ヒキニート、高校生になる   作:ナカイユウ

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ヒキニート、外に出る

 「えっ・・・兄ちゃん?」

 

 海崎さんとの電話を済ませて綺麗に完食した夕飯を載せたトレイを持って自分の意思で台所に向かうと、食器を洗っていたカズがあからさまに驚いた表情をして俺に振り向いた。

 

 「そんな驚くなよ・・・俺が食器を持ってきたぐらいで」

 「ごめん・・・でも兄ちゃんが自分から食器を持ってきたのが本当に久しぶりだったからつい・・・」

 

 無理はない。カズの言う通り俺がこうやって自ら台所に足を運んで食べ終えた夕飯を持ってくるのは、“ヒキニート”になってから初めてのことだ。つまり、2年半ぶりになる。そりゃあ戸惑うなと言うほうが無理だ。

 

 「残りの分、俺が全部やる」

 「いや大丈夫だよ。全然俺がやっておくから」

 「“働かざる者食うべからず”だからさ、働かせてくれよ。カズ」

 

 俺が会社を辞めて部屋に引き篭もったばかりに、カズには今まで俺が家族のためにやってきた苦労を全部背負わせてしまった。すぐには恩を返せるとは思えないが、リライフの被験者になって人生をやり直すと決めた以上、今やれることは全部やると決めた。

 

 「分かったよ・・・兄ちゃんがそこまで言うなら」

 「・・・ありがとう」

 

 最初は戸惑いを隠せていなかったカズからようやく笑みがこぼれ、自分の意思で自分の食器を洗うために台所に来た俺は2年半ぶりに食器を洗う。

 

 「・・・この感じ・・・なんか懐かしいな」

 

 食器用洗剤が染み込んだスポンジで野菜炒めが乗っていた皿にこびり付いた汚れを落としていく。こんなことを当たり前のようにやっていた引き篭もる前の光景がふと蘇り、思わず独り言がこぼれた。

 

 

 

 “『俺も手伝うよ!』”

 

 

 

 “何で俺ばっかり”と心の奥で思っていながらも、この空間(いえ)の中で笑いながら俺の家事を手伝っていたカズの姿を見ただけでネガティブな感情が一瞬にして吹き飛んでいったあの日々が、酷く懐かしい。

 

 「当たり前でしょ。兄ちゃんが最後に台所に立ったのは俺がまだ高1のとき以来だから」

 「ははっ、確かに。どおりで懐かしいわけだよ」

 「笑い事じゃないよ。俺が言うのもアレだけどまあまあ大変だからね?学業とバイトと家事を両立するのは」

 「俺も知ってるよ、大変なのは」

 

 変に気を遣わずに信頼し切っている関係故の憎まれ口を叩きながら微笑むカズが隣にいるだけで、深い意味もなく笑えてきた。

 

 「・・・でも本当に良かった。兄ちゃんの笑ってる顔をまた見れて

 

 やっぱり2年半も外の世界を遮断して生きてきたヒキニートをあっという間に笑顔にさせてしまう弟には、一生を掛けても敵う気がしない・・・

 

 「・・・カズ・・・

 

 そんな辛うじて自分を見失わずに済んだ“命綱”でもある救世主に、残りの食器を洗い終えた俺はずっと面と向かって言えなかったことを打ち明ける。

 

 「・・・2年半も勝手に部屋に閉じこもって・・・部屋に入ったお前を無理やり追い出して・・・あんな状態になるまで誰も頼ってやれなくて・・・・・・お前に苦労を全部押し付けてしまって・・・・・・本当にごめん・・・

 

 カズの目を真っ直ぐに見つめながら思いを伝え、頭を下げる。

 

 “・・・こんな情けない兄ちゃんで・・・本当にごめんな・・・

 

 本当はカズのことを部屋から無理やり追い出したあの日のうちにこうやって謝ることが出来たら良かったけれど、明かりの消えた部屋で遠回りを繰り返していたらあっという間にこれだけの時間が過ぎてしまった。こんな俺を許してくれなんて口が裂けても言えない。

 

 たった一言の“ごめんなさい”を直接言うために、これだけの時間が掛かってしまった俺を今のカズはどんな気持ちで見ているのだろうか・・・頭を下げた先にいるカズからの言葉は中々帰ってこない。気まずいような、そうでもないような、説明のしようがない沈黙が台所の空気を支配していく。

 

 “・・・やっぱそう簡単には答えられないよな・・・

 

 俺はまた、余計なことをして弟を困らせたのか?だったらもっと軽く謝ったほうが良かったのか?

 

 

 

 でもこれが・・・・・・今の俺が出来る精一杯の罪滅ぼしだ・・・

 

 

 

 「・・・頭を上げてよ・・・兄ちゃん・・・

 

 下げた頭の先から、ようやくカズの声が聞こえた。その声は誰よりも家族のために頑張ってくれている、いつものカズの声だった。

 

 「・・・会社を辞めてヒキコモリになっても・・・俺にとっては優しくてしっかり者で誰よりも尊敬している兄ちゃんなのはずっと変わらないよ

 

 その声色が耳に届いた瞬間から、カズがどんな表情をしているのかはすぐに想像がついた。

 

 「だから兄ちゃんが謝る必要なんか全くないよ・・・・・・“2年半分”の休みが必要なくらい、ずっと頑張って来たんだから

 

 顔を上げてみたら、思った通りの表情をしていた。

 

 「むしろ俺がもっと早く兄ちゃんの頑張りに気付いてあげれたら・・・・・・兄ちゃんはこんな思いをしなくて済んだ・・・

 

 変に気を遣われることを嫌っている俺にカズは余裕ぶった感じの笑みで誤魔化しながら涙を浮かべて、2年半前の後悔を初めて面と向かって打ち明けて、頭を下げた。

 

 “・・・カズ、お前は何も

 

 謝ろうと頭を下げたカズを引き留めようとした身体と言葉を、寸でのところで引き留めた。ここでカズの後悔を受け止めなければ、次の一歩に進めない気がした。

 

 あのときの俺はそうやって周りの声を遮断しては突っ走って、コワレモノになって守るべき家族を傷つけていったから・・・

 

 

 

 “・・・もうあんな“日常”には二度と戻りたくない・・・

 

 

 

 「・・・俺のほうこそ・・・・・・本当にごめん・・・

 

 俺の目の前で頭を下げたカズは、目元を腕でこすって顔を上げると今度こそ嘘のない笑顔を俺に向けた。

 

 「やっと言えたな・・・・・・カズ」

 「・・・それはお互い様でしょ?兄ちゃん」

 

 そしてカズの嘘のない笑顔を見た俺もまた心の底から笑顔がこぼれ、俺たちの2年半の空白を埋めるための一歩が進み始めた。

 

 「てかずっと言いたかったことを言えたくせに泣くなよカズ」

 「いや、2年半も引き篭もってた兄ちゃんが自分の足で台所(ここ)に来て自分の皿洗うようになったらそりゃあ感動で泣くでしょ普通?」

 「それぐらいで感動するってどんだけ涙腺脆いんだよお前」

 「だって2年半だよ2年半!?仮に兄ちゃんが俺の立場だったとしても絶対泣くでしょこれ!?」

 「あー確かに」

 「『あー確かに』、じゃなくて!」

 「ていうか“2年半分の休み”が必要なくらい頑張ってたんじゃないの?俺?」

 「それとこれとは別だよ」

 「カズってたまにすげードライになるよな?」

 

 久しぶりにお互いに壁を作らずに憎まれ口だろうとなんだろうとぶつけ合う。久しぶりに感じる、心の底から湧き出てくる至福な気持ち。こんな感じの至福を抱えながら人と話すのは、いつぶりになるのだろうか。

 

 「ところで彼女とは上手くいってる?」

 「えっ?それは・・・ってどさくさに紛れてなに話逸らそうとしてんの?」

 「まんざらでもなさそうで何より」

 「まだ何も言ってないんですけど!?」

 「“まんざらでもない”ことは否定しないんだな?」

 「うっ・・・」

 「ホントお前は小っちゃいときから嘘をつけないよな(カワイイかよこいつ)」

 

 高3のときから付き合い始めた彼女との仲を弄られて、堂々と赤面する俺の弟。その惚気ながらあたふたする姿を見ているだけで、面白くも微笑ましく感じてしまう。

 

 「で?彼女とはキスとか“諸々”やった?」

 「“諸々”の意味はよく分からないけど・・・キスは、した。初めてこの家に上がらせたとき・・・」

 「・・・マジか・・・“童貞”の意味すら知らなかったあのカズが」

 「兄ちゃんは俺のことをどう思ってんの・・・」

 

 そして俺が引き篭もっていた間に、カズは大きく変わった。運動神経以外はほぼ全て満点の素質を持っていながら恋愛事にはまるで無頓着だった弟は、今では彼女を家に連れてくるようになるまでに成長して、おまけにキスまでしたらしい。

 

 「自分で言うのもアレだけど、流石に恋愛ぐらいは分かるようになったよ・・・2年半も経てばさ・・・」

 「・・・そっか」

 

 俺も高校に通っていた時に付き合っていた彼女とはキスやデートまでは行ったことがあるけれど、彼女を家に連れてくるようなことは一度もなかった。というより、家の事情が一変してしまったせいで恋愛どころではなくなってしまった。

 

 「俺の彼女・・・・・・次こそはちゃんと紹介させてよね?

 「・・・・・・おう

 

 もしかしたらカズのように、弱みも隠し事も全部曝け出して彼女と本気で向き合っていたら・・・未来は変わっていたのだろうか・・・

 

 

 

 いや、そもそも俺はカズのような勇気なんて持ち合わせていなかったからこうなってんじゃねぇか・・・

 

 

 

 「・・・それよりもさ・・・まさか兄ちゃんにあんな仲の良い友達がいたなんて知らなかったよ」

 「友達・・・・・・・・・あぁ、新太のことか」

 

 カズから急に言われた“友達”という言葉に、数秒ほど反応が遅れた。

 

 「いま完全に友達の存在忘れてなかった?」

 「無理言うな、2年半も部屋に引き篭もってたら多少のことは忘れるから」

 「ゴメンその感覚だけは分からないし分かりたくない」

 「それは分かんなくていいよ」

 

 “友達”・・・カズにそう説明して、海崎さんは俺の部屋に入って来た。確かにリライフのことをバラさずに違和感なく引きこもりの俺を訪ねるには、この方法が最適だったのだろう。

 

 「・・・最初は初対面なのにいきなり兄ちゃんの個人情報をベラベラと喋るし知らないはずの俺の名前とかも知ってたから滅茶苦茶怖かったけど、なんか初めましてじゃないような懐かしさっていうか、安心感みたいなのがあって・・・・・・それと、単純に兄ちゃんのことをあそこまで思ってくれている友達がいたってことが素直に嬉しくてさ」

 「不特定多数に優しいからなあいつは(ホントは今日が初めましてだけど)」

 

 まぁ、海崎さん(友達)が俺を訪ねに来たことをこんなにも嬉しそうに話すカズを見る限り、絶対にあの人はそんな計算高いところまでは考えていない。

 

 「そんなことないよ・・・ほんのちょっとしか話してない俺が言っても説得力はないかもだけど、“悪い人じゃない”っていうのはすぐに分かったから」

 

 全部を憶測で決めつけるのは良くないけれど、海崎さんが俺に向けた“実の弟”を見つめるかのようなあの顔は、計算だけじゃ絶対に出来ない。きっと海崎さんは他人(ひと)の悲しみや喜びの受け止め方を知っている。

 

 そんな人がせめて、あと一人でも俺の周りにいてくれたら・・・なんて願いが容易く叶うくらいだったら、こんな苦労はしていない。

 

 「もし兄ちゃんが良かったらでいいんだけどさ・・・・・・その友達と部屋でどんなことを話してたのか、俺にも教えてよ?

 

 さて、この弟にどこからどこまでを話そうか?まずリライフの話は絶対に明かすことはできない。だがリライフの被験者になるにあたって遅くも1週間後には俺はどこかの街で1人暮らしをしているわけだから、その辺りの説明をどうするか・・・

 

 

 

 “『リライフを始める前に・・・1つだけ海崎さんにお願いしたいことがあります』”

 

 

 

 「_っていう感じの流れになったから、明日は久々に外に出ることになったわ・・・」

 

 とりあえずカズには、引きこもりになった俺を心配していた新太、もとい海崎さんから“リハビリがてらのちょっとした日帰りの旅行”に誘われて最初は断っていたが、俺が“引きこもり”から抜け出したいと思っていたことも知っていた彼に根負けする形で行くことになったと伝えた。

 

 本当はもっとまともな“”を考えていたけれど、変に気を遣われてしまいそうだからはぐらかした。

 

 「外に出るって・・・引きこもりから抜け出すにしても随分急じゃない?ていうか大丈夫?」

 

 案の定、俺を心配するカズの視線が突き刺さる。確かについさっきまで部屋に引き篭もり続けていた兄がいきなり日帰りの小旅行に出かけると言い出したら、家族思いの弟は当然こうなるか。

 

 「・・・大丈夫かって聞かれたら、まだ不安はあるよ・・・外に出るのはマジで久しぶりだし・・・」

 

 実際に何度も外に出ようと自分なりに部屋の中でもがいたこともあった。その度に容赦なく降りかかる罵声に反してあまりにも応援の少ない終わりのないマラソンをしていた日々(トラウマ)に、動き出そうとしていた意思は何度も呆気なく潰されてきた。

 

 「だけど・・・・・・俺は本気だから

 

 

 

 でも、“長すぎる”休憩時間(インターバル)を挟んで人生をやり直すチャンスを与えられた今は違う・・・

 

 

 

 「・・・兄ちゃん・・・」

 

 “本気”で変わることを決意した俺を見つめる心配の視線が、次第に応援の笑みに変わった。

 

 「今日うちに来た友達には本当に感謝だね」

 「だな」

 「あと万が一外でご近所さんが兄ちゃんの噂話をしているところに遭遇しても全然気にしなくていいから」

 「気にしなくていいなら言わないでくれるかな病み上がりの人間に?(悪意が1ミリもないところがマジてタチ悪ぃ・・・)」

 

 ついでに悪気なく病み上がりの心を抉るような手荒い励ましを食らい、俺は部屋へと戻り明日の支度を始めた。

 

 

 

 

 

 

 翌日_

 

 「起きろーカズ。俺もう出掛けるからなー」

 

 朝の8時半。いつもなら休みの日でも7時半には起きているはずのカズが部屋で寝坊しているのを尻目に一足早く朝食を適当に済ませた俺は、出掛ける前にもう一度だけカズの部屋を覗く。

 

 “・・・こりゃあまだしばらく起きないな・・・”

 

 普通に寝ていても聞こえる程度の声量で部屋の扉を開けて声をかけても静かに寝息を立てて爆睡を決め込むばかりのカズ。きっと昨日のことで今まで溜め込んでいた肩の力がすっかりと抜けたからなのだろうか。

 

 “俺が一番乗りで起きたのはいつぶりだ・・・?”

 

 ちなみに夜勤終わりの親父は7時半に起きて居間に来た時には既にソファーを占領して眠りに就いていた。親父が一度眠ると全然起きない人だということはずっと前から知っているから、とりあえずカズには親父が起きたタイミングで俺のことを言ってくれるように頼んでおいてある。

 

 当然、帰ったら改めて俺の口からも直接言うつもりだ。

 

 “・・・こんな寝顔をしてたんだな・・・・・・カズ”

 

 それにしても、考えても見ればカズの寝顔をこうやって見たのはいつ以来になるのか分からない。でも横向きになったその寝顔を見ただけで、きっともの凄く良い夢を見ているんだろうなっていうことはひしひしと伝わって来た。

 

 「・・・じゃ、行ってくるわ」

 

 感傷に浸りそうになる前に、俺は物音を立てないように部屋の扉をゆっくりと閉める。

 

 「・・・うん」

 「?」

 

 のとほぼ同じくらいのタイミングで、自分のベッドに横たわるカズが相槌を打った。

 

 「・・・zzz」

 

 と思ったけれど、どうやらただの寝言だったみたいだ。一瞬だけ本気で焦った。

 

 「・・・適当な時間になったら起きろよ」

 

 ひとまず、ギリギリ起きないぐらいの声量でカズに声を掛けて部屋の扉を閉めて、今度こそ玄関へと向かう。

 

 “・・・俺のスニーカー・・・まだ玄関に置いてたのか・・・”

 

 久しぶりに玄関の前に来ると、会社に行くときに履いていた革靴と引き篭もる一週間くらい前に買ってまだ一度だけ履いたかどうかぐらいしか使っていない綺麗な白のスニーカーが並んでいた。

 

 明日にいきなり外に出ると言い出した俺のことを考えて引っ張り出したのか、それとも俺が引き篭もっていた間もずっと玄関にスニーカーが置きっぱなしだったのか・・・どっちにしろこのスニーカーを一度も使わずにいたのは、きっとこの玄関でずっと俺が再びこの靴を履くことを信じて待っていたからなんだろうか。

 

 ・・・って、いくら何でも弟のことを買いかぶり過ぎだろ、俺。

 

 2年半ぶりにまだ履き慣らせていないスニーカーに足を通して、紐を結ぶ。結ばれた紐でギュッと絞められた足元の感覚が、心にまで響いてきた。立ち上がり一歩を踏み出そうとする足が、途端に重くなって思うように動かせないでいる。

 

 やっぱり、いざ外に出ようと視線を前に向けると緊張と恐怖が入れ交じったように身体が不意に強張る。ここまで来ておいて俺の身体は、まだ未練たらしく部屋に戻ろうとしている。

 

 

 

 “『2年半前にこの部屋に引き篭もった自分と、2年半後に昨日まで名前も顔も知らなかったはずの相手に“自分の意思”で電話をしている今の自分は・・・見違えるくらい変わっていると思いませんか?』”

 

 

 

 いや、今日の俺はもう・・・・・・“昨日”までの俺じゃない。

 

 「・・・行ってきます」

 

 海崎さんから電話越しで言われた言葉に後押しされながら、俺は気合入れ代わりに被っていた帽子(キャップ)を一段分深く被りドアノブに手を掛け、あの日を最後に一歩も踏み出せていなかった外の世界に足を踏み入れた。

 

 「・・・・・・眩し・・・・・

 

 

 

 2年半ぶりに見上げた青空はあまりにも明るく、暗闇と人工的な光にすっかり慣れ切ってしまった身体には眩しすぎたけれど・・・・・・そんなことなんかどうでも良くなるぐらい、綺麗で美しかった。

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