名前を残してはいけないあの人   作:ゆーてき

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03 無知と未知と既知

 

「血みどろ男爵は君に随分好意的だ」

 

 ドラコはあくび混じりに、ベッドに腰掛けながらそう言った。

 まだ寝巻きのままで、いつも後ろに撫で付けられている髪も、セット前でふわふわとあちこちに跳ねている。

 朝に弱いのだろうか。

 彼は、起きたばかりのドラコに開口一番そんなことを言われ、ネクタイを締めながら首を傾げた。

 

「どんな夢を見たのか知らないけど、早く着替えて朝食に行こうよ」

「夢? ……夢、ああ、そうだ夢だ。危ない夢を見た」

「危ないって、何」

「もうほとんど覚えてない」

 

 彼がベストに首を通して、ローブを着込んでいるうちに、ドラコは器用に、目を擦りながらあくびをした。

 ぱちぱちとおもたそうな瞬きをして、部屋の中をぐるりと見回す。

 彼はもう完璧に制服へ着替え終えているうえに、同室のはずのセオドール・ノットとブレーズ・ザビニのベッドはもう空っぽだった。

 

「セオドールとザビニは?」

「少し前に行ったよ」

 

 ドラコはむすっとした顔をすると、ゆっくりと床へ降り立った。

 ベッドのそばのワードローブを開けると、その中から制服一式を引っ張り出し、そのまま彼に手渡す。

 

「手伝ってくれ」

 

 ドラコはあまり、身の回りのことを自分で済ませることが得意ではなかった。家ではハウスエルフがその全てを担っていたためだ。

 特にネクタイがダメで、綺麗にノットを作れないばかりか、三分の二の確率で大剣より小剣の方が長くなった。

 ドラコが入学する前に、最初に危惧したのがこれだった。箒の練習時間の半分ぐらいを、ネクタイを結ぶ練習に割いておけばよかった。

 だが、幸運なことに。ドラコは、頼られたがりの彼と同室になった。

 

 彼は制服を快く受け取って、ドラコを着替えさせていく。ついでに髪にくしも通してやった。

 ものの数十秒で、ドラコはぼさぼさの寝巻き姿から、ピシッとした制服姿へと早変わりしていた。あとは右頬の涎を拭えば完璧である。

 

 ドラコはちらりと、彼が四六時中首に提げているネックレスの石を見た。

 薄い青紫のスカーフの先に、ゴツゴツとした黒い石がぶら下がっている。石には金色の装飾が施されていて――ドラコの目には、その装飾を這うような光が見えていた。

 

「そのネックレス、何かあるのか?」

 

 ドラコはなぜかカピカピしている頬を拭いながら、そう問いかけた。

 寝る時でさえ、彼はそのネックレスを外していなかった。石の光は睡眠を阻害するほど明るいわけではないため、ドラコは不思議に思いながらも、そのままベッドに寝転んでいるのだが。

 彼はちょっとだけ考えるそぶりを見せると、こくりと頷いた。

 

「あるよ。知りたい?」

「当たり前だろ」

「長い話になるけど、構わない? これからくる沢山の授業の前に、あまり関係ない知識を詰め込んで構わないって言うなら、教えるけど」

 

 ドラコはぐっと言葉に詰まって、「なら良い」と苦々しげに答えた。

「落ち着いたら話そうか」と、彼は微笑んだ。

 

 

 入学して、最初の金曜日だった。

 

 ドラコはホグワーツに入学してからというもの、クラッブとゴイルの代わりに、よく彼を連れ歩くようになった。素晴らしいことに、彼はホグワーツの複雑な地図を()()すでに暗記しているようだった。

 とは言っても、彼も彼でずっと後ろをついて回るわけではなく、授業が終わると、少し目を離した隙にどこかへ行ってしまうのだが――そういう時は、またクラッブとゴイルがドラコの後ろを追いかけた。

 朝は、大抵その二人はまだ幸せな夢の中にいるため、ドラコは彼と共に大広間に向かうのが、日常になっていた。

 

「おはよう、セオドール」

「おはよう」

「今日はオートミールか? 砂糖をかけてくれ」

 

 彼はセオドールと二度目の挨拶を交わして、隣の席へと座った。ドラコも、テーブルの上を覗き込みながらその隣に座った。

 

 セオドールは、少し目を細めて、彼らを見た。

 自分の皿より先に、彼はドラコの皿にオートミールを盛って、砂糖までかけてやっている。

 面倒見が良いといえば、良く聞こえる。実際、彼の姿は親――いや、孫にご飯をお腹いっぱいに食べさせたがる祖父母のようだった。

 今だって、皿いっぱいに盛られたオートミールに「そんなに食えるか! 朝だぞ?!」とドラコが悲鳴を上げたところだ。彼は「じゃあ僕が半分食べるよ」と少ししょぼくれた返答を返した。

 

「今日の授業はなんだ?」

「グリフィンドールと合同で魔法薬学だね」

 

 半分に分けあったオートミールをつつきながら、適当に呟いたドラコの言葉に、彼が答えを返す。いつもの光景だ。

 セオドールはさっさと自分の皿を空にしようと、四方に散ったオートミールをかき集めた。スプーン二杯ぐらいにはなった。

 そのうちの半分を口に入れたところで、ふくろうが何羽か飛んできた。ドラコの前にワシミミズクが降り立つのは、毎朝の恒例だった。

 ドラコはそのワシミミズクからいつものようにお菓子の包みを受け取ると、朝食もそこそこに、得意げにテーブルの上へそれを広げ始めた。ちょうどその頃、ようやっとクラッブとゴイルが大広間に現れて、「あいつらにも分けてやろう」とドラコは席を立った。

 

 彼は、良く世話を焼く。ドラコを見る目だって、まるで孫を見ているような暖かさだ――だが、周りはそうは思わない。

 クラッブとゴイルの次の取り巻きだの、マルフォイの金魚の糞だの――彼を揶揄するような発言が、セオドールの耳には入り始めていた。

 彼らは、まだほとんどをスリザリンの仲間たちに囲まれながら過ごしているから、そんなことには気づいていないようだが――いずれ、彼らの耳にも入るだろうことは間違いない。

 とりわけ、グリフィンドールの者達は、スリザリンを揶揄うようなネタがあると目を輝かせる。

 セオドールはドラコの背を見送ってから、口を開いた。

 

「いい加減やめたらどうなんだ、マルフォイの子分みたいに振る舞うの」

 

 セオドールから話しかけられたのは、思えば初めてだった。

 彼はその言葉に驚くと、慌てて視線をセオドールの方に向けた。

 彼の皿はとっくに空っぽで、ドラコが彼から離れるタイミングを図っていたようだった。

 

「子分って、別にそんなつもりはないんだけど……」

「なくても周りからはそう見える。君、毎日マルフォイの朝支度をして、道案内をして、授業中もべったりで、昨日の夜だって宿題を手伝ってやってたろう。度が過ぎたら代わりにやり始めそうな勢いだったぞ」

 

 確かに昨日は、マクゴナガルから出された宿題に疲れ果てているドラコを、眠る少し前まで手伝っていた。

 マクゴナガルとウィーズリー先生は、同じ変身術の教授で、同じ副校長という立場でもあるのに、規則への厳格さは全くもって違っている。

 けれど、生徒を最大限教育しようとするその姿勢は、少なくとも似通っているものを感じた。

 その点については、彼も同意だ。金でも積まれない限り、宿題を代わりに済ませるなんて意味のないことはしないつもりだった。

 

「でも、僕が好きでやってるだけだし――」

「君が親切なのはよくわかるが、なんでもかんでも手伝うことが、そいつのためになるとは、俺は思わない。あいつをネクタイの一つも結べない大人にするつもりか?」

 

 セオドールは、普段の寡黙さが嘘のように、まくし立てた。

 彼は少し驚いて、言葉を失った。

 セオドールは、何か言いたげに、彼の顔を見た。それから、「俺の考えを押し付けるみたいで、すまないが」と小さく付け足した。

 

「君には、人を依存させて破滅させる危うさがあるように思う――まぁ、俺の勘違いなら良いけどな」

 

 セオドールはそれだけ言うと、席を立った。

 彼はしばらく、スプーンを動かすことができなかった。セオドールの言葉が、背中に重くのしかかっているようだった。

 

「あら、オートミールは嫌い?」

 

 後ろから声をかけられて、彼はハッと顔を上げた。

 

「――ダフネ」

 

 見れば、朝食を済ませたらしいダフネが、心配そうに彼を覗き込んでいた。

 

「なんでも食べるって噂のあなたの手が進まないなんて、珍しいこともあるのね」

「どんな噂だい、それ」

「あら、違うの? 一昨日、誰が飲み残したかわからない紅茶を飲んだって、マルフォイが言ってたけど」

 

 事実だ。

 彼は軽く目を逸らした。

 ちなみに、紅茶はブレーズが残していたものだった。

 捨ててしまうのは勿体無いと思ったのだ。

 ブレーズも、淹れた瞬間に女生徒から呼ばれそちらへ行ったため、一つも口をつけていないと断固として主張していたが、カップの中身は半分ほど減っていた。

 彼は、スプーン一杯に掬ったオートミールを口に運びながら、答えた。

 

「オートミールは好きだよ。嫌いなものなんてないさ」

「そう? なら、どうしたのよ。もしかして、ノットに何か言われた?」

「違う、違うよ。ほら――今日の魔法薬学。スネイプ先生は厳しい人だ、って聞こえてきたから……ちょっと不安だっただけさ」

「大丈夫よ、安心しなさい。スネイプ先生はスリザリンの生徒には優しいって評判だから」

「そっか。ありがとう、安心したよ」

「まあ、先生に物怖じするってのも、あなたにしては珍しいけど――と、ボスが来たからあたしは退散するわね」

 

 ダフネはそう言うと、さっさと大広間から出て行った。

 彼女と入れ違いで、お菓子の包みを空にしたボス――ドラコが、彼の隣へと戻ってきた。

 

「ダフネか? 何を話してたんだ?」

「今日の授業のことさ。……君って、僕のボスなのかい?」

「何の話だ」

 

 

***

 

 

 魔法薬学の教室は、地下牢にある。彼は試しに、一人で教室へと向かった。

 これは初めての試みだった。

 トランクをひっくり返すようにして魔法薬学の教科書を探しているドラコを尻目に部屋を出るのには、たいへん心が傷んだ。なぜだかは知らないがドレッサーの上にある、と教えてやりたいのを必死で我慢して――それぐらい教えてもよかったのではと気づいたのは、寮を出た後だった。

 道中でなぜか転がっていたウィゲンウェルド薬を拾ってから、彼は、今まさに教室に入ろうとしているハリーとロンを見つけた。

 

「ハリー! ロン!」

 

 名前を呼ばれて、振り返って彼の姿を見とめた二人は、笑顔をすぐに消した。

 ハリーはまだ、少しだけ困っている顔に見えなくもなかったが、ロンはといえば、こちらへの敵意を少なからず持っている目尻をしている。

 

「なんだよ、マルフォイの腰巾着。親分はどうしたんだ?」

 

 ホグワーツでこれほど厳しい言葉を耳にしたのは初めてで、彼は危うく、驚いて声をあげそうになった。

 セオドールやダフネだけが言っているわけではなく、ドラコとの関係性が他の寮でも共通認識らしいことを、彼も認識し始めた。

 ――自分が本当の年齢でここへ通っていた頃は、誰かが少しばかり失礼な物言いをしても、みんな寛容にそれを受け流していたし、発言をした側も、それなりに改めていたはずだ。

 彼はそれを思い出すと、いつも通りの微笑みを浮かべて、こういった。

 

「僕はドラコの腰巾着じゃないし、ドラコも僕の親分じゃないよ。合同授業は初めてだろう? 一緒に受けない?」

 

 ハリーは困っていた。

 

 ハリーがキングズ・クロス駅で迷い、ホグワーツに登校することすら叶わないかもしれないと思っていた時、声をかけてくれたのは彼だった。

 不安ばかりだったハリーを慰めるように、なんでもない声で話をしながら、九と四分の三番線まで案内してくれたことで、あの時のハリーはとても救われた。

 彼が優しい人だと、ハリーは知っている。トランクを持ち上げられるぐらい力持ちだってことも。

 ハリーは彼のことを、最初にできた友達だと思っていた。寮が離れてしまったせいで、言葉を交わす機会は()()()なかったけれど、それでも、ロンと同じぐらいには、大切な友達だった。

 

 だからこそ、大切な友達であるロンが、大切な友達である彼に、悪意を持った言葉を投げかけているこの状況が、嫌でたまらなかった。

 彼の言葉に頷きたい。けれど、それが完璧に正しい選択じゃないことも、ハリーは理解していた。

 ロンは、ドラコがハリーをからかっている現場に、何度も遭遇したことがある。ロンは、彼とドラコが、よく行動を共にしていることも、知っている。ロンは、他のスリザリン生だって、ドラコと同じようにグリフィンドールに接していることを、身を持って体験している。

 けれども、ロンは知らない。ハリーが一人で迷っていた時に、彼が魔法史の教室まで案内してくれたことを。

 

 確かに彼はスリザリンなんかへ組み分けされてしまったけれど、それは彼の優しさを否定する理由にはならないはずだ。

 ハリーが答えあぐねているうちに、彼の後ろから甲高い声が飛んだ。

 

「何入り口塞いでるのよ、通れないじゃない」

 

 パンジー・パーキンソンだ。

 ハリーはすぐにわかった。

 彼がいないときに、よくドラコのそばにいて、一緒になってネビルやハーマイオニーをからかっている、パグ犬みたいな顔をした女生徒だった。

 

「パンジー」

「あなたも何してるの。早く入りましょ――ちょっともう、退いてよね」

 

 パンジーは彼の手を強く引っ張ると、ロンを弾き飛ばすようにして、一緒になって薄暗い教室の中へと入っていった。

 彼の微笑みが陰って、眉を落とした目と、ハリーの目がかち合った。しかしそれはほんの一瞬のことで、すぐさま引き離されてしまう。

 

「次はパンジーの腰巾着でも始める気かな。入ろうぜ、ハリー。なるだけ離れたところに座ろう」

 

 ロンがキッと部屋の中を睨みつけながらそう言ったので、ハリーは今度こそ、頷きを返すしか無くなってしまった。

 

 

 

 教室自体がスリザリン寮に近いこともあってか、中の席の半分は、もうほとんどスリザリン寮生で埋まっていた。

 パンジーは部屋に入って同室のミリセント・ブルストロードを見つけるなり、手を離してそちらに向かってしまったので、彼は珍しく空いていたブレーズの隣に腰掛けた。

 ブレーズは彼を見るなり、「オゥ……」と小さく声を上げた。

 

「なんだい、その反応」

「……お前、やっぱりオレに気があるんじゃないだろうな?」

「どこからその馬鹿げた発想が出て来たのさ」

「一昨日お前がオレの紅茶を飲んだ時からだよ」

「その節はすまない」

 

 彼は眉を下げて笑いながら、ちらりと出入り口の方を見た。

 ハリーとロンは、スリザリン寮生が固まる一角からはだいぶ離れたところに座っていた。後から他のグリフィンドール寮生も入ってきて、ハリーらの周りを固めるように席が埋まっていく。

 部屋ではあれだけ焦っていたのに、涼しい顔をして魔法薬学の教科書を抱えて部屋に入ってきたドラコと、後ろにくっついているクラッブとゴイルがくっつくように同じテーブルに座って、スリザリン寮生は全て揃った。

 部屋全体の空気が、どこかピリピリとしていた。

 

 セブルス・スネイプは、バン、と大きな音を立てて、部屋の中へと入ってきた。

 暗い瞳と長めの黒髪は、彼の記憶の中にあるシャープ先生とどこか似た雰囲気を纏っていたが、その二人には決定的に違うところがあった。

 スネイプは長く黒いマントをはためかせるように、サクサクと歩いた。教室の一番前まで歩み進めると、くるりと後ろを振り返って生徒全員の顔を眺めた。

 

「では、出席を取る」

 

 出席を取るか取らないかは、先生によってまちまちのようだった。

 マクゴナガルや、呪文学の教師であるフィリウス・フィリットウィックも、授業を始める前に、まず出席をとった。

 スネイプはスリザリンから順に名前を呼んで、全員がいることを確認すると、グリフィンドールの出席確認に移った。

 コールとレスポンスの小気味よいやり取りで、特につっかえることなく名前が呼ばれていた時、スネイプが一度、声を止めた。

 

「あぁ、さよう」

 

 ゆっくりと、少し鼻につく声で、次の名前を呼んだ。

 

「ハリー・ポッター。我らが新しい――スターだな」

 

 後ろの方の席で、ドラコとクラッブとゴイルが、冷やかすように笑い声を上げた。

 当然のように、部屋の空気が悪くなる。グリフィンドールからの敵意のこもった視線が、彼の方にも向けられていた。

 スネイプが出席を全て取り終わった頃には、二つの寮の間の空気は、部屋の雰囲気も相まって、酷くどんよりとしたものになっていた。

 スネイプは扉と同じように、パチンと名簿を勢いよく閉じると、生徒全体を見回した。

 

「私の授業では杖を振り回したり馬鹿げた呪文を唱るようなことはやらん。諸君らが、魔法薬調剤の微妙な科学と、厳密な芸術を真に理解することは期待しておらん。

 ――が、限られた、素質のある者には。

 伝授してやろう、名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえ蓋をする――そういう、技を」

 

 彼はちらりと、ハリーの方を覗った。

 ハリーは今の演説を、楽しげにノートに書き込んでいるようだった。

 スネイプも、それをめざとく見つけていた。

 

「ポッター!」

 

 と、大きな声でハリーの名を呼んだ。

 ハリーはハーマイオニーに小突かれて、動かしていた羽根ペンを止めた。

 スネイプはコツコツとハリーに近づく。

 

「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になる?」

 

 ペラペラと述べられた問いの意味が、ハリーにはよくわかっていないようだった。隣で、ハーマイオニーが挙手する。

 嫌な雰囲気だった。彼の周りのスリザリンの者はみんな、ハリーが答えられないことを望んでいるようだった。

 小さく、ため息を吐く。

 彼は周りの視線が全てハリーとその隣で天高く手をあげているハーマイオニーに向けられていることを確認すると、慎重に、指の先をハリーのノートに向けた。

 

「聞こえなかったかね、ポッター。アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか?」

 

 ハリーは、再び困ったことになっていた。

 

 なんの球根の粉末に、何を煎じたものを加えるだって? 再び言われたって、わかるわけじゃない。

 ハリーは辺りをちらりと見回すが、隣で手を挙げるハーマイオニー以外、誰もわかっている様子はなかった。

 おまけにスリザリンの連中の、ニタニタとした意地の悪い笑みが視界に入って、見るんじゃなかったと、ハリーは視線を下に向けた。

 すると、驚くことが起こった。

 ノートに書き込んでいたスネイプの演説が、ぐにゃりと歪んで、新しい文字に置き換わったのだ。

 

「あ……アスフォデルとニガヨモギを合わせると、『生ける屍の水薬』とも呼ばれる、強力な眠り薬ができる……できます」

 

 スネイプがおや? と片眉をあげた。

 ロンが驚いたような顔をして、ハーマイオニーが悔しげに手をさげた。

 スリザリンの方の席を盗み見れば、みんな面白くないとでも言いたげな顔をしていた。

 ただ彼だけは、にこりといつもの微笑みを浮かべて、ハリーを称賛するように頷いた。

 

「よろしい。……では、もう一つ聞こう。ベゾアール石を見つけてこいと言われたら、どこを探すかね?」

 

 またもや、わからない質問だった。

 ハーマイオニーが、今度こそはといった様子で、手をまっすぐにピンとあげた。

 ハリーはまた、それとなく視線を落とした。

 

「ヤギの胃の中、です」

 

 スネイプは答えたハリーのことをじっと見つめた。吸い込まれるような黒い目と、ハリーの明るい緑の目とがかちあう。

 スネイプは、ほんの小さく口の端を挙げると、コツコツとまたハリーに近づいてきた。

 二メートル、一メートルと距離を縮めて――ハリーの目の前に立つと、教科書をボン、とノートの上に置いた。

 

「では、もう一問だ」

 

 ――やられた。

 彼は、ぎゅっと手を握り締めた。ああされてしまっては、ヒントも答えも送れない。

 変身術で、ハリーのノートの文字を変えていたのがバレてしまったようだった。教科書の表紙の文字を変える術もあるが、あの距離だとスネイプに勘づかれるだろう。

 

「モンクスフードとウルフスベーンの違いはなんだね?」

 

 ハリーが立て続けに正解を出していたことで、つまらなそうに二人を見ていたスリザリン寮生も、スネイプの表情に興味を取り戻していた。

 クスクスと、どこからともなく嘲笑うような声が聞こえる。

 ハーマイオニーの素晴らしい挙手も、いまだに無視されたままだ。

 ハリーの瞳が、焦ったようにあちらこちらへと動いていた。

 彼は、ふう、と息を吐くと、真っ直ぐ手を上げた。

 

「ほう……君はわかるのかね」

 

 ハリーの目が「救世主だ!」とでも言いたげに輝いて、その視線の先を見たスネイプが、静かに言った。

 彼は頷いた。

 スネイプがハリーから離れて、教室の前の方へ歩を進めながら口を開く。

 

「では、起立したまえ」

「モンクスフードとウルフスベーンはどちらも同じ植物で、とりかぶとのことです。他にも、アコナイトや附子といった別名があります」

 

 彼が立ち上がれば、反比例するようにハリーが着席した。

 スネイプは彼の解答を聞くと、満足そうに頷いた。

 

「正解だ。素晴らしい。スリザリンに五点」

「……え?」

 

 彼が思わず声を上げたので、スネイプは小さく顔を顰めた。

 

「私の採点が不満かね」

「いえ、そうではなく――先ほど、ハリー……ポッターが二問答えても点数はなかったのに、一問しか答えていない僕に五点も下さるのかと」

 

 隣のブレーズが、いいからもう、それ以上言うな、とでも言いたげに彼を小突いた。

 彼は不完全燃焼のまま、静かに着席した。

 

「君の解答に補足情報があったために、加点をしたまでだ。ところで諸君、なぜ今のを全てノートに書き取らんのかね?」

 

 スネイプがそういうと、みんな一斉にノートと羽根ペンを取り出した。

 

 今日の授業の本題は、おできを治す薬を調合すると言ったものだった。

 彼はブレーズとペアになって、調合に取り掛かった。

 彼が軽く叩いて蛇の牙を砕いている間に、ブレーズは干しイラクサを慎重に計る。角ナメクジを茹でるのは一緒にやった。

 

「これ、山嵐の代わりにウニの棘を入れたらどうなるんだろう」

「とりあえず、教科書通りにやらないか?」

 

 スネイプはどうやらドラコがお気に入りのようで、「ドラコ・マルフォイが角ナメクジを完璧に茹でたので見るように」と、教室全体に聞こえる声で言った。

 その時だった。教室全体に酷い緑色の煙が広がって、シューシューという不吉な音が聞こえた。彼は杖を取り出して、その音の方へ杖先を向けた。

 

 音の中心は、ネビルの調合している大鍋からだった。

 大鍋が溶け出して、その中身が今にも周りに飛び散ろうとしていた。

 

エバネスコ(消えよ)!」

 

 勘のいい生徒は椅子やテーブルの上に避難しようとしていたが、彼が杖を振ると、その液体は綺麗に水滴一つ残さず消え去った。

 中身がかかる、とぎゅっと目を瞑っていたネビルも、何も来ないと気づくと、恐る恐る瞼を開けた。

 

「バカ者!」

 

 スネイプの怒鳴り声が響いた。

 

「おおかた、大鍋を火から降ろさないうちに、山嵐の針を加えたのだな?」

 

 その声にネビルは肩を跳ねさせると、丸い目に涙を浮かべはじめた。

 

「彼が消失させなければ、君の顔は今頃おできでいっぱいだったろう――ポッター、なぜ針を入れてはいけないと言わなかった? ロングボトムが間違えれば、自分の方がよく見えると考えたな? グリフィンドール、合わせて二点減点」

 

 スネイプはネビルを叱責すると、くるりと方向を変えて今度はハリーへ強引に言いがかりをつけて、二点も減点してしまった。

 あまりに理不尽だ、と彼は思った。

 ネビルとハリーはペアを組んでいたわけですらなかったのに、ネビルの鍋の中まで把握できるわけないだろうと、彼は物申してやりかった。

 その前に、ブレーズが彼を小突いた。

 

「やめとけよ。スネイプ先生はスリザリンから減点しないって評判だけど――そう何度も言い返してたら、もしかするかもしれないぜ」

「したらダメなのかい?」

「いいともよ。砂時計がお前一人のならな」

 

「エバネスコ――扱うには繊細な技術が要求される。スリザリンに一点」

 

 ブレーズにとめられている間に、逆に加点されてしまった。

 スリザリンは湧き上がり、グリフィンドールは恨めしそうな視線を彼に向ける。

 彼は肩を下ろして杖をしまうと、残りの調合に取り掛かった。

 

 酷い贔屓だ。

 彼は、スリザリンが六年も連続して寮杯を取り続けている理由の一端を、目の当たりにした。

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