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時間が経過するにつれ風間忍者たちが次第に討ち取られていく。
それも仕方があるまい。武芸者たちは得意な術を絞って鍛えるという意味では忍者と変わらないが、金を貰って武芸を磨いて暮らすという日々を送っているのだ。スパイゆえに多芸な忍びと戦闘力では比較になるまい。一人、また一人と数を減らしていった。
そして不利な戦いを行っているのは風間小太郎も同じだ。
下忍よりは優れて居ようとも、相手は剣聖たる上泉信綱。避けるための戦技と回避力を上げる忍術を使用し、さらに逃げに徹して初めて時間稼ぎが出来る程度でしかない。だがそれも後少しだ。
「観念せよ風間! 手下どももあと僅かぞ!」
「だが、まだまだよ。我ら風間一党、誰一人として生きて帰ろうとは思わぬ!」
「やれ! てつはうじゃ!」
「はっ! 風間者の散りざま、とくと見よ!」
信綱が多重フェイントを掛けた斬撃を放ち、小太郎の肩を切った。
鉄糸を仕込んだ皮鎧と筋肉で受け止めるが、真っ二つになって居ない方が不思議なほどの手傷である。もはや速力すら保てぬ、そう観念した所で本格的な最終攻撃に打って出た。生き残りの忍者たちはみな武芸者に抱きついて懐に腕を入れたのだ。
さすれば硫黄と煙が立ち込め、俄に肉が弾ける!
ボフっと鈍い音がして、抱えた忍者は即死、武芸者の方も生皮を焼かれ既に重傷の者に至っては死に至る。
(……見事、見事な最後よ)
(よくぞ血を刃とし、肉を弾とした)
(これで忍法『瘧神』は成る、肉弾の幸い彼岸を渡っても忘れまいぞ)
(玉縄の衆はもはや何処にも居らぬ。南武蔵の民は重税を掛けた上杉に尻尾を振った。……長尾景虎。奴は人ではない!)
和睦が成って、小太郎を始め風間一党は江戸に向かった。
どうにかして攫われた玉縄城下の人々を助けようとしたのだ。だが、そこにはもはや北条家の傘下で質素ながら平穏に暮らしていた人々は何処にも居なかったのだ。事もあろうに輝虎たちは、工兵たちに似た給与システムで働かせていたのである。
街道整備に協力し、大工仕事で家を建てれば見たことも無い金がもらえる。
確かに常備兵の精鋭よりは安いが、それでも一般の村人には縁のない銭であった。しかも越後経由で酒も塩も安く、働いた当日は飯も酒も一杯だけならもらえるというのだから戻りたくないのも当然だろう。殆どの村人は、その日暮らしの生活に慣れてしまっていたのである。風間一党は行商や旅芸人として仲良くしていたが、誰も説得に声を貸さなかったという。
「じ、自爆しただと!? 火球の法術か!」
「いいや違うぞ! あれぞ元寇で知られし、てつはうの技術よ!」
「忍びずれに弟子どもが剣の道を絶たれた気持ちはどうだ? 我らの悔しさの一端なりと知れ!」
「そして小太郎の散りざま、見るが良い」
祈祷所までさほどの距離ではないが、もはや届かぬ。
その事を知って小太郎は最後の手に討って出た。あえて信綱を煽り、部下の犠牲を使って武芸者が何もできなくなったと告げてやる。死なずとも手足の筋肉が焼けてしまえば、もはや戦えぬと煽ったのだ。
そして小太刀を抜いて、ズブリと己の腹に突き刺したのであった。左手一本で真一文字に横に引き、残る右手を……。
「腹切りだと!? 観念したか!」
「命が惜しくば近寄るまいぞ!」
「これぞ忍法……、おこりがみ!」
「我がハラワタ……あの外道にくらわせてくれるぞ……」
小太郎は腹を切裂くと、腕を突っ込んで内臓を抉り出した。
あまりの壮絶さに唖然とする一同に対して、見せつける様に引きずり出し……握り込んだ肝臓を誤魔化したのである。そして血を吐き、血の涙を流しながら信綱ではなく……輝虎が籠った祈祷所へヨタリ、ヨタリと歩いていくのであった。
「させぬ!」
「剣聖よ! 貴様も連れて行く! 」
「瘧……神が、秘術の一つ。七年ごろしが……貴様を狂わせる」
「一足先に、地獄で……待っておるぞ!」
驚こうが何をしようが、信綱の体は技を覚えている。
虎が尻尾を振るかの如き、一閃でニ撃を放つ最速の斬撃! ただの一瞬で小太郎の手足ごと切り裂いたのだ。ゆえに小太郎が握り込んでいた、肝臓が弾けて周囲に血潮を振りまいたのに気が付かなかったのである。信綱も己に返り血が散った事に気が付いたが、小太郎が何をしたのかまでは気が付かなかったという。
だが、その事が信綱を……いや武芸者たち全員を追い詰めることになった。
忍法『瘧神』とは何か? 瘧とはマラリヤを始めとした疫病の事。風間小太郎は疫病を制した事で、瘧の神と呼ばれることもあったという。そう、彼ら風間忍軍はその為だけに死んだのだ。死して屍拾うことなく、疫病を京の町に広めるために死んだのだ。
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その頃、将軍である足利義輝たちが籠る妙心寺の本堂へ最後の忍びが向かっていた。
その姿は小さく、細くそして動きは緩慢だ。まるで老人のような動きであり、……それでいて、頭巾や行者装束の下にある肌には張りがあった。
そして風に乗って鈍い音が何度か聞こえるのに耳をそばだてる。
「てつはうか。風間の衆は本懐を果たしたようじゃのう」
「さても恐ろしき蟲使いよ。直に興福寺の奴ばらも結界を築こう」
「ならば……わらわもお役目を果たさねばならんの」
「上杉輝虎。その武名に泥を塗ってくれる」
おそろしき三忍と後の人々は畏れを持って語った。
それは三名の忍びが、それぞれのやり方で忍務を成功させたからだ。己の命すら勘定に入れ、我が身と引き替えに役目を一つずつ果たしていった。
先に言っておこう、この三名の忍びは全員が役目を全うしたのだ。
それがどういう結果を日本史にもたらしたのか、輝虎たちがどう対処したのかは今は……語る時ではない。
「そこまでだ狼藉者め!! それ以上は本殿に近寄るでないぞ!」
「松永……久秀。何故、策士である貴様が此処に……」
「お前たち不埒者のせいで随分と面目をなくしてのう」
「しかも、てつはうじゃと? あんな物まで持ち出すとは。知っておるのは儂や毛利の衆くらいじゃと思ったのじゃが……それだけにまっこと迷惑を掛けてくれたものよ」
松永弾正少弼久秀は兵を連れて巡回していた。
本来、彼のような身分の者がすることでは無いし、するとしても剣豪としても名を馳せた細川兵部大輔藤孝あたりが担当すべきであった。だが、彼が言うように反乱側の策謀を見抜けなかったことで、足軽頭からやり直すつもりで巡回していたのである。もちろん、現場の情報を仕入れて、判断材料にする為でしかなかったが……。
魔法があるこの世界ではあまり発展して居ない、火薬が出て来たことでさらに追い込まれることになった。
「やれやれ、計算が狂ったわ。そも久秀は居らぬと思うたのじゃが」
「ふん。小早川の他にも色々客人が来ておっての」
「じゃが、それにしても、誰が名前を許したか!」
「……知らぬ顔でもなし、少々つれないのではないのかえ?」
しかし、それも仕方がない事なのかもしれない。
その女は久秀旧知の間柄であったのだから。他ならぬ若い時分、共に色々とやらかした相手であった。酸いも甘いも嚙み分けるどころか、後ろ暗い事も任せたことがある相手。久秀しか知らぬことになって居ることをこの女は割りと知っていたのだ。
「っ!? まさか……」
「そうじゃ、長年連れ添うた顔を見忘れたか?」
「天竺渡りの四十八手を試し、房中術を鍛え合った仲ではないか」
「上杉弾正の名前を落としに参ったが、まさか松永弾正。貴様の名前まで泥を塗れるとは思わなんだわ」
女が頭巾をずらした瞬間、その顔色が一気に青くなった。
その女は久秀の若き日を共にし、暗部まで任せた相手であったのだ。水魚の交わりどころか褥を共にして日夜、立身出世からこの世の悦楽までを語り合った中であった。
「……果心、貴様よもや……儂を陥れる算段であったか!」
「貴様には随分と良くしたに! 死を偽って出奔どころかここまで手を噛むとは!」
「それが死に別れた女に向ける言葉かえ? まあ死んだことにしたのはワシの都合でもあるがの」
「ともあれ両弾正の浮名はここまでよ。いっそ織田弾正にも何かしてやれば面白かったやも知れぬがなあ」
その女の名前は果心居士!
生没年の一切が不明の忍者、ゆえに存在すら疑われる希代の幻術師であった! 畿内を縄張りとして暴れていたが、近頃はとんと話を聞かぬ。彼女を使って悪事を働いていた久秀は、死んだと聞いた時に残念がると同時に、たいそう胃が楽に成ったという事である。何しろ共に働いた悪事の数々は数えられよう物ではないのだから。
「何をする気か知らぬが、これ以上の狼藉はさせぬぞ!」
「せっかく天下が収まり平穏に成ろうというこの時に!」
「それよそれ、貴様にはギラギラした野心が似合おうにつまらぬことを言う物」
「それにじゃ、何をする気か知らぬじゃと? このワシ、果心居士が為すは幻のみよ! 世に忍びはあまたあれど、幻の寵児。大幻術師といえばこの果心を置いて他にはおらぬわ!」
それは奇妙に矛盾した話で合った。
久秀が平和を願う事も奇妙ならば、果心居士がそれを残念がる事もまた奇妙。いや、そこは君臣の情や、男女の情と思えば理解も出来る。三好長慶を良き君主として慕う事も、松永弾正を悪漢として讃えることも人の情でしかない。
それより奇妙なのは、たかが幻術師風情が何をできるというのか!?
「っ!? まさか貴様……」
「気付いたか久秀。伊達に長年連れおうてはおらぬ」
「じゃが、もう遅い。謀反人の名前は『長尾景虎』、実におかしなことよのう」
「あからさまに虚名、罪を押し付ける為に適当に名乗ったと思っておるのじゃろ? 実にその通り! うぬらがすべきは、さっさと否定して見せる事であったになあ! ゆえに……我が事、成れり!」
顔を青くした久秀がより一層に顔を青くした。
事態がこれ以上悪くなるのか? その通り、しかも久秀たちが読み違えたがゆえに一層悪化するのだ! それでこそ上杉弾正大弼輝虎を貶める最後の一手なのだから!
果心居士は己の顔に手を当てると……頭巾とフードを取って仁王立ちになったのである。
「その顔……やはり……」
「そうじゃ! 弾正めの顔よ!」
「これで……全ての元凶は上杉弾正に相違なし!」
「もはや醜聞は止まるまいぞ! 多くの者が見るじゃろう! 弾正様が大樹様を殺そうとなすった、京の都に火を放ち、さらに悪疫を放ったとな! 千年先まで語られようぞ!」
現れた姿は輝虎ソックリであった。
ニタリとした表情が合わぬものの、その顔付きも……それどころか華奢で小さかった体つきまでが輝虎に似ているではないか! 果心居士の技は幻術と相場か決まっている。ならばこの程度の小細工は容易かろう。
「まだだ……。うぬをここで仕留めれば……」
「むーりだ。今更止まらぬよ。いいや、忘れておるのではないか?」
「興福寺の奴ばらがここに至るまで何もしておらんのを忘れておらぬか?」
「貴様らは弾正の秘術を心待ちにして時間稼ぎしておったのだろう? それはこちらも同じことよ! 強い? 神兵? 神州無敵? ああ、貴様らそうなのだな。良かったのう! 好きなだけ殺すが良い! 殺せるのならばなぁ!」
青ざめる久秀に果心居士は断言した。
そして興福寺が僧兵を一切動員せず、済ませた理由をここで開陳する。そう……あの連中は最初から、儀式魔法を使うための術者を送り込んでいたのである。
「ワシは修験道は知らぬ故、オン・シュラ・ソワカとでも言えば良いのかすら知らぬ」
「ただの加護を与える結界に過ぎぬと聞いて居る。ただその効果は覿面よ」
「風が吹けば蘇る。敵も味方も、全ての死体が蘇るのじゃ」
「ワシらの手勢が既に生きてはおらぬ? いいや、むしろ死んで居らねば困るのよ! 死者にのみ掛けられる幻術も掛けておるでのう。もう一度申そうか! 全ての元凶は上杉弾正に相違なし!」
むくりと何処かで死体が動き始めた。
欠点は幾らもあろう、そも結界を築くには四本の基部が必要で、維持にすら三本は必要。だが花の御所造営に際して一色家を介して手配していた。その能力も強くはなく、制御すら曖昧だ。死体が動き回るだけの術で、理性を保っているならば術者にすら従わない。
その効果は『死を禁じる』以外の効果が無い……修羅界を演出するためだけの魔法であった。問題なのは……そこに果心居士が幻術を掛けているということである。
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死体が動き回り、常備軍の服装をして人を脅かす。
更には瘧のキャリアーとして、悪疫を引き越す。放っておけばそんなことになるだろう。上杉弾正大弼輝虎がそれをやったという目撃証言も広められ、京の街が壊滅すれば歴史にも残ろう。
だが、その時……輝虎は何をしていたのか?
(もーやだ! なんで私がここまで言われなきゃなんないの!)
(みんなでお金たかってさ! あるからあげたけどもっと寄こせって!)
(戦えって言われたから勝ったのに、勝ち方に文句まで付けてサイテー!)
祈祷の途中で逆ギレを起こし、最後の最後の詠唱部分に踏み込めないでいた。
今回の件で『お前のせいだ!』と言わんばかりの訴状が投げ込まれたこともある、これまでのストレスもある。しかし知っているだろうか? 史実の上杉謙信は結構ナイーブで癇癪持ちで、そういった面を精神面で押さえつけていたのだ。我儘をいう国人たちを調停し、何度も謀反を起こす豪族を一族全員許してあげたり。
そこから逃げるように酒を浴びるほどに呑み、戦国大名にあるまじきことに……国主としての地位を投げ捨て、修行の旅に出た事すらあったのだ。止せば良いのに、この転生者の女はそういう悪い面がよく似ていた。
(しかも! あとちょっとで全部終わるところでさ!)
(これから平和に成って楽ができるねーってタイミングで!)
(全部終わったら隠居して好き勝手するからさ! 地位もお金も全部あげるってのに!)
(何もかも台無しじゃん! ムキー!)
そんな心と葛藤し、自分と向き合っていたのだ。
こんな状況で聖戦の呪文を発動し、無理やりに勝利する必要があるのか? そこに意味はあるのか? そもそも誰かに自分の行動は望まれていたのかと悩んでいたのである。
呪文を発動するならば造作もない。
祈祷所の効果と多聞宝塔の呪文を組み合わせれば十分に成功する程度には神聖魔法の腕も磨いていたのだ。だが、ここに来て葛藤が邪魔をする。
「弾正様。お急ぎの所、申し訳ありませぬ」
「このような時に! 弾正様はお忙しい! 後に致せ!」
「いえ、以前この寺に居られた住持様より、弾正様がお悩みの時があればこれをお見せせよと」
「……? どなたからだ?」
そんな中、一人の僧が小さな箱を持って来た。
由緒はありそうだが小さく、大したモノは入りそうにない。紙面による簡単な手紙であろうか? そう思った時……現われたのはただの花びらであったのだ。
「数代前の住持様で、太原崇孚様と申されます」
「雪斎殿が!?」
「しかし入っているのはただの花びらでは無いか……弾正様?」
「そうか。そうだったのだな……」
太原崇孚、俗世での名前を雪斎と知られている。
今川家の黒衣の軍師として知られるが、それ以前はこの妙心寺において住持を務めていたのである。その優れた見識で今日の事を予見していたのか、あるいは何らかの加護や魔法によって知ったのやも……。何しろ雪斎は護国の禅師と贈り名された程の僧侶であったのだから。
縋るような気持ちでその花びらを見た時、輝虎の覚悟が決まった。
「弾正様!?」
「東林院に赴く。これまでよく仕えてくれた」
「弾正様!? それは如何なることでしょうか!」
「お、お待ちくだされ!」
四枚の花弁に、一文字ずつ文字が書かれていた。
その文字を連ねて読んだ時、そしてこの寺の別房にある東林院に、とある花が咲いている事を知って輝虎の覚悟は決まったのだ。
これまでの葛藤がすべて消え、嘘のように神妙に成った輝虎の顔に一同は驚くどころでは無かった。
「今日の災い、日の本で起きる騒乱の全ては連れて行く」
「みな、達者でな。もし輝虎が永らえることがあれば、どこかで会おうぞ」
「な、何をおっしゃっておられるのです? あのような者共、勝ちようはあります。何が書かれておったのですか!?」
「それはな……」
「阿・頼・耶・識」
輝虎はそう言って、入滅するために東林院にある沙羅双樹の庭に赴いたという。
この日に唱えた最後の呪文は、聖戦の呪文などではない。同じ位階にもう一つだけ存在し……最高ランクの魔法を唱えると言う加護を持ちながら、これまで輝虎が唱える事の無かった呪文である。
その日……毘沙門天が京の都に降り立ったという。
と言う訳で風間小太郎も三人目である果心居士も死にました。
敗北することを前提に特攻したので、読み勝った感じですね。
幕府側は苦い勝利となるはずだったのですが……。まあ何が起きたかは次回の講釈で。