ジリノフスキが慌てているころ、黒須邸では麻純が周りを警戒しながら縁側に座っていた。
その近くにはライスシャワーの姿もある。
元々は一也の友人である宮坂もここにいたのだが、危険だということで家に帰された。
実は麻純が持っている能力で宮坂から死のイメージを感じ取ったため、
ここにいれば巻き込まれて死ぬと思いかなり強引に追い返したのだった。
同様にライスシャワーのことも追い返したかったのだが、
どれほど説得しても首を縦に振らなかったため仕方なく諦めた。
ライスシャワーに関しては触れても死のイメージが見えたわけではないのだが、
「死なない」ということと「無事」ということはイコールではない。
VXガスを受けて瀕死に陥った一也のように、
死にはしなくても重大なダメージを受ける可能性は否めなかった。
なのでできる限り離れてもらいたいが、ライスシャワーのあまりに強い決意に押され、
最悪でも死にはしないことからひとまず説得を諦めて護衛をしてもらうことにした。
麻純が辺りを見回すと違和感を覚える。
ジリノフスキが派遣してくれた護衛の人間は4人いて、
そのうち1人は宮坂を送るために外へ出ている。
残り3人のうちウマ娘の護衛者の姿はあるが、他の2人の姿が少し前から見えなくなっている。
そう思っていた時、麻純のスマートフォンに連絡が来た。
相手は宮坂を送りに行った護衛者の1人。
乗っていた車が爆発し、危うく命を落とすところだった。
これを仕掛けたのは護衛者の誰か、中に裏切り者がいるはず…と。
そうなるとこの状況、その裏切り者が誰かは明白であった。
「ライスさん、ちょっと来てくれるかしら」
「はい、なんですか?」
麻純はライスシャワーを呼ぶと小さい声で状況を耳打ちする。
それを聞いたライスシャワーは驚いて目を見開き、残っていた護衛者のことを睨みつけた。
そして麻純はその護衛者に声をかける。
「1つお聞きして良いですか?護衛の方は3人いたはず。
しかし先ほどから他の2人が見当たらないのですが…
もしかしたら、あなたの仕業かしら?」
その言葉を受け、護衛者が麻純の方を向く。
「気づいていたのですか…。ならもう隠す必要はありませんね」
護衛者のうちの1人は命の番人の思想に染まる、テロリストの一員だったのだ。
「私は命の番人の使徒。我々の目的は黒須一也の粛清だ…
しかし、全てを納得尽くで彼を出産したお前は偽りのマリア!
同罪のお前にも死んでもらう!」
「死んでもらう…ね。じゃあ姿の見えない2人は…」
「当然、彼らも死んでもらったよ。悪しき思想に蝕まれ、我々の邪魔をする悪人だからね」
その時、ドンッと大きな音が響く。
音の方を見ると、ライスシャワーが力を込めて縁台に拳を叩き付けたらしく、穴が開いている。
「あの人たちを殺したの!?あなたたち護衛の人はみんなジリノフスキさんの部下なんでしょ…
仲間だったんじゃないの!?」
「ハッ、仲間?笑わせないでよね。
あいつらは神に背いて遺伝子操作やクローン研究を行う罪人だ。私と仲間なわけがないでしょ。
むしろ罪を償わせるために天に登らせてやったんだから感謝してほしいくらいね」
「そんな理由で…!?勝手すぎる…!!
そもそもどうして一也さんを襲うの!?ロシアの研究グループとなんて関係ないでしょ!?」
ライスシャワーがそう言うと、テロリストは少し意外そうな顔をした。
それと同時に麻純もハッとした表情になる。
「おや、まさかお前は黒須一也の正体を知らないのか?
そうか、黒須麻純に教えてもらえなかったのか。信用されてないんだなァ?」
「一也さんの正体…って…?」
麻純が観念したような表情で言う。
「隠していてごめんなさい、ライスさん。あの子は…一也は普通の人間じゃないの。
クローンなのよ。先代のドクターK…西城KAZUYAさんのクローンなの。
この人たちはその存在を認めないと言って襲ってきているのよ」
麻純の告白に狼狽するライスシャワー。
「クローン…!?一也さんが!?嘘でしょ…ヒトのクローンなんて聞いたことないよ…?」
「だから罪深いのさ!西城KAZUYAの叔父が生み出した、許されざる人間のクローン!
そんなものは倫理的に許されぬものだと、素人のお前にもわかるんじゃないのか!?
気付かれなければライスシャワーも排除してから黒須麻純を粛清するつもりだったが…
お前だけは本当に無関係の人間だからな。どうだライスシャワー?
お前が命の番人の理念を理解し、協力するというのなら殺しはしない。
西城KAZUYAの偽物を粛清し、世界を真の姿に近づける協力をしないか?」
テロリストがそう言うと、ライスシャワーが顔を上げた。
その顔には激しい決意が宿っており、全身から黒いオーラが迸り、双眸には青い炎が燃え上がる。
その答えに一切の迷いはなかった。
「お断りだよ。クローンがどうかなんて関係ない。
一也さんは一也さん、私の友達だ。偽物なんかじゃない!!
私の友達を傷つけさせたりするもんか…!!」
「ふん、まあどうせそう答えるだろうと思っていたよ。
我々を否定し、黒須一也を庇うというのならお前も晴れて我々の敵。
黒須麻純と共に、その連中のように命で罪を償ってもらう…」
テロリストがそう言いながら右手を懐に入れ、ちらりと遠くの倉庫に視線を向けた。
恐らくは始末したという2人の護衛者の遺体が仕舞ってある場所なのだろう。
しかしそのために視線を外した瞬間、
ライスシャワーが目にもとまらぬ速さでテロリストに接近した。
そして渾身の力を込めてテロリストの右手を蹴り上げる。
激しい打撃音と共に右手が弾かれ、テロリストが手にしていた何かも吹き飛ばされた。
鈍い音を立てながら麻純の付近に落下したそれは、
アグネスタキオンから警告されていた拳銃だった。
テロリストは手を蹴り上げられた勢いで後方に少し吹き飛び、側転して受け身を取る。
しかし蹴られた右手を地面についたとき、かなりの激痛が走った。
「ぐっ!?痛ったァ…!こ、こいつ…!」
テロリストは丸腰のライスシャワーたちと違い銃を持っており、
その優位から相手を『獲物』、己を『狩猟者』だという認識をしていた。
だがその油断によって隙を作り、愚かにもその銃を手放すことになってしまったのだった。
さらにライスシャワーの渾身の蹴りを受け右手が激しく痛む。
テロリストもウマ娘であるためさすがに頑丈であり、
骨が粉々に砕けたということは無いようだったが、
相当の痛みがあるため仮に銃を持っていたとしてもまともに扱えるかは疑問の状態だった。
「タキオンさんが言ってた通りだ…本当に銃なんて持ってるんだね…!」
ライスシャワーは内心で「咄嗟に動けて良かった」と思いながら冷や汗を垂らした。
テロリストが危険な集団であることは重々承知していたが、
日常からはあまりに程遠い状況であるためどこかで甘く考えているところがあった。
しかし本物の銃を見て意識が変わる。
このテロリストに対しては甘さも迷いもあってはならない、と。
ライスシャワーに蹴り飛ばされて落下した銃を麻純が拾い、テロリストへと銃口を向ける。
「くそ…銃を奪われたか…!だがお前に人を撃つことができるのか!?」
麻純は人を殺したりはしない、そう確信しているテロリストは挑発的にそう言った。
「たしかに…私はあなたを撃つことはできない。でも…」
麻純がそう言って銃をカシャカシャと弄る。
すると瞬く間に銃が分解され、銃だったものはただの鉄屑へと変わった。
「これであなたも人を撃つことはできない」
「フィールドストリッピング…!?く、この魔女め…!」
テロリストは自分の不利を理解し、どうするべきかを考える。
(くそ、油断してしまった…!思い切り蹴り飛ばしやがって…
まだ右手がひどく痛む、どうする…!?)
銃以外にも他に武器を持ってはいるが、今は効き手にダメージがあるため有効ではない。
そもそもこのテロリストは元々が医療関係者であるため戦闘のプロではなかった。
そのため銃が最も重要な武器だったのだ。
ウマ娘なのである程度鍛えれば十分に動けるため護衛者の立場になれたが、
利き手が痛む今では戦闘能力はかなり劣るだろう。
相手にもウマ娘であるライスシャワーがいるので、力づくではどうにもならなさそうだ。
差し違える覚悟で攻めればライスシャワーのことは倒せるだろうが、
そうなると肝心の黒須麻純のことを粛清できなくなってしまう。
一方でライスシャワーもどうしたものかと攻めあぐねていた。
元来暴力的なこととは縁遠い性格であるため、この状況に対する決定打を持っていない。
(どうしよう…こんなことになるなんて思ってなかった。
私は暴漢を制圧できるような技術はないし…相手もウマ娘だから力で抑えるのも難しい。
私は黒須さんを守るためにここに来ているから、
本当なら襲ってきた人を抑えるのは護衛の人たちの予定だったからなぁ…
手足や内臓を壊せば動けなくなるだろうけど、そこまで乱暴なことはしたくない。
タキオンさんから聞いた、援軍に来てくれるっていう和久井さんはまだいない。
もうすぐ到着するとは思うけど…それなら)
ライスシャワーの顔がギュッと引き締まり、テロリストに声をかけた。
「教団の信者さん。あなた、名前は?」
「名前?なんで教える必要が…といってもジリノフスキ達には知られてるからまあいいか。
私の名は『マルシュルト』。ロシア語で『道』を意味する言葉だ。
この名も私が神の使途として正しき道を歩んでいることの証明だな」
【マルシュルト】
ロシア出身のウマ娘。
ジリノフスキの部下として麻純の護衛に当たっていたが、実は命の番人から遣わされた内通者。
元は若き医療従事者だったが、勤務して間もなく関わった複数の患者が奮闘むなしく死亡。
さらにその直後に親が病気になり、治療に参加して様々な治療を施すも効果は芳しくなく、
結局は苦しみを訴えながら亡くなってしまう。
そこから医学の無力さと不信感を募らせ、
人が死亡するのは神の定めた運命だとして自分を納得させようとする。
その後考えが近かった命の番人に入信し、さらに極端な思考へと変わっていった。
ジリノフスキの組織には元々スパイとして潜入しており、
知りえた情報を教団に明け渡したことで一連のテロが始まることとなった。
最初のテロで死亡しなかった生存者数人のうちの1人が彼女だが、
それは内通者であるため被害を受けないよう準備をしていたからである。
「そう…マルシュルトさんね。
知ってるだろうけど私はライスシャワー、祝福のセレモニーの名前だよ。
私もあなたもウマ娘だし、レースで勝負しよう」
「はあ?レース?」
「そう。このお屋敷すごく広いから外側を走れば1周400mくらいあるよ。
周る回数を決めれば短距離でも長距離でもぴったり」
「なんで私がそんなのに付き合う必要が?私はお前たちを粛清したいだけだ」
「負けるのが怖いの?」
「…なんだと?」
「あのね、私はあなたのことを止めたいけれど、
そういう技術がないから止めるためには『あなたの体を壊す』しかない。
でもそういうことはできればしたくないし、あなただって嫌でしょ?
だからレースで勝負したいの。私が勝ったら、あなたには大人しく自首してもらう」
マルシュルトはライスシャワーの提案に少し驚いたが、状況的にちょうどいいと考えた。
先ほど受けたライスシャワーの蹴りの威力は相当で、
言う通り体を破壊する気で来られたら防御しても耐えきれないかもしれない。
自分は銃もなければ利き手もあまり動かない、
せめて手が動かせるようになるまで時間を稼ぎたい。
だがこの状態では少し難しい、どうしたものかと思っていたところだ。
「へーえ、じゃあ私が勝ったらお前は何してくれるんだ?」
「その時は…私を殺せばいい。抵抗はしないから」
マルシュルトはにやりと笑い、麻純のことを指さした。
「いいや、それじゃ足りないな。
お前が負けたらライスシャワー、お前が黒須麻純を殺せ」
「えっ…!」
ライスシャワーが驚いて麻純の方を見る。
「私はお前たち2人を両方殺すつもりなんだ、ただ死んでもらうだけじゃ意味ないだろ。
だからお前が負けたら、お前たちの罪を反省しながら、自らの手でその魔女を粛清しろ。
それが罪を償うってことだ」
「そんな…私に人を殺すことなんて…」
ライスシャワーがそう言いながら麻純に目配せをし、麻純がそれに答えた。
「大丈夫よライスさん。私はあなたに命を守ってもらっている立場。
あなたに重荷を背負わせることはしないわ。
もしあなたが負けたらその時は即座に自害します」
「そんな…!それだって私が黒須さんを殺したようなものだよ…!」
「でもあなたが手をかけるよりはいいでしょう?
それに私は信じていますから。ライスさんが必ず勝つと」
「黒須さん…」
2人のやり取りを見てマルシュルトが笑う。
「ハハッ、思い切り私の要求を無視しようとしてるじゃないか。
私は『お前がその手で殺せ』と言ったんだぞ?
まあ…魔女が罪を背負って自害するのならそれでも許してやるか」
ライスシャワーがマルシュルトを睨みつける。
かつてないほど膨れ上がる怒りと決意の感情は、
自己の存在の全てを賭け、体に鬼が宿ると評された、
メジロマックイーンを破ったあの春の天皇賞の覚悟にも匹敵するほどだ。
「魔女、魔女ってうるさいな…。
いいよ、じゃあ勝負だね。距離はどうする?」
「あんまりグダグダやってても仕方ない。
4周で1600m、マイルの距離にしよう。それなら2分もかからないからな。異論はあるか?」
マルシュルトはレースに出るようなウマ娘ではなかったが、
認識している得意距離はマイルと中距離だった。
ライスシャワーの得意距離は中距離と長距離であり、
マルシュルトは少し前にライスシャワーの情報を調べた際に知ったためマイルを選んだ。
ライスシャワーにとっては少し苦手な距離だが、特に異論もなく了承された。
「いいよそれで。じゃあ…合図は黒須さんにお願いします」
「わかりました」
ライスシャワーとマルシュルトが少し距離を離れて並び、麻純の合図を待つ。
「マルシュルトさん、ちゃんと約束は守ってよね」
「ああ当然だ。そっちこそ守れよ」
マルシュルトはそう言いながら内心では舌を出していた。
彼女は最初から約束など守るつもりは毛頭ないのだ。
(バカめ、なんて甘い奴だ。そんな約束守るわけがないだろう、これはただの時間稼ぎ。
これでお前の体力を削り、私の手が回復したらそのまま黒須麻純を殺しに行ってやる。
だがどうせならこのレースで叩き潰し、ライスシャワーの精神を折ってやりたいな
ライスシャワーは現役を引退して久しいウマ娘、それほどの実力はもうないはずだ)
それにライスシャワーが負けた時も、素直に麻純が死ぬとは思っていなかった。
何か言い訳をしたり命乞いをしたりするだろうが、その際の動揺を突けば簡単に殺せるだろう。
銃は失ったが、まだ懐にサバイバルナイフを携えている。
ライスシャワーさえいなくなれば麻純の粛清に障害はなくなるのだ。
2人が出走の姿勢を取ると、麻純が手を叩き合図をした。
「それでは…スタート!」
「よし!」
「ハァッ!」
合図の瞬間からよどみなくスタートする2人。
マルシュルトは先行策、ライスシャワーは差しの姿勢だった。
(マルシュルトさん結構速い。偽物とはいえ護衛者してるだけはあるね…)
(ライスシャワーは差しか、逃げだったら後ろから体当たりでもしてやろうと思ったが)
走り始めて十秒ほどで、マルシュルトが違和感を覚えた。
(なんだ…足音が私の物しか聞こえない…?いや違うな、後方から微かに別なものが聞こえる。
ライスシャワーのタイミングが私とほぼ同じだけか…)
しかしそのまま走り続けていても、それがずっと変わらない状態が続いた。
流石にこれは偶然ではないと気付く。
ライスシャワーは意図的にマルシュルトの歩幅に合わせ、一定距離を保ちながら走っていた。
(マルシュルトさんに、ついてくついてく…)
(なんだこいつ、挑発してるのか!?だったらもっとスピードを上げてやる!
お前なんか置き去りにしてやるよ!!)
マルシュルトがライスシャワーを引き離すべく加速をする。
開始したその一瞬はライスシャワーとの距離を広げるも、
しかしすぐにライスシャワーも加速して追いつき、また同じ距離間を同じ歩幅で走る。
付かず離れずに追走する様、それは
(またか!?ライスシャワー…!こいつふざけやがって…!
だがこれならお前の仕掛けるタイミングも簡単にわかる!
私もお前の足音を聞いている、それに合わせる限り常に私が先にいるままだ。
足音が私と交わらなくなった瞬間、それに対応すればいい!)
そうして残り距離が半分弱となったあたりでライスシャワーが仕掛けた。
しかし静かで緩やかに始まったそれは、
仕掛けられた方でもわからないほどのゆっくりとしたものだった。
(あと残りは半分くらい、ここから仕掛ける。私が絶対に勝つ!)
ライスシャワーはほんの少しずつペースを速めた。
マルシュルトはライスシャワーの足音を意識していたため、それに自分の走りを合わせる。
そしてまた少しペースを速め、マルシュルトがまた合わせる。
ほんの少しずつの調整にマルシュルトはペースが速くなっていることに気づかなかった。
レースを経験していない彼女では、自分の走りを貫くのではなく、
他人の走りに合わせることの不安定さを理解していないのだ。
そして残り200m、ここでライスシャワーが本格的にスパートをかけた。
迫る足音に対してマルシュルトも負けじとペースを上げようとするが、
自分で思っていたほどのスピードが出ない。
ライスシャワーの挑発と戦略、その能力により、
先行脚質のマルシュルトはかなり消耗させられていたからだ。
※先行駆け引き・先行焦り・先行けん制・かく乱発動
「くそっ…足が重い…!なんでだ!?こいつの挑発でペースを乱されたか…!?」
「どうやらそこまでみたいだね。なら私の勝ちだ!!」
残り100m弱、後方から迫りマルシュルトを追い抜いたライスシャワーは、
そのまま強い意思を込めた脚で速度を上げる。
勝負服に込めた思いは引退した今でも色褪せていない。
ブルーローズチェイサーの能力をふんだんに発揮し、
マルシュルトへ3バ身の差をつけてゴールした。
「1着、ライスシャワー!ライスさんの勝ちね!」
レースを見届け、結果を告げる麻純。
マルシュルトは肩で息をしながらうずくまっていた。
想定以上に本気で走ってしまったため、右手のダメージもろくに回復していないし、
自分の体力も消耗してしまっている。
「ハア…ハア…く、くそがァ…!」
「マルシュルトさん、私の勝ちだね。
まあ同じウマ娘と言っても、レースの世界で生きていないあなたではこんなものだよ」
うずくまるマルシュルトにライスシャワーが近づく。
瞳には激しい炎が立ち上っているが、その視線はあくまで冷ややかだった。
「それじゃあ、約束通り自首してもらうね」
「…ああ、わかってるよ。チッ、手錠でも縄でもいいから私のこと縛れよ」
マルシュルトはそう言って両腕を差し出した。
どうするかと考えるライスシャワーに、麻純が邸内から縄を渡してくれた。
ライスシャワーはそれを持ってマルシュルトへと近づく。
「それじゃ、縛るよ」
「ああ、頼む。
…なァんてな!!!死ね!!!」
ライスシャワーが接近した瞬間、マルシュルトは左手を懐に突っ込み、
携えていたサバイバルナイフを取り出した。
そしてライスシャワーを殺すべく斬りかかる。
しかしマルシュルトが手を動かした瞬間、ライスシャワーは即座に縄を手放す。
さらに腰に佩かれた短剣を取り、
マルシュルトの取り出したサバイバルナイフを凄まじい力で叩き落した。
ライスシャワーの勝負服にある短剣は危険の無いよう刃は潰されているものの、
材質は本物なので鈍器としての性能は相応にある。
マルシュルトのサバイバルナイフは根元からへし折れ、
刃だけが金属音を立てて遠くへ飛んで行った。
さらにマルシュルトは利き手ではない腕を使っていたためあまり態勢が良くなく、
反撃を変に受けてしまい左手も捻ってダメージを受けてしまった。
「なっ…!?、不意打ちになぜそんな反応ができる!?」
「不意打ち…?何を言ってるの?」
「なに…お前まさか元から私がこうすると思っていたのか!?」
ライスシャワーは冷たい視線でマルシュルトを睨みつけた。
「もちろん。あなたが素直に約束を守るなんて思うわけないでしょ。
平気で人を殺せるようなテロリストがさ…。
私もね、もう子供じゃないし色々な経験をしてきたから…
世界にいるのは優しい人ばかりじゃないってわかってるんだ」
「だったらさっきのレースはなぜ…私を消耗させるためか!?」
「そうだよ、まんまと挑発に乗ってかなり体力を使ってくれたみたいだね。
負けるのが怖いとか言われて腹が立ったでしょ?
おちょくられた走り方をされて腹が立ったでしょ?勝ちたいって思っちゃったよね?
どうせ約束を守るつもりはないんだから本気でやらなくてよかったのにね。
それとあなたは私がステイヤーって知ってたね?
だからマイルの距離にしたんだろうけど、私はマイルもそれなりに走れるんだ。
私はステイヤーだからマイルを走ったくらいじゃまだまだスタミナが残ってるけどね。
私と違ってマイルでも疲れているあなたなら、私が押さえつけることもできそうだね」
「くそ…レースは茶番だったのか…!だったらお前が負けたとしても…」
「当然約束を守るつもりなんてないよ。私はあなたを消耗させたかっただけ。
そもそも『レースに負けたら死ね、殺せ』なんてバカげた約束守ってもらえるなんて思ったの?
随分と人を信じやすいみたい。純粋なんだね」
マルシュルトは最初自分がライスシャワーに対して思っていたことを逆に言われ、
怒りと羞恥心で激高し、また襲い掛かろうとする。
その瞬間、マルシュルトの背後から1人の男が出現した。
Kから話を聞いて援護にやってきた、和久井譲介だ。
彼はライスシャワーらのレースの中盤辺りで到着していたが、
なぜレースをしてるのかよくわからなかったため潜んで状況の観察をしていた。
「よくやったライスシャワー、僕に任せろ!」
「なっ!なんだお前は!?」
突如現れた譲介を迎え撃つマルシュルトだが、体力を消耗していた上、
両手ともダメージを負っているため格闘の切れ味はかなり鈍い。
譲介に殴りかかるも簡単に回避され、
さらに譲介はマルシュルトの顔に催涙スプレーをかけ目つぶしをする。
悶えるマルシュルトへ、さらに暴徒鎮圧用のスタンガンを直撃。
電気ショックを受けたマルシュルトは悲鳴を上げながらその場に倒れた。
「ぐああああっ!!…うあ…ぁ…」
「対ウマ娘用の最大出力の電撃だ、消耗もしてるあんたではもう動けないだろ。
2人ともお怪我はありませんか?僕は…」
譲介が自己紹介をしようとするが、麻純もライスシャワーも彼のことは知っていた。
「知ってるわ。N県T村の一也のお友達…和久井くんね」
「私もタキオンさんから一也さんのお友達が援護に来てくれるって聞いてたよ。
和久井さん、助けてくれてありがとう」
「え…」
譲介は自分が「一也の友達」として紹介されていたことに戸惑った。
一也は自分にとっては仲間でライバルだが、友達なんて緩い関係とは違うんじゃないか?
とはいえあまり悪い気もしないのだった。
「ふう…この屋敷に来た刺客はこいつだけですか?
それとライスシャワーさん以外の護衛の人は?」
「ほかの護衛の方は宮坂さんを送りに行った1人だけよ。
本当は屋敷内に3人の護衛がいたのだけど、
そのうち1人が内通者でこのテロリスト、他の2人は殺されてしまったわ」
「そうでしたか、それは何とも…。
まあ他に敵がいないならこいつを拘束しておけば終わりですね。
ライスシャワーさんがこいつを消耗させてくれて助かりましたよ。
こっちも武器があるとはいえ、格闘できるウマ娘相手だと割と危険なのでね」
「こっちこそ助けてくれてありがとう。
私はそういう武器もないし格闘術もないからどうやって止めればいいかなって悩んでたの。
とりあえず体力を消耗させれば力で抑えられるかもだし、
和久井さんが援護に来てくれるって話だったから、期待して時間稼ぎも兼ねてレース勝負をね」
ライスシャワーは先ほど放り投げた縄を拾ってマルシュルトを縛り始めた。
体力の消耗、両手の負傷、そしてスタンガンの電撃を受けた彼女に抵抗する力はもうない。
「ライスシャワー…お前…勝負だとか…約束だとか言っておいて…何もかもが茶番だったとはな…
虫も殺せなさそうな顔をしといて…随分えげつないウマ娘だ…
勝負服に武器まで載せやがって…その暴力性、神に背く魔女の仲間だけはある…」
マルシュルトが負け惜しみを言っていたが、それが自分の勝負服に及んだ時、
ライスシャワーの髪が怒りでざわめいた。
縛る手に力がこもり、マルシュルトが苦しそうに呻く。
「暴力性だって…!?あなたみたいなテロリストにそんなこと言われたくない!
私の勝負服は私とトレーナーさんとファンの人たちの願いを込めたもの!
この短剣は絶望を払い、未来を切り開くという思いを込めたものなんだよ!
あなたたちだって元はお医者さんだって聞いてる…
お医者さんの使う刃物も同じように未来を目指すためのもののはずなのに!
なのにあなたたちはそれを人殺しのために使ってるんだ…!
暴力的なのはあなたたちの方だ!!もう黙ってて!!」
マルシュルトは全身を縄でぐるぐる巻きに縛られ、
さらに麻袋をかぶせてた上からもう一度縛られた。
激怒したライスシャワーが彼女へ猿轡まではめたため、
地を這う芋虫どころか蛹のように何一つ身動きできない状態となった。
譲介はライスシャワーの様子を見ていたが、
拘束にしてもだいぶきつめの縛り方だが死ぬことはなさそうなので放っておいた。
テロリスト相手では少し苦しい方が罰になっていいだろう。
譲介はあまり悠長にしていられない状況を伝え、一也の元へと移動することを提案した。
「ここのテロリストはそれで大丈夫そうですね。
急ぎましょう、一也の所へ!」
「あの、このテロリストの人は放っておいて大丈夫ですか?
もし何かの拍子に抜けだされたら危険だと思うんです」
「確かにそうね。
宮坂さんを送りに行った人がもうすぐこちらに戻ってきてくれるようなので、
その人に引き渡しましょうか」
しかし譲介は焦り気味の表情で言う。
「あまり待っている余裕はないですよ、一也の所にまだテロリストが向かっているはずです」
「それなら…私がこの人のことを見てるから、
黒須さんと和久井さんは一也さんの所に行ってください。
ウマ娘の私なら万一この人が力任せに暴れても抑えられますし。
引き渡しが終わったら私も一也さんの所に向かいます」
「ライスシャワーさん…わかりました。
念のためこの催涙スプレーとスタンガンを渡しておくから何かあったら使ってください」
「引き渡してくれるのは有り難いわ、お願いするわね。
でもライスさんはそれでもう大丈夫よ、これ以上あなたを危険に晒したくないの」
「いえ、私も一也さんを助けたいですから行きます。
一也さんはどこにいるんですか?」
「仕方ないわね…。一也は『西城総合病院』にいるわ」
「わかりました、私も後で向かいます!」
麻純としてはライスシャワーをこれ以上巻き込みたくはないのだが、
全く引こうとしない姿を見て諦めた。
そもそもこの防衛戦に加わっていること自体が彼女を説得できなかった結果なので、
自分たちについてくるのは当たり前の流れではある。
押し問答している時間も惜しいのでここは受け入れることにしたのだった。