K2×ウマ娘短編集   作:ウマの骨

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明日をかける(後編)

「テイオーに検査の必要があるとはどういうことですの!」

 

数時間後、僕らは病院で待機していた。病室のベッドで合流したメジロマックイーンが一也に詰め寄っている。

普段はお嬢様然としているが、精神的にはテイオーに似たり寄ったりなところもある様だ。目の前にいた一也はその剣幕にも押される事なく話し始める。

 

「気になっているのは、テイオーさんの過去3回の骨折、白目の青み、そしてご家族の骨折の話です」

 

一也の言葉に僕は先ほどの会話を思い返す。骨折に関連する話は一つだけだった。

 

”「ボクのお母さんがね、健康診断の時に注射が終わってウキウキしちゃって転んで骨折して、退院の時にもやっと退院できるって喜んでたら帰り道で急いで道路渡る途中に転んで骨折して再入院ってことが…」”

 

頭の中で知識と状態が結びついていく、

 

「骨折歴が複数回あり、目は…青色強膜か!、そして家族にも複数回骨折歴…」

 

僕の言葉に一也が頷く。口に出し、思わず歯噛みしてしまう。情報は彼女自らが話していた。僕はどうして気づけなかったのか…。

 

「検査結果が出ました!」

 

その時、病院の専属医が病室に駆け込んできた。全員の視線がそちらに向かう。

 

「結果は!」

「DXA法で骨密度を確認したところ、YUM(若年ウマ娘平均値)は71。骨減少症です」

 

71!僕は思わず息を飲んだ。つまりトウカイテイオーは同世代のウマ娘に比べて71%の骨量しかないという事だ。

当然その脆さでは骨折もしやすい。しかし、彼女は適度に衝撃のかかるトレーニングをしていて、食生活もある程度は管理されている。それにも関わらず骨密度が低いということは…。

僕は次の言葉をある程度予測して専属医さんが言葉を続けるのを待った。

 

「また、遺伝子のPCR検査でCOL1A2遺伝子の変異が認められました。トウカイテイオーさんはⅠ型骨形成不全症と思われます!」

「!!」

 

この場にいる人たちに衝撃が走る。

 

「やはり、そうでしたか…」

 

一也が呟く。

 

「人間よりもウマ娘には発病しにくい病気です。運動しているウマ娘であれば骨密度が低いということは本来ありえない。だからノートに書かれていたウマ娘の健康診断結果に骨密度検査は含まれていなかった」

「人間とウマ娘の差異からくる見逃しか…」

 

人間と比べて一部の検査項目がオミットされているために異常が判明しなかったということだ。

一也はトレーナーのノートを見たときに、人間とウマ娘の検査項目の違いに気がつき、トウカイテイオーが骨密度検査をしていないことも疑ったのだろう。

 

「ま、待ってください。骨形成不全症とは…・?」

 

ここにいるのは医療従事者がほとんどだ。徐々に理解が広がる中、例外のメジロマックイーンがベッドの上から声をあげた。

 

「あ、すみません。…骨形成不全症とは遺伝子の異常で骨がもろくなってしまう病気です」

 

一也が答える。

 

「骨を構成するコラーゲンが正常に合成されないんだ。その影響で眼の強膜も薄くなり、青く見える。そして、親から遺伝する場合もある…。」

 

僕が言葉を続けると、メジロマックイーンが呟くように先を促す。

 

「テイオーは、テイオーはどうなるんですの…?」

「骨形成不全症の中でもⅠ型は最も軽症です。一般ウマ娘に比べて僅かに骨が脆い、という状態でしょう。Ⅰ型の場合は基本的な日常生活ではほとんど症状が発生せず、病気に一生気付かず、不便もない、ということもあり得ます」

「ただ、トウカイテイオーはプロのアスリートだ。強度が高い運動を繰り返せば、骨の僅かなもろさが命取りになる。何もせずにトレーニングとレースを続ければ…」

 

僕らの見立ては同じで、同時に残酷なものだった。4回目の骨折、という言葉がここにいる皆の頭によぎっただろう。もう一度骨折すれば、今度こそトウカイテイオーのレースは終わる。

 

「まずは、本人とご家族に知らせることからだ」

 

とK先生が言い、部屋を出て行った。

 

「どうして、テイオーはそんな事に。テイオーさんが何をしたって言うんですか!」

 

メジロマックイーンの言葉に、今度こそ答えられる人はいなかった。

 

麻上さんに連絡すると、村の方は変わり無し、ということだった。診療所の業務はかかりつけの患者さんの他、突然の病気や事故で発生する急患の対応もある。

村までの道は山を切り開いた険しい道で、しばしば交通事故も起きるのだ。村井さんもいるとはいえ、決して任せきりで安心はできない。

とはいえ結局今日は村に戻らず、K先生と一緒に病院に泊まらせてもらうことになった。

 

「…くそっ!」

 

雑事が終わると悔しさがぶり返す。僕と一也、与えられた情報は同じだった。しかし一也は真実にたどり着き、僕はたどり着けなかった。それがたまらなく悔しい。

気持ちを落ち着かせる為、病院の中庭に出る。暗くなってきた今なら、外気の中で一人頭を冷やせるはずだ。

 

「…あぁ、あんたか」

 

だが先客がいた。チームスピカのトレーナーが暗い中、一人でベンチに座っていた。その場から離れようかとも思ったが、無言でこちらを見るトレーナーを見て、そのまま戻ることはできなかった。黙ってベンチに座る。

名残惜しそうに口の中に入れていたタバコ、いやよく見るとキャンディの棒をトレーナーは捨てた。吸殻入れに何もついていないキャンディーの棒が転がる。吸殻入れの穴に吸い込まれる前、ひどく噛み跡が残っているのが見えた。

 

「ドクターKさんだったか?あんたの先生に立ち会ってもらって、電話越しにテイオーの親御さんに説明を済ませた。…泣いてたよ。まだテイオーと先生は話してる。俺は、ちょっと席を外してほしいと言われてね」

「そうですか…」

 

恐らくはご両親からの当たりを考えてのことだろう。近くにいたのにどうして気づけなかったのか、は自責も他責もあり得る。辛さを出さないためか、軽い口調でトレーナーが続ける。

 

「テイオーの病気、骨形成不全だったか。治療法はあるのか?」

「検査を重ねてからになりますが、現状骨折がなければ外科的治療は必要ないと思います。骨密度を高める為、主にビスホスホネート製剤を投与していく治療が考えられます」

 

そうか、とつぶやき、トレーナーさんが俯く。

 

「その治療を続ければ、テイオーの骨はもう折れないのか?あいつはちゃんと走れるのか?」

「…絶対はありません」

 

僕は答える。

 

「骨形成不全は完治のない病です。症状が少なくとも、彼女は一生涯付き合うことになります。それに、何の病気がなくとも、レースで怪我は発生しえます。それはあなたの方がご存知なんじゃないでしょうか」

 

僕が言ってしまうと、トレーナーは黙り込んでしまった。僕とトレーナーは黙って暗闇の中庭を眺める。沈黙に耐えきれなかったのは僕が先だった。

 

「僕からもひとつ聞いて良いですか?」

「ああ良いぜ、何だ?」

 

「どうしてトレーナーさんは二人の復帰に熱心なんですか?失礼かもしれませんが、二人はもう普通に引退してもおかしくないキャリアを重ねています。どうして、リスクを犯してもそこまで復帰にこだわるのですか?」

 

これは僕の本心からの疑問だった。正直にいえば少し目の前のトレーナーを疑っているという面もある。

スターウマ娘は現役でいるだけで経済効果が発生する。特にトウカイテイオー奇跡の復活があった以上、もう一度ブームを引き起こすことも可能だ。専属トレーナーはその恩恵に預かることもできる。もし、質問をはぐらかしたり、不純さを感じたら、僕はそれをK先生に報告しなければならない。

それに、あの、熱意を感じさせるノート。あれがどんな思いから作られたのか。それも僕は確かめたい。

不躾な質問だ。トレーナーは一瞬あっけにとられたようだった。少ししてからその顔に笑みが浮かんだ。

 

「そうだな、俺はこう思ってるんだ。、”引退レースを走る”のと、”結果的に引退になったレースを走った”は違うんだ。ファンも、周囲も、本人も。次の立ち上がり方が違ってくるんだ…」

 

遠くを見るようにトレーナーは話す。

 

「トレセン学園は学園だ。終着点じゃあない。これからの長い人生、いやウマ娘生の為に、きちんと見送ってやらなきゃならない」

 

僕は今日何度目かの後悔をする。僕が言うべきことは何もなかった。目の前の人は、教職者という面で一人のプロだった

「俺は、賞金なんて1円もいらん。観客も0人でも良い。ただ、お互いの約束を破らせたくない。二人にもう一度真っ当な競争をしてもらいたいんだ。そうすれば、そうすれば俺は、何の心配もなく二人を見送れるんだ…」

 

まるで祈るようにトレーナーが言葉を終える。僕は、また彼の目を見ることができなかった。

 

「…すいません。本当に失礼なことを言ってしまいました」

「良いさ、偉そうなことを言ってもテイオーの病気に気づけなかったこと、それにマックイーンの怪我を防げなかったことは間違いなく俺の責任だ。整理つけて、責任は取らなくちゃぁならねぇ」

「…責任…!?」

 

それは、二人の、テームのトレーナーの進退に関わる話だろうか。口に出せば本当になってしまいそうで話を続けられない。

トレーナーさんは立ち上がろうとしている。場を離れる前に止めなければいけない。だが、あんな事を聞いた僕が一体どう言えば…!

ちらり、と視界の端を影が通った。続いて声が聞こえた。

 

「その必要はない」

「K先生…!」

 

病院の照明を背に、頼もしい影がこちらに歩いてくるのが見えた。K先生だ。トウカイテイオーと家族の話が終わったのだ。

 

「どうも。テイオーのご家族へのお話はどうなりましたか?」

「問題ない。彼女はしっかりと自分の言葉で話した。問題があるのはあなただ」

 

K先生がトレーナーの目の前に立ち、顔を合わせた。

 

「自信のない医師に手術をされるのは患者にとって不幸だ。トレーナーとウマ娘にとってもそうだろう。二人のリハビリを任せる前に、まずはあなたの自信を取り戻さなければならない」

「先生、俺は…」

 

トレーナーが言いかけようとした事をK先生が抑える。

 

「まず、メジロマックイーン。繋靭帯炎はウマ娘にとって予防のできない病の一つだ。いかなる対策をとっても、癌のように自然発生することすらある。メニュー、ローテーションを考えてもあなたに不備はなかったと断言できる。次に、トウカイテイオー。彼女の症状は本人も同じ病の家族も自覚していなかった。ウマ娘の骨形成不全は珍しい病気だ。普通のトレーナーが知る知識ではない。アスリートウマ娘への骨密度検査は除外されている場合が多い。遺伝子検査も一般的な診断では行わない範囲だ。どのようなトレーナーでも、たとえあなたのような一流トレーナーであっても、彼女の病を見つけることはできなかっただろう。」

「しかし…」

「俺は患者を引き継ぐとき、まずそれまでのカルテを見る。カルテはどんな言葉よりも雄弁に患者と医師について語る。症状も、経過も、治療法も、そこにかける医師の思いに至るまで、それを読めば伝わるのだ。トレーナー。あなたのトレーニングメニューに目を通した。ノートも見させてもらった。門外漢であっても、その思いと仕事の確かさは伝わった」

 

思わず、僕も言葉を重ねる。

 

「そうです。あなたがやったことはノートにも、担当のウマ娘にもちゃんと残っています。それを、ご自分で否定しないでください!」

 

僕の思いは拙い言葉にしかならなかった。だがK先生はこちらを見て頷いた。そのまま引き継ぐように、先生はトレーナーと目を合わせて言葉を続ける。

 

「何より、あの病を抱えたトウカイテイオーが、怪我はあっても復帰し、有馬記念を走れたのは、他でもない貴方の指導の賜物だ。誇りこそすれ、恥じることなど何もない!」

 

強い言葉に押されたかのように、複雑な表情のまま、トレーナーがベンチに座り込む。K先生はふっと笑って言葉を続けた。

 

「もうこれ以上俺が言う事はない。あとは当事者達で話をつけろ」

 

え、と思うまもなく、暗闇の中からいくつかの影がトレーナーへ飛びかかった。

 

「トレーナー!。何言ってんのさ!ちゃんと最後まで見てもらうからね!」

 

トウカイテイオーを筆頭に、ティアラをつけたウマ娘、ボーイッシュなウマ娘、元気なウマ娘、ゴールドシップがトレーナーを囲んでいた。少し遅れて、杖をついてメジロマックイーンも現れる。

 

「良い加減にしなさい。そもそも、引退程度でメジロ家との縁が切れるとでも思っていたのですか?」

 

来た方を見ると一也と宮坂が突き飛ばされたような格好で転がっていた。恐らくウマ娘達を抑えていたが、ついに突破されたと言うところだろうか。

いつの間にか関係者が集まっていたらしい。

チームスピカのメンバー達は捕獲したトレーナーに話しかけているが、同時に話しているので何を言っているのか混ざって聞き取れない。

だが徐々にトレーナーの表情が困りながらも険が取れていくのを見て、内容は想像できた。

 

「ああ見ると普通の女の子みたいだ」

「でも、ちゃんとリハビリを乗り越える力があるわよ」

 

いつの間にか宮坂と一也も復帰して近くで話していた。

やがてウマ娘たちの話もひと段落したらしい。トレーナーを拘束して連行するように運ぶことにしたようだ。

ズダ袋を被せると、何かの部族のようにウマ娘達はトレーナーを抱え上げる。見送っていると、それを監督していたメジロマックイーンと目が合った。

立ち去ろうとしていたメジロマックイーンが足を止めた。

 

「ああ、先ほど貴方、テイオーの予後に絶対はない、と言いましたわね」

「…言いました」

 

そこから聞いていたのか。考えると失言しかしていない。冷や汗が流れ出るのを感じながら言葉を待つ。

ふ、とよく言えば華麗に、悪く言えば傲慢にメジロの令嬢は笑う。

 

「絶対はありますわ。トウカイテイオーにも、そのライバルであるこのメジロマックイーンにも。これからそれを証明するのです。…ほら暴れないで、テイオー!落とさないで行きますわよ!」

「…うん!」

 

ウマ娘たちは病を知りながらも楽しそうに。トレーナーは袋越しに何か叫びながら。チームスピカは騒がしく病室へと向かった。

 

「大丈夫かな、トレーナーさん」

「大丈夫だと思いたいけど…。とりあえず、様子は見に行こうか」

 

一也と宮坂は連れ立ってウマ娘たちについていった。

彼女達は大丈夫だ、と思った。彼女達に関する不安は根拠もなく消えた。だが、僕の思いは暗いままだった。

 

 

 

「何を気にしている?」

 

今度は僕の目の前にK先生が立った。

 

「いえ、何でも」

「お前にも先ほどの言葉を言おう。自信のない医師に手術をされるのは患者にとって不幸なことだ。言ってみろ」

 

K先生の言葉に、僕は思っていた事を口に出す他なかった。

 

「…僕は、トウカイテイオーの話を聞きながら、疑うべきべきだった症状に気づかなかった。一也がいなければ、僕は彼女をもう一度骨折させるところだった…!」

 

誤診を認める心持ちでK先生に告げる。K先生から帰ってきたのは冷静な言葉だった。

 

「この件についてはお前も病人だった」

「僕が、病人…?」

「一也から話を聞いた。トウカイテイオーの母の話と、その話を聞いてお前の様子がおかしかった、と。PTSDの一種だ。お前の母は道路を不意に横断したことで交通事故に遭い、結果親子は離れ離れになるに至った。その記憶が、お前を不安定にさせた」

 

ぐっと歯を食い縛る。まさしくその通りだ。あの話を聞いたとき、僕は冷静ではいられなくなった。かつて僕が母親を失った経験と、その理由を思わず思い出してしまったためだ。

 

「誰しも自分と患者の共通点を見つければ心が揺らぐだろう。だがお前は自分の過去を乗り越えなければならない」

「どうすれば、良いんでしょうか」

 

K先生の言葉に聞き返す。

 

「俺も考えていた。一つ、他人から学ぶと言うことがある。ここに出てくる前、トウカイテイオーがお前のことを気にしていた。許可も得ている。どのように立ち直ったかを話していい、とな」

 

そうしてK先生は先ほどあった、トウカイテイオーと家族の会話を話してくれた。

 

症状を聞いたトウカイテイオーは流石にショックを隠せなかったらしい。だがそれ以上に電話先のご家族の動揺が大きかったのだと言う。

 

「もう、大丈夫だって。そんな泣いたりしないで…」

 

骨形成不全は遺伝する場合がある。先の話を聞くに、テイオーの親も同じ病気の可能性がある。K先生とテイオーは慮ってそのことは話さなかった。

しかしこのご時世だ。すぐに彼女の家族はネットで病名を調べ、遺伝で病が発生したかもしれない、と言うことに気が付いてしまったらしい。

嘆きは患者の方が慰めなければならないほどだった。そんな中でテイオーは覚悟を決めたように話始めたそうだ。

 

「そうだね。偶然の流れでボクはそういう病気になっちゃったみたい。もしかしたらママと同じ病気かもしれない。でも、ボクはママの子として生まれて得の方が多いよ。こんなに走れるしね!」

「…彼女は一度絶望の淵から戻ってきた。そこから1流の考え方を身につけたのだろう。」

K先生がそう彼女の事を推察する。トウカイテイオーの言葉は続いた。

 

「偶然の流れでボクはチームスピカに入って、トレーナーと、スペちゃんと、スカーレットとウオッカとゴルシと、マックイーンに出会った。トータルで言えば、僕は恵まれている。僕はそれに負けないように勝ち取ってきた」

 

そして彼女は受話器越しにでも届きそうなほど笑って見せたのだと言う。

 

「だから、恵まれたボクはもう一度勝つよ。勝ってもう一度マックイーンとレースして言うんだ!”これが、諦めないって事だ”、なんてね」

 

話を聞き終わり僕は自問する。恵まれている、と僕は彼女のようにそう思えるか?僕の育ちは彼女とは違う。孤児院出身で何も持っていないと思っていた。

だが、ドクターTETSUと会ってからは、一也、K先生に出会い、村の一員になることもできている。それは彼女のように、自分を高める環境に恵まれていると言えるのではないか?

悩む僕にK先生が告げる。

 

「彼女は一流のウマ娘で、一流の患者だ。何より彼女の周りの人間、トレーナーも友人も、ライバルも彼女をより強くするだろう。お前も、そうなれる」

 

言い終えるとK先生は院内に戻った。僕も少し迷ってから中に戻る。ずっと暗い中庭にいたからか、中は妙に明るく見えた。

 

 

 

数週間後、メジロ家かかりつけの病院でメジロマックイーンの手術が始まろうとしていた。主治医はK先生、僕は助手として手術室に入っていた。

 

「メス!左膝関節内側から切開」

 

僕は事前のエコー図、そして切開された実際の患部を頭に浮かべながらこれからの動きをシュミレートする。

 

「癒着を剥離する。電気メス!」

 

用意していた電気メスをすぐに手渡す。K先生は患部から全く目を離さず受け取った。

 

「包膜切開処置!膝蓋腱右側より剥離開始!」

 

電気メスがK先生の手元で淀みなく動く。

 

「…!」

「は、早い…!」

「この人、一体なんなんだ…」

 

癒着した箇所の剥離ではあるが、もし靭帯や筋肉を下手に傷つければ、メジロマックイーンはこの先かつてのように走ることはない。

そんな不安を消しとばすほど速く、正確な手術が目の前で繰り広げられる。覚悟して見学する主治医さんが感想を飲み込む。

その一方で、事情を知らない病院の医者達は驚きを隠さない。

 

「手術創縫合にかかる!」

 

あっという間に処置は終わり、縫合までが終わる。手術は終わった。そしてこれからが治療の本番だ。

息をつく間も無くすぐに次の検査の準備が始める。

K先生は全く集中を切らさないまま次の手順を告げた。

 

「エコー検査を行い、病巣を再確認。その後、患部への幹細胞移植を行う!」

 

その言葉に、脳裏にメジロマックイーンと主治医さんに対して行われた説明の場面が浮かんだ。

 

 

 

「幹細胞移植!?」

 

話を聞いた主治医さんは驚きの声をあげた。

 

「確かに、幹細胞移植であれば通常の治療よりも治癒速度が速く、再発の恐れも低くなる…。しかし、繋靭帯炎への適応は聞いたことがありません!国内ではまだ手術例がないはずです!」

「ちょ・・落ち着きなさい!」

 

主治医さんは思わず立ち上がって叫んだ。横に座って説明を聞いていたメジロマックイーンが驚いて止めるほどの気迫だ。

患者への真剣な思いが顔ににじみ出ていた。K先生は全く動じず答えた。

 

「正式に発表されていない手術例はいくらでもある」

 

僕は村の患者さんのカルテを思い出していた。何人かウマ娘の方々が村内に居住している。確かその一人の既往症に繋靭帯炎もあったはずだ。

あの村では臍帯血の保存を含め、最新の医療技術をどこよりも速く取り入れていた。僕が来る前、いやこの国で初めて幹細胞移植が公式に行われる前から、K先生には 幹細胞移植の手術経験があるのだ!

 

「事前に胸骨から幹細胞を取り出す。それを約3週間かけて必要量まで培養、増殖させる」

 

図に示しながらK先生が幹細胞治療について説明する。

 

「細胞数が充分に増殖したところで再度エコーによる病巣検査。今回の場合は重症化で内圧上昇が発生しているため、包膜切開術を予定している。切開処置後、連続して再検査。発症部位への幹細胞移植術を行う」

 

何をするかを説明した後で、K先生が本題の治療後予後について話し始める。

 

「通常の治療では、修復された靭帯が以前のものより弱く、再発の可能性が高い。だが幹細胞治療の場合は組織を再生するように分化し、元の靭帯の機能を取り戻す事が出来る。完治の可能性は十分にある」

「…」

 

治療方法の説明を受けてしばらく考えてから。主治医さんが椅子に座りなおす。

 

「私は、半分お嬢様のことを治したいと思いながら、もう半分は無理な治療でお嬢様が傷つくことを恐れていました。ここまでキャリアを重ねての繋靭帯炎からの復帰例は過去にない…!」

「主治医…」

 

絞り出すように言った言葉にメジロマックイーンが複雑な表情をした。

 

「…確かに繋靭帯炎はこれまでウマ娘にとって不治の病に近かった。幾多のウマ娘が為す術なく道を断たれたことだろう…。だが、今は違う!」

 

ギュッと力を込めるようにK先生が断言する。

 

「再生医療の技術進歩はり、繋靭帯炎を克服するところまで手をかけている。あとは、あなたの決断次第だ」

 

メジロマックイーンは俯いて一度深呼吸をすると、K先生の目をまっすぐ見て頷いた。

 

「お願いします」

 

良い表情だった。彼女もまた、覚悟を決めていて、K先生の言う「一流のウマ娘で一流の患者」なのだろう。

 

 

 

現在、覚悟を越え、明日を賭けた注射針がメジロマックイーンの膝に慎重に刺される。ゆっくりと黄褐色の液体が患部に注入されていく。切開手術に比べれば地味に見える治療だ。

 

「幹細胞を元あった靭帯と同じ強さにするには、日常的に負荷をかけなければならない。病状を悪化させない程度に、しかし変化を止めない程に」

 

出来ますね、と手術室から見学室に移動したK先生が口にする。手術に立ち会ったトレーナーさんは真剣な表情で頷く。そして僕の視線に気づくと、黙って親指を上げた。

 

 

「マックイーン!」

「テイオー!病院は走るものではありませんよ!」

 

数日後、K先生とボクが診察中の病室にトウカイテイオーが駆け込んできた。すぐにメジロマックイーンが苦言を呈する。

 

「ゴメーンってば!それで、どうなの…?」

「予後は良好です。靭帯が元どおりになるかはリハビリ次第という事ですわ。…それでテイオー。あなたの方はどうなんですの?」

「ボクはとにかく骨を強くしなくちゃいけないんだって!だからお薬飲んで食事管理して、こうバーって骨を強くするんだ!」

 

どうやら患者としても感覚派らしい。メジロマックイーンが不安顔になったので、僕はカルテを思い出しながら言葉を補った。

 

「…ビスホスネートという骨密度増加を高める薬を毎朝飲んでいただきます。薬の効果を高め、カルシウムの吸収を助けるため、数種類のサプリメントも」

 

K先生が頷く。それから二人に向き直る。

 

「ここからはリハビリ医とトレーナーの仕事だ。彼らを信頼して取り組むように」

 

K先生が二人に順番に確認する。

 

「メジロマックイーン。幹細胞を元あった靭帯と同じ強さにするには、日常的に負荷をかけなければならない。病状を悪化させない程度に、しかし変化を止めない程に」

 

メジロマックイーンは首肯し、もう一度リハビリメニューを確認する。

 

「トウカイテイオー。骨密度が適正範囲に戻るまで、君が本気で走ることは許可できない。君の走りが素晴らしいからこそ、今の骨では安全の保証ができないからだ」

 

トウカイテイオーが足を軽く叩き、真剣な表情で頷く。

 

「これから君達は明日の為、全てを懸けても地道にしか進めない道を歩くことになる。一足飛びをしたい気持ちにもなるかもしれない。しかしその道のりこそが一番の近道なのだ」

 

黙って二人は頷いた。

結局、メジロマックイーンは先生と僕が出て行くまで、一度も痛みや弱みを見せることはなかった。

 

「あ、ジョースケ!」

 

部屋を出た後、僕だけがトウカイテイオーに呼び止められる。K先生は彼女の表情を見るとそのまま出て行ってしまった。

 

「何ですか?」

「敬語」

「…何だ?」

 

僕が素の口調に戻して聞くと、トウカイテイオーが秘密の話をするように声を潜める。

 

「K先生から、電話の内容、聞いた?」

「…聞いた」

 

それをごまかすことはできない。認めると、トウカイテイオーはあちゃーと額に手をやった。

 

「じゃあ、秘密ね、それと競争!」

「競争?」

 

僕が聞くとトウカイテイオーは笑って頷く。

 

「どっちが良くなるか競争ね!」

 

良くない言い様だ。だがトウカイテイオーの天真爛漫というか、人当たりの良い感触は悪印象を与えにくいようだ。僕も笑って握手をする。

 

そうして僕たちはウマ娘たちの診療を終えた。

 

 

 

 

春前のある日。大学の春休みで一也と宮坂、それに大学の同級生が村を訪れていた。

そんな日でも勉強は欠かせない。今日は一也も合わせて偶然遭遇した冠動脈バイパスのシャドー手術をやることにした。

深夜の手術室に患者はいない。僕と一也2人の声だけが響く。

 

「吻合完了、ブルドッグ解除。心エコーで血流を確認」

「よし…続いて右冠動脈をバイパスする!」

 

シャドーの想像の中でも、集中を研ぎ澄ませば患者の姿をイメージできる。お互いの練度が高まるほどシャドーは早く、正確に進む。

正直に言うと一也と普通に話すとイラつかされることがある。だが、必要な事を話し、練度を高める、この時間は嫌いではなかった。

 

シャドーを終え、ノートに今日の症例を書き連ねていく。復習としてノートをペラペラとめくっていると、見覚えのある名前があった。

トウカイテイオー、メジロマックイーン。時間をかけて再戦を誓った2人のウマ娘。

僕はふと、トウカイテイオーの言った言葉を思い返す。

 

「僕は恵まれている、か…」

 

僕も考えを変えた。過去はともかく、今の僕は恵まれている。今はそれを受け入れて、自分を高めるしかない。一也に、いずれドクターKとなる彼に負けないために。

 

「譲介、どうしたんだ?」

「いや、なんでもない」

 

戻ってきた一也に気づかれないようノートを片付ける。だが一也は何か勘付いたのか不思議そうな顔をした。こう言うところではカンの鋭いやつだ。

 

「…ノートを見返していて、例のウマ娘たちがどうなったか気になっただけだ」

「ああ、そうか。連絡では後遺症はないそうだね。経過は良いようだが…」

「本来の実力を取り戻せるかは分からない、か」

 

医学にも、人間やウマ娘の体にも限界はある。トウカイテイオーとはいえ2度目の奇跡を起こせるかは分からない。それでも、

 

「それでも、2人は自分たちのレースを走るんじゃないか」

 

思わず呟く。自分で言って何か腑に落ちた感覚があった。僕が見た彼女たちの関係は。僕がどこかで理想としている二人の関係はどう言うものなのかについて。

 

「自分たちのレースか…」

 

僕がそういうとは思わなかったのか、一也が意外そうな顔をする。

 

「何だよ、K先生も言ってただろ。二人は患者としても一流だ。ちゃんと前に進める。それに2人は…」

「二人は、何だ?」

 

思った言葉を言いかけて僕は止める。どうもこいつと医学以外の話を続けるとペースが狂う。

 

「…何でもない。明日も早いんだ。早く片付けよう」

「何だよ、気になるな。言えばいいのに」

「宮坂のことでも気にしてろ」

 

途端に慌てる一也を無視して、僕は片付けを終える。

戻ろうと通りかかった窓の外には、早咲きの桜が舞っていた。思わず足を止める。

一也が僕の視線を追って妙に嬉しそうに笑った。全く腹の立つ奴だ。僕が思い浮かべた夢をお前がわかるはずもないだろうに。

 

 

いつかの明日、桜の舞うグランド。2人のウマ娘が向き合う。

言葉を交わした二人は、スタートラインに立ち、緩やかに足を前に出して構える。

片方の、紫がかった芦毛のウマ娘が弾いたコインが地に落ちる。

2人は最高のスタートを決めて駆け出す。

 

僕が見たのはそう言う夢だった。

僕が二人に感じたのも、そうありたいとも望んだのも、そう言う関係のことだった。

二人はきっと、明日をかけるライバルである。

 




・医学的知識については素人です。根拠がありません。
・トウカイテイオーの病気、遺伝に関しては完全な創作です。
・メジロマックイーンの怪我、繋靭帯炎に関しては馬の繋靭帯炎、および人の腸脛靭帯炎を混在させてモデルとしています。
・馬の屈腱炎、繋靭帯炎に対しての幹細胞治療はこの作品の時系列より以前、恐らく2000年代には存在します。有名所ではカネヒキリが2007年に屈腱炎で幹細胞治療を受けて復活。G1、Gpn1を3勝しています。また、近年ではデアリングタクトが繋靭帯炎で幹細胞治療を受け復帰、重賞競走で好走しています。

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