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若狭を攻める前に、やるべきことがある。
もちろん本来の目的である上洛だ。避難所である朽木谷へ赴き大樹将軍たる足利義藤(後の義輝)に拝謁し、その場で二千貫ほどを献上した。朝廷に収める銭とは別物であり、直接渡すことから、将軍家の政治を切り盛りしている伊勢家にポッケナイナイされる心配がないのも大きいだろう。
その上で少数の側近のみを率いた義藤と内々の話をする事になったのである。
「弾正。直答を許す。何故に世の中はこのように勝手なのだ。どうすれば世が収まる?」
「されば失礼をいたしまして。あまりにも尊氏公が偉大過ぎ、誰も彼もが真似た為かと」
義藤の下問に対し、景虎はオブラートに包んで返した。
室町幕府の変節振りと出過ぎた杭の叩きぶりはあまりにも酷い。だが、親しくもないのにいきなり直球で投げては無礼に当たるし、それしか方法が無かったというのも事実なのだ。余人にとって豊かな大名同士を喰らい合わせるという手法は、『そりゃないよ』という非道ではあるが……ブリカス的見地からすれば正しい行為である。欧州でもイギリスは似たようなことをしており、ドイツなりフランスなり強者が出てきたらライバルを援助して、勝利した次の瞬間には裏切るのである。
婉曲的な表現に首を傾げる物と、内容に気が付いて非礼とするべきか悩む中、景虎は徐々に説明を始めた。
「唐の兵法を思わせる巧みさであります。まず下した諸将を罰せず配下としました」
「また組む相手を変えることで、己よりも強き者を打倒して行きました」
「さらには朝廷との取次ぎを務め、武士の頭領に相応しき権威を有すに至りました」
「されど、足下には領地が無く、手には直属の兵が居りませぬ。僅かな土地も代官が領有し、直参たる奉公衆ですらそのまま独立してござる。これでは誰も従いますまい。そして、如何にかする手段は、『将軍家独自の力』を持つ事、『命を聞いた事が上手く行った』という、確かたる道を示す事でありまする」
足利将軍家には固有の武力も財源もない。
有るにはあったが、幕府の規模としては小さい上に、外国との交易権を始めとして大名に渡してしまっているし、土地など横領されて久しいのだ。更に有能な部下たちは関東へと派遣したりして、戦力を分断してしまったのも問題であろう。もっとも先ほど言ったように、尊氏が考案した当初はそれが名案であったのだ。諸葛孔明が『天下三分の計』を口にして中原の外に世界を見出したように、全く新しい方法で室町幕府を作り上げたのだから。
ただ、それを続け過ぎたせいで、倒したはずの敵から全ての土地を奪えず、歯向かった部下は僅かな罰則と領地を削って済ませるのが当たり前。部下たちは舐め腐って反抗し、咎められたら担当者どころか名前も良く知らない小者を犯人に仕立てて『これで責任を取りました。大切な部下を処刑したのです。累代の功績に免じて許されよ』などと平気で口にするのだ。それを咎めようにも、頼りになる部下同士を食い合せているから、戦力があるはずもない。
「弾正、貴様! 口が過ぎるぞ!」
「良い。余が許したのだ。それに誤魔化されるより良いわ。我が命の結果、我が領地が必須か……。一色や山名に手を貸したのも、その一環という訳か?」
「はっ」
戦力が無いので中国の武将めいてなりふり構わず、また実績もない。
そんな事を言われては側近も腹を立てることで体面を守るしかない。だが、そこまでいう者は今までいなかったのだろう。義藤はいっそ清々しい思いで景虎が言った事、朽木谷へやって来るまでにやろうとした事を吟味する。確かに兵士を養う領土は必要だし、義藤が何かを成し遂げて、彼に従えば安泰だと思えるようなことは必要なのである。
ひとまず将軍の命で丹後や但馬を安定させ、若狭を落せば実績になる。
その上で領有を認めてこれまでの様に争わせることはせず、そのまま丹波を落とし次なる実績へとつなげる。何処かで独自の領地も必要だが……少しずつ拡大して行けるのかもしれない。
「言いたいことは判った。丹波守護とその北を一色に与え、南を将軍家が」
「摂津守護と西を三好に与え、東を同じく将軍家が抑えよというのであろう?」
「北近江も独立させ東は浅井にでも収めさせようか。面白い策ではある」
「だが、それでは足りるまい? 確かに都の周囲は抑えられるが、存外に寺社領が多い。本願寺は協力的だが暴れると手が付けられぬ。門跡の位を得ようと必死になって居るからじゃ、かつては周囲を灰燼に帰してしまった事もあるのじゃ。石山に行って落ち着きはしておるが、どこまで信用したものか。王法為本の言葉も何処まで信じられる物か判ったものではない。興福寺や延暦寺も食い詰めておらぬだけで根は同様よ」
この策で浮き彫りになるのは、『家格の貫目』と『寺社の不輸不入』である。
景虎は預かり知らなかったが、一色義幸は当主親子が討ち取られた後に、分家筋が混乱期に成り変ったもので家格が低い(丹後守護を取り上げられていたのではなく、与えてもらえなかった)。三好家や浅井家に至っては有力国人出身に過ぎず、分家でも守護代ですらないのだ。彼らを守護とする前に、守護代として将軍家が直接統治。後に褒賞として守護職を渡せば良いということになる。
ただ、彼らが不満に思わぬよう取り分に問題を無くすと、今度は将軍家の取り分が大きく減ってしまうのだ。興福寺や延暦寺に関わらず、寺社はその代償に関わらず寺社領を持っている。彼らの地には入って何かをする事も出来ないし、徴税や徴兵も行えないのである。仮に都の周囲を百万石ほど 切り取ったとして半分を協力した大名に与えると残り五十万石、更にここから寺社領が減ってしまうので実質的には三十万石を割るだろう。
「大樹様……いえ、上様。何も都の近くのみを切り従えずとも良いのです」
「西国であれば福原、あるいは平家つながりで鞆の浦を中心に抑えまする」
「かの地ならば所縁があるので兵が、水運にて利がもたらされるでしょう」
「御舎弟を西国の公方として派遣されるか、幕臣を探題として置くかで従えられる兵は変わりまするが……。周囲の大名と共に増やすことも出来まする。同様に将軍家や朝廷所縁でありながら、戦乱に明け暮れておる場所は幾つもあるでしょう。彼らの中でこちらに従う者、後押しする代わりに土地の一部を天の領として確かと約束する者らを支援して地方を平定いたしまする」
これは過去の流れを『焼き直しする』ものである。
諸国に将軍家の血を引く分家を配し、あるいは関東公方などを派遣して諸国を抑えさせる。これらは手元の戦力であった為、将軍家の兵が減ってしまったのだ。更に彼らは今では独立してしまい、関東公方どころか分家の吉良家(既に滅びかけている)にそのまた分家の今川家は従うようなそぶりが全く見えない。それどころか、『足利の血が絶えれば吉良が、吉良が絶えれば今川が』との言葉ある様に、もし時勢が許せば対抗してしまう流れすらあるだろう。
「場所はどこからでも良いですが、上様に従った事が正しかったという形式が必要でしょう。東国ならば美濃へ、本家である一色家の権勢が蘇ってから、伊勢はその後。どちらかと言えば西国の方がよろしいかと存じまする、もちろん今から準備を整えて」
「なるほどのう。まずは実を取り、形を整えておく……か」
現時点で将軍家の戦力も何も無い。せいぜいが二千ほどだ。
権威を持って従えていたが、その過程で強くなり過ぎた家を他の家と争わせてしまったので信用がない。ならばここで方針を切り替え、従う者を支援して『諸国の戦乱を収める』という大義名分を与えてともに大きくなるべきだろう。その地域に複数の家があるならば、将軍家に取り分を与えれば勝てそうな相手を支援していくという流れを作り上げる。そのためにも、まずは丹波や若狭で始め、それまでは遠くへ布石を置くだけだと告げたのである。
もちろん……この辺りは建前で、景虎は鎮守府が欲しいだけだ。
舞鶴は既に着工して居るし、毛利はまだ安芸の国すら手に入れていない(彼らは大内家の反乱による混乱を利用して大きくなるので)。今から調査を行い現地有力者に声を掛けていけば、呉鎮守府も取引次第と言う所だろう。そうなれば西方拠点が出来上がり、佐世保も現地が弱いので何とでもなる。その間に山内上杉が逃げ込んで来れば、小田原城を攻め落として横須賀鎮守府を手に入れるという流れが出来上がるのである。
「つきましては上様。朝廷に収める三千貫、これを上様の手で収めていただければ幸いです。さすれば上様の名前は上がり、先ほどの銭は隠れてしまうでしょう」
「ほう……それは良いな。二千貫もあれば銭雇いの兵なり徴募も進む」
更に景虎は朝廷に収める予定の金を義藤に預ける事にした。
能ある鷹は爪を隠す者であるし、この時期に単独でそこまで金を使うと周囲に警戒されてしまうからだ。北条氏もさることながら、景虎の元へ行ったら山内上杉家も吸収されるなどと思われたら困るのである。こうすることで彼女の朝廷への貢献は隠れてしまうが、義藤ならばそれなりに伝えてくれるであろう。そして彼女が多大な資本力を持つことを隠し、また将軍家が莫大な軍事資金を持つことを隠すことにしたのである。
こうして良くも悪くもアクティブな義藤は、吟味した上で行動を開始したという。
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景虎は都へ移動し途中で、通称『伊賀屋敷』と呼ばれる場所へ向かった。
実際には伊賀には存在せず、伊賀忍者に頼む為の別邸だ。上忍の一人がそこに居を構えており、中継ぎをしているとの事。畿内には他にも同様な場所は幾つかあり、本拠地を探られ無いようにしつつ、上忍が配下の素破たちを支配しているという。
そこへと案内するのは枇杷島駿河守定行の配下で、本来の意味での軒猿と呼ばれるようになる物の一人だ。
「殿。依頼が出来まするが……あそこは表の屋敷。他の者に見張られておるやもしれませぬ」
「構わぬ。攻め取る為の依頼では無いゆえにな」
要するに忍者の口入所であり、必要と有れば場所ごと消す存在だ。
同時にみなに知られているという事は、対策され易くそして忍者たち自身から裏切られて、情報を他に流され易い場所である。ゆえにここでは相手を信用せず、大口の情報収集のみを頼むつもりであった。敢えて言うならば、その流れ自体を伊賀忍者たちに見せつけるプロパガンダとも言えよう。
屋敷に到着した景虎は壺や行李より幾つかの品と山ほどの銭を見せつける。
「これは長尾弾正様。今日は何用で?」
「くくっく。挨拶がまだであろうに。失礼な奴よ」
「いやいや。弾正様ほどの方であればさっさと本題に入るのが当然よ」
「……」
周囲から聞こえてくる声に、景虎はむしろ何も無い暗がりこそを眺めた。
この手のコケ脅しにはあまり興味が無い。何しろ現代社会では様々な現象やら設備が存在するのだ。声を届ける成り、場所を誤魔化すなり幾らでもやり様がある。引っかけであるとしたら、最初から誰かが見え難い場所に居て、こちらが声を掛けたら反応するつもりだと思ったのである。声朱ならば下忍を使えば良い、だが貴人の相手は本人でなければ色々な意味で勤まるまい。
果たして『その男』は笑って手を叩いた。
ポンと暗がりから手を打つ音が聞こえると、隠されていた行燈に火が点き部屋が明るくなる。
「よくぞ忍びの手管をご存じで」
「昔、小遣い銭を握って疑問に思うたことを忍びに問うたことがある。するとな、銭だけ取られてしもうた。教えぬのが教えじゃとな。まあ、それは良い。じゃが、子供心に見つけるのが楽しく成っての」
景虎が傀儡を造り始めて、幾つかのテクニックで急成長した。
それは現代人だからこそ簡単に思いついたわけだが、紆余曲折で思い至った術者が居ない訳では無いだろう。そこで流しの傀儡使いに尋ねたところ、依頼料の持ち逃げをされてしまったという下だらない話である。まあ単純に、現代社会のイリュ-ジョンとか手品を思い出して面白かっただけなのだが。
とはいえ、忍者らしいおどろおどろしい演出はこれまで。互いに真面目な商談に入る。
「依頼は二つ。一つは他の上忍なり甲賀への口利き」
「もう一つ……幾つかの地域で情報を集めて欲しい」
「特に策を巡らせる必要はない。その土地の風土や武将の性格」
「そういった情報を全国廿浦浦を巡る一環と称し、指定した場所より自然に集めて欲しいのよ。行商であり炉担ぎの鍛冶であり水夫であり娼婦であり、様々な立場で集めてくれ。行商に赴くならば、塩と油で良ければ安く用意しよう。伊賀甲賀で口に入れる物としても構わぬぞ」
それは忍者の伝説で言えば、甲斐の歩き巫女が近いだろうか。
歩くついでに情報を集めるだけで、得意何か工作をする訳ではない。情報を集めて総合的に判断し、何か有用なモノはないかと後で判断するのだ。ついでに言うとその過程で現地に商人やら鍛冶職人として入り込み、『草』と呼ばれる者も居るだろう。重要なのは情報の領と、その角度。様々な性質の情報を、あらゆる角度で集めることが目的である。
先ほど景虎が並べた物は、その為の物資である。
「それは随分と間口が広く、捉え処がありませんな。期間をお尋ねしても?」
「ひとまず三年。漢の国の最強元帥ではないが、人手は多ければ多い方が良い。田仕事では食えぬからと、素破働きで僅かな銭をもらって命を掛ける者どもを引き抜け。彼らに仕事を与えて他の大名に依頼をさせるな。情報を流すのは構わんが、『次』を頼まぬと下の者に言うておけ。代わりに支度金として前金も用意した」
この時代、伊賀甲賀では食料が採れない。
それでも生きていくために傭兵として出ていき、忍者をやっているのだと言える。僅か一握りの銭で命を懸けるのも、故郷での生活で『足りない分だけ』を買うからだ。中世の交換経済から抜け出せておらず、故郷から出るつもりが無いから仕方が無い事だと言える。スイス兵やグルカ兵のような傭兵たちよりも、余程安い金額で命を懸けていただろう。
とはいえ、景虎は彼らに善意で救済したいわけではない。
食えないからこそ忍者をやり、様々な大名に使えている派遣業者だと言える。それは時に味方となり、時に敵となる存在なのだ。報酬を多少積み増したところで、他の大名に利するよりは安かろう。
「支度金として千貫、協力する上忍ごとに用意する。年度ごとの報酬や、甲賀の惣に払う金とは勿論、別じゃぞ」
「せっ……!? まさか伊賀ごと雇われるおつもりで!?」
「ワシが他の仕事を頼んだか? 聞いての通りよ」
もし仮に、伊賀の上忍全てを雇うと朝廷への上納を軽く超える。
それどころか義藤を通して流れる資金の全てすら越えてしまうのだ。実際に千貫あれば一人の上忍が差配する一党を雇って、城を落すなり城下町に火点けをするなり出来てしまう。それが安全に情報を集めるだけで良いとは信じられないし、伊賀全てを雇っても良いとは途方もなさ過ぎる資金力である。
嬉しいどころか、まず正気なのかを疑う所であった。
「本気なのですか? いえ、それほどの銭を何処から……」
「そうそう。ワシは北向きの青苧座の他に塩座を抑えたが、最近になって油座を幾つか銭座を一つ抑えてのう。……意味は分かるな?」
「まさか……大樹様が……」
長尾家は青苧で大儲けしているが、景虎はそこに塩を加えた。
菜種油を信濃から甲斐にある田には向かない場所に植えて、それを買い取りゴーレムで絞り尽くすという新しい商売も付け加えた。この時点で資金力はMAXだが、佐渡の鉱山も軌道に乗り始め、元から越後に在った銀山・金山と合わせて金蔵が足りないほどであった。だが、それでも銭座までは許可が下りない。何故ならば、それを命じるのは幕府であり、関東公方であったり堺などのみが許可されて銭を鋳造していたのだ。
つまり、この言葉は有り余る金に加えて、将軍家からの命であるとも言えた。
「近く不心得者を討伐し、将軍家の御料地も増やす」
「その際に士官を許可し、幾人かは将として用いようぞ」
「奉公衆であるのに上様の役に立たぬ北勢四十八家より使えるならば良い」
「俸禄で雇うても良いし、新しき土地に領地替えをしても良い。加増に関してはちと後回しじゃな。戦っても居らぬのに領地を寄こせという馬鹿どもよりその方らを上に扱うためには、その程度の制限は必要であろう。いつまでも素破暮らしをしたいのでなければ欺くな。ワシが頼む場所より情報を持ち帰るだけでも、食うて行ける程の銭をくれてやるほどに」
こうして景虎は金で頬をひっぱたいて忍者たちを篭絡した。
もちろん地縁血縁であったり、過去の因習や恩義などで動けない者も居る。他の家に個人的に仕えている者たちは当然であろう。だが、これより多くの者たちが景虎の差配で情報収集に向かう事になったのである。他ならぬ景虎から、塩や油を購入し、あるいは増産に成功した米を買いながら……。
そして派遣される場所の中には、堺や博多などの商人や雑賀に根来といった傭兵たちを経由して、明の国や南蛮にも水夫や行商として赴く者が出たという。そして最も重宝した情報が、未来に鎮守府がおかれる場所であることは言うまでもないだろう。
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『プランテーション甲斐』
十六世紀末から十七世紀に甲信地方へ登場した新型農場。
元よりこの地方ではあまり米が採れない場所が多く、特に山ばかりの甲斐に居る武田家などは相当に苦慮していたとされる。
流れが変わったのは砥石崩れの戦いで大敗し、侵略戦争を断念した武田家は、友邦である越後の長尾家を頼り、今でいうゴーレムによる大規模農法を導入した事による。
後に晴信虫と称される寄生虫対策に苦慮した両家は、徹底した聞き取り調査の結果、寄生虫被害がある場所を特定。そこからの一時避難を行って人手が足りない場所(砥石崩れの戦いで男手の五割が戦死したとも言われている)へ移すと同時に、該当区域の徹底した開拓を行ったのである。
ゴーレムを使い一度全ての湿田と水路を山の土で埋めた後で、改めて畑として開墾。それでも肥沃ではない場所で菜種を収穫するようにしたのである。長尾家はこれを快く買い取り、甲斐では取れない塩であったり豊富な米を、安価に(関銭を無視したぶんだけ)提供したと伝えられている。
なお、十七世紀に入りこの地方病は終息傾向にあったが、当時に流行った庚申信仰により『悪いことをしたら景虎さまへ、腹の虫がお伺いを立てるぞ!』と三尸説や景虎伝説と奇妙な習合が行われたという事である。
と言う訳で準備回2です。
●将軍家の実力とやり口
サッパリ存在しない地力と、まるで存在しない信用度。
かろうじて存在する権威と、朝廷への取次役と言う前例の踏襲。
これが足利将軍家の全てなので、そりゃ誰も信用しませんよね。
なので、将軍家の土地と自前の戦力、信用の積み上げが献策になります。
なお、本編で行った二回目の上洛前ですが……この時点で遥かに金持ちなので
合計した金額をポーンと出せている感じですね。
●伊賀忍者の派遣労働
本編では甲賀の一部を雇っただけですが、今回は伊賀忍者を大量雇用。
伊賀は上忍が統制する形の派遣会社で、甲賀は個人雇いの一人親方の組合であるので、伊賀に声を掛けたのもあります(伊勢の北勢四十八家に近く、良く知っているのもありますが。
思うのですが、イギリス最強のグルカ兵とダブルオーナンバーを同時に雇えるならば、そりゃ雇いますよね。放置すると敵にもなるのでお安い買い物です。