「おはようございます。貴臣さん」
家を出て徒歩15分ほどの場所にある最寄り駅の駅前に着くと、手持ちのバッグを持つ私服姿の海崎さんが笑顔を浮かべて俺のことを待っていた。
「すいません。“こんなこと”でわざわざ海崎さんを呼んでしまって」
「いえいえ。これもまたリライフの一環ですから」
集合場所の駅前に着き、先ずは個人的な外出のためだけに呼び出す形になってしまったことを海崎さんに詫びる。昨日に話した俺からのお願いを二つ返事で了承してくれたとはいえ、いざ会ってみると少しばかり罪悪感がある。
前日_
「リライフを始める前に・・・1つだけ海崎さんにお願いしたいことがあります」
『・・・はい』
リライフの被験者になる前に、俺にはどうしてもやっておきたいことがあった。
「・・・明日・・・予定が空いていれば俺と一緒に外出してくれませんか?」
まぁ、傍から見れば全然大した話じゃないかもしれない。というか、本当に大した理由じゃない。
『明日ですか・・・ちょっとお待ちください』
電話の向こうの海崎さんは突然来た被験者からの最初の要望に電話の向こうでスケジュールを確認していたのか、時間にして10秒ほど俺は返答を待った。
『OKです』
「本当ですか・・・言い出した側がこんなこと言うのもアレですがすいません」
『全然大丈夫ですよ。むしろ思い切って“友達”と外出するのは最高じゃないですか?』
「あぁ、そうですか(“友達”って・・・)」
勝手に数時間前に知り合ったばかりの人間から友達認定されてしまったことはともかく、海崎さんはこんな“ヒキニートがただ外出するだけ”というどうしようもない要件を快く引き受けてくれた。
『それで、場所はどうしますか?』
「場所・・・・・・そういや考えてなかったな・・・」
ただ1つだけ失敗したのは、外出したはいいもののどこに行くかを一切考えていなかったことだ。俺としたことが、初歩的なミス。
『・・・そうだ・・・せっかくですのでそれぞれの思い入れのある場所に行くっていうのはどうですか?』
何秒かの沈黙が流れた末、海崎さんは俺に外出するきっかけを与えてきた。
「思い入れのある場所ですか・・・」
『はい・・・あぁ別に特にないという場合は適当に近くの公園とかでも大丈夫ですので』
「いや、それはそれでどうかとは思うんですけど・・・」
ただ流石に“いきなりそんなことを言われても”と言うのが、正直な気持ちだ。思い入れのある場所・・・と言っても、母さんが家を出て行ってからは家族旅行どころか家族で外食に出掛けたことすらなかった。というか、それどころじゃなかった。
“・・・まぁ・・・思い出が全くない訳じゃないけれど・・・”
『・・・でしたら、実は個人的にちょうど明日行こうと決めている場所があるので、まずはそこでよろしければ』
またしても何秒かの沈黙が流れて、海崎さんは再び言葉をかけた。
「決めている場所って・・・その場所は?」
『スイマセン。それは明日の“お楽しみ”ということで』
だが海崎さんは明日どこへ行くのか、肝心の答えを濁らせた。嫌な予感はしなかったけど、何となく年上に弄ばれているような気分が少しだけした。
「・・・やっぱりそうやって俺のことを実験台としてどこかの研究機関に飛ばす気じゃ?」
『いやいや、断じてそれはないですよ。ホントに(ここまで来て契約切られるのだけは勘弁だぞオイ・・・)』
「冗談ですよ、海崎さん」
だからほんの少しだけ揺さぶってみたら海崎さんが落ち着いた口調のまま取り乱して、自分勝手に安心した。反応を聞く限り、この人は嘘をつかないだろうという確信が持てた。
「じゃあ明日は・・・お互いの行きたい場所でお願いします」
「どうですか?2年半ぶりに肌で感じる外の景色は?」
駅前で頭上に広がる快晴の空を見上げる俺に、隣に立って同じように空を見上げる海崎さんが話しかける。
「・・・正直久しぶりに外に出でいきなり快晴っていうのは、ヒキニートの身体には少し眩しすぎますね」
2年半ぶりに感じた、外の空気と太陽の光。言うもでもなく引きこもりの身体には少し堪えるくらいには眩しかった。引きこもり生活をあれだけ長期間続けていれば、考えなくても身に染みて理解できる。
「確かに2年半もあんな暗い部屋で生活していたら、この空は眩しすぎるかもしれませんね?」
「一応風呂とかトイレに行くときはちゃんと照明のある部屋に出て生活してましたけどね?」
そんな生活をしていた俺のことを、海崎さんはわざとらしく茶化す。突然“友達”としてタカ呼ばわりしながら会ったことすらない人の部屋に入ってくるような真似を平然としたり、時折この人は“S”のような一面を見せてくる。だからと言って気を遣われるのはそれはそれで苦手だから、逆にこれぐらいラフに接してくれたほうが寧ろ話しやすいってところもある。
“『貴臣さんのことはサポート課の人間として責任を持って徹底的に調べてあげていますのでご心配なく』”
いや、俺が人から気を遣われるのが苦手なところもリサーチ済みだから海崎さんは敢えて“友達”に近いラフな感じで俺と接している・・・のかもしれない。どうやって俺のことを調べ上げたのかは怪しすぎるけど。
「でも、家の中の光と自然の光は全然違うんじゃないですか?」
ただそういうところを踏まえても、海崎さんが信用してもいい人だっていうのは変わらない。
「当たり前ですよ」
だから俺はこうして、虚勢を張らずに心を開いて話すことができる。
「ずっと引き篭もってた身体には少しだけ刺激はありますけど・・・やっぱり青い空は何度見ても綺麗ですね・・・」
「・・・そうですね・・・こうやってちゃんと見上げてみると本当に綺麗だ・・・」
再び空に視線を向けた俺に、横から同じく空を見上げた海崎さんが声を掛ける。周りを見渡せば駅前のビルや商店街の入り口が立ち並んでいて、特別に見通しが良い訳じゃないごく普通の空。
「・・・にしても青空がこんなに綺麗だったなんて・・・知らなかった・・・」
そんないつものように見上げていたはずの空が、今日はひどく綺麗に見える。
“・・・って、こんな風にまじまじと空を見上げてる暇なんてなかったよな、あの頃の俺は・・・”
2年半ぶりに外に出て太陽を浴びたことで気が付いた。いつの間にか俺は雨が降るか降らないかぐらいでしか天気を見なくなっていたこと。まだカズが小さくて家に母さんがいた頃は毎日のように空を眺めていたはずが、母さんが家を出た日を境に空の色を気にする時間は日を追うごとに減っていった。大学を卒業して社会人になってからは、空を見上げて見入った回数は片手で数えられるくらいしかない・・・
“すげぇな・・・空”
その中の1回は、俺が前の会社で働いていた最後の日。取引先の会社から出た時にオフィスビルが立ち並ぶビル街を覆い尽くすように広がっていた真っ赤な夕焼け空を思わず眺めて、“こんな風に空を見上げたのはいつぶりだろう・・・?”と一瞬だけ現実の苦しさを忘れて空に見入っていたことはうっすらと覚えている。
そしてあの夕焼け空を見て親友に全てを打ち明けようと帰り際に呼び出して・・・・・・いや、そこから先のことを考えるのは今はやめよう。
とにかく色々あって、あの日に見た真っ赤な空はあまり思い出したくない光景として記憶の奥底に残っている。
「とりあえず適当なタイミングで行きますか、貴臣さん?」
「・・・はい。いつまでもこんなところで空を見上げてるわけにもいかないんで」
思わず我を忘れて空を見上げていた横から海崎さんの声が聞こえ、それを合図に俺は海崎さんと共に今日の目的地へと向かうため改札の方へと歩みを進めた。
「・・・さん・・・・・・貴臣さん」
「・・・・・・?」
隣から聞こえた海崎さんの声で、俺は目を覚ました。どうやら俺は、いつの間にか電車の中で居眠りしていたらしい。ちょっとウトウトし始めた次の瞬間には隣に座る海崎さんに起こされたから、恐らく夢を見ることなく爆睡していたのだろう。
「もうすぐですよ」
「・・・・・・すいません。完全に落ちてました」
そういえば会社への通勤で電車を使っていたときも、仕事終わりには毎回こんな感じで座っていようが場所が無くて立っていようがこうやって落ちていた。仕事でクタクタになった身体で寝落ちするのはともかく、2年半もグータラしていたようなやつがヒキニートの外出のためだけに付き合ってくれている人の横で爆睡をかますなんて、良いご身分にも程があるって言われても何も文句を言えない。
「実は俺、電車とかバスに乗ると眠くなるもんで」
「大丈夫です、さっきまで僕も思いっきり寝落ちしてました」
「あぁ、そうですか」
ともかく不幸中の幸い・・・かは分からないが、海崎さんも寝落ちしていたらしい。
「ほんと電車とかバスってただ座ってるだけ眠くなるんですよね。何なんですかねアレ?」
続けて海崎さんは、どうして電車の中にいると眠くなりやすいのかという理由を聞いてきた。聞き方からして明らかに理解出来ていないが当然これは七不思議的な現象でも何でもなくて、ちゃんとした理由がある。
「これについてはちゃんとした理由があって、科学的に言えば平衡感覚と1/fゆらぎと車内の温度が上手く組み合うことで眠くなる環境が揃って、それらの要因が合わさりやすいのが電車やバスという環境だと言われてますね。例えば電車やバスは単調でゆったりとした揺れが続いていくわけだから、それで
「すいません、もう大丈夫です。取りあえず電車とバスは眠くなりやすいってことは理解したんで(初っ端から言ってること全然わかんねぇよ・・・)」
「期末テストで一夜漬けしてた山を盛大に外して開き直っちゃった人みたいな顔で言わないでください(もしかして海崎さんって意外とバカなのか?)」
理由はあるけど、話を遮り全てを投げ出した表情で理解したという海崎さんの頭が実はそんなによろしくないことが分かったので先を言うのは諦めた。
“・・・よく考えたら今の俺も一周回ってバカだよなこれ・・・”
っていうか、傍から見れば知っている知識を大っぴらに話している俺もある意味で相当な馬鹿だ。
「・・・さすが・・・弟の和臣さんと同じく超が付くほど頭が良いですね」
そんな進学校を優秀な成績で卒業しただけのヒキニートを、海崎さんは微笑ましく見つめながらやや大袈裟に褒める。恐らく俺のことを調べるにあたりカズのことも徹底的に調べ上げていることは割と容易に想像できるから、もうこの点に関してはツッコまないことにした。
「・・・・・・今のは良い意味ってことですか?」
「ハイ」
「・・・それはどうもです」
いっそのこと思い切ってこの体たらくを馬鹿にして欲しかったが、即答で向けられた視線と表情に曇りが全くなかったから、逆に調子が狂った。
「・・・別に頭が良いからって・・・それで周りより良い人生が送れるなんてあり得ない話ですよ・・・」
“『いいですね(^-^) イケメン高学歴はなんの苦労もせずに人生うまくいって』”
「・・・だったら俺がどうしようもないくらいの大バカで不細工だったら・・・・・・“お前ら”はそれで満足だったのかよ・・・」
「・・・・・・貴臣さん?」
「・・・あ」
心の中で留めていたはずの憤りの言葉が思いっきり口から出ていた。ふとしたことがトリガーとなって襲い掛かってくる、制御不能の感情。
「・・・すいません。今のは気にしないで下さい。もう落ち着いたんで」
元はと言えば家族を優先し過ぎたあまり同期との付き合いを蔑ろにした俺の自業自得だ。自分のことをイケメンだとか天才だと思ったことは一度もないけれど、周りには人生の何もかもが上手く行っているイケメン高学歴のエリートに見えていたのだろうか。だけど、仮にそう見えていたとしても、そうやって他人のことを妬む暇があるなら自分を磨く努力をしろよと思ってしまう。だが、俺の周りにいたかつての同僚たちは、そんな正攻法なんて誰一人として使ってくれなかった。
自分で蒔いた種で社会からドロップアウトしてしまった俺にそれを言う資格なんてないと言われてしまえば、それまでだ。でも、少しぐらいの愚痴を溢すぐらいは大目に見て欲しいと思ってしまう脆弱なこの俺を、神様はどう見ているのだろうか。
「さて、駅に着いたら直行で行きますよ。目的地」
「本当に全然気にしないんですね海崎さん?」
「だって気にするなと言ったじゃないですか?」
「海崎さんって割とSなんですね?」
「そんなことないですよ(上には上がいるからな~)」
と、勝手に愚痴って勝手に落ち込む俺を文字通り全く気にしない素振りで海崎さんは席を立つ。ほんの少しで良いから気にしろよと思う反面、こんな風に堂々とスルーされると自分の悩みなんて本当にちっぽけなんだと錯覚して、一周回って心地よくすら感じる。
もしも海崎さんのようにもっと自分らしくラフになって人と向き合うことが出来ていたなら、俺の人生はここまでハードにはならなかった・・・のかもしれない。
「でもありがとうございます。おかげで吐き出せました」
「・・・それは何よりです」
こうして各駅停車に揺られること約30分。海崎さんが行こうと決めていた場所の最寄り駅に着いた。
「ここですか・・・海崎さんの“行きたかった場所”って?」
「そうです。今日はお彼岸ですから」
駅の改札を出て歩くこと5分。駅からほど近いところにある霊園に着いた。ちなみに今日の交通費やその他諸々の出費は海崎さん曰く全て経費で落ちるという。やはり怪しさは拭えないが、ここは“福利厚生がしっかりしている”ということにしてオブラートに包んでおこう。
「・・・もしかしてその缶コーヒーは“お供え物”ですか?」
霊園の入り口を前に、道中にある土産屋に鎮座する自販機で買った缶コーヒーを片手に持つ海崎さんに声を掛けると、温かい缶コーヒーを持つ海崎さんの右手が一瞬だけ力んだ。
「よく分かりましたね。やっぱり貴臣さんの洞察力はすげぇや」
「お墓参りにいく途中で自販機で飲み物を買ってそれを飲むでもなく飲食禁止の敷地内に入った時点ですぐに予想できますよ」
「えっ?そうですか?」
「何ならまあまあ頭の良い小学生でもこれぐらいは察せると思います」
「それは言い過ぎなんじゃ・・・」
それを見た俺は咄嗟に空気が暗くなり過ぎないようにわざと思っていることを誇張して海崎さんに伝える。ただ正直言って海崎さんのことをここまで酷くは思っていないが、半分ぐらいは本音だ。当然、絶対に口にはしない。
「さすがに言い過ぎましたね。でもこれぐらいのことは俺にとっては洞察力もクソもないですよ」
「あはは、まぁ優秀な貴臣さんにかかればそうですよね~」
「ホントにそう思ってます海崎さん?」
缶コーヒーを握る右手の力が緩んだのを斜め後ろから目視で確認して、俺はひっそりと安堵する。
「・・・・・・貴臣さんは本当に優しいですね」
「・・・何がですか?」
やり方は褒めたものじゃないけれどこれで気が楽になっただろうと油断した俺に、斜め前を歩く海崎さんは前を向いたまま話しかけた。
「・・・本当は気遣ってくれているんですよね?墓参りに来ている僕のこと?」
「・・・・・・こういうところも調査済みってことですね?」
「ハイ、サポート課なんで」
「そんな爽やかに振り向かれても返って怪しさと怖さが倍増するだけなんでやめた方がいいかと」
いかにもわざとらしい爽やかさで振り向く海崎さんは置いておいて、やっぱり俺のそういうところも海崎さんは調べ上げていた。どうやって俺のこと調べたのかは謎だが、きっと俺がどういう経緯で会社を辞めたのかもこと細かく知っていることだろう。
という感じで物騒以外の何物でもない状況を何だかんだで受け入れてしまっている今の自分は、俯瞰して見ればどうしようもないくらいの大馬鹿だ。まぁ、そうせざるを得ないところまで追い詰められている現状が全てだけれど・・・
「・・・そりゃあ気ぐらい遣いますよ。俺が“お供え物ですか”って聞いたときに、一瞬ですけど海崎さんの右手に力が入ったのを見てしまったら・・・」
まだカズが生まれる前で俺が5歳のとき、親父と母さんが大喧嘩をして母さんが1週間ほど家出したことがあった。結局母さんは1週間したら何食わぬ顔で家に帰ってきて、その日のうちに仲直りして次の日には何事もなかったかのように俺たち家族は普通に暮らしていた。
だけど母さんが家にいなかった1週間は果てしないほど長く、子供心でも一目で分かるぐらいに落ち込む親父を毎日見ているのは本当に辛かった。こんなことが二度と起きませんようにと、これまでに何度も神様に願った。でも俺の祈りは虚しく、母さんは俺たちを捨て別の誰かと家を出て、そのまま帰ってこなかった。
とにかく怖かった。また“あの1週間”に家族が逆戻りしてしまうのが、ただただ怖かった。だから俺は家族のために働き、家族のために笑った。どんなに自分が苦しくても、どんなに周りの奴らが俺を馬鹿にして中傷しようと、家族の前ではヒビの入った心を誤魔化してずっと“ムードメーカー”を演じ続けた。
そしてあの日、俺の心は完全にぶっ壊れた・・・・・・
「・・・・・・やっぱりバレてました?」
「はい。結構分かりやすかったです」
「あはは」
こうやって笑いながら余裕ぶった態度を見せる海崎さんにも、思わず自責の念に駆られてしまうほどの過去があるのかもしれない。
「はぁ・・・こんなところを見られたら・・・また先輩から“しっかりしろ”って怒られるだろうな・・・」
そんな海崎さんが自虐的に呟いた独り言に、言葉だけでは説明出来そうにない“何か”を感じた。
「あの・・・・・・先輩って?」
先輩が誰なのかを聞いた俺の斜め前を歩く足が止まり、前を向いていた視線が霊園の一角に立つ墓石に移った。
「・・・僕がまだ学生だった時に色々と世話になっていた
缶コーヒーを片手に寂しそうな笑みを浮かべる海崎さんの視線の先には、“佐伯家之墓”と刻まれた墓石が立っていた。