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天文二十三年は実に平和な年であった。
北条左京大夫氏康が帰順し、古河公方より受けていた関東管領の地位をなかったことにすることを認めたのだ。南武蔵に残って居た領地も手放すことを認めた為、景虎は越後に帰還した。
特に得た物と言えば、国替えに承知した者の領地を接収した事と江戸城くらいでしかない。
だが豪族たちにはあまり不満はなかった。これは越後が全国でも珍しい貫高制であり、石高性ではなかったことに起因する。この当時は川も荒れて石高が低く、豪族たちは景虎から報奨金を受け取って納得していたのだ。
「弾正様。越後上杉家の名跡を預かった事、執着至極に存じます」
「しかし何もしておらん武田の小僧が扇谷上杉家を預かるなどと……」
「政景殿。何もしておらんということはあるまい。左京大夫が折れたのは奴の後押しだ」
「だからこそ左京大夫も我らの仲を裂こうと姑息な真似をしたのだろうがな」
氏康は策謀の一環として、上杉憲政に断絶した越後上杉家を景虎に預けることを提案した。
憲政としても景虎に渡す物が少ないと吝嗇家として見られてしまうことや、越後勢が居座っては窮地であることは確かだ。そこで親族の中でも同根である越後上杉家を復活させ、景虎が誰かを養子として送り込む事を承知したのである。問題なのはこれが策謀であるがゆえ、氏康は同様の事を『近衛晴嗣』に提案したのである。
ここで説明が必要なのは扇谷上杉家の話だろう。
何年か前の川越決戦で滅びた名家だが、山内上杉家と並ぶ管領と成れる名家の一つである。越後上杉家が山内上杉の分家であるので家格の差は歴然と言えよう。そして扇谷上杉家は対北条の為、二度ほど娘を武田家に送り込んでいたこともあった。あながち縁が無い訳でもないからこそ事情を知らない晴嗣は、北条を抑え込んだ事に対する褒章として、相模から奪い取った土地を返却させることを条件に認めたのである。
「ですが血を多く流した我らが下、大して流しておらん武田が上などと!」
「元より家格も官位も武田の方が上であろうに。それにだ、同じことをして懐はどうだ?」
「我らは関東を駆けまわっても倉に黄金が唸っておる。翻って武田は火の車であろう」
「関東で得た土地も北条高広らや、江戸城を含めれば我らの方が質は上ではないか」
正直な話、景虎としては史実通りに晴信が敵に回る可能性を考えていた。
そうなれば撤兵して信濃で戦う必要が出て来て、関東と右往左往しながら生涯を掛けることになるだろう。それに比べたら信濃も関東も平和になり、その立役者は長尾景虎であると周知されている。これ以上はない成果であったのだ。
そして北条高広ら一部の豪族が上野や武蔵に転封し、江戸城近隣も得た。
西上野よりも良い場所であるのは確かで、大規模な開墾でもやれば相当な収穫が見込めるだろう。それに江戸城の城代、城下町である東京の代官、そして江戸湾に作る港の奉行を考えれば相当な役職が手に入ったとも言える。関東には景虎に近づこうとする武将も多いため、江戸に赴任する武将は相当な袖の下が手に入るであろう。
「それはそうなのですが……」
「政景殿。そういえば言ってなかったが、越後上杉家には私が入る」
「代わりに御子息に長尾家の総領の座を譲ろうと思う」
「なっなんと!?」
ここで景虎は上杉家に養子に入ることを切り出した。
景虎としても上杉謙信を名乗るのにそうする必要があるし……この後何年も当主として率いて行くのは面倒でならなかったからだ。その点、他家に入って相談役となれば話も変わって来る。ついでに文句を言ってる長尾政景も黙るので丁度良いと考えたのである。
「我が子である喜平次が次代に……よろしいのですか?」
「構わぬ。あの子が大きくなる前にこの辺りは平定されよう」
「私は相談役となって見守るとしようか。後は任せたぞ……とな」
「そこは嫁入りや婿取りではありませぬのか? ですが承知いたしました」
棚からぼた餅とはこのことで、政景もすっかり不満を収めた。
てっきり上杉家に養子に出され、押し込まれるのは我が子だと思っていたのかもしれない。それが景虎が隠居の様に上杉家を継ぎ、代わりに我が子が次の総領となれば話が変わって来るからだ。上杉家の養子になるということは家を出るという事で長尾の名前を棄てる事につながるが、景虎は女子であるので問題はなく、逆に喜平次は長尾の名前を残せるという事に当たる事もあって話に自然な流れがあった。
「それは良い事を聞きましたぞ。これからは我らは遠い親戚でおじゃるな」
「近衛様……。内の大臣に、いえ藤氏の長者にそう言っていただけるのは恐縮であります」
「気にする出ない。じゃが、そういう事に成れば守護の話も即座に片が付こうぞ。どうであろう」
「麿が話を通すので、上洛しては?」
ここで近衛晴嗣が話を聞きつけて来た。
彼はこちらで騒乱が収まるのを見てから帰るつもりであったのだが、景虎が越後に引き上げたので付いて来たのだ。なお、上杉家の本姓は藤原であり、今の藤氏長者……総領役は近衛家が担っている。長尾家は平氏の一族だが、上杉家を継げば藤原氏の一族になるというのも間違ってはいない。
「上洛でありますか?」
「左様。元より都では弾正の功績を評価しておるのじゃ」
「特例で守護と認めるのもやぶさかでは無かったが、越後上杉家を継ぐならば面倒が無くなる」
「一度上杉の手に渡した守護の地位であれば、親族である長尾の家に譲っても問題ない。そのような先例もできるのじゃ」
この世の中は権威主義であり、主に先例に習う。
同じ守護代だった朝倉家が正式な守護になるまで、御供衆として活躍し献金も相当な物であった。しかし今の景虎は御供衆の一員に一応は数えられており、北陸・信濃・海道の平和に大きな貢献を果たしている。そこに関八州をまとめたという実績が加われば、話が傾くのは想像に難くなかった。それが武家であり貴族でもある越後上杉家を継ぐのであれば、誰憚る事はないだろう。
「官途は弾正大弼、官位も従四位下への昇進は堅いであろうな」
「これより弾正が何処へ向かうのかも都の関心事じゃ」
「そこまでの話を都と往復して決めるよりも、上洛した方が早いであろ」
(東国の平穏へ貢献した弾正に何も渡さぬなどありえまい。弾正自身は特に何も望んでおらぬし、今上も喜んで官位を昇進させたもおうぞ。後は大樹が何を考えるかよの)
帝である後奈良天皇は即物的な行為を好まない。
献金による官途を拒むこともあったが、景虎は毎月それなりの額を献金しておりながら特に要求したことはない。もちろんいずれは関東管領になるというつもりだったので権威など不要だと考えていたこともあるのだが……。どちらにせよ、信濃から東を安定させたことで、その昇進は決まったも同然であった。越後上杉家を継ぐならば反対者も居なくなるだろう。晴嗣としては推す甲斐がある若者と言える。
逆に前途が暗くなるのが将軍家の問題であった。
細川家と手を切って三好家と結んだはずなのに……今度は三好家の専横が強過ぎると、三好長慶と手を切って細川晴元と手を組み直したのだ。その状態で都を追い出されて居ないのは、将軍側が暗殺騒ぎを起こしていない事、そして三好側も盟友であるはずの畠山が長尾家が東で活躍したことを引き合いに出して遠慮させていた為である。
「どうであろ? 都に昇るというのは」
「では先触れも必要でありましょう。関東へ再び赴いてからにいたしたく」
「実は越後ほか北陸の産物を江戸に届け、関東の産物を越後に持って帰ろうかと」
「その折に江戸から堺にでも船を出しましょうぞ。越後より越前の便と都で味比べしたいものですな」
景虎は江戸で物産展を企画していた。
前世の大型スーパーくらいのノリであるが、魚や食料を保存する冷凍庫を作る計画はまだ活きていたからだ。米もあちらで確保して諸白酒を造ったり、越後に送って清酒や蒸留酒を作ろうかと思っている。この背景にはせっかく作った大街道が惜しいのと、行き来が多くなって経済が発展すれば美味しい物が食べられるかもしれないという判断である。
「ほほほ。在りし日の租庸調が揃い踏みしたかのようでおじゃるな」
「よろしかろ。使者を調整したとしても、それだけの時間があれば確実」
「面倒事も全て済ませてから弾正に申し伝えることも出来ようぞ」
「ではそのようにこちらも用向きを合わせ致しまする」
欲しい物があるから待ってくれ、そんな景虎の言葉を晴嗣は好意的に解釈した。
この時代、地方から租庸調を都に持って行くなどとうに廃れている。それどころか献金することすらあまりなくなり、ブランド維持のために利用している越後を除いては、大内など裕福な大名以外に定期的な献金はない。その状態で東国の産物をかき集めて都で食べ比べしよう……それは租庸調の復活を嫌でもイメージしたり、即物的な献金以外で都に協力しようとする景虎のいじらしさに見えたのである。
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景虎が江戸入りして暫く、申し合わせたように二人の武将がやって来た。
共に武田家に所属しており、史実ではその隆盛を支えた名将である。もちろん武田二十四将にも列せられており、話題には事欠かない男たちであった。
「信濃が佐久の将、真田幸綱にございます。弾正様にはご機嫌麗しう」
「武田大膳大夫晴信が弟、孫六信廉にござる」
「弾正殿を姉と慕って仕えよとも兄にはきつく申し渡されております」
「我ら両名、弾正殿のお供を仕ります。いかようにもお使いくだされ」
真田源太左衛門幸隆と武田孫六信廉が挨拶を述べる。
この二人は晴信から派遣されており、氏康が引き起こした上杉家関連の問題への回答である。幸綱は信濃先方衆筆頭であり信濃から派兵される時の先鋒役。信廉は一門の中でも南信濃衆の統括であり、晴信とソックリであるとも言われていた。
すなわち北信濃でもめごとを起こさないという意思表示であり、人質でもある。
特に晴信によく似た姿の弟を人質とするということは、己の『影』を景虎の下に置いても良いという判り易い表明でもあった。なおこの時、武田家は大規模な三河攻めを今川家と共同で計画しており、景虎に背後を脅かされたくないというのも大きな原因だろう。
「お二人とも楽にされていただきたい」
「供といっても景虎が都に赴くのはまだ先のこと」
「大市を開いたゆえ、市場見学でもなされると良い」
(わわっ。まるで逆ハーみたいじゃん!? 野心家のお晴さんと大人しい信廉くんのギャップとか、幸綱さんは後の真田節が見えてる感じがするにゃー。連れてるチビっ子も可愛いにゃー)
この二人が訪れたのは、気を利かせた晴嗣が晴信に連絡を入れたためだ。
氏康の策謀でこじれかけたこともあり、その修復を兼ねて晴信が送りつけて来たのである。三河攻めに際して今川と共同する以上は、戦力に関しては問題ない。この二人を差し出すことで『当面』の安全を図り、場合によっては景虎を油断させる算段である。
「その事なのですが……。恥ずかしいながら当家は手元不如意でありまして」
「兄の晴信が申すには、必ず返すゆえ都への献金に名前を連ねさせて欲しいと」
(頭を下げて見せるために不要な献金と、その為の借財。無用かと思っておったが……)
(あの大市を見れば意見を変えざるを得ぬ。あの規模の市を江戸だけでなく越後でも開いておるだと? 長尾の金倉はいかほどあるのか……)
堅実な信廉は当初、長尾との仲を修復することはともかく官位を買う事には反対していた。
既に甲斐守・信濃守と上野介の地位がある。これ以上は不要であり、ただでさえ戦支度で苦しい懐を無駄に痛めるべきではないと考えていたのだ。だが、景虎が口にした大市を見て考え方を変えた。越後勢は通年で戦い続けていたことは良く知られており、それなのに都に献金するその資金源は何処から来たのか? それを物産展を見ることでまざまざと見せつけられたのである。
迂闊に長尾家と戦うべきではないし、戦うならば国力を付けてから。
国力そのものは越後・越中・佐渡と、甲斐・信濃では殆ど同等なのだ。だからこそ信廉は兄の方針に納得し、武田が国力を付けるまでの時間稼ぎの為に幾らでも頭を下げる覚悟を決めた。
「借財でなくとも別に構わぬが……いかほどあれば良いのかな?」
「治部大輔様の都合にも寄りますが、三家合わせて五千貫は用意したく」
「長尾家の出す金に今川家が出す金を合わせ、足りぬ部分を我が家が供出いたします」
「五千? ああ、織田家の四千貫を越えよというのだな。相分かった」
晴信の事を信用して居ない景虎は、借財と言う言葉は忘れることにした。
どうせ裏切る時には裏切るのが武田クオリティである。後の今川氏真が御伽集や高家になったことまでは覚えていない景虎も、転生者として武田家の戦略くらいは覚えている。ただ五千貫と言う言葉から、織田信秀が行ったという献金を以前の上洛で聞いたこともあり思い出したのである。
「では治部殿に関わらず五千貫を当家で用意しよう」
「武田家には馬や金殻、それと甲州葡萄などの産物は忘れずに用意していただきたい」
「関東の諸将が用意した産物を合わせて朝廷にお渡しいたそうぞ」
(甲斐で金が採れ始めたことを知っておるのか。行基菩薩の葡萄まで知っておるとは油断できぬな。しかし単独で五千を用意するだと……)
前世のあやふやな記憶だが、金はともかく武田騎馬軍団は大嘘である。
それに絡めて他に何かあったかと甲州ワインを思い出し、『ワインやブランデー作ろうぜ!』と欲望丸出しの景虎に信廉は別の恐ろしさを見た。青苧の年間販売利益だけで三千貫を超えるというのは噂で知っていたが、酒の販売や金山での収入から来る長尾家の底知れない財政事情に戦慄を抱いたのであった。
「それで真田殿。そちらのお子は?」
「はっ。三男の源五郎にございます。よろしければお手元で使っていただければと」
「七つか八つで外に出すのか? まあ良い。見どころのありそうな子じゃ。近習に加えるが、いずれ旗本に育つこともあろうぞ」
(真田昌幸ってもう生まれてたっけ? つーか、三男だっけ? まあいいや。本人ならその内に成長するでしょ。もし茶々ちゃんが越後に来たら、遊ばせてあげるのも良いかもね)
こうして東国での行事を終えた景虎は再び都に赴くことになった。
ありえないことだが江戸から堺に回り、そこから上洛する可能性もあるため、氏康たち恨みを持つ者たちもルートが特定し難い状態となる。新たな策動が伏魔殿とも言われる都で始まるのであろうか?
ひとまず仕切り直し回です。
関東のその後を簡単にやっつけ、他所の事情を交えて描写。
なお五千貫も出してるのは負けず嫌いなのと、佐渡守のお礼とか次回に貰う弾正大弼とかのお礼込みです。
佐渡で銀山の他に金も掘れ出したので、景気付けに贅沢をしたかったというのもありますね。
そしてこの時期、二転三転する将軍家の情勢。
誰かが潰すことを期待して、三好家と暫く組んでいても良かったんじゃあ?
とか思うのですが、まあ側近たちの都合もあるので仕方がないのでしょう。