K2×ウマ娘短編集 作:ウマの骨
・宮坂詩織視点。
・K2頻出病名
・遺伝子構文
私、研修医、宮坂詩織。
K先生のN県T村の診療所からここK県S市の高品総合病院にトレードされて1年近く経ちました。
現在は耳鼻科研修中の身であります。しかし─研修医生活にも色々問題がありまして─。
「宮坂ちゃん、また一緒にエステ行く予定入れられない?誰か道連れにしたいの」」
「…珍しいわね、由貴ちゃんがそんなにエステ行きたがるなんて。私の方は良いわよ。効果に気づいてもらえるかわからないけど」
お昼兼研修医情報交換会は緩い雰囲気の場です。私は由貴ちゃんの話に答えつつ、横の席で昼食をとる黒須一也君に目をやりました。以前エステに行った時は全く肌の違いに気づかなかった前科持ち男。視線と話の流れで悟ったのか、慌てた様子で目線をそらしました。由貴ちゃんは声を潜めて話を続けます。
「今私ウマ科に研修に行ってるじゃない?さっき検査に、フジキセキさん、っていう有名なウマ娘さんが来られたんだけど…」
「フジキセキ!?」
「トップウマ娘じゃない!私ファンなんだけど!?教えてよ!」
由貴ちゃんの言葉に昼食休憩に集まった研修医全員がどよめきました。私は頭の中で黒の短髪に、麗人と言い表したくなるような顔を思い浮かべました。ここ1、2年でウマ娘のトップレースであるG1、3冠競争で活躍する、大変有名なウマ娘さんです。その美貌、そしてシニア期に入ってからは適正距離という限界に挑むようなレースで人気を集めています。日本に生きていればテレビや紙面で確実に顔を見ると言ってもいいでしょう。個人的にも、毎回録画してレースを見るくらいにはファンなのです。
「もう、同じ作画、素材なのかって顔と肌の違いと、嫌味のない、爽やかな香水の香りでさぁ。良い娘なんだけど女としては勝手に自己嫌悪を…」
心の中で深く同意を覚えます。由貴ちゃんは贔屓目に見なくても整った容姿です。しかしフジキセキさんの方はテレビで見てもいい匂いがしてそうな美貌の持ち主でした。
(それを言ったら私はどうなるのよ!)
という呟きは飲み込みます。童顔低身長の私は長身の一也君と歩くと普通に親子に見間違われそうな有様なので、自分で自分を傷つけない術は長けているのです。話題を変えるために由貴ちゃんに質問をします。
「でも、お肌はともかく、匂いの方は仕事中は難しくない?」
「あー、それもそうねぇ。うーん、ウマ娘さんは匂いに敏感だし、宮坂ちゃんも耳鼻科の外来研修中だったわよね?」
由貴ちゃんにも懸念が伝わったようで、お互いに頷きあいます。医師は菌や薬剤、患者さんの症例を匂いで判断することがあるので、診療の時は香水などを避けなければなりません。私も前回アロママッサージに行った後、名残惜しさを感じながらも念入りに匂いを落としました。悲しいですが女性医師は大抵香水の銘柄よりも薬の種別の方に頭を使う職業なのです。
「うん、まぁでもエステは行きましょう!今度こそ誰の目にも分かるほど輝く肌になってやるわ!」
悲しみを振り払い、気合いを入れて宣言します。私の熱に若干気圧されながら、隣の一也君が真剣な目つきで口を開きました。
「…あー、ところで、フジキセキさんの検査というのは?」
結局話が戻ってしまいました。ただ、ファンとしては確かに気になる事柄です。私も由貴ちゃんの返事に意識を向けます。
「ああ、定期的な足の検査ね。ちゃんと指導医の先生がやって問題なしだったわ。疲労が溜まりやすいから、トレーナーさんが良く気をつけているらしいわ。今日も一緒に来てたけど、すごい熱心に質問をする人で…」
「斎藤さん、必要のない患者さんの情報は広めないように」
「うっ、双葉さん」
横にいた診療看護師の双葉さんが釘を刺し、由貴ちゃんが言葉を止めました。確かに真っ当な指摘です。ただ、ファンとしては少し気になります。フォローも兼ねて私は別の事を尋ねることにしました。
「その、フジキセキさんがどういう風な事情でうちの病院に?」
双葉さんは看護師さんの横のつながりで病院内の事情に詳しい方です 。内情や仕組みについては研修医に対する指導として話してくれることがあります。今回も双葉さんはちらり、と私を見た後、口を開きました。
「基本的にはトレセン学園は近場の病院、深刻な場合には都内病院を利用します。ただ、高品総合病院はトレセン学園から3、40分程の場所で、院長の方針でスポーツ関連の受け入れも多く行っています。それでマスコミや一般の目がある為に、一時的な検査や手術などでお忍びの用の場合、ウチが使われることがあるのです」
…普段の2、3倍位の速さと熱量で言葉が投げつけられました。双葉さんは自分でもボディビルをするので、アスリートの方々にびっくりするほど敬意を持っています。
「なるほどぉ…」
納得しかけたところに厳しい言葉が続きました。
「ですから!間違ってもウマ娘の方々にこちらが迷惑をかけることは許されないのです!」
及び腰になる私たちに、双葉さんがギュッと睨みつけて言葉を締めました。
「そういう話は内輪のみで。コンプライアンス、個人情報保護の側面もあります。くれぐれも外に漏れることがないようお願いしますね!」
「はい!」
あまりの剣幕に由貴ちゃんが剣道仕込みの背筋を伸ばした姿勢で答えます。一也君と私はその横で思わず顔を見合わせました。
お昼兼研修医情報交換会を終え、耳鼻科の外来に戻りました。椅子に座ってから、お昼の会話が頭に浮かびました。外見はともかく、確かに匂いはどうにかなるかもしれません、
(でも匂いかぁ…)
私は伸びをするふりをして自分の袖を嗅いでみます。大変馴染みのある消毒液の匂いです。医師とはいえ女性としては少し悲しいことです。看護師さんの目もあるので、何事もなかったふりをして外来の患者さんを待ちます。入ってきた患者さんが私を見て少し驚いたような様子を見せました。あなたが本当に担当医さんなのか、大丈夫なのか、という視線です。この場合は何事もなかったふりをして診療を始めます。研修医が言い繕っても何にもならないので、仕事で信頼を勝ち取るしかありません。
高品総合病院の外来研修は人員の関係で主に2パターンに分かれています。指導医の先生についてもらって二人で外来診療を行う場合。研修医一人で外来を行って結果を後で指導医の先生に報告してフィードバックをもらう場合。以前お世話になった内科は前者で、指導医の村川内科部長の診療を後ろで見ていたり、逆に見ていただきながら私が診療する、ということもありました。この日の午後、耳鼻科の研修は後者で、私一人で(後ろには看護師さんもいるが)外来診療をすることになります。
幸い最初の数人はそこまで深刻な病気でもなく、症例もはっきりしていました。どこかホッとしながら、次の患者さんに入ってもらうことにします。
「〇〇さん、どうぞ」
足音は二人分でした。同席者がいる場合もあるので、気にせず先に問診票を確認します。20代男性、既往症は無し。主な症状は数週間程喉の痛みが続いている、とのこと。足音が近くまで来た時、ふわり、と良い香りがしました。目線を上げるとまず目に入ったのは、短く髪を揃えた、ピシッとした若い男性。その傍らにもう一人、若い女性の人が連れ立っていました。帽子の下に覗くのは、マスクをしてても関係ない絵から出てきたような整った顔。そこから真剣な目が眼鏡越しに私を見ています。
ま、まつ毛が長い。とても同じ生き物とは思えない…・!
(あれ、良い匂いと、すごい美人…・あっ!)
目の前の女性と記憶のレース後インタビューが一致し、私は血の気が引くように感じました。フジキセキさんです!
(ほ、本物じゃない!)
「すみません、診察していただきにきたのですが」
私が、混乱して4度見か5度見に入ったあたりで、男性の方が間に入り、声をかけてきました。それで私はようやく正気に戻ります。
(何やってるの私!患者さんはあくまで男性の方でしょ!)
男の人の言葉に私は何とか見る向きを変えます。美貌でペースを乱されそうになったのは初めてです。男の人は、少し疲れは見えるが外見上は健康そう。ウマ娘連れ、ということはご家族か、トレーナーさんでしょうか?
「はい、よろしくお願いします。自覚症状は、喉の痛み、ということで良いですか?」
何とかペースを取り戻すため、真剣な表情を作って問診を始めます。
「!はい、3週間程前から軽い痛みと咳が続いていて…」
診察を始めると、男性とフジキセキさんが少し驚きを見せたのに気づきました。フジキセキさんと違って私の場合、童顔低身長の外見は8割位の確率で損です。診察の途中、フジキセキさんがどこか不安げな様子で言葉を付け加えます。
「トレーナーさん、耳鼻科と薬のことも」
「ああ、そうだった。すみません、実は10日ほど前に近所の耳鼻科に行って、1回診療してもらったんです」
「!その時はどのような事を言われましたか?」
「おそらく風邪の症状だろう、と。あ、お薬手帳を持ってきてます」
カバンからお薬手帳が取り出されます。
(痛み止め、抗生剤…基本的な喉風邪の処方ね)
「薬を飲んで効果はありましたか?」
「それが薬を飲んでも、痛みと咳は全然治らなくて…」
トレーナーさんが辛そうに俯きます。
「だ、大丈夫です。大抵の場合、効果的な投薬をすれば症状は治まりますから」
病気が治らない恐怖と苦しみは大変なものだから、と思って私はフォローします。ですが続いた言葉は違うベクトルのものでした。
「すみません、本当はフジ…、この子の検査の予定だけで、こんなに私のことで迷惑をかけることになるとは…」
(いや、自分のことは無視かい!)
流石に突っ込もうと思いましたが、その前にフジキセキさんが目を細めてトレーナーさんの肩を掴みます。
「トレーナーさん?君が休日も夜遅くまで、私のトレーニングやスケジュール管理をしてくれているのは知ってる。トレーナー室で仮眠中の君がすごく咳き込んでいた時は、本当に救急車を呼ぼうかとも思った。このままじゃ、私は心配でトレーニングに取り組めないよ?」
「ご、ごめんフジ…」
懇々と諭すフジキセキさんにトレーナーさんは平謝りです。何とか場を納めて診察を続けます。
まず診察中に気づいたことは、本当に二人がお互いを気にしている、と言うことでした。マスクを外す時に一瞬フジキセキさんの方を見たのは感染を恐れてのことでしょう。
(すごく信頼関係の強いパートナーなのね…)
診察に関しては、風邪などの症状はありません。続いて聴診を行います。やはり異音などは認められません。ただし、検査のため横になってもらった際、明らかにわかるほど咳が多くなりました。
「喉、鼻に原因は無い、痰はなし、平熱…」
(聴診でも気管支炎のような雑音もない、うーん?)
しばらく検査をして私は考え込見ます。確かに咳はあるのですが、それ以外の症状は発見できません。これだけでは咳の原因がわからないのです。
耳鼻科の範囲内では咳以外に問題はありません。外来診療としての模範解答はこうでしょう。
”ひとまず、炎症を抑える薬を処方しますので、それで様子をみてください。症状が続いたり、何か変化があれば再来院を…”
(だけど、本当にそれで良いの?)
その内容を口に出そうとして私は言葉を止めます。耳鼻科の対応としてはこれで良いはずです。時間内で必要な検査はしました。見逃しはないはずです。外来としてこれ以上時間をかける事はありません。しかし、なんとなく違和感があります。
(これがもしあの村の診療所なら、そのまま帰す?これがもし、一也君の診療であれば、ここで諦める?症状の原因がわからないまま放っておくことはできないわ!)
「何か?」
「いえ、申し訳ありません、やはりもう少し原因を探ってみましょう」
後で無駄手間と怒られるかもしれませんが、耳鼻科の上長の先生、それと別科への受け渡しも考えたほうがいいでしょう。それに、と私は心中で覚悟を決めて会話を続けます。
「〇〇さんには別室でもう少し質問に回答していただけますか?お手数ですがフジキセキさんにはお待ちいただいていいでしょうか」
「え、…私ついていくことは出来ないでしょうか?」
なんとなくこちらへの不信感を表しながらフジキセキさんもこちらを見ています。病気が原因もわからず、治らない場合は本人や周りの人にストレスがかかるものです。ちゃんと答えなければいけません。
(医者は患者の前では自信を持たなくてはいけないのよ!)
「原因の確実な特定のため、普段の生活環境からお聞きしたいのです。少し時間もかかりますのでフジキセキさんにはお待ちいただきたいのです。気になる事があったので確認したいと思いまして!」
私はできる限り胸を張って二人の顔を見上げます。
フジキセキさんはは少しこちらの顔を見ると、少し考え、分かりました、と頷いて部屋を出ました。
さて、ここからが本題です。私はトレーナーさんへの質問を始めました。
「…はい、これで良いでしょうか」
「ありがとうございます」
質問は数分で終わりました。私は礼を言ってメモした問診票に目を通して思います。
(…正解だったわ)
頭の中の違和感がはっきりした病名疑いとなって出て来ました。耳鼻科の領域で考えれば難しいですが、前の研修先──内科の知識に当てはめると説明が付きます。
「なるほど…。すみません、この後まだ時間はありますか。実は、耳鼻科領域ではなく、内科の方で検査をしていただきたいのですが」
私が提案をすると、トレーナーさんは腕時計を見て慌てたように返事をする。
「え、いえ、フジのトレーニングが」
「あります」
もう一度説明のために入ってもらったフジキセキさんが凛とした声で答えを返します。
「トレーナーさん、私の今日のトレーニングも、君が原因不明の体調不良では手が付かないよ」
「しかし…」
「彼女はプロのお医者様だ。専門家に意見があるというなら、従ったほうがいいとは思わないかい?」
…先ほどの問答で、少しだけ関係に変化があったようです。私は胸中で感動しながら、それを表面に出さないよう努力します。
「…わかったよフジ。では、すみません、宮坂先生、お願いできますか。」
「は、はい」
優しく二人がうなずき合います。その後トレーナーさんに声をかけられて私はどぎまぎしてしまいました。二人の様子があまりにも絵になっていたからです。
(この人達は昔の月9ドラマからでもから出て来たの!?)
混乱をかき消すためすぐに検査の手続きと、引き継ぎの連絡をして二人に説明します。最後に心からの信頼も込めて次の先生を表現します。
「大丈夫です。内科には大変優秀なお医者様がいるんですよ!」
2時間後、検査が終わりました。内科の診察室で、トレーナーさんとフジキセキさん、そして何とか事情を説明して立ち会わせてもらった私が診察を待ちます。
「なるほど、咳、喉の炎症、原因が見つからなかった、と」
”大変優秀なお医者様”がおぼつかない様子でキーを叩きます。二人は先ほど私が勝ち取った信頼が早くも薄れたような目線でその姿を見ていました。
「なるほど、あれ?…・えーと問診票はどのメニューを開くんだったか…・」
「あ、はい、そのキーです」
私は慌ててパソコンの操作を手伝います。灰がかった髪をかきながら村川内科部長が説明を受けます。部長は残念ながら情報機器の扱いが致命的にできない方です。私が研修先を変わっても欠点はそのままだったようです。
「あー、これですか、さて…・」
先ほど説明してもらった問診の内容が辿られます。私も許可を得て、最初の診断医として随行したので、まるで答案の答え合わせを目の前でされているような気持ちです。
「ふむ、なるほど、では宮坂さん。何故内科での再検査を進めたのか、説明していただけますか。
穏やかな言葉のまま、部長が私に尋ねました。思わず背筋が伸びます。この人は大変腕利きのベテラン内科医なのです。難手術経験を持ち、最新医療にも造詣が深い。私が疑っている病名にはすでに気付いているでしょう。私が研修中ということ、そして患者さん達の信頼を確かめるための質問です。
「はい、まず、喉の痛みという事で確認を行いましたが、炎症のみで原因が見つかりませんでした。そして患者さんと近くの方のお話では数週間ほど前から喉の症状と思われる咳が続き、風邪薬、抗生物質などを服用しても症状が治らないという事でした」
「はい、そうですね」
頷く部長、私は彼と、何より患者さんに説明するように言葉を選ぶ。
「耳鼻科領域では抗炎症薬を処方して診断を終了する予定でしたが、患者さんの会話から生活習慣の乱れがあると感じ、追加で問診を行い、内科への受け渡し、必要と思われる検査を行いました」
「なるほど、それでこのような流れになったわけですね」
頷いて部長がコンピューターを操作しようとします。──上手くいかなかったので、私が代わりに操作して問診票を拡大表示にしました。
「ありがとうございます。さて、喉の痛みとなると、喉や、上部にある鼻に原因があると思われがちです」
そのためにまず耳鼻科を診察されたのですね?と聞くと、トレーナーさんがうなずきます。
「ですが、それ以外にも喉の痛みが発生する場合はあります。問診票、特に宮坂さんが気にしたのは、毎晩の睡眠時間、食後2時間以内の睡眠という場所ですね」
「!はい、その通りです。トレーナーさんは、直近の睡眠時間が平均5時間、また食後2時間以内の睡眠が週に3回以上ある、と答えられました」
私は近くにあったホワイトボードに、24時間の円グラフを書き込みました。先ほどトレーナーさんから聞き出した、ここ最近の彼のスケジュールです。明らかに短い睡眠時間、不規則な食事。特に忙しい時期は食べてそのまま仮眠を取る、と言うことも添えます。
トレーナーさんが黙って首肯します。フジキセキさんが少し悲しそうな表情を浮かべたのが見えました。トレーナーさんはフジキセキさんに隠していたのでしょう。実際、トレーナーさんの気遣いから、そうなる可能性が高いと思って追加問診時別室で行ったのです。部長が私の説明を引き継ぎます。
「特にそのような生活習慣があり、喉の炎症がある場合、内科領域ではいくつかの検査が必要となります。宮坂さん、胃カメラは行いましたね?」
「はい、こちらです。説明のため胃と食道部を撮影しました」
私は先ほどのトレーナーさんとの会話を思い出しながらパソコン画面に表示されたボタンを指しました。
”「では検査のため胃カメラを使用します。よろしいですか?」
「え、咳なんですが、胃カメラなんですか…?」
「はい、上部の鼻、喉ではなく、下部の腹部側から咳に繋がる場合もあるんです」”
まさしく、トレーナーさんの咳の原因が画となって表示されます。
「分かりますか?食道にかけて炎症が見られます」
トレーナーさんの食道部分にはただれたような炎症の跡がありました。喉の食道部分の炎症、これが咳の原因です。部長が続けて病名を告知します。
「あなたは逆流性食道炎だと思われます」
「逆流性食道炎…!?」
トレーナーさんとフジキセキさんがようやく明らかになった病名を口にします。身近に患者がいなければ知識が少ない病気かもしれません。村川部長が説明を続けます。
「寝る姿勢の際、胃液が逆流して喉を傷つけてしまう病気です。胸焼け、胃の痛みの他、稀に咳など喉の症状が発生する場合があります。原因としては、先ほど宮坂先生に説明していただいた生活習慣からくる可能性が高いでしょう」
単体では、投薬と生活習慣の改善で治療できる病気ですよ。と説明をした後、部長はただし、と釘を刺します。
「ただ、別の病気の症状として逆流性食道炎が現れる場合もありますの。時間はあるということでしたね。念の為細かい検査もしましょう」
看護婦さんに指示を出しながら村川部長がトレーナーさんに声をかけます。その後、フジキセキさんと私に目が向きました。
「あ、宮坂先生、お連れさんと一緒に別室で待っていてもらえますか?」
「…!分かりました。こちらへ」
内科部長が私の目を見て言いました。目線から何となくの意図を読み取ります。フジキセキさんのメンタル面に関する気遣いでしょう。私は同性で、医者として説明ができます。。患者の側の人達をケアするのも医者の仕事の一つなのです。
「どうぞ、紅茶で良かったですか」
「…あ、ありがとうございます」
待合室。考え事をするフジキセキさんに飲み物を持っていきます。ついこの間まで研修していた場所なので、ナースステーションには顔が効くのです。まずは黙ってフジキセキさんの様子を確認します。第一印象と変わらず、本当に綺麗なウマ娘さんです。ただ、帽子とマスクで顔を隠し、明らかに沈んだ様子でいると、テレビに映る、この国を代表するウマ娘さんではなく、ただ傷ついている年頃の女の子にしか見えません。
やがてフジキセキさんが口を開きました。
「…トレーナーさんは、これからどういう治療になるんでしょうか」
「根本治療に関しては、村川部長の検査次第ですが…」
…来ました。治療法自体は頭に入っています。まずは胃薬のように、胃の働きを緩やかにする薬の服用で食道、喉の炎症を抑えます。そしてその対症療法後に根本原因、つまり生活習慣や他の病気で問題があるか確認し、治療していく、と言う流れです。あとは出来る限り言葉を選んで話すだけです。
「…なるほど、原因にもよるけど、治療できる病気なんですね」
「ええ!単純な場合であれば、お薬と生活習慣の改善だけで治ります」
なんとか元気付けられるように言い切ります。しかしフジキセキさんの表情は暗く、下を俯いたままでした。
「生活習慣か…」
「…何か不安な事はありますか?健康上のアドバイスであれば私にも出来ると思いますが…」
私はなんとか食いつくようにフジキセキさんに問いかけます。患者や関係者を不安なまま帰してしまうのはよろしくないのです。フジキセキさんはようやく顔を上げ、私と目を合わせました。
「はい、ありがとうございます。宮坂先生。…少し、トレーナーさんのことについて考えていたんです」
そう言うとフジキセキさんは少し言い淀みました。
「…私が全距離G1を目指しているのはご存知ですか?」
「…!ええ!勿論!個人的にも凄いファンなんです!本当に今目の前にいるのが信じられない位です!」
何なら敬語もやめてください、と熱を込めて私が言うと、フジキセキさんは笑みと苦味の混じったような複雑そうな表情を浮かべました。
「うん、そうですね。…そう、全距離G1は、他の人やウマ娘の子達に、何にでも可能性はある、と言う事を見せたくて私が考えた事なんだ。他のウマ娘がやったことがなくて、険しい道かもしれないけど、挑む価値はある、とずっと思ってる」
フジキセキさんはつかれたように言葉を続けます。
「私は厳しいけど、やってみたいと思える道を選んだ。今もそう思ってる。でもそこにトレーナーさんを巻き込んでしまった」
フジキセキさんが私を見ます。
「さっき、私を離してトレーナーさんのスケジュールを聞いたのは、彼が私に気を使って嘘を言うかもしれない、って思ったからだよね?…多分実際にそうだった。私が彼を追い詰めてしまった」
言い当てられて私は答えることができません。フジキセキさんは悲しげに不安を吐き出しました。
「…私は自分が傷つくかもしれないとは思っていたけど、一緒にいてくれる彼が傷つく事は考えていなかったんです。私は───トレーナーさんを無理やり、道連れにしてしまったんでしょうか?」
目の前にいる、日本でもっとも有名なウマ娘さんは、どこにでもいる、ひどく悩んでいる一人の少女のようでした。私は、彼女の目の前にいながら何故か昔のある出来事を思い出していました。ある村の手術室で秘密を打ち明けた男の子の事です。これは難しい問題です。だからこそ、私が答えなければいけないのでしょう。
「…少し、私のことを話しても良いかしら」
私が聞くと、フジキセキさんはうつむいたまま頷きます。
「耳鼻科の先生は、耳鼻科が専門領域なの。だから本来は外来で咳の原因がわからなければ、それ以上の検査はしないわ。総合病院の専門医はそれも正解って言うでしょうね」
でもね、と話を続けます。
「私の同期ならば、一人の患者さんに寄り添って、どんな怪我や病気も治してみせるのが正解、と言うでしょうね。彼が目標にしているのは、ある村の、どんな領域にも精通している凄いお医者さんなだから」
話しているうちに、私の頭の中には二人の白衣の姿が浮かんでいました。自然と話に力を入れてしまいます。
「その二人に魅せられて、私は医者になる道を自分で選んだの」
出来る限りフジキセキさんに伝えられるように言葉を選びます。
「私はその、同期の人と同じ道を行きたいと思った。他にも進んでみたい道はあったけど、私は望んで医者の、スーパードクターを一緒に目指すって言う道を選んだの。勉強が辛くても、ボロ雑巾みたいな気分になっても構わない。私の場合、無理やり道連れにされたんじゃなく、望んで同じ道をついていくのよ」
言い切ってから、話が本筋から離れていると思って、少し言葉を付け足します。
「…だからあなた、いえ、あなたたちのどの距離のレースに勇気に勝手に勇気をもらったの。だからこそ私が思うのは」
そして私なりの結論を言います。
「トレーナーさんの進退はあなたが一人で黙って考えることじゃないと思う。トレーナーさんが選んで、それにあなたがどうするかの問題じゃないかしら」
フジキセキさんはこちらをみながら黙っていた。
(しまった、無理やり言いすぎたかしら…)
何か繕う言葉を言おうとした時、フジキセキさんがパッと顔をあげました。
「握手してください」
え、と思うまもなくお茶の間の人気者の手と顔が目の前にありました。びっくりするほど良い匂いを感じながら、近くで彼女の言葉を聞きます。
「…最初に見たときは、若い先生で大丈夫かと思った。だけど、私たちを診てくれたのが宮坂先生で本当に良かった」
握られた手からは、先ほどの弱々しさではなく、確かな力強さを感じます。それから私たちは待合室で握手した気恥ずかしさに思わず笑いあいました。
私たちはそれからしばらく、生活習慣の改善について話しましたが、肝心の本人と検査結果が戻りません。それで別のことを話すことにしました。
「宮坂先生はその同期の人といて、一番ドキドキした瞬間ってどう言う時だった?」
「ど、ドキドキ!?」
「参考に聞いておきたいんだ」
あまりの気安さに、私は思わず頭を抱えそうになリました。一也君とは高校からの付き合いです。頭の中では言いたくない事、あと一也君の出生やお母様の事、テロなど言えない事が入り混じっています。どうにか整理をつけてひねりだしました。
「えーと…、土砂崩れと、カンフーハッカーと、あとは…」
「…ええ?命の危機のドキドキが来るとは思わなかったなぁ…」
フジキセキさんのツッコミに私は本当に頭を抱えました。
(しょうがないじゃない!どっちも多いのよ!)
「うーん、今いった通りだし、なんの参考にもならないと思うけど…。と言うか、何の参考にするの?」
私はとりあえずの疑問を投げかけます。フジキセキさんは少し恥ずかしそうにしながら答えます。
「いい香りがする人とは遺伝子的に相性がいいんだって聞いた事があって…」
あまりの内容に私は思わず絶句しました。照れながらもフジキセキが爆弾発言を続けます。
「…前にトレーナーさんと一緒にいた時、いい香りだなぁ、って思って、話した事があったんだ」
(な、何を聞かされてるの私は…。フジキセキさん意外と過激…!?)
こちらも思わず一也くんのいる記憶を思い出してみます。残念ながら毎回消毒液と血の匂いが強すぎて一也君の匂いがわかりません。
こちらの様子を見て、フッと笑いを浮かべ、フジキセキさんが続けます。
「その時から、トレーナーさんの事が本当に大事だとわかったんだ。でも、だからこそもし彼が休みたかったり、離れたい、っていう事なら、私はそれを受け入れなければいけないんだろうね」
寂しそうな彼女に、私は何故か今度は、妙に確信を持って答えました。
「…でも、トレーナーさんの事を見てると、そうはならないんじゃないですかね。」
「…そうかな、…あ!」
フジキセキさんの目線を辿ると、検査室の扉が開き、村川部長とトレーナーさんが出てきました。
「…検査結果はどうでしょうか」
私たちはもう一度同じ診察室に戻りました。質問に、村川部長は説明はしましたか、と確認し、頷きを見てから答えました。
「検査の結果、他の異常は認められませんでした。胃薬を出し、生活習慣の改善を心がけてくださいね。状態の確認のため、期間を空けて来院していただく形になります」
私はほっと息を漏らしました。通院のスケジュールを決めた後、ふと横を見るとフジキセキさんはまだ表情を引き締めたままです。彼女とトレーナーさんの結論はこれからです。
トレーナーさん村川部長に礼を言い、覚悟を決めたようにフジキセキさんに向き合います。
「フジキセキ、改めて言わせてくれ。俺を君のトレーナーでいさせてほしい!」
「…私の側だと忙しいよ、辛くないかい?」
思わずすぐに答えそうになりながら、しかしフジキセキさんの方が辛そうにトレーナーさんに聞きます。トレーナーさんが目を伏せました。私は思わず息を飲みます。しかし続く言葉は別のベクトルでした。
「迷惑をかけてごめん、もしかしたらこれからも、通院で君に迷惑をかけるかもしれない。でも、ちゃんと体調は治す。生活環境も気をつける。俺はフジキセキの夢を叶える姿を近くで見ていたいから、もう一度、トレーナーとしてそばにいさせてほしい!」
もう一度トレーナーさんが宣言し、今度こそフジキセキさんが表情を緩めました。
「…私も、君がそうしたいなら、一人芝居にする気は無いよ。君は元のまま、これから先も私のトレーナーさんだよ」
答えてから、良かった、と呟いてフジキセキさんはトレーナーさんに身を寄せました。お二人は手続きを済ませ、お礼を言って帰って行きました。暗くなった駅への道を二人の後ろ姿が歩いていきます。
見送る私の心にはある疑問が残ったままでした。
(あれ、さっきから身を寄せたのって、匂いを…?)
「あ!宮坂ちゃん、それって…」
「ふふん、そうなの!由貴ちゃんも貰ったんだよね?」
更衣室で私は由貴ちゃんに香水の瓶を見せます。フジキセキさんがCMに関わっているブランドの物です。もちろん仕事中の普段使いはできませんが、休日や帰るときには軽く付ける事が出来ます。今日の私は早番なので、昼前に帰る準備をしながら少しだけ贅沢をします。
「うん、私も頂いて使ってるわ。…でもフジキセキさんもトレーナーさんも流石よね。外には一切バレずに第一線で勝ち続けているんだから」
事情を知る由貴ちゃんの言葉に私は頷きました。幸いにもトレーナーさんの症状は軽症で、あれから生活環境の改善を、フジキセキさんに支えられながら行ったそうです。そして二人はそのまま各距離のG1挑戦を続け、今もトップウマ娘として活躍中です。私たちは話しながら休憩室に向かいます。実はあれからフジキセキさんのことになるとどうしても一つ思い浮かんでしまうのです。
(どうしても!フジキセキさんが時々トレーナーさんの匂いを堪能しているように見えてしまう!)
毎回テレビにお二人が出るたびに距離が近いのです。お二人の仲むつまじさと匂いの相性の話のせいで、邪念が湧いてしまうのです。精々が帰りに香水を匂いが映らない程度にだけつける私には関係ない話ではありますが。
「…わっ」
考え事をしていると、階段につまづいて私はバランスを崩しました。
ぐらつく視界。消毒液と洗剤の匂いの中、ふっと安心するような香りがしました。
「宮坂さん?大丈夫?」
気がつくと落下は止まっていました。背中に感じるのは、覚えのある、逞しい手。顔を見なくても誰だかわかります。
「…ありがとう!」
急に恥ずかしくなって礼だけ言い、彼の顔を見ずに休憩室へ向かいます。
備え付けのテレビにはちょうどこの間知り合ったウマ娘さんがが迷い無い顔で話していて、その横には当然のように、ビシッとしたスーツの男性が付き添っています。
「宮坂さん、隣良いかな。あれ、香水をつけてるの?」
少し間が空いた後、私の右隣には当然のように彼が腰掛けます。珍しく、私の身なりになど話をつけました。視界の端には研修の同期連中の好奇の目が見えます。きっと彼は見かねた周りに急き立てられたのでしょう。
「ええ、今日はこの後上がりだから。─どう、いつもより良い匂いかしら?」
私は半分ヤケになって彼に尋ねます。
(何か気の利いた言葉でも、返せるものなら返してみなさいよ!)。
彼は少し考えてから言葉を返しました。
「うーん、いや、俺はいつもの宮坂さんの香りの方が安心して好きかな?」
左で由貴ちゃんが天を仰ぎます。普通に考えればデリカシーのない良くない返しです。しかし、今の私にとっては…
「あれ、宮坂さん、大丈夫?顔が赤いけど…」
「…知らないわ!」
化粧にも肌にも気づかないのに、こちらの紅潮は当然の読み取るのも悪いところです。私は誤魔化すためにスパイスを多めにかけ、お昼ご飯をかきこみます。心配するように、視界に彼の顔が覗き混んできます。辛味に麻痺する嗅覚で、ふっと、またどこか安心する香りを感じました。頭の中にフジキセキさんの質問が浮かびます。
”「宮坂先生はその同期の人といて、一番ドキドキした瞬間ってどう言う時だった?」”
私が一番ドキドキした時。高校時代、村のバス停、はしたなくも”そばにいたい”と宣言した相手━━黒須一也君━━はこちらの想いも分からぬ顔で、変わらぬ匂いで、相変わらず楽しそうに私の横に座っています。
私、研修医、宮坂詩織。スーパードクターの道連れはまだしばらく続きそうです。
・医学的知識については素人です。根拠がありません。
・突然一也×宮坂さんが見たくなったので別短編を書きました。そのためタイトルを変更しています。
・ネタが思いつかずトレーナーを病気にしました。感想、ネタ募集中です。