「はあっ、はあっ…!」
「いいぞヴィブロス!その調子だ!」
トレセン学園のトレーニングコースを走るウマ娘。
彼女の名はヴィブロス、ドバイ遠征を目指して鍛錬を積んでいるウマ娘だ。
まだデビューしたてだが、その走りは将来を十分に有望視されるものであった。
今日もトレーナーの指示を受けながらトレーニングに勤しんでいる。
かなり苦しそうな表情だが、コースを懸命に走るヴィブロス。
「あとちょい、あとちょい~!…ゴール…!
はひ~、トレっち~、どうだった~…?」
走り終え、息を切らし疲労困憊という感じでトレーナーの元に戻ってきた。
「よかったぞヴィブロス!目標タイムを上回っていたぞ!」
「ほんと!?やったやった、じゃあトレっち、褒めて褒めて~♡」
「頑張ったなヴィブロス!偉いぞ!」
トレーナーに褒められて嬉しいのだろう、ヴィブロスは耳も尻尾も激しく揺れている。
「えへへ~♡トレっち、なでなでもして~♡
甘やかして~♡ごろごろ~♡」
「そ、それはちょっと…」
「んー、だめかー♡この流れなら行けるかと思ったのに~」
「たづなさんとか怖いから…。
でもヴィブロスが頑張ってくれて俺もすごくうれしいよ。
この調子でどんどん成長して、ドバイを目指そうな!」
「うん!それじゃこの調子でもう一本行っちゃおーよ!」
目標を更新できた興奮が冷めぬまま、このままもう一本と要求するヴィブロス。
しかしトレーナーの答えはノーである。
「全力で走ったばかりだからな、少し休憩しよう。
あとは慣らしのトレーニングをやって今日は終わりにしようか」
「そっか、わかった!じゃあそこでごろーんってしてるね!」
少し離れた芝のところで大の字になって休憩するヴィブロス。
先ほどの好タイムは素晴らしかったが、トレーナーには少し懸念があった。
「うーん、ここ最近のヴィブロスはタイムは十分すぎるほどいい。
クラシックも終盤になって、体がしっかり出来上がったんだろうな。
しかし…」
トレーナーがヴィブロスの姿を眺めると、まだ大きく深呼吸をしている様子が見える。
「タイム自体はいいが、前よりスタミナが減っている?
前ならあまりインターバルを作らずに走らせても問題なかったが、
このところは全力を出すと一回で随分疲れているようだ。
なんでだろう…出力が上がった分にスタミナが追いついてないのかな」
そういった状況を見て、トレーナーはスタミナトレーニングを増やした。
しかし数週間続けても相変わらず大きな変化はなく、
やはりタイムはいいがすぐ疲れている様子が確認できた。
そしてまた数週間後。
紅葉で彩を見せていた木々も葉が散り始め、秋も終わりを告げるころ。
ヴィブロスはティアラ路線を目標に定め、
トレーニング強度を徐々に上げていた。
しかしやはり疲労の大きい状態が続いており、
トレーナーもだんだんと心配を感じるようになった。
「はあ~~~…。トレっち、ノルマ終わったよ~…。」
「お疲れ様!少し休憩しようか」
「ううん、だいじょぶ…。もういっかいいこ~…!」
疲労があってもやる気十分なヴィブロス。
トレーナーはどうしたものかと考えていると、
今日のヴィブロスはいつもと少し様子が違っていた。
「ケホケホッ、んっ…んん…。ヒュー、ヒュー…」
ヴィブロスの様子を見ると、無意識のようだがお腹をさすっているし、
呼吸音がいつもと違うことに気づいた。
「ぜーぜー…。はあはあ…。
うーん…ねえトレっち、やっぱり休憩してからにしよっかな…」
「いや、今日はこれで終わりにしよう。
なんだか随分辛そうだ、一回保健室で診てもらおうか」
「えー…?大丈夫だよ、ちょっと休めばすぐ走れるよ」
「それなら、大丈夫なことを確認しよう」
「でも…」
「俺のお願い、聞いて貰えるかな?」
「……うん」
保健室に行こう、と言われて嫌がるそぶりを見せるヴィブロス。
しかしトレーナーが説得すると渋々ながら了承をした。
保健室で診てもらうと、保健室の先生は神妙な顔をした。
「うーん…これは病院で詳しく検査してもらった方がいいかもしれません」
「そ、それは何かの病気と言うことですか?」
「ここでは具体的に言えませんが、腹痛と呼吸音の異変。
複数の症状を患っている可能性があります」
「そうですか…それって、どのくらいで治るものでしょうか?」
「原因がまだわからないので何とも言えませんが…
こういった症状は治療に半年くらいかかることも多いですね」
治療に半年、と聞いてヴィブロスは悲しそうな顔になった。
「半年もかかるの…?それじゃあ私、ティアラ路線には…」
「ヴィブロス、ごめん!」
「えっ?」
トレーナーから唐突に謝られてヴィブロスはびっくりしていた。
「異変に気づけなくてごめんな。
もっと前から対処できていれば…」
トレーナーは今までのことを悔やんでいた。
今までヴィブロスに感じた違和感はこのことだったのだろう。
それに気づいていたにもかかわらず、詳しく調べなかった自分の甘さ。
また、ヴィブロス自身はもっと前から異変を認識していたに違いない。
だが自分に相談をしてくれなかったのは、信頼を得られていなかったからだと考えた。
「本当にごめんな。とにかく病院で診てもらおう」
「でもでも、病院まではいかなくてもちょっと休めば…」
「いや、ダメだ。
もししばらく休むことになってティアラ路線を走れなくなったとしても、
君にはその先…ドバイへ行くという目標がある。
そのためにも今、しっかり調べておくべきだ。
それにさ、案外なんでもなくてすぐ治るかもしれないよ」
「うう~…」
ヴィブロスはかなり嫌そうだった。
これで体に大きな問題があればドクターストップがかかる。
そうなると当面の目標だったティアラ路線は不可能となる。
それは彼女にとってどうしても受け入れがたいことなのだろう。
それでもトレーナーの説得で、なんとか診察を受けることを了承した。
ヴィブロスが病院へ行ってくれるということになり、保健室の先生が紹介状を書いてくれた。
「帝都大学付属病院への紹介状を書いたからここに行くといいわ、医者も設備もばっちりだから。
特にこの数日は、ドクターKっていう凄いお医者さんが指導医として滞在してるの。
トレセン学園から来たと言えば対応してくれるはずだから、帰る前に明日にでも診てもらってね」
「は~い…。凄いお医者さんかあ…
なんか医療ドラマとかを見てると、こわそーなイメージあるかも」
テンションの低いヴィブロスはネガティブなことを考えているが、
トレーナーの方は医者の名前を聞いてむしろテンションが上がっていた。
「先生、ドクターKってあのドクターKですよね!?
トウカイテイオーやドゥラメンテの治療をしたっていう!」
「そうよ、あのドクターKよ。
あの人フットワークが軽いから何かあったら連絡してくれと言ってくれてるし、
学園にも健診とかで時々来てくれてるわ。
彼なら何でも治してくれるから大船に乗った気持ちでいてね」
「ラッキーだなヴィブロス!じゃあ明日行ってみよう!」
「うん…わかった…。」
相変わらずテンションの低いヴィブロスだったが、
それでも少しだけ不安が減ったようだった。
15分ほどたった後。
トレーナーがKとアポを取ったところ診察は快諾され、
もし来られるなら今日でも構わないとも言ってくれた。
「ヴィブロス、さっきドクターKにアポを取ったんだがな、
仕事は終わったから今日来ても構わないって話だ。
レースのことを考えたら1日でも早い方がいいし、今から行ってみないか?」
「トレっち仕事早いね!そだね、早い方がいいよね…。
診てもらわないことには始まらないし…いこっか…!」
「よし、じゃあ準備でき次第出発しよう!」
2人はすぐに準備して帝都大学付属病院へと向かった。
受付をして案内をされた部屋に入ると、白衣がバッチリ決まっているKが待っていた。
「ヴィブロスさんですね、お待ちしてました」
「よ、よろしくお願いしま~す…!」
ヴィブロスはどんな医者が出てくるのかと身構えていたが、
Kの姿を見て幾分ほっとしたようだった。
(きゃ♡思ってたより優しそうな先生じゃん!
けっこーイケメンだし、心配して損しちゃった。
それになんか、勘だけどちょー強そうな雰囲気。
なんでだろ、お医者さんなのにね?)
Kは保健室からの紹介状を見ながら言う。
「それで今日は…ヴィブロスさんに呼吸音の異常と腹痛があるとか?」
「はい、トレーニング中に判明しまして。
その時は倒れそうなほど体調が悪かったんですが、今は治まってます」
「なるほど。ではまず聴診をしてみましょう」
「お、お願いします」
Kが慣れた手つきで聴診器をヴィブロスに当て、呼吸音を調べる。
「はい、それでは息を吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー」
「すー、はー、すー、はー…」
Kの指示に従ってヴィブロスが深呼吸を繰り返す。
すると息を吸っている時、ヒューヒューとした音が聞こえた。
(ふむ、やはり副雑音がするな。吸った時だけか、どうやら喉に問題がありそうだ)
しばらく調べた後、Kが診断を言った。
「聴診をすると呼吸した時にヒューヒューとした音が聞こえますね。
恐らくこれは喘鳴症です」
保健室の診断の時点でたぶんこれかと想定していたとトレーナーと、
実はそれであろうことを本当は理解していたヴィブロス。
ヴィブロスは自分の不調を把握していて、ただ秘密にしていただけなのである。
「うーん、喘鳴症ですか…」
「ぜんめいしょー…って、息をすると音がなっちゃう病気ですよね。
それって原因はなんですか…?」
「念のため確認ですが、ヴィブロスさんは例えば喘息のような呼吸器系の持病はありませんね?」
「はい、ありません」
「それならもっと詳しく調べないといけませんね。
喘鳴というのは呼吸した時に音が鳴る症状ですが…
呼吸器に問題があるときの一般的な症状なので、原因は複数考えられます。
頭痛や発熱と似たようなものですね。喘鳴だけでは原因は何とも言えないのです」
【喘鳴】
呼吸をするときに、ヒューヒュー、ゼーゼーなどと音がすること。
悪化している場合は聴診器を使用しなくても音が聞こえる。
仕組みとしては空気の通り道である気道が狭くなることで笛のような状態となり音が鳴るが、その原因はさまざまである。
呼吸のメカニズムとして、息を吸う時は口から喉が、吐く時は肺の中の気管支が狭くなるため、
どちらで音が鳴るかで原因部位の想定ができる。
「喘鳴についてもそうですが、腹痛の原因も軽い診断では判断できません。
これらを詳しく調べることをお勧めします」
「そうですか、じゃあヴィブロスいいか?
詳しく調べてもらおうな」
「はーい。もうこうなったら煮るなり焼くなり好きにして…!」
一度軽く喉を見てもらったものの、特に問題は見つからなかった。
喉奥を詳しく検査するには今日は準備ができていないので明日以降になる、とKが説明をした。
「とにかく、なるべく早い方がいいということでしたよね。
明日の予定はどうですか?」
「私は大丈夫ですけど…」
「でしたら明日の朝7時に来てください。
早くて申し訳ないですが、私も学生への指導の仕事があるのでね。
内視鏡やMRIなどを使いたいので今晩は食事を摂らないでください。
水分は摂っても大丈夫ですよ。ただし検査に影響するので水かお茶限定で」
「はーい、わかりました。ねートレーナーさん、明日送るのお願いしてもいーい?」
「うん、任せてくれ」
「では、明日の7時に」
ヴィブロスとトレーナーが寮に戻ると、
彼女の姉であるヴィルシーナとシュヴァルグランが待っていた。
ヴィルシーナはとても心配そうにしていて、姿を見ると即座に駆けよって来た。
シュヴァルグランはあまり普段と変わらなさそうだが、
妙にそわそわしている辺りやはり心配しているのだろう。
「ヴィブロス!体はどうだった!?」
「あ、お姉ちゃん!んーとね、まだわかんなくて。
明日詳しく調べてもらうんだー」
「あなた、今回のことはずっと我慢していたんでしょう?
ごめんね。私、あなたの異変に気付いてあげられなかった」
悲しそうに言うヴィルシーナの姿を見て、
ヴィブロスは「トレーナーと同じだな」と思い、申し訳ない気持ちになった。
トレーナーも姉もこういう時、
「気づけなかった自分のせい」と思ってしまう性格であることを知っていたはずなのに。
「ううん、こっちこそごめんね。私がもっと早く調べてもらえばよかった」
「もちろんそれはそうだけど、私も気を付けていればよかったわ」
シュヴァルグランもヴィブロスに近寄ると、後ろめたそうにしながら謝った。
「僕もごめん。自分のことで精いっぱいで、ヴィブロスがのことを見てあげられなかった。
一番若い君が一番大変だってこと、わかってたのに…」
耳を垂らしてしょげている姉2人を見て、
ヴィブロスが腕をぶんぶんと振りながら少し大きな声を出した。
「もー、2人とも暗すぎだよー!私よりしょぼんとしちゃって!
こーいう時はね、病気でつらーい私のことを、優し~くハグしながら励ましてほしいの♡」
「あ、そ、そうよね。ごめんなさい」
「う…ごめん。また君のことをちゃんと考えられてなかった…」
「ほらもー、また謝る!言葉はいいから行動で示してよね!
それじゃお姉ちゃん、ぎゅーってして♡」
ヴィブロスはそう言うと手を大きく広げ、ハグ待ちの態勢に入った。
「わかったわ。ぎゅーっ♡
大丈夫よヴィブロス、きっと大したことないわ。
それに何かあっても、お姉ちゃんがサポートするからね」
「えへ…お姉ちゃんあったかい♡」
ヴィブロスはヴィルシーナとしばらく抱きしめあってから、
離れた後で今度はシュヴァルグランの方へと向き直る。
「じゃあ今度は~…シュヴァち!」
「えっ、ぼ、僕も!?」
「もちろん!はい、どーぞ♡」
またヴィブロスが手を広げてハグ待ちをする。
シュヴァルグランは少しの間狼狽していたが、
さっき謝ったばかりだし仕方あるまい…と、少し頬を染めながら抱きしめた。
「ぎゅ、ぎゅーっ。
大丈夫だヴィブロス。診てくれてるお医者さんのことを聞いたけど、
ドゥラメンテさんのことを治してくれた凄い人らしいじゃないか。
もし何かあっても、絶対治るよ。大丈夫」
「えへへ…シュヴァちもあったかい♡」
シュヴァルグランは「そろそろ満足したかな」と離れようとすると、
ヴィブロスは逆に抱きしめる力を強くした。
「ヴィブロス?そろそろいいよね…?」
「んーん、なでなでもして♡」
「えっ…」
「なでなで、も!」
「っ……。え、ええいっ!!」
顔をさらに赤くしたシュヴァルグランがヴィブロスの頭を優しく撫でた。
その時のヴィブロスは心底満足げな表情なのだった。
しばらく撫でてあげ、ようやく離れることに成功したシュヴァルグラン。
照れくさかったが、なんだかんだで悪い気はしなかった。
そして解き放たれたヴィブロスは、2人の姉のハグによって甘えんぼモードに火が付いている。
そしてここにはあと1人、獲物が残されている。
「じゃあ~…トレっちも来て♡」
ヴィブロスは両手を広げながらトレーナーへとにじり寄っていく。
「えっ、俺!?俺はダメだろ!」
「トレっちならいいよ~♡家族だもんね!」
「いやダメだって!なあヴィルシーナ、君もそう思うだろ?」
トレーナーが助けを求めてヴィルシーナに声をかけた。
しかしヴィルシーナは既に陥落済みである。
「うーん、ヴィブロスとトレーナーさんはウチの親も公認してるものね。
別にいいんじゃないかしら」
「ちょっ…シュヴァルグラン!君は!?」
「えっ、僕ですか!?いや、うーん…
ヴィブロス、相手が嫌がってるなら強要しないほうがいいよ」
「えー!トレっち、私とハグするの嫌なの!?」
可愛くぶりっこポーズをとるヴィブロス。
「い、嫌ではないよ。でも、嫌なんじゃなくて…『ダメ』なの!」
トレーナーはヴィブロスから距離を取りつつ、
「じゃあ俺は帰るね!明日の準備をお願いな!早めに寝てね!それじゃまた明日!」
そう言い残して逃げて行った。
「ざんね~ん、トレっちはだめだったかー。
まあいっか、2人にしてもらったし♡」
「ふふ、私でよければいくらでもしてあげるわよ♡」
「ぼ、僕はできれば勘弁してほしいかな」
シュヴァルグランと違ってヴィルシーナはヴィブロスを甘やかすことが好きなので、むしろ喜んでいるくらいだった。
なのでもっとヴィブロスをかまってやりたそうな雰囲気だ。
「明日の準備って何するの?手伝いましょうか?」
「大丈夫、検査のためにご飯は食べないでってだけ。
明日は早いから早めにお風呂入って寝ちゃおっと」
「そっか。それじゃあしっかりね」
「うん!2人ともありがとー♡」
姉のおかげで甘え成分をたっぷり補充したヴィブロス。
だいぶリラックスできたようで、不安も大体払拭されたようだ。
その日は明日に備えて早寝をして、
翌日迎えに来たトレーナーと共に再び帝都大学付属病院へと向かった。