“『では、先ずは今日の体験入部に参加する一年生の自己紹介から始めてもらいます』”
親父の転勤がきっかけで小学校を卒業するのと同時に地元を離れた俺は、都内の中学校に入学した。もちろん小2で始めた短距離走をずっと続けていた俺は、中学に上がっても短距離を続けることを最初から決めていた。
“『甲府から来ました、赤間衛士です。陸上は小2から地元の陸上クラブでずっとやっていて、種目は短距離です。よろしくお願いします』”
パチパチパチ_
こうして通学先になった中学の陸上部は、全中に出場した実績はあるもののそれはもう過去の話で、俺が進学した頃は弱小とまでは言わないもののここ10年は都大会止まりのいわゆる“古豪”だった。レベルで例えると小6まで所属していた地元の陸上クラブとレベル的には少しだけ上の程度といった感じで、少なくとも今は全国大会を目指すことを目標にしてガツガツと練習に明け暮れるような強豪ではないと前評判では聞いていた。
“まあ、どんなもんかは何日か練習に参加すれば分かるか・・・”
前までいた陸上クラブで一番足が速く、市の大会で優勝もした俺からすれば本音を言うともっと強豪として名が知られている学校や勢いのある学校の陸上部に入りたかったという野心も片隅にはあったが、小6にして自分より速い奴なんて幾らでもいるということを最初で最後に出場した県大会で思い知った俺は、とりあえずここにいる連中の中で1番になれればそれでいいとも思っていた。今思うとあのときの俺は敵わない才能を目の当たりにしたことで挫折を味わい、はっきり言って冷めていた。だからと言って陸上を止めてしまうと何の取り柄もなくなってしまう自分が嫌で、どうにかそんな中途半端な自分が陸上を続ける理由を探していた・・・と言えたらいいが、要するに“自分は1番じゃない”という向き合うべき現実から逃げていた。
“『・・・おい、あの1年って』”
“『豊藤中に入学するって噂で聞いてたけど、マジだったのかよ』”
“『ヤバくね?確かあの1年、去年の日清カップで優勝してんだぜ』”
そんな惰性のような中途半端な覚悟と気持ちで陸上を続ける理由を探していた12の俺の前に現れたのが、ずっと俺が先にゴールラインを切ることを目標に背中を追い続けている、“あいつ”だった。
“『
「衛士先輩。まもなく
この後に控えている100Mの決勝に向けて競技場の隣にある補助競技場のサブトラックでちょうど最後の100M流しを終えたところで、同じく決勝に向けてアップを行っていた2年の下山門がもうすぐ決勝前の
「おう」
高校の入学祝いで買ったランニングウォッチのモードをストップウォッチから時計に変えると、時刻は招集の5分前を指していた。もちろん俺の体内時計は基本的には正確で、大会当日はいつも5分前までこうしてアップをするのはいつものことだ。
「雄磨はどうした?」
「雄磨先輩なら10分前くらいに本競技場に戻りました」
「・・・あぁ、そういや“先に戻ってるから適当に終わらせとけよ”って言ってたなあいつ」
そういえばいつの間にか同じ決勝に出る雄磨がいなくなっていることに気付いて下山門に聞いてみたら、とっくに本競技場のほうに戻っていたことを思い出す。本当にあいつは1年のときからそうだが、ウォームアップひとつでも念入りにやる俺とは違い大抵5~6割ぐらいの力ですっとアップを始めたかと思ったらそのまま軽い足取りでジョグや流しに入ったりしているような、良くも悪くもマイペースなやつだ。こんなふうに雄磨と俺は、陸上への“熱の入れ方”が違う。
「衛士!
「言われなくても分かってるわ!」
「by!
「コーチには“今すぐ行きます”って伝えておけ!」
と噂をすれば張本人の雄磨が、わざわざサブトラックにまで戻って
「ったく、俺の心配する暇あんなら自分の心配しろやド阿呆」
もちろん予選や決勝に向けたアップの前に必ず設けられている
「前から思ってるんですけど・・・衛士先輩と雄磨先輩って、割と“両極端”ですよね?」
サブトラックから歩いて約2分の位置にある招集所に向かう俺の隣を同じ歩幅で歩く下山門が、何気ない様子で素朴な疑問をぶつける感覚で俺と雄磨のことを唐突に聞いてきた。
「割とどころじゃねぇよ。練習の取り組み方のひとつを取っても
「確かにそうですね。正直この陸上部に入ったばかりのときにそれぞれの練習に付き合わせて貰ったときは、キャプテンとエースであまりにギャップがあってビックリしましたよ」
「だろうな。つっても人に教えるのは
「そんなことないですよ。衛士先輩も衛士先輩でアドバイスやフィードバックはいつも的確ですし、実際僕は衛士先輩から言われたことをやってタイムもかなり上がりました・・・現にこの間の春季大会で10秒台を出せたのも、衛士先輩のおかげだと僕は思ってます」
さっきの続きになるのだが、雄磨と俺は陸上への“熱の入れ方”が違う。これを言葉にするのは中々難しく、どっちも陸上に対して自分が速くなるために本気で取り組んでいるのは変わらない。ただ明確に違うところがあるとするなら俺はその熱を“自分が速く走る”ためだけに使っていて、あいつはその熱を“走ることを楽しむ”ために使うことができる器用さがある。
「・・・そうか。お前は優しいな」
「・・・別に、僕はただ本当のことを言ってるだけです」
もちろんこの2人のどっちがキャプテンに向いているかは、話し合う前の段階からして明白だ。別に羨ましいとかいう嫉妬じみた感情なんざ1ミリもないが、“素質”という意味では俺は雄磨のほうがスプリンターの才能があると思っている。
「桜高陸上部のキャプテンとエースが雄磨先輩と衛士先輩の2人で本当に良かった・・・・・・少なくとも僕は2人がトップに選ばれたときからずっと思い続けてます」
もし雄磨が俺と同じ価値観で同じ競技に取り組んでいたら、俺からエースの座を奪っていたかもしれないくらいには。
“『自分の“モットー”を変えてまで衛士を超えようだなんて思わないよ。だって俺、楽しく走りたいから陸上やってるし』”
「・・・下山門。ひとつ聞いていいか?」
「はい。何でしょう?」
こんな一匹狼のことを尊敬している後輩の一言で2年の秋に出た競技会の前日練習で雄磨から言われた言葉が頭をよぎった俺は、朝一番に行われた110MHで早々1位になった“次期エース”の渡瀬と共に“次期キャプテン”と部内で言われ始めている下山門にふとあることを聞いてみた。
「お前は誰を目標にして走っている?」
“『どうしたら衛士先輩や雄磨先輩のように、速く走れますか?』”
「そんなの決まってますよ。僕の目標は、
返ってきた答えは、一字一句と言ってもいいほどに予想通りのものだった。どこか無愛想な声色に反してどこまでも憧れに一途なこいつの目標は、入部した頃から一貫して何も変わらない。ちなみに雄磨曰くこいつは“社交性がある
「・・・そうか」
それでも俺が匡を目標にして短距離を続けているように、晴一さんからスカウトされる形で桜咲に入ってから俺と雄磨を目標に馬鹿が付くほど真面目に短距離に取り組み続けている下山門は、同じ経緯で桜咲に進学したと言う意味を差し引いても俺と“同類”だ。
“『最近、陸上が全然楽しくないんですよ・・・走れば走るほど、追いかけてる背中がどんどんと遠ざかっているような気がして・・・』”
だからこそ心意気が分かる俺は、そんなこいつに俺たち3年が抜けた後の桜高陸上部の次の1年を託すと決めている。はっきり言って周りに気を配る雄磨とは違いただ好きに振舞わせて貰っているだけの1ミリも人から憧れられるような
「下山門・・・・・・目標と“憧れ”を見誤るなよ」
「・・・もちろんですよ。目標は“超える”ためにありますから」
そこら辺の一学年上の
「えっ!?・・・これが俺?」
「はい。上手く描けたかは大神先輩の判断に委ねますが・・・」
他の種目を観戦しながら途中で互いが持ってきたお昼を食べたりして赤間を含めた桜咲のエントリーメンバー全員が出場を決めた100M走の決勝を待つ合間、野矢は黒崎が撮った写真を模写した“俺”を描いたイラストを見せてくれた。
「いや・・・もうプロでしょこれ」
トートバッグから取り出した白いA4用紙に写る、鉛筆だけで描かれた学校の中庭にある木の下で本を読んでいる俺。風が吹いて僅かになびいている髪やゆらゆらとした木の幹のラインを見事に再現する背景のきめ細やかさに、黒一色だけで描かれているとは思えないほど色彩を感じるコントラストの繊細さからくる独特の儚さ。写真をそのまま写したようなリアルさというより、良い意味で全体的に美化された漫画的な表現のリアルさを感じる美術作品のような一枚。人並み程度しか美術や漫画に触れてこなかった俺みたいな素人の目でも、目に飛び込んだその瞬間から“綺麗”と本能で感じてしまうほど高校生離れしたこの子の画力。ていうか、ここまで上手く描けるともやはプロだと俺は思う。
「どうよ。我が漫研が誇る期待の新入部員の画力は?」
お世辞抜きで“もはやプロだ”と野矢のイラストを見て呟いた俺に、部長の黒崎は自慢げに笑う。そりゃあこれだけ上手く絵が描ける子が部員で入ったら、自慢のひとつやふたつぐらいはしたくなるって話だ。学校の中庭でこいつが“絵がめちゃくちゃ上手い”と言っていたときは楽しみに思いつつも敢えて期待し過ぎないようにしていたけれど、その心配は全くの杞憂で正直に期待に胸を膨らませていても余裕で超えてくるほど、野矢の絵は上手い。恐らくこれは、数年程度で辿り着けるようなレベルじゃないと思う。
「本当に綺麗な絵です・・・野矢さん」
そんな高校生離れというか普通にプロの漫画家が描いているような絵と遜色ないくらいに綺麗に描かれた自分を見ていると野矢のことが“野矢先生”のように思えてきて、不思議と感想が敬語になってしまった。本当にそれぐらい、この子のイラストにはただ技術的に優れているだけじゃない引き込まれる“何か”があると、素人なりに俺は感じた。
「あ・・・ありがとうございます」
敬語で感想を言った俺に、隣に座る野矢は気恥ずかしそうに謙遜して頭を下げる。俺としたことが、9つ下の子に変な気を遣わせてしまった。
「なんで貴臣くん敬語だしw」
「何かわかんないけど、野矢さんの絵が上手すぎて自然と敬語になってた」
「あははっ、何それ」
お互いに謙遜し合ってそれぞれが斜めのほうへ視線を向ける光景が微笑ましく思えたのか、黒崎が敬語で感想を言った俺を案の定茶化す。当然今回ばかりは、何にも反論ができない。
「でもカッコイイでしょ?ノヤジュンが描いた貴臣くんって?」
「うん。“野矢さんが描いた”俺はね」
「ほんとは自分も満更でもないって思ってるくせに」
「別に思ってない」
別に俺は自分のことをカッコイイだなんて思ったことは一度たりともないけれど、野矢の描いたイラストに写る俺の姿は、自分で言うのもアレだけど普通にカッコいい。誤解がないようにもう一度言うと、だからと言って自分もそうかと言われたら全くそんなことはない。
「にしても、野矢さんはいつから絵を描くようになったの?」
これ以上はイラストに写る幾分か美化された自分の話題が続いても地獄なだけだから、さっさと頭の片隅で気になっていたことに話題を逸らす。
「お絵描きレベルですけど絵は幼稚園に通ってたときからよく描いてました」
「へぇ~、小さいときから絵を描くのが好きだったんだ?」
「はい。絵を描いてるあいだは何というかどんなに嫌なことがあっても全部忘れられる感じで・・・とにかく夢中になれたんです」
「そっか。確かに野矢さんの描いたイラストを見てると、これだけ絵を上手く描けたら本当に楽しいんだろうなって俺は思うよ」
いったいどれだけの時間を掛けたらこんな絵を描けるようになるのか聞いてみたら、どうやらこの子は幼稚園に通っていた頃には絵を描くことに目覚めていたらしい。単純計算で言うともう10年以上は絵を描き続けていることになる。
「上手いだなんて恐縮です・・・私はただ、物心がついた辺りからダラダラと描き続けているだけなので」
俺からの問いに、野矢は引き続いて謙遜したリアクションで遜る。当の本人はただダラダラと描いていると言っているけど、実際は全然そんなことはなくて本当は毎日のように絵を描き続けて来たんだろうなというのが、この子が描いた細部まで徹底的に描き込まれた独特の儚さがある一枚に込められている。この後に行われる100Mの決勝に出る赤間もそうだけど、1つのことにここまで純粋に熱中出来ることは本当に心の底から凄いことだなと俺は思う。
“・・・そういえば俺の“将来の夢”って・・・結局何だったっけ・・・”
「だけど・・・野矢さんは本当に絵を描くのが好きなんだっていうのが俺には伝わってくるよ。じゃなきゃ物心がついたときの趣味がこんなに長く続くことはないと思うし」
もちろん毎日のように絵を描いてきたのがわかるなんて余計なことを言うとまた気を遣わせてしまうし、もしかしたら本当にダラダラとマイペースに描いてただけでここまで描けるようになった本当の“天才肌”というパターンも無きにしも非ずなので、頭の中で浮かんだどっちつかずな返しを野矢に伝える。
「描いてくれて本当にありがとう。野矢さん」
それでも野矢さんの良さが詰まったイラストを前に、どうしても“ありがとう”っていう気持ちだけは伝えたかった。誰かのために心を込めて作ったものは、たとえ出来栄えがどうであれそこに“想い”があるだけで素直に嬉しいものだから。
「・・・あの・・・もし大神先輩がよろしければ、この絵を差し上げます」
お世辞でも何でもない純粋な気持ちを伝えると、野矢は少しばかり緊張した様子で俺を描いたイラストをクリアファイルに入れて差し出す。
「えっ、ほんとにいいの?」
「はい。ついでにそのクリアファイルも返さずそのまま使ってもらってもいいですよ。まだ家にストックがいくらかありますので」
「いやさすがにクリアファイルまで貰っちゃうのは野矢さんに悪いから、月曜日に返しに行くよ」
ここまで心を込めて描いてくれた絵を差し上げると言ってくれた手前でノーと言うほど、俺の心は腐ってなんかいない。それに幸いにも今日は普段から使っているリュック(※というかそれ以外のバッグ的なものがいま部屋にない)でここに来ているから、余裕で入る。
「ありがとう。絶対この絵は大事にする」
「はい・・・こちらこそありがとうございます」
改めてありがとうの気持ちを伝えながら描いてくれたイラストを受け取ると、野矢は気恥ずかしさで少しだけ照れながらも隣に座る俺の目を真っ直ぐに見つめて、座ったままお辞儀をした。“純”という名前の通りってわけじゃないけど、本当にこの子は自分の好きなことに対して何の先入観もなく好きなようにとことん取り組める純粋な心を持っているんだなと、俺は思った。
「ノヤジュンのイラストを貰えただけでも、あたしと写真を撮った甲斐があったでしょ?」
「そうだね。何か謎に悔しいけど」
「ちょっ、悔しいは酷くない“チャラ臣”くん!?」
「だから“チャラ臣”言うなっつの」
「チャラ・・・大神先輩ってチャラいんですか?」
「全然チャラくないから野矢さんは食いつかなくて大丈夫だよ(この子もこの子でどうして全部拾っちゃうかなぁ・・・)」
「あははっ、さっきから後輩に振り回されっぱなしじゃん貴臣くん」
「黒崎にだけは言われたくない」
それと同時に、この子や赤間の陸上に対する“純粋な思い”と、邪念に惑わされずに好きなことを頑張っている“みんな”のことを・・・・・・ほんのちょっとだけ“羨ましい”と思ってしまった。
『只今より、第〇〇回東京都高等学校陸上競技選手権大会第2・3支部予選会、男子第3支部100M決勝を行います_』
「お待たせ2人とも。決勝始まるよ」
そうこうしていたら約3時間という待機時間は思っていたよりもあっという間に過ぎて、第三支部の100M決勝の開始を告げるアナウンスが競技場に流れた。
本当は貴臣たちがお昼を食べてる場面とかも入れたかったのですが、掘り下げると展開が間延びして話のテンポが悪くなってしまうためやむを得ず割愛しました。ごめんなさい。