ヴィブロスとトレーナーが病院に到着すると、Kの待つ検査室へと案内された。
そこに入ると準備万端のKと、その横に1人の男性が立っている。
「ヴィブロスさん、おはようございます。
よくいらっしゃいました、それでは始めていきましょうか」
「よろしくお願いしまーす。あの、先生の横にいる人は誰ですか?」
「彼は黒須と言いまして、この帝都大学の医学生です。
私の親戚でしてね、今回の検査の助手として手伝ってもらいます」
「黒須です。よろしくお願いします」
紹介された一也は丁寧に礼をした。
「よろしくお願いします!
なんだか似てるなーって思ってましたけど、親戚なんですね!なっとく!」
「それでは手順ですが。
まずMRIを撮影し、次に内視鏡検査、最後に血液を採取して終了です。
所要時間は2時間弱ですね」
そうしてヴィブロスのKによる検査が始まった。
MRIは大人しく受けたためすんなり終わったが、
内視鏡検査の段階で少し口を挟まれた。
それはどういう手段で内視鏡検査をするか聞いたときである。
「内視鏡検査は経口と経鼻、すなわち口と鼻のどちらから入れるかを選んでもらいます。
口からの場合は多少の苦しさはありますが太いものを使えるのでより細かく調べられ、
鼻からの場合は口に比べて苦しさが少なく、検査中に会話も可能です」
Kが説明をすると、ヴィブロスがおずおずと手を上げた。
「あの~、せんせ。私、昨日ちょっと調べたんですけど。
内視鏡検査って鎮静剤を打ってやる方法もあるんですか?」
「ああ、ありますよ。それを使うと意識はほとんどなくなってしまいますが。
それに効果が強いので、数時間は安静にしてもらうことになりますね。
自動車や自転車の運転も控える必要があります」
「それ、お願いできますか~?
やっぱりその…内視鏡は経験がないからちょっと怖くて…」
「わかりました。鎮静剤を使うなら経口内視鏡でいいでしょう。
それと血液の採取は鎮静剤を投与する前にやっておきましょう。
では準備をしてきますね。薬剤は静脈注射で投与していきます」
内視鏡検査の際の鎮静剤は、投与すると患者は眠ったような状態となる。
全身麻酔と違って若干の意識は残ることもあり、いわゆる寝ぼけているような状態である。
効果時間は個人差が大きく、5分から1時間ほど。
ヴィブロスに鎮静剤を投与し15分ほどが経過。
鎮静剤の効果が発揮され、彼女の意識は夢の中にあるようだ。
「ヴィブロスさん、意識はありますか?」
「ンにゃ~、※☆♡%…」
「鎮静剤が効いているようだな。では一也、内視鏡検査をやっていくぞ」
「はい、先生。まず開口器で口を開けて…と」
一也がヴィブロスの口を開いた状態で固定。
Kが経口内視鏡を入れて行くと、早い段階で異変を発見した。
「一也、これを見ろ。これが何かわかるか?」
「これは…披裂喉頭蓋ヒダが変形していますね。
喉頭蓋炎とはちょっと違う…えっと…」
「患者のことをしっかりと見ろ。この患者はウマ娘だ」
「ウマ娘…そうか!これは確か、
「うむ、その通り。重大な原因でなくてよかったな、これならすぐに治せる」
【喉頭蓋エントラップメント】
Epiglottic Entrapment:EE。
喉頭蓋の根元にあるヒダが持ち上がってしまい、喉頭蓋を覆ってしまう症状。
喉頭蓋とは声門のすぐ上にあり、物を飲み込む時に気管の中に入り込まないように蓋をする役割を果たす。
それにより気管が狭くなってしまい、呼吸に悪影響を及ぼす。
治療は内科的治療はほぼ不可能で、外科的治療によって行われる。
持ち上がっているヒダを切除することで比較的簡単に治療することができる。
ウマ娘しかかからない上に、発生そのものが珍しい症状でもある。
「MRIでは肺や気管支に問題は見つからなかったからな。
念のため他の原因も捜索するが、喘鳴の原因はほぼこれで決まりだろう」
「では、次は腹痛のほうですね」
「ああ、そちらもMRIでは特に何もなかった。
腸炎や寄生虫にかかっているということもなさそうだ。
血液検査の結果待ちもあるが、訴えていたのは心窩部痛。
内視鏡で異常が見つかればありがたいが…」
Kが内視鏡を胃へと進めて中を調べると、こちらもまた異変がすぐ見つかった。
「運がいい患者だな、こちらもわかりやすいところにあったぞ。
胃に潰瘍ができている、ULは2と言ったところか。
患者の訴えを考慮するとこれが原因で間違いあるまい。
ピロリ菌に感染している可能性が高い、調べるため周辺の粘膜を回収しておこう」
【胃潰瘍】
胃では塩酸と、ペプシンという食物分解酵素などが含まれた胃液が分泌されており、
これらで自身の胃壁を消化してしまわないよう、
同時に胃の粘膜を保護する胃粘液も分泌されている。
何らかの原因で胃液と粘液のバランスが崩れると、胃の粘膜が傷つくようになる。
これによって潰瘍となったものが胃潰瘍である。
原因としてはストレス、香辛料の摂りすぎ、飲酒や喫煙、ピロリ菌の感染、
NSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)の投薬など。
その中でもピロリ菌による割合が最も高く、全体の7割ほどを占める。
NSAIDsは2割ほどを占め、たいていはこのどちらかが原因である。
ULとは潰瘍の深さの基準のこと。
胃壁は内から粘膜層、粘膜下層、固有筋層、漿膜層の4層構造をなし、
粘膜層のみの障害を「びらん」といい、粘膜下層より深い障害を「潰瘍」という。
ULの1は粘膜層で、そこから深くなるごとに数字が上がっていく。
「UL」は「ulcer(潰瘍)」の意味。
呼吸音と腹痛、どちらも原因がすんなり見つかってくれたおかげで、
まだ検査を始めてから10分弱しか経っていない。
ヴィブロスもまだ夢の中にいるようだ。
「せっかく患者も寝ているのだから他の所も異常がないか見ておこう。
一也、俺は鼻とかを調べているから、その間にピロリ菌検査を頼んだ」
「わかりました。20分くらいでわかると思います」
「任せたぞ。
では経鼻内視鏡に切り替えて…どれ。副鼻腔炎などは…ないな、綺麗な粘膜だ。
ついでに眼と耳も見ておくか」
ヴィブロスが寝ているのをいいことに、好き勝手に体を調べるK。
その結果、特に異常はなく他の部位は健康であることが分かったのだった。
20分後に一也がピロリ菌検査の結果を持ってきた。
その結果、意外にもピロリ菌には感染していないことが分かった。
ヴィブロスには特に通院歴もなく、NSAIDsの使用もないとのことだったので、
そうすると胃潰瘍の原因はおそらくストレスであろう、とKと一也の判断がなされた。
鎮静剤がしっかりと効いているらしく、投与から40分くらい経ってもヴィブロスは寝たままだった。
その間にKと一也は片づけをして撤収。Kはトレーナーに
「詳しくは本人が起きてから伝えますが、深刻なものではありませんでした。
昼頃にはしっかり目覚めるでしょうから、それまで見ていてあげてください」
と言い、本来の仕事である学生の指導へと向かった。
昼になり、鎮静剤の効果も切れてしっかり目覚めたヴィブロス。
連絡をするとKが訪れ、2人に診察の結果を伝えた。
「ヴィブロスさんの診察結果ですが。
まず喘鳴の原因は『喉頭蓋エントラップメント』でした」
「こうとう…がい…?それ、なんですか?」
「喉頭蓋エントラップメントとは、気管と食道の合流部にある喉頭蓋という部位の、
根元にあるヒダが持ち上がってしまうものです。
呼吸がしにくくなるため、走りにも悪影響があったんじゃないでしょうか」
「最近のヴィブロスはやけに疲れやすかったんですが、きっとそのせいですね…」
「この病気はトレセン学園でも過去にシーキングザパールさんがなったりしましたね。
割と珍しいものではありますが、治すことは簡単ですよ」
Kの説明を受けてほっと胸をなでおろすヴィブロス。
「簡単に治るならよかった~!それじゃ、お腹の方は?」
「腹痛の原因は胃潰瘍でした。なって日が浅いようですからあまり重度ではなく、
こちらも治すのは難しくないでしょう」
「えっと…胃潰瘍なら知ってます。確かストレスが溜まるとなっちゃうんですよね」
「その通りです、ストレスも原因として挙げられるひとつですね。
しかし胃潰瘍…それと十二指腸潰瘍もなのですが、原因の多くはピロリ菌の感染、
もしくは非ステロイド性の薬によるものだったりします。
でもヴィブロスさんからはピロリ菌が確認できませんでしたので、
今回はストレスが原因の可能性が高いでしょう」
ストレスによるものだと言われ、ヴィブロスは耳をへにょっと下げた。
「ん~…ストレスかあ…それってやっぱり…」
「ヴィブロスさんも自覚されているようですね。
今回の喉頭蓋エントラップメントは症状が出てからおそらく数か月経っているでしょう?
それに比べて胃潰瘍の方は2週間程度と言ったところでしょうか。
私が思うに、喉の不調を押して生活を続けたストレスが、
胃に悪影響を及ぼしたのではないかと」
数か月間ストレスを貯めながら生活していたと聞いて、トレーナーは猛省をする。
確かに不調があるのはかなり前から見えていた。
その時点で調べてもらっていればとっくに喉も治っただろうし、
胃潰瘍にもならなかったはずだ。
ヴィブロスに申し訳なくて、また謝ろうとして口を開いた。
「ヴィブロス、ごめん。君がそんなに苦しんでたのに、俺は…」
「トレーナーさん、謝らないで!」
ヴィブロスが少し強めに言って、さらに続ける。
「これはトレーナーさんのせいじゃないよ、私が隠してたんだもん。
ごめんね、そんな悲しそうな顔をさせるつもりじゃなかったの。
ただ、頑張りたかったの。
トリプルティアラを走って、みんなに喜んでもらいたくって。
お姉ちゃんが託してくれた夢を叶えたくって。
そのためには休んでる場合じゃないって、そう思ったの。
でもそのせいでみんなのことを悲しませちゃった…」
「ヴィブロス…君の気持ちはわかったよ。
でも俺もちゃんと気づいてあげるべきだったから…じゃあ、お互いさまにしよう。
幸いあまりひどいものではなかったんだからね。
先生、具体的にはどの程度の期間で治るんですか?」
「喉頭蓋エントラップメントは2週間ほど、胃潰瘍は8週間ほどですね」
「8週間…ちょっと長いけれど、今はまだ11月の末。
これから治療をすれば桜花賞には間に合いそうですね」
「桜花賞を目指しているのであれば出走には問題ないでしょう。
ただ、胃潰瘍の治療中は激しい運動は控えてもらうことになります。
そこをどうするかですが…」
Kがそう言うと、ヴィブロスはやる気たっぷりといった顔で答えた。
「だいじょーぶです!治ったらみっちりトレーニングするので!
絶対に勝って見せます!」
「そうですか、ぜひ頑張ってくださいね」
「はい!治療の方も頑張ります!にが~いお薬だって我慢します!」
「では治療方針をお話ししましょうか。
胃潰瘍に対してはPPIと言う薬を飲んでもらいます。
これは胃酸の分泌を抑える薬で、胃の粘膜への刺激を抑える働きがあります」
【PPI】
プロトンポンプ阻害薬(Proton Pump Inhibitor)の略称。
胃酸の分泌のメカニズムの最終部を担う「プロトンポンプ」と呼ばれるタンパク質があり、
これの作用を抑える効果を持った薬品。
胃酸を抑えることで粘膜への刺激を減らして治療を行う。
胃酸が関わる疾患に効果があり、胃潰瘍・十二指腸潰瘍・逆流性食道炎などに使用される。
「胃潰瘍は薬で治療できますが、喉頭蓋エントラップメントは外科的治療が必要です。
しかし難しい手術ではないので30分もあれば終わります。
今日はちょうど内視鏡検査のために絶食してきていただきましたし…
このまま夜まで我慢していただければ、今日中にでも手術できますよ」
「本当ですか~!お願いしますっ!」
ヴィブロスは喜んで手術を了承したが、しかしその後少し考えこむ。
「んー、夜ってことは…今お昼だから、あと6時間くらいですか?」
「申し訳ありませんが私もちょっと予定が混んでましてね、8時間後くらいになってしまうかと」
「8時間かあ…。昨日のお昼から何も食べてないし、お腹ペコペコ~。
でも早く治すためですもんね、我慢します…!」
ヴィブロスは若干渋い顔をしつつも、治すためなら頑張れるという表情をした。
「偉いぞヴィブロス!俺は応援することしかできないけど…頑張ってくれ!」
「あ♡じゃあトレーナーさんは~、私がお腹いっ~ぱいになるくらい、私に愛情を注いでね♡
ハグして、撫でて、愛をささやいて♡私が頑張れるように励ましてね♡」
ここぞとばかりに甘えてくるヴィブロスに、トレーナーがたじろいだ。
「え…いや…その…。あれだ、俺の愛情は重くて胃もたれしちゃうから。
手術の前にあげるのは良くないかな…って…思う」
トレーナーが要求を回避するために言い訳をしたが、
それを聞いたヴィブロスはむしろ目を輝かせていた。
「きゃー♡トレーナーさん、そんなに私のこと好きなんだ♡
それに先生、聞きましたよね?『手術の前はダメ』ってことは、『手術の後ならいい』ってこと!
えへへ~♡楽しみだな~♡」
「なっ…!いや、そんなつもりで言ったわけでは…!しまった、嵌められた…!」
「いえ、今のはトレーナーさんの自滅ですね」
自分の失言で頭を抱えるトレーナーを見て、Kは苦笑しながら言った。
Kはその後もまた学生の指導に向かったので、
ヴィブロスとトレーナーは夜まで待機することとなった。
「ねートレっち、夜までどうしよっか?
これから学校って気持ちにもならないし~、デートしよ~?」
「だめだめ、食事もとってないし、まだ鎮静剤の効果も残ってるし、外出は控えたほうがいい」
「むむ、じゃあおうちデートならいいってこと?」
「おうちデートか…それならいいか。これからうちに来てくれるか?」
「きゃ♡トレっちのおうちでデート♡うんうん、行こ行こっ!」
ヴィブロスはおうちデートと言われて、
トレーナーの部屋へ大喜びでついていった。
そしてトレーナーの部屋では、2人は仲良く濃密に…
勉強をしていた。
「うえ~ん!なんでおうちデートなのにお勉強してるの~!?」
「先生に言われたろ、これから2か月は激しいトレーニングはできない。
桜花賞のことを考えると、体が治ったあとは鍛えることに専念したい。
そのためには今のうちに賢さトレーニングを積み上げていかないとな」
「おなか減ってるのにお勉強なんて~。ブドウ糖も足りてないよ~…」
「それについてはごめんだけど…夜まで何も食べられないし。
俺も何も食べないようにするから、勉強で気を紛らわせような!」
涙目で鉛筆を握るヴィブロスをよそに、トレーナーは今後のトレーニング方針をまとめるために大量の資料を読み込んでいた。
そして夜9時ごろになり、手術が行われることとなった。
トレーナーは手術室の外で待機しており、
少し前にやってきたヴィルシーナとシュヴァルグランもいる。
ヴィルシーナは3人の中ではとくにそわそわと落ち着かない様子だ。
「簡単な手術だから来なくて大丈夫って言われたんだけど、
どうしても心配だから来ちゃったわ。
手術って見守ることはできないのかしら。
中でどうなっているのか見えないから不安なのだけど…」
「ここだと手術を学生が見られるように見学室ってのはあるみたいだけどね。
でも一般人は身内でも駄目だろうし、それに他でもないヴィブロスが見ないでほしいと言ってたよ」
「あら、それはなぜかしら?あの子は甘えん坊だから、
『手術中は手を握っててほしい』くらいのことを言うかと思ってたのだけれど…」
「正直俺もそう思ってたんだけどね。ヴィブロスが言うには…
『口から管を突っ込まれてる姿は可愛くないから見てほしくない』ってさ」
「な、なるほど…確かにあの子はそういうところもあるわね。
でもヴィブロスならそれでも可愛いのに」
手術室には全身麻酔で眠っているヴィブロスと、
Kと一也、それと村からやってきた譲介も来ていた。
一也は思いがけない再開で少し嬉しそうである。
「譲介も来たんだな。先生に助手として呼ばれたの?」
「ああ、珍しい症状だから村のほうで問題がなければって。
呼吸器系とかウマ娘の専門医でもなければそうそうみられるもんじゃないからな」
「確かにそうだね。特にうちの村にはウマ娘が1人もいないし」
一也と譲介が器具などの準備を終えるとKが手術開始の合図をした。
「準備は万端だな。
それではこれより喉頭蓋エントラップメント治療のため、
経口内視鏡による披裂喉頭蓋ヒダ切開手術を開始する。
今回は執刀を譲介に任せる」
「はい!」
譲介が勢いよく返事をすると、経口内視鏡を準備した。
一也はヴィブロスの口を開口機で固定する。
「今日は譲介がやるんですね」
「難しい手術ではないからな。
珍しい症例でもあるし、ここで触れておくのがいいだろう。
内視鏡手術はあまり教えていないからその練習にもなる」
「では先生、行きます!」
譲介が内視鏡を口から入れ、喉頭蓋の位置まで持っていく。
「喉頭蓋を覆う披裂喉頭蓋ヒダ…これですね」
「そうだ。それを縦正中切開して喉頭蓋を露出させろ。
それと肥大した余分な部分は切除だ」
「わかりました。では…」
譲介は内視鏡に入っている高周波スネアを出し、手術を行っていく。
さすがに勉強してきているだけあって、内視鏡手術でも十分な動きを見せた。
元々30分もあれば終わるような手術だったため、
勉強も踏まえてじっくりとやっても、この3人では20分かからず終了したのだった。
後処理は一也と譲介に任せて、Kは手術の終了をトレーナーたちに伝えに行った。
「手術は無事終わりました。これで喉のほうはもう心配ありません」
「すぐ終わるとは聞いてましたけど、本当に早いですね!」
「小さく切開するだけですからね。
手術の跡は2週間ほどで治癒するので、それまでは運動を控えてください。
また、再発の有無や術後経過の観察のために1週間後に検査してもらってください。
検査するだけなので、どこの病院でも問題ないでしょう」
「わかりました。それで胃のほうは、もらった薬を飲ませればいいんですよね?」
「はい。症状が治まってからも、指示した期間は飲み続けるようにしてくださいね」
「それはもう。
ヴィブロスはしっかりしてるので大丈夫だと思いますが、
俺も彼女の姉たちも見守ってるので大丈夫です!」
「それなら安心です。
ではヴィブロスさんは今夜は泊まってもらって、明日退院してもらいます」
Kからの説明が終わると、すでに夜も遅いのでトレーナーと一緒にヴィルシーナとシュヴァルグランは帰宅した。
ヴィブロスは麻酔の影響でしばらく寝ていたが、
目が覚めてからこちらもKから一通り説明を受けた。
この日は病院に泊まり、翌日迎えに来たトレーナーとともに帰っていった。
そうして、手術を行ってからの数日間。
治ることへの安心、手術を終えた達成感、運動ができないことも相まって、
ヴィブロスは甘えんぼチートデーを連日発動させていた。
「ね~トレっち♡今日は一緒にお買い物に行こ?」
「う、うーん…でもさ、桜花賞に向けて勉強をしていかないと…」
「お勉強はそのあとやるから♡それとも一緒にお出かけするの、イヤ…?」
瞳をうるうるとしながら見つめてくるヴィブロスに対し、
トレーナーに勝ち目はなかった。
(ここで強固に拒否してストレスを溜めたら、また繰り返しになっちゃうかもだよなあ…)
「わかった、一緒に行こう。その代わり終わった後の勉強は約束だよ」
「やったー♡トレっち優しい♡」
一緒にお出かけをする際は手をつないだり腕を組もうとしてくるヴィブロス。
トレーナーはそれを回避するためにいつも神経を使っている。
今回も回避をしたのだが、ヴィブロスが少し食い下がってきた。
「ねえトレっち、病院で言ってたこと覚えてるよね?
手術が終わったら愛情を注いでくれる、って♡
手術終わったよ?頑張ったよ?ならいいよね♡」
「あ、あれはだな…。いや、まだ治療中で胃に負担をかけたらよくないからさ。
また後の機会ということで…」
「またそれ~?
トレっち~、ものごとを先延ばしにするだけの言い訳はやめたほうがいいって思うよ~?」
また適当なことを言ってはぐらかそうとするトレーナーに、
ヴィブロスはジト目で言うのだった。
1週間後、近場の咽喉科で検査をしてもらったところ、
喉頭蓋エントラップメントの予後は良好で、再発の兆しもなかった。
さらにもう1週間経って手術の跡が治ってからは、
胃の治療に負担をかけない範囲でトレーニングをすることができるようになった。
激しい運動は禁止されているので肉体面は軽めのトレーニングのみを行い、
勉強面を集中的に行って賢さトレーニングを積んでいった。
1月半後に検査をしてもらったところ十分に治癒しているということで、
その翌日からトレーニングも全面解禁となった。
これからトリプルティアラを目指し、頑張って行くことだろう。
ところで、一也がヴィブロスの治療を終えた次の日の話。
大学へと行くといつもつるんでいる同期のグループをみつけた。
一也はいつものように元気よく挨拶をする。
「みんなおはよう!」
「あ、黒須!!お前っ…!」
すると一也の姿を見た仙道が勢いよく走ってくる。
「ど、どうしたの仙道くん。血相を変えて」
「黒須お前さ…ヴィブロスちゃんと会ったって本当か?」
「ヴィブロスさん?本当だけど、会ったって言っても患者として来ただけだよ」
「それだっ…!お前!俺のことも呼んでくれよ!
来てたんだったら会いたかったのに!」
どうやら仙道はヴィブロスのファンだったらしい。
Kと一也の治療を受けに来たことを誰かから聞いたのだろう。
だが仙道の言葉は、一也の逆鱗に触れかねないものであった。
「仙道くん…君は患者を何だと思っているんだ?患者は見世物じゃない。
誰もが悩みや苦しみを抱え、救いを求めて病院に来る。
それを『会いたいから呼べ』と?患者の情報を広めろというのか?
君はそんな気持ちで医学を学んでいるのか?」
割と本気で怒っている一也を見て、仙道は「やってしまった」と後悔した。
「いや…ほ、本気で言ってるわけじゃねーよ…!
お前がうらやましかったから言っただけ!ごめんって!」
一緒にいた緒方と深見は仙道の愚かさに呆れ気味だが、
一也の怒りを見て若干怯えている。
「まったく仙ちゃんは…
黒須くんにこの手の冗談は通じねえってまだわからないんだべか…?」
「黒須はあのガタイだから怒ると迫力が凄いんだよな。
猛獣でもぶっ飛ばせそうだ…」
一方女子たちは。
「ヴィブロスちゃんって最近人気のウマ娘だよね。
妹みたいな感じで可愛いから私も結構好きよ」
青山がそういうと、斎藤は少し宮坂のことをからかった。
「黒須くんは面倒見いいからああいう子好きそうかも。
お、もしかしてこれがきっかけで黒須くんと恋が芽生えちゃったり!?」
斎藤がにやにやしながらそう言って宮坂のことを見ると、
宮坂はまるで何も感じてない表情であった。
「いや~ないない!黒須君は医学のことしか頭にないし。
たぶんヴィブロスさんのことを見ても筋肉がどうとか臓器がどうとか考えてるよ」
そう笑いながら話し、全く意識を変えない宮坂。
それを見て青山が言う。
「ねえ由貴ちゃん、これが正妻の余裕、ってやつなのかな?」
「いやあ、あの2人の場合は違うわね。
確かに確固たる絆は感じるけれど、いい年こいてあまりにも穏やかすぎでしょ。
正妻というか…まるで老夫婦みたいだわ」