マジカル戦国大名、謙信ちゃん【完】   作:ノイラーテム

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アフターフェスティバル

 輝虎が去った後の日本は緩やかな合議制度になった。

将軍である足利義輝が総代と成って決定するが、相供衆を務める百万石格の大大名やこれに準ずる一部の御供衆が部下を派遣している。大名自身は本領を確実に抑え、利益代表を兼ねた家臣が調整役となっているのだ。

 

羽柴秀吉が行った五大老と五奉行の制度よりも利権周りが強いというべきだろうか?

しかし義輝個人の武力はそう高い物ではなく、輝虎が残した常備軍を含めても将軍家固有の戦闘力が高くないのも影響しているだろう。

 

「それで、上野は収まったのですか義兄上(あにうえ)?」

「一応はな。しかし優秀な弟を盗られるとは思わなんだわ」

「そういえば典厩殿が扇ヶ谷上杉家の養子と成られたのでしたね。お喜び申し上げます」

「顕如……。いま困っていると言わなかったか俺は? こまっしゃくれた成長をした物よ。まあそうでなくば僧をまとめることはできんのであろうがな」

 本願寺を正式に継いだ顕如が武田信玄を迎え茶飲み話を始める。

今も弟の逍遙軒信廉を影武者として入れ替わり、東国の諸大名の中で一人、平然と自分自身で合議に口を出す始末だ。茶飲み話とはいうが、実質的には当主会談に近い。いや、合議制といえるのだから、党首会談でもおかしくはないだろう。

 

弘治の変の黒幕であった山内上杉家と北条家は追及によって衰退した。

もちろん雇っていた忍者が勝手にやったという態で誤魔化そうとしたが、諸大名が幕府に協力的な状況では意味が無い。背後で出回っていた書状を突き合わせると、黒に近いグレー。将軍家にまったく力がないのは大して変わらないのだが、それでも大義名分としては十分だった。武田家や今川家が中心になって、両者の領地や権益を削ぎに掛かったのだ。

 

「義兄上のお気持ちは判りますよ。しかし、武田家の伸長が大き過ぎます」

「それにあの謀反が成功した場合、越後の春日山城を落としていたやもしれぬ」

「そう申して謀反人側であったのではないかと言う者も居るのですから」

「武田家を分割して、山内上杉家の代わりに関東管領を構成する一家を担う……。十分な『配慮』ではあると存じ上げますとも」

 山内上杉家を追い込み、上野の殆どと北武蔵の一部を手に入れた。

坂東太郎と呼ばれた河川の多くを治水してしまえば、武田家は大きな勢力となるだろう。これが関東のみであれば将軍家も気にしないのだが、東美濃にまで及んでいる事が問題であったのだ。そして何より……怪しげな書状の中に、武田家に関する文章も存在したのである。

 

そもそも黒幕側が首尾よく輝虎を暗殺して、主君押し込めで義輝を幽閉したとしよう。

主犯は輝虎であり、自分たちはそれを討伐したなどと言って誰が信じるのだろうか? 少なくとも越後勢は報復に動くであろうし、身を守る兵力は精々が丹後一国といったところであろう。最低でも越後勢が動けなくなるような状況でなければ成らないのだ。

 

「例の書状は治部とも図って裏を掴むためにやったものだぞ?」

「内容を記載した物と、真の黒幕が義秋公であると突き止めた書状も事件前に送っている」

「せめて訴状であれば幕臣たちも信じたでしょうね。少なくとも松永殿は調べたと思いますよ」

 信玄を名乗り始めたのは、この世を去った謙信に習うための僧形とも言われている。

晴信と名乗っていた頃に黒幕の一人に目されていたので、その追及をかわす為の一手であるとの噂もあった。書状が実際に幕府に送られて居たのも確かなのだが……表側から特に優先度の高くない表書きでギリギリに送られており、実際に内容確認が行われたのは、事件が片付いたずっと後。しかも怪しい話を聞いた、実際には家臣を送るか、訴状として正式に送るという内容であったのだ。

 

今川治部大膳義元と図って謀反の失敗に備え、自分たちが黒幕側で無いと証明するための証拠作りではないか? そう疑われても不思議では無かっただろう。今川家との書状は実に明確に義秋からの包囲網参加への呼びかけを不要と論じたり、伊勢家の怪しさを訴えているが、幕府へ送った方は名前を控えている。もし謀反が成功すれば、その相手は輝虎だったと言っても通じる内容なのである。

 

「言っておくが俺が黒幕ならもっと上手くやっているさ」

「少なくともお前さんに声を掛けて事件の始末を任せている」

「そして丹後の連中も興福寺の連中もまとめておさらば。自分たちは弾正の……謙信だったか? 法要を行い後継者に収まるって訳だ」

「それ真面目におっしゃってます? その場合は謙信様の側に立ちますよ」

 信玄ならば黒幕も始末して全てを握る。そう言われれば信じそうになる。

だが実際には真の黒幕というか、大義名分を用意したのは義秋であり、既に信玄の手を離れていたから静観したとも言えるのだ。実際に話を持ち掛けられたら……本願寺としては協力した可能性もなくはない。顕如一人の感情はともかくとして、周囲の坊官たちは『この機に動くべきだ』くらいは口にしたであろう。

 

ただ、やはり感情面では顕如は謙信の為に行動したと思う。

妻を介して信玄とは義兄弟ではあるが……一向宗の聖地回復を狙って人質として越後に送られるという話が出た時、『寒くて子供には向かぬ。せめて温かに暮らせる伽藍の建立を待て』と言ってくれるような女性だったのだ。もしどっちと組んでも同じであり、手を取り合うならば謙信の方であろう。

 

「お前さんはまだまだ当主としての趣に欠けるな」

「それはこれから判るにしても、俺が黒幕なら治部の奴もだ」

「なのに奴には無償で江戸をくれてやり、俺は戦いと調停をこなした結果でこれだぞ?」

「その挙句に家を割らねばならぬというならば、せめて江戸は俺の方に寄こせと言うのだ」

 信玄としては目の上のタンコブとして謙信を除きたかった。

仮に世間が言う様に恋仲だったとしても、守って日本の平和など望むべくもなかった。武田家は程よい位置にあり、謙信さえいなければ越後も北関東も、当然の様に美濃も奪えただろう。そこまで行けば内に抱えた今川家を恐れる必要も無い。いや、むしろ今川家の方から臣従を申し出て来る可能性すらあった。天下を望むつもりはないが、東日本の覇者には成れたであろう。

 

そして何より気に食わないのが、大都市になりつつある江戸である。

南蛮貿易も許され各地から商人が……それも堺の大商人ですら訪れて大きな蔵を幾つも構えた。氷漬けにした魚や塩漬けの魚が山ほど貯蔵してあり、関東のみならず西にも運ばれるとの事である。その港を手に入れれば、どれほどの利益と食料が得られるか判らないほどだ。しかも治水で周囲を整えれば、田畑もだが難攻不落の城まで作れそうなほどである。

 

「だからではありませんか? 武田家が手に入れたら大き過ぎます」

「ですが江戸公方様の御座所としてならばこの上なく立派な場所でしょう」

「実家である今川家も小田原に居を移したとか?」

「国力的にも要石としても程よい塩梅であると拙僧は思うておりますよ。治部殿は三河に吉良家を復活させるとか、あの方は実に弁えておられますね」

 今川家は継嗣である氏真を足利家の養子として江戸に送り込んだ。

そして家臣となっていた親族の吉良家を本来の遠江ではなく、三河の大名として復活させる気であるという。もちろん氏真の子や吉良の子には今川本流の娘をいずれ婚姻させる気なのだろう。今川家という勢力を強大にしつつも、足利家から疑われない程度に自ら分割する算段であると思われた。

 

この辺りの如才なさが今川義元という人物の能力であろう。

太原雪斎も色々な遺言を残していたであろうし、もし妙心寺に残していたモノが未来視なり予言であるならば、その事も義元に言い含めていた可能性が有る。武田家の隆盛に追いつくと同時に、家としての格式や安定性を重視した策に出たのであろう。係争中であった織田家も、今川家と吉良家が別れるならばと安心しているのだから。

 

「それで北条家の方はどのような顛末になりましたでしょうか?」

「知っているのではないのか? 伊豆を含め小田原までは没収。箱根と玉縄に分割して存続」

「まあ美濃と同じような塩梅だな。稲葉山城と違って小田原城を奪われたのは大きいだろう」

「美濃と違って『伊勢を名乗ってならぬ』と釘を刺された分だけ不名誉が残るという辺りか。あの様子では当面の間、他所から輿入れはあるまいな。分家同士で嫁のやりくりをするほかあるまいよ。逆に言えばそれで許されたのは、それだけ小田原城が厄介だったからだが」

 北条家は罪に比して、落とすべき格式が無いので散々な有様であった。

斎藤家の場合は土岐家を追放しただけだったので、土岐家の復権を認めさせた上で、嫁いできた一色家の名前も許され分家ではないが親族扱いにはなった。分家複数に別れて存続と言う意味では同じだが、名誉に関しては問題ない。斎藤道三が協力的であったこともあるだろう。これに対して北条家は都を壊滅させる手段の提供もあり、本家である伊勢家も謀反に加わっていたのが問題であった。

 

結果として伊勢の本家は断絶、北条家も滅亡かというところであった。

しかし決定的な証拠が見つからなかった事と、小田原城が堅城であったことが、東国勢が面倒事を嫌ったために有利に働いた。憤死した氏康が切腹して責任を取ったことにした上で、小田原城以西を今川家に明け渡すことになったのである。おかげで北条家は分家幾つかに別れての存続をかろうじて許されたのである。

 

「最終的にその件を氏真が取り仕切ったことになっている」

「実際には治部がやったわけだが、これで関東諸将は大人しくなるだろう」

「北条は二つの城に挟まれて何も出来ぬ。上杉憲政も隠居して山内家の家督共々越後預かり」

「今ごろは本領安堵を願う簒奪者と、我こそは本来の領主だと名乗る負け者で江戸は溢れかえっておるだろうよ。だがそれでも治部は、今川家の為になる者を残すだろうな。ある時は正統性を重視し、ある時は実効性を重視してな。大局で平穏に向かえば良いと言う程度だ」

 義元は幕政や日本の平安の為に弁えているわけではないと信玄は語る。

あくまで今川家が生き残り、隆盛するためにこそ弁えているフリをしているのだと告げた。今川家は将軍家の血筋ゆえに警戒されるし、貴ばれる存在でもあるのだ。だからこそ関東の平定に力を貸しているし、江戸公方として継嗣が引き抜かれていくことに納得したのだと言う。同族の中でも格上であった吉良家を復興させたのも、将軍家を継ぐ問題での矢面に立ち尾張との緩衝地帯を作る為なのだろう。

 

そして関東の諸将が申し出る話をどう裁くかもその一環である。

ある場所ではモメ事を起こすために正統性を重視して古い家を復権させ、実効支配している簒奪者を懲らしめる。別のある場所では平穏を乱さずに済ませるためという理由で実効支配者を建てるのだろう。

 

「それでは管領や三好が幕府でやっていた事と変わらぬではありませぬか」

「その通りだ。連中と違うというのは、日の本の騒乱を治めるという方向性がある事か」

「大樹が将軍家を指す言葉であるのは唐土(もろこし)から伝わった言葉だ」

「寄らば大樹の陰という言葉を聞いたこともあるだろう? 人品優れて才覚をひけらかさないが、それでいて優秀な将軍の元には兵士も他の将軍ですらも集まった大将軍が居たという。さて、その大樹将軍は本当に武功を誇らなかったのかはしらぬ。だが、その大将軍に学ぶものはそういった風評込みで真似るのさ」

 幕政を好きに扱っていた管領や、その後を継いだとも言える三好家。

彼らは自分たちの良いように官位を渡し、あるいは代官の権利を認可する。他にも様々な権利を与え、取り上げ、あるいは平均化して埋没させる。それゆえに嫌われて反乱を起こす者も居る訳だが、信玄は義元も似たような物だと断定した。その上で大義名分として日本の安定を上げているだけなのだと。

 

何となく言いたいことを理解しつつも、話の流れに首を傾げた顕如は一つの事に思い立った。

 

「なるほど……。謙信様が作り上げた平穏への流れ」

「その流れは抗いがたい奔流であり、誰もが願い平和への道ということですね」

「本朝の大樹様がそうであるように、治部さまも義兄上も心の底では望まれていると」

「馬鹿を言え。どうしてこの俺があの女の言う事など……というよりもあの女、本当に平穏など求めていたのか? 勝利の結果を治める箱に平穏と言う銘を張っていただけにも見えるがな。……ま、そういう意味ではとりあえずの落としどころとして利用しているのは変わらんか」

 謙信の掌の上なのでしょうと告げれば信玄は途端に嫌そうな顔をした。

だがそれも最初だけの事だ。目の前に謙信が蘇ったわけでもなく、自分たちが『平穏を乱すものを罰する』という大義名分で特定の方向に向かっているのは確かなのである。謙信が蹴り込んだゴールとしての平穏と言う言葉を信玄は否定しなかった。

 

そして東の話が過ぎれば今度は西の話だ。

 

「東は今川・武田・長尾の三家に織田・伊達・佐竹といった家が従って安定するだろう」

「中央も三好と畠山に本願寺、あとは朝倉・六角・北畠が続くのまでは判っている」

「西の方はどうなんだ? あまり詳しくは無くてな。そっちの方が詳しいだろう?」

「大筋は依然と同じですね。尼子家が早めに降伏しそうだったのですが、義秋様が鎮西将軍を降ろされたことで立ち消えになりました。しかし予定通りの所で決着がつくでしょう。筑紫島の方は既に終盤で、どこが引き際になるかが焦点になって居ます」

 尼子家も馬鹿ではないので将軍家の戦略は察していた。

義秋の調停で降伏して石見の途中までを安堵され、石見銀山を奪い返す流れを狙っていたそうだ。征夷大将軍どころか鎮西将軍の威光などないも同然なので、おそらくは不利だと知って一時的に義秋を利用しようとしたのかもしれない。しかし時間が経過するにつれ、恐るべき謙信が居なくなり義秋が真の黒幕に違いないという事で降ろされると、毛利家単独ならば負けないということでその話を反故にしたのである。

 

とはいえ今は平穏に向かうのが日本のトレンドだ。

毛利家に合わせて三好家が挟む形に移行しているとのことで、本願寺も安芸門徒を介して毛利家に協力するらしい。いずれ中国地方は収まるだろうし、四国は元より三好一強だ。ゆえに残るは九州のみである。

 

「筑紫島は大友に島津だったか」

「日向だか大隅当たりの支配権を揉めているところか?」

「そうですね。肥前に竜造寺と言う大名も居たのですが、そこは既に恭順しています」

「大友と島津が争う筑紫島の抗争は早めに諦め、むしろ外つ国のルソンを狙いに定めたそうですよ。正直なところ国の外にまで手を伸ばすのは勘弁してほしい所だったのですが……」

 史実と違って大友家は毛利家との抗争を早めに終えた。

そして九州の平定を目標として拡大と戦争調停を始めたのだ。戦いの無い平穏な日の本を目指し、従わない大名を倒すという東国でも使われた大義名分である。最盛期の大友家の勢力には抗えず、北九州の諸大名は概ね順った。大友家だけならばともかく、将軍家の方針もあったので従わぬ理由はなかったのである。

 

これで竜造寺が噛みついて三国態勢に成れば話は別だったかもしれない。

しかし諸外国からの情報を得ていたことで、竜造寺隆信は方針を転換したのである。反乱を起こしがちな部下に目を光らせて無茶はしない。その上で拡大主義派は外国へ送るという新たな見解であった。

 

「おいおい。どんな名分を掲げる気だ?」

「大樹様も流石に止めるんじゃないのか? 外つ国との戦争は容認されまい」

「それに肥前一国では兵力なんぞたかが知れるだろうに」

「実はですね。ルソンは南蛮の国々に敗北して支配されている所なのだとか。そして南蛮の国もまた別の南蛮の国との戦争で兵力を引き上げてしまい、今では五千よりも多い程度の直属兵に、現地で雇用した兵ばかりだそうです。ああ、大義名分には日の本の民を奴隷として牛馬の如く使役している事だそうですよ」

 余り知られて居ないが、根来衆や雑賀衆は外国との貿易に付き添っている。

自から貿易しているというよりは、堺の大商人や博多の商人に雇われて護衛して居るという方が正確な処だろう。顕如は一向宗である雑賀衆からその辺りの事を聞いており、キリスト教の布教問題もあって良く調べていたのだ。

 

竜造寺の狙いはおそらくルソンの何処かに進軍して現地を解放。

敵が顎で使っている現地民を兵士として組み入れ、『俺たちの方が税を安くして使ってやる』という塩梅で味方の兵として扱う気なのだろう。それはスペインの兵士たちが現地民を苛酷に使えば使う程に可能性を帯びて来る策であった。

 

 

「南蛮に支配された……ねえ」

「その様子だとこっちの尺度よりは随分と広そうだな」

「その通りです。南から来たので南蛮と呼んでいますが、実際には西方夷狄になりますね」

「秦や漢の時代に合った大秦国ほど広くはないですが、大国同士が国の外に領地を求めたのだとか。まさに竜造寺が狙っている様に、近い相手との戦いを止めて、弱い国を攻め取っているのだそうです。謙信様は景教はともかく操る国には気を付けよと仰せられましたが、まさにその通りの歴史だそうですよ」

 二人は奴隷として扱われる日本人の話は無視した。

日本でも負けた国の兵士や住民は売り払って、身代金に変える事は良くあることだ。一応は家族が買える様にその場所で売るが、別の地域の商人が購入して地域の者が身代金を払えない場合は当然外に売られることになる。そしてその外が外国と貿易する商人であれば、労役をさせた上で海外で商品としても売り払う事もあるだろう。

 

そしてキリスト教を布教するイエズス会が情報を提供し、商業の為と称して南蛮船を引き入れているという話になった。場合によっては日本でも同じことをやりかねない。

 

「ちっ。一向宗の元締めが良くも言う」

「だがまあ、言いたいことは判った。景教の坊主はともかく背後には注意しろ……か」

「奴らの逗留先に江戸を定めた事と言い、説明をしないくせに余計な事もしない所だけは頭が下がるよ」

「今のところ大友家はこちら側なので大丈夫でしょう。イザとなれば筑紫島に残した領地より、毛利家が牽制するはずです」

 南蛮を攻めることが可能と言う事は、逆もまた可能と言う事だ。

その事に注意して情報を集めてみると、実に怪しい流れが見えて来た。西洋の国々は南蛮諸国の分藩・藩属国といった地方勢力に介入し、キリスト教徒を守る為……あるいはその要請で援軍を送る形で乗っ取ってしまっているのだ。配下の行動とはいえ、首都から退去命令が出ても従わないどころか、そのことを口実に攻めてしまう事もあるとか。怪しいどころではない。

 

ルソンもその一つであり、聞けばイエズス会の大きな支部があるゴアも同様だ。

そしてキリスト教の流れを追う事で、公然と布教が可能な場所を江戸のみに絞った謙信の狙いが読めて来る。……実際にはそうではないのだが、信玄や顕如から見ればそうとしか思えない流れであった。

 

「まさかとは思うがあの女、南蛮に喧嘩を売りに行ってないだろうな」

「それこそまさかですよ。幾らあの方でも南蛮の急所など知りません」

「竜造寺がルソンを狙おうと思ったのも、あくまで五千しか必要ない末端ゆえです」

「どの街を攻略すれば打撃を与えられるのか、それが本当に有効なのかも我らは何一つ知らないのですから」

 二人は与り知らぬ事であるが……。

その謙信は奴隷にされて南米の銀山に労働力として売られているのである。そしてスペインを含めたハプスクブルグ神聖帝国を支えたという、スペイン大銀山地域で反乱を起こすなどとは思いもよらぬ事であったという。

 

「……まあその件は置こう。注意するとしたら他の連中も同様の考えをすることだな」

「俺がもっと大きな港を抑えていたら、琉球なり明の藩族国を狙う」

「いや、国ではなくても良いな。放置された大き目の島でも良いか。そこで交易でもすればいいさ」

「琉球ですか……。島津から近いとも聞きますね。今のところ大友との競争に力を入れていますが、筑紫島の争いが終われば領地の獲得はもう見込めないでしょう。その辺りに注意する必要はありますね」

 話しながら信玄は第二期の戦乱に付いて考えていた。

残念ながら武田家の動きは抑えられてしまった。頼りになる弟の信繁が扇ヶ谷上杉家を継いで上野の経営に専念することになったのだ。大きく動こうと思っても周囲に丸判りだろう。こうなれば領地拡大は中美濃くらいなので、無理をするよりは発言権拡大を狙った方が良い。その上で自分の世代よりも先に力を残すべきだと判断したのである。

 

その上で重要なのは出る釘を打つ事だ。

九州の武将たちが海外領土を手に入れて財政面で上を行かれるのは困る。また九州で諍いを起こすならば諸将の軍を糾合して征伐に当る……という言い訳で自軍を派遣して領地を切り取れるだろうが、海外ではどうしようもないのだ。今川との協定で念願の港を手に入れたものの、それほど大きいわけではない。発言権を増やして将軍家なり今川家から塩の製造方法でも譲らせるべきだろう。

 

「毛利も忘れてないか? あそこは元から密貿易をしているのだろう?」

「大友の抑えに動いている時は良いが、暇になると何をするか判らん」

「密貿易に使っていた島を占拠して領地にするとか言ったらことだぞ。大明国は巨大だからな」

「そうですね。以前ほどの冴えではないと聞き及びますが、それだけに命を改めて強大な国になりかねません。大きな戦は控えるべきでしょう」

 実際の話、この時期の台湾島あたりなら占拠しても影響がない。

そのことを二人は知らないが、似たような事を毛利が考えていれば厄介なことになるだろう。武田家も本願寺も乱世の事は騒動を起こす側であったが、今では抑える側になったというのが不思議な物である。

 

こうして史実よりも大友家が早く南下したことで九州の戦乱も終わりを迎える。

そして海外への派兵や、逆に海外からの侵略へ注目を移しながら……応仁の乱以降、乱世となった日本の歴史はギクシャクしながらも正道に戻ったのである。

 

 その後、室町幕府は寛永年間で終わりを告げた。

大飢饉を始めとした大災害に際して、十五代将軍である足利義喜が高まる乱世の予兆を確認。諸大名を翻意させるべく、大政奉還を行ったのである。

 

頻発した災害を収めるべく動く為として、初代議長に就任。

最も日の本を安定させた家に征夷大将軍の地位を譲るとして、強引に混乱を収束させたのである。この事が史実よりも遅れて起きた天草の乱……南蛮侵攻に速やかに対処できた一因であったという。

 

 

・人物名鑑

 

『足利義輝』

 室町幕府、中興の祖として讃えられる。将軍職を譲ってからは、左近衛大将と左大臣を歴任。

武芸者たちを寓して近衛兵を拡充したことから、剣豪将軍としても知られる。

御仏の加護は自分に対する殺意を見ることができる能力であり、若いころはよく振り回されたという。

 

『足利氏真』

 江戸公方として関東を平穏に導き、東北鎮撫を伊達家ほかに任せて抑えきった名君として伝えられる。

名門の今川家より足利家に入った養子であるが、実家である今川家との仲は良好であったという。

御仏の加護はバッドステータス無効。武芸者や蹴鞠仲間の中でも、彼のバランス感覚は特に優れたという。

 

『三好長慶』

 六名しか居ない相伴衆の筆頭で、右近衛大将と右大臣を兼任、右府と称される。

室町幕府を切り盛りし、内外に潜む諸問題を鎮圧。名宰相として教科書に載ったという。

その政策は実力主義で血筋を半ば無視したものであり、あくまで血筋は能力の一部と言い切った。

御仏の加護は並列思考であり、複数の勘案を並列して考察して居たという。

 

『武田信玄』

 鎮守府将軍に任命され、弟の扇ヶ谷上杉信繁や親族の真里谷武田氏と共に東国の大半を抑えた。

出家してからは若い頃の貪欲さが嘘のように収まり、以後は諸国の平穏の為に動き続けた。

相伴衆の一人であったが、後に武田幕府が成立した時、生前に遡って征夷大将軍の地位を贈られた。

 

『今川義元』

 六名しか居ない相伴衆だが、血筋的に警戒されただけでもっと格上とも言われている。

最終官位は侍従だが、その生涯で朝廷に出仕することはなかったという。

彼の加護自体は良く知られて居ないが、軍師である太原雪斎の加護は予言であったとされる。

このために彼の行動は実に慎重で、かつ未来を見据えた物が多かったという。

 

『大友・D・宗麟』

 相伴衆の一人で西の横綱と良く称される。キリスト教に改宗し、ドン・フランシスコとも。

足利義秋が失脚後に、鎮西将軍の地位を受けて九州の地を平穏を齎した。

なお、彼の功罪の一つとしてキリスト教教会への大規模な土地寄進が挙げられる。

進んだ西欧の技術が入るキッカケであり、その後の大飢饉を治めた要因の一つなのだが……。

この事が天草の乱の一因でもあり、良くも悪くも、後に彼の偉業はマイナス方向に語られた。

 

『島津義久』

 相伴衆の一人で西の大関と称えられるタフ・ネゴシエイター。

竜造寺家が起こしたルソン出兵案に協力し、自らは沖縄を平定。鎮南将軍を自称したとか。

西で起きた大問題の半分を引き受ける家系だが、後に起きた天草の乱を子孫が鎮定に成功。

その貢献を持って鎮南将軍を贈り名してくれと武田幕府に申し入れ中であるとか。

 

『長尾景勝』

 相伴衆の末席固定。本人は生涯にわたって叔母の影響に振り回されたという。

官位は松永久秀が隠居後に、弾正大弼と大納言を兼ねるが、もっぱら米大納言とか酒大納言と呼ばれる。

これは叔母の影響で開墾や治水に励み、延々と開拓を行って米や酒の出荷に励んでいた為とも。

これが大飢饉を治めた理由の半分であり、後の小学校には厳めしい顔をした彼の銅像が立っているとか。

 

・人物名鑑、番外

 

『上杉謙信』

 正一位と神号を死後に贈られたが、春日権現を構成する一柱とも鞍馬尊天魔王尊であるとも言われている。

メキシコでは軍神としてのテスカトリポカの一面と言われ、スペイン・ハプスブルグ帝国に大災厄を齎した。

他にも尼将軍政虎と呼ばれたり、悪い事をすると輝虎が食い殺しに来るとか一部の地方では言われている。

風刺画ではよくイギリスのドレークや、ネーデルラントのマウリッツと一緒に地獄で焼かれているとか。

 

『本願寺顕如』

 日本の大僧正として宗教界を取りまとめた。長尾景勝と違い謙信の影響を良い方向に受けた。

諸宗派や他の宗教とのやりとりを治め、宗教的な混乱を室町幕府の時代では起きなくさせた功労者。

御仏の加護は『大魔導師』で、能力の知力が高い他、魔法系の必要経験値が少なくなる。

老後は本願寺の跡目を譲り、魔法学園の校長として後進を育てたが……御仏の加護を見抜く鑑定の呪文を作成し、神号授与があるのではないかと噂もされた。

 

『毛利三姉妹』

 長女である隆元、長男である吉川元春、次女である大内隆景の三人で、三人とも御供衆に選出。

このことから西の三役を一家で総なめにしたとかよく言われる。なお元春は男だが三姉妹と数えられる。

大内隆景は小早川の家を継いでいたが、和平案で大内家の家督を許された事で名前を変えた。

その後は大友家に流れた大内家の血筋から婿を迎えたとも、養子を迎えたとも言われている。

なお、妾腹の弟・妹含めて才能が豊かであり、後の武田幕府では相伴衆に当る地位に付いたとのこと。

 

『松永久秀』

 朝倉・六角・北畠を差し置いて人物名鑑に良く乗る人物。

謙信が姿を消した後は、この男が弾正としての顔役になる。

弘治の変以後はめっきり老け込み、掌握を要請された常備軍は織田信長に投げた。

しかしソレは弾正台の役目を復活させて、地方を巡る為であったとも言われている。




 と言う訳で事後譚になります。
この後は魔法関連とかを書き綴るくらいですかね。
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