っていた。

 

(ああ、また嫌な態度を取っちゃった。ルビーはおれのことを心配してくれているのに)

(いまのおれって何なんだろう。みんなに心配ばかりかけてるのに、そのくせ変な態度を取ってしまう。最低だ)

(前までのおれは、自分の半分が『ごめんなさい』で、半分が『ありがとう』でできていた)

(でも今のおれは……全部が『ごめんなさい』だ。)

(いやだいやだ、自分がいやだ。おれなんて消えてしまえばいいのに……)

 

 

 

 

 翌日。

 Kとトレーナーが合流し、ケイエスミラクルのいる栗東寮へとやってきた。

 

「K先生、今日はよろしくお願いします」

 

「はい、私にできる限りのことはします」

 

 Kとトレーナーはケイエスミラクルの色々な情報や今後の展望について会話をしながら彼女のことを待っていたが、ふと時計を見ると約束の10時を超えているのに気付いた。

 ケイエスミラクルは常にきっちりしている性格なので、通常なら連絡もなく遅刻することはあり得ない。トレーナーはスマホを見て、何も連絡は来ていないことを確認した。

 

「ミラクル遅いな、連絡もないし。ここ最近は起きるのが遅いらしいので寝坊してるのかもしれません。ちょっと電話してみます」

 

 トレーナーがケイエスミラクルに電話をするが何の応答もなく、そのまま留守番電話に切り替わった。

 

「電話にも出ないな。寮だから入るわけにもいかないしどうするか……。そうだ、ルビーに頼んでみます」

 

 トレーナーはそう言ってダイイチルビーに電話をかけたがこちらも出なかった。どうしたものかと思っていると、外からダイイチルビーが走りながらやってきた。どうやら自主トレーニングをしていたらしい。ダイイチルビーはKたちに気づくと、息を整えながら近づいてきた。

 

「先生、トレーナーさん、おはようございます。ミラクルさんのこと、よろしくお願いいたします」

 

「おはようルビー、朝から精がでるね。その件でちょうどよかった。時間になったのにミラクルが降りてこないんだけど、少し様子を見てきてもらえないかな?電話しても反応なくてさ」

 

 ダイイチルビーがちらりと時計を見ると、聞いていた予定の時刻を過ぎていることに気づいた。近頃の様子を見ると寝坊をしてしまったのだろうか。

 

「承知いたしました。呼んで参りますので少々お待ちください」

 

 ダイイチルビーは自室に戻ると、ケイエスミラクルがベッドに寝ているのを確認した。

 あまり活気がないうえに、最近はやけに睡眠時間が長いのでこんな日でも寝坊したのだろう。ダイイチルビーは、ケイエスミラクルの肩を軽く叩きながら声をかける。

 

「もし、ミラクルさん、起きて下さい。あなたのトレーナーさんがお迎えにいらしてますよ」

 

 そして少し反応を待ったが、ケイエスミラクルからは何も応答がない。ダイイチルビーは妙な感覚を覚え、今度は大きく肩を揺さぶりながら声をかけた。

 

「もしもしミラクルさん。起きて下さい」

 

 だがそれでも何の反応もなかった。ダイイチルビーは少しの間動きが止まり、「まさか死んでいるのでは……?」と一瞬青ざめたが、体温はあることと呼吸をしているのを確認して安堵した。

 だがこの状態が普通ではないことは間違いないだろう。幸いすぐそこにドクターKがいる。ダイイチルビーはすぐに外へ駆けて行った。

 

 

 Kとトレーナーが待機していると、寮の玄関からダイイチルビーが全速力で走って来た。トレーナーは驚きながら彼女に声をかける。

 

「ルビー!?どうかしたのか!?」

 

「ハアハア……緊急事態です、ミラクルさんの意識がありません。先生とトレーナーさん、一緒に来てください」

 

 ダイイチルビーの報告にKもトレーナーも仰天したが、Kはすぐさま動き出した。

 

「何、意識がないだと!?わかった案内してくれ!」

 

 

 

「おや、いったいどうしたのかな?寮はトレセンのウマ娘以外は侵入禁止だよ」

 

 3人が寮へと入っていくと寮長であるフジキセキに咎められた。

 ダイイチルビーは簡潔に状況を話す。

 

「フジキセキさん、緊急事態ゆえ報告もなく失礼いたしました。ミラクルさんの意識がないご様子ですので、こちらの医師とトレーナーに確認していただきます」

 

「なんだって、それは大変だ!私はどうする、救急車を呼んでおこうか?」

 

 手伝う意思を見せたフジキセキに対して、Kが答える。

 

「救急車は私が状況を確認した後こちらで呼びます。あなたは学園への報告をしていただけますか?」

 

「わかった。お医者さんたち、そちらは頼んだよ」

 

 3人がケイエスミラクルの所へ到着し、さっそくKは診察を始めた。

 確かにケイエスミラクルの意識は全くなく、体を大きくゆすったり刺激を与えるとわずかに反応がある程度だった。自発呼吸は問題なく、脈拍も正常。意識不明が窒息や失血によるものではないことを確認した。

 

「これは確かに意識がない状態だな。トレーナーさんは救急車の手配をお願いします。

 彼女の主治医がいる病院が受け入れ可能なら、そちらに行けるように話しておいてください」

 

「わかりました!すぐ連絡します!」

 

 トレーナーが救急車の手配をしている間、Kはケイエスミラクルを調べながらダイイチルビーに話を聞いた。

 

「意識がなくなるというのはそうそう起こるものではない。ルビーさん、何か心当たりはありますか?例えば前日に頭を強くぶつけていたとか、やけに具合が悪そうだったとか」

 

「いえ……心当たりはありません。頭をぶつけたかどうかは存じ上げませんが、頭を痛がっていた素振りはありませんでした。前お話ししたように近日はいつも調子が悪そうですが、昨日がとりわけ悪かったという印象はございません」

 

「なるほど。頭部を見る限り目立った外傷は無いな」

 

 Kがケイエスミラクルの観察をしていると、トレーナーが救急への連絡を終えた報告をした。

 

「K先生、救急車の手配は済みました!5分ほどで到着するそうです!」

 

「ありがとうございます。トレーナーさんにもお聞きしますが、ミラクルさんがこうなる何かに心当たりはありますか?前日の様子に何か変わったことはありませんでしたか?」

 

「ううん……特にありませんね。昨日はトレーニングもしていませんし、普通に本を読んでる様子を見ただけです」

 

「そうですか。そうなると原因は……」

 

 Kは少し考え込み、これまで聞いていた不調と照らし合わせた。

 

「ふむ……ここに来るまではミラクルさんの状態は、体の不調に加えてうつやそれに準ずるメンタルの不調だと考えていたが……

 我々は大きな思い違いをしていたのかもしれん!」(ギュッ)

 

「思い違い……!?じゃあなんなんですか!?」

 

「ここではあくまで推測しかできません、確定させるためにも病院で調べなくては。もうじき救急車も到着する、外に運ぶ準備をしましょう。しかし意識障害の原因は脳にある可能性が高いのでなるべく安静に運びたい。さて方法は……」

 

 Kがケイエスミラクルを運ぶ方法を考え始めたとき、フジキセキが学園への連絡を終えて部屋にやってきた。

 

「たづなさんたちに連絡はしておいたよ。それでミラクルの様子はどうかな?」

 

「確かに意識がない状態ですね。ちょうどよかった、これから彼女を外に運びます。なるべく安静に運びたいので手伝ってください。この寮には担架はありますか?」

 

「担架は……なかったはずだね」

 

「そうですか、ならこの毛布を担架代わりにしましょう」

 

 Kはそう言うとケイエスミラクルが掛けていた毛布を彼女の下に通し、端をくるくると巻いて持ち手を作った。

 

「私とトレーナーさんとルビーさんとフジキセキさん……あと2人いた方が安全ですね。誰か手伝ってくれそうな人を連れてきてくれますか?」

 

 フジキセキは頷くと部屋の外へ行き、周囲で様子をうかがっていた子を2人連れてきた。その2人にも手伝ってもらい、寮の外へと運び出す。

 

「足側はルビーさんとフジキセキさんが、頭側は私とトレーナーさんが、後の2人は真ん中を持ってください。足側の2人を先頭にして移動します。それでは行きましょう、せーの!」

 

 Kの合図によってケイエスミラクルが運ばれ、寮の玄関まで移動し、その少し後に救急車も到着した。

 

「お待たせしました!その方が傷病者ですね?」

 

「はい!私は医者ですのである程度診ました。運んでる間にお伝えします」

 

 ケイエスミラクルはすぐに救急車に乗せられ、Kとトレーナーが同乗してかかりつけの病院へと向かった。道すがらKは救急隊員へと状況説明をする。

 

「まず、意識レベルはJCSの200*1です。窒息や失血の形跡と頭部外傷は特になし、ルームメイトの報告では前日は目に見える異常はなく普段通りに就寝したようです。

 先ほどになって意識がないことに気づいた次第ですので、意識がなくなったタイミングは不明です」

 

「わかりました。かかりつけの病院への連絡は済んでいますのですぐ対応してもらえると思います」

 

 

 かかりつけの病院へ到着すると、ケイエスミラクルの主治医が待機していた。意識のないケイエスミラクルの姿を見てとても悲しそうな顔をした。

 

「ミラクルさん……!いったい何が……」

 

「あなたが主治医ですか。頭部の検査を行いましょう」

 

「はい!あの、あなたが例の?」

 

 担当医はトレーナーからドクターKのことは聞いていたが、Kの顔を見るのは初めてである。

 元々は自分がケイエスミラクルの担当医なのだから他の医師に任せるのは嬉しくない気持ちも少々あったが、それがドクターKとなれば認めざるをえまい、と承諾したのだった。

 

「ええ、私がドクターKです。ちょうど彼女の検査をするために訪れたタイミングでした」

 

「お噂はかねがね……あなたがいれば心強い、どうかご協力お願いします!」

 

「もちろんです。状況はJCS200で外傷はなし。まず頭部のCTを取りたい、私の考えが正しければそれで原因が判明するはずです」

 

「わかりました、移動しましょう!」

 

 早速ケイエスミラクルをCTへと運び、頭部のスキャンを行った。

 Kと担当医は早速検査結果を見る。そこには頭蓋骨と脳の間に三日月型の影が映し出されていた。さらにその影に押される形で、脳全体が片側に寄っているのがわかる。

 

「担当医さん、見てください。この三日月型の血腫を」

 

「はい、これは……硬膜下血腫ですね!」

 

「ええ、そしてこれまでのことを考えますと、これは慢性硬膜下血腫でしょう」

 

 

 

【慢性硬膜下血腫】

 

 頭蓋骨内で発生する出血の一種であり、硬膜下血腫の一つ。主に、頭部外傷を原因とする架橋静脈からの出血によって発生する。乳幼児と高齢者での発生例が多い。

 

 脳と頭蓋骨の間には髄膜という膜があり、3層からなるそれは頭蓋骨側からそれぞれ硬膜・くも膜・軟膜と呼ぶ。硬膜下血腫はそのうち硬膜下で出血が発生し、硬膜とくも膜の間に血液がたまって血腫ができる病気である。硬膜下血腫は急性硬膜下血腫と慢性硬膜下血腫に分けられ、急性硬膜下血腫は大きな出血量で出血の発生直後~2日以内ほどで症状が出る。

 

 それに対し慢性硬膜下血腫は出血量が少なく緩やかに進行するもので、出血の発生から2週間~2か月程度の期間で症状が出る。

 原因自体は頭部をぶつけたことによるものが多いが、軽微な頭部打撲の場合がよくあるため本人が問題視しないことも多い。これといった頭部打撲に心当たりがない状態で発生することも少なくない。

 血腫が拡大し脳を圧迫することで、頭痛・物忘れ・認知症によく似た症状(意欲の低下、性格の変化、反応の低下など)・手足のしびれや歩行障害などの症状を発生させる。急性硬膜下血腫に比べると命に関わることは少ないが、重度になると死亡につながることもある。

 

 この病気は緩やかに進行するため、高齢者の場合は認知症になったと周囲から判断されることがある。 慢性硬膜下血腫が原因の認知症は血腫を除去すれば大きく改善することが多く、似たような原因と症状である正常圧水頭症*2と並んで「治せる認知症」と表現される。

 

 

 

 

 

 

 

「これはもうだいぶ重症ですから血腫除去の手術を行いましょう。この病院には脳外の設備はありますね?」

 

「はい、あります」

 

「よし。担当医さんは脳外はできますか?」

 

「いえ……そちらの資格は持っていません」

 

「わかりました。それならば私が執刀しますので助手をお願いします。穿頭血腫ドレナージを行います」

 

 Kたちはすぐに手術の準備をし、他数名の助手を呼んで執刀を始める。ケイエスミラクルの頭をU字型ヘッドレストに固定して手術開始した。

 

「麻酔の投与はOKだな。では穿頭血腫ドレナージ術で処置をする。

 まず頭皮を30mmほど切開しバイポーラで止血。

 次にドリルで頭骨へ10mmほどの穴を空け、ボーンワックスで止血。

 ここで硬膜が見えた……これを十文字切開して血腫の確認。

 うむ、血腫には流動性があるので開頭は必要ないな。

 ドレーンチューブを挿入し排液する。概ね出し終えたら生理食塩水で内部を洗浄。

 ドレーンをバーホールボタンで固定して頭部を水平位に保ち*3、処置は完了だ」

 

 

 

 Kの手によって無事に手術が終了した。

 そして手術翌日の昼頃。

 

「ん……。あれ……?ここ病院だ。おれ、何があったんだっけ……?」

 

 Kの予想通り、ケイエスミラクルは無事に目が覚めた。

 急に起き上がられると問題があるため体が軽く固定されている状態だったが、動かせる範囲であたりを見渡すと、両親とトレーナーの姿が目に入る。両親たちも目が覚めたことに気づいて傍に駆け寄り、真っ先に母親が声をかけた。

 

「よかったケイちゃん!目が覚めたのね!」

 

「ごめんなさい、よく覚えてないんだけど……おれ、倒れちゃったの?」

 

「倒れたというか、眠りから目が覚めなかったという感じだけど。ちょっと先生を呼ぶわね」

 

「じゃあ俺が行ってくるよ」

 

 ケイエスミラクルの父親がそう言うと、数分後に担当医とKを連れて戻ってきた。担当医はケイエスミラクルが目を覚ましたことに大きく安堵していた。目が覚めたので体の固定を解き、問題のない範囲で彼女の体を起き上がらせた。

 

「ミラクルさん、よかった……!無事に目が覚めて安心しました」

 

「担当医さん、心配かけてすみません。それとそちらの先生は……?」

 

「私はドクターKです。覚えていますか?先日、君と会う予定だった医者です。私が訪れた時にあなたが目を覚まさなくなっていたのでこちらの病院に運び治療をしたのです」

 

「ああ……トレーナーさんが連れてきてくれた先生ですね。ご迷惑おかけして申し訳ありません」

 

「いえ、医者ですから当然です。頭部を手術したためチューブがついているので安静にしていただきたいですが、体調や頭に違和感はありますか?」

 

 ケイエスミラクルはドレーンが固定されている付近を少し触り、そこは少々ムズムズするものの体調には問題を感じなかった。

 

「ええと……手術の跡以外は特に違和感はありません」

 

「それならよかった。それではあなたの身に何が起きたのかをお伝えしますね。

 あなたは慢性硬膜下血腫になっており、それが原因で昏睡状態に陥っていました。慢性硬膜下血腫とは頭蓋骨内で発生する出血の一種です。頭骨内でゆっくりと出血が続いたことで溜まった血液が脳を圧迫し、様々な症状が発生するものです」

 

「そうでしたか。えっと……慢性硬膜下血腫、ですか?名前は聞いたことありましたが、そんなことになっていたんですね」

 

「私は元々あなたのメンタル面と脚の不調について調べるよう頼まれていましたが、これらは慢性硬膜下血腫により脳が圧迫されたことが原因で生じる症状です。

 人によってはうつに近い症状を発したり、気分が落ち込んだりイライラしたり精神面への影響もあります。どうでしょうか、治療をする前と比べて今の気分は?」

 

 ケイエスミラクルは少しの間、自分の体を観察してみる。

 以前は何かと苛立ちを感じていたものだが、今は気分がすっきりしていてそのようなことはなさそうだ。脚についても動かしにくさは特に感じない。

 

「言われてみると、全体的にすっきりしてるみたいです。イライラとか不機嫌とかそういう症状も出るんですか?」

 

「人によっては出ます。心当たりがありますか?」

 

「はい。……実はここ最近ずっと、嫌な気持ちばかり心に浮かんでいたんです。自分の感情をうまくコントロールできなくて。これも血腫のせいでしょうか?」

 

「なるほど。血腫の対処は済みましたから、これ以降そのような状況が解消されたのならば血腫が原因だったと言っていいでしょう」

 

「そうですか。それなら……よかった」

 

 ケイエスミラクルはほっと胸をなでおろした。ここ最近の自分の中で増えていた汚い感情が病気のせいならば、自分のことを嫌いにならずに済むからだ。自分は人に感謝することもできないような人間なのかと思っていたが、そうではなさそうで心から安堵する。

 とはいえ精神面に関しては解決としても、迷惑をかけてしまったことに関しては別の話であり、また自分のことが嫌になる。これまでの言動や今回意識不明になったことについて、周囲の人たちに謝罪をしないといけないと思い何と言うべきか考えた。

 だが彼女が話すよりも先に大きな謝罪の声が飛んできた。それは担当医からだった。

 

「ミラクルさん、本当に申し訳ありません!私があなたの異常に気付けていれば、こんな……倒れるようなことにはならなかったはずです!

 あなたの担当医として信頼していただいているのに情けない限りです!」

 

「担当医さん……?そんな謝らないでください、おれの病気ですし別に担当医さんのせいというわけじゃ……」

 

「いえ……慢性硬膜下血腫は出血が始まって、2週間から2か月ほどたってから症状が出るものです。私はその期間中に何度かあなたの検査をしましたよね、それなのに見逃してしまっていた。医者として情けない……!」

 

 その話を聞いて今度はトレーナーが会話に入った。

 

「あの、担当医さん。俺も昨日から少し慢性硬膜下血腫について調べましたけど……原因になる出血って、頭をぶつけたことが引き金なんですよね?」

 

「はい、多くの場合はそうですね」

 

「そうですか……。だったら、一番悪いのは俺ですよ」

 

「えっ?それは何故……?」

 

 トレーナーは昨日からずっと考えていた。慢性硬膜下血腫は頭をぶつけたことが原因であり、それからしばらく経って発症するものらしい。それを思うとその出血の原因となった頭部への衝撃には心当たりがあり、時期も当てはまる。

 それはあのスプリンターズステークスの出走について揉めたあの時、ケイエスミラクルが自分をかばったときのそれが原因なのではないか、と。

 

「今から2か月近く前、俺が転んでしまったのをミラクルがかばってくれた時がありました。その時ミラクルは頭をぶつけてしまっていたんです。

 今回の原因はきっとそれです。トレーナーである俺が、ミラクルの命にもかかわるような問題を引き起こしてしまった……!」

 

「そのようなことが……。ですが事故でしょう?しかもそれが原因という確証もありません。それにあなたはあくまでトレーナーであり、医師の私とは責任が違います」

 

「いえ、原因を作っただけではなく、俺もトレーナーとしての責任があります。トレーナーとしてある程度は医学も学んでますし、担当医さんに比べて一緒に過ごした時間が長い。異変に気付くべきだったんです」

 

「一緒にいた時間というなら、彼女が幼いころから診てきた私こそ今までとの違いに気づくべきで……」

 

 担当医とトレーナーが「自分が悪い」と言いあって土下座をしそうな勢いで話しているのを見てケイエスミラクルも「悪いのはおれだ」と言おうとした矢先、Kが大きく咳払いをしてその場を制した。

 

「おほん!2人ともそのくらいにしてください、この病気は誰のせいということはありません。

 確かに理想としては担当医さんは途中で気付くとよかったですし、トレーナーさんは頭をぶつけたことをきちんと調べたほうがよかったとは言えます。

 しかしですね、慢性硬膜下血腫は外部から見てわかりやすい症状はありませんから、症状が軽い段階で見つけるのは難しい。出血が緩やかなので頭部をぶつけた直後は症状もなく、仮にCTを撮ったところで影に映らず発見はできません。

 更にケイエスミラクルさんは元々体の弱かった方……それを知っているあなた方が身体の異変が脳に原因があることをすぐには考慮できなくても無理はない。

 それでも誰かのせいにしようと言うのなら、常に患者の状況を把握できる者、すなわちケイエスミラクルさんが最も責任があるという話になりますよ。それは正しいでしょうか?」

 

 Kにそう言われては何も言えない、と担当医とトレーナーはしゅんとして大人しく席に着いた。

 それと同時にケイエスミラクルは目を泳がせながら口を塞いだ。話が途切れたら「一番悪いのはおれだ」と言おうと思っていたのにそれを制されたからだ。自分がそう言うだろうと医者に見透かされていたように感じる。

 

 Kは全員が大人しくなったのを見て話をつづけた。

 

「これからするべきなのは過去を悔やむことではなく前に進むことです。

 意識も無事に戻りましたし、CTでは他の異常はなさそうですので、血腫以外の問題はないと判断します。血腫は治療が済めばほとんどの場合は後遺症もありません。あれだけの血腫ならば歩行障害や脚部の麻痺が出ても当然ですので、そのあたりの問題も改善するでしょう。

 数日様子を見て問題なければ退院できますし、完治して治療痕も治ればレースにも出られます」

 

 問題なさそうだとKからのお墨付きを貰っても、ケイエスミラクルは顔色は優れない。

 

「あの……最近の不調、気力がないとか足が動かしにくいとか血腫が原因であるものが治ることはわかりました。でもそれが起こる前からおれは体がガタガタで。だからレースの出走を諦めたんです。そっちは治りませんよね?」

 

「ふむ、それについてはトレーナーさんの見解を聞きましょう」

 

「俺ですか?それならもちろん治りますとも。以前は体に負担をかけすぎて弱っていただけです。もともと担当医さんの検査でも何も異常がなかったんですから、今後は無理なんてことはありません」

 

 

「違うんですよトレーナーさん。おれはもう無理なんです。自分のことだからわかるんです……おれは、みんなから貰った奇跡を使い果たしたんです。 異常がないとか健康だとかそういう話じゃないんです。おれはもう空っぽなんです……」

 

 ケイエスミラクルは俯きながらそう言った。

 その場の大体の者はケイエスミラクルの主張にピンときていなかったが、トレーナーだけは以前からよく話していたことなので言いたいことがわかる。その考えは今も同じなんだな、と思ったトレーナーは一つ言いたいことがあった。

 

「なあミラクル。前から思ってたんだがな……その『みんなから貰った奇跡』って、『みんな』の中に俺は入ってないよな?」

 

「えっ?」

 

 ケイエスミラクルは想定外の言葉に素っ頓狂な声を上げた。

 

「え、えっと……いえ、もちろんトレーナーさんも入ってますよ。だってトレーナーさんがいたから、おれはここまでやってこれたんじゃないですか」

 

「それはそうかもしれないけど、それとこれとは話が違うんじゃない?だって俺がやってるのは君のサポートであって、走れる実力を元々持っていた君がいたからだ。だから走れるようになったのを『貰った奇跡』だというなら、それはご両親や担当医さんたちがくれたものだ。俺は入ってない。

 つまり何が言いたいのかっていうと……」

 

 トレーナーはケイエスミラクルの肩をつかみ、真っすぐに目を見て言う。

 

「奇跡が足りないっていうなら俺が渡す!いくらだって渡すよ!だからこれからも一緒に頑張ろう!」

 

「と、トレーナーさん……!!あの、顔、近いですっ……!」

 

 ケイエスミラクルはトレーナーの強い言葉と熱いまなざしにあてられて頬を染めた。

 そしてその直後、病室のドアが開いて数人のウマ娘が突入してきた。

 

「うおっしゃー!トレぴぃ、抜け駆けはなしっしょ!!ウチらも混ぜろし!!!」

「トレーナーさんの熱い思い感動したっス!!!アタシたちもいるっスよ!!!」

「私たちも微風ながら、あなたの恵風となれればと思います」

「こんにちは。ご機嫌はいかがでしょうか」

 

 入ってきたのは友人のダイタクヘリオス、バンブーメモリー、ヤマニンゼファー、それと後から1人静かにダイイチルビーが入ってきた。ケイエスミラクルは予想外の突撃にびっくりしている。

 

「みんな!いつからそこに!?」

 

「ちょい前に来たけどマジな話してるっぽいから待ってた!んで雰囲気がテンアゲかまぢヤバなテンサゲになったら突っ込むべ!って!」

 

「わたくしは早く挨拶をしたかったのですが?」

 

 いつも通りにテンションの高いダイタクヘリオスに対し、ダイイチルビーもいつも通りに静かだった。ただ少しだけ顔に不満の色が滲んでいる。

 

「ごめんて!でもノってくれてありがとお嬢~!!」

 

「テンアゲのタイミングでよかったっス、ミラクルも結構いい顔してるっスね!」

 

 バンブーメモリーにそう言われ、照れたケイエスミラクルは枕で顔を隠してしまった。

 顔を隠した後少しもごもごと動いていたが、やがて落ち着いて枕を下ろす。

 しかし先ほどよりも表情は暗くなっていた。

 

「みんなありがとう。こんなに優しくされて、おれは本当に幸せ者だと思うよ。でもだから辛いんだ。ずっとずっと貰ってばかりで。おれはみんなにちゃんとお返しできてもいないのに……」

 

「ミラぴ暗すぎ!いーでしょ、ウチらがアゲたいって言ってんだから!貰えるもんは貰っとこ!そのほうがお得じゃね!?」

 

「だけど……」

 

 また後ろ向きな考えになってしまったケイエスミラクルの様子を見て、Kがまた声を出した。

 

「少しいいでしょうか。私は部外者ですからあまり説得力がないかもしれませんが……少々言いたいことがあります」

 

 ケイエスミラクルは何か怒られるのかと思い、耳をKのほうに向けて少し縮こまった。

 

「は、はい……なんでしょうか」

 

「私は医者ですから様々な患者と接してきました。そのうちの1人の話です。

 あるウマ娘がいました。そのウマ娘は憧れたウマ娘を追いかけて三冠を目指して頑張った。

 実際にそれを狙えるだけの実力があったが、ケガのせいでそれを逃してしまった。

 その後レースに復帰するもケガを繰り返して心が折れ、レースを引退することを決意した。

 しかし仲間やファン、友人、そしてライバルの激励によってまた立ち上がることができた」

 

「……! それって……」

 

 ケイエスミラクルはそのウマ娘には心当たりがある。そばにいるヤマニンゼファーもすぐにピンと来ていたようで耳をフリフリさせている。

 

「そしてその後、そのウマ娘のライバルが病気になった。そのウマ娘は、今度はそのライバルを励ますために努力を重ねた。

 大きなケガを乗り越えて元気になった姿を見せれば、そのライバルにも希望を与えられるだろうと。その決意通りに見事な走りを見せ、そのライバルもまた立ち上がることができた」

 

「テイオーと、マックイーン……」

 

 その件はゼファーが詳しいことと、引退ライブあたりの出来事がだいぶ大ごとだったので、ケイエスミラクルもおおよその経緯は知っていた。

 

「その2人の間に交わされた言葉があります。医療にも通ずるものなので私も結構気に入ってましてね。それは『奇跡は起こる。それを望み、奮起する者のもとに。必ず、きっと』――と。

 医療では奇跡という言葉はあまり使いませんが、大きな治療をするときには必ず必要な心構えです。大きな治療では、医者がどれほど努力をしようとも患者本人に努力して貰えなければ効果的な結果は見込めません。治療とは本人にそれを望んで奮起してもらわねばならないものです」

 

 ケイエスミラクルもそれには共感できた。彼女は将来、理学療法士になることを目指している。理学療法士はリハビリテーションの専門家で、以前は自分自身もお世話になっていた。リハビリとはトレーナーとウマ娘の関係にも似ている。理学療法士は患者のサポートを行うのが役目であり、患者が努力をしてくれなければ成果は望めない。

 

 

「そして問いましょう。ケイエスミラクルさん、あなたは……奇跡を望み、奮起しているのですか?」

 

「……!?」

 

 ケイエスミラクルはその言葉にハッとした。

 自分は人一倍の努力をしてきたつもりだ。奮起という意味では間違ってはいないかもしれない。しかし自分の望みは周囲への恩返しであり、奇跡は周りから与えられたもの。自分で望んだものではない。いつもそうだった。周りがくれるから、それに報いたいと望んできた。そのための努力は惜しまなかった。

 

 だが、自分が『奇跡』を望んだことはあっただろうか?

 特にスプリンターズステークスを目指していた間は、皆から貰った奇跡が自分から失われていく一方だと思っていたから焦っていたのだ。なのに自ら奇跡を掴んで走れるようになろうと思ったことはなかった。それは自分の人生を他人に押し付けているのと同じではないのか。

 

「そっか……おれ……ずっと周りの人に縋っていただけなんだ……」

 

「縋るのはいい、人は誰かと繋がって生きていくものです。だが前を向いて自らの足で立ち上がろうとすること、それが大切なのではないですか?あなたを支えてくれている人たちもそれを望み、そのために奮起してくれているのですよ」

 

 ケイエスミラクルは周りの人たちの顔を見回す。そこには好きな人たちの優しい顔があった。

 両親、担当医、トレーナー、友人たち。みんな今回の件だけではなく、前からずっと自分のためにいろいろなことをしてくれた。

 

 その人たちは自己犠牲を望んでいないことくらい、前からわかっていた。でもそれしか思いつかなかったからそうしてきたのだ。だけど自分の視界に入っていなかった選択肢が、別の道を与えてくれるのならば……。

 

 ケイエスミラクルは少し俯き、また顔を上げてから言う。

 

「確かにおれは奇跡を起こそうと思ったことはなくって、でも本当はおれ自身がそれを望んで頑張るべき。何でこんな当たり前のことを見逃してたのかな……。

 おれ目が覚めました。随分遅くなっちゃったけど、ここからおれ自身が奇跡を目指して頑張ってみます。でもおれの望む奇跡っておれだけのものじゃなくて……みんなと一緒にいるためのものなんです。

 だからみんなもおれに力をください。おれが奇跡を起こせるとしたら、きっとみんなが必要だから!」

 

 明るい顔でそう言ったケイエスミラクルを見て、トレーナーはとてもうれしそうに笑った。

 

「ミラクルの分に俺の分を足せばきっとなんだってできる!絶対また走れるようになるよ!」

 

 

 両親はケイエスミラクルの手を優しく握った。

 

「私たちもどれだけだって注いであげるからね。またあなたの奇跡の走りをみせてほしいな」

「父さんも母さんも、ずっとおまえの幸せを願ってるんだからな!」

 

 

ダイタクヘリオスはひとしきりテンアゲした後で、体を構えてケイエスミラクルに手のひらを向けた。

 

「奇跡ってどうやったらあげれるんかね?スピカの人たちがやってたみたいにこうして手を向けて……ウェ~~~~イ!!!!!って念を送れば行けっかな!!!??うおお~~~!!!!」

 

 ケイエスミラクルに向けて全力で念を込めるダイタクヘリオス。彼女の体からは何かが放出されているようだが、まあ奇跡とは関係ないだろう。パリピの波動みたいなもののようである。

 病室中にその波動が飛び回った。ヤマニンゼファーとバンブーメモリーはその波動を浴び、何となく楽しい気持ちが湧いてくる。

 

「暖くも激しい春一番のような風を感じますが……あれで奇跡を送風できるのでしょうか?」

 

「うーん、たぶん無理だと思うっスね」

 

 

 ダイイチルビーはパリピの波動をすべて弾き返しながらケイエスミラクルに近づいた。

 

「ミラクルさん。元気になられたようでうれしく思います。

 わたくしにとってあなたは光でした。貴方がいたからわたくしはここまで来ることができた。この胸に抱く紅い情熱も、貴方という光に照らされて輝いたものなのです。

 わたくしはお待ちしております。最速を決める舞台は秋のスプリンターズステークスだけではありません。春の高松宮記念、そこで今度こそ競い合いましょう。……わたくしと共に」

 

 ダイイチルビーの表情は相変わらずだったが、その瞳にはかつてなく強い感情が含まれていた。

 ケイエスミラクルもまた小さく微笑んてその瞳を見つめ返す。

 赤い瞳と青い瞳が見つめあい、なんとなくいい雰囲気になりそうなところで、ダイタクヘリオスが叫んだ。

 

「うあ~!お嬢のラヴコールじゃん!!いいな~~!!ねえねえお嬢、ウチにも同じこと言って!ウチもめっちゃ明るいからめっちゃ光るし照らせるよ!名前も太陽だし!」

 

「謹んで、お断り致します」

 

「塩い~!でもしゅきぴ……♡じゃあじゃあミラぴょん!今のお嬢のラビュをウチに分けて!ウチは奇跡パワーあげるからそのお返しってことで!」

 

「え?う~ん……

 やだ。これはおれのだもん」

 

「がーん!!ミラクルも塩~~~!!!」

 

 悶えるダイタクヘリオスを見ながらケイエスミラクルは困り顔で笑った。

 

 

 ケイエスミラクルたちが賑やかに会話している間に、Kと担当医が資料をまとめて持ってきた。

 

「さて、それでは今後の具体的な話をしましょう。まず血腫に関しては問題なく治るでしょう。通常は後遺症もありませんので、手術痕が塞がればトレーニングをしても問題ありません。ただし慢性硬膜下血腫は1割ほどの患者が再発していますので、定期的な検査は必要となります。

 それで元からあった体調不良に関しては担当医さん、よろしくお願いします」

 

「はい。えー……血腫を見逃してしまったことに関しては慙愧の思いではありますが。

 元々やってきた検査では、ミラクルさんの体に異常は発見できなかったんですよね。今回行った検査でも血腫以外の異常はなさそうです。

 ですので元々の不調は、身体能力に肉体の耐久力が追い付いていなかったことと、ストレスや過労によるものだと思われます。

 なので、焦らず!じっくり!未来を見据えて!トレーニングを行えば問題ないでしょう」

 

「わかりました。あはは……み、耳が痛いなあ……」

 

「先ほどK先生が述べたように血腫は再発がないかの検査を何度か行っていきます。再発した場合は血腫の量が多いときは再手術をする可能性があるので覚えていてください。再発がなく完治できましたら、それ以降は通常通りの生活に戻れます。だから今後のことをしっかりと考えてくださいね」

 

「ありがとうございます。トレーナーさん、『これから』の話を一緒にしてください。

 来年春の高松宮記念に向けて、おれをもう一度鍛えてください!」

 

「ああ、一緒に頑張っていこう!」

 

 

 その翌日。

 経過観察のためにケイエスミラクルの頭部を再びCTで確認し、血腫が問題なく治まっているのが確認できた。それによりドレーンが抜去され、歩行など通常の動きが許可されるようになった。

 

 1週間後には手術個所の抜糸もされて無事に退院。

 その後の検査でも再発の傾向はみられず、手術痕が塞がったのも踏まえて完治という判断になった。

 

 それからトレーニングを再開。

 脳が正常に戻っただけでなく、気持ちを切り替えたことで精神的に穏やかになったケイエスミラクルは、トレーナーの指示のもと順調に力を取り戻し、以前よりも高い実力に成長していった。

 

 

 そして迎えた高松宮記念。

 ケイエスミラクルは無事にターフの上に立っていた。

 

「穏やかな風、優しい芝の香り。おれがここにいられるのは、色々な人がおれを支えてくれたからだ。その恩返しをするために、今までで最高のおれを見せてみせる」

 

 決意を新たにするケイエスミラクルに、ダイイチルビーが近づいてきた。

 

「本日はよろしくお願いいたします。貴方とこの誇り高きGIの場において勝負できることを嬉しく思います」

 

「おれもだよルビー。マイルチャンピオンシップでも勝負はしたけどあっちはマイルGI……最速を競うならこの高松宮記念だ」

 

 ケイエスミラクルそう言うとはダイイチルビーを真正面から見つめた。

 

「おれは、おれ自身の夢の為に、みんなへの恩返しを果たすために、最速の称号を手にしてみせる。

 勝負だ……ダイイチルビー」

 

 ケイエスミラクルからの激しい闘志がこもった言葉を聞き、ダイイチルビーも強い眼光で見つめ返して言った。

 

「華麗なる一族の名において、撫で切りにして差し上げましょう。ケイエスミラクル」

 

 2人は少し見つめ合った後でくすりと笑い合い、並んでスターティングゲートへと向かっていった。そのレースは決戦というに相応しい激しい勝負となり、その電撃戦を制したケイエスミラクルは短距離王者の称号を手にした。そしてケイエスミラクルとダイイチルビーの2人だけでなく、ダイタクヘリオスたちと共に上の世代の強者たちとの戦いに挑んでいくのだった。

 

 

 

 Kの診療所ではこのレースを、Kたちとたまたま検診に来ていた村人で一緒に観戦していた。

 レースを見届け、メンバーの中で特に満足そうな富永。

 

「いやあ、いい勝負でしたね!考えてみたら、このレースはKAZUYAさんが治したウマ娘とK先生が治したウマ娘の2代対決になるわけですね」

 

「オレがやったのは穿頭血腫ドレナージだから慣れてる医師ならだれでもできる治療ではあるが……そうだな。こうして昔と今が繋がっていくのはうれしいものだ」

 

「オグリキャップもそうでしたし、他にもKAZUYAさんの治療を受けた子がいるかもしれませんね」

 

「うむ。しかし普段はあまりレースを見ないがけっこう見ごたえがあったな。短距離特有のスピードの限界に挑む姿が美しい」

 

「おっ!K先生は短距離派なんですね。ならおすすめのレースが夏にありますよ!アイビスサマーダッシュというんですけど、中央のレースじゃ最短の1000m、しかもカーブのない直線コースというスピード全振りのレースです」

 

「ほう、それは少し面白そうだな」

 

「K先生がレースに興味持ってくれるの珍しいからうれしいっす!出走メンバーが揃ったら詳細教えるんで、レースの予想しあいましょうよ!」

 

「ふふ……いいだろう。負けたほうはマッカランを奢るというのはどうだ?」

 

「望むところですよ……!」

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 その高松宮記念から十数年後。

 

 ケイエスミラクルはとある病院の一室にいた。

 しかし以前とは異なり、診療をされる側ではなくする側の席に座っている。

 

「はい、それじゃあ腕を出して。ちょっとだけチクッとするよ」

 

 ケイエスミラクルは注射を出して、子供の腕に薬を入れた。

 

「う、うう~~~!!いたい~~~!!でも、がまん……!」

 

「はい、終わりだよ。ちゃんと我慢できて偉いね。すごいよ!」

 

「んんん……。キャロットマンはいたくてもないたりしないから……!」

 

「うん、ヒーローみたいにかっこよかったよ!また次に向けて頑張ろうね!」

 

 ケイエスミラクルは手をふり、その子供は笑顔で帰っていった。

 

 

 

「よし、今日の診療は終わりだね。容態がひどい子がいなくてよかった」

 

 ケイエスミラクルは机に置いてある写真に目を向けた。それはあの高松宮記念のあとで撮った写真。ケイエスミラクルを中心に、ダイイチルビーや応援に来ていた両親、友人たちと撮った思い出の写真だ。

 

「みんなどうしてるかな。そのうちみんなで集まって食事でもしたいな……」

 

 ケイエスミラクルはトレセン学園を卒業した後、とある病院の小児科医となっていた。

 

 

 

 ケイエスミラクルがトゥインクルシリーズを駆け抜け、引退を視野に入れるようになったころ。

 ケイエスミラクルがトレーナー室で勉強をしていたところにトレーナーがやってきた。

 

『お疲れ様、ミラクル。勉強なんて偉いな』

 

『はい。みんなのおかげでまた走れるようになりましたけど、そろそろ引退する日も遠くはないですから。また次の未来に向かっていかなくちゃ』

 

『そうだな、寂しいけど永遠に続けられはしないからな……。あれ、それって大学の受験勉強?ミラクルは理学療法士目指してるから専門学校に行くって言ってなかったっけ』

 

『前にそう話しましたね。でもちょっと考えが変わったんです。ほら……おれってけっこう頑固でわがままじゃないですか?』

 

『どうした急に?うーんでもまあ……部分的にそうかも?』

 

 トレーナーはケイエスミラクルとの出会いからスプリンターズステークスまでの間の言動を思い出し、まあまあそういうところもあると思った。

 そもそも彼女が頑なに体を酷使する生活を続けようとしていたので、それを心配した自分が彼女を支えるために担当契約をしたのである。

 

『それでですね。理学療法士はとても素晴らしい仕事なんですけど、おれの性に合うのかなって考えたんです。

 理学療法士の役割はリハビリです。大きなケガや病気から復帰するのをサポートするのが主です。ケガや病気を乗り越えて、立ち上がろうとする人の背中を支える優しい仕事です。

 でもこれって、リハビリができるくらい容態が安定してる人に対するサポートなんですよね。緊急を要する人がいても何もできません。衰弱していく人がいても何もできません。病院にいればそういう人が必ずいます。でもその時おれは見てることしかできないんです。

 おれはきっとその時無力感に苛まれます。おれが何とかしてあげられればよかったのに、って。だから医者を目指すことにしました。おれが自分で患者を治してあげたい、そう思ったんです』

 

『そうなんだ、立派だね。……でも嫌なことを言うようだけど、無力感は医者でも似たようなものなんじゃないか?自分が治療に関わって、でも治すことができなかったら?もっと実力があれば、他の人だったらもしかしたら、って自分を責めてしまうんじゃないか?』

 

『そうかもしれません。でも、それでもおれは……おれの目の前にいる人を、おれの手で助けていきたいんです。そう望んでるんです』

 

『そっか。それだけの決意があるなら何も言うことはないよ。勉強で教えられることなら協力するからなんでも聞いてくれ』

 

『ありがとうございます。おれ、レースも勉強もずっとトレーナーさんに頼りっぱなしですね』

 

『いいんだ、これは俺が望んでるんだから。できれば……これから先もずっと頼ってもらえると嬉しいな』

 

『……! はい、これから先も頼らせてください!』

 

 

 

 ケイエスミラクルはそれから、担当医の母校である西海大学医学部に無事入学し、医師となることができたのだった。

 医師免許取得後は小児科で臨床研修を行い、さらに小児科専門医の資格を取得して仕事を行っている。

 

「さて、今日は久々に早く帰れるからおれが夕食当番だ。今日は何を作ろうかな……」

 

 ケイエスミラクルが帰宅の準備をしていると病院内に緊急の連絡がきて、看護師がケイエスミラクルのもとに駆け付けた。

 

「救急の要請です!2歳の子供が40℃の発熱と意識朦朧だそうです!うちで受け入れられますか!?」

 

「……! 大丈夫です!連絡してください、おれはすぐ準備します!」

 

 ケイエスミラクルはすぐに帰宅を取りやめ、また白衣を着なおした。

 

「到着は5分後くらいかな、すぐ用意しておこう!おっと……夕食の準備ができなくなったってことだけ、あの人に連絡しておかないと。『ごめんね、救急対応で遅くなるからごはんはお願い』……と」

 

 

数分後。病院に到着した救急車には意識朦朧の子供と、その母親が乗っていた。

 

「先生お願いします、うちの子を助けてください!」

 

「もちろんです!状況は……」

 

 ケイエスミラクルが患者の様子を見ると、高熱を確認するとともに発疹や手足の腫れに視線が向いた。

 

「お母さん、この熱はいつごろから発生したかわかりますか?」

 

「2日前から38℃の熱があって、でも普通にしゃべっていたんです!明日も熱が引かないなら病院に行くつもりだったんです!お昼くらいから寝ていたんですけど、起こしても目が覚めないことにさっき気づいて!」

 

「そうですか……目も充血してるし、いちご舌もある。これは恐らく川崎病……すぐに治療を始めます!移動してガンマグロブリンとアスピリンの投与!意識障害があるから脳炎併発の可能性もある!」

 

 ケイエスミラクルと他の職員が連れて行こうとしたとき、母親がケイエスミラクルの手を掴んで縋るような眼で見つめてきた。

 

「お願いします!どうか、どうか助けてください……!」

 

「任せてください……必ずおれたちが治してみせます!」(ギュッ)

 

 

 小児科医は普通の医師とは少し異なる。

 治療の際は発達段階に合わせた個別の判断を必要としたり、子供のみ罹患する病気があったり、意思疎通が難しく主訴を本人が説明できないことがよくある等、大人の患者にはない難しさがあるからだ。そのため小児科医になるには医療技術だけではなく、なにより子供に対する理解と愛情が必要となる。

 

 ケイエスミラクルは確かな技術と深い愛情を持った医者として、地域の人たちに信頼されるようになった。周囲の人々は尊敬と親愛の意を込めて……

 彼女を『ドクターケイ』と呼んだ。

 

 

 

 

 

*1
JCS(ジャパン・コーマ・スケール)は意識の程度を定量的に表現する方法。

JCS200は意識がなく、強い刺激を与えると顔をしかめる程度の反応がある状態。JCS300が最も重く、刺激を与えても何の反応もない状態。

他にGCS(グラスゴー・コーマ・スケール)やECS(エマージェンシー・コーマ・スケール)がある。

*2
こちらは血液ではなく脳脊髄液が多くなることで脳を圧迫する

*3
手術後も1~2日ほどはドレーンを設置して水分や血腫を排出し続ける必要があるが、その際は頭部をなるべく低くする。

頭部が高い位置にあると重力の関係から排液がしにくくなり、脳の血流が減って脳容積が減少したり脳圧も減少するため血腫を除去した後の空間が広がる方向に進んでしまうので治りが悪くなる。

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