気絶したレイラ、迫りくるマガイマガド。
遠くに見えた月が、落ちる。
ネルスキュラは崖から見下ろすように立っていた。眼下…谷底には今にも喰われそうな人間が一人。服は黒焦げているが、あの白い髪に赤い目。昨日今日と遭遇した人間だろう。
喰う、喰われるのは自然の摂理だ。だからあの人間が喰われようが、自分には関係無い。二度と会えなくなるだけの話だ。
「………」
…ならば。ならば何故、自分はあの人間から目を離せないのか。…そして、人間と目が合う。人間が視認するには難しいこの距離で。けれども、人間は確実に自分を見ている。あの死にかけの体で。あの赤い目で。そして…口が緩んだ。まるで…安心したかのように。
「………?」
意味が分からない。理解ができない。困惑していると、人間は目を閉じた。気絶したのだろう。そこに迫る牙竜種。このままでは人間は喰われる。だが自分には関係無い。偶然二日連続で出会い、偶然助け、偶然雨宿りをしただけの関係だ。
…それはもはや偶然なのだろうか。自分と無関係と言えるのだろうか。気絶する前の人間の表情が脳裏にちらつく。安心したような表情が。
「………」
体が動いた。崖を駆け降り…否、飛び降りる。重力に従い落下し…無音で着地する。
目の前には今にも人間に牙を突き立てようとしている牙竜種。糸を使う余裕は無い。無音のまま一瞬で近づき…人間を背後から搔っ攫う。
「ッ、ヵ゛…ァァァ!?」
喰らう寸前の獲物を突然奪われ、困惑しながら辺りを見渡す牙竜種。そしてネルスキュラを見つけると怒りに身を震わせながら睨みつけてくる。
が、当のネルスキュラの視線は人間に注がれていた。今も気絶するかのように眠っている人間。無事とは言えないが、まだ生きている。手早く簡易的な巣を作り、その中にそっと寝かせる。
「ヵ゛ァァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
無視され続けた牙竜種…マガイマガドの怒りが限界に達したのか、凄まじい咆哮を上げる。絶対に逃がさないという気迫を感じる。人間を抱えて逃げようにも、負傷した人間では負担が大きい。ネルスキュラの目が赤く輝く。
怨虎竜は喰らう為に。月影蜘蛛は守るために。一頭と一匹の死闘が始まる。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「…何が起きてるんだ」
50年越しに現れたマガイマガド。フゲンにとって因縁の相手だが、何よりレイラの身が危ない。そう判断し、一人で翡葉の砦に向かったフゲンが見たのは地獄絵図となった砦の姿。壁や地面はマガイマガドの鬼火の爆発で抉れ、里の設備は全滅。
「何故…何故ネルスキュラと争っている…?」
「ヵ゛ァァァア゛ア゛ア゛ア゛!」
フゲンの困惑を他所に、マガイマガドが鬼火を爆発させ、その勢いでネルスキュラに襲いかかる。しかしネルスキュラのバックステップであっさりと躱された。
「ヵ゛ァァァ…!」
苛立ちを隠せていないマガイマガドに対し、ネルスキュラは無機質に佇んでいる。
「里長!」
「ウツシ!来たか!」
「ギルドへの報告は済ませました、レイラはどこですか」
「…恐らくだがあそこだ」
フゲンが指さす方向には糸で作られたドーム状の巣があった。
「ネルスキュラの巣でしょうか」
「にしては小さい、レイラを捕らえる為だけの巣だろう」
「…無事だと良いのですが」
「そう信じる他あるまい…モンスター同士で争っている隙に行けるか?」
「…それは難しそうです、里長」
「お前でもか?」
「糸が縦横無尽に張り巡らされています」
「…なんと」
ウツシに言われ、よく目を凝らせば細い糸が砦…いや、谷底に張り巡らされている。現にマガイマガドが動き回るたびに糸が絡まり、動きずらそうにしている。力で無理矢理引き千切ってはいるが、苦戦しているようだ。
フゲンが試しに近くの糸に太刀を振るう。ギギギ、と音が鳴り…ふんっ、と力を込めてようやく一本の糸が切れる。
「なるほど、これでは簡単に近づけんな…」
「なので慎重に一本ずつ切りながら…」
そうウツシが言いかけた瞬間、双剣を構える。その反応に何事かとフゲンが見れば…。
「…ネルスキュラ」
すぐ目の前までネルスキュラが近づいていた。マガイマガドはと見てみれば、糸の塊を顔に張り付けられ視界が塞がれている。その状態で引きはがそうと暴れているせいで周りの糸に余計絡まっている。
そしてネルスキュラは…フゲンのことなど気にせずウツシをジッと見ている。まるで品定めするかのように。
「…攻撃してこないな」
「です…ね、初めてのことで正直困惑しています」
マガイマガドはレイラを襲ったので討伐もしくは撃退しなければいけないが、ネルスキュラに関しては未知数。フゲンもそれを分かっているのか、太刀に手をかけつつも様子を見ている。
「………」
そして納得したのかネルスキュラはウツシに何かをグイっ、と渡す。慌ててウツシが受け取ったのは…。
「愛弟子!?」
「レイラ!」
気絶するかのように眠っているレイラ。防具が黒焦げてしまっているが、目立った外傷は無い。
「どういうつもりだ…?」
「分かりません…ひとまず里に連れ帰ります」
「あぁ、頼んだぞ」
ウツシが翔蟲で飛び去るのを見送ったフゲンは、ネルスキュラを見る。
「レイラを助けてくれたのか…?」
しかしそんな言葉がモンスターに通じるはずも無く…。ネルスキュラは赤い六つの目をマガイマガドへ向けていた。何事かとフゲンも目を向けた瞬間…。大爆発が起こる。
「な、何が…」
「ヵ゛ァァァ…ヵ゛ァァア゛ア゛ア゛!」
「な…あの姿は…っ!」
忘れるはずがない。50年前にも見せた、マガイマガドの全力の姿。鬼火臨界状態。刀殻、牙、腕刃…全てを展開し、より多くの鬼火が纏った姿。
「ヵ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
鬼火が燃える。より明るく、より激しく。周りに張り巡らせた糸はマガイマガドが近づくだけで燃え尽きていく。
「………」
そんな状況でもネルスキュラは無機質に佇む。
「何か策があるのか…?」
フゲンはこの戦いに介入できずにいた。モンスター同士の争いを下手に刺激すると、二体の敵意がこちらに向きかねないからだ。
すると、ネルスキュラが動いた。マガイマガドの周りを再度糸を張り巡らせながら縦横無尽に駆け回る。
「ヵ゛ァ゛ァ゛ァ゛…」
しかしこれではマガイマガドが近づくだけですぐ燃え尽きてしまう。先程の二の舞では…とフゲンが思うのも束の間、変化が訪れる。
「ヵ゛ァ゛…ァ゛ァ゛…?」
糸は燃えた…燃えたが、燃え尽きなかった。一瞬で糸全体に燃え広がり、紫色に燃える炎の糸が完成した。そしてマガイマガドが触れた糸が揺らめいたかと思えば…爆発する。
「ヵ゛ァ゛…!?」
爆発で後ずさり、更に糸に触れる。燃える。爆発する。その爆発が糸に引火し、さらに爆発して…大爆発を起こす。
「ぐっ、うぅ…!」
フゲンは太刀を構え、何とか衝撃に耐える。ネルスキュラはいつの間にかフゲンの横にいた。
「耐熱性のある糸も出せるのか」
ハンターが自身に付着した鬼火を地面に擦り付け、モンスターに起爆させるのと同じ原理だろうか。知性の高さに驚かされる。これでマガイマガドを倒せればひとまず解決なのだが…。
「ヵ゛ァ゛…ァ゛…」
「あの爆発で生き残るか…」
マガイマガドは立っていた。満身創痍ではあるが、あの大爆発に耐えたのだ。
「…ヵ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛!」
マガイマガドはネルスキュラを睨みつけ、唸るように吼えると、あっという間に跳び去る。ひとまず追い払えた…と考えてよさそうだ。
「………」
ネルスキュラは一瞬だけフゲンを見た後、崖を駆け上り…姿を消した。
「…まさかモンスターに助けられるとはな」
この件をギルドにどう報告すべきか、フゲンは頭を悩ませる。50年越しに起きた百竜夜行、マガイマガドの乱入、そして…ネルスキュラを。
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「ん…」
目を開くと、見慣れた天井が見える。ヒノエとミノトの家…普段からレイラが寝泊まりしている部屋だ。
「えっと…私は…」
「目覚めたようだニャ、レイラ」
「あ、ゼンチさん」
「まったく、ヨモギとイオリを逃がす為に囮になるとは…お前さんはバカニャ」
「うっ…」
返す言葉もない。
「…よく生き残ったニャ、そこは褒めるニャ」
「えへへ、正直食べられちゃったと思ったんだけど…」
「…その話はあとニャ、とりあえず怪我と火傷は安静にしていれば数日で治るニャ」
「うん、分かった…ありがとうね、ゼンチさん」
「医者として当然のことをしたまでニャ」
「それで…私は何で無事なの?」
最後に見たのは自分を喰らおうと迫るマガイマガドの姿。しかし今のレイラは…怪我や火傷はあれど、欠損などといった致命的な負傷は見当たらない。
「…それについては、ワシよりも適任がいるニャ」
「適任?」
レイラの疑問の答えはすぐに来た。廊下を走る音が聞こえたかと思うと…。
「愛弟子が目覚めたとは本当か!ゼンチ殿!」
「レイラ!」
騒がしくするニャ、と言い残し部屋を出たゼンチと入れ違いに二人が入ってくる。
「わぷっ…ヒノエお姉ちゃん、それに教官も」
「無事に目が覚めてよかったよ…」
「本当に心配したんですからね!」
「ごめんね二人とも」
「…ウツシ君とヨモギちゃんの為とはいえ、あんな危ないこと…もうしちゃいけませんよ」
「うん…だから私、マガイマガドにまた遭遇しても追い払えるぐらい強くなる」
「おぉ、その意気だ愛弟子!だがまずはしっかりと休んで回復に努めるんだぞ」
「はい、教官!」
「ふふ…ほら、ミノトもおいで」
「え、ミノトお姉ちゃんもいるの?」
ヒノエに手招きされ、おずおずと部屋に入るミノト。
「心配かけちゃってごめんね、ミノトお姉ちゃん」
「…無事なら良いんです」
「この子ったら恥ずかしがっちゃって…レイラが気絶した状態で帰ってきた時なんて泣きじゃくって…」
「ヒノエ姉様!」
「ふふ…それと、レイラが助かった経緯ですが…」
「うん、何があったの?」
「…ネルスキュラが助けてくれたそうです」
「え…あの子が?」
ネルスキュラと聞いて思い当たるのは1匹のみ。あの白い個体だ。
「実際に見たはずの俺でさえまだ信じられない気持ちだ」
「教官…」
「まさかモンスターからレイラを手渡しされるとはね」
「…そっか、今度お礼言わないとだね」
「ネルスキュラはマガイマガド追い払った後、どこかに姿を消したようです」
「マガイマガドを…」
レイラは驚きを隠せない。
「里長もギルドにどう報告するか悩んでいるよ」
「…あ、そういえば」
レイラに三人の目線が集まる。
「クルルヤック討伐の後、ネルスキュラと出会ったんだよね」
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百竜夜行から一週間後…。たたら場前の広場にて、フゲンとウツシが会話をしていた。
「レイラの調子はどうだ」
「今日は採取クエストに向かっています」
「そうか…元気になったのなら何よりだが…」
「…やはりネルスキュラですか?」
「あぁ、ギルドには報告したが…やはり状況が特殊過ぎて取り扱いに困っているようだ」
「前代未聞ですからね…50年越しに起きた百竜夜行、因縁のマガイマガド、そして…ハンターを助けたネルスキュラ」
「ネルスキュラに関しては要警戒とのことだ…最も、行方が分からないからどうしようもないが」
「百竜夜行については?」
「ギルドのほうでもマガイマガドと並行して調査をしているそうだ」
「今回は百竜夜行が終わっていましたが、もし百竜夜行中に来たら…」
「…50年前の再現になりかねんな」
「里のほうでも対策を講じます」
「あぁ、任せたぞ」
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「あ、これかな…?」
寒冷群島…レイラはイカダガキの採取をしに来ていた。魚屋のカジカからの依頼だ。どうやら、里にイカダガキをどうしても食べたい人がいるそうだ。
「うわ、大きい…」
両手で持てるほどのサイズだ。ずっしりとしている。依頼に必要な個数を採取し、鞄に入れる。
「よし、終わっ…クシュン!」
寒さに震えるレイラ。そう、今レイラが着ているのは温かなウルクシリーズ…ではなく、クルルシリーズ。ウルクシリーズはマガイマガドに燃やされてしまい、余っている素材がクルルヤックしか無かったのだ。お腹が出ているせいで余計に寒い。
「絶対逆だよ…なんで寒冷群島の時にこの防具…クシュン!」
ウルクシリーズで砂原、クルルシリーズで寒冷群島…適材適所を見事に外している。
「うぅ…帰ったらヨモギちゃんの所で温かいお茶と錦玉子団子食べよ…」
錦玉子団子…レイラが砂原で回収した卵から作った団子だ。黄色と白の二色で彩られた団子は見た目も美しいことながら、団子なのに触感がふわふわとしており里でもたちまち人気の味になった。
「…?」
そんなことを考えていると、ふと気になる光景が目に入る。ガブラスの群れが何かを襲おうと飛び回っている。
「もしかして…フクズク?」
だが、フクズクにしては見覚えが無い色をしている。カムラノ里にいるフクズクたちは全員赤茶けた橙色をしているが、襲われている個体は黒色だ。怪我で飛べないのか、地面からガブラスの群れに向かって威嚇をしている。
「落ちて!」
鞄から音爆弾を取り出し、ガブラスの群れの中心に向かって放り投げる。ガブラスたちが反応するよりも先に音爆弾は炸裂した。
キィィィィィィン
強烈な高周波がガブラスたちの聴覚を襲い、地面へと叩きつける。後は一頭ずつ首を片手剣で斬り落とすだけだ。
「………」
「あ、大丈夫だった?」
ガブラスたちを剝ぎ取っているレイラの元に、フクズクがトコトコと歩いてきた。よく見れば羽を怪我したのか、血が付いている。
「うーん…ゼンチさんなら治せるかも…」
とにかく、連れて帰らないことには何も始まらない。幸い、レイラに懐いたのか抱っこしても大人しくしている。
「ひとまず里に帰ろっか」
翔虫…はフクズクへの負担が大きいので徒歩でレイラは里へと帰還する。
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水没林。
フロギィの群れを率いるドスフロギィが獲物を求めて移動をしていると、数頭のフロギィの足が止まる。何やら粘着性の何かを踏んでしまったらしい。他のフロギィたちが助けようとしているが、どうにも取れない。仕方なくドスフロギィが振り返り、助けようと近づく。それが罠とも知らずに。
「ヴォ…オ…」
ドスフロギィの動きが止まったかと思えば、眠るように地面に倒れる。突然の出来事にフロギィたちの動きが止まる。
蜘蛛だ。白い蜘蛛がいる。ドスフロギィは眠ったように動かない…否、実際に寝ているのだろう。この蜘蛛…ネルスキュラによって。
リーダーを失った群れの崩壊は早い。糸を踏んでいないフロギィたちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。糸を踏んでしまった数頭は、逃げることも抵抗することもできない。
そんなフロギィたちを気にせず、ネルスキュラはドスフロギィの無防備な喉元に牙を突き立てる。
「ヴォ…!?」
当然突き立てられたドスフロギィは目覚める…が、時すでに遅し。暴れようにも、体格差がそれを許さない。毒を吐こうにも、毒袋のある喉元に牙を突き立てられている。それどころか、毒を吸われている。
「ヴオ!、ヴォ…ォ…」
徐々に抵抗が小さくなり…そして動かなくなる。毒を全て吸われたドスフロギィは糸でグルグル巻きにされた。まだ生きているのか、時折ピクピクと動くが…もはや死んでいるも同然だろう。
そして糸を踏んでしまったフロギィたちも、同じ末路を辿る。
こうして、水没林から一つの群れが消えた。
フクズクを助けたレイラ。
何故レイラはオトモどころかフクズクさえ連れていないのか…。
その理由が明らかになります。