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弘治三年の当初、大和平定の件は平和裏に収まると一部のエライ人は考えていた
だが『大和半国を御料とする』という計画に対し、ご当地には国人たちが存在する。荘園の横領が横行していたのもあるが、彼らは鎌倉幕府以降、『先祖が褒美としてこの土地をもらった』という理由で居付いているのだ。当時の幕府の指示で没収したり、そこから褒美として与えたりと二転三転する例もあるので『当代の領主から見ればこちらの方が正統である』という事は珍しくなかった。紛糾するのも当然であろう。
とはいえこの乱世、エライ人たちも呑気にみんなが従うとは思っても居ない。
ただ三好家と越後上杉家が動くとなれば、戦いを避けるだろうという判断である。誰も戦国最強武将とこの当時の天下人を同時に相手にしたいとは思えない。そこに大義名分まで用意されたらどうしようもないので、御上に差し出す金殻や兵糧を誰が負担するかで押し付け合っているのだろうと考えていたのだ。ならば無理して戦うよりも頭をあげるのを待とうと、出兵が先延ばしにされていたのである。
「揖斐川の工事は順調なのだな朝信? ならばその成果を活かすとして……」
「信濃川と矢作川の工事も始まろう。その集大成をいずれ賀茂川で公開する」
「京においてありますか? 所詮は都の事、将軍家からお声が掛かるのでは?」
「それもあるだろうが、法術の学び舎を造る際に、実例として示すのだ。このような方法がある、他にも思いつくことがあるならば取り入れよとな」
動くに動けない輝虎は、暇を持て余し娯楽に向けて勤しんでいた。
やらなければ成らない事を理由にして、むしろ自分がしたい事をするのに利用し始めたと言っても良いだろう。まずは魔法学園であり、また河川敷で色々な興行をする為のスポンサードである。工事担当の斎藤朝信はそれに突き合わされ、最近では仕事管理の鬼鍾馗さまとか河川を静めた二郎真君の再来だとか評判が右往左往する有様であった。
(京都の街に歌舞音曲を齎す敏腕プロモーター、その正体は上杉輝虎!)
(人呼んで輝虎P! なーんちって! まずは歌念仏と……歌舞伎はまだなんだっけ?)
(まあいいや。サッカーとかは無理だったけど、誰かが適当に思い付くでしょ)
(後は……アレを用意しないとね! その為にも学園は早く作らないと!)
そんなに暇しているならば越後に戻れば良いのだが、戦力の問題で帰れない。
普段は幕政に口出ししないかピリピリしている幕臣たちも、一時帰国だと何度言っても輝虎が腹を立てて帰国するのではないのかと気が気でない様だ。だからこそ義輝は大和に根拠地を作らせようとしたし、帰れないからこそ輝虎は今のうちに娯楽つくりの基盤を用意しているのであるが……。
「例の物はどこまで仕上がっておる?」
「外周部の初期鍛練用は既に。しかし治療院前の最難関は、河川の引き込みに掛かりそうです」
「……落下防止に水を用意するほどならもう少し難度を下げてはいかがでしょうか?」
「城攻めではあの様に難しい鍛錬は不要と言うのであろう? だが実戦では命懸けよ。難度は高いが、落ちたくらいでは死なぬくらいで丁度良い」
魔法学院の予定地に輝虎はとある催しを用意していた。
外周部は走り込み用のマラソンコースでしかないが、保健室の前に難易度が非常に高いアスレチックコースを設けたのである。下は水を張って落ちても死なないようになっているが、難しいトラップを複数越えて行くようになっており……既に城攻めよりも難しいとされていたのである。
さて、察しの良い読者の諸兄は思い当たる事もあるのではないだろうか?
「この関門の名前はひとまず『猿飛』としておくが妙案があれば変更する」
「挑戦者は独自の場所で鍛錬を行い、ある程度の期間を空けて変更される試練に挑む」
「賞金は走り回るのが得意な武将に合わせるゆえ、忍びであれば足抜けできるやもしれぬな」
「希望する大名小名の見学も許すゆえ、何度も突破できる者にはそれなりの栄誉も与えられよう」
そう、用意されたのは有名忍者の名前を冠するあの催し物である。
オセロや五目並べの様に、似たような事はあっても普段見れるようなモノではなかった。そこで城攻めの期間を短縮するための訓練も含めて、賞金を掲げて大会にしてしまおうという算段である。この時ばかりは魔法学園に部外者も入ることにしていた。
「後は土御門殿にお願いした教本で、概ね教育体制は完成するだろう」
「最初に越後での資料をお渡しした時、随分と驚いておられましたね」
「長らく法術に関するアレコレは、陰陽師や摂関家の秘密であったろうからな」
「そのおおよそが暴かれてしまえば、これ以上秘密にする必要はない。出来るだけ高く売りつけるために奔走してくれようよ」
魔法学園を作るにあたり、輝虎は常備軍を造る際に得たノウハウを公開した。
この世界の魔法は難易度式であり、魔法の種類ごとに必要な能力が違うという事、そしてそれらが秘密であるというのが術者が増えないおおもとの理由であったのだ。陰陽師や賢者のみがその全容を知って独占し、摂関家や一部の有力貴族・大名のみがその一部を教授されている。祖先が公家だという一部の豪族に、妙に優秀な兄弟が居たりするのも、その影響であると言えなくもない。
だが、一向宗は民を依存させるためにシステム化を始めた。
筆マメであった親鸞聖人が残した資料を基に、各地へ流された時の情報を共有せざるを得なかったと言う背景がある。彼らだけならば一向宗の秘密で通るのだが……輝虎は本願寺が恩着せがましく享受する前に、転生者のゲーム脳で体系化してしまったのだ。オマケに神の加護・御仏の加護がランダムに存在する事や、難易度に合わせて訓練する所までセットしてあったのである。
「これからは法術を覚えている者がまばらな世ではなくなる」
「その気がある者は法術を覚えに学び舎へ赴き、有用な加護がある者は推薦されよう」
「それらの法術師を育て世に送り出すことで、人々は現世利益を享受することになる」
(んー。この世界では鉄砲が流行ってないけど、魔法のせいで駆逐されたのかもしんないね。……ということは火薬と鍛冶を育てるよりも、魔法を覚える方で正解だったのかな)
ロマンと娯楽を追求した果てに、輝虎は世の中の真理を判った気でいた。
実際にどうなのかはともかく……魔法使いが増えることで、世界は良い方向になると信じていたのだ。そのついでに鉄砲で攻められたりしないとか、黒船が歴史を越えてやって来ても間に合うんじゃないかなーと楽観的に考えていたのである。
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大和の諸勢力との交渉は難航していたが、マイナス方向の変化があった。
現地入りして交渉にあたって居た松永弾正少弼久秀からの情報が、三好家・将軍家を介して輝虎の元に伝わったのである。話を聞いた当初の頃は輝虎は笑って聞いていたという。
「興福寺がこの輝虎を名指しで挑んでいるだと?」
「……正確には、邪教を匿う不埒者であり、仏敵を成敗すると息巻いております」
「不思議な事を言う。景教の別派に対し、公正に見よと言っただけであるぞ?」
「しかもその話は我が領内と出入りする商人に向けての事。特に将軍家や朝廷に申し上げた事など無いはずであるが……。召し上げる土地を減らせ、金殻の矢銭・段銭の類を減らせという為の名目ではないのか?」
この話を聞いた輝虎は、交渉術の一つとして大きく出たのだと考えた。
実際、足利義輝以下、流浪の日々を知って居る者たちは最終的に一定の資金や米が確保できれば良いと考えていたのだ。朝廷や幕府側に立つのであれば流石に領地半減ではなく、献金や収穫の一部で許すという流れである。その事を予測して、最初にモメごとを起こすことで、後から交渉に乗って来る事を期待しているのかと思ったのである。
だが明智十兵衛光秀は伝えられたことをフォロー無しに伝達した。
大和攻めでは貢献することで土地を貰おうとしていたので、気が付いたら四分割する話になって居て不服があったのだ。将軍家から輝虎に付けられた武官であり、取り立てられる順位としては相当上の筈だが……馬鹿正直に御上が半国を御料とする話を進められていれば、自分の領地も大きく減るだろうと不満があったからだ。
「確認いたしたいのですが伊賀守殿。その件を無関係な者へ話をされましたかな?」
「そのような事は決して! そも弾正大弼様のお手元で時間を掛けて育む時なのです」
「今は迂闊に広めて教徒を募る意味はありませぬ。怪しげではないと評判を積んでおりました」
「また、我が父を経由して確認いたしましたが、怪しい者は確認できなんだと」
次に尋ねたのは、キリスト教の保護を願った和田伊賀守惟政である。
彼が勇み足で先行発表し、周囲にキリスト教は輝虎にも認められた素晴らしい教えだと勝手に宣伝している可能性を考えたのである。だが惟政は忍者の家系ゆえか理性的であり、父親でもあり甲賀の上忍である宗正に防諜を頼んでいたくらいには慎重であった。今は何人もの有識者たちに問題ないと認められる段階なので当然であろう。
「疑っているわけではないのですよ。単純な状況整理です」
「こちらの勢力に通達を送ったばかりで、和田殿らは漏らしておらぬ」
「となれば興福寺の邪推でありましょう。そのような事は無いと順を追って説明……」
「その……あまりよろしくない噂が既に大和で飛び交っておりまして、それらを信じて耳を貸さないのではないかと……申し上げます」
輝虎は笑って惟政の懸念を払おうとした。
味方が誰も漏らしてすらいないのに、詳しい内情が広まるはずはない。仮に広まったとしても『公正に扱うだけ』と言う情報が伝わる事で、誤解を解けると思っていたのである。しかし、ここで光秀はダメ押しをする事にした。
後から判明すると問題に成り、輝虎が激情しかねないハレンチな噂。
その事を先に説明しなければ、計画が大きく変わるし……激怒してヒステリーに陥った場合は、大変なことになると気が付いていたからである。噂の内容には彼も含められてしまうので、早めに消火したかったのもあるだろう。
「噂じゃと? そのような事で天下の興福寺が無用な騒乱を?」
「天下の興福寺だからこそ……でありましょうが……その、お耳汚しですが……」
「構いませぬ。もし罵詈雑言であろうとも、その事には明智殿に非はござるまい」
「それでは最後まで冷静にお願いいたします。全ては大和で流れている噂。この十兵衛が選んで伝えたわけではございませぬ」
光秀は重ねて問題ないかどうか、激怒しても切り殺さないでねと念押しした。
その時の諸将は何を小心な……と光秀の懸念を馬鹿にしていたくらいである。だがその噂について説明された時、むしろ彼の事を勇者だと内心で誉め讃える程に掌がクルクルと回転した。
「て、輝るのは蛍の輝きのことであろう」
「その……高貴な方に尻を売って成り上がるとは蛍大名と呼ぶべきか」
「方々に愛想を振りまくだけでなく、稚児や益荒男を侍らせる酒池肉林の不埒三昧」
「天竺の華陽夫人や、唐土に聞こえし妲己。本朝であれば玉藻の前……いやいや六条御息所や式家の薬子であろうと……の……噂にございます」」
最初に蛍の輝きと口にした時、雅だなあと呑気に輝虎は聞いていた。
だが、色香で将軍や大臣たちを誑かしただとか、酒を呑んで男を片っ端から食っていく肉欲の権化だと言われた時には眉がつり上がった。妲己は凄い美人というのが定番なのでまだ許そう。玉藻の前だってある種の被害者だしね。
しかし! そこから例えが高齢化するのがダメである。
源氏物語で問題視されるどころか生霊化する六条御息所であるとか、尊い方を誑かせて反乱を起こした藤原薬子(娘ではなく母親が好かれた)に例えられた段階で限度を越えて居たと言えるだろう。尼将軍北条政子や日野富子に例えられてないのは単純に肉欲の問題にしているからであろう。
「そうか……興福寺の門徒は実に雅な例えをするのう」
「この輝虎に言い寄る男の気がないのを見て、かような例えをするとは」
「言うにこと欠いて玉藻の前に例えるとは。つまり輝虎は喪女になり男を求めて生霊になると」
「ははは。きっと大化の改新よりも以前の、旧に復したいと思っておるのであろうなあ……。久しぶりに愉快な話を聞いたわ」
輝虎はこの時、太宰先生の構文を思い出した。
聖書に登場するヨナタンとダビデの美しい友情をモデルにした、古代ギリシャの物語に関するツッコミどころ満載の構文である。噂を調べもせずに鵜呑みのするのもどうかと思うし、邪知暴虐も許せないだろう。何が許せないかと言って、エロを否定すると反転して喪女になるところである。
さて、お分かりの様に輝虎は心当たりがあって焦っているわけではない。
有名どころに囲まれて逆ハーみたいだなあ……なんて思えたのは最初の内だけだ。考えても見て欲しい、チョンマゲで前髪が後退した二枚目たちを現代人の感覚で見た時の事を。友人知人ならともかく恋人としてみると、なんというか『スン』としてその気に成れなかったのだ。色ボケだと例えるにせよ、それをひっくり返して喪女だというにせよ我慢の限界というものはあっても良いはずだろう。
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現代人の転生者だからと言ってレスバに強いわけでもない。
輝虎がムカつき頂点を通り越して、むしろ笑っていると知って周囲は思わず黙った。この事を鉄火場で知らなくて済んだことで光秀には感謝しつつも、どうにかしろと皆の視線が語っている。
「弾正様。ひとまず興福寺への返書はいかがいたしましょうか?」
「以前に認められた景教の別宗派である事を明記せよ」
「邪教かどうかはこれから衆目によって判断するところ。輝虎が口を挟む所ではない」
「その上で言われなき罪にて仏敵だと申すならばお相手致す。輝虎に後ろめたい所は何らなく、興福寺の言い分が正しいと思う援兵が集まるまでお待ちする所存である。こちらは輝虎の言い分が正しいかどうかを判別する見届け人のみを帯同すると書いておけ」
仕方なく口を開いた光秀に、輝虎はひとまず話を区切った。
大和で噂されている肉欲の権化などという話は無視したのだ。その上で文句があるならば勝負してやるよと、こちらから挑戦状を叩きつけた。『五千か、一万か? それとも大和の兵士全員でもいいぞ。こっちは手持ちだけで相手してやるよ』と強烈な喧嘩腰の内容であったという。
「だ、弾正様……もう少し手心というものを……」
「戦に加減をせよと? おかしなことを。そも言い掛かりをつけたるは興福寺であろう」
「だが加減せよと言うならば考えよう。言い掛かりを信じて集まる兵もおるまいしな」
「興福寺が幾つかの条件に乗る度にこちらは段階的に加減をしよう。兵の数も制限するし、生き延びた僧も殺さぬようにしよう。寺も焼き討ちをせぬと誓おう。その代り……それでも勝った場合、阿修羅像は戴いて行くぞ。何しろ上杉輝虎という女は美丈夫に目が無いそうだからな」
一見、冷静そうに見える笑顔の怒りに周囲は震え上がった。
どちらが正しいかの勝負をしようなどと言い出す時点で話がおかしいのだが、例え手加減してでも勝利してしまいそうな雰囲気がある。昔から『賀茂川と山法師と賽の目はどうにもならん』とエライ人ですら言っているのだが、別に勝つだけならば勝てるのだ。問題はその後に起きる風評やら復讐者の問題があるからであって、そう言った事をまるで気にしない相手には山法師も形無しである。
とはいえ興福寺は大和の勢力に強い影響を与えている。
四つから五つに別れた勢力が常に争っている大和であるが、興福寺は別格で超然としていた。難航していた交渉は暗礁に乗り上げ一転、戦いとなったのである。何者かの思惑通りに……。
冗談のような始まり方ですが次回、大和戦です。
挑発され退けなくなった興福寺と、ガチ切れの輝虎ちゃんの戦いになります。
みんな根も葉もない噂が悪いんや。