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弘治六年。とあるセレモニーが行われることになった。
小早川隆景が船で三好家を訪れ、修交を行いながら色々と未来について語り始める。要するに将軍である足利義輝の思惑に乗って、戦乱の世を店仕舞いする為の準備に入ったのだ。
その象徴として輝虎が取り上げた阿修羅像を返却。
隆景が足利義秋の名代として受け取り、一度鞆の裏に持って帰るかそれとも興福寺に直接返却するかまでを決める段取りに入って居たという。
「但馬より呼びつけてすまぬな」
「此度の事でそなたが居った方が話が早いのと前後して、塩田の話がある」
「何割もの増産が可能で法術師を揃えれば倍増も可能とか。それを供与してはどうかと思うてな」
「法術師の学び舎で培われた知見です。大樹様のよろしいように為されてくださりませ」
このまま戦乱を終結させると不利益を被る大名が居る。
例えば毛利家は尼子家を叩き潰せる段階なのに、それを止めねばならない。主家であった不倶戴天の敵であり、輝虎が協力している山名家を追い落とした家でもある。倒すべき理由はあるのに留め置くのは、一刻も早い戦乱終結であると同時に、バランス取りとして残っている方が都合が良いからだ。
そこで阿修羅像に関わる名誉の他、塩田で利益を与えることになったのである。
この事は東国の今川家にも言えるので、織田家を攻めない代わりに塩田の話を持ち掛けているとの事だ。だがその確定には技術開発を行った輝虎の承諾があった方が確実だし、さらに技術が磨かれているならソレも供与するのか、一段劣っている段階で済ませるのかの協議も必要であっただろう。これらは将軍のお声掛かりの事業とはいえ、実際の金を出しているのも人材を育てているのも輝虎であり、彼女を隠れ蓑として土御門家は一歩引いているというのもあった。
「そうか! そなたならば必ずやそう言ってくれると信じておったぞ」
「最後の協議と公開は妙心寺で行う。花の御所があった辺りと言えば良いか」
「臨済宗の寺に改められ、その後に戦乱で焼けては再建を繰り返しようやく形になった」
「それは素晴らしい場所でございますね。臨済宗にはいささかご縁もあります。これも仏縁でしょう」
花の御所は将軍の座所であり、同時に天皇や上皇の避難所でもあった。
だがそれも戦乱で焼け出されてしまい、再建を断念した義輝が別の場所に移ったために放置されるはずであった。しかし輝虎たちが一万貫文を献金し、その後もそれなりの献金を続けている事から、小規模ながら再建を果たしたという経緯である。他にも再建する場所がある中で、あえて選ばれたのは奇しくも臨済宗だからだ。
輝虎が幼き日に学んだ林泉寺は臨済宗であり、その縁もあるだろう。
予算を出してくれるであろう彼女に慮った面も無くはないが、やはり一向宗や興福寺のような寺とは無縁な場所が必要であったというのも大きい。その点、武家の者が懇意にし易い臨済宗であり、元々御所だった場所が選ばれやすかったと言っても過言ではないだろう。
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輝虎は一時的に京に戻ったこともあって、迎賓館の進捗を見に来ていた。
構想は既に伝えてあるが、構造上の問題で北向きから西へと至る、素焼きのパイプを地下に張り巡らせている所であった。東から取り込む用水路と南のプールは後からでも済むので、簡単な区分けのみを施され放置されている。
そして迎賓館の本館としての部分は、簡単に屋根だけ作って資材が置かれていた。
彼女とその護衛である剣豪たちが、東屋代わりにそこを訪れるのも、まあ当然と言えば当然であろう。
「弾正様。四神相応に準拠しているのは判るのですが、何のためにこのような?」
「甲州葡萄を譲ってもらうつもりなのですが、寒さに弱いやもしれませぬので湯気を少々」
「それと南に水練場を設けますので、北には湯殿を用意するつもりなのですよ松永殿」
「なるほどなるほど。肌寒い京の都で健やかに暮らすには良さそうな案ですなあ。ふむ……」
輝虎は急遽、松永弾正少弼久秀の訪問を受けていた。
同じ弾正台の官位を受けてはいるが、この時代の概念だと特に同僚と言う訳ではない。監察官という意味合いが東の武家には好かれるので要望されることが多い地位であるが、ここ最近では三好家の者が上杉家を立てる時に久秀が輝虎に。逆に上杉家が三好家を建てる時は、修理大属の斎藤朝信が三好修理大夫長慶を訪れるようになっていた。
同じ省庁の官職で平安の世では上司にあった。そこで適当な言い訳で上下関係を作って、互いの協調性をアピールしているというだけである。
「松永殿。なんぞこの輝虎に御用の向きが?」
「いえいえ。用と言う訳ではないのですが、西からの御客人が当家に居りましてな」
「仲次と言う訳ですか? ご足労をおかけいたしました。面会して構いませぬよ」
「そういってくださると幸いです。いや、色々心配しておりましたが、この屋敷を見てむしろ安心できましたぞ。おそらくは良い方向に進むでしょう」
直接の関係が無く官位も離れていれば仲次を挟むのが当然。
しかし久秀は緊張しながら輝虎の様子を探っていたようにも見える。正式な場所でアポイントメントを取らず、こんな工事現場で話を付けるというのは、闇取引というよりは相手に問題があるという事だ。その事を察せる様になった輝虎であるが、いつもの調子で未来の自分に決断をブン投げる。時として周囲が胃を痛めることになるのだが、そこは語るまい。
やがて通されたのは匂い立つような美女である。
尼のような格好をして紫の頭巾を被っているが、紫衣をまとう事をゆるされた僧侶は少ない。それを考えればそれらの誰かから衣を与えられ、その代理人として動いているから……という意味合いである。ただそれほどの尼であれば本来は仲次など必要ないのだが……。
「弾正様。こちらは西国は鞆より参られました、小早川隆景殿と申される」
「毛利家が家中、小早川隆景と申しまする」
「毛利家の分家で御当主の妹君でしたか。上杉弾正大弼輝虎と申します。よしなに小早川殿」
「無位無官ゆえ、隆景で結構でございまする。あるいは三原とでもお呼びください弾正様」
小早川と言えば毛利だよね! と僅かながらに思い出した輝虎。
しかし小早川隆景の方は面食らった。家の名前で呼ぶときは暫定的にその家をある程度認めて口にするものだ。これだけ身分に差があれば、いきなり諱である隆景と呼んでも許される向きがある。もちろん親しい仲や近隣の武将であれば、家中で使っている通り名を使うのであるが。
ともあれこちらを立ててくれたのだろうと思い、特に突っ込みは無し。ひとまず屋敷を立てている三原と名乗ったのだが……後日、この通り名に官位名を付けて呼ばれることなるとは思わぬ隆景であった。
「それで三原殿は輝虎に何をさせたいのでしょうかな?」
「それともこの度は顔繋ぎでそのうちに毛利家から何かでしょうか」
「……要件としては後者になります。しかし、お願い事がないでもありません」
「輝虎が可能な事であれば構いませんよ。弾正大弼としては私よりも松永殿の方が御存じでしょうけれど」
面倒事が嫌いな輝虎は直球ストレートでボールを投げた。
弾正台の官位に何の意味も無いことは誰もが知っている。ゆえに要件としては、将来の交渉に向けた顔繋ぎで次回は直接来るつもりなのか、それとも個人的な願いで何かあるのかと尋ねたのである。何しろ現時点で日本一の金持ちは輝虎であり、メキシコにある大銀山の半分くらいは一人で対抗できるとかいうおかしい財政をしている。朝廷や将軍家に献金しているほか、色々な公家や寺社が金の無心に訪れるくらいだ。
これに対し隆景は本来の要件である顔繋ぎの方を優先した。
毛利家を代表する者として当然であるが……輝虎の言動には何処か既視感を覚える。そして彼女の理想的にも、ここで聞いておきたいことがあったのも確かだった。次に会う時は公式の場やもしれず、このチャンスを失うのは惜しいと言える。
「失礼ながら、先ほど松永様よりこの屋敷の事を聞き及びました」
「西には甲州葡萄を植え、寒さ対策をする予定であると」
「どうしてそのような事をご存じなのですか? 大抵の大名は配下に命じるでしょうに」
「ああ、なるほど。いえ……ただ書を読むのが好きなのですよ。幼き頃は寺で修業の合間によく読んでおりました。その折に色々と学んだものです」
隆景はとある植物に関心があった。正確には彼女自身の望みでは無かったのだが。
しかしその事をボヤかして婉曲的に尋ね、前段階の条件作りに入った。植物に関して関心が無い者に聞いたり、命じるばかりで実行は他人に任せる者では話の通し方が違うからである。
なお輝虎は『暇だったから』という切実な転生者事情を語れないでいた。
ついでに言うと多聞宝塔の呪文で賢者たちに質問すると、ク-ルタイムを挟んで熟練度型経験値が貰えるなんて話す訳にはいかない。仕方なく読書は趣味なんですよ……とお見合いのような事を口にしてしまったのである。だが知らぬであろう、その姿に隆景は一条の光を見たのだ。
「その……弾正様は特免により施薬院へ出入りできるとか?」
「薬草以外にも、本朝に持ち込まれた色々な植物があると聞き及びましたが……」
「ええ。何か必要でしたら戴いて参りましょうか? それとも世話人が記載した知識でも?」
「っ! はい、はい。その通りなのですが……弾正様にお縋りする前に、どうして必要なのかを聞いていただきたいのです。我らが大姉、大内義隆様以来の大願にございまする」
隆景は輝虎の姿に今は亡き大内義隆の姿を見た!
武家は武門であり公家趣味はいい加減にしろだとか、芸術やら産業振興など捨て置けと言われつつ、それでも文化を愛して保護した尊敬するべき最愛の大姉である。世間の評価など知った事かと嘯いて、堂々と様々な産物を育て、公家を保護して文化を保護した義隆を思い出したのだ。関東では逆らう者を皆殺しにするなど鎌倉武士の様で、関東管領すら脅かしているそうだが、とうていそのようには見えない。
そういえば輝虎も魔法学園を作って公家の子弟を保護しているというではないか(大名どころか忍者も居るけど)。
「我らが長らく求めて来たのは木綿。そして高麗の人参を始めとした生薬です」
「我が国は古来よりそれらを珍重して多額の金殻を持って輸入してまいりました」
「ですが義隆さまは金儲けではなく、人々の為、国より出で続ける富を心配されておいででした」
「ああ。寒さは厳しいですからね。そんな時に綿の服と布団があれば、小さな子でもちゃんと育つのですが。生薬と言えば……富士の霊峰などで採れるという、冬虫夏草も健康に良いそうですね」
木綿生産と朝鮮人参は財政チートの一つである。
日本では基本的に生産できないというか、平安時代に持ち込まれてそれ以降に廃れている。寒冷期になったことも影響しているが、日本に合わなかったとも言われていた。ただそれは渡来人が遠くの出であったなど、知識の問題もあったので、かなり改善される可能性はあったのだ。それゆえに戦国物のストーリーにおいて財政を改善させたい者が目指すチートと呼ばれていた。
それはともかく、言いたいことを瞬時に理解した輝虎!
隆景は無くなった大姉以来の情愛を感じた。まさかこの程度の情報で、自分が言いたいことを全て悟ってくれるなどとは! まあ輝虎に転生した女にとっては、茶々こと顕如が小さな時に越後で侍らそうかと思ったり、自分も安楽な現世利益の為に欲しいかも! とか思っただけなんだけどね。
「ええ! ええ! その通りでございまする!」
「我が国に限らず小さな子が死ぬのは良くあること」
「それゆえに七つまでは神の内。死ぬのも当然だとみな諦めておりました」
「しかし義隆さまは常に思われていたのです。木綿を我が国で生産し、生薬の幾つかだけでも増やすことは出来ぬかと! お願いでございまする! 毛利の地でとは申しませぬ! どうか弾正様のお手で何とかなりませぬでしょうか!?」
正直な話、大内家でも様々な文物が生産されていたが、失敗したのだ。
まず木綿の種そのものの入手と、基本的な育成方法が手に入らなかった。しかし最近になって、朝貢貿易が終了して民間との取引になってから多くの賄賂と引き替えに可能となったのである。火薬を重視していないこの世界では、むしろそちらの方が史実よりも早く知られたくらいであったとか。
中国貿易を許可された事、費用を賄う石見銀山を手に入れた事。
そしてここで輝虎と出逢い、彼女が朝廷の施薬院へ出入りして、種や知識を手に入れることが可能と……全ての条件が整ったように見えたのだ! 隆景が感極まるのも仕方があるまい。
「よろしいですよ。その辺りの種と書を入手してまいりましょう」
「そういえば妙心寺……花の御所は再建途中とか」
「輝虎も多少協力いたしましょう。温かな場所で育てる植物はこの賀茂の迎賓館で法術も使うとして」
「そうですね。外つ国で生産されておる砂糖も入手してみましょうか。木綿と共に温かな国の産とか、本格的な生産は我らで育てるよりも、大友家なり島津家にお願いするのが理に叶っておるやもしれませぬ。毛利家や三好家からもお声を掛けていただければ幸いですね」
せっかくなので輝虎はこの案に乗ることにした。
かつて冗談で言って砂糖生産の話もあるし、馬車などにも木綿は大量に使うのだ。木綿の絨毯が欲しいなとか、砂糖やら朝鮮人参を使ってお酒も作りたいなとか思うのであった。
「弾正様。よろしいのですかな? 必要ならば我が殿、修理大夫様にもお声を掛けまするが……」
「巨額の費用を用いた上で、その成果物を他の大名に託すなどとはお人が良過ぎませぬか?」
「構いませぬよ。先ほど三原殿もおっしゃっていたでしょう? この国の為、この世をしょって立つ子供の為です」
「弾正様……」
流石に大事に成って来たので、見守っていた久秀が割って入った。
百合の間に挟まる男は死んでしまえとか良く聞くが、男女のアレコレに詳しくエロ方面でノウハウ本まで書いた男は一味違う。急接近した輝虎と隆景に遠慮しており、自分が交渉担当だと理解した段階で出てきたのである。なお隆景は先ほどから感激することしきり。弾正という言葉が、輝虎の慈悲を指すのかそれとも久秀の苦労を指すのかは聞くのも野暮であろう。
ちなみにご存じかと思うが、輝虎は自分で努力するのが面倒なだけである。金とコネだけ出して貰うモノ貰った方が良いじゃない。
「承知いたしました」
「御両所の話は必ずや修理大夫様に……いえ、大樹様や朝廷にもお伝えいたしまする」
「花の御所の造営に関する件も含めて、この久秀が請け負いまする」
(まさかこのような事態になろうとはな。大友や島津にも一口噛ませるなら話がまとまり易いわ。御屋形様もお喜びになろう)
三好家のスタンスは毛利家と同じ戦乱の一時収束である。
効率重視者である長慶はさっさと戦乱の世を治めるために行動していた。中央に居て幕政に関わる彼の意見は非常に重視されるし、主要経済圏を支配する彼は日本が平和になるだけでも十分に利益となるのである。それゆえに義輝の計画に賛同していたし、同時に三好家が主導できるように西国方面では調整していたのである。
ゆえに毛利家が輝虎の噂を仕入れる時、特にフォローはしなかった。
彼女たちが誤解するならぶつけ易いし、交渉するならば間を取り持って後から噂は嘘であると補えば良いからである。そして今回の件では得をするのは主に西の大名であり、仲次する三好家に直接の利益はなくとも、恩を売れることや各家の修交状態を良くするキッカケになった事を喜んでいたのである。
そして長慶に対しては忠臣であり、同時に謀臣としても知られる久秀。
彼の動向を容易につかめる事、そして周囲にいる大名の戦力では護衛である剣豪たちをどうやっても突破できない事。その事が輝虎に油断をさせていたのかもしれない。後に妙心寺で起きる事件の首謀者は久秀は無関係だったのだから……。
と言うわけでそろそろ戦国の世も終結に向かいます。
それはそれとして戦争では負けそうにないので、ミニマムな事件が一つ。
●三好家と毛利家
どっちも兄弟が全員才能が有って、同時期に重要な人が死ぬという。
それまでは隆盛していた三好家と、それ以降も栄えた毛利家。今回は同盟者になります。
ひとまず戦争止めて国力を高め、第二幕で好条件で戦うつもりという戦略になりますかね。
●小早川隆景と同盟交渉
史実で羽柴秀吉と交渉して、何故か昵懇の仲になって両陣営が修復されるという。
その後でも仲が良く、お互いに良くしたり協力関係にあったとか。
この話ではチョロイというよりは、木綿の実用化一歩手前だったのもあります。