●
秋になった頃、輝虎は北伊勢を攻めようとした。
夏に西美濃の戦を終わらせたばかりだというのに、狂気のハイペースである。しかしこれに周囲が待ったをかけた。特に慌てたのが織田家と六角家である。
この頃の織田家は今川家との最終協議中であった。
交渉の推移は『もし今川家との全面戦争になった時、どれほどの被害が出るか』になるのは仕方がない。朝廷の調停に従い古い遺恨を捨てる代わりに、領地の一部なりと寄こせと主張するのはそれほど不思議な事ではないからだ。これに対して織田弾正大忠信長は、越後勢のバックアップ込みならば戦い抜ける、今ならば不穏分子を抑えつつ今川と戦えると主張していた。そして織田家ほど緊急ではないが、配下を守るために六角家でも動きがあったのだ。
「六角殿が北伊勢に話をしてくださると?」
「はっ。南伊勢の北畠家と共に諸将を説得されるとか」
「それゆえに大樹様は暫し出兵を待たれよと仰せです」
(大樹様の狙いはあくまで六角を牽制し、自陣営に収める事。向こうから話を持って来ればあえて伊勢を騒がすほどではないと判断されたのだろう。これではロクに領地が切り取れぬ。問題は……弾正大弼殿が不快に思われないかだな)
この話を取り次いだ明智十兵衛光秀は困惑していた。
北伊勢攻めと美濃関連の問題で輝虎に付けられて居た従軍武官と言える。活躍の機会が減ったことに加えて、将軍家の意向で右往左往する状況があまり気にいらないのだろう。彼の使命の半分は斎藤道三のからの密命であり、斎藤家が分割して存続することで既に果たされている。残るは自らの立身出世であるゆえの感情かもしれない。
光秀にとって微妙だったのは輝虎の心理状況である。
戦の勝敗にこだわる越後勢であると同時に、価値の低くなった名誉ごときで将軍家に付き従う田舎者である。領地を切り取れぬ事がどちらに転ぶのか……いまだに判断できないでいるのだ。
「良かったじゃないか。これで都合がつく」
「大膳大輔様。ここにおいででしたか」
「今は刑部少輔だ。そこのところを忘れるなよ」
(大膳殿はお家の利益優先をされる方だ。この方がそう判断される以上、何らかの利益があって、越後勢も動きを止めるべき理由があったのか? その上で、弾正様は勝利を優先されるつもりであったと)
ここで判断を手助けしたのは弟と入れ替わって居る武田大膳大輔晴信である。
よく似た弟との入れ替わりによる影武者であっても、流石に刑部少輔信廉を知っている光秀には通じない。そして男女の仲を噂される状況でも、日夜議論される国策や軍略の話を聞いては、ロマンスが挟まる余地のない関係であると間近で見知っていたのだ。光秀から見れば晴信の判断の方が判り易いと言えた。
「……弾正様。何か新しい任務でありましょうや?」
「伊勢の黄門殿が剣豪を紹介してくださると聞いて、土御門殿も張り切ってな」
「法術の使える陰陽師やら、市井の術師を紹介されてくださるそうだ」
「その内の一人が水位を下げる法術を使えるそうな。その難易度と範囲によっては、治水工事や渡河が随分と楽になるやもしれぬ。どの程度の塩梅かを見るために、予定を変更するかを議論しておったのだ」
陰陽術から四大精霊系が派生し、その期間は随分と長い。
あまり変わらない例として、クリエイト・エレメンタルからクリエイト・ウォーターへの派生は習得が簡単な代わりに水しか出せないという程度だ。だが精霊魔法の中には今回紹介されたマジカルエブタイドの様に、水魔法の術者のみしか習得できず、かつ微妙な効果ゆえに忘れ去られた術も多いのだという。
だが、国主が全面的にバックアップするとしたらどうだろう?
普通に使えば僅かな範囲の水位を下げる魔法でしかない。だが、それを最も有効的な場所に使用したり、儀式魔法やマジックアイテムを経由して効果時間や効果範囲を広げられるかもしれない。あるいはもっと簡単な術にして皆で覚えるとか、逆に複雑にして効果範囲を変更できるかもしれないというメリットが生まれるのだ。
(なるほど。国主として有益だと判断した大膳殿にとっては興味が大きい)
(だが武人としての面が強い弾正様にとっては、今ならば北伊勢が容易に切り取れると)
(どちらかといえば弾正様に伊勢を切り取っていただきたいが、大樹様の命もある)
(それに弾正様は欲深い者を好まぬ。大樹様に大膳殿、御両所の意見も一致する。ここは『次』に期待して澄まし顔を浮かべておくべきか)
光秀はその話を聞いて即座に背景を判断した。
元もと晴信はそう長居をするはずでもなかった。この機に魔法の効果を知っておきたいだろうし、その有益性から将来の領国経営に必須だと判断したと推測できる。その上で戦に勝利し易く、敵対者の領地を奪って直轄地にするという意味では、六角が味方する国人に情報を与える前に動く方が良いのも確かなのである。
これらの話を勘案した結果、光秀は話をまとめる方向に思考の舵を切る。
「弾正様。そういう事でしたら、六角殿にも紹介をお願いされてはいかがでしょう?」
「近江には甲賀もあり、隣接した伊賀にも六角の領地があり申す」
「その縁で忍びの者も多く抱えておられるとか。ここはひとつご紹介に預かっては?」
「ふむ。悪く無いな。伊賀と甲賀を中心に様々な忍びの家があるとか。六角殿の顔が効く範囲でお願いしてみるとしよう」
北畠家との共同とされたため、北伊勢で切り取れる領地は元から多くないと想像されていた。
そこで光秀は考え方を変え、輝虎に忍者を大々的に雇う事を進めたのである。武将である事を目指す光秀にとってはそう多くない領地であっても、土豪に近い忍者にとってはそうではないだろう。彼らの協力で今後に戦いが有利に進むならばと、光秀は将来の戦に期待したのである。
そしてこの件は転生者である輝虎に覿面に効いた。
現代では忍者というものは過大に評価されている上、城攻めなどに有益な猿飛の術などを覚えられる独自の魔法系統がある。元は闘気魔法や修験道とのミックスであったらしいが、面白味としても将来性としても期待するところ大である。
●
隠す時には下手に暗夜に行うよりは、こういった日こそ隠密的な行動に適するという。輝虎はこの日に指定されたとある場所へ、二人の従者のみを従者に頭巾姿で赴いていた。
やがて同じように武士とその従者が現れる。
不審者と言えば不審者であるが、輝虎の傍にいた内の一人が見知った顔なのか僅かに前に出て片膝を着いた。
「これは和田様。和田様もお立合いに?」
「ふふふ。惟政と間違われるとは、儂も捨てたものでは無いな」
「っやや! これは御父君でしたか。十兵衛、とんだ失礼をいたしました」
「この十兵衛、素人技は見抜ける自信がありましたが……流石に本家の忍びには形無しでござる」
従者として付き従った光秀は、見知った重役ゆえに膝を着いたのだ。
だがその男は将軍家の側近である和田惟政ではなく、その父であり忍びとしての側面を持つ国人の和田宗立であった。彼は甲賀衆の上忍の一人として六角家に仕えていたのだ。晴信と信廉の兄弟による入れ替わりを見抜いた光秀であるが、忍者自身による変わり身には気が付けなかった模様。
「上杉弾正大弼輝虎と申す。この度はお手数をおかけする」
「弾正様ほどの方がこれはご丁寧に。手前はあくまで手配人に過ぎませぬ」
「前左京大夫様の命にて甲賀衆・伊賀衆との取次ぎをさせていただきまする」
「ただ忍びは陰者ゆえに迂闊に顔を出さぬが鉄則ゆえ、無礼をご容赦いただきたい」
輝虎の挨拶に宗立は快く頷いた。
そして主である六角義賢の呼び方は複数ある中、輝虎が良く知る左京大夫の名前をあえて用いる。北条氏康がその官位を得るより前の中に義賢も居たのだが、権威ある地位の持ち主としては六角家の方が上である為に嫌味なく間接的に氏康を落として見せたのである。
「忍者は陰、人の陰。その事は重々承知ゆえお気になさるな」
「そう言っていただけると助かります。して、十兵衛殿は既知なれどそちらは?」
「関東より管領殿の指示で参られた上泉伊勢守信綱殿だ。此度は護衛と顔見世を兼ねて居られる」
「上泉と申します、よしなに」
宗立はもう一人の従者がただならぬ相手と見て名前を伺った。
それは関東の戦でも輝虎と共に戦った上泉信綱であった。この場合の伊勢守は自称ではなく、関東の剣術指南役として以前に授けられたれっきとした官途である。もちろん戦国時代なので金を積めば他にも名乗る者が出て来るが、彼ほど知られた者はいないかもしれない。
そして信綱は常備兵の精鋭や魔法使いを集めた部隊を作ると聞き、憲政より派遣された内の一人であった。そこには借りを領地以外で支払って置きたいという意図と、同時に御意見番である剣術指南役を遠ざける意味もあった。それが誰の意図なのかは別にして……。
「ほう……なにしおう関東の剣聖殿ですか。ではお連れは旗下の?」
「流石ですな。お気付きならば紹介せぬのは返って失礼というもの」
「弾正様。あやつめをお呼びしてよろしいか?」
「構いませぬ。山ほど忍びや法術師と出逢うのだ。いまさらに暗殺を恐れても仕方なし」
宗立が彼方に視線を動かすと、信綱は相好を崩して輝虎に尋ねた。
そこに護衛の忍びが居るのであろう。輝虎は構うなと指示しつつ、その登場を楽しみにし始めた。現代から転生した彼女にとって、忍者との出会いは好奇心をそそられるものだ。
やがて信綱はまるで提灯か何かを持つかの様にグルリと拳を動かしていく。
上から右に、右から下に、下から左に、左から上に……と一回転させた時、気が付けば誰かが駆けて……いや、跳んでくるのが見える。シュターン、シュターンと人間技とは思えない跳躍距離であり、よく見れば信綱が示した手の動き通りに木々の上を跳んで来たのだ。
「唐沢玄蕃……まかり越して候」
「噂に違わぬ飛び六法! 流石の猿飛びですな。上方でも聞き及んでおりますぞ」
「上州忍びの一人で、関東管領様の命に従って上洛した者の一人です」
唐沢玄蕃は関東管領である山内上杉家に仕えていた忍びである。
憲政が没落するにつれて見限るかどうか悩んでいたところ、輝虎が長尾景虎と名乗って居た時代に援軍として駆けつけ、山内上杉家が勢力を盛り返したところで思い留まったのだ。そのまま憲政が敗北して居れば武田なり長尾家に士官して居たと思われる(史実では真田経由で武田)。今回の上洛で、優秀な武将でもあり金払いの良い輝虎に仕えたがっているような雰囲気が見えたという。
「ふふふ……腕利きをこれほど揃えられるとは」
「弾正様はよほど伊勢攻めに相当に力を入れておられると見える」
「どちらかと言えばその後ですかな。伊勢に関しては最後の最後で構わず」
「なんでしたら長野工藤家に協力して北伊勢の国人をまとめられても構いませぬよ。さて、会合の場所に赴きましょうぞ」
宗立は輝虎が腕利きを集める理由を、伊勢で活躍させるためと考えた。
だが彼女はそこまでの事を考えてはいない。凄い剣豪や忍者に魔術師を絡めた精鋭部隊が欲しいと思っていたが、それはあくまで漫画やアニメ的なロマンからである。とはいえそんな事は口に出来ない。そこで建前としては別の事を口にしたのである。そしてその事を悟られないために、歩きながら言い訳を考え始める。
「ほう……意図をお聞きしても?」
「敵は一つにまとまって居た方が相手し易い。それと野戦の方が楽です」
「しかし最後には安濃群の城になるでしょう。細工が欲しいとすればそこですな」
(今のうちに人を送り込み信用させろ、意見を偏らせよと言う事か……悪くない。こちらが何処を何名で攻めるかを前もって伝えれば、功績を誰に立てさせるかなど思いのままよ)
宗立は常識的な男であったので、輝虎の指示を遠大な罠だと捉えた。
相手の掌の上で躍らせ、勝ち易きに勝つ作戦だと思ったのである。まさか城攻めを面倒くさいと思っており、北伊勢での最終戦だけでも援護してくれれば後は普通に勝てると思っているなどとは考えもしなかったのである。この辺りは漫画やアニメで出て来る、『上忍ならば一人で城を落とせる』なんてフィクションを知らないので仕方があるまい。
そして一同はしばらく歩き、ほどなく川辺へと出た。
ここで別口のグループと同流しつつ、実験を見学するつもりだったのである。
「……そこに居るのは長門守か?」
「いや、甲賀守の末だ。案内人を連れて来た」
「あれは望月吉棟です。藤林長門守に声を掛けたのですが会見は断られました」
「然もありなん。だが甲賀衆の頭の一人を仲介役とは、ありがたいことだ」
離れた位置に三人の男たちが居た。
その内の一人に宗立が声を掛けたのだが、今回の一件を差配している望月吉棟という忍びらしい。望月家の頭領は代々天文地理に詳しい他、感受性が強く天候すら操るという。
「上杉弾正大弼輝虎と申す。御足労をおかけして申し訳ない」
「いや、土御門様からも頼まれており申す。いわば報酬の二重取り。申し訳ないのはこちらです」
「ほう……と言う事は、今夜の実演はそちらが?」
「戦や治水に用いるならば専門の者が赴きますが、試す程度ならばそれがしでも……暫しご清聴いただきたい」
改めて輝虎が挨拶を行うと、吉棟は頭を下げて川の方に向かう。
そして明らかに忍術系ではない印を切り、水を操る精霊術の呪文を唱え始めたのだ。そして声を上げると川辺に向かって鋭! と気合を掛ける。すると俄に川の流れが変化し始めたのだ!
ゆるゆると水が引いて行き、円形に空洞が出来ていた。代わりにほど近い当たりで水かさが増したように見えるのは気のせいだろうか?
「水深が一間と四尺。広さはその五倍ほどか……」
「お聞きしたいが効果時間と、法術の拡大は可能でしょうか?」
「生憎と専門家でも法術を施した文物は有しておりませぬ」
「ですが土御門様の話では可能であろうと思われまする。時間が半刻ゆえ一刻・二刻という風に、水深は……それほど必要なさそうでしょうから、広さの方も可能でしょう。ですが、並みの如く盛り上がり、水が消えたわけではないのでご注意を」
そう、望月家の頭領は忍術のみならず精霊魔術に適性がある事が多いのだ。
そして実演したマジカルエブタイトの魔法は微妙ではあるが、拡大を含めれば素晴らしい魔法であった。水深は3m、効果範囲は直径15m、時間は一時間ほどらしい。渡河するにも治水に使うにも微妙な呪文である。だが、効果の倍率を拡大できるならば話しは別だ。マジックアイテムや儀式・魔法陣などで時間や範囲を拡大できるならば十分な効力を発揮するであろう。
「素晴らしい能力と言えましょうな。高禄を用意するので契約していただければ幸い」
「それと興味本位で尋ねたいのですが、水の上を歩く術は使えますかな?」
「そして操った水の上を歩けますかな? 他にも興味がありますが、まずはその辺りで」
「随分と頓狂な事を考えられるのですな。やったことはありませぬが、おそらく可能でしょう」
輝虎が上機嫌で聞いてくることに、吉棟は不思議な物を見るような顔をした。
おおよそ大名が忍者風情に見せるような姿では無いし、魔法と魔法のコンボなぞ普通の大名は考えないからである。城門を破壊したり壁に穴を開けるような術に対して質問されたことはあっても、こんなことを聞かれたのは初めてであった。
ともあれ、時間を寸刻みにして情報の漏洩を避けるのが忍者である。サッサと要件を済ませてしまう事にした。
「ひとまず長門守より頼まれた仲介を果たしましょうぞ。この二人が案内人です」
「この両名は伊勢に近い位置を領有し、その地形をつぶさに知っております」
「植田光次でござる」
「阿波正高にて」
紹介された二人は共に伊賀忍者の頭領の一人である。
もちろん国人であり区分で言えば、上忍に当るのだろう。しかしパっと見には猟師や薬草採りにしか見えず、ここまでやって来るのに合わせて不自然でない様に変装しているものと見えた。やはり忍者という物はスパイ行為が基本であり、漫画やアニメの様に派手な事はしないのかもしれない。
「おお、これはありがたい」
「天候の変化や、地元の地理を使った奇襲などに対していただければ幸い」
「金もですが、塩や魚のような海の物、それと酒ならタップリと用意できますぞ」
「「……変わった方の様ですな」」
魔法に対して感動した吉棟相手ほどではないが、やはり丁寧な対応であった。
忍者と侮らない輝虎に対し、案内役の二人は顔を見合わせてやはり不思議な物を見るような顔をしたのである。
いずれにせよ、輝虎は何名かの上忍たちに出逢った。
彼らを通して忍者たちを雇用することで、これからの局面へ何らかの変化が起きるかもしれない。少なくとも、ここで得た知見を活かすことで治水に関しては一歩進むであろう。
今回は剣豪・忍者・精霊術師など雇用する話です。
まあブリーチとかナルトに憧れた世代なので仕方なし。
国政とか戦争はサッパリ進んでませんが、信濃川とか木曽川が治水できるようになります。
資金を使い過ぎて切腹する薩摩藩士は出なくなるでしょう。