ヒキニート、高校生になる   作:ナカイユウ

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一匹狼、駆ける

 『只今より、第〇〇回東京都高等学校陸上競技選手権大会第2・3支部予選会、男子第3支部100M決勝を行います_』

 

 

 

 「・・・夜明さん。ひとつ聞いていいかな?」

 「はい、何ですか?」

 

 100M走の決勝の開始を告げるアナウンスが流れてタカたち3人がトラックのスタート地点のほうへ顔を向けたタイミングを図って、俺は昨日からずっと気になっていたことを夜明さんに聞いてみることにした。

 

 「日代さんから昨日聞いたんだけど、夜明さんって中学のときまで陸上やってたってマジ?」

 

 

 

 “『陸上と言われて思い出したのですが・・・私がまだリライフをしていたときに了から学生時代に陸上をやってたという話を聞いたことがあります』”

 “『えっ!?夜明さんって陸上やってたの!?』”

 “『はい。確か私の記憶が正しければ、中学まではやっていたと・・・』”

 

 

 

 「・・・人から自分の過去を掘り下げられるのって何だか恥ずかしいですね」

 「夜明さんだけはそれを言うな

 

 引っ越して約2週間が経ち良い感じに生活感が出てきた“新しい部屋”で、2人で作った夕飯を食べながらタカの話で盛り上がっていたときに日代さんの口から明かされた夜明さんの意外な過去。

 

 「しかし、まさか日代さんがそれを話してしまうとは」

 「まぁ本人に悪気はないから大目に見てやってくれたら助かるよ」

 「別に海崎君にバラされること自体は何とも思ってないですよ。むしろ相変わらず“仲が良さそう”で僕としては何よりです☆」

 「っ///・・・今それは関係ねぇだろ」

 「おや?耳が赤いけどどうしたのかな?

 「人をイジくる暇があるならNo.004の観察したらどうなんですかねえドS先輩?

 

 どの口が言うにも程がある返しと見事なまでの返り討ちを食らったことはともかく、それが図星だというのは苦笑いのリアクションですぐに察した。そしてこのドSが杏と“くっついた”暁には、とりあえずこれでもかってくらいネタにしてやろうと俺は心に誓った。

 

 「・・・種目まで言うと赤間くんと同じ短距離走になりますけど、日代さんの言う通り僕は中学まで陸上競技をやっていました。まぁ、弱小でしたけどね

 

 揶揄い甲斐のある後輩を弄って満足したのか、夜明さんは小さく溜息を吐いてやれやれと言いたげな表情で笑いながら日代さんから聞いたことが本当だということを俺に打ち明けてくれた。

 

 「正直驚きました?」

 「そりゃ驚くって。だって夜明さん、寝起きが悪いのと最初は情報課だったってこと以外で昔の話とか全然聞いたことないし・・・」

 

 俺からすればただでさえリライフ研究所に入る前の話を聞いたことがないせいで全てが新鮮に聞こえてしまうのだけど、夜明さんが陸上をやっていたという過去は本当に意外だったと思うのと同時に、妙にしっくりくるところがあった。体育の授業のとき、決して目立つわけじゃないけどそつなくどんなスポーツもこなしている夜明さんの姿を、俺は“クラスメイト”として見ていた。大人になって体育の授業を受けなくなって身体を動かす機会が減るからこそ分かる、10コ下の子たちに合わせて身体を動かすことの難しさ。もちろんリライフを通じて身体を動かす回数が増えればそれなりには運動神経は戻るかもしれないけれど、体育だけは元の運動神経がないととてもじゃないがついていけない。まあ、大神(弟)という例外もいたんだけど。

 

 「でも何かしらのスポーツをやってたっていうのは日代さんから聞いてちょっと納得したよ。思い返すと体育の授業のとき」

 「海崎君、大人数がいるところでこういう“込み入った”話はちょっと」

 「は?なん・・・・・・あぁそっか」

 

 なんて青葉のときの話をしようとしたら、夜明さんから笑顔で止められた。一瞬何でいきなり話を止めたのか理解出来なくて聞き返そうとして、すぐにその意味を俺は察した。本当にこの人はふざけたように振る舞いながらも仕事ぶりは如何なるときでも抜かりないから、新人の俺は見習うことばかりだ。

 

 「この話の続きは日代さんと小野屋を交えて後日やりましょう」

 

 危うく“機密事項”に近い内容の話を不特定多数の人が周りにいる場で口にしかけた俺を優しく注意した夜明さんは、さり気なくまたいつもの“4人”で集まろうと誘った。

 

 「ああ、いいね」

 

 もちろん俺の答えはひとつだ。ただ出来れば次は宅飲みではなく、堂々と居酒屋とかで夜明さんたちと飲みたいのが俺としての思いだ。

 

 「さて、雑談はここまでにして僕たちは仕事に戻りますよ。海崎君」

 「はい。先輩」

 「あ、海崎君が僕のことを“先輩”って言ってくれた」

 「・・・いちいち反応すんな」

 

 『決勝第1組、8名全員の出場です』

 

 こうして再び“大人組”がぼちぼちとサポート課の仕事に戻るタイミングを狙うかのように、選手入場を告げるコールが流れた。

 

 

 

 

 

 

 『1着、6レーン、下山門征弥君、桜咲高校。記録、10秒91』

 

 「マジかよ“自己新”出しやがった山Pのやつ!」

 「あぁ、そうだな」

 「いやリアクション薄くね?」

 「競技前はこんなもんだろ。雄磨(おまえ)のテンションがおかしいんだよ」

 

 指定されたゾーンで自分の出番を待ちながら軽いストレッチをする中、俺の隣で下山門の走りをしっかりと見届けていた雄磨があだ名交じりにご機嫌に話しかける。相変わらずこいつという奴は、競技前でもこの調子だからつい“ナメてんのか?”と言いたくなる。もう2年も経って諦めの境地に達したけれど。

 

 「けど3年の人もいるのに支部大会で暫定1位、しかも土壇場で自己ベストは普通にすごいことじゃね?」

 「別に普通だろ。確実に勝つためにあいつは100M一本に絞って今日まで努力して来てんだ。俺からすりゃ当然の結果だ」

 

 もちろん俺もストレッチがてらに意識は向けていたから分かるが、どうやら下山門はそれまでの自己ベストだった10秒97を0コンマ6上回るタイムを出したみたいだ。だが下山門はそれだけ速く走るために秋から100Mに照準を絞って賭けてきたから、俺にとっては特に驚きはない。

 

 「(・・・10秒91か・・・)」

 

 そういえば俺が去年この大会で記録した100Mのタイムも10秒91だったことを思い出した。もう去年のことだから“参考記録”になるが、下山門(あいつ)は俺に追いついたということになるのか。この調子だと10秒8台を出すのも、時間の問題か。

 

 「だったら衛士も負けてられないな?」

 

 何気に下山門が1年前の俺の記録に追いついたことを覚えているのかそうじゃないのか、雄磨は俺の顔を見て意味深な感じを装って笑う。少なくともこいつが言う負けてられない相手が匡じゃないことは、一瞬で分かった。

 

 「当たり前だろ。1年前の俺と“いまの俺”は違うからな」

 

 雄磨のそれが“確信犯”だと気付いた俺は、桜咲に来てから3年目を共にしているライバルに何一つ飾らない本音で返す。自分で言うのは癪だが、俺はこの1年で追い風が味方をしても10秒8台が限界だった100Mのタイムを無風でも10秒5台に届くくらいには縮めることができた。

 

 

 

 “『今の調子をキープ出来れば間違いなくインターハイには行ける。あとは衛士が目標をどこに定めるか次第で、先の結果は決まっていく。本番は“ここから”だからな』”

 

 

 

 100Mで10秒51(追い風0.6)という自己ベストを出した春季大会の後、コーチの荒木さんから言われた総括。確かに10秒5台ないし6台を安定して出せる今の状態なら、過信は禁物だがインターハイ“には”出られるだろう。だけど今のままでは、俺が高2の終わりで辿り着いた10秒5台の領域に高1で辿り着いていた“目標(ライバル)”の影すら踏めないまま終わってしまう。当然俺の目指している場所は最初で最後のインターハイに出ることだけじゃないから、現状に満足などしていない。

 

 「言っとくけど1年前とは違うのは、俺も同じだぜ?

 

 俺からの本音の言葉に、雄磨もまた本音で返して笑いかける。そんなもの、言われなくても分かっている。

 

 『決勝第2組、8名全員の出場です』

 

 「じゃ、ひとっ走りしてくるわ」

 

 そして第2組のコールが始まり、雄磨はいつもの練習メニューをこなすときと同じようなサラッとしたテンションで自分のナンバーブロックへと歩いていく。新人大会で初めてそれを目の当たりにしたときは本気で“ナメてんのか”と腹が立ち競技が終わった後に雄磨へ詰め寄って問いただした日のことが、軽く懐かしい。

 

 

 

 

 

 

 “『君、豊藤中の赤間衛士くんでしょ?』”

 

 雄磨と初めて話したのは、スポーツ推薦での入学が決まって初めてこの学校の陸上部に“体験入部”として顔を出した日の休憩時間。

 

 “『俺は原田雄磨。中学のときに赤間くんの走りを大会で何度も見て、君は覚えてないかもだけど同じトラックで一緒に走ってその走りに憧れてずっと目標にしてきた・・・まさか赤間くんも桜咲に進んでたのは予想外だったけど』”

 

 俺と同じく推薦で合格した雄磨は、開口一番にこう言って自己紹介をしてきた。正直、何で“2番手”の俺を目標にしていると言ってきたのか、意味が分からなかった。

 

 “『豊藤を目標にしてんなら俺じゃなくて戸畑だろ?それともあれか?“2番手”の俺だったら勝てそうとでも思ってんのか?』”

 

 はっきり言って“匡は雲の上の存在で目標にするにはあまりに遠すぎるから妥協で俺のことを目標にしている”ように聞こえて、心底腹が立った。

 

 “『いや違う違う、そんなくだらない理由じゃないよ』”

 

 とにかく自分を見下す目障りな存在を突き放す勢いで遠ざけようとしていた俺に、雄磨は臆せず優し気な笑顔のままその理由を明かした。

 

 “『確かに豊藤中には戸畑匡っていうとんでもなく速い“怪物”がいるのは俺だって知ってる。でも赤間くんはそんな絶対的なエースがいても勝てないなんて思わないで本気で1番になるために全力で走ってる・・・その走りを見て、同じトラックで走ってそう感じたから、俺はそんな赤間くんを目標にしようって思った・・・こう見えて俺、好きな言葉は“下克上”だからさ』”

 “『いや知らねぇよ』”

 

 それを聞いた俺は“会ったことすらないのに何を分かったような口を叩いてんだこいつは”と半分呆れてしまったが、同時に容赦なく図星を突いてきた雄磨がどこか(あいつ)と重なって見えて、何とも言えない複雑な気持ちになった。

 

 “『4月からの3年間、俺なりに走り込んで君に追いつけるようにするから・・・一緒に戸畑くんに一矢報いてやろうぜ』”

 

 だけどそれ以上に、何となくこいつと陸上をやっていくのは悪くはないんじゃないかとも、僅かばかりだが直感で思った。

 

 “『・・・お前みたいに馴れ馴れしい奴の言うことは一番信用出来ねぇ。鬱陶しいから話しかけんな』”

 

 とはいえ俺と雄磨が今のような関係になるのは、もう少し先の話になるのだが。

 

 

 

 

 

 

 『1着、5レーン、原田雄磨君、桜咲高校。記録、10秒72』

 

 決勝第2組の1着がコールされる。もう走る前からそんな予感はしていたが、やはり雄磨は言葉通りにサラッとひとっ走りする感じでスタートラインについて、そのままサラッと下山門の暫定1位の記録を塗り替えて1着でゴールした。何気に自己ベストに0コンマ1迫る好タイムを叩き出す“おまけ”つきで。

 

 「(ったく、こういうところがあるからムカつくんだよ・・・)」

 

 こんなふうに全く気負う素振りを見せずにさり気なく好記録を出すのが雄磨で、“楽しむ”ことをポリシーにしているのが雄磨という奴だというのを分かっていても、雄磨なりに本気で取り組んでいることを理解している上でも、やっぱり同じトラックに競技者として立っているときに“それ”を見せつけられると慣れたはずの今でもムカついてくる。あいつのことが嫌いだとかそういうことではなく、あいつのこういうのを見てしまうとつい“もっと自分を追い込めよ”と言いたくなる。そうすればきっと匡には及ばずとも、俺を脅かすくらいの短距離走者(スプリンター)にはなっているはずだからだ。

 

 「(・・・切り替えろ)」

 

 そんなことをスタート前に考える暇はあるのか?と自分に言い聞かせ、俺は心の中にあるスイッチを入れてスタートに向けて意識を高める。こういうときに余計なことを考えてしまうだけで、1着で終われるはずのレースで1着を逃してしまうのは短距離ではよくある話だ。現に俺はそれでインハイに出られたチャンスを見す見す逃している。

 

 

 

 “『スタートが武器のお前がスタートミスってどうすんだよ、衛士』”

 

 

 

 もう去年のインハイ予選のときのような、あんな思いは二度としたくない。

 

 

 

 『決勝第3組、8名全員の出場です』

 

 俺が割り振られた第3組がコールされて、事前に指定された4レーンのナンバーブロックへと足を進めて、スタート前に手足を軽く慣らして余計な力をこの身体から降ろして、全身をリラックスさせる。

 

 『4レーン、赤間衛士君、桜咲高校』

 

 最後のストレッチをする意識に、俺の名前を告げるコールが入る。そのコールを合図にして、ストレッチをやめて空を見上げて心をリラックスさせる、去年のインハイ予選を機に始めたスタート前の新たなルーティン。視界に見える空は薄曇り、風は追い風も向かい風もなく無風。2割ほどの余力を残して走った予選の手応えからして、コンディション的には自己ベストも出せるはずだ。

 

 『6レーン_』

 

 ふたつ隣のレーンがコールされたタイミングで、空を見上げていた視線を赤い地面(タータン)に移して、ゆっくりとその視線を100メートル先のゴールへと向け息を吐き出し、この後のスタートへ向けて余計な感情を捨て去り集中力を研ぎ澄ませて、“ゾーン”へ入る準備に入る。メインスタンドから向けられる注目と応援でプレッシャーと化した何百もの視線が、視界と意識から少しずつ消えていくのを感じる。

 

 

 

 “『お前の負けん気の強さは大事な武器でもあるけど、肝心なときに空回りして波に乗れず勝てるチャンスを逃すほど勿体ないことはないぞ。赤間は十分にインターハイで戦えるだけの技術と実力は持っているんだから、トラックに立った時こそ力まず冷静に行けよ』”

 

 

 

 顧問の笹原先生からよく言われていた、精神面(メンタル)の課題。インハイで戦えるだけのポテンシャルはあるが、負けん気が強すぎるが故に好不調のムラがあり大一番になると力み過ぎて本調子で走れない傾向があるという、俺の課題。普段のトレーニングを始め俺自身が去年の経験を経て気持ちを切り替えるコツを掴んだこともあってか、タイムは安定し“ゾーン”にも入りやすくなり改善はしているが、まだ俺の中では完全に克服できたとは言い切れない。相変わらず俺には俗に言う“天才肌”の雄磨のような器用さはないから、支部大会だろうと都大会やインハイ予選と同じ熱量と意気込みで挑まないと自分の力を出せないままだ。

 

 「(・・・誰よりも速く、ゴールまで駆ける。そして勝つ)

 

 それでも、雄磨が雄磨らしく走るように、俺は“俺らしく”走るだけだ。それが自分なりの、スタートラインに立つときの心得だ。

 

 

 

 

 

 

 “『衛士くん。明日はパーっと行こう!』”

 

 

 

 

 

 

 『8レーン_』

 

 8レーンに並ぶ出場者の名前を告げるコールでどうにか掻き消されたが、高めていた意識にほんの一瞬だけ“雑念”がよぎった。俺にとっては去年のインハイ予選以上とも言える“後悔”で、匡に勝つ為に“”にしたはずの思い出。全く、どうしてよりにもよってこんなタイミングで思い出しているんだ俺は。

 

 

 

 “・・・“その感情”はインハイで匡を負かす決意と引き換えに捨てたはずだろ・・・

 

 

 

 「・・・ふっ」

 

 今一度自分に言い聞かせながら強めに息を吐き出して、途切れかけた集中力を再度研ぎ澄ませる。去年までの俺はここでレーンの真ん中に立つ匡に意識を傾けるあまり、これまでのスタートダッシュの中でも最悪なスタートになってしまい、いつも通りに決めていれば掴めたはずのインハイへの切符を取りこぼした。その前にやるべきことは、スタートの号砲に全神経を委ね、0コンマ1でもタイムを削り速く走ることだけを考える。“勝ち”があるのはその先だ。

 

 『オンユアマークス』

 

 “位置につけ”という合図が、レーンに並び各々で集中力を高める第3組に告げられる。そのコールと共にナンバーブロックからスターティングブロックへと歩き、スタブロを固定*1して、両手を地面につけ最後に軽く屈伸をしながら両足をスタブロにつけてクラウチングスタートの姿勢をとる。

 

 「・・・・・・」

 

 “オンユアマークス”のコールが流れて俺を含む出場者全員がスタブロに付くと、メインスタンドのほうから微かに聞こえていたざわめきがスッと静かになっていく。もう何十回以上も経験しているスタート前の独特な緊張感。俺の中ではすっかり慣れたつもりでいるが、支部大会と言えど決勝のスタート前は未だに緊迫した空気を目に見えて感じる。この期待と注目と野心が一遍に降りかかるスタートまでの瞬間をどれだけ味方にできるかで、10秒後の結果が決まる。

 

 『セット』

 

 セットの合図が耳に入る。入ると同時に地面につけていた後脚を上げて、身体を止める。静まり返るメインスタンドと合わせるように、この後に鳴る号砲へ身体中の全神経を集中させる。

 

 「・・・・・・」

 

 沈黙の中、レーンに並ぶ他の出場者の気配が五感から消えるような感覚と、時間(とき)の流れがスローモーションになるような感覚が襲う。そして直後に耳に聞こえてくるのは、ドクドクと一定のリズムで鼓動する自らの心臓の音。自分でも恐く思えるくらいに、その鼓動は落ち着いている。もう走り出す“準備”は出来た。いつ号砲がなっても、行ける。

 

 

 

 “『インターハイ、“俺たち”で行くぞ』”

 

 

 

 パ_

 

 極限まで追い込んだ五感に“”の音がこだました瞬間を狙って、頭で号砲の音を理解する前に号砲と同時に本能で身体を動かす要領で前脚を蹴り出す。蹴り出したことで前傾姿勢になった体幹の流れを利用しながら後脚を一気に前へとスイングして、ストライドとピッチを加速させながら、コンディションを加味しておおよそ30M付近を目安にゆっくりと体幹を起こして上半身と地面を垂直にして中間疾走のフォームに移り、力まないよう頭の中で一定のリズムを刻みながら上半身をリラックスさせつつ全身の力を分散させるように両腕と両脚を動かしながらも、ハイペースで動く両脚を支えるためにこの身体が地面に対して垂直に進んでいくように体幹を意識して、最高速度に達したこの身体のペースを保ち、ゴールまで駆ける。

 

 「(・・・落ちてきたな)」

 

 フィニッシュラインまであと20Mほどまで迫ったところで、最高速度をキープしていたこの身体のスピードが僅かに落ち始める。未経験の素人やゴールまで持久力が持たない連中はスピードが落ち始めると無意識にペースを上げようとするが、再加速させるということは身体を力ませることになり、結果として失速を招く。もちろん俺も地元の陸上クラブにいたころは癖でそんなヘマを何度かやっていたが、中学と高校で共にチームメイトと指導者に恵まれたおかげか、無理をせずともゴールまで走り切れるだけの持久力を俺は手に入れた。加速しようとする本能を理性で抑えながら、なるべくゴールまでスピードが落ちないように流れに乗ってリラックスした状態をキープする。ぶっちぎりの1位だろうと、前に誰かが走っていようと、やるべきことは変わらない。

 

 「・・・っ」

 

 フィニッシュラインが目の前に迫る。速度が落ち始める身体を自然の流れに乗せつつストライドとピッチで引っ張り、リズムをキープしつつ迫るラインが時速30キロオーバーで進む身体と重なるタイミングに合わせて、胴体(トルソー)を突き出してフィニッシュラインを駆け抜ける。

 

 「(・・・5台は行ったか?)」

 

 駆け抜けるのと同時に、ここまでキープした流れに沿うようにゆっくりと下半身をリラックスさせて、呼吸を整えつつスピードを落としていく。スピードが落ちるのと同時に、極限まで狭まっていた視界が広がり、メインスタンドから聞こえるちょっとしたざわめきと共に、五感が正常な状態へと戻り、“ゾーン”が解ける。手応えとしては満点とはいかないが、5台の半ばあたりは出せているはずだ。

 

 『1着、4レーン、赤間衛士君、桜咲高校。記録、10秒56』

 

 足を止めた俺の耳に、1着の記録を告げるコールが電光掲示板に表示されたタイムと共にその記録を知らせる。記録は10秒56、追い風も向かい風もない、無風。大方手応え通りのタイムだった。

 

 「(もっと行けたよな。俺)」

 

 記録が出たことでフラッシュバックする、“ゾーン”に入っていた間の記憶。手応え自体は上々だったが、スタートは予選のほうが上手く決まっていた。今日のコンディションを考えたら、スタートさえ上手く決まれば自己ベストは十分行けたはずだ。

 

 「・・・クソッ」

 

 フィニッシュラインまで戻り、電光掲示板に載る自分のタイムを見て、独り言が漏れる。もちろん“1位になって当たり前”と周りから言われていた大会を1位で終えるという目標は達成したから、本当だったら素直に喜ぶべきかもしれない。実際スタートを除けば、ほぼベストは尽くせた。尽くせたからこそ完璧だったらどうなっていたのかが頭をよぎり、1位になれた喜びよりも“もっと行けたはずだ”という悔しさが募る。

 

 「(“このまま”じゃ駄目なんだよ・・・俺は・・・)」

 

 “このまま”の状態をキープ出来れば、間違いなくインハイには出られるだろう。でも今のままじゃ、俺は匡を追い抜かせないばかりか、影すら踏めないまま終わる・・・そんなの、俺もあいつも望んでなんかいない。

 

 

 

 

 

 

 “『衛士・・・・・・お前は何のために短距離を走る?』”

 

 

 

 

 

 

 「(都大会までに詰めれるとこは詰めねぇとな・・・)」

 

 課題の残る自分のタイムを悔しさと共に目に焼き付け“”にしてこの後の4×100Mリレーに向けて心を切り替え、俺はトラックを出て雄磨と下山門が待つ待機場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 第〇〇回東京都高等学校陸上競技選手権大会第2・3支部予選会_男子第3支部100M決勝_桜咲高校陸上部よりエントリーした3名の成績は以下の通り_

 

 決勝第1組:下山門征弥(2年):10秒91(1着:総合4位)風+0.3

 

 決勝第2組:原田雄磨(3年):10秒72(1着:総合2位)風+0.0

 

 決勝第3組:赤間衛士(3年):10秒56(1着:総合1位)風+0.0

 

 以上3名、第○○回東京都高等学校陸上競技対校選手権大会、出場決定_

*1
固定しないとスタートした瞬間にスターティングブロックが反動でズレて転倒する恐れがあるので注意。例:2022年世界陸上オレゴン男子200M予選第2組のアーロン・ブラウン




案の定ですが、夜明さんの過去は完全に考察です。
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