●越後の戦略
景虎が越後守護ほか、幾つかの地位に就いたころに事件が起きる。
関東管領である山内家の上杉憲政が自刃したのだ。北条家はジックリと攻め上がっており、気が付いた時には配下の一部を寝返らせていた。史実では表門を守る重臣だけであった為に逃げ切れたが、近隣の城主を含めて多くの国人衆が寝返っていた。逃げることも叶わず、四方の道から息子を逃がす為、山寺に籠って時間を稼いだ後に寺へ火を掛け自刃したのである。
北条家も追っ手を放っているが、数人いた息子たち全てを捉えることなど出来ない。その内の一人が景虎の元に辿り着き、敵討ちの為の援軍を呼び掛けたのである。
「追い込まれるまで援軍を呼ばぬとは、そこまで耄碌しておったか」
「関東管領の意地であろうよ。公家であり武士、らしいではないか」
「ならば粘り腰を見せ、いっそ伊勢と和平して担がれれば良かったものを」
「我が家と管領殿は対立したことがあり申したし、身内を随分と殺されておりまするからな、どちらにも踏み切れなんだのでしょう。まあご子息は大義名分にはなりまする権威は落ちておりまするが、あるとないとでは大違いにござる」
重臣たちの言葉が憲政の全容を表している。
上杉家は関東管領の地位を維持するためと、関東公方との対立で相当な無茶をやった。無理な戦争を何度も起こし、それでいて有力な重臣を粛清して力を奪おうとしたり、四方の有力な豪族と揉めたりしている。その過程で分家の越後上杉家を追い落とし、下剋上を果たした長尾家とも争い、敗死したこともあるくらいである。温和で外交肌の兄、晴景以降雪解けムードであったが、経済的な援助を受け入れるだけで限界だったのだろう。
もっとも、その経済的な援助で持ち直したことも問題かもしれない。
内部に関しては強気になって意地を張れたのと、北条家対策に周囲の国主へ動員をかけるための費用を支払えたからだ。だが、その結果がコレである。気が付かぬうちに浸食され、最後には最も頼りにする箕輪衆にまで背かれて孤立無援になってしまった。
「三国峠の先は押さえましたが、上野国の国人衆は大半が伊勢側とか」
「援軍要請も無い内からは出兵出来ませなんだからなあ。陸からは、ですが」
「海の方も予想はしておろうよ。相手の想定通りに攻めても時間を掛けるだけよな。同時進行しつつ、本命は別に取る。まずは将軍家より賜った北条追討令を掲げ、信濃衆が協力してくれるならば碓氷峠も越えさせる。そして今川家に連絡を取れ。河東群を取り返す好機であると伝えよ」
海に関しては時間が掛かる事もあり、既に出動命令を出している。
呉鎮守府に置いていた水軍の一部が、大型船を中心に移動している筈だ。途中で駿河に寄って補給しつつ、伊豆なり相模を直接攻める手はずになっていた。だが、これまでの西国攻めの間に、景虎の戦い方は判る範囲で研究されて居るだろう。陸路には雲梯型ゴーレム『川上猛』を邪魔する様に伏兵が置かれて居るだろうし、海岸警備の水軍と連動する兵士たちが居るものと思われた。
それゆえに景虎は第三の道を選びつつ、今川家に要請を行う。信濃や関東の諸将が動くかどうかは判らないが……今川家は代替わりの時に駿河の東を占領されたままなのだ。小田原城まで攻めるかどうかはともかくとして、河東群を取り返しつつ伊豆を伺う方針を採るであろう。
「して、御屋形様。いずこより攻めまするかな?」
「甲斐を経由して秩父の連峰より鉢形城へ、同時に岩殿山城から津久井城を攻める。武田家は逆らわぬし、小山田殿はこちらに好意的だからな」
砥石崩れの戦いで壊滅した武田家だが、全軍ではない。
北条家を警戒していた小山田家と、今川家を警戒していた穴山家は一門衆であり、武田家と対等の同盟を組む豪族でもあった。それゆえに仇と言う程に兵は動員しておらず、食料や塩などで厚遇すると好意的に成ったのだ。先々代の信虎を悪人にして追い出したように、晴信を悪人に仕立て上げて甲斐をまとめる有力者と成っていたのである。ゆえに彼ならば軍勢を通すことに問題としないでくれるのだ(そもそも津久井城が目障りで、同時に領地として欲しかったのもある)。
五つの道から進撃する、まるで三国志の様な様相。
だが景虎は油断などせず、また戦力傾斜も絞って集中的に投入する気でいたのだ。
「本命は秩父。伊勢の裏手より進軍し、上野と武蔵を一息に呑み込む。他の道は慌てて下がるところを追撃せよ。彼奴等には守るべき場所が多いという欠点があるゆえな」
「「はっ!」」
北条家は景虎を研究して対策を立てているだろう。
だが、戦力には限界がある。上野衆を動員して三国峠側と碓氷峠から進軍する兵を止めに掛かるだろう。だが同時に海岸沿いを警戒し、小田原の南当たりから各地へ出撃出来るように待機させると、幾らも兵が余らないのだ。河東郡を捨てて今川家と個別の和平を狙うにしても、越後勢が押している最中は無理だろう。関東の大名たちが介入してくることも考えれば、東にも戦力を残して置く必要がある。要するに全てを守るだけの戦力が無いのである。
これは史実と違い、関東管領が逃げ出す前に討ち取った為、あちこちを抑えることに成功した事による。だが、この時代は隙あらば寝返り、優勢な方に付くのが当たり前の時代だ。メンツの問題もあって、本領だけ守るために小田原城だけ守っていれば良いわけではないのである(真実の様に、景虎が関東管領が大兵力を動員すれば話は別だが)。
「そういえば大鎧を造れるようになったとか。お目見えでありますな」
「強いことは強いのだが所詮は傀儡の強化型だな。大きく作れることで、船などに色々と組み込めたのが良かった位だ。使うには使うが、別の工夫を凝らす。あまり多用する気はない。この動乱で全てを終わらせるぞ、伊勢めが年を跨いで祝うことはもうあるまい」
最後の問いに対して発した言葉は矛盾していた。
人形・傀儡・大鎧とゴーレム魔法は作れる物が、大きく強力な物になっていく。しかし、景虎はそれほど強くないと言った。それなのに今年の戦いだけで決着をつけるという。別の工夫とは一体なんなのだろうか?
一つだけ判っているのは……この戦いが景虎が国内で行った最後の戦いである事、そして北条氏康が憤死同然に腹を切って小田原城が落ちたと歴史に刻まれていることだけである。
●北条家、絶対防衛戦線
黒土返しと言う言葉を知っているだろうか?
史実で越後兵が行ったとされる北条攻めでの懲罰行為である。北条側に付いた農村で食料を調達し、若者を連れ去って身代金を受け取るくらいの事は何処でもやっていた(もちろん身代金が無ければ奴隷として売るまでがセオリー)。だが、越後兵はなんと、それに加えて田圃をひっくり返して栄養も無ければ空気もあまり混ぜられていない、下層のローム層と入れ替えたとされる。当然ながら収穫量は劇的に落ち農民も国人も涙したという。
だが、この動乱に置いて景虎はソレを越える采配を振るったのである。
その行為を非道と呼ぶか、戦国時代を終わらせるためにあえて振るったとするかは、後の歴史家の間でも評価が分かれている。
「鉢形城を落した越後勢、止まりませぬ! 武蔵勢を打ち破った結果、北から西まで上野の豪族たちが次々に降っております!」
「何が起きた! まだこちらの方が有利であったはずだぞ!」
「追討令とやらに影響されたのか? 御内書が出回っておっただろう」
「まさか。権威も地に落ちた将軍家だぞ。今更その程度で国人どもが……」
伝令からの報告に諸将が騒然となる。
鉢形城方面は奇襲であったため、緒戦で敗退してからは篭城していた。そこから武運拙く敗走するだけならまだしも、他の北武蔵勢と合流してからの反撃すらできないとは信じられない。景虎の寄こした水軍が相模に上陸したこともあり、南武蔵の兵力も援軍に向かって居た筈なのだ。時間はこちらに味方であり、相手は冬が来るか兵糧が心細く成れば撤退すると判っていたのである。
驚く諸将より冷静に見つめられる人物が動く。
流石に北条家の者や五色と名前を受ける重臣たちはするべきことに目を向けている。
「その戦いに参加した者はこちらには連れておらぬのか? 端の者でも良い。此処に通せ」
「はっ。少々お待ちください。最初の段階で、何名か担ぎ込まれて居ります」
ここで言う『端の者』とは、無名な雇われ者の事である。
町民や農民出身であることもあれば、国人や土豪の三男以下の者である事もあり、戦う時には小頭になる事もあった。ただの雑兵と違ってある程度は現地の知識もあり、また怪我をすればかろうじて治療してもらえる程度の扱いもされる。それゆえに逃れてきている者も居るし、貴重な証言を持って居ながら重視されないのは、武将たちから見れば本当にどうでも良い連中だからだ。時代劇で取るに足らない無名の女官を『はしため』など呼ぶが、その男版だと言えば判り易いであろうか?
要するに誰でも良いが、それなりに解説出来る奴を連れて来いという命令であった。この当時に死守命令で全滅するまで戦わせるなどあり得ず、情報を与えないつもりで忍者を放っても、こういうことは良くあるのだ。
「その方か? 褒美を取らせるゆえ、覚えておる事を話せ」
「へ、へへええ……。さ、最初は秩父の峰々から兵が現れたという噂でしただ」
「やはり連峰越えか」
三国峠ないし碓氷峠を突破したのか、それとも商人に紛れたか?
そういう可能性も無くはなかったが、流石に大軍では難しい。鉢形城を無視するのではなく、正面から攻略するならば山越えが最もあり得る算段であろう。ここまでは定石どおりであり、特に不審な事は無い。信濃衆を動かした時点で、時間を掛ければ山越えは可能だからだ。あえて言うならば秩父の山々で働いている木こりや狩人たちは、忍びによって捉えられているだろうという予測が加わる程度である。
「津久井城に現われたのは囮であったのだな。油断したわ」
「二重三重の囮をした上で、本命は意外と遠い。まずは上野を獲るか」
「あそこを落されて拠点にされれば、上野に兵を回す余裕は無いゆえな」
「今ごろは固く守って兵と兵糧を運び込んで居ろうよ。その上で武蔵を蚕食する腹であろう。津久井はともかく上野は捨てる。そこまでは計画の内だ。……さて続きを聞くとしようかの」
鉢形城は北武蔵の要衝で、上野にもほど近く支配の要でもあった。
ただ関東制覇を考えると忍城ー河越城のラインもまた重要なので、焦って取り戻しに行くのも難しい。万が一にでもそちらを落とされると、東上野や下総との連絡線が途切れるし、周辺諸国に『北条家は弱い。一時の勢いでしかなかった』と印象付けられてしまうのだ。それならばむしろ、連絡船を守って東上野の豪族たちに消耗戦を挑ませ、時間を稼いで冬を待った方が堅実であると思われた。
実際、当初の計画では三国峠を南下した兵力が沼田城に入り、そこを拠点に攻めてくると想像していたのだ。そうすれば信濃勢も越後勢も、上野を攻略する段階で時間切れを起こしたであろうと北条家の首脳陣は考察していた(実際には日本全国から幾らでも兵糧を送ってくれるのだが)。
「それから暫くして戦になりました。物見が戻らぬと……」
「続けよ。みな、そのくらいは存じておる」
城攻めはともかく、何処の城を攻めるか隠している場合もある。
鉢形城を攻めると見せて他の城かもしれないし、逆に他と見せて鉢形城かもしれない。そう言う展開ならば状況を動かし易いし、好きな場所を攻められるのが攻撃側の優位点なのだ。斥候を片っ端から処分して色々と誤魔化すのは何処でもやっている事だった。
だから雑兵では無い物の経緯を順に考えないと理解できない端しの者と、色々と考察できる重臣では前提条件に差があって当然であった。
「へえ。戦いになって川を越えた場所を警戒しつつ、目に見える敵と一戦交えてみる事になったでごぜえます。なんでも越後の兵は川や壁を簡単に越えて来るとかで」
次に明らかになった情報はひとまず戦う事になった事だ。
これも予想できたことだが、援軍が来るまで篭城したままなのか、それとも壁越えを警戒して打って出るのか? その決断が判らないからだ。この情報も知られて居ないという事は、やはり相模への道でも忍者が隠れて伝令を始末していたのだろう。
「で、あろうな。その事は早くから対策しておった」
「地元の者であれば物見が戻らずとも可能であろうよ」
「懸念は越後の兵が多い事……いや、連峰越えならそうはおらんか? なるほど、その辺りの詳細を掴むために一戦したのか。ここまでは理解できる範囲であるな。しかし、即座に引いたわけではないのか? では、どうしてこうも見事に鉢形城を落されたのか。次はその辺りが聞きたい」
互いの戦力を合わせても一万に及ばない場合、勝敗は水物だ。
率いる大将が判断ミスをしたり部下が油断している事もあるので、どちらが勝つか分からないし、一戦して実力を確かめてみるというのは良くあることである。実際に景虎はゴーレムを使った川渡りや壁越えによって、戦機をコントロールして一気に勝つことがある。それを考えたならば正面から戦える状態ならば、一戦するのは正解であろうとすら覚えた。
それが全てのミスであるとも知らずに鉢形城の将は戦ってしまったのである。
「戦い始めてた時、敵は白い傀儡を前に出して戦って居ましただ。そう強くはねえんですが、こっちの石投げとか矢はそいつに止められちまうんですだ。最初の戦は勝ちましただが、そいついら倒しただけで兵は殆ど死んではおりませなんだ」
これもある程度は想像できた話だ。景虎は屋根付き盾持ちのゴーレムを使った。
矢盾と呼ばれる陣地を構築するための障害物を所持して前線へと進んでいくゴーレムの存在である。日本の戦いは矢戦や石投げから始まる事があり、自分達を守れるので一方的有利で戦える。仮に同数が戦った場合、損害がほとんどない方が勝つのは当たり前だからだ。ソレで油断するなら話は別だが、緒戦で油断する事などあり得まい。
一戦して相手を把握するという目的につられて出てきたことで、後の戦いが不利になってしまったのだと……この時点では思えて来る。実際には、既に敗北したも同然であるのだが。
「ふむ。そんな報告もあったな。山に残っている雪で作ったのか」
「あり得る話だが、雪はそう多くあるまい。苦し紛れであろうよ」
「気が付かずに戦ったのであればこちらは疲弊しておるのか。しかし、篭城くらいは……」
「いえ。雪ではございませぬ。そいつは塩で造られておりました。壊れておった傀儡が塩だと気が付いて、たいそうな戦利品じゃと城に持ち帰ったのでありまするが……数日して上の者たちが争いを始めて城が落ちましただ。おらの傷も地元の者にやられたんです」
その話を聞いた時、居並ぶ諸将は頭が真っ白になった気がした。
塩のゴーレムがどうしたというのか? どうしてそんなものに苦戦するのかわからない。何しろゴーレムは素材の耐久力がモロに出るのだ。動くことは動くだろうが、大して恐ろしくもあるまい。越後では塩が名産に成ったとは聞くが、たかが塩の……と言いかけた所で誰かが気が付いて口に出してしまった。もし、ここで口止めし、質疑応答を止めてしまえばまだ戦えた筈なのだ。
そう、ソルト・ゴーレムの真価は戦闘力には無いのである。
「まさか……彼奴等は……田畑に塩を撒く気か!」
「馬鹿な! そんなことをすれば向こう十年は米が採れぬぞ!」
「気が狂っておる! 領国を荒らすどころか滅ぼし、それで勝ったとしてどうなるというのだ!」
頭脳労働は無関係と思っている物ですら怒号となった。
景虎が小癪な戦い方をする為に、対策として情報を共有するために幾多の武将を集めていたことが災いする。小田原城は阿鼻叫喚の坩堝となってしまったのである。何しろこの時代、国人たちは自分の土地を守るために上位の者と契約して仕えており、家臣ではなく同盟者であるとか従属している独立者であることも多いのだ。この時点で鉢形城で起きたことが理解できてしまった。北武蔵の国人衆が雪崩を打って越後方に着いてしまったと思われる。そんな状態で篭城など出来る筈もないだろう。
「悪魔……悪魔だ。連峰より来る白い悪魔じゃ……」
隠居して僧侶となり、御意見番として参加している幻庵翁の言葉が全てを表していた。
と言う訳で景虎最後の戦いになります。
いやあ、北条氏康は強敵でしたね。面倒くさいので次回死にます。
Bルートは元もとエイプリルフール用に考えていたネタで、本命はファンタジーのゴーレム物だったのですが、そちらはアルファポリスで書くことにしたので、こちらは別の話にすることにして、ブリカス・ルートを始めたところです。とはいえ、それも長くなったので、そろそろ締めに入りますね。
●今週のゴーレム
連峰の白い悪魔『大魔神』
丹波地方に伝わるという、悪い者を懲らしめる大魔神の伝承を元にしたという。
不思議な事にこの伝承は現代では伝わっておらず、後に作られた創作ではないかと言われている。
塩で製造されていたソルト・ゴーレムであり、商売及び甲斐支援のために運び込まれた大量の塩を用いられたという。