遠い遠い昔、ある夜のことです。
『貴方、愛を知っていても恋を知らないのね』
月の女神は目の前の怪物に声をかけました。
彼女の腕には薄緑の産毛が生えた赤子がいます。慈愛に満ちた顔で女神は抱いています。
『...同じものだろう?』
やはり怪物にはわかりません。独りぼっちの怪物には、その感情を向ける相手はいないんです。
女神は首を振って否定します。
『全然違うわよ! いい?愛は与えるもの、受け取るものだけど、恋はその、ええっと、胸がこう、ぎゅー、と締め付けられるの!』
『...痛いのは嫌だなあ』
『比喩よ比喩...貴方ずっと一人でしょう?だから相手を見つけた方がいいんじゃないかなって』
『別にいい。一人の方が気楽だし、人間と居るくらいなら動物達と戯れた方がよっぽど有意義だ』
ムッと頬を膨らませる女神。
『じゃあこの子をお世話してどうだった? 少しは考えも変わったんじゃない?』
女神は今日一日、怪物に赤子の世話を任せていました。彼が四苦八苦する様子を空から眺めていたのです。
『いい迷惑だった...だいたい、子供は嫌いなんだ。すぐ喚くし、ワガママだし、食べ甲斐もない貧弱な生き物だ』
顔を顰めて答えます。
それをニヤニヤと笑いながら、
『え〜、その割には楽しそうだったけど?』と女神。
『...』それを無言で返す怪物。
楽しそうに女神は笑います。
他の神様は分かりませんが、月の女神は怪物に対して怨みを抱いていません。むしろ感謝しているのです。
『愛だの、恋だの、人間みたいなこと言うじゃないか』
『ええ、貴方が壊してくれたおかげよ。おかげでわたし愛を知れたの』
『...そう、そりゃよかったね。もう少し喰っとくんだった』
怪物は神様たちのことが嫌いです。
月の女神はともかく、他の神たちは怪物のことを恨み、蔑み、奪われた権能を取り返そうとしてきます。この女神が特別、壊れているだけなのです。
『もういいだろ? その赤子を連れて消えてくれ。恋だとか、愛だとか、いらない感情を植え付けようとしないでくれ...他人から向けられる好意ほど気持ち悪いものはないんだから』
人間として生きようとしても上手くいかない。怪物としても生きれない。彼は独りぼっちになりました。
『そっ...じゃあ行くわね』
女神は優しく赤ん坊を抱きしめ怪物の元を離れます。
『そうだ、この子の名前知ってる?』
怪物は答えません。
どうせ会うことなどないのです。既に記憶から赤子の顔は消しました。無駄なことをいちいち覚えていてもしょうがないから。
『この子の名前は、——————』
アタランテの供給不足。
今年こそは水着を!