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都の東が収まっていった頃、西は実に波乱万丈であった。
弘治二年には大内家が実質的にではなく、本当の意味で滅びている。これは大内家の内部でクーデーターを起こしていた陶晴賢が、毛利元就とその息子である隆元によって討ち取られたからである。他にも播磨や丹波と言った比較的に近い場所に置いても騒乱が絶えなかったという。
「筑前殿! 上杉輝虎を討つべきですぞ」
「伊勢で暴れ回りこちらにも欲目を見せて居るとか!」
「尾張では手妻で川を枯らし、新田義貞の再来と言われておるとか」
「大樹様の寵愛を良い事に、まつりごとに口を挟みかねませんぞ!」
京の西、摂津においてはこのような話が三好家へ頻繁に持ち込まれている。
将軍家の近臣に始まり、近隣大名の使者、あるいは三好家内部の諸将からも同様に上がって居た。当たり前の話であるが、越後勢が猛威を振るい、西美濃や北伊勢を攻略していったのだから不安を掻き立てられたり、不満を覚える物が居てもおかしくはあるまい。
「確認するが弾正大弼が本当に幕政に口を挟んだのか?」
「伊勢に関しては大樹様の命であろう。そこに何の問題がある」
「まして新田義貞は足利家の仇敵だ。そう呼ばれて有頂天ならばむしろ大樹様が叱りつけよう。そうしないのであればそれほどに寵愛が深き証よ、ここで口を挟むのは危険であろう」
三好筑前守長慶はそれらの話を一つ一つ諭していった。
大身の大大名として迂闊に人の話を信じるわけにはいかないし、持ち込まれる話も予め裏を取ってある。そして何より、これまでの流れで輝虎の動きを長慶ほどの男が監視して居ない訳があるまい。それでも動かなかったのには理由があるのだ。
「ですが! 彼奴が三好家にとって代わろうとするのは明白ですぞ!」
「ならばその証拠を持ってこいと言っておるのだ」
「言葉巧みに我らを動かそうとするのは甚だ迷惑」
「我ら三好家は幕府に対して忠実な幕臣であるぞ。剣豪将軍ごときならばともかく、まともな大樹様であるならば逆らう気などは毛頭ない。第一、効率が悪い」
長慶は甘言を弄する者たちには取り合わなかった。
もちろん彼も自分で言って居る程に将軍家に忠実な訳ではない。仕えているのは幕府の社稷であり、足利義輝ではないと明確に言い切って居る。自分の勢力も持たずに政治に嘴を挟もうとして、何もできずに剣を振って居るだけの男であれば一顧だにしなかったであろう。だが現在の将軍家には明確な地歩があるのだ、ここで逆らう気は存在しなかった。
「大樹様を操ろうというならば、これまでに幾らでも出来た」
「領地を掠め取り奪おうとするならば、どれほどの寸土でも逃すまい」
「だが弾正が自分でやったことは街道を拡げ京に食い物を持ち込んだだけよ」
「儂には判る。それは効率が悪いからだ。どうして腐りかけた幕府のまつりごとに関わる必要があろうか。この世の富貴に浴するならば収まらぬ領地など不要であろう。奴は自分が満足するだけのモノを既に得て、不要なモノを忌避しておるのよ」
なんというか長慶は効率重視な所があった。
面倒だから領地経営を投げだし、領土も官位も自分から増やそうとしていない輝虎の事を、自分と同じ効率重視者だと誤解していたのである。その視点から見れば、必要以上に幕政に口を挟むのは非効率なのだ。関西圏の三好家ならばともかく、越後上杉入れから見れば、幕政への参加権など不要であろうと長慶は判断していた。
「それよりも摂津と河内を確実に抑えておけ」
「そうすれば大樹様は口を出せぬ」
「我らが幕臣として節度を守る限り、名分が無い故な」
「東を弾正が抑えつけ、西を我ら三好が差配する。抑えているだけの弾正と、支配下に組み入れている我らでは時間と共に差が出よう? 今は争う時ではないわ! 判ったら久秀を残して下がれ!」
長慶は輝虎が動いている間、摂津や河内を抑えていた。
元もと四国の阿波を本領としており、摂津の諸将から請われる形で、以前に剛腕を振るっていた細川家や三好内部の対立者を倒していたのである。その支配体系を確立していたこと、そして伊勢や近江へ輝虎が影響を与えること自体には長慶にも利益があったから止めなかっただけの事である。
そう、近江の六角は細川派であり、長慶の明確な敵だったのだ。
細川晴元と六角家が手切れになること自体はむしろありがたい事であり、邪魔するよりも手出ししないことで消極的な援助をし合って居たと言える。同時にそれまでよりも幕政への関与を薄め、摂津・河内に専念することで義輝からの忌避感を抑えることに成功していた。場合によっては再び細川家と手を切って、三好家に鞍替えしかねないほどに……。
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他の者たちは下げられ、謀臣である松永久秀のみが残った。
彼は悪辣非道とされるが、長慶とその直系の一族のみには非常に忠実であったという。よく何度も裏切ったとされるが、新たにできた摂津三好家とでも言うべき直系の家系を通してみれば、彼は裏切者ではないのである。あくまで摂津三好家の為に行動して居た結果と言えるだろう。江戸幕府で言えば大岡越前や田沼意次の様な、下級武士から取り立てられた重臣が本来の立ち位置といえば判り易いだろうか?
「久秀。丹波の方はどうなった?」
「問題ありませぬ。東への注力を全て注ぎましたからな」
「また街道拡張の件で親細川派であった若狭武田家も弾正様に近くなったと聞きますぞ」
「晴元様も終わりよの。最後まで追い詰めるか、それとも手控えるかで悩ましい所だのう。あの方も政長ずれを重用せねば……いや、言ってもせんないな」
これまでの輝虎の動きもあり、細川晴元は孤立していった。
晴元は三好政長を重用する事で、三好一族を分断し程よく操ろうとしていた。政長が長慶の父である元長を自害させる一因ともなっており、実に因縁の相手であったのだ。基本的には主君である細川家の方が優勢であり、辛抱強く逆転していったと言える。そして六角と若狭武田家がオセロの様に転んだことで、晴元はまさしく『詰み』になったのだ。
「……でしたら右京大夫の地位を奪うのみに留めてはいかがでしょうか?」
「残せば後の災いには成りましょう。されど獲物を獲り尽くした狗は追われるもの」
「京兆家としての格を落とし、管領としての地位は残して追い込むのです」
「なるほど。我らが摂津を先に統一するは必定。そうなれば播磨に逃れるか、誰ぞに匿ってもらうか……か。そこまで零落すれば何も出来まい。もし大樹様が播磨攻めの口実になさるならば、それまでのことよの」
三好家は史実よりも戦力と政治力を西に集中していた。
その為に細川家の本領である丹波や、係争地である摂津は殆ど三好家が支配下に置いていたのである。以前に義輝が輝虎を摂津に送り込もうとした時には、同じ可能性を久秀も考えていたのである。そこで長慶を説得し、史実よりも早くこのニカ国を抑えたと言えるだろう。
そして……久秀は長慶が晴元に未練があるのを知って居た。
口では討伐対象としてあえて残らせると言いつつ、効率重視でありつつも旧主に慮る長慶への配慮を見せたのである。こういう心情の機微に敏い所が、久秀が謀臣でありながら重用されている理由であろう。
「その件は此処までと致そう」
「明との貿易はどうなった? 管領家と大内で争っておったはずだが」
「正式な貿易相手としては相手にされておりませぬ」
「どうも陶めが前兵部卿や前左大臣様らを討ち取った時点で、勘合符が失われていた模様。以降は民草の大商人どもや、朝鮮・琉球を介しての行き来のみになっておるかと」
晴元が勢力を回復する可能性として、日明貿易があった。
しかし尋ねてみると既に大内に貿易権が移って居たことに加えて、正式な相手は正当な大内家だけだとして、明国そのものとの確実に儲かる貿易は陶家のクーデーター政権以降は停止されて居たという事である。陶家やその後に台頭することになるであろう毛利家は、仕方なく民間や第三国を経由して商売することになったという。
もっともこの流れで、国家間では機密扱いの技術がもたらされたのは皮肉であった。
「銅銭の輸入自体には問題がないか……待てよ?」
「民間との商いと申しても、大商人ともなれば海千山千の腹黒ばかりであろう」
「そう簡単に海を越える取引に応じるか?」
「腕利きの法術師を派遣し手を尽くしたところ、日の本の商売では余禄があるそうですな。色々と商売以外でぼったくられておるそうで」
晴元が復帰しない事や、国内で鋳造してない銅銭のみが関心であった。
しかしよくよく考えてみると少し奇妙な話である。こちらのみが持ち込んで向こうが買うかどうかを決め、あちらで余っている商品を持ち替えるだけならばまだ良い。それならば国内の商人が博打しているだけなのだが、行き来して同胞の商人が儲けているとなれば話は変わって来る。断られた直後に貿易相手が変わっただけと言うのは信じ難かった。
その話が出た時、久秀は懐から金銀銅の小粒を取り出した。それらをひとまとめにして布の上に置き、離れた位置に銅銭の入った袋を置いて見せる。
「日の本では金と銀の価値があまり変わりませぬ」
「しかし外つ国ではもっと大きな差であるとか」
「それと最新の技術では、銅より金銀を得る方法もあるとかで」
「……なんと馬鹿馬鹿しい事よの。馬鹿を見るのは儂ではないが……少しずつ手を回し、外つ国との貿易をしたがる者に回状を回せば良いか。ひとまず堺の商人どもに伝えてやれ」
本来は長慶に商売の話などするべきものでもない。
しかし現在では、日本の国益を考える事が可能なのは義輝ではなく長慶の方である。その事を考えれば、日本から大量の金銀が持ち出されているのは見過ごせないと判断したのであろう。久秀の意を察した長慶は、その情報を使って摂津内部の統一に向けて利益がある方法を取ったのである。
情報一つとってもその価値は違う。
長慶は最終的に海外貿易を行う者全てに情報を回すとして、堺の商人の中で三好家の為に動いてくれそうな者や、そうでなくとも有益な情報を渡せば便宜を図ってくれそうな者を中心に情報を撒いて行く事を指示したのである。
「さて、頭が冷えたところで弾正大弼の事だ」
「儂としてはあやつは我が家とは敵対すまい。久秀はどう見る?」
「これまで弾正様は三千の精鋭のみを手元に残し、残りは国元を守らせました」
「この数が居れば小競り合いで負けることは無く、現地の諸将と手を組めばまず勝てる。そして国元が脅かされることもなく、コレを越えねば、手元が不如意に成ることもないとの判断で間違いはございますまい」
長慶が輝虎の分析を口にすると、久秀は冷静に情報を並べていく。
関東でも同様であり、越中や関東での後押しに多少動員したことはあるが、殆ど豪族たちを呼び寄せたことはない事。僅か三千でありながら、野戦においては比類なき存在であることを肯定した。
だが、翻って見ればコレが輝虎の限界であるのは間違いないとも口にしたのである。
「弾正様の考えは殿のおっしゃる通りかと」
「必要以上の数を動員せねば、何も困らずに左団扇」
「朝廷や大樹様からは忠臣と言われ、世の者どもは義の将と讃えましょう」
「つまり大樹様が全兵力を挙げて討てと言わぬ以上は、絶対に総動員を掛けることはないのです。そして、この事を大膳大輔様や左京大夫様が学んでいる事も重々承知でしょう」
効率主義であっても、国元を守る為の計算であっても現状を変える事はまずない。
その上で重要なのは、義輝が『三好を討て、あれは謀反人だ!』と口にしない限りは総動員を掛けることはないのだ。そしてやったが瞬間に周囲の諸大名は越後の豊かさを狙うであろう。もし輝虎が兵力を増したとしても、三千が一時的に四千~五千になる程度と思われた。その程度の小勢りあいならば三好家が負けることはない。すくなくとも篭城してしまえば、軍神の雷鳴など無意味な事は研究され付していると言えた。
ただし、重要なのは義輝の理性に掛かって居るという事だ。
何かの拍子に激高し、計算を度外視して輝虎をけしかける可能性はあったであろう。その時は輝虎とて覚悟を決めて義輝を見限るか……それとも、短期間で済ませるために無理な戦いを行う物と思われた。
「では問題無いな。儂は西の守護者として『幕府と朝廷』を守る事にしよう」
「彼奴が以前のような短絡を起こさず、将軍として相応しいならば担いでも良い」
「適度に幕臣として口を出し、それを超える場合は他の大名の様に金を積むとしようぞ」
「儂が弁えて居る限りは、大樹は絶対に三好の家を滅ぼすことなど出来ぬ。そして、以前のような短絡が無い限りは絶対にそのような未来は来ぬ。その間に三好の家を隆盛させれば良いであろう」
史実であれば、数年前に暗殺未遂を起こして義輝との仲はこじれた筈であった。
だが義輝は暗殺を思い留まり、長慶も大人げない態度を取る義輝に苦言を呈する以上の事は行わなかったのだ。やがて輝虎が方々に影響を与え始めると、義輝が利用しようとするその動きを逆手にとって三好家の為になるように誘導したのである。
そして義輝は何時しか現実を見つめてしまった。
輝虎を背後の守りにして、長慶を黙らせるための魔避けの札にすることを……だ。今の政治バランスのままならば迂闊に三好家を攻めることはありえない。『今のままで良いのではないか?』と義輝が思ってしまった以上は、勝てるかどうかわからない全面戦争に踏み切り、かつての様に京の都を火の海にはできないだろう。
「イザとなれば朝廷にお願いするおつもりがあるならば、問題ないかと」
「あえて言うならば隙間を埋める事でありましょうな。弾正様の行き先を狭め、導くのです」
「大和に出兵せよという事か? 先んじて平穏を取り戻せば領地を得ぬと?」
「似たような物ですが……せっかくです。御料を取り戻して差し上げるのはいかがと存じます。荘園を朝廷の元に戻し、大樹様の手元にもある程度は。そうですなあ……織田弾正大忠殿に習って、それがしが大和攻めの轡を取るというのも面白いかと。無論、情勢が許せばその先も」
久秀は輝虎の動きを牽制しつつ、同時に懇意になるという方策を提示した。
放置すれば大和一国を輝虎が得て、そこを根拠地に蠢動しかねない。だが先に共同で攻めようと言えば全てを得る事はできないだろう。そして、さらにその土地を切り刻むことを提案したのである。
「……こちらから御料を献じよというのか!」
「はい。いずれ朝廷にお声を掛けるのです。別に今でも構わぬでしょう?」
「その上で切り取った後でせせこましくお渡しするよりは、最初から大和半国と申すのですよ」
「そこまで申す以上は朝廷はこちらの味方です。残りの分配に我らが加わるなとは申さぬでしょうし、豪族たちと弾正様で分けるならば地歩にはなりますまいよ。同じ百万石を越える大大名であろうとも、我が家の方が都に近い分、兵力も兵糧も上、困る事はありませぬ」
この時代は朝廷や幕府の領地は奪う事が基本であった。
その上で味方するのだから自分こそが代官であり、経営のために使うから資金も米も献上できないと言い張るのが普通である。だが久秀はあえて朝廷や幕府の手に戻すことで、輝虎に与えられるはずだった大和を切り刻めという。
重要なのは朝廷も幕府も困窮しているという事である。
そんな状態でこのような提案があれば絶対に否定することはない。もしかしたら幕府は報酬として輝虎に領地を多く配分するというかもしれない。だが、いったん幕政の場に出してしまえば、長慶も口を出せるし、輝虎を良く思わない近臣たちもこちらに味方するであろう。
「よくもまあ、そのような案を思いつける事よ」
「うぬを敵に回さぬ幸運を儂は噛みしめておるぞ」
「なんの。この久秀を取り立てたるは殿ではありませぬか」
「殿に対して策を立てることなどありえませぬよ」
長慶と久秀の主従は悪い顔をして笑い合った。
世の中には悪人同志でしか判り得ない絆という物もある。日の照らす所に出る事の出来ない悪人には、寄り大きな悪徳によって理解される必要があるのだ。その意味で日本を支配する黒幕である長慶と、その手下として暗躍する松永久秀は良い主従なのであろう。
「弾正を利用せよという案は前向きに考えよう」
「それはそれとして、奴に抱え込ませる重しは無い物か」
「猫の鈴でありますか? でしたら面白い……見ようによっては厄介な種があり申す」
「伊勢では和田様のお父上の力を借りたとか。せっかくなので、和田様のお願いを弾正様に聞いていただくというのも愉快かと」
そしてこの件に関して、久秀が輝虎に近づくことが決定した。
そこで長慶はついでに行う策が無いかを尋ねたのだが、ある種の爆弾を押し付けることを久秀は考案したのである。利用される和田惟政こそ良いの面の皮であろう。
と言う訳で今回は三好家の人々と西の情勢になります。
今まで何してたの? 輝虎ちゃんが凄い事やってるのに?
それを逆に利用してたんだよ? となります。
・弾正が多過ぎる
松永さんも弾正ですが、面倒なので割愛して居ます。
弾正忠とか左京大夫とか人気の官位なので仕方ないですね。
・日明貿易
この頃には厳島の合戦もあり、完全に破綻してます。
今後は民間貿易になって、毛利と大友が博多を奪い合う感じですね。
なお、この当時の金のレートや、銅から金銀がオマケで採れる話を別口で解決。
輝虎ちゃんだと「別にいいんじゃない?」で済ませそうなのと、三好・松永に何か功績を付けたかったので。ちなみに派遣されたのは何とか居士とか言うらしいですよ。
・土地の献上アタック
先んじて中立の緩衝地帯を設置する感じです。