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橋本正義は蝙蝠である。
もちろんこれは比喩表現であるが、橋本本人は蝙蝠が嫌いではなかった。
鳥から隠れる様に暗闇をフラフラと飛び回る蝙蝠が嫌いではなかった。
獣と鳥の間の子のような中途半端な蝙蝠が嫌いではなかった。
つまり、橋本は自分の事がそこまで嫌いでは無いという意味である。
橋本は優秀な青年だった。本人もそう自覚しているし、周囲の人間も彼を概ね優秀な人間だと評価している。
学習能力も高く、テストでは常に上位。運動神経も良く、球技の中では特にテニスが得意。ルックスも良く、異性からはそこそこモテる。
特にコミュニケーション能力には秀でていて、どんな集団にもあっという間に溶け込める。
何をやらせても平均以上の成果を出し、平均以上に評価される。
橋本は間違いなく優秀な人間だった。
だからこそ、こうも言い換えられるのだ。
橋本は『最優秀』になれない『優秀』止まりの人間だ。と。
幸か不幸か、橋本は周囲の人間に恵まれている人生を歩んできた。
自分より勉強ができる奴がいる。自分より運動が得意な奴がいる。
自分よりもルックスが整った奴がいる。自分より話しが巧くて人気が有るやつがいる。
唯一無二の個性がある者。他を牽引するカリスマを持つ者。大富豪の産まれの者。
『優秀』な橋本では勝てない『最優秀』の人間達。
幸か不幸か橋本の周りには、ただの優秀程度である自分では霞んでしまうような圧倒的な『強者』がゴロゴロ居た。
その時、橋本は学んだ。自分は確かに優秀な人間だろう。
だが決して自分程度の人間では強者には敵わないのだ。
もしも橋本がこの時点で現実から目を背けていたら、彼はその精神性を屈折して歪んだ人生を歩む未来があったのかも知れない。
だが橋本は優秀だった。常人よりも社会性が高く、メンタリティの成長も早かった。つまり妥協が出来たのである。
自分なんてこんなもんさ。そう諦める事が出来たのである。
そして橋本は考えた。自分は強者に成り得ないし、残念ながら弱い者は強い者に勝てやしない。
だが強者という者は人生において成功を約束された、いわゆる勝ち組である。
そして言うまでもなく橋本だって出来ることなら勝ち馬には乗りたい。
これから先も続く長い人生で負け続けるだなんて、そんなのは余りにも哀れじゃないか。
だからこそ橋本は蝙蝠になった。
強者の影に隠れる様にフラフラと飛び回る。
小さくとも、弱くとも、それでも甘い蜜を啜るために飛び続ける蝙蝠となったのだ。
大空を自由に飛び回る大鳥の影に、ひっそりと便乗する小狡い蝙蝠。
どのグループにも顔を出し、中途半端な友好を築き上げて都合の良い派閥を洞窟にして隠れ住む卑怯な蝙蝠。
例え笑われようと、蔑まれようと、橋本は蝙蝠が嫌いじゃなかった。
つまり、自分の生き方がそこまで嫌いでは無いという意味である。
高度育成高等学校に入学した初日。
初めてAクラスに入った橋本は隣の席に座るイケメン、里中と仲良くなった。
何気ない雑談を装いながらも橋本は常に鼻を利かせていた。
強者を見分ける嗅覚。これこそが橋本が蝙蝠として生きる為に最も頼りにしている武器だからだ。
雑談しながらも目の前の友人候補を鑑定していると、やがて担任が入室。
真嶋と名乗る中年教師は簡単な自己紹介の後、Sシステムの説明を始めた。
10万という大金が支給されたことに驚いた橋本だったが、厳格そうな教師から「入学を果たした君たちにはそれだけの価値と可能性がある」などと言われてしまえば頰を緩ませ頷くしかない。
蝙蝠として生きて、この名門校に受かったのだ。
エリート教育のプロからの賞賛の言葉に、橋本が自分の生き方にますます自信を持ったのは言うまでも無い。
「皆、少し時間を貰いたいのだが構わないだろうか」
説明を終えた担任が退出すると、1人の男子生徒が立ち上がり自己紹介を提案した。
そしてその瞬間、橋本の鼻が動く。
匂いがしたのだ。
紛れも無い強者の匂いだ。
「良いんじゃねーの。やっぱクラスメイトの顔と名前が一致しねーってのは不便だしな」
すかさず強者の発言に追従する事で目の前の男に自分の存在をアピールする。
巌のような男だ。ガッシリとした体躯に厳つい禿頭。野太い声に割れた顎。
何より場を率先して纏めて仕切る行動力。そしてそれを不快に思わせないリーダーシップ。
まさにカリスマ性に溢れた強者の姿だった。
「どうやら全員賛同してくれたようだな、ありがとう。では提案者として俺から始めさせて貰おう……」
そして始まった自己紹介の場で、橋本は全力で脳を回転させ、目を光らせ、鼻を効かせた。
やはり名門、東京都高度育成高等学校の名は伊達では無いのだろう。
強弱は有れど全ての人間が強者の匂いを漂わせる、少なくとも優秀以上の人間ばかりだ。
「おっ、次は俺か。俺は橋本正義。こんな見た目だけどお勉強もそれなりに出来る優等生……って言いたいところだけど、どっちかというと身体を動かす方が得意だな。特に中学時代からテニスをやっていて……」
軽いジョークと軽薄そうな自分の見た目を利用した、気安く女ウケしそうな自己紹介で見事にクラス全員から拍手を貰った橋本は、席に着くなり、再び目を光らせ、ひたすら観察に勤しんだ。
やがて、特に目についた強者の2人をターゲットに選んだ。
「ありがとう橋本、これから宜しく頼む……では次は、隣の。そうだ、中央の列に座っている君。お願いできるだろうか?」
1人は早速場を仕切り始めた禿頭の男、葛城康平だ。
教室に入ってから1時間とも経たないほんの僅かな時間で数人の尊敬と信頼を獲得しているそのカリスマ性は圧倒的な強者の証だ。
特に戸塚弥彦と名乗った男子など尊敬を通り越し、どう見ても崇拝の域にまで達している。
戸塚の自己紹介を思い返せば地元が同じという訳でも無いから、中学時代からの知り合いという線は消える。
つまり、葛城は入学してから担任の話が始まるまでの極めて短期間で同性とは言え信者を作り出したという事になる。
素晴らしい能力だ。彼の側に隠れるように着いていれば、きっと将来は美味しい思いが出来る事だろう。
「皆さま初めまして。私は坂柳有栖と申します。先天性疾患を患っており、ご覧のとおり歩行の際には杖をついています……」
そしてもう1人が妖精のような美貌を持った美少女。坂柳有栖だった。
その名前の通り、まるで童話の世界から飛び出して来たような愛くるしい容姿と、瞳の奥から輝く果てしない知性は底知れぬ実力を感じさせる。
橋本は直感的にこの少女がとんでもない強者であると察した。
一見して弱々しい身体障害者にしか見えないと言うのに、纏っているオーラは自信に溢れている。
もしかしたら彼女の実力は葛城以上かも知れない。
着くならどちらがいいだろう。全く、強者が多くて悩ましい話だ。
橋本は心の中で舌舐めずりする思いで両者を眺めていた。
先ずはクラスメイト全員と分け隔てなく交友を深める必要があるだろう。
そしてさり気無く、さり気無く葛城と坂柳の両名に近付いてから、側近に近いポジションに居座っても違和感がない程度に馴染まなければならない。
何、今までもやって来た事。蝙蝠たる自分からすれば楽な仕事さ。
橋本正義は蝙蝠である。
もちろんこれは比喩表現であるが、橋本本人は蝙蝠が嫌いではなかった。
橋本は優秀な男で、特に強者を嗅ぎ分ける嗅覚には自信があった。
もちろんこれも比喩表現であるが、結論から言うと橋本は直感的に『強い人間を見極める力』に長けていた。
だからこそ……
「剛力だ。剛力オーガスタ。スペルはA・U・G・U・S・T・A……」
(判るかこんな化け物の強さ⁉︎)
橋本は内心で叫び出したい気持ちでいっぱいだった。
嗅覚で例えるならば激臭だった。鼻がもげ、目が痛み、命の危機さえ覚える程の圧倒的な激臭。
橋本は中学時代の理科の授業で、教師の注意を無視してアンモニアを直接嗅いでのたうち回ったクラスメイトを咄嗟に思い出した。
強いのは分かる。誰が見ても分かるだろう。と言うか分からないやつは唯のバカだ。いや、むしろ分からない奴は幸せかもしれないが。
強い。間違いなく強い。強いに決まってるだろこんなメスゴリラ。
異常に発達した筋肉とその長身。そして圧倒的な獰猛なる暴の気配は、そこらの不良をチワワとするなら冥府の番犬ケルベロスだ。
葛城や坂柳ですら、今までの人生でも滅多に見たことの無いレベルの強者だと言うのに最後の最後にコレだ。
やっぱり高度育成高等学校は最高だぜ‼︎ 嘘です、お家に帰らせて下さい‼︎
橋本は軽く発狂しそうだった。
橋本は蝙蝠を自覚している。だが、もしも怪獣の近くへフラフラと蝙蝠が飛んで行ったらどうなるか。
当然、邪魔だと小蠅のように弾き落とされるか、お腹すいたし丁度いいやと貪り食われるのがオチだろう。
(ヨシ‼︎ とりあえず暫くは関わらないようにしよう‼︎)
大多数の人間がそう決意したように、橋本は机の上を黙りと見つめながら決心した。
橋本正義は蝙蝠である。蝙蝠はか弱いのだから、そう結論づけるのもある意味、当然である。
「あ、あれ? 隣の里中くんは……あ、席替え? 昨日言ってた……あー、はい。なる……ほど、スゥッ……了解っ……です。はい。あっ、はい。橋本と言います。はい。はい。あ、はい宜しくお願いします勘弁して下さいごめんなさい」
この学校、入学するの止めればよかった。
橋本は入学2日目にして寮の自室でキラリと光る涙を流したとか。
そして時は流れ金曜日。今日は午後一から体育の授業がある。そしてその内容がいきなり水泳だと言うのだから、男子一同のテンションが高くなるのは仕方がない事だろう。
はしゃいで回るクラスメイトに内心苦笑いしながらも、さもノリノリで盛り上がっている体をしつつ、橋本はプールに到着した。
着替えに時間が掛かるであろう女子を待ちながら、あの娘が可愛い。いや、あの娘の巨乳が凄い。等と低俗ながらも如何にも健全な男子高校生らしい雑談に耽っているその時だった。
「キャーーーーッ‼︎」
女子の声だった。まるで絹を裂くような悲鳴……という訳では無いらしい。
何というか驚嘆や歓喜を含んだ、どちらかと言うと黄色い声色だった。
これには橋本含めて多くの男子が困惑の表情で首を傾げた。
果たして何があったのだろうか。先生を急かしてでも連れて来るべきだろうか。
そんな事を男子一同が考えていた。
その時。
橋本の脳内にターミネーターのテーマソングが流れると共に、入口の方から堂々とした歩みで大きな影が近づいて来た。
そしてその瞬間、その場に居た人間全てが同じことを思った。
(((デッッッッッッカッ‼︎‼︎‼︎)))
背がデカかった。筋肉がデカかった。存在感がデカかった。だがしかし、何よりも先ず……
圧倒的に胸がデカかった‼︎‼︎
「あ、あのっ。剛力さん、腕とか触っても……」
「うん? 好きに触りな。別に減るもんじゃねえし」
「あ、ありがとう……わあ、固ーい大きいー」
「そこで見てるアンタも。確か名前は神室……真澄だっけか? 触ってみるか?」
「はっ? いや、別に、私は」
全く珍しい事に、キャイキャイと女子に囲まれて現れたドデカイメスゴリラ、もとい剛力はとにかくデカい。
周囲で囲んでいる女子の群れは、主に剛力の逞しい体躯とボディビルダーもかくやと言った筋肉にキャイキャイと黄色い声を上げていた。
身体に密着するスクール水着だからこそ浮き彫りになる、蛇腹のような見事な腹筋と腹斜筋は非常に太いが一切の脂肪を残すことなくコレでもかと引き締まっている。
露出した褐色の腕も、脚も。発達した筋肉が膨らみを見せて大岩のようにゴツゴツとした形をしているが、その常人離れした長身を支える為なのか、それとも鍛え方にコツがあるのか。
筋骨隆々としていながら、素人目から見ても非常にバランスの取れた作りをしているように思えた。
単にAクラスの女子に筋肉フェチが多いのか、それとも常人では考えられない一種の芸術品のような体躯に興味が沸いたのか。
普段ならあまりの存在感に皆で恐怖して、すっかり腫物扱いしていた鬼女こと剛力が相手だと言うのに、一転して黄色い声を上げながら人気者扱いしているのだから女子は変なところで強かった。
それに比べて男子である。ハッキリ言って、橋本含むAクラス男子一同は、普段は恐怖の象徴ですらある剛力の高すぎる長身や盛り上がる筋肉。そして飢えた肉食獣を連想させる圧倒的な眼光やその存在感すら、まともに目に入っていなかったのだ。
先ず、大前提として剛力オーガスタという少女……否、あえてそのアダルティなルックスを強調するために女性と称すが、彼女は非常に整った顔立ちをしている。
切長二重の黄金の瞳に、筋が通った高い鼻。
肉感的でぽってりとした柔らかそうな唇に、スッキリとした顎のライン。
健康的な褐色の肌に映えるギラギラと輝くような太陽を宿す、腰まで伸びた見事な長髪。
そしてその長身からなる9頭身のスタイルは盛り上がった筋肉を加味しても非常に美しい体つきと言える。
そして、そこにダメ押しするかの如く男子の視線を鷲掴みにし、前屈みにさせ、油断すると鼻血すら吹き出させてしまいそうな、あまりにも殺人的な凶器。
それこそが圧倒的な質量を持ったミサイルのような爆乳と、爆弾のような巨尻である‼︎‼︎
「マジでデカい……あれ何カップあるんだよ?」
「この前観た爆乳モノのAVが鼻で笑えるレベルでデカいんだけど」
「やっぱり顔自体は美人なんだよなぁ。顔は」
「あの胸たまんねー。エッロい身体してるよなー……揉みてー」
肌に張り付いたスクール水着で抑えつけられているにしても、あまりに巨大であまりに卑猥な肉の果実の主張は甚しい。
端的に言ってしまえば、健全なる青少年からすると剛力オーガスタという女性の身体は、その隆々たる筋肉を考慮しても刺激が強く、あまりにもエロ過ぎた。
「バカッ‼︎ お前ら声デケーっつうのっ⁉︎」
とは言え相手はメスゴリラ。もとい剛力オーガスタ。
入学初日から教師に喧嘩を売り(誤解)里中くんを脅迫し(誤解)見知らぬ女子生徒を誘拐し(誤解)不正行為を行っては大金を稼ぎ(一部誤解)クラスメイトから最近『玉座』と呼ばれ始めた巨大なマッサージチェアに踏ん反り返っている(正解)危険人物(大正解)なのだ。
ガッチリとした体格の葛城や、そこらのアスリートでは太刀打ちできない程に鍛え上げた肉体をしている鬼頭が子供に見えるレベルの筋肉を纏った女傑に対して、こんな猥談のネタにされていると気付かれてしまったらどんな報復を受けることやら。考えることすら恐ろしい。
股間を押さえながら盛り上がる一部の男子を諌める為に橋本が声を荒げつつ、チラリと女子グループの様子を伺った、正にその時……
「あぁん?」
「ヒェッ」
目が合った。バッチリと、それはもうバッチリと。件の雌鬼と目が合ってしまった。
霊長類最強生物のメスゴリラだから聴力が発達しているのか、それとも単純に興奮した男子たちの声が想像以上に大きかったのか。
どちらが原因なのか、あるいは両方なのか。
とにかく男子達による剛力をネタにした卑猥な雑談はしっかりと本人に聞かれてしまったらしい。
神室と何やら話し込んでいた剛力は男子の声に気がつくと、こちらに視線を合わせた。
彼女の眼光にようやく気づいたクラスメイトは先程まで興奮によって赤らんでいた顔を青くしたり白くしたり。どちらにしろ凶暴なメスゴリラの怒りを買ってしまったと恐れを抱いたことだろう。
だが意外な事にメスゴリラ、もとい剛力はフンッとシニカルに笑ってみせると、おもむろに男子達の方へ身体を向け両腕を高く上げた。
もしやそのまま此方に襲いかかって来るのかと冷や汗を流す橋本を尻目に、彼女は意外な行動に出た。
宙に伸ばした両腕をそのまま首の後ろに回し、適度に脱力したまま首の付け根辺りで両手を組んでグッと胸を張るように背を伸ばす。
右脚に体重を寄せる様にして緩やかに腰をくねらせると、バストとヒップの曲線をあえて見せつけるようにしてSの字を描く。
専門的な知識がある人間が見たら、極度に脱力したアブドミナルアンドサイの変形ポーズ。とでも名付けそうな剛力の立ち姿。
それは簡単に言うと、遠目でチラチラと卑猥な視線を送っていた男子達に、ワイルドかつ均整のとれたプロポーションを。
そして何より彼女が誇る豊満なバストとヒップをこれでもかと見せ付けている。
つまり、俗に言うセクシーポーズでもあった。
「「「ブフォッ⁉︎」」」
殺されるかもしれないという恐怖とは裏腹にまさか更なる艶姿を見せ付けて来る恐ろしき鬼女の所業に男子一同は息を噴き出し、ますます前屈みになった。
咄嗟に顔を背けた葛城や鬼頭ですら顔が赤くなっているのだから、その刺激の強さが分かるだろう。
いっそ顔立ちもゴリラのような醜女だったらあんな大女相手に興奮なんてする事なかっただろうに‼︎
橋本はそんな栓なき事を考えながら前屈みになりつつ必死に円周率を脳内で考えていた。
「ちょっ、ちょっとアンタ何やってんのよ⁉︎」
ここで声を上げたのは先程まで剛力と話しをしていた神室である。
男子の視姦するような不躾な視線に目の前の巨女が怒声の一つでも張り上げるのかと身構えていれば、まさかのポージング。それも威嚇する為では無く、情欲を煽るような扇状的な体勢なのだから思わず声を上げてしまったのだろう。
だが慌てる神室に対して剛力は全くもって平静な様子で答えた。
「あん? チラチラ覗かれても鬱陶しいだけだからよ。どうせなら見せ付けてやってんのさ。なーに、鍛え上げた俺の身体に見られて恥ずかしいところなんかあるわけ無ぇしな」
「だ、だからって別にポーズ取る必要無くない? 何? アンタって結構ナルシストなの?」
「あのなぁー。多かれ少なかれ身体を鍛えているやつっていうのは自分の身体に愛着があって自慢したい気持ちがあるものなんだよ。ボディビルダーなんて分かりやすいだろ? あいつらは名前の通り自分の身体を創り上げて作品にしてるんだから」
瞠目する神室の言葉に呆れたように、それでいて自信満々に返す剛力の台詞には確かに頷いてしまうような納得感があった。
橋本がチラリと横目で観察すれば、現に鬼頭なんかは力強く頷き、葛城は顎に手を当て唸っているし、運動部に所属している一部の男子も苦笑いしている。
橋本自身もそこまで必死こいて身体を作り上げている訳でも無いが、こうした水泳授業や真夏のビーチで遊びに行った時に異性の目に触れても恥ずかしくない程度には鍛えていたので、その言い分には多少同意する部分があったのだ。
「それに……よっぽどのバカが混じっていたとして、もし俺の身体に直接手を出そうとしたなら」
そう言うやいなや、剛力は右の拳を力強く握りしめた。
隕鉄のような規格外の硬度を持つであろう握り拳からビキビキとオノマトペを鳴らしつつ血管が筋立ち、後追いするかのように上腕筋、上腕二頭筋、三角筋と力瘤が隆起して行く。
「潰せば……イイだけだしな」
ゴゴゴ…… とコミックめいた擬音が鳴りそうな凄味を感じさせる笑みと共に呟かれたメスゴリラの台詞を聞くや否や、前屈みになっていた男子一同の興奮が一気に鎮火し、赤くなっていた顔色は一気に青くなった。
果たして何を潰されるのを想像したのだろう。
葛城や鬼頭までもが冷や汗をかきながら内股になっていたのが印象的である。
もちろん橋本も急所を庇うようにして前屈みになったが。
「それとも神室。俺の自慢の身体に醜い部分があるとでも言うのか?」
「いや、別に。醜いとまでは言わないけど……」
「ふぅん」
2、3回ポーズを変えて沸き立つ観衆に自慢の身体を披露していた剛力は徐ろに神室に視線を合わせると小さく笑みを見せた。
先ほど男達に見せた揶揄うようなシニカルな笑みや威圧する様なワイルドな笑みとは違い、本心から溢れでたような柔らかでいて熱が篭った笑みだった。
「なら良かったよ。アンタみたいな美人に嫌われちまったらショックでぶっ倒れちまうところだった」
「は? えっ、ちょっと⁉︎」
その瞬間、男子も女子も先ほどとはまた別の意味で歓声が上がった。
徐ろに右手を伸ばした剛力はその筋骨隆々の身体には似合わない程に細い指先で神室の顎を優しく摘むと、徐ろに軽く引き上げて視線を自分に合わせた。そう。俗に言う顎クイである。
女子はいきなり始まった宝塚のような同性同士のロマンスの気配に。男子は美少女と美女の巨乳と爆乳が互いを潰し合う様にして変形する様子にドッと沸きたった。
「ちょ、ちょっとアンタ⁉︎」
「アンタじゃねぇよ。真澄。オーガスタだ。俺の名前はオーガスタ……A・U・G・U・S・T・A……」
囁くようにスペルを唱える度に剛力は唇を徐々に神室の耳元に寄せて行く。
対する神室は意外な事に色恋沙汰に耐性が無いのか、それとも公衆の面前でまさかの同性に迫られている事に驚いているのか。
突然の出来事に目を白黒させながらも、その美しい顔を真っ赤に染めていた。
「なあ、真澄。その艶やかな唇で俺の名前を呼んでくれないか? 」
「ちょっ、ちょっと待ってよ⁉︎ アンタってもしかしてソッチの趣味なの⁉︎」
「さて、どうだと思う? 女にロマンスを感じている事がおかしいのか? それとも真澄のような美人を口説かない方がおかしいのか……」
「それカミングアウトしたも同然……っ⁉︎ ちょっ、ねえっ……あっ、もうっ。近いってばぁ……」
もはや互いの頰が密着する程の零距離だ。
熱を帯びたウィスパーボイスが鼓膜を擽ぐる度に神室は身体を震わせながらどうにか離れようとワタワタしているのだが、いつの間にか彼女の腰には剛力の左腕が絡みつくように回されていた。
またその手つきがアマゾネスを連想させる屈強な見た目から想像できない程に優しく、まるで神室の身体を壊れモノでも扱うような丁寧な力加減で支えている事に驚き。
そしてキザったらしい筈の口説き文句の一つ一つに、獣欲とは違った、一種の慈愛の籠ったような熱が入っているものだから。
らしくもない事を自覚しながらも、どうにも胸が高鳴ってしまって神室は色んな意味でいっぱいいっぱい。今にも頭が沸騰してしまいそうだった。
「と、とにかく私は女と付き合うつもりなんて無い‼︎ だ、だから離れてよ⁉︎」
腰元に回されていた腕を振り解いた神室は眦を吊り上げて叫ぶものの、その顔は羞恥ですっかり茹って見事な林檎色。
少なくとも橋本の目から見て、同性に迫られた嫌悪感に苛立ちを覚えてるようには思えない。
「そうか……そいつは残念だ。ならせめて真澄。俺のことは名前で呼んでくれないか?」
叫び声を浴びた剛力は怯むこと無く再び神室の瞳を熱っぽい視線で見詰めると、自分の名前を呼ぶように希った。
果たして自分達は何を観ているのだろう。頭の片隅にそんな疑問がふと浮かぶが、目の前の白百合が浮かぶような美女と野獣のロマンスを見逃すような真似はしない。男子一同が心を一つにした瞬間だった。
「な、なんで私がアンタのことを「Augustaだ。真澄、A・U・G・U……」ああ、もう分かった‼︎ ちゃんとオーガスタって呼ぶ‼︎ これで良いでしょ⁉︎ ち、近いんだから良い加減離れてよ‼︎」
結局、神室は押しに負けたようで茹った顔のままグイグイと剛力を押し離そうとしながら名前で呼ぶ事を了承した。
剛力はそれを聴くと、クスリと悪戯気な笑みを浮かべてから神室の耳元で何やら囁いた。
「ヒャァッ……」
瞬間、神室の顔どころか身体中が真っ赤に染まり硬直。果たして何を囁いたのかと群衆の興味を煽るだけ煽っておいて知らんぷりだ。
剛力は置き土産とばかりに神室の頰に軽くキスをして、満足気に少し離れた場所に移動していった。
真っ赤に変色したセルロイド人形の如く固まってしまった神室に、興味津々の女子達が今にも群がろうとした。ちょうどその時。
「よーし‼︎ 全員揃っているな⁉︎ 授業を始めるぞ‼︎」
まるで計ったかのようなタイミングで体育教師からの号令が掛かった。
教師の一声に女子は渋々と、男子は内股になりながらもチョコチョコと移動を開始。
ギクシャクと動く神室と、悠々と歩みを進める剛力を横目に見ながら橋本もそれに続いた。
橋本正義は蝙蝠である。
もしも怪獣の近くへフラフラと蝙蝠が飛んで行ったらどうなるか。
当然、邪魔だと小蠅のように弾き落とされるか、お腹すいたし丁度いいやと貪り食われるのがオチだろう。
そう確信していたからこそ、橋本は剛力とは距離を取ることを決めていた。
決めていたのだが……
(やっぱ、ちょっとは距離を詰めといた方が良いかもな。女の口説き方とか教わってみたいし……)
内心、自分でもイイなと思っていた美少女を同性の身で口説いてみせたテクニックを間近で見せ付けられ。
ちょっとだけ決心が揺らいでいたのは、ここだけの話である。
特殊タグ追加する為、後々編集します。