「失礼します」
一昨日と昨日の支部大会での疲れがまだ僅かに残る身体で学校へ登校した俺は、訳があって保健室へと駆け足で向かっていた。
「ん?どうしたの赤間君?」
さすがに朝の8時前ではまだいないかもしれないと思いつつ行ってみると保健室は空いていて、古賀先生は既に保健室の中にあるデスクで作業をしていた。
「まさか無理に朝練習して怪我でもした?」
「いや、さすがに大会翌日は俺でもセーブしますよ」
「だから大会が終わった次の日は無理しちゃ駄目って
「人の話聞いてんすか?(しかもそれ高1のときの話・・・)」
朝一番に保健室に訪ねてきた俺が答える前に、古賀先生は俺が朝練習で怪我をしたというジョークでやれやれと半ば呆れた様子で笑いかけながら話しかける。誇らしげに言えることではないが、俺は高1のときに新人大会が終わった次の日に何食わぬ顔で“調整に響くからやるな”と言われていた自主練をしているのが普通にバレて笹原先生から“大目玉”を食らったことがあるから、そんなヘマなんてしない。
「あの・・・・・・奈桜が昇降口で倒れています」
ただ世話になっている保健の先生からのジョークに付き合っているどころじゃない状況だった俺は、早々に保健室に来た理由を古賀先生へ告げた。
「・・・千鳥さん!」
いつもの朝練終わりのギリギリの時間より早めに昇降口で上履きのシューズに履き替えていると、大神が“あいつ”の名前をまるで叫ぶように呼んでいる声が聞こえた。声を聞いた俺はすぐに昇降口の廊下へと出て大神の声がした方へと振り向いた。
“・・・奈桜?”
俺の目に飛び込んだのは、大神に抱え込まれるように倒れていた奈桜の姿だった。何が起きているのか、何がどうなっているのか、何で奈桜が“そこ”にいるのか、何で奈桜と大神が一緒にいるのか、全ての訳が分からなくなって一瞬にして頭が真っ白になった。
“俺は・・・どうすれば・・・”
壁に寄りかからせて何度も声をかける大神。呼びかけても目を覚まさない奈桜。それを見て見ぬフリをして通り過ぎる同じ制服を着た他学年の奴ら。どうしたらいいか分からなくなっていた俺は、ただ隠れるように無意識に距離を取って遠巻きで見ていた。本当だったら、迷わずに手を差し伸べたかった。どうしてあんなことになっていたのかは分からなくても、奈桜に“何か”が起きていることだけは分かっていた。
“って、もう俺にとっては“関係ない”ことだろ。“それ”は”
だけどかつて親友だった奈桜との約束を破ってしまった俺には、もうそんなことをする資格なんてない。奈桜との関係は、自分の目標と引き換えに11月の“あの日”に終わっている。だから俺が奈桜の前に現れることなんて、許されないことだ。
“・・・・・・”
何より“それ”が、俺が唯一知っている奈桜の心をこれ以上傷つけないためのやり方だった・・・
「倒れてるって・・・周りには誰かいる?」
「同じクラスの大神が奈桜を支えていました」
「現在進行形?」
「はい」
昇降口で奈桜が倒れていたことを伝えると、保健委員の俺への揶揄いも込めて呆れ笑いで冗談を言っていた古賀先生は一瞬で真面目な顔になって、デスクから立ち上がり早足でドアへと足を進める。
「赤間君はそれを見て・・・ううん何でもない」
すれ違いざまに何かを俺に聞こうとして、古賀先生は首を横に振ってそれをなかったことにした。地頭がそこまで良いわけじゃない俺でも、先生が何を言おうとして止めたのはすぐに分かった。
「・・・すいませんした。俺にはこれが限界です」
そんな“俺たち”に何があったのかを把握している古賀先生に返せる言葉は、今はこれが精一杯だ。
「赤間君が謝ることじゃないよ。むしろあの日からずっと千鳥さんに対して心を閉ざしていた君が、間接的とはいえこうして千鳥さんのことを助けようとしている・・・・・・それだけでも“意味のある”ことだから」
堪らず謝った俺に、すれ違った古賀先生は振り向きながら横目で優しく罪悪感に苛まれている俺を気遣う。
「とりあえず赤間君が私に伝えにきたってことは黙っておくけど、それでいい?」
「・・・それでお願いします」
「オッケー。てことで後のことは私に任せといて」
そんな保健医及び悩める生徒のカウンセラーでもある古賀先生の気遣いに惰性で首を縦に振って、ハンドサインで“OK”を作り保健室から早足で出て行った先生を立ち尽くしながら俺は見送る。
「(・・・何やってんだ・・・俺)」
古賀先生がいなくなり保健室の中にいるのが俺1人だけになった瞬間、底知れないほどの自己嫌悪がどっとこの身体に押し寄せる。
「(なんで俺はいつもこうなんだ・・・)」
苦しませないためにはもう俺が関わらないほうが奈桜にとって幸せだと思っていながら、いざ苦しんでいる姿を見たら居ても立っても居られずに助け船を渡して、だけどそれがあいつに伝わってしまうのが恐いから事情を知っている先生の“気遣い”に中途半端なまま頷いて・・・本当に、俺は何がしたいんだ。
“奈桜のこと”を口実にして、お前はまだ逃げ続けんのか?
「逃げてなんかいねえよ・・・・・・けど、もうどうにもならねえのは
自己嫌悪の中で響き渡った自分の声に行き場のない後悔をぶつけて、俺は誰もいなくなった保健室を後にして教室へと向かった。
「そういや貴臣、2組の藤ノ木鱗って背の高い女子は誰だか分かるか?」
「うん。朝のときに名前覚えてもらっているからとっくに」
「ああ、言われたらそうだったよな」
「シンが
「とりあえず“いま”はその話をするタイミングじゃねえだろ海音」
昇降口での“ひと騒動”からあっという間に昼休みになり、俺はすっかりお馴染みになった4人でいつものようにカフェテリアで学食を食べていた。
「・・・やっぱり、今回のことは俺のほうから城くんたちに言っておくべきだったよ」
「それについてはもう気にすんなよ貴臣。今日のことは愛火を通じて奈桜から既に聞いてたし」
事後報告でいいと後回しにした自分の選択を悔いる俺を、城野が優しく気遣う。相変わらずマイペースな宇島はともかく、朝のこともあって俺の周りではずっと気まずい空気が流れ続けていて、4人揃って口数が少なくいつもより静かで重い空気が時間となって流れる。頼んだ学食のラーメンの味も、正直今はあまり味わう余裕がない。
「愛火や凉と一緒にたまに奈桜のところに顔を出しに行ってる鱗からはここんところ笑うことが多くなったって聞いてたからな・・・・・・オレたちも油断してた」
「おい、奈桜が倒れたって本当か!?」
千鳥がパニックを起こした一件は、黒崎から聞いていたということでちょっとしたサプライズも兼ねて千鳥が普段授業を受けている進路指導室で待ち伏せていた城野たちにもすぐに伝わった。ちなみに城野たちが進路指導室に待ち伏せていたのは俺へのドッキリも兼ねていたらしいけれど、当然それどころではなくなってしまった。
「貴臣・・・何があったかオレたちに話せるか?」
藤ノ木からのLIMEですぐに教室へ戻ってきたという城野たちに、俺は千鳥がパニックを起こした経緯を打ち明けた。初対面だった後輩の子が千鳥と同じ部活の後輩だったこと以外は全く知らないこともあってこと細かくとはいかなかったが、自分で把握できる範囲のことは全部話した。
「ひとまず
「おう。分かった」
そして最終的に千鳥のことは放課後に2組の藤ノ木も交えてもう一度しっかりと話し合うことにして、昼休みは“女子組”だけで様子を見に行くことも兼ねて本人と話してくるということになった。もちろん俺も心配なのは変わらないけれど、朝のこともあって下手に刺激するようなことは避けたかったから、今日はこっちからは会わずにいようと決めた。
「みんな・・・本当にありがとう」
まだ事情を深くまで知らないでいるいまの俺には千鳥に会ったところで話すべき言葉が何も見つからないから、現状ではそうするしかなかった。
「・・・貴臣。放課後また話し合う前にひとつだけ聞いておきたいことがあんだけど、いいか?」
気まずく重い空気を少しでも紛らわすためだけの惰性みたいな会話をしながら頼んだチャーハンを食べ終えて残ったコップの水を飲み干した城野が、意を決して気まずい空気を断ち切るように真剣な表情でちょうど真正面の位置に座る俺へと問いかける。
「うん」
気丈さを保って真っ直ぐに見る視線と口調には、この中で1人だけ去年の事象に立ち会っていない俺のことを気遣い精一杯に隠している感情の中にある申し訳なさが滲み出ているのが、俺には分かる。
「もしもオレたちがまだ奈桜のことで貴臣に隠していることがあるって言ったら、お前はオレたちのことを“軽蔑”するか?」
同じテーブルに座る宇島と鞍手にアイコンタクトをして、城野は普段より冷静なトーンで続けて聞いてきた。同じバドミントン部だったという藤ノ木と後輩の子に会ったこともあってか“軽蔑”という言葉が出てくるまでは予想がつかなかったけれど、
「・・・“軽蔑”なんてしないよ・・・千鳥さんのことを考えると4月に来たばかりの
もちろんまだ隠していることがあったことに関しては、“どうして”と僅かながらに思ってしまう感情がこの心にはある。だけど千鳥の置かれている現状を知ってしまった今は、俺が友達になったことを打ち明けたときに彼女が不登校になるまで追い込まれた全容を言いたくても全てを言えなかった城野や黒崎の葛藤が、本当に痛いくらいに分かる。何でもかんでも首を突っ込める勇気は確かに大切だけれど、時には静観して様子を伺って本当に助けが必要になる瞬間を待つことも大切だと、人生の選択を間違えてここまで来た俺だって25年半の人生で学んできたつもりだ。それでも、このままこれと言った進展もなく1年が終わってしまうのはあまりに辛すぎる。
「きっと城くんや黒崎さんは言いたくても言えなかったんだっていうのも俺には分かるし、そんなみんなのことなんて責められないし責める理由だってない・・・」
詳しい事情なんて知らない上に、謝らなければいけない人だっていて、はっきり言って反省すべきことは山積みだ。でも“事態”が動き出した今は頭の中で反省会なんて開いている暇なんてない。そんなもの、自分の部屋に戻ってから幾らでもすればいい話だ。
「だから、俺も一緒に“踏み込む”よ・・・まだ千鳥さんのことをよく知らない奴が言うのも生意気かもしれないけど、千鳥さんには一日でも長く1組のみんなとの思い出を残りの学校生活で楽しんで欲しいって俺は思ってるから」
千鳥が助けを求めていたときに何も出来なかった役立たずの俺が真っ先にやるべきことは、彼女の周りにいるみんなと共に“踏み込む”ことだ。
「・・・だってよ真太郎。軽蔑されなくて良かったな?」
俺からの返答を真正面から受け止めた城野に、俺の隣に座る鞍手が場を和ますかのように軽い口ぶりで気にかける。
「おう・・・ありがとうな、貴臣」
「ううん。城くんこそ、俺に聞いてくれてありがとう」
鞍手の一言をきっかけにして、城野は俺に申し訳なさそうにありがとうと告げる。むしろありがとうと最初に言うべきなのは俺のほうだけれど、言い辛かったはずのことを明かしてくれたこいつの勇気を俺は感謝で受け止める。
「
「うん。分かってるよ」
「シンって結構ちゃんと周り見てるよね。外見で誤解されがちだけど」
「ハハッ、さっきからオレのことフォローしてんのか弄ってんのか分かんねえぞお前ら」
続けて鞍手は隠し事をしていたことを打ち明けた城野を庇い、それに乗っかるように宇島もまた“らしさ”全開の言い回しで普段の彼の振る舞いを褒めて、その褒めているのか弄っているのか分からない2人のフォローに控えめに笑いながら城野がツッコむ。朝からずっとどこか気まずく重かった空気が、少しだけどいつも通りに戻り始めた。
「貴臣に背負わせたくなくて、これは言っていいとかあれは黙っておいたほうがいいとか考えて、オレたちなりに奈桜や貴臣のことを思ってのつもりだったけど・・・そりゃその場しのぎで誤魔化したところでロクなことにはならねえよなあ・・・」
宇島と鞍手から友達故の弄りを含んだフォローを受け取った城野は、一呼吸して俺へ自分の本心を溜息交じりに自嘲を交えて打ち明ける。いつものムードメーカーらしさのない葛藤に溢れた表情に、2人が言う“本当の城野”の姿を俺は感じ取る。
「ここにいる誰よりもどうしたらいいのか分からないはずなのに積極的に奈桜に関わって行こうとする貴臣を見て、オレ決めたわ・・・・・・いい加減もう動かねえとなって」
そしてムードメーカーとして気丈に振る舞い続けた裏側でずっと抱えていた千鳥への葛藤を言葉にして打ち明けると、城野は腹を決めた表情を浮かべてクールに笑う。
「今日明日とは行かねえかもだけど、“なるはや”で決着つけるぞ」
不登校になってから静かに経過を見守ることしか出来なかったであろう昨日までの葛藤を振り切ると決めて3人に“俺たちで千鳥を救うぞ”と発破をかけて奮い立たせるような城野の表情には、普段のムードメーカーらしさが戻っていて俺が千鳥と友達になったと打ち明けたときの迷いは消えていた。
「ようやくムードメーカーらしくなってきたね。シン?」
「あぁ、遅ればせながら」
「大神はまだ知らねえかもだけど、千鳥さんの
「しゃあねえっしょ
♪~_
「愛火からだ」
千鳥のために重い腰を上げたムードメーカーにまたひとつ重かった空気が軽くなっていくなか、グループLIMEに黒崎からのメッセージが届く。
『奈桜から貴臣くんに全部話していいか許可取って、OK貰った』
『ちなみに奈桜はもうすっかり元気だからご心配なく』
「話していいらしいってさ。千鳥さんのこと」
「そっか・・・(宇島って千鳥のことは本名呼びなんだ・・・今は聞けるタイミングじゃないけど)」
「でも良かった~大丈夫そうで」
「うん・・・本当にね」
黒崎からのLIMEで一瞬だけ緊張がまた走るが、メッセージを見た瞬間にすぐさまそれが安堵に変わる。まだ本人の様子が分からないから思い切り安心することは出来ないけれど、ひとまずは落ち着きを取り戻したみたいで本当に良かった。
「というわけで貴臣、そうと決まったから今日の放課後よろしく頼むぜ」
「・・・もちろんだよ。みんな」
そして無事に回復したという千鳥本人からも全部話していいと“許可”を貰った俺は、本当の意味で千鳥とその周囲にある問題と向き合うために俺だけが知らない“過去”へと踏み込む覚悟を3人へ伝えて、ラーメンの残りを食べた。
「失礼します。古賀先生はいますか?」
4限目の化学の授業が終わってすぐ。保健室から進路指導室に戻った奈桜のところへ顔を出しに行く前に“理科室に教科書忘れたから先に奈桜のところに行ってて”というメッセージを愛火のLIMEに送って、私は保健室へと向かっていた。
「あれ珍しいじゃない。行橋さんが1人で
奈桜が不登校になってしまった“決定的な出来事”があった日に、過呼吸になるほど泣きじゃくっていた奈桜を愛火と一緒に連れて行ってから身体測定と奈桜のこと以外で入ったことのない保健室に1人で顔を出した私を、保健の古賀先生は少しだけ不思議がる。
「もしかしてどこか具合悪い?」
「いえ、私は大丈夫です」
正直、この場所に足を運ぶのはただ通り過ぎるだけで奈桜を連れて行った“あの日”を思い出してしまうから、胸の辺りがキュッと締め付けられる。奈桜とは1年のときに同じクラスで、2年で違うクラスになってもライブに来てくれたりしてずっと仲良くしていたから、あれから月日が経つにつれて少しずつ笑顔を見せられるようになっていく奈桜の様子に安堵する反面、たまに顔を出しに行くたびに抱えている苦しみを肩代わり出来るものなら代わってあげたいと私は思っていた。
「古賀先生・・・ひとつだけ伺いたいことがあります」
でもどんなに神様に願っても奈桜に代わることなんて出来はしない。だから大神くんから奈桜がパニックを起こした経緯を聞いていた私は、自分なりに出来ることをするために古賀先生にあることを聞いた。
「奈桜が倒れたって先生へ伝えに来た生徒が誰なのか・・・・・・教えてくれませんか?」
シリアスが上手く書けん。