安心沢の手は震えていた。
今まで意識をしたことのなかった、他人の『命』を握っている。
成功すれば問題はないだろう。だが失敗したらどうなるかわからない。
だからといって何もしないというのも考え物だった。
熊や野犬が来て襲われるかもしれない。
襲われなかったとしても、衰弱している彼が朝まで持つかもわからない。
今から突こうという元気が出る秘孔…体感では7割ほどの成功率だ。
それはつまり、3割の確率で命を落としかねない危険な行為と言える。
3割…安心沢の額から脂汗が流れる。
安心沢が何か迷っている様子を見た男性が声をかけた。
「ど、どうかしたのか?笹針はよく知らないが、俺の秘孔は押しにくかったりするのかい?」
「い、いえ。その…あたしが自分で言い出したことなんだけど、
成功する自信がないの…失敗しちゃうかもしれないわ…」
「そうなのか、でもダメ元でやってくれて構わないよ。
失敗したからといって頭が破裂したりして死ぬわけでもないんだろう?
刺した所が痛くなるくらいなら我慢するから」
「あ、頭は破裂しないけど…」
死ぬわけではあるかもしれない、と心の中でつづけた。
(師匠、あたしはどうすればいいですか…?)
安心沢は師匠の教えを脳裏に浮かべた。
思い出したのはいくつか教わった心得の中のひとつ、『笹針を心の鏡とするべし』。
(笹針は、心の鏡…)
安心沢は自分の手を見た。
鋭く真っすぐに鍛えられた笹針を握る、震える己の手。
笹針とは針と術者の織り成す業。
術者が良くても針が歪んでいては、針が良くても術者が未熟であれば、その笹針に効果はない。
自分は後者だ。ただでさえ失敗する可能性があるのに、今はそれに怯えて手元がおぼつかない。
針を握る手は、自分の未熟さを表すかのようだ。
師匠の教えとドクターKに言われたことを考えると、今の自分が取るべき行動は…。
安心沢は手をしばらく見つめた後、迷いが晴れたように表情に力が戻った。
「…よし、決めたわ!」(ギュッ)
「おっ、行けそうかい?」
「笹針はやめるわ、失敗すると重いリスクがあるから。
あなたはあたしが背負って近くの村にある診療所まで連れてってあげる」
「えっ!?君が!?君は普通の女性だよね!?
しかも村まで15キロはあるってさっき…」
「安心してちょうだい、あたしはウマ娘ちゃんではないけど体力に自信はあるんだから!
そうと決まればとっとと行くわよ、あなたは熊ちゃんが寄ってこないように音でも出しといて!」
安心沢は男性を背に乗せ、有無をいわさず出発した。
「うお、マジか…!俺はもう君に頼るしかないんだけど大丈夫かな…!?」
夜の10時を回るころ。
Kの診療所ではKと譲介がシャドーオペを行っていた。
その最中、入り口の扉をけたたましく叩く音が聞こえてくる。
2人は何事かと思ってそちらへ向かうと、そこには男を背負った安心沢の姿があった。
安心沢は汗だくで、履いているヒールもへし折れ、相当疲弊している様子がうかがえる。
「君は安心沢…いったいどうした?それとその男は…」
「こ、こんばんはぁ…!よかった、いたわねドクターK…!
この人と山で会ったんだけど、遭難して弱ってるから診てあげてちょうだい…!」
「なに…?よし譲介、診察室に運ぶぞ!」
「はい!」
Kと譲介がその男を診察すると、栄養失調と脱水、体力の消耗でかなり衰弱しているが、
重度ではないので点滴を打って休めば数日で回復するだろうということになった。
そのほか体中に軽い切り傷などがあったため、Kはそれを処置をした。
その間譲介は、靴擦れを起こした安心沢の足の処置を施す。
「安心沢さん、ずいぶん無茶したもんスね。
あの人を背負ってどれくらい歩いたんですか?」
「15キロくらいね~。まあちょ~っときつかったけど何とかなったわ。
でもせめてヒールはやめとくべきだったかもしれないわね」
「まさか歩いて帰ろうとするとは…この辺は熊とか出るからやめた方がいいですよ?
まあそれのおかげであの人を助けられたわけですけど」
譲介はそう言いながら、「まあ僕も同じようなことあったけどな」と昔を思い返した。
その時はKに取り上げられてしまったナイフを盗み出して逃げ帰る最中、
事故によってコンパートメント症候群になってしまった男を助けたのだった。
「私のおかげってのはどうかしらね、命に別状はなかったんでしょ?
朝まで待ってればバスとかが通ったでしょうし、
あたしが助けなくても大丈夫だったんじゃないかしら。
背負ってるときにずっこけたりしたらもっとひどいことになってたかもだし、
不要なことしちゃったんじゃないかしら…?」
「そんなことないと思いますよ。ほっといたら熊に襲われたかもしれませんしね」
譲介がそう言うと、処置を終えたKが声をかけて来た。
「譲介の言う通りだ。彼に喫緊の治療が不要だったことはさっき調べてわかったこと。
遭難中に栄養失調だけでなく怪我や病気などが起きている可能性もあった。
朝まで待っても大丈夫だったというのはあくまで結果論に過ぎない。
それに熊や野犬に襲われないとも限らないしな。
安心沢、よくやったな。彼もお礼を言っていたぞ」
「よかった、そう言ってもらえると嬉しいわね。
うふふ、これでも体力には自信あるんだから。
マラソンだったらウマ娘ちゃんにも負けないわよ!」
自分の行為を褒められて、少し誇らしそうにする安心沢。
そこでKは1つ質問をした。
「安心沢、君に聞きたい。彼に対して笹針施術を行うとしたら何をやる?」
「えっ、笹針を?それならまあ元気が出る秘孔…関活元を突くことかしら」
「うむ、彼は衰弱はしていたがやせ細っていたわけではない。
それを突けば残っている脂肪がエネルギーに分解され体力が回復するだろう。
わかっているのならなぜやらなかった?」
安心沢は体をビクッとさせた。怒られていると思ったのだ。
「えっと…や、やろうとは思ったわよ?
でもその…失敗したらどうなっちゃうかわからないとも思って…。
ほら、少しずれたら逆に体力を消耗させちゃうでしょう?
衰弱してる彼にそれが起こったらやばいかな~と思いましてぇ~…」
「失敗するのが怖かったからやめた、と?」
「そ、そうですぅ~…ごめんなさい…」
縮こまる安心沢だったが、Kから出た言葉は予想と違った。
「それでいい。それが命に対して真剣になるということだ」
「えっ?」
「それをやる以外に助かる方法がないというならまた別だが…
治療をする過程でギャンブルをしてはいけないものだ。
我々は神ではないので、どんな慣れた行為でも100%成功するとは言えないが、
ほぼ確実に成功する術式を行い、また失敗した時のリカバリー方法を用意する。
それが医師には必要なことだ。
もし君がその施術をしていたら、仮に成功していたとしても俺は怒っただろう。
だが君は、失敗した時に自分がどうなるかではなく患者がどうなるかを考えられた。
それは医師があるべき真剣さ。患者と、命と向き合うということだ」
「そ、そうなの…?私、真剣に考えられたのね…よかったわ」
思いがけず褒められた安心沢は、ほっと胸をなでおろしたようだ。
「安心沢…君は笹針師の免許は持っているのか?」
「免許は…笹針と鍼灸の専門学校に通ってたので試験は受けたんですけど…
お…………落ちちゃいました。ノウッ!」
安心沢は恥ずかしそうに顔を隠した。
「ふむ、ならば試験を受ける権利はあるということか。
真面目にやるというのであれば試験に受かるまで笹針のことを教えてやろう。
この村は年寄りも多いからな、笹針や鍼灸は喜ばれるだろう」
「えっ、本当!?」
「真面目にやるなら、だ。ふざけた態度を取ったら即刻追い出す」
「もちろんです~!真面目にやります、ありがとぉ~!!」
安心沢が大喜びでKに抱き着きに行くと、Kはぬるりとそれを躱した。
壁に激突して悶絶している安心沢に譲介が声をかけた。
「よかったですね安心沢さん。これからよろしくお願いします」
「あ、ありがとう譲介くん。これもあなたが励ましてくれたからよ!
あなたのおかげね…!」
「いえ、あなたが心を入れ替えてくれたからですよ。
僕も勉強中の身ですから、一緒に頑張っていきましょう」
「ええ…!これからよろしくね!」
翌朝。
出勤してきた麻上とイシ、村井を呼んで安心沢の紹介を行うこととなった。
「今日からこの診療所に加わる安心沢だ。
専門は笹針で、加えて鍼灸を行ってもらうこととする。
とはいえまだ1人で任せられる実力ではないので、普段は雑用と助手をこなしてもらう。
イシさんと麻上くん、彼女に作業を教えてやってくれ」
「安心沢です!ドクターK…いえ、皆さんに合わせてK先生って呼ばせてもらうわね。
K先生から針について教えてもらうために来ました!
これからよろしくお願いします~!」
安心沢は皆に向って一礼をした。
その表情と話しぶりに、もう不純な意識は残っていないようだった。
「わしがイシじゃ。村で噂になっとった変な女ってのがあんたか。
K先生が認めてくれるくらいじゃから噂よりはまともなんじゃな。
よし、わしらもみっちり教えてやるからきちんとやるんじゃぞ」
「へえ…私がいた時は断られてたのにあれから認めてもらえてたんですね。
私は麻上です。一緒に頑張っていきましょう!」
「私は村井と申します。普段は研究所の方におります。
女性が増えると華やかになっていいですな」
「改めて、僕は和久井譲介です。
安心沢さんと同じく修行中ですから、一緒に勉強していきましょう」
一通りの挨拶が済んだのを見て、Kが厳かに話し始めた。
「うむ、紹介は済んだようだな。
先ほど笹針と助手をしてもらうとは言ったが、それはあくまで目安に過ぎない。
この診療所のルールはただ一つ…『患者の命を救うために行動する』。
これだけだ」
それを聞いた譲介ら4人は真剣な面持ちになった。
彼らにはその意識が骨の髄までしみ込んでいるのだ。
その様子を見て安心沢が息をのむ。
常に患者と向き合い、戦い続けるのがこの診療所なのだと理解した。
その後、Kが安心沢を受け入れる経緯を説明すると、
麻上たちも一通り納得してくれたようだった。
「さて、昨夜は診療所に泊まってもらったが以降はどうするか。
ずっとここに泊まらせるわけにもいくまい」
Kが考え込むと、麻上が声をかけた。
「それでしたら、私の所に来てもらったらどうでしょうか?
私の家は柿崎さんが気合入れすぎて作ってくれたおかげで、部屋が余ってるので」
「なるほど、麻上くんと安心沢がそれでいいなら解決だが」
「あたしは構わないわ。なんならその辺の物置とかでも十分なんだけど。
あたし、野宿とか割りと慣れてるのよねぇ」
「医療従事者がそんな不潔な環境でいいわけがあるか。
よし、住まいは麻上くんと一緒と言うことで頼む」
「麻上さん、ほんとにいいのぉ?よろしくです~!
家事はちゃんとやりますからね!」
「よろしくお願いします。あとで分担を決めておきましょう!」
イシは安心沢の顔をじっくりと見つめた。
「ふーむ、なかなか別嬪じゃな。
聞いていた噂では変なサングラスをかけとるって話じゃったが、かけないんか?
まあ、かけない方がいい女に見えるがのォ」
「えっと…あのサングラスは威嚇と言うか…
自分を大きく見せるためのコスプレみたいなものなのでいらないわ。
あたしも生まれ変わるために、ああいう変な格好はやめました」
「そうか。ならきっちりやりんさい、この診療所は遊び場ではねえ。
あんたが修行中かどうかは患者からしたら関係ない話じゃ。
患者の命を救うためにも、K先生からしっかり学ぶんじゃぞ」
「は、はいぃ…!」
「まあ、ある程度できるようになったらわしにやってもらうとするかのォ。
年寄りの多い村だから、練習にはちょうどええじゃろ。
村の連中にはわしからも話してはおくが、
大切なのはあんた自身が信頼を得られるように行動することじゃな」
「わかりました、頑張ります…!」
譲介は診療所におけるアドバイスを伝えた。
「K先生は僕たちに知識を教えてくれますが、
K先生が直接『ここはこうしろ』『あれはこうしろ』と教えてくれることはあまりありません。
手術などでは意味を話しながら作業を行ってくれますが、
疑問を見つけて自分から聞きに行くことが大切です」
「そ、そうなの?普通に教えてほしいかなって思うけど…」
「K先生は優しいけど厳しい、そんな先生です。
僕も村井さんに言われるまでわかっていませんでしたが…
将来医師になった時に向き合うのは自分の過去でも、追いつきたいライバルでもない。
僕たちが向き合うのは、患者なんです。
餌を待つ雛のように与えられることを待っていてはいけません。
自分を変えるために必要なのは、自分から飛び込んでいくことです。
そうすれば、世界最高のドクターを目の前で見ることができるここは最高の勉強場になる」
「そう…なのね。私も頑張ってみるわ」
「安心沢さんは笹針が専門ですが、診療所では笹針を主役にした施術はほぼありません。
なので猶更自分から向かうことが大切ですね。
あとは手術後の処置や軽い症状への対処で行うことはありますから、
そういった機会にしっかりと学ぶことです」
「わかったわ、ありがとう」
安心沢にアドバイスする譲介の様子を陰から見守っていた村井は感慨深さを感じていた。
(譲介くん…立派になったな。君はしっかりと変われているよ。
彼がいれば、今回は私の出る幕はなさそうだ)
麻上との会話。
「ふふ、女性が増えてうれしいです。
イシさんもいますけど、年が離れすぎてて共通の会話が少ないんですよね。
安心沢さんはウマ娘にも詳しいようですし話が合いそうです!」
「おっほっほ、ウマ娘ちゃんのことならそこらの記者よりも詳しい自信があるわ~!
笹針的な話だとまあ…これから…お勉強だけどね!」
「勉強頑張ってくださいね、譲介くんも毎日熱心に勉強してますよ。
ところで、安心沢さんは助手もしてくれるんですよね?
看護師の免許はお持ちなんですか?」
「も、持ってないわ。K先生は免許が無くてもいいから、
物を用意したりするくらいはやれるようになれと言ってたわ。
無免許で笹針施術やってたあたしが言うのもなんだけど、本当にいいのかしら?」
「ああ…。大丈夫ですよ、この村では免許の有無は誰も気にしませんから。
譲介くんもそうですけど、彼が執刀することもたまにありますが免許は持ってません。
K先生が言ったように、患者の命を救うために行動すること、
それを守るために何百年も脈々と続いてきた医療の村なんです。
だからまあ…これがいいこととは簡単には言えないですけど、
命を救うためなら法律は皆さん気にしないですね」
「へ、へえ…なんだかすごいところに来ちゃったみたいね…」
「この村特有のしきたりがいくつかあるんですが、おいおい教えてあげますね。
私も最初はびっくりするようなことばかりでしたから」
安心沢は真面目に働きある程度の信頼を得ることができたころ、
そろそろいいだろうと血液の貯蔵や授け手の話を聞かされた。
安心沢も相当驚いたようだったが受け入れることはできたようで、
村人と共に授け手の墓掃除を行ったりしていた。
安心沢が診療所に来て3か月もしたころ。
安心沢はKからの指導を受けて、普通の施術なら失敗なくできるように成長した。
元々10年も修行していただけのことはあり、
知識に関してはほとんど問題がなかったのである。
問題点としては実際に針を刺す際の技術が足りていなかったので、
熱心に練習をすることで大きく成長を遂げたのだった。
ある日、村井と打ち合わせをするためにアグネスタキオンが診療所にやってきた。
ちょうどいい機会と言うことで、Kが安心沢のことを紹介する。
「アグネスタキオンにも連絡はしてあったが会うのは初めてだな。
新しくうちに来た安心沢だ。笹針師を目指して勉強中で、
手術の助手などもやってもらっている」
「ほうほう、君が安心沢君かい。話は聞いてるよ。
私はアグネスタキオン。村井君と共同研究をしていて、時々こうして訪れるわけさ。
ま、よろしく頼むよ」
アグネスタキオンは見定めるように、安心沢のことをまじまじと見つめる。
どうやら前に会ったことがあることを憶えていないらしい。
一方で安心沢の方はしっかりと記憶していた。
「アグネスタキオンちゃん~!お久しぶりね!
共同研究してるって話は村井さんから聞いてたから、
会えるのをずっと楽しみにしてたのよぉ~!」
「む…?初対面ではなかったのか。
申し訳ないが憶えていないな。どこでお会いしたかな?」
安心沢はトレセン学園の保健室で会ったことがあると説明をしたが、
アグネスタキオンはピンと来ていない様子である。
そうなるのも無理はない。
今の安心沢にはサングラスがなく、髪は後ろでまとめ、服も普通の白衣を着用している。
かつてのような怪しさ満点の風体ではなくなっているのだ。
「う~ん…未熟な過去を掘り返してしまうからあんまりやりたくないけど…
久々にやってやるわ。これを見ればきっと思い出してもらえるはずよ」
安心沢はそう言うと髪をほどき、カバンから例のサングラスを取り出す。
そしてビシッとポーズをとりあの口上を述べた。
「数多のウマ娘を(たぶん)導く救世主!
奇跡の腕を持つ(自称)伝説的笹針師!
その名も『安心沢刺々美』よっ!ワォ、あんし~ん☆」
自己紹介と共に、診療所の中に寒い風が流れる。
だがこの怪しい自己紹介で、アグネスタキオンも思い出してくれたらしい。
「…ああ!いたねぇ、そんな不審者が!
確か突然保健室に出現した挙句、私の調子を悪くしてくれた笹針師だったね。
ろくでもない存在だったから記憶から消していたよ。
K先生、いいのかいこんなのを診療所に置いて?」
「ワォ、辛辣~☆でも当然の反応よね。
あの時は本当にごめんなさい!あの頃はあたし、分不相応に調子に乗っていたの。
でも今は心を入れ替えて、K先生の下でビシバシとしごいてもらってるわ!
もうあの頃の失敗は二度と繰り返さないように…!」
「ほう、それはまた殊勝な心がけだね。
まあ不審者からまともな笹針師に成長できるのなら世の中にとってプラスだろう。
K先生の下でならベテラン以上の実力者になれるだろうから頑張ってくれたまえよ」
「ぐすん、許してくれるのね。ありがとう」
「K先生が受け入れてるくらいだからねぇ。私が口を出すことでもないし。
そうだな、歓迎の意を込めて紅茶でも淹れてあげよう」
「まあ、本当!?嬉しいわ!」
アグネスタキオンの言葉に喜ぶ安心沢だが、Kがすぐに詰め寄ってきた。
「おいアグネスタキオン。お前またやる気じゃあるまいな?
アレをうちでの恒例行事にされても困るぞ」
「おやおや、どうしたんだいK先生?
私が淹れようとしてるのは『歓迎の意を込めた紅茶』さ。
そのことに嘘偽りは一切ないよ?」
「では聞くが、それには茶葉以外に何も入ってこないんだろうな?」
「フフ…聞きたいかい?つい先日完成した記憶力アップの薬品も入れるよ。
フラボノールとテルペンラクトンで新たに薬効が強いものを見つけてね、
これを摂取すると記憶力に良い影響が出る。勉強中の人間には役立つはずさ」
「…それの副作用は?」
「悪影響は特にないが、右腕全体が赤褐色に発光するくらいだね。
見た目がカッコいいと評判でね、
効能そっちのけでトレセン学園の生徒にも使用されている由緒正しい薬さ」
「良好な効果があっても勝手に投薬するなと言っているだろう!」
Kとアグネスタキオンが言い合いをしている様子を見て、安心沢は麻上に状況を聞いた。
「あの~、K先生はどうしてあんなに怒ってるのぉ?」
「あはは…アグネスタキオンさんって、勝手に投薬することが結構あるんですよね。
譲介くんも最初にやられてましたが…効果は良好なんですけども、
なぜか体の一部が発光する謎の薬品ばかりで。
だから説明なしで摂取すると誰でも尋常じゃないくらい驚きます」
「そ、そうなのね。さすがはウマ娘の肉体の限界、
最高速度のその先まで辿り着かんとしている研究者ウマ娘ね…」
「あ、安心沢さん、タキオンさんのことけっこう詳しいんですね!」
「そりゃ知ってるわよ!見たもの、ファンだもの!
で、まあその、さっきの話ね。応援したいって気持ちで笹針施術をしに行ったんだけど。
思いっきりミスしちゃって、本当申し訳ないことをしたわ」
「あらら…まあ、あまり気にしてなさそうですしもういいんじゃないですか?
私もタキオンさんのファンなので、後でちょっと語りましょうね」
麻上はそう言うと拳を握り、気合が入っている様子だった。
「あ、これ結構マジなやつね?
確かに麻上さんの部屋、タキオンちゃんのグッズとか結構あったわね…」
安心沢は麻上の部屋を思い出した。色々なウマ娘のグッズがあったが、
アグネスタキオンやナリタブライアンのものが特に多かった記憶がある。
安心沢は安心沢で、アグネスタキオンのことを爛々とした瞳で見つめる。
その熱い視線にアグネスタキオンも気づいたようだ。
「随分熱い視線を向けてくれるねぇ。どれ、君の瞳の色は…
っと、意外だな。情熱に燃えるまっすぐな熱い色をしているじゃないか」
「うふふ…笹針はウマ娘専用の秘孔も結構あるけれど…
この村ってウマ娘がいないから。久々に見たウマ娘…あたしの腕が疼くわ…!」
アグネスタキオンが「こいつは本当に大丈夫か?」という意を込めて、Kの方をチラリと向いた。
Kが軽くうなずくと、アグネスタキオンがやれやれと言った表情をする。
「それなら私にやってみるかい?
K先生もいることだし、さすがにもう無様な失敗はしないのだろう?」
「え、いいのぉ!?K先生、タキオンちゃんがこう言ってますけどどうですか!?」
「了承を得ているのなら構わん。俺も見てるからやってみろ」
「やったわ!久々のウマ娘ちゃんへの施術!あたしの成長を見せてやるわ~!」
安心沢はガッツポーズをして大いに喜んでいる様子だった。
その様子を眺めるアグネスタキオンがにやりと笑う。
「ふむ、ところで安心沢君。
世の中は何事もギブアンドテイクという基本事項は知ってるかな?」
「え?まあ、世の基本ではあるわよね」
「理解しているようで安心したよ。では、私はこれから君の被検体になるわけだが…
このギブに対するテイクは何になると思うかな?」
「えっ!?それってもしかすると…!?」
「察しがいいようで何よりだ。君も私の新薬の被検体になってもらおうか」
安心沢は一瞬困惑の表情を浮かべたが、すぐに気合の入った顔に戻った。
「…い、いいわよ!毒でも薬でもぶち込んでちょうだい!」
「クックック、いい返事だねぇ。君もモルモットになる才能がありそうだ」
嬉しそうに笑うアグネスタキオンをKがとがめた。
「その薬と言うのはどういうものだ?変な薬ではあるまいな」
「なあに、あんし~ん☆してくれたまえ。村井君と共同で作ってる薬の一つでね。
そろそろ治験に移る予定のものだから危険なものではないよ」
「そうか…それならいい」
「しかし、ただの不法侵入者としてトレセン学園に出没していたころとはえらい違いだね。
どういう経緯かは知らないが、K先生と出会った時はまともな感じになっていたのかい?」
「いや、俺が見た時も初めはただの不審者だったな。
最初は門前払いしたんだが、心を入れ替えてくれたようなのでな。
アグネスタキオン、君の無断投薬と同じように、他人へ勝手に施術していたらしい。
まあ君も彼女の被害者だったようだが…」
「心外だねぇ、私を昔の安心沢君と一緒にしないでくれないか?
確かに私は勝手に投薬をすることはあるとも。
しかしそれは効果があることがわかっている薬品。
彼女のように効果が不安定なものは勝手にはやらないよ」
「…本当か?」
Kは疑いの目を向けた。
「本当だとも。新しい薬品開発の実験には了承を取っている相手にやるからね。
まあ体に影響のないデータ取りの場合は、勝手にやることもままあるが」
「まあ多少はマシかもしれん。が、同類だな」
「いいのかな、そんなことを言ったらKの一族だって同じだろう。
未認可の薬や機械も必要とあれば使ってきたのだろう?」
「それはその通りだ。だが俺たちは患者の命を第一に考えてやってきた。
アグネスタキオンも、できる限りの安全性を考えてやっていけ」
「勿論さ。我々は可能性の
可能性を信じ、未来を見据えていかなくてはね」
診療所内に安心沢の声が響いた。
「よ~し!伝説の笹針師を目指して、今日も頑張るわよ~!」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
安心沢がKの診療所に入って半年ほど。
村人から安心沢への評判はというと…
「安心沢さん、最近腰が痛くてしゃあないんじゃ。
K先生も単なる腰痛で手術するようなもんではねえっていうから、
練習台がてら、わしに針治療頼むわ」
「あらやだ藤沢さん、またなのぉ?ま、オッケーよ!任せてちょうだい!
えーと、腰痛なら命門と臀天ね。そーれ、ブスッとな☆」
「おお、少し楽になったわ。
しかし刺すときに迷いもないし、ずいぶん上手くなったもんじゃのォ!」
「うふふ、ありがとう。これというのも村のみんなが実験台…もとい、
練習台になってくれたおかげよ!感謝してもしきれないわ」
「ま、初めはK先生もついててくれたからな。
練習台と言ってもあんまり心配せんで済んだわ。
それに美人の頼みは断れんからのォ!」
「もう、お世辞がうまいんだからぁ~。
それじゃあ今後も練習台になってちょうだいね☆」
「へっ、任せておきな!」
その後やってきた女性。
「安心沢さん、いいかしら?ちょっと肩こりがひどくてねえ…」
「あら、藤沢さんの奥さん!さっきまで旦那さんも来てたのよ~!
肩こりなら風池と肩井ね。ブスッと行っときましょう!」
「ありがとう、ん~、効いてるわ!本当上手くなったわねぇ。
いやね、うちの旦那が鼻の下伸ばしながらここにきてるの知っとっるんよ。
大丈夫?セクハラとかされてない?」
「大丈夫大丈夫、旦那さんもおとなしいものですわ。
それにセクハラされたら、私にはこの『針』がありますからね!」
そう言って安心沢は指の間に挟むようにして針を持ち、
某アメリカンヒーローのようなポーズをとった。
「いいわねぇ。もしなんかやってきたらそれで胸を刺して肺に穴をあけなさい。
気胸を起こして行動不能にさせられるわ」
「ワォ、えげつな~い☆」
その後も定期的に客が訪れてきた。
「あら村山さんちの奥さん。今日はどうしました?」
「今日は治療じゃなくて、ちょっと頼みがあってな。
最近うちの父ちゃんが、町に行った時にどうも女遊びしてるみたいなんじゃ。
キャバクラかスナックかわからんが、何しとるか口を割らせる方法知らんか?」
「口を割らせたいのね、それなら解唖門天聴って秘孔がいいわ。
これをブスッとすると意思とは関係なく口を割るようになるの」
「おお、じゃあそれやってくれるか?
今度うちに往診に来た時に針治療のついでにやってほしいんじゃが」
「オッケー任せなさい!とっちめるわよ!!」
その様子を見つめるKと譲介。
「容赦ないな…村山さん無事で済むといいけど。女は怖いスね」
「施術の腕はだいぶ上達してきたのだが使い方がな。
村人の要望とはいえ、もっと医療に役立つ使い方をしてもらいたいものだ」
心を入れ替え、実力をつけた安心沢。
彼女の施術は村人からおおむね好評なのだった。