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弘治三年が後僅かに成った頃、輝虎は京の都に帰還した。
本当はもっと早くに戻れたのだが、大和の仕置きで時間が掛かったのだ。豪族たちは盛んに興福寺が参戦を強制したと言い募り、興福寺は興福寺で頑として負けを認めないと言い放つ厚顔無恥ぶりである。だが仏敵認定は解除され、阿修羅像は一時的に貸し出すという事になった。
誰が見ても輝虎の完勝であり、大和勢の強がりは目に見えて明らかだ。
興福寺が頼りにならぬと見た国人たちは、輝虎の傘下に移ることで本領の安堵を願ったという。長引きそうになった所で将軍家の調停が入り、所領の一部と収穫の何割かと段銭権の一部で折り合いがついたのである。
「冬だというのに凄まじき人の出よな」
「みな、弾正様の帰還を心待ちにしておったのです」
「一目見ようと、鞍馬寺まで列を為しておるそうですぞ」
「見ようとしているのはこの弾正ではなく阿修羅像かもしれんぞ? あそこが女人禁制を解くとは私も思わなんだくらいだ。興福寺が折れないのであればこのまま安置することになろう」
言い掛かりにも関わらず、冷静に穏当な勝利を収めた輝虎。
その人気は鰻登りであるが、我が世の春と高笑いするような性質ではない。今回赴いている鞍馬寺は途中の毘沙門堂までは女子でも入れたのでしょっちゅう参詣していた。だが、いきなり全山の女人禁制を解除し、輝虎を迎え入れるというのだから明け透けである。おそらくは興福寺との勢力争いなども関わっているだろう。比叡山は金持ちの味方であるため早くから輝虎に接近しており、この機に味方に付けるつもりであろう。
「ただ阿修羅像と同じ様式で像を掘らせても良いやもしれんな」
「見事な像ゆえ千年でも二千でも伝えられよう」
「天竜八部衆……いや四人の阿修羅王を表現しても良かろうなあ」
(確か若者で日食の中二病系。いきなり突撃して負けたヒャッハー系。あとは最後に出て来るオジサマ系がいるんだっけ? 三人目……三人目? まあいいや、髪型とか私の好みで掘ってもらおーっと)
前世知識になるが世紀末を越えても阿修羅像は残っている。
仏像女子の中で一番人気と言われるくらい、美少年ぶりでも有名。黄門様が地獄に行く話とか、聖なる伝説やら斎の伝説に、あるいは仏像同士が殴り合うバトル漫画などなど……様々なフィクションにも登場するくらいである。輝虎に転生した女は、この気に前髪を剃る文化からの脱却を秘かに狙って居たという。
「御屋形様。大樹様より例の件を早めるようにとの仰せです」
「朝信か。承知したと伝えてくれ。明年には普請に取り掛かる」
「それとそなたを修理少属へ推挙するとの言葉があったのだろう? 受けておけ」
「はっ! ありがたきお言葉に存じ上げます! 斎藤修理朝信。これまで以上に忠心申し上げます!」
鞍馬寺までの移動途中、工事担当の斎藤朝信が声を掛けて来た。
彼は都への街道拡張を行いつつ、賀茂川の工事に向けて調査していたのだ。今回の興福寺の件を受けて、かつての権力者ですら頭を抱えた山法師や賀茂川の害を乗り越えたと天下に喧伝したいのであろう。彼が移動途中に伝えてきたのには幾つか理由もある。
この後で輝虎に与える為の褒美を足利義輝が用意しているという事だ。
その中に普請責任者である朝信への官途があるのだろう。造営長官職である修理大夫には三好長慶が就くことが既に決まっている為、輝虎と長慶が共同して都の為に動いているという事にしたいのだと思われた。また、官職の数では輝虎に利を与え、上下関係では長慶にマウントを取らせるつもりだと思われた。
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さて、輝虎が掲げる旗が四種類ある事を説明しよう。
毘沙門天の旗に関しては言うまでもないだろう。次に『乱れ龍』は軍勢というよりは不動尊が掲げる正義の戦であるということを示す。そして『竹に雀』が上杉家の旗印と言う事だ。
「弾正よ。よくぞ無事に戻って来たな」
「しかも勝利しただけではなく、余計な人死にを極力抑えたとか」
「きっと仏道の守護者である阿修羅王も、そなたと共にこの日の本を守ろうというのだろう」
「誠にありがたき御言葉。この輝虎、何よりの励みにございまする」
義輝は白い包みに入ったナニカを持って待っていた。
下げ渡す物など、その都度に下人や直接の部下から受け取れば済む話なのにだ。そして輝虎が頭を下げて感謝の言葉を述べると、ニヤリと笑って首を振るのである。
「その言葉はまだ早いぞ」
「上皇様がことのほか喜ばれてな」
「儂と話し合い、帝を通じてコレを用意されたのだ。ありがたく拝領せよ」
「こ、これは……錦の御旗にございまするか!! なんともったいないお心遣い! 感謝の言葉も即座には見当たりませぬ!」
白い包みより出されたソレを見て、輝虎はその場で片膝を着いた。
それは輝虎が所持していた第四の旗と同じ……いや、格が違うどころか最上級の存在あった。描かれたのはたった一つの紋様とセットになった文言、金糸で描かれた花をもって日輪を象った紋様と、天照皇大神の御名を記した……まさしく誰もが思い描く錦の御旗であった。
今まで使っていた御旗は、あくまで日輪を描き朝廷の意を汲んだ戦いと示すだけの物だった。
だがこれはその域に留まらず、朝廷の軍を預かり朝敵を討つために用意された旗であったと言える。どれだけ恐れ多いかと言うと、本来ならば将軍家の一族にのみ掲げることを許されるという『慣習』があったほどである。
「上皇様の御言葉を伝えるぞ? 心して聞くがよい」
「はっ! 上杉弾正大弼輝虎、一字一句聞き逃さぬ所存!」
「うむ。『天晴れ、見事なる神兵である。日の本の騒乱を治め、末永く今上を助け参らせよ』との事である」
「誓ってお言葉通りに!」
たかが旗一つ、たかが言葉一つと侮ってはならない。
この旗に歯向かう事は朝敵であると自ら宣言したも同じなのだ。そしてその御言葉は日本を守るために悪意無く働き、世を混乱させようという者共を討ち取れとの命令そのものなのである。そこらの大名と違って、言葉自体に大義名分があった。
この事は義輝が長慶にすら話さなかった最大級の褒美であった。
万人が見守る中で輝虎は将軍家に付き従う姿を見せつけるだけでなく、その武威を示すだけで世の大名は恐れるだろう。これまでの御旗はあくまで越後国内での防衛戦や、関東で守りの戦をする時に多少効果がある程度であった。だがこれからは違う、それこそ中心人物となれる豪族の居ない国などは現れただけで降伏しかねなかったのである。
「それと名誉職というべきか、いずれ来る昇進の前渡しがあるぞ」
「これ以降、そなたの事を弾正卿と呼ぶことにする。弾正尹へは三位に成った時に正式にじゃな」
「それと蔵人にも任ずるが、これもまた蔵人頭になるという内示であるぞ」
「蔵人の官自体はそなたが朝廷に寄こす使者に渡して構わぬ」
次に桐の箱と共に幾らかの言葉を掛けた。
先ほどの御旗を収納する為の箱だが、ついでに掛けられた言葉は形の無い褒美であると言えた。昇進そのものはまだ無いが、確実に昇進するという事と宮中に参内できる身分に成るという事は重要だからだ。授けられても実際に昇殿する武士はあまりいないだろうが、そこは様式美であり輝虎を『別格』として印象付ける為の物である。
「ほほほ。弾正であればいずれ少将、あるいは中将にも届こうぞ」
「その時は『頭中将』ということか。まるで平安の世の様だのう。嬉しや」
「誠に華やかな事です。この輝虎、七つや八つに成った娘の様に胸が高鳴っており申す」
(頭中将!? それってアレだよね! 源氏物語に出て来るイケメン! 源氏と違って誠実だし、格好良いよね!)
恐れ多くも将軍の言葉に割って入る者などごく僅かだ。
近衛晴嗣が冗談交じりに言うと、義輝も輝虎も清々しく笑顔で笑い合うのであった。他の者共が口にすればやっかみもあるかもしれないが、ここは真に世の平穏を求める者たちが集って居たと言えるだろう。そうするために輝虎の凱旋をわざわざ途中で待ち構えていたと言える。なお現在の左近衛中将は義輝なので、いずれ少将・中将になるというのは、その影として派遣されるという例えであると同時に、征夷大将軍が就く地位としては低いので早く義輝も昇進しろとの暗喩であろう。
「それとこれはそなたに渡す得免の権利であるが、不要なら誰ぞに譲るが良い」
「第一に、外つ国の商人と売買を行う権利。明の国と南蛮のどちらでも良いし、両方でも良い」
「第二に五畜の戒めを緩めるゆえ、もし牛馬を育てるならば食うても良い」
「第三に施薬院より薬草を求める許可じゃ。無論、管理しておる物ならば薬草に限らぬ」
交易権は判り易いが、微妙に判り難いのが五畜の戒めであろうか。
奈良時代以降、『牛・馬・犬・猿・鶏』を食べることを禁止する法令がたびたび出されることがあった。仏教伝来の影響で禁止令を時の天皇さまが『その都度』に出していたのだ。禁止を促したという事は、肉食する習慣があったことと、同時に農耕の奨励など他に意味があるから改めて出したということである。
そしてこの話のミソは、肉食は常に禁止されてはいない事だ。
あくまで仏教重視の天皇様や、農耕を奨励したいというその当時の支配者が話し合って出していたと言える。よって無理に禁止する必要のない時は食べられていたこともあるし、『薬食い』として栄養補給をしたり、神事で鹿を撃ち殺すことを認めた諏訪大社の鹿食免状などがある。日本が代々肉食を禁止して居たならば解除は難しいが、時々控えるように促す程度の慣習ならば緩めることは可能であった。
「重ね重ねありがたき事。もし外つ国より薬が入りましたならば施薬院に献上いたします」
「また、法術師の学び舎にて験力を発揮する生薬が作られましたならば同様に」
「肉食に関しては兵共を育てる折に、厳しき鍛錬を乗り越えることに役立ちましょうぞ」
(ワーイ! やったね! とりあえず外国産のワインやブランデーでしょ、ビフテキでしょ? あとあと何があるかなー。とりあえず江戸に南蛮船を呼ぼうかなあ……でも中国……中国? 紹興酒とか桂花陳酒とか欲しい物はあるだろうけど、越後から? ちょっと遠くない?)
なお、この中で一番喜ばれたのは現代日本人らしく御食事権である。
予め『育てたら』と言う限定があるので、食べるとしてもその為に育ててから……という言い訳で牧畜に精を出すことができる。またこの当時は蒸留酒とか技術が遅れているので、それらが今から愉しみである輝虎であった。
なお、彼女は教科書レベルでしか知らないのだが東北と中国での貿易はあったらしい。
例えば平泉の黄金とか金貨が無い日本で装飾品以外にどう売り裁いたのかと言うと……実は福建省のあたりと密貿易を唐の時代辺りからしていたらしい。やろうと思えば越後からでも十分可能ではあっただろう。そして明確に北陸からでも可能だと認識して居なかったことが、中国との貿易権を実質的に手放すことに成ったと言えるだろう。
「かっかっか。弾正は実に謙虚よのう。地下の者共とも親しんで居るか」
「これは一色様。大樹様の前で、下々に関することをお耳に入れて申し訳ありませぬ」
「良い良い。儂もその件で話が合ってのう」
「美濃の件での続きという訳でもない。改めての話じゃ」
ここで話に加わったのは一色義幸で、何人か前の左京大夫である。
この辺りの官途は微妙なのだが、関東の以東はみんな無視しているので彼が左京大夫といえなくもない。ちなみに一色家の本家を継ぐことにして修理大夫になる話もあったのだが、三好長慶に譲ったのでその話はお流れになった。
そして美濃の件というのは、斎藤家の一人に一色家の名前を与えた事だ。
かつて美濃の土岐家に一色家から養子が出され、そこから縁故を結んだ相手には一色家の血が入っているとも言える。そこで斎藤家を割って存続を許した時、西美濃の斎藤家にその名前を許したのである。ようするにそこでの借りを、ここで終わらてやるから話を聞けよ。という実にありがたい御言葉であった。
「明との貿易を行うのであれば、我が丹後の港を提供しようではないか」
「旗の色を明確にせぬ愚か共も、そなたが来れば鮮明にしよう」
「義幸……めでたい席でその様な話をせぬでも良かろうに」
「いえいえ大樹様。実は山名殿からも同様の言葉がありましてな。生野の銀山を提供しても良いといっておるのです。いや、都の北が平穏と成るのはめでたいことではありませぬか」
なお、一色義幸は相伴衆という側近の中でも上位にランクされている。
幕政に口を出す権利のある側近であり、義輝に協力もするが振り回している人物でもあった。丹後の港を提供すると言っているが……実は細川晴元や若狭武田の問題で支配権はかなりボロボロになっており、他人任せで大名の地位を取り戻すために報酬として渡そうというだけの事である。三好長慶に地位を譲ったのも、丹波を平定した次の問題なので取引とも言えた。
本来ならば彼は置いて行かれて一気に済ませてしまう予定だったのだが……。
今回の件や長慶との兼ね合いで、今までの様に義輝を振り回すことが出来なくなっており、明確な将軍派として態度を固めたことから情報の共有と同伴を許されたという経緯があった。
「ほう……右衛門督がか。しかし生野の銀山は彼奴の生命線だと聞いたが?」
「そうも言っておられぬようで。相当に足元が弱って居るようですな」
「因幡に続いて但馬も怪しいとか。どうせ奪われるのであれば、援軍と引き替えにしても良いということでしょう」
「もちろん弾正が越後で行うというならば儂は無理にとは言いませぬよ。ですが……山名殿の窮地は救ってやっても良いのではないかと思いますぞ」
山名家は山陰側の名門だが尼子家によって追いやられていた。
但馬と因幡が最後に残った砦とも言えるが、その支配もおぼつかないどころか、史実よりも早く追い詰められている。その凋落を何とかしのいでいるのが生野銀山であり、まさしく生命線であった。だが逆に言えばその所有が尼子家の興味を引いているとも言え、もし援軍を出してもらって但馬……できれば因幡も取り戻せるならば渡しても良いということなのだろう。
そして義幸の用事はこの話を耳に入れる事であったともいえる。
実際に丹後の港を渡さずとも、もし但馬へ援軍が派遣されるならばその過程で丹後にも影響が及ぶからである。そして丹後と但馬が親将軍家側になるならば、すり寄ってきている若狭武田も態度を明確にするだろう。この条件を義輝が否と言うはずがないし、言うならばそもそもこのセレモニーへ加えていないことから確信が持てているに違いあるまい。
(一色と山名。この二つが僅かでも力を取り戻せば幕府の復権も近いか)
(そして今の輝虎にやらせる以上、相伴衆に入れるなとも言えまい)
(義幸としては色々とチラ付かせてでも援助させたいのであろうな)
(そして山名の要請は渡りに船であった。自らは可能性のみに言及し、何も渡さずに援助させる気なのだろう。少々小賢しいが……絵に描いた餅の見事さだけならば見習いたいものだ)
義幸の考えを義輝は見抜いて見せた。
その上で『小賢しい』と思える自分に苦笑せざるを得ない。以前の自分であれば顔を真っ赤にして賛同していたかもしれないからだ。だが、現実を見据えた今の彼にとって『少々遅かったな』とでも言うべき小ささであった。
この件をゴリ推す自体は出来るだろう。
だが、それで何を得るのか? 一色家は取り戻した丹後と美濃で二国、山名は但馬と因幡で二国。以前の繁栄程ではないが、現実的に可能な範囲で最上級の結果になるだろう。幕府も一見安泰に見える。しかし、この話はそれ以上の価値が無いのに、様々な大名へ喧嘩を売る未来しか見えなかったのである。
「義幸。今はめでたいせきじゃ、その件はここまでとせよ」
「た、大樹様。この件は高度に政治的で……」
「判っておる。同じことを頼み込む者がおらねば儂から言うても良い」
「じゃがの。めでたき席に損得ずくの話を持ち掛けるべきではなかろう」
義幸の話には他者がどう思うかが欠けていた。
輝虎の選択権がまずあり、持て余すから不要で身内に渡すというならば話も判る。だが他の大名が話を持ち掛け、もっと良い条件の話を持ち込む可能性すらあるのだ。それこそ欧州の小大名が従属と引き替えに話を持ち掛けたり、南蛮貿易の方が有望だと思って居ても、他の大名が大きな利益を積み上げたら話は変わって来るだろう。
そして何より、それらの交渉をするならば長慶を通すのが筋だった。
今回の件で根回ししたのは彼であったし、よい良い条件を整えるとしたら彼が間に入るだろう。また丹後や但馬に行くならば三好家が収めたばかりの丹波を通おらねばならず、今この話を押し通せば細川派の国人が息を吹き返してしまう可能性が問題であった。では若狭を通れば良いではないかと言うならば、その貿易港は若狭でも良いということになってしまうであろう。また但馬で尼子とモメているというならば、毛利を動かしても居ないのに、尼子を今の段階で刺激したくはないのである。
「そういう事じゃ弾正よ。まずはお披露目をすませて、鞍馬寺に安置して来るが良い」
「その上でゆっくりそなたにとって良い内容を考えるが良かろう」
「はっ! 大樹様の御命にしたがいまする!」
「では、方々。暫し離れまする事、ご容赦を!」
一度に凄い話が舞い込んで、パニックになってる輝虎は義輝の配慮に感謝した。
そしてエライ人たちの前を辞して、鞍馬寺に阿修羅像を持ち込んだのである。もちろん興福寺や他の寺に対抗意識のある鞍馬寺の僧侶たちも坊官以下僧兵たちもスタンディング・オベーションで出迎えたという。
なお、この話には他愛ない余禄と面倒くさいオマケが付属している。
余禄に関しての馬鹿馬鹿しい一幕としては……鞍馬寺の御本尊は、毘沙門天と千手観音菩薩と護法魔王尊の三位一体の尊天である。これが阿修羅像を持ち込んだことで奇妙に習合して河原で催される芸事で『鞍馬尊天魔王尊』と言う一幕が公演され人気を博した。遥か古代に飛来して一万年に一度、人類を教導するために現れる永遠の十六歳。三つのしもべに命令を下して何処かにある塔から出撃し、日の本を守る中世的な武将が現れる……との物語が爆誕したという。面倒なオマケに関してはまたの講釈としよう。
と言う訳で京都に帰って来た輝虎ちゃんはパンダ並みの人気です。
人々が見て熱狂するのも、政治的利用されるのもおんなじ。
●錦の御旗
以前のは日章旗に近い、一番下のランクです。
今回のは金糸で縫い取り、基本的には太陽を模して描かれる紋章。
特に菊御紋と決まってませんが、金色の太陽があり、神様の名前が入っております。
これがあり天皇様の御言葉上がると「朝敵を討つ!」と言う決め台詞が言えるわけですね。
●今更協力するといっても、もう遅い!
輝虎ちゃんが京都に着た頃なら凄い条件なのですが……。
政治的妥協が成り立っていて、もっと大きな絵図面を描こうよ! と成って居る今日この頃。
放っておいても切り取れる京都北部をレンタルしても良いよ! と言われても困りますよね。
●鞍馬尊天魔王尊
サナト・クラーマ。いろんなものが習合して、アニメのような存在と化しました。
多分、輝虎ちゃんの像が立ち、後に歌舞伎とか宝塚とかで公演されるでしょう。