・野矢純(のやじゅん)
2月14日生まれ A型 16歳(第39話時点)
身長:157cm 髪色:やや紫がかったブロンド 一人称:私
イメージCV:宮本侑芽
『オンユアマークス・・・・・・・・・セット・・・』
パンッ_
「愛火先輩・・・どう見てもこれ100M走始まってないですか?」
競技場に着いて出場する各高校の応援に来ている部員や関係者の邪魔にならない席を探している途中で背後から“スタート”を知らせる号砲の音声が鳴り響き、野矢は心配そうに前を歩く黒崎に声をかける。
「うん、そうだね。おっ、ここなら大丈夫そう」
野矢の“ガチ”なトーンに反して、奥のほうにある空いたスペースを見つけた黒崎は心配して気遣おうとする後輩をよそに淡々と相槌を返して席に座る。
「あの、愛火先輩?」
「ん?なぁにノヤジュン?」
「愛火先輩が応援しているっていう赤間先輩って、もう走っちゃいました?」
「あー大丈夫大丈夫。今やってる種目は“第二支部”の100M走の予選で衛士の出番はこれが終わった後の“第三支部”の予選だから」
「そうなんですね・・・というか、そもそも“支部”とは?」
どうして100M走が始まったというのに黒崎がここまで平然としているのか、少なくとも東京都の支部大会で分けられるブロックがどのようになっているかを事前に調べてきた俺は当然知っているから驚かない。
「昨日調べたことだけど支部大会の区分けの1つだよ。まず東京都の高校陸上は6つの支部に分かれてて、その中でも2と3、5と6は都合上かは分かんないけどこうやって同じ会場でやってるんだって・・・で、その区分けによると桜咲は第3支部に該当するからこの大会に出ることになるってわけ」
「なるほど・・・大変勉強になります。大神先輩」
「いや、俺も昨日までは全く知らなかったんだけどね・・・」
というわけで今日の応援に向けてというわけではないけれど念のために“予習”してきた俄か知識でフォローすると野矢から深々と頭下げながら感謝されてしまい、さすがにちょっと大げさに思えて逆に謙遜してしまった。
「(“先輩”・・・か・・・)」
しかし、こうやって自分のことを“先輩”と呼ばれるのはリアルに高校に通っていたとき以来だからか、変に懐かしさが襲って来て独特な心地良さを感じる。何だかんだで大学はサークルとかに入る暇なんてなかったからそういうのは皆無だったし、バイト先でも基本的に後輩が出来ても“さん付け”だったし、社会人のときは・・・・・・いま思い出すのは縁起が悪いから一旦忘れよう。
「先輩って言われて嬉しそうだね“チャラ臣”くん?」
「“チャラ臣”はさすがにヒドいって黒崎さん(悪いのは俺だけど・・・)」
「でも満更じゃないって顔してたよ?」
「そうかな?(まぁ、そうかもだけど・・・)」
と、勝手に自分の学生時代を振り返っていい気分になっていたら、それが顔に出てしまっていたのか席の陣取りをしている黒崎からニヤリとした顔と口調で“チャラ臣”呼ばわりされた。なるべく顔には出さないように意識はしていたつもりだけれど、千鳥からも“馴れ馴れしい”って言われている前科もあるし次からは本当に気を付けよう。
「こういうところって私初めて来たんですけど・・・想像してたより大きいんですね」
「そっか、ノヤジュンって
「俺も初めてだよ」
こうして3人は陣取った席に奥から黒崎、野矢、そして通路側の席に俺という並びで座る。ちなみに話を聞く限りだと、俺だけじゃなくて野矢もこういう場所に来るのは初めてらしい。
パンッ_
客席に座って徐にトラックのほうへと視線を移した瞬間、号砲が鳴ってスタートラインでクラウチングをしている選手たちが一斉に100メートル先のゴールに向けて一気に駆け抜け、あっという間に1位の選手がゴールラインを通過していく。
「速っ・・・」
時間にして僅か10秒と少し。この種目に出ている選手の子たちはたったこれだけの間に100メートルの距離を走る。そのスピードは観客席から見ていても速く感じるほどで、今やっているのは支部大会の予選でインターハイを目指している学校だとしたら序盤の序盤のようなものって考えると、インターハイに行ける高校生がいかに“超人”なのかが50メートルですら8秒近くかかる俺には身に染みて分かる。
「こうして生で見ると、本当に陸上選手って速いですよね」
「言っとくけどまだ支部大会の予選だからね。これが都大会とか関東大会、そしてインターハイになってくると走ってる選手のレベルがぐんと上がるから」
ちなみに陸上は世界陸上やオリンピックのニュースや録画をカズと親父の3人でテレビ観戦していた程度しかかじっていないミーハーで、ああいう世界大会に出られる選手がよく“超人”だと騒がれているのを目にしたときは確かに凄いとは思ったけど、それは少し大袈裟なんじゃないかとも思っていた。でもこうして実際に競技場に足を運んで生でエントリーした選手の走りを見たら、それが誇張でも何でもないってことを思い知った。
“『カズ、俺バイトでリアタイじゃ観れないから今日の世陸の録画ヨロシク』”
“『兄ちゃんいくら何でもバイト入れ過ぎだって、そんなにバイト入れたら具合悪くなるよ絶対』”
“『大丈夫だって心配すんな。ほら、この通り超元気だから俺♪』”
「・・・ほんと、赤間くんってすごいところで戦ってるんだね」
「貴臣くん。まだ“ご本人”が登場する前にそれっぽいこと言って“変なフラグ”立てないでくれるかな?」
「そんなつもりはないけど自分でもちょっとだけそれ思ったわ・・・」
呑気にスポーツ観戦なんかする暇もなかった頃のことを悪い意味で思い出しかけて、咄嗟に頭の中で思いついた言葉で誤魔化したら思った以上に“フラグ”っぽくなってしまって、 “そういうの”に煩そうな黒崎から割と本気のトーンでツッコまれる。一応言っておくけど、そんなつもりは全くない。
「ははっ、前から思ってたことなんだけどやっぱり貴臣くんってちょっとだけ衛士にも似てるところあるよね?」
「えっ、俺が?(あの“一匹狼”と俺?)」
「あんまり冗談が通じないところとか」
「いや今のは言われてみればフラグっぽかったし」
「あぁでもよく考えたら衛士はこんなもんじゃないや」
「何となく気になるんだけど黒崎さんは普段の赤間くんのことどう思ってんの?」
「“コミュニケーション音痴で一匹狼の陸上バカ” 」
「シンプルに容赦がねぇ(でも普通に納得してしまうこの複雑な気持ち・・・)」
普段は黒崎の言う通り・・・と言ってしまうと本人には悪いけど人付き合いが不器用な一匹狼だけれど、こと“陸上”においては体力テストで転んだ日に話したときに陸上の話題になったら心なしか嬉しそうな顔をしていた赤間を見て、本当にあの子は心の底から“走る”ことを楽しんでいて、本当に真摯に向き合っているっていうのが自分なりに分かった。それにあの子が根っからの良いやつだっていうのは、“そうじゃない”人たちの悪意を知っている俺にはすぐに分かった。
「なるほど。赤間先輩は“コミュニケーション音痴で一匹狼の陸上バカ”と・・・」
「とりあえずその覚え方で赤間くんのことを覚えるのは本人が可哀想だからやめようね野矢さん?(フォローしてやりたいけどこれがほぼ事実っぽいのが何とも・・・)」
という本来の人柄の良さが伝わらない普段の振る舞いが災いしてか、黒崎の冗談交じりの人物像を真に受けた野矢に最悪な形で覚えられてしまうところもまた、一匹狼らしくもある。
「そういう貴臣くんも“コミュニケーション音痴で一匹狼の陸上バカ”を否定しない時点で相当容赦ないと思うよ?」
「まぁ・・・大体事実なのは話してて分かったから」
「あははっ、貴臣くんってもしかして意外とS?」
「黒崎さんには言われたくない(そろそろ“腹黒崎”って呼んでやろうかなマジで)」
ついでに俺からも強いて言うなら、もうちょっと1組のみんなへの“ほっといてくれオーラ”は減らしてくれたらなとは思っている。
「でも、衛士がすごいところで戦ってるっていうのは、あたしもよくわかるよ。100メートルを10秒台前半、200メートルを20秒台で最低でも走り抜ける力がないと日本で1番にすらなれないって言われる種目をやり続けるのって、本当に心が強くないと続けられないことだから・・・そんな1人しか勝者がいないある意味残酷な世界でずっと頑張れてる衛士のことは、あたしも純粋に“腐れ縁”として尊敬してる・・・」
そんな不器用な
“『どんなに努力したって、敵わないことはたくさんあるから』”
「ま、結局ひっくるめるとどうしようもないくらいの“陸上バカ”だから続けられてるっていうのもあるだろうけどね?」
「・・・そっか」
そのトラックを見つめる眼差しが、一瞬だけ“陸上をやめた後ろめたさ”のようなもので寂し気になったのを俺は横目で感じた。だけどこういうときに下手に気を遣うとロクなことにならないことは自分の人生で学んでいるから、どっちつかずな相槌を打つので精一杯だ。というか、陸上競技をしていたときの黒崎のことを全く知らない俺が出来ることと言ったら、これぐらいだ。
「あれ、あたしもあたしで“フラグ”っぽいこと言っちゃったかな?」
「別にいまぐらいだったら良いんじゃない?そんなのいちいち気にしてたら何にも喋れなくなるし(まぁ、言われてみればだけど・・・)」
すると俺の勘を見越したのかタイミング的なものかは分からないが、黒崎は唐突に自分が言い放った言葉を気にし出した。
「そうだよね!衛士はちょっとやそっとフラグ立てたぐらいじゃ負けないから!」
「って言った傍から“特大のやつ”立ててないですか愛火先輩?」
「しまった・・・ありがとノヤジュン」
「野矢さん。黒崎さんの言ってることの半分は天然だけどもう半分は多分わざとだから」
「ちょっと貴臣くんノヤジュンに変なこと叩き込まないでってば!」
「そうなんですか愛火先輩?」
「違うよノヤジュン!全ッ然違うから!」
「(たまにはこれぐらいはやり返させてもらうぜ、“腹黒崎”)」←※ニヤリ顔
まぁ今は、果たしてこれが天然かわざとかはもう置いといて、走ることを本気になって楽しんでいるであろう赤間のように、俺は俺でクラスメイトを応援しているこの瞬間を本気で楽しむことに徹しようと思う。
「あーそうそう、ちなみに貴臣くんはこの前の体力テストで盛大にズッコケて保健室に運ばれました」
「って黒崎さんそれは言うなって!」
「しかも衛士から“お姫様抱っこ”されてました」
「されてねえ!っていうか平然と話を盛るな黒崎ッ!」
「うわ、貴臣くんって怒ると口調が荒くなるんだ」
「(しまったヒキニートになる前の血が・・・!)あっごめん!つい・・・」
「ところで赤間先輩から“お姫様抱っこ”されたのは結局本当なんですか?」
「普通に黒崎さんの嘘だから忘れていいよ野矢さん」
「はい・・・では大神先輩は“怒ると口調が荒くなる”、と」
「そこも覚えなくて大丈夫だから(“ノヤジュン”もある意味Sっ気あるかもな・・・)」
「ねぇ貴臣くん。あたしの名前もう一回呼び捨てで言ってくれない?」
「断固拒否(ってあれ?俺の周りっていまドSしかいなくね?)」
ただし、もれなく周囲が“サポート課”も含めてドSしかいないという状況だけれど。
「にしても、本当に3人とも楽しそうでなによりですね海崎君?」
「ホントにそうだな。観察してるこっちが羨ましく思えてくるわ」
「あははっ、海崎君もついこの間までは“あっち側”でしたからね」
「うるせー」
一方その頃、タカたち3人が座っている席から少し離れた絶妙に死角になる位置で俺と夜明さんは仲良く支部大会を観戦、もとい休日を返上して被験者の観察をしていた。ちなみに俺と夜明さんはいま、“身バレ”を防ぐために敢えて薬を飲んだ姿で尾行している。
「それに引き換えこっちはいい歳した大人2人が仲良く“尾行デート”と」
「何だろう、夜明さんがそれ言うとすげぇ如何わしいく聞こえるわ」
「も~ヒドイなぁ新太くんは、これからは“多様性”の時代だよ?」
「多様性って・・・なあ、確認だけどまさか夜明さんって“そっち”の気もあったりすんの?」
「ナイ☆」
「同僚を弄ぶのも大概にしろよなクソドS(ちょっと安心したけど)」
ただし傍から見ればアラサーに片足突っ込みかけてる“オニーサン”2人が隣り合って座るという何とも言えない絵面になってしまうのだけど、気にしたら負けだ。何故なら俺たちはあくまで“仕事”でここに来ているからだ。
「・・・しかし、この3週間で貴臣さんは随分と遠慮なくクラスメイトとコミュニケーションを取れるようになりましたね?」
「急に話を戻しやがったな」
「普通にいまは“勤務中”なので」
「毎度思うけど夜明さんってちょいちょい怖ぇんだよ・・・」
前触れなく再び“仕事モード”に切り替えた夜明さんに合わせて、俺もタカのほうへと意識を向ける。
「まぁ・・・元々コミュ力自体には特にこれといった問題もなくて適応力も高くてクラス自体にはすぐに馴染めたけど、最初は無意識に周りに気を遣ってた部分もあったよ・・・だけど奈桜さんと“友達”になったあの日から、何というか純粋にクラスメイトとしての距離が近づいたって意味で遠慮しなくなったってところかな・・・」
一週間前の金曜日、タカは1年前のいじめが原因で別室登校となっている千鳥奈桜と“友達”になった。状況は違えど職場でのいじめが原因で退職して引き篭もりになるまでに追い込まれたタカ自身にとって彼女の存在について何か思うところがあったのか、あの日を境にタカはまた一歩前へと進み出した。
「つい1ヶ月前まで人と関わることを恐れるばかりか家の外に出ることさえ出来なかった引き篭もりが、たったの1ヶ月でこうやって外に出て仲良くなった子たちと一緒に大会に出るクラスメイトの応援をしてるなんてさ・・・俺でも想像出来なかった・・・」
その“一歩”が一体どれほど大変なものなのかは、今のタカのように2度目の高校生活を経て“ここ”にいる俺には痛いくらいによく分かる。
「本当にすげぇよ。タカは」
分かるからこそ、こんなにも早くリライフを通じてみんなと本気で向き合おうと行動しているタカのことは・・・心の底からすげぇなって思う。
「さて、今日は下手したら100M走と4×100Mリレーの両方を観戦する羽目になるかもなので、長くなることをご覚悟を」
「えっ?あーそっか、あの一匹狼は両方出るのか」
「何せ彼は桜高陸上部のエースにしてこの大会の大本命ですからね」
「そりゃあ余程の波乱がなけりゃ予選は普通に突破するか」
「おや、海崎君も“フラグ”を立てるんですか?」
「そんなつもりで言ってねえ!」
「大声出すとバレますよ海崎君」
タカのことを思うあまり今一つ気持ちを切り替えられないでいると夜明さんから“先輩”としての言葉をかけられて、俺は再び切り替えてサポート課の仕事に徹した。
『只今より、第〇〇回東京都高等学校陸上競技選手権大会第2・3支部予選会、男子第3支部100M予選を行います_』
「おっ、来た来た」
何だかんだであっという間に時間は過ぎて、俺の通っている桜咲が該当する第3支部の100M走の予選の開始を告げるアナウンスが競技場に流れると、“待ってました”と言わんばかりに黒崎が嬉しそうに呟く。競技場に向かう道中でもテンションを隠し切れていなかったところといい、本当にこいつは赤間の走りを楽しみにしていたみたいだ。
「本当に楽しみにしてたんですね?黒崎さん」
「楽しみっていうよりかは、腐れ縁として雄姿を焼き付けてきたって感じかな?これでもあたしって元陸上部だから、衛士がここまで来るのにどれだけ頑張ってきたか、少しは分かってるつもりだし」
同じようなことを思ったのか俺に代わって真ん中の位置に座る野矢が言うと、黒崎はのらりくらりとそれらしい理由を付けて先輩らしくクールに微笑む。もちろんそれが“楽しみ”だという本音を隠す誤魔化しだと言うのは、赤間のことを親友として思う気持ちが隠せない紡ぐ言葉ですぐに分かる。
「愛火先輩・・・・・・めっちゃカッコいいです///」
「いや~可愛い後輩からそう言われると照れるな~♪ね、貴臣くん?」
「何で俺に聞く?(とりあえずノヤジュンはアレだな。無自覚なSじゃなくて純粋なだけだな)」
なんてことを読み取るほどの余裕はない純粋な野矢は、黒崎の誤魔化しの言葉を真に受けて純度100%の尊敬の眼差しを向ける。きっといまの野矢の表情を漫画で表現すると、“目がしいたけ”になっているのだろう。漫研のセンスについていけない俺には分からないけど。
「ていうか、もっと素直にずっと楽しみで仕方なかったって言っていいんじゃないの?黒崎さん?」
ともあれ誤魔化しで紡いだ言葉自体も紛れのない本心だから、野矢が言うようにここまで親友のことを大事に思える黒崎は本当にかっこいいと俺も思う。
「はぁ・・・貴臣くんにはお見通しか」
だからこそという意味も込めて核心を突いてみると、黒崎は観念した様子で溜息交じりに飾り気のない表情で静かに微笑み、視線をトラックのスタートラインのほうへと向ける。
「それはもう楽しみだよ・・・ユニフォームを着た衛士がトラックで走る姿をこうやって見るのは・・・・・・走ることを本気で楽しんでる
“『あたしも挫折しっぱなしじゃ終われないしね』”
『予選第1組、8名全員の出場です』
黒崎の言葉を合図にするかのように、アナウンスが流れて最初の組となる8人の選手がトラックのスタートラインへと向かう。
「来たよ。衛士」
この第1組の中に赤間がいることを、黒崎は呟きがてらに俺と野矢に教える。第1組の選手たちの名前と学校名を読み上げるアナウンスが流れる中で目を凝らしてスタートラインを見ると、ちょうど真ん中のレーンに桜咲高校と横文字で掛かれた桜色のラインがアクセントでついた紺色のユニフォームを着た赤間がクラウチングスタートを前に軽く手足を動かしてストレッチをしていた。ユニフォームを着てトラックに立つ赤間を見るのはもちろん初めてだけど、本当によく似合っている。
『5レーン、赤間衛士君、桜咲高校』
アナウンスで名前を呼ばれると、5レーンの位置を知らせるナンバーブロックの前に立つ赤間はストレッチを止めて、徐に空を見上げて顔を下ろし、地面に視線を向けゆっくりと顔を上げると同時にふっと息を吐き出し余計な肩の力を抜いて、鋭く真っ直ぐに前を見つめる。その鋭く前を見据える視線の先にあるのは、きっと100メートル先のゴールライン。眼から溢れるその気迫を観客席越しで見るだけで、これだけ周りが注目している中で誰よりも速くゴールまで走るためにどれだけのプレッシャーが掛かっているかが伝わってくる。
「赤間くん・・・すげぇいい顔してる」
「うそ?貴臣くんこの距離で衛士の顔見えるの?(どう考えても80メートルはあるよこの席から・・・)」
「俺目だけは良いんだよ。2.0あるし」
「いやもっとあるでしょ絶対」
「私は眼鏡越しでも顔が全く分からないです」
でもそれ以上に、赤間がどれだけ情熱を持って陸上競技に取り組んできたのか、どれだけ走ることが好きなのか、背中を押す応援の声と胸を刺すプレッシャーを全部受け止めて自分のレーンに立って前を見つめるその表情から、ひしひしと伝わってくる。
“本当にすごいところで戦ってるんだな・・・
“『大神一本ッ!』”
『オンユアマークス』
スタートラインの横に立つ審判員が位置に着くよう合図を送り、赤間は他の走者と同じように自分のレーンのスタート位置に立ち、スターティングブロックに両足をつけてクラウチングスタートの姿勢を取る。
『セット』
“セット”の声と共にスタートの姿勢をとって静止して、号砲の音に意識を傾けながらスタートダッシュに集中する。この一瞬で良くも悪くも流れが決まる、見ているこっちもつい張り詰めるほどの緊張の一瞬。高1の途中までバドミントンをかじっていたからそう思うだけかもしれないけど、どんなスポーツでも“始まる瞬間”と“決める瞬間”が一番緊張する。
“・・・頑張れ”
だからこそ、観客は一層その緊張を一身に受ける選手のことを応援したくなる。
“『ファーストゲーム、ラブオール、プレイ』”
パンッ_
両方の緊張が最大限になったところで号砲が鳴り、レーンで姿勢を作り並んだ走者は一斉にスタートを切る。
「よしっ、もう予選は大丈夫」
スタートを切った赤間が3歩目を踏み込んだ瞬間、黒崎は静かに確信づいた。幾らなんでも早すぎだろうとほんの一瞬だけ思ったけれど、そんな俺の心配を完璧なスタートであっという間に蹴散らした赤間は平然とスタートダッシュを決めるとそのまま颯爽と周囲の走者を突き放していき、まるで文字通りの“風を切る”かのような軽やかな走りでそのままゴールラインまで駆け抜け、最後は流しながら余裕の1着でゴールした。
「・・・すごい」
赤間がゴールした直後、真ん中で見届けていた野矢から思わず声が漏れる。そもそも黒崎からは去年はインターハイ出場の一歩手前まで行ったと聞いていたから赤間がどれほど短距離の陸上選手として凄いのかは知っていたつもりだったけど、いざ生でそれを目撃すると言葉を失うほどの衝撃を覚える。
「そりゃあ・・・こんなに速く走れたら楽しくてしょうがないよな・・・」
100メートルを1着で走り終えて、息も切らさず何食わぬ様子で自分が走ったトラックを振り返る赤間を見て、ようやく言葉が出てきた。去年のインターハイ予選となる関東大会で7位になった赤間にとっては、ひょっとしたら支部大会はただの“通過点”に過ぎないのかもしれない。見ているだけでそう感じてしまうくらい、初めて見る一匹狼の“本気の走り”は凄まじかった。
「だから言ったじゃん。衛士はちょっとやそっとの“フラグ”を立てたぐらいじゃ負けないって」
“3年1組の一匹狼”の走りに茫然と驚く俺と野矢に、“親友”がどれだけ頑張ってきたのかを知る黒崎は誇らしげな表情を浮かべて語りかける。
「言っとくけどこんなもんじゃないよ?衛士の走りは」
第〇〇回東京都高等学校陸上競技選手権大会第2・3支部予選会_男子第3支部100M予選_桜咲高校陸上部よりエントリーした3名の成績は以下の通り_
予選第1組:赤間衛士(3年):10秒65(1着)風-1.1
予選第5組:原田雄磨(3年):10秒82(1着)風-0.4
予選第8組:
以上3名、男子第3支部100M決勝進出_
※この作品では実在する大会を取り上げていますが、あくまでフィクションですので大会名を一部伏せております。
9/2追記:一部ストーリーの内容を変更しました。