こんなにしても、受け止めてくれる。
今の霞は錯乱状態で、京太郎のことすらも信じられない。
「何で、何で私にそこまでしてくれるの?」
「……」
「そんな、ありえない。
だって、私そんな風にしてもらえる人間じゃない」
「俺だって、そんな大層な人間じゃないです」
「……」
「……カッコ悪いけど、俺は霞さんの思っているようなかっこいい奴じゃない」
あはは、なんて軽口を叩いて笑う。
霞はそれを受け止められず、俯く。
「だって、色々としてくれたじゃない。
すごく気遣ってくれて、嬉しかった」
「いやいや、俺だって下心ありますよ」
サラッと言ってのける。
自分を卑下するようにではなく、認めるように言った。
「霞さんと出会って、仲良くなりたくて……。
恥ずかしいけど、めっちゃ頑張ってました」
「そう、なの?」
「そうです。
周りの人にどうすればいいか聞いて回りました」
京太郎も言っていて恥ずかしくなってきたのか、顔を逸らす。
「麻雀部のみんなにはすっごく言いにくかった。
だって時期が時期ですよ、みんな全国に来てるのに、俺だけデートですよ」
「……」
「でも、好きになったから仕方ないじゃないですか」
「なん、で」
「……神代さんを守ろうとする霞さんが、格好良かった」
「……っ!?」
「男の俺にも物怖じせず、神代さんのために話しかけてきて、心配しているのがわかった。
少し怖がっているのもわかった。
それでも、霞さんは話しかけてきたじゃないですか。
そんな行動、友人思いじゃないとできません」
「ああ……」
「そんな霞さんが、……すごく可愛くて、電話番号聞いたときには舞い上がっちゃって。
あれから酷かったんです。
その、麻雀部の人にどうしたら喜んでもらえるか聞いて、部長に叱られました。
『全国に来てるのよ!』って」
霞の脳裏に浮かぶのは、嬉しそうに笑ってからかってきた竹井久の姿。
「でも、女性が喜ぶことを色々と教えてくれました」
あの時会った彼女は、何を思っていたのだろう。
「次に、その、霞さんは知らないんですけど俺の友人がいまして。
それがもう何でもできる人なんですよ。
その人から女性への立ち振る舞いを勉強して、一緒にデートコースを考えました」
霞の知らない、京太郎の努力。
「そんな風に色々と叱られて、助けてもらって、霞さんと一緒にいました」
「そう、だったの」
「……やっぱり、幻滅しちゃいましたかね」
「そんなことないわ」
顔を上げる。
少しだけ、楽になった。
「私、やっぱり京太郎さんと一緒にいられて幸せよ」
「へへっ」
京太郎もやっと霞が笑ったと、嬉しそうに笑った。
二人して笑いあって、足を止める。
「それに、俺は薄墨さんたちが裏切ったとは……」
――京太郎がそれ以上言う前に、霞が目を見開いた。
京太郎の後ろに見えた、数人の男たち。
明らかに堅気の姿ではない!
「京太郎さん、逃げてっ!」
「えっ?」
京太郎を突き飛ばし、『恐ろしいものを受け入れる』
それは永水で修行していた時のように、麻雀をしていた時のように。
――でも、それはいつもと違った。
「(神様が怒って……いる……っ!)」
麻雀という遊戯におろすことが出来たあの時とは全く違う。
しきたりを破ったせいなのか、霞にはわからない。
「霞さん!」
「逃げ、て」
辛うじて口から漏らす言葉は京太郎の安否。
もし、神様が恨んでいるのが霞だけならば良い。
しかし、供物である霞を奪った相手すらも憎んでいるならば――
「逃げるわけないじゃないですか。
あと少しなんです!」
そう言って霞に近づこうとする京太郎。
しかし、霞の周囲に近づかせないように強風が吹いている。
天候が変わり、ごく一部に暴風雨が巻き起こる。
荒れすさぶ鬼神のようだ。
一瞬にして濡れ鼠になってしまうが、そんなことを考えている暇はない。
「おい、こんなの聞いてねーぞ!」
京太郎の後ろから聞こえる男たちの悲鳴。
その時初めて、京太郎は手足が痺れ始めていることに気づく。
振り返れば男たちが昏倒して意識を失っている。
「逃げて、逃げてください……!」
霞は涙を流しながら京太郎に訴える。
もはや制御出来るとは思っていないが、神様に必死に抑える。
『神』を受け入れるということは『天倪』である人形だからできたことだ。
『人間』としての感情を受け入れた今、神が及ぼす影響をモロに受ける。
「憎い」
「羨ましい」
「嫉妬」
「なんで私だけ」
「天倪」
だんだんと意識を失っていき、霞の中に秘められた負の意識が呼び起こされる。
発される言葉は途切れ途切れだが、単語はしっかり聞こえる。
「うるせー! 黙ってそこで待ってろ!」
痺れる手足を無理やり動かし、強風の中を突き進む。
男たちが昏倒したのに京太郎だけが動けていた。
京太郎は一瞬だけそのことを考えたが、そんなことはどうでもよかった。
どうせ考えても正確な理由なんてわからない。それならば――
「霞さんが助けて欲しいって言ってるって、そういうことにしますからね!」
霞に近づくたびに意識が薄れていく。
先ほどまでは指先程度の痺れだったのに手首まで動かなくなる。
顔の筋肉が硬直する。
まともに表情を作れない。
手首から肘まで動けなくなる。
肩だけでも使って強風から顔を塞ぎ、それでも前に進む。
もう風の勢いも感じない。
雨の水滴も感じない。
目蓋が落ちてくる。
それは困る。だって―――
「霞さんが見えなくなるだろ!」
――まだ足は動く!
意識が飛ぶ寸前に霞に抱きつく。
すると先ほどまでの現象が嘘のように止んで、霞の中に収束する。
収束していった力の流れは、少しずつ霞の外へ霧散した。
「……おちつく」
霞はぼそりと呟いた。
先ほどまでは神様に乱され、憎しみの塊になっていた。
そんな気持ちが嘘のように落ち着いていた。
「かみさまも、おちついたのかな」
こんなに爽やかな気分になったのはいつぶりだろうか。
京太郎と出会ってからは波乱万丈の毎日で、落ち着く暇なんてなかった。
京太郎と一緒にいるときも、ドキドキハラハラ。
乙女の心が霞の心を乱し続けていた。
「おとうさん、おかあさん」
天倪としての使命を請け負う前にこんな気持ちになったことがある。
母親に抱きしめられてゆっくりと眠った時と同じだ。
「そっか」
気象が荒ぶる神様も、彼にとっては変わらない。
もしかしたら彼の名字の由来が関係あるのかもしれない。
暴風雨を起こし、子供のように泣き払い、狂暴な一面を見せた荒れすさぶ神様。
そんな神様が落ち着く、と言った地の名前だ。
本来ならば神様をおろした後に祓わなければいけないはずなのに、霞の中から神の力を感じない。
これが彼の『オカルト』だとしたら、荒神様は彼に会いに来たのかもしれない。
「だめですよ」
しかし、それを否定する。
彼は『オカルト』なんて持ってない。
「京太郎さんは、私の彼氏です!」
ただの、霞の彼氏だと。
舌をべーっと出して、子供のように嫌がった。
それを見届けたのか、霞の中から神様が残り滓も消えていく。
気のせいかもしれない。神様が笑った気がした。
……
…
「京太郎さん、大丈夫ですか?」
「『大丈夫』ですー」
「嘘ね」
「うげっ!?」
「ふふっ、お返し」
「かなわないなぁ……」
霞が膝枕をしながら京太郎と話す。
お互い、憑き物が取れたように笑っていた。
「霞さんは大丈夫なんですか?」
「うーん、ダメかも」
「えっ、どこか悪いとこあるんですか!?」
強いて言えば、胸の痛みとか。
そんなことを考えたけれども、さすがに言葉に出す勇気はない。
「さて、どうしましょう……」
「ああ、その、霞さんが薄墨さんと話している時に友人を呼びました。
そのうち来ると思うんです」
「あら、そうなの?」
「はい、……そのまま逃げましょうか」
「逃げるって、どこへ?」
「海外です」
京太郎がきっぱりと言い切った。
海外、という言葉を聞いても実感が来ない。
霞は一度も行ったことがないのだから。
「フランスにツテがあるんですよ」
「そうなの?」
「中学の頃、ハンドボールの強化合宿で行ったことがあるんです」
「……でも、海外まで追いかけてきたら」
「それは大丈夫ですよ」
「なぜ?」
京太郎は笑う。
霞は困惑して、京太郎のほっぺたを突く。
「もう、教えて?」
「薄墨さんが言ってたじゃないですか。
『日本にいる限り』って」
「それは……」
「あれ、ヒントだと思うんです。
薄墨さんの立場を考えて、霞さんのためにできた唯一の……」
霞が目を見開く。
「そんな、偶然よ」
「だって、あの場で薄墨さんは霞さんを取り押さえようとしなかったじゃないですか」
「それは、力勝負ではかなわないから」
「もしさっきの男たちと一緒に来てたなら、間をおかずに油断させて襲ってくると思うんです。
こうして歩いてあの場所を離れるだけ余裕があったってことが答えじゃないですか」
「……すごく都合の良い考えね」
「良いじゃないですか。
都合の悪いことを考えても仕方ないでしょ」
「私、あの子と喧嘩しちゃったのよ?」
「喧嘩したら仲直りすれば良いじゃないですか。
俺たちみたいに」
「……もう、会えないかもしれないのよ」
「もしかしたら会えるかもしれないじゃないですか」
「強情ね」
「結構、自信はあるんですよ。
霞さんのために眼力鍛えましたから!」
「……そうね。そう思うことにするわ」
「あっ、納得してない!」
「そんなことを言われても……」
「こういうことはポジティブに考えるんですよ!
霞さんの友達は裏切ってない!」
「じゃあ、私たちの関係はどうやって知ったのかしら?」
「それは簡単です。
霞さん言ってたじゃないですか、東京行き用の携帯電話を渡されたって」
「あっ……。
でも、お祖母様が」
「その人の言ってたことは霞さんを追い詰めるための嘘ってことにしましょう!」
「それは、ちょっと都合が良すぎない?」
「だって知る術がないんですから、嘘でいいんです!」
「……」
「霞さんの両親だって応援してくれて、わざわざ鞄に仕込んでくれたんでしょ?」
「それは……」
霞にも一つだけ気になる点がある。
そう、カバンの中に仕込まれた手帳。
両親が予め知っていたとしても、いつ仕込んだのだろう。
家にいる時に、こっそり?
あるいは……。
「巴ちゃん……」
京太郎と会っていることを、『羨ましい』と笑っていた彼女を思い出す。
あの子が裏切ったなんて思いたくない。
そして、手帳を仕込めるタイミングは……。
「宿題を、渡した時」
巴は霞に『宿題を渡してくれ』と言わず、自分で霞の鞄を開けて取って行った。
彼女の性格を考えると不自然な行動だったのだけれども、気に留めたことはなかった。
「そのあと、私がここまで来れたのは」
思い返してみると不自然な点が幾つかある。
担任に呼ばれたにしろ、『二人同時にいなくなった』からこそ霞はここまで逃げてこられた。
「……」
「俺が薄墨さんたちを知らないから好き勝手言ってるんですけどね」
「ホントよ」
「あいたっ」
京太郎の頭をコツンと叩く。
『そんな都合の良い考え』――そう思う。
でも、それが現実だったらどれだけ良いか。
「もう会うこともないのなら、好き勝手に想像してもいい」
「そうそう!
霞さんにとって、永水の人たちとの思い出もたくさんあると思います。
だって、そうじゃなければあんな風に神代さんを守れませんから」
「……もう」
先ほどの情熱的な告白を思い返して、霞は顔を赤くした。
全く、卑怯だ。
――そんな風に言われたら、そう思いたくなるじゃない。
「ああ、車が来ました」
「車?」
「友人、というか師匠のです」
京太郎が嬉しそうに駆け寄ると、そこには黒塗りの高級車があった。
霞にとって車の判別などつくはずもないが、相当なお金持ちであることは間違いない。
「すみません、京太郎君。
遅くなりました」
「いえいえ!
来てくれただけでも嬉しいです!」
「ふふっ、来ますよ。
『プライベートなお友達』ですから」
「プライベートなのにこんな車使っていいんすか?」
「ええ、有休を申請したところ、派手にやれと」
「そ、そうですか」
京太郎が嬉しそうに語りかける相手は黒髪を持つ美麗な男性。
「その人は?」
「俺の友達です」
「ええ、友達です。
……では、こちらに」
「ありがとうございます」
「そ、その、ご迷惑をおかけして……」
「いいんですよ。
迷惑かけろって、言われたから」
京太郎が父親に説教された日のことを思い出す。
「ふふっ、京太郎君は変わりましたね」
「そうですか?」
「ええ」
京太郎と出会って霞が変わったように、霞と会って京太郎もまた変わっていた。
そのことを霞が知るべくもないが、男性は嬉しそうに笑った。
「じゃあハギヨシさん、お願いします」
「ええ、朝一の便でフランスへ」
「霞さん」
京太郎が先に乗り込み、霞の手を引く。
「日本でなくても、ついてきてくれますか?」
真剣な表情で霞に問いかける。
それを見て、霞は微笑んだ。
「どこまでも着いていきます」
京太郎の手を引いて、車の中へ入っていった。
……
…
一夜明ける。
まだまだ暗く、夜が開けていないうちに空港に着く。
霞にとって飛行機は未知の乗り物だ。
少し怖い思いをしながらも、京太郎に手を引かれて乗り込んだ。
「……落ちませんよね?」
「大丈夫ですって」
そわそわと周りを見回す霞を見て笑う京太郎。
また一つ、霞は知らなかったことを覚えた。
「でも、まだまだお空は霞んでいますよ」
「霞さんってインターハイに来た時は飛行機使わなかったんですか?」
「ええ、私はオカルトで移動できたから」
「そりゃまた……便利っすね」
「でもね。
昨日から、そういうものが感じられなくなったの」
「えっ!?」
飛行機の椅子に座ってじっとしながら俯く。
京太郎に抱きしめられて荒神を抑えて以来、何も感じないのだ。
「自分で神を降ろすことは勿論、他人の気も感じない」
「それは……なんといったらいいか」
「いえ、嬉しいのよ」
霞が顔を上げて京太郎を見上げる。
「確かにここまで生きてきたものは失ったけれど、それ以上に得たものがあるから」
「……俺?」
「ふふっ」
霞は恥ずかしくなって顔を逸らす。
『景色がいいから』なんて理由で窓際の席に座らされている。
逃げるように外の景色を眺めてみると、曇った霞色の空が見えた。
「……実はもう一つ、意味があるんです」
「え?」
「『霞』って意味。
綺麗な『朝焼け』って」
「ああ」
いきなり何を言うかと思えば、霞にとっては懐かしい話だ。
「霞さん、『沈み行くもの』って言ってたじゃないですか」
「そうね」
「沈んだ太陽はまた昇る。
霞さんのことですよ!」
「……ふふっ、詩的ね」
「あっ、馬鹿にしてるでしょ!」
なんだかかわいらしくて霞は笑った。
「やった! 笑った!」
「もう……」
照れてまた顔を逸らして外を見る。
外を見ようとしたところで、京太郎に顔を固定される。
――飛行機が飛び立つ。
「――」
唇が重なった。
霞は外を見ることは出来なかったが、霞色の空はすでに朝焼けを見せた。
飛行機が高く上がるにつれ、雲をつき渡って澄み渡る空へ。
沈んで、霞んで、澄んで、登って、新たな世界へと。
まるで祝福するかのように、お天道様が光り輝いていた。