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長期プランを立てて確実に越中を制圧する。
景虎の言葉に諸将は一斉に動き出した。脳筋と称されることの多い越後の武将たちではあるが、方針が示され、それに納得できる限り決して愚かではないのだ。パワーとか権威を上に置くだけで。
神保長織が籠る増山城には越中勢を当てて封じ込めを図る。
所詮は身内の仲ゆえに、本気で戦う気が無い連中である。ならば戦闘力にさほど意味が無い持久戦に用いて時間稼ぎとして使ったのだ。その間に残りの諸城を陥落させ、ある程度は残すとしても、根強い神保派の将は完全に討ち滅ぼす気でいた。
「越中守護は畠山家に。統治は椎名殿が行うべきだろう」
「まさしく。弾正様は流石に判っておいでですなあ」
椎名長常は判り易くへつらいの笑みを浮かべた。
神保との勢力争いで負けていたこともあるが、その前の段階から守護代争いで長尾を巻き込んでしまい、実質的に服属していたのだ。それが景虎より守護代職を返却しても良い、しかもその戦力は長尾家が用意するとあっては否応があるはずもない。むしろ潔癖症に見える景虎を裏切った時、自分がどうなるかを考えて冷や汗をかくほどだ。
「翌年以降に神保が勢力を戻した時に備え、見ての通り富山城を改築しておる」
「またその折りに備えて大きく街道を整備する予定だが、その費用は先の布告の予算を使用する」
「鉱山と港からですな。守護代としての判断としても、まったく異存はございません」
景虎はまったく越中の土地に執着して居なかった。
それどころか上納せよと定めた鉱山からの収入や、港湾使用料ですら越中の為に使用して良いとすら言い切った。それらは特に交布される事ではない為、説明さえしなければ長常が長尾と交渉してもぎとった成果に見えるだろう。澄まし顔で頷いているような態だが喜色を隠せていなかった。
「越中を修る将に関して、椎名殿の良いように。坊官衆を抱えても構わぬ」
「それでも足りぬというならば、越後の中で飛び地や国替えに興味がある者を探すとしよう」
「ありがたい配慮でございますな。ですが越中の将も捨てたものではございませんぞ」
景虎は長常に付くと決めた者を優先して良いとした。
その上で坊官を将とすれば話が早いならばそれを受け入れ、それでも足りない場合にのみ、越後からの客将を派遣するとまで言い切った。重要なのは確実に神保を滅ぼす事であり、越中が長尾家に協力する態勢であればまったく気にする気はなかったのである。ゆえに長常としても自分の配下や引き抜いた者たちを優先する気でいた。その上で小うるさい坊官に正式な身分と、寺領安堵をすれば良いと判断したのだ。
「それでは後は任せよう。我らは神保家の将を潰して回る」
「どんなに待っても長織は援軍を寄こさぬ頼りにならぬ将じゃと触れて回ろう」
「まあ、その家が残っておればじゃがな」
「……こ、降伏した者にはよしなにお願いいたします」
何処まで行っても長尾家は余所者だ。
だからこそ、同じ郷里の相手に遠慮せずに殲滅ができる。その事を長常は羨ましく感じると同時に、統治するために必要な国人衆だけでも残して欲しいと思うのだ。彼らは豪族に従って地域の村々を統治する地侍であり、土地の多くは彼らの知恵が無ければ分からないことが多かったからだ。
「戦わずして下った者はそれなりに扱おう。戦った者でも武士の意地を見せた者は称えよう」
「だが、そなたに降伏するでもなく、頭を丸めるでもなく、意地汚く色を変える者は許さぬ」
「……心得て存じます。その……何かあれば斎藤下野守殿に相談しようかと」
「守護代ともあろうものがそこまで遠慮することはない。だが必要な物や連絡があればいかようにでも申し付けられよ」
転生者の価値観では、風見鶏として生きるしかない地方豪族の気持ちは分からない。
長常としてはいっそ潔いまでにフリーハンドを与えて来る景虎の気持ちが理解できなかった。正しく越中を統治している間は何も言っては来るまい。だが……その期待を裏切った時。他所の誰かに唆されて、従う理由ができてしまった時に、自分がどうなるかを想像してしまったのだ。彼としては名目上の主人である、能登畠山氏がまともなバランス感覚を維持している事を祈らざるを得なかった。
だが長常の思いは杞憂に終わる。能登畠山氏が神保以上の取り分を出せば、椎名と長尾に乗り換えると言ったからだ。ただし、その原因を作ったのは……能登畠山が大人しくするという意味では無かったのだけれど。
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越中平定を行う景虎の元に、意外な使者が訪れた。
能登畠山だけなら意外という程でもない。だが帯同して二人の人物が居るのが不思議な縁である。
「長尾弾正少忠景虎に存じます。此度の御用向きはいかに?」
「畏まりますな。ただの旅人に過ぎませぬ。分家に顔を出すついでに、書状を持って参った次第」
景虎は上座を譲る構えを見せつつ、一段ほど言葉を下げた。
相手は河内畠山氏の血筋であり、能登畠山氏の元へ顔を出した次いでであるという。だがそんな言葉を信用する訳にはいかないし、ひとまず同格であるとはみなさず、上の者であるとして話を続けた。
「これは御教書……上意にございますか?」
「さて? 私は存じ上げませぬが、上意であれば似たような文が間もなく届きましょうぞ」
手紙は御教書という上質の紙で用意されていた。
これは摂関家などが私信として使う他、幕府が最上級の文として用いるものだ。どちらであるかで多少の意味合いは異なるが、決して景虎が無視できない事は明らかであった。
「……では拝見いたします。なるほど畠山殿への越中守護の内示でございますな」
「合わせてそれがしには、弾正少弼への昇進と」
「都では弾正殿のお働きに満足しておられる。以後もその忠義を期待しておりますぞ……と仰せられておられる」
「忝きお言葉。そう弾正が申しておりましたとお仕えてくだされ。それと……」
内容自体は景虎が工作していた内容を認めたものだ。
能登畠山氏へ神保攻めに対する静観の見返りに、守護として一定の権力を認めるというもの。これを追認すると同時に、景虎がもらっている弾正台の役職が地方監査役であることをことさら強調した内容である。
いやに物判りの良い内容に景虎は思わず訝しんだ。
もちろん能登畠山家の本家である河内畠山からすれば、元は自分の物であった越中守護の話に口を突っ込めるのは大きな事だ。顔を出すだけで能登畠山は自分の権益を持って行かれると妥協せざるを得ないし、その斡旋を景虎に売れば都に行っている上納の一部をもらえるのは確かな事であった。しかし、全ての疑問は、都に居る筈の彼らが越中の事情にどうして詳しいか……である。
「今上や大樹様への献金をせっついている訳ではなく。まあ、あるに越したことはないですが」
「……では? 他に内々の話があると」
「その通り。弾正殿には近いうちに大樹様より正式な上洛令が下るでしょうな」
「上洛せよと……そういう事ですか」
ここまで来ると、用事そのものは何となく判って来た。
河内畠山氏は都の有力者であるが、大樹……足利将軍家とは離れた位置を取っている。むしろ囲い込んで自分の欲しいままにしようとする三好長慶側の人間であると言えよう。この男がやってきた理由としては、将軍家よりも先に接触しておこうという算段に違いあるまい。
だが判ったのは、あくまで畠山氏の都合だけである。
どうして彼ら河内畠山氏が越中の事に詳しいのか、そして一足先に出向いて来た本当の理由が分からないのだ。派閥工作であればもっとやりようがあるし、将軍家の側に付く気があるならばここで話を付ける事にはあまり意味はないはずなのだ。
「概ね理解できましたかな? では、ようやくこちらの方を紹介できる」
「石山御坊より参りました。姿を隠すために剃髪して見せてはおりませぬが、平にご容赦を」
「見せる……幻術とはっ! これは見事な御手前で」
「正確には体を隅々まで操る飯綱の術にございます」
要するに畠山の用事とは、このもう一人の人物を紹介するためだったと言っても良い。
いや、そもそもこれらの情報は一向宗から河内畠山氏に伝わったのだろう。尾山御坊より石山本願寺に話が伝わり、そして本願寺経由で河内畠山を動かしたのである。思えば下の公家のみならず上の摂関家まで経済的な困窮は激しい。三好・畠山・本願寺のラインでいる可能性はあったのだ。元は三好と戦っていた本願寺であるが、それを要請したはずの細川家が裏切ったために、三好側に付いているという複雑さが原因かもしれない。
「法主に置かれましては、此度の件を一時的な和睦で収めたくないとの仰せでございます」
「つきましては上洛に際し、石山御坊とは申しませぬが、どこぞで詳しい話を行いたいとのこと」
「なるほど。親鸞聖人の聖地である越後へ入る自由に関してですな」
「法主の胸の内は拙僧如きには判りませぬ。しかし、その件も含めてであろうかと存じ上げます」
親鸞聖人は都を追放されて越後に流された。そこで教えを広めたので聖地である。
しかしその事が大きく影響し、一向宗と他の宗派の争いや加賀の一向一揆の件もあって厳しい禁令措置が越後に施されていた。一向宗から見れば、景虎の歩み寄りは貴重な機会なのである。それこそ河内畠山氏を動かして越中の件をスムーズに済ませるなど土産の一つであるに違いない。
同時にこの飯綱使いの坊主は、景虎の中に親鸞聖人への敬意を感じ取った。
景虎に転生した女にとって、親鸞聖人でも日蓮聖人でもそれこそ一休さんであろうとも、過去の偉人はみな尊敬に値する対象と教えられてきた。いまさら宗教弾圧も無い時代の生まれである。仕方のない話であろう。
「この場では俄に頷きかねるが、前向きに検討させていただきましょう」
「あくまで越後の周辺で騒乱が無く、安心して出かけられるという前提になるでしょうがな」
「それで結構」
「同じく」
当主とは言え一存で決められることではない。
加えて現在は戦争中であり、越中の争乱を終わらせている所なのだ。無論、畠山家も一向宗も見捨てた神保に未来はない。この話が伝わった時点で、神保長織の命運は決まったような物だ。腹を切って嫡男の家督を認める線で決着がつくものと思われた。
「さて。はるばる越中まで来てくださった御両所に土産をお渡ししましょう」
「この手形を京三条の神余にお見せくだされ。書かれている分量の酒を選べまする」
「っ! 越後の酒ですか。それは楽しみな」
「拙僧は嗜みませぬゆえ、九条様にでも献じましょうぞ」
長尾家はセールスマン兼京都方面の工作に神余家を配置していた。
関東管領になると思っていることもあり得に官位など欲しいわけではないが、セールスの一環として金やら青苧やら酒などを送り込んで色々と工作させているのだ。ブランド確立のために他の大名と違って毎年朝廷や幕府に贈っていることもあり、景虎の手形があればいつでも贈り物として使えるようになっていたのである。
「それと少量ですが味見も用意しております。一献つかまつりましょう」
「ははは。催促したようで申し訳ありませぬな」
「馳走ということであれば断るのもなんでしょう。味見の範囲でいただきまする」
そんな感じで話し合いは終わった。
酒粕を焙り、あるいは雑穀で造った麩に味噌を塗って酒肴とする。陣昼食ゆえに大したものではないが、酒を愉しむには十分であったという。
そして越中の攻略が殆ど終わり、一度越後に引き上げが決まったころ。
予告通り将軍家からの使者が訪れたのである。内容は関東管領へ助力せよ、そして上洛して謁見すべしとの言葉である。これを理由に景虎は山内上杉家や神保家と和睦。山内上杉家に援軍の話を通し、神保家に関しては長織一人が腹を切って責任を追う事で神保家の存続を許したのであった。
面倒くさいので越中平定です。とはいえ景虎がやったことは半分。
「越後人にしてはようやっとりますなあ」と上方の介入もありました。
次回、ドーマンセーマン本願寺レッツゴー!