名前を残してはいけないあの人   作:ゆーてき

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02 その目は誰も見つめない

 

 アルバス・ダンブルドアには、尊敬すべき先輩がいた。

 

 

 

「僕は、アルバス・ダンブルドア。よろしく――」

 

 アルバスが差し出した手は、握り返されることはなかった。

 目の前の少年はアルバスがそう名乗った途端に、顔を真っ青に染めて、まるで悪霊の名前でも呟くように、アルバスのファミリーネームを震えた声で呟いて、自分の荷物を引っ掴むとコンパートメントの中から飛び出していった。

 アルバスは掴むもののなくなった手を無意味に握りしめて、力が抜けたように座席の上へと落とした。

 

 アルバスがいるコンパートメントを出て行ったのは、今の少年で三人目だった。

 

 他が埋まっているから、とこのコンパートメントを訪れたはずなのに、今度はどこへ行くつもりなのだろうか。

 アルバスはもう興味は無くしたと言わんばかりに、そばに置いていた呪文学の教科書を再び開いた。目は文字の上を滑るばかりだった。

 

 犯罪者の息子。そう言った汚名がついて回ることは覚悟していた。

 それでも、ここまでとは思っていなかった。

 さっきの少年には、マグルの血が流れていたのだろうか。それとも、マグル生まれだったのか。

 あの父親の血を引いているのだろうと、お前もマグルが心底憎いのだろうと言わんばかりに、さっきの少年の目には、恐れと軽蔑の色が浮かんでいた。それは、一人目の少女と、二人目の少年も同じだった。

 

 三人目が飛び出して行ってから、アルバスのコンパートメントの前には、ちらほらと人影が見えた。

 おおかた、そのうちの誰かが「ダンブルドアがあのコンパートメントにいる」とでも噂を流したのだろうと、アルバスは思った。

 まるで、檻の中の動物を見物でもするように、扉の外からチラチラと覗き見られるのは、全くもって良い気はしなかった。

 

 親交を深めようとでもしているのか、または生粋の純血主義者か。

 勇敢にもコンパートメントの中まで入ってきて、アルバスの父親の行いを褒めそやすような者もいたが、アルバスは、反応などしてやるものかと、努めて教科書の文字を追い続けた。

 最も、周囲の喧騒や、憤慨した様子でコンパートメントの扉を乱暴に開閉しながら出て行く者たちのせいで、中身はまるで頭に入ってはこなかったが――

 

「ここだね! アルバス・ダンブルドアのコンパートメントは!」

 

 ――ざわめきを打ち破ったその声には、さすがのアルバスも教科書から顔を上げざるを得なかった。

 彼は、周囲の生徒よりも頭ひとつ抜け出て高い背丈を持っていた。

 身にまとうローブには店で新調したばかりのように、どこの寮の色も入っていなかった。首からは石のついたネックレスが提げられていて、その胸元には首席(Head boy)と書かれたバッジがひとつ付けられていた。

 そのバッジのおかげで、彼が七年生であることは、一目瞭然だった。

 

 突然現れた首席に、その大胆な登場で静まり返っていた周囲も、ざわめきを取り戻し始めた。

 彼はそんな声など聞こえていないとでも言った様子で、コンパートメントの中で一人座っているアルバスに目を向けると、ずん、とそちらへ一歩踏み出す。

 ついでのように閉められた扉がピシャリと音を立てて、コンパートメントの外は再び静まり返った。みんな、耳を澄ませているのだろうとアルバスは思った。

 

「君が、アルバスかい?」

「……だったら、なんですか」

 

 驚いて顔を上げてしまったからには、答えないとおかしな空気になってしまいそうだった。

 アルバスを通して誰かの罪を見て、勝手に恐れて帰って行く者。思ってもいないような言葉で称賛して、勝手に呆れて帰って行く者。アルバスはそのどちらにも辟易していた。

 そのせいか少し、刺々しい声が出た。

 彼はその声に驚いたように目を丸くすると、コンパートメントの外をチラリと見た。そうして、何かに納得したように頷く。

 

「みんなが、『あのアルバス・ダンブルドアがいた』って噂してたから、僕の知らない有名人がいるんだと思って会いにきたんだけど――もしかして、あまり良い噂じゃなかったのかな」

 

 彼の眉が申し訳なさそうに下げられて、アルバスはキュッと口を結んだ。

 なんだか、悪いことをしてしまった気分になった。勝手に、勘違いして、期待して、コンパートメントまで訪れたのは彼の方のはずなのに、どうしてかその表情を見ると、アルバスまで申し訳ない気持ちになってくる。

 アルバスは顔をかすかに苦く歪ませて、口を開いた。そんな噂が流れた理由を教えてやらなければと思った。

 

「パーシバル・ダンブルドアというのが、僕の父親の名前です」

「パーシバル……」

 

 短く端的に切り出す。

 彼はアルバスから告げられた名前を何度か口の中で転がして、ハッと気づいたように手を叩いた。

 

「――ああ、ダンブルドアってあの! 『あの』って、そういう!」

 

 合点がいったという風に、彼は何度も首を縦に振った。

 そうしてから自分の勘違いにはっきりと気がついたのか、照れ隠しのような不思議な笑みをこぼす。

 アルバスは、目の前でコロコロ変わるその人の感情に、思わず瞬きを繰り返した。

 彼の瞳には、軽蔑の色も、恐れの色も、期待の色も、憐れみの色も浮かんではいなかった。アルバスが今まで出会って来た人間の中に、こんな人間はただの一人もいなかった。

 

「なるほどなぁ。いやぁ、ごめんね。急に突撃しちゃって。噂に踊らされちゃった、うん。申し訳ない。改めて。はじめまして、アルバス」

「……はじめまして、えっと、先輩?」

 

 いわば、彼は独善的だった。しかしそれが、どうしてか心地よい。

 彼から差し出された手を、アルバスはおずおずと握り返した。

 握った手は暖かく、大きくて、ゴツゴツとしていた。杖を握るための、魔法使いの手だ。

 

「先輩? せんぱいかぁ……」

 

 アルバスにそう呼ばれて、どこか満足げな彼の様子に、すっかりと毒気が抜かれてしまった。

 父親と自分を同一視する奴らのことが心底鬱陶しかったはずなのに、急に全くの別物として扱われると、変に落ち着かない。

 アルバスは握っていた手に少しだけ力をこめて、彼を見上げる。

 

「先輩、あなたは、蛙の子は蛙だって、思わないんですか」

「――どうして?」

 

 聞き返されたその声があまりにも純粋に満ちていて、アルバスは言葉に詰まってしまった。

 彼はフ、と一度目を伏せると、またアルバスの目を見つめ返した。

 ずっと、心の奥底まで見通されてしまいそうな瞳だった。ずっと、アルバス自身を見つめ、射止めてしまいそうな。

 

「蛙の子はお玉杓子だろう? そりゃあ、蛙にもなるけれど、君がどう成長するかなんて、まだ誰にもわからないさ」

 

 彼はもう一方の手をアルバスの手を包むように重ねて、そう言った。

 体温同士が溶け合うように、混じり合って――どういうわけか、アルバスの体温の方がどんどん高くなって行った。

 血液が沸騰するように手から首、耳に顔まで全部熱くなって、真っ赤に染め上がってしまっていることなんて、鏡を見なくてもわかった。

 

「ああー! 君、やっぱりここにいた! もう、自分の仕事ほっぽって新入生いじめに行かない!」

 

 二人の手を解いたのは、元気の良い女生徒の声だった。

 赤いローブを纏っていて、胸元には監督生(Prefect)と書かれたバッジが光っている。

 女生徒はアルバスのコンパートメントの中にいた彼を見つけると、まったく、と呆れた様子で彼を呼んだ。

 

「い、いじめてない! ナティ、待って、勘違いだ!」

「わかってるよ言葉の綾だよ。はいはい、首席様、生徒のまとめ役様、自分の義務を全うしてくださいね――ごめんね、勉強の邪魔しちゃって」

 

 ナティ、と呼ばれた女生徒はアルバスの膝の上に開かれたままの教科書をちょんちょんと指差すと、申し訳なさそうに彼のローブを引っ張る。

 台風のような勢いに、アルバスは握った手が離れているのも忘れて、ぽかんと口を開けた。

 

「あ……いえ、大丈夫です……ありがとうございます」

「あら、いい子。偉いねぇ。ちっさい頃の私にそっくり」

「どこがだい――ああっ、ちょっと待って、引っ張らないで……じゃ、アルバス、またね」

「え、はい、また……」

 

 彼が扉の向こうへ引きずられて行く様子を見ながら、アルバスはその言葉を頭の中で反駁した。

 またね、というその声が鼓膜を打ち震えさせるたび、アルバスは全身がくすぐられているような気分になった。

 結局、ホグワーツに着くまで、彼に次いで新しくコンパートメントを訪れるような勇気のある者はいなかったが、アルバスの心の中にあった鬱屈とした気分や苛立ちのようなものはすっかりと消えてしまっていた。

 

 彼は赤いローブの女生徒に引っ張られて行っていた――ということは、彼も赤いローブを羽織る寮、グリフィンドールなのだろうか。

 寮なんてどこでも良いと思っていたが、アルバスは少し、グリフィンドールへの興味を増した。

 いずれにせよ、組み分けの際に会えるだろう。アルバスは他の新入生たちに混じって、ホグワーツへ行くためのボートに乗った。

 

 

 

 結果から言えば、組み分けの儀式で彼と再会することは叶わなかった。

 組み分け帽子を被るために大広間が見渡せる舞台の上にあがったのだが、いくら目を凝らしても彼の姿を見つけることはできなかった。

 彼がどこの寮に入っているのか、確かなことはわからないまま、アルバスはグリフィンドールへと組み分けされた。

 寮に案内されてすぐに彼の姿を探したが、やはりどこにもいない。監督生を務めているナティ――ナツァイ・オナイに彼の居場所を尋ねても、「私もわかんないや。謎なんだよねー、彼」と、首をかしげられた。

 

 ホグワーツの中は外見の何倍もあるんじゃないかと思うほどに広く複雑で、とてもじゃないが彼一人をしらみつぶしに探して練り歩くなど、入学したばかりの身ではできそうにもない。

 そもそもナツァイによれば、彼がホグワーツにいるのかどうかすら、定かではないらしかった。

 七年生になって授業も少ないことから、箒を乗り回してあちらこちらを探索しているようだ。

「ま、冒険ばっかしてるのは五年生からだけどね」と、ナツァイは笑った。

 

 アルバスも、授業が始まってしばらくはそちらへ専念することになり――その合間の移動時間に、ようやっと彼との再会が叶った。

 彼はまた、どこの寮の色も入っていないローブを着ていて、「やあ、アルバス」と手を振る。

 その日の朝、「ふくろう便なら連絡取れるかも」と思い出したように呟いたナツァイの助けを借りて、彼に手紙を出したのだった。

 

「じゃあ、中庭行こうか。呪文の特訓がしたいんだったよね?」

 

 彼の言葉に、アルバスはこくりと頷いた。

 手紙を出すとは言っても、内容を思案するので一苦労だった。

 羊皮紙にペンを走らせては、それを丸めて、また書いては、破り捨てて、唸りながら「特訓をつけて欲しい」と書き上げた時、ナツァイはどこか生暖かい目でアルバスを見ていた。

 その視線には気づかないふりをした。

 

 中庭に向かう間。彼はさまざまな生徒に話しかけられていた。 グリフィンドールにスリザリンにハッフルパフにレイブンクロー。寮の垣根など存在しないように、彼はどの生徒にも親しげに話していた。

 いつまで経っても彼の所属する寮がどこなのかわからないままだったが、アルバスはもう、それで構わないかと思いはじめていた。彼がどの寮であっても、彼も周りも、何も変わらないだろうと思った。

 

 首席だからか、それとも彼本来の性格か、学内を歩くだけで自然と誰もが彼に相談を持ちかけていた。

 いつもなら快く承るのだろうか。

 今日、今だけは、先約があるから、と断る彼の姿に、アルバスはどこか優越感のようなものを覚えていた。

 いつもならば聞こえてくる下世話な噂話も、何も耳に入らない。

 

 中庭について早速、アルバスはおずおずと切り出した。

 

「あの、先輩、お願いがあるんですけど……」

「うん? いいよ、なんでも聞いてあげるよ」

「……今日だけじゃなくて、また、特訓付き合ってもらっても、いいですか……」

「もちろん。喜んで」

 

 彼は嬉しそうに笑って、杖を取り出した。

 

「僕が教えることなんてほとんどないから、そんなに緊張しないで。君ならすぐ追い抜いちゃうよ」

「そうでしょうか?」

「そうさ。君はすごい魔法使いになるよ、僕が保証する」

「……」

「さあ、やってみようか!」

 

 彼の声に従って、アルバスは杖を振り上げた。

 

 それからというもの、アルバスは彼の都合があう限り、魔法の練習につきあってもらった。

 授業の合間では時間が少なすぎるため、自然と二人が会うのは放課後に定まった。

 日が沈むまでの時間、人気のない場所を見つけては二人で魔法を試す。

 彼が手本として自分の知っている呪文を唱え、それを真似しながら呪文を口に出して杖を振った。アルバスの物覚えの良さと魔法力の高さには、彼も舌を巻いていた。

 

「君、本当に筋が良いね」

 

 彼の言葉の全ては、アルバスにとってとても心地の良いものだった。

 彼に褒められれば褒められるほど、上手くなっていくような気さえした。

 

 特訓の合間に、アルバスはその日起こったことを全て彼に話していた。ホグワーツに入学したこと、組み分けされたこと、同級生に友達ができたこと。

 彼は始終楽しそうに聞いていた。そして、彼の方からも、ホグワーツでの生活のことを色々と教えてくれた。

 ホグワーツには五年生から途中入学したこと、すぐに友人になったスリザリン生やグリフィンドール生のこと、ホグワーツの外で出会った様々な魔法動物のこと。

 アルバスの贔屓目も入っているだろうが、彼の口から聞く話はどれも新鮮で、どんな物語よりも面白いものばかりだった。

 

 彼と過ごす時間は、アルバスにとってはかけがえのないものになっていった。

 それがいつの間にか、日常になっていた。

 そのせいか、すっかりと忘れていた。

 

 一学年目が終わる頃、最初の頃の噂は一体何処へやら、アルバスはホグワーツ始まって以来の秀才などと呼ばれるようになっていた。

 彼との特訓の成果だとアルバスは満足げだったが、彼はアルバスの実力だと首を振る。

 それでも、寂しそうに呟いた。

 

「アルバスの特訓に付き合えるのも、あと少しか」

「え?」

 

 その言葉を聞いて、アルバスは思い出した。

 彼が七年生であることを。

 卒業式が、もう目の前まで迫ってしまっていることを。

 

「……先輩」

「うん?」

「卒業した後は、どうするんですか?」

「……」

 

 彼は答えずに、曖昧に微笑んでみせた。

 

 彼が卒業する。このホグワーツから、アルバスの前から、彼はいなくなってしまう。

 急に足元の地面が崩れ落ちていくように感じられた。

 それは嫌だ。このままずっと、彼の隣にいたい。

 

 

 アルバス・ダンブルドアは、彼を尊敬すべき先輩だと思っていた。

 

 しかし、彼の卒業という逃れられぬ現実を突きつけられて、ようやくアルバスは気づいた。

 

 その感情がもはや、尊敬などとは到底呼べるようなものではなくなっていたことに。

 

 

 彼はいつものように優しく笑っていた。

 その笑顔を見る度に、アルバスの心は締め付けられるようだった。

 その日は、卒業式の前日だった。

 二人が、二人きりで会える時間はこれで最後だろうと思えた。

 

「……先輩」

 

 呼びかけたアルバスに、彼は視線を向けた。

 

「ん?」

「好きです」

 

 その言葉を聞いた彼は、一瞬だけ驚いたように目を丸くして――

 困ったように笑った。

 

「ありがとう。……でも――アルバスは、僕よりもっといい人に出会えるよ。

 それにほら、僕と君は男同士だし、年齢だって六つも離れているしさ。……君の将来を考えるなら、僕はおすすめできないかなあ」

「そんなの、関係ないです」

「あるよ。まだ君は若いんだから、これからたくさんの出会いがあるだろうし……」

「先輩じゃなきゃ駄目なんです」

「……ごめんね」

 

 優しい声音の中に、はっきりと拒絶の意志を感じた。

 自分の中に踏み込ませないような、壁のようなものがそこにはあった。

 

「先輩は、僕のことが嫌いですか」

「まさか。大好きだよ」

「それじゃあ、どうして」

「君が僕を好きだと言ってくれることは嬉しいよ。……だけど、僕が君を恋愛的な意味で好きになることは、ないと思う」

 

 彼はいつもと変わらぬ口調でそう言った。ただ、ほんのわずかに視線を落としていた。

 

「僕なんか忘れて、他の人を探すべきさ。……君のために」

 

 彼の手はそっとアルバスの髪を撫でて、そして離れて行った。

 アルバスはもうそれ以上、何も言えなかった。

 

 それが、彼と交わした最後の言葉になった。

 

 

 ホグワーツを卒業してすぐ、彼は消息を断った。

 

 彼と懇意だった卒業生たちに彼の居場所を尋ねたが、皆首を傾げて口をつぐむばかりだった。

 中でもナツァイと、ある一人の元スリザリン生は何かを知っている様子ではあったが――彼から知らされていないのならば、自分の口から伝えることはできないと、また口を閉ざした。

 開心術を会得していなかったことを、アルバスはひどく後悔した。

 

 ふくろう便を何通も送ったが、そのどれもに返信はなかった。

 ――思えば、在学中も、彼はいつだって返信を寄越したことはなかった。

 それよりも先に、彼が直接会いにきてくれていた。

 

 彼を忘れることなどできるはずがないと気づくのに、そう時間はかからなかった。

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