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平井城を攻囲していた伊勢家の精鋭部隊は目標を変えた。
上野先手衆を蹴散らした越後の部隊を叩き潰すためだ。敗退した山内上杉の部隊を含めても僅か五千、しかしそれでもなお主将たる北条綱成は慢心してなど無かった。生き残った先手衆より情報を聞き出し、越後の部隊が首を獲らずに戦うだけの狂戦士の集団だと知って居たのである。
ゆえに伊勢家側も首は取らず、数人で一人を倒せ、魔法を使える者は最大限に使用して攻め潰せと八千の軍勢をぶつけたのだが……。
「お味方、徐々に打ち崩されております!」
「どの御方が生き残っておられるのか、もはや判別不能!」
普段ならば、どんなに被害が酷くても倒された者の名前を挙げるだろう。
国人たちの名前が読み上げられ、数人くらいでは収まらずに率いていた豪族やその同僚となる将の名前すら上がる事もある。だが、この日は違った。まるで生き残って居る者の方が少ないかの様ではないか。旗持ちも誰も彼も殺されてしまったかのように。
「落ち着け。先ほどまでは互角であったろうに」
「それに奴らの中には箕輪勢も居るはずだ」
「連中は我らと変わらんし、傷ついているはずだぞ」
「そ、それが……奴らは息も吐かずに攻め立てるかのように、そのまま押し切りまして……」
当初、戦いが互角であった事も混乱に拍車をかけた。
いかに屈強の敵であろうとも、付与魔法を掛け戦技を精神力の限り駆使すれば戦えない相手などまずいないのだ。例え一回り強力な相手でも、防御に徹すれば相手が息切れするまで守り切れないという事は滅多にないのである。
「何が起こった。越後の蛮族はそれほどだと言うのか」
「まさか! 一隊を回して奴らが守備に派遣した揚北衆と戦った事もあり申す」
「確かに強かったですが、これほどまでに差が出るようなほどではありませなんだ」
当然ながら事前の情報収集は可能な限り行っていた。
以前より派遣されていた越後の豪族たちと戦う事で、その戦いぶりを観察した者も居たのだ。これほどまでに一方的な戦いになるはずがないではないか。
ここで兵の質や士気について説明しよう。よく信長の尾張兵は弱兵だと言うが少し違う。
何処の兵士も基本的に同じであり、同じ人間である以上は可能な事は同じなのである。徴兵された雑兵と専門的な兵士の差など、一回殴ったら士気が崩れて逃げ出すか、負傷が許容できなくなるまで戦うかの差でしかない。一向宗が恐ろしいというのは、寺を守るための防衛戦であれば例え死ぬとしても戦い続ける狂信ぶりの発露でしかなかった。その事を考えれば、今回のこと自体は異常と言うほかはない。
「武田から送られてきた情報では三千ほどということだが、実は二万はおったとか?」
「それを隠し切れるはずもあるまいに。風魔衆が確認しておるわ」
「越後の豪族は信濃に大半が送られ、武田と睨みおうておるのは確かであるとか」
「武田の小僧は親切風を吹かせておったそうですが、我らに越後勢を脅かせてもらいたいとの欲があったのは確かなはず」
伊勢家が一連の戦で大攻勢を掛けたのは、武田家からの情報も影響していた。
武田晴信は飛騨での交渉後、情報の『殆ど』をそのまま流して伝えたのだ。もちろん伊勢家側も鵜呑みにする筈も無く、韋駄天の呪文以外に鳥使いや山彦使いなど、様々な諜報役を送って確かめたのである。そして長尾家が援軍をこれ以上送れないと判断して、懇切丁寧に上野国人衆を寝返らせたのだが……。
そんな時、前線より確かな一方が舞い込んだのは綱成にもまだ武運が残って居たのであろう。
『兄……あに、じゃ。きこ、えるか。あに……』
「む? 勝広か! 生きておったのは重畳! 何が起きた!」
「おお! 生きておられたとは……」
「……貴重な情報ですぞ。此処は静かに」
史実と違って、この世界の北条綱成と福島勝広は双子である。
そして双子の間だけで通じるテレパシーを持っており、武将メインの綱成と武芸者メインの勝広が共同作戦を取り、互いに相手を入れ替えたり上泉信綱の様な強敵相手には逃げ回る事でこれまでか勝利を続けて来たのである。例え越後勢が伝え聞く狂戦士揃いとしても、容易く敗北するなど考えられなかった。
『まるで、神州無敵と、戦っている、みたいだった』
「なんの事だ? しんしゅうむてき? オミシャグチでも召喚したのか?」
「それとも吉備津彦様でも顕現されたのか? まったく意味が分からんぞ勝弘!」
『何度もたたかった、かみ泉の剣が受けきれなかった。び、しゃ、もんて……ン……おそる……べし』
テレパシーとはいえ、考えている事が全て伝わるわけではない。
見た光景を飛ばすには力が居るし、普段は言葉を主体に会話を交わしている。それにそもそも、相手の軍隊が相対的に強化されているのだ。仮にビジョンを送られていたとしても、綱成が判別するのは難しかったであろう。
そして……テレパシーはそこで途切れてしまう。
(くっ……ここまでか。生きておるにしても、あの様子では無事ではおるまい)
(だが勝弘のくれた情報、無駄には出来ぬ。だが、何が起きたのが?)
(理解したとして、諸将にどう説明する? ……仕方あるまい。ここは見切ろう)
(損切りして撤退すべきだ。これ以上、不可解な相手に大切な部下を殺す訳にはいはいかぬ。そのためには全然を見殺しにする他あるまいな)
綱成は武勇の将であるが愚か者ではない。
数少ない情報でまともに戦える状態ではないし、ここで勝ち切れるとも過信して居なかった。仮に勝利できたとしても『部下の大半が死にました』では笑い話にはならないだろう。だが損切りするのであれば、助かって居るかもしれない弟を見殺しにする必要があった。
「我らの勝ちぞ! 彼奴等は箕輪勢をすり潰すつもりで禁呪でも使ったのであろう」
「この戦いには敗北するやもしれぬ。だがここで撤退し、諸将の大半を生き残らせれば我らの勝ちよ!」
「忠臣である箕輪勢に背かれ、生き残りをすり潰した上杉などもはや誰も管領などとは認めまい」
「全軍を斜めに突撃させよ! 東上野へ走り抜けて脱出する! それだけで我らが勝利ぞ!」
綱成はここで花も実もある嘘を吐いた。逃げると言って誰が奮戦しようか。
ゆえに相手の一角を打ち崩し、強行突破して武蔵に戻るように命令したのである。グズグズしてはこちらの前線を打ち崩した越後勢がやってきてしまうではないか。
「「ははあ!」」
「よろしい! この戦い勝ったぞ!」
「走れ走れ! 勝った勝った!」
「「勝った勝った!!」
諸将もその苦しい嘘をあえて呑み込んだ。ここで反論して何に成ろう。
それに脱出の為の戦いとは言うが、消耗戦に持ち込めるならば相手を本当に打ち崩す可能性だってある。そして後方に逃げ出す場合が本当に良いとは限らないのだ。何しろ古代には、偽りの撤退を信じ込んだ雑兵が総崩れになって壊滅した例もあるほどである。そして戦いにはどんな苦戦の時も、『勝った勝った』と豪語して戦い抜く綱成がいた。だからこそ、彼らもまた勝利を信じて前方へと脱出を始めたのであった。
そしてこの判断が綱成たちを救った。
景虎は傷付いた箕輪勢を、援軍が来ない筈の東上野側に配置していたのだ。そのまま箕輪勢が打ち崩され、すり減らしたことで、後日に言い訳できるだけの戦果を発揮できたことになる。八千の兵士が五千と戦って、半数以上を討ち取られる被害を出しながらも、かろうじて伊勢家の諸将は脱出に成功したのであった。
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武将としての勘を信じ、ただちに撤退を始めたことで伊勢家の軍勢は生き延びだ。
撤退戦での死亡者を含め、半数以上が討ち取られる大惨敗である。だが伊勢家は武蔵をほぼ手中に収めつつあり、もし来年であれば二万以上の兵を動員できたはずだ。手痛い反撃を受けたからと言って引くのか、それとも更に一戦を覚悟するのかで話が変わって来る。
ゆえにこの戦いの功労者は綱成であり、大戦犯は武田晴信であろう。
「撤退しろと!? 勝てぬと申すか?」
「殿。……あれは尋常の者共ではありませぬ」
「例え”地黄八幡”だけではなく五色が揃っていたとして、残らず討ち死にいたしましょう」
「それほどか……」
北条左京大夫氏康は綱成からの報告を受けて驚愕しそうになった。
もし伊勢家最強と言われる綱成以外の言葉であれば、怒るどころか一笑に付したか正気を疑ったであろう。それほどまでに綱成は信頼されて居るし、養子でありながら一時期は氏康よりも上に置くべしなどという時もあったほどである。
「信じられぬ。それに平井城を囲んでおった者も含めまだ兵はおるぞ」
「風見鶏である豪族共など信じられぬが、武蔵の併呑に回した者共を合わせれば……」
「彼奴等は当世の武士ではござらぬ。敵を殺すためだけの『もののふ』、鎌倉武士と同じ」
「食い止めるために半分以上を注ぎ込んでは、板東の維持などできませぬぞ」
交渉や数での戦い中心の室町を経て、武士たちは随分と大人しくなったと言われる。
鎌倉時代には武士同士で殺し合い、戦うとなれば相手の豪族を皆殺しにして族滅までやるのが鎌倉武士であった。原初の平安武士には及ばずとも、そんな武断の権化と戦えば巷は殺戮の宴と化すであろう。
俄には信じられぬ話であるが、ここで急使が訪れたことで氏康に速やかな決断をさせたのだ。
「ご注進! 西上野に武田の旗印!」
「武田が? 何かの間違いではないのか? 奴らは信濃の筈……」
「関東管領に味方すると、従わぬ豪族たちを打ち滅ぼしながら進撃しておると!」
「……っ! やってくれおったな、あの痴れ者めが!」
武田家の軍勢が佐久より西上野へ進撃して来た。
この報に対して重臣たちの一部には首を傾げる者も居た。そもそも長尾家の情報を寄こして、伊勢が有利になる様に仕向けたのは晴信なのだ。それでも疑い、風魔衆を派遣してまで裏取りをしたのであるが……。
「殿? それはいかなる……」
「あやつめ! 長尾から仕入れた情報をそしらぬ顔でこちらに流したのだ!」
「三千しか出せぬのではない。三千で十分な用意をしておったのだ」
「いや、それだけではない。今ごろ越後勢も上野の西から北から雪崩込んで居ろう!」
時、ここに至れば氏康も晴信の計略に気が付いた。
長尾家が勝てるだけの準備を施し、現地や参加武将などの入念な情報収集を終えてから、あえて三千のみを出して伊勢家を油断させたのだろう。一口に情報だけを伝えられても、その裏にあるナニカが伝わらなければ意味がない。こちらがそれに対する備えを出来るかどうか以前に、山内上杉を倒す為に全てを費やしてしまっているのだから。
そして伊勢家の諸将もようやく危険性に気が付いた。
最初からそんな計画であれば、三千と見せかけて実は一万くらいの兵が上野にいた可能性も有る。農民や商人に偽装しているとか、交代で越後へ休養に戻ったはずの兵が実は移動して居ないなど幾らでも方法があるからだ。そして一斉攻撃が最初から決まっているのであれば、三千で勝つ必要すらなかったと言える。
「彼奴等は一度に全てを終わらせる気だ。ならばここは退かねばならぬ!」
「各地に急使を出せ! 相模まで後退して要衝を守る!」
「と、殿! 流石にそれは惜しいのではありませぬか? まだ連中は上野に……」
「ボヤボヤしておっては治部が河東を攻略し終えるわ! さすればどうなる? 本領である伊豆も守れぬぞ! 気が付かぬか? 彼奴等は治部を、今川を動かしておる!」
全体の盤面を考えられるか、その先を考慮できるかが当主の器であろう。
氏康は素早く、晴信が今川家を誘っている可能性に気が付いた。約定では河東群をその内に返却する約束になっているのだが、伊勢家が強大になり今川家と差が付くにつれ段々と曖昧に成っていたといえるだろう。もちろんこれには、伊勢家と懇意であった兄たちを倒して、義元が今川家の当主になったことも感情的に起因していた。
「叔父上! 治部は河東を確実に攻め取り、余力の範囲でと考えておりましょう」
「硬軟はお任せいたします。今川家との和睦を取りまとめていただけますか?」
「場合によってはまだ戦っておらずとも、そのまま明け渡すことになって良いのであれば」
「全てお任せいたします。皆のもの! 聞いたな? 速やかに撤収するぞ!」
こうして伊勢家は十分な余力を残して相模まで撤退することが出来た。
もし晴信が西上野まで出てきていなければ、ここまで迅速な撤退は無かったかもしれない。そうなると兵を残して小田原城への撤退が間に合わぬかもしれず、少数の兵では守り切れないほど広い城を持て余すことになっただろう。後にこの話を聞いた晴信は、『そこまで強いならば先に言って欲しかった』と景虎に責任を転嫁したという。
と言う訳で今回は北条家のターンです。
武田に続いて、判り易くするために外伝としております。
強敵が愚かな筈もないので、こうなった感じですね。