鹿児島に帰り、彼がいない世界は霞色だ。
麻雀も終わり、あとは高校生活を済ませればお家の手伝いをすることになるだろう。
結婚相手が決まっているのならば、大学に行かせてくれることもないだろう。
考えれば考えるほど憂鬱になっていく。
「霞ちゃん、元気がないですよー」
「初美ちゃん」
そんな中、いつもと同じように初美が絡んでくる。
インターハイが終わっても彼女は変わらない。
永水を卒業したら、地元に戻るのだろうか。
「ほら、私たちも3年じゃない。
卒業後のことを考えちゃって」
「あー、それはありますねー」
初美がふむ、と考える仕草をする。
「でも霞ちゃんならまだマシですよー?
私なんて悪石島に逆戻りですから」
「そうなの?」
「別名、キングオブ何もない島!
あんなところに隔離されたら死んじゃいますよー」
「ああ、総人口70人くらいって聞いたわ」
「それでも、巫女さんが必要ですからねー」
はぁ、とため息を吐く初美を見る。
初美のアクティブな性格を考えれば、大変な環境だろう。
ほとんどが観光客の相手とはいえ、気が滅入るのではないか。
「私は、どうなるのかしらね」
「全く聞いてないんですかー?」
「両親からは何も……。
本家からは……」
本家、というよりはお祖母さんから聞いた話。
石戸霞の血は神代小蒔に最も近く、神代小蒔を守るための身代わりになる。
『生きた天倪』
幼い記憶の中でさらりと言われた言葉を思い出し、ゾッとする。
違和感。
今まで感じたことがないモノ。
当たり前のように受け入れていたモノ。
・天倪
古代、祓(はらえ)に際して幼児のかたわらに置き、形代(かたしろ)として凶事を移し負わせた人形。
後世は練絹(ねりぎぬ)で縫い綿を入れて、幼児のはうような形に作り、幼児の枕頭においてお守りとした這子(ほうこ)をいうようになった。
「霞ちゃん、顔色が悪いですよー?」
「そ、そうかしら」
今まで、それを苦に思ったことなどなかった。
そうなるように、ずっと修行してきた。
人のまま天倪になるとは、どういったことだろう。
これは、とてつもない、ことではないか?
代わりに『恐ろしいもの』を降ろすとは、どういうことだろう。
「震えてますよー!?」
「大丈夫、大丈夫だから」
姫様を後々から祓って貰う。
ダメだった時には、私が代わりになる。
良くないものや、『恐ろしいもの』は私が背負う。
――私は、人間なのかしら。
ただの人形、形代であれば良かった。
須賀京太郎に会わなければ良かった。
そうすれば、こんな悩みを抱くこともなかったのに。
……
…
夏休みの間は学校こそないが、修行の期間。
高校生活を送っている方が楽かもしれない。
寝るまでの間にほんの少しだけ時間がある。
「(電話、かけてみようかしら)」
手に握ったままの携帯電話。
東京に行った時のような余計な機能は持たされていない。
ガラケーの通話機能とメールだけが出来る私用のものだ。
京太郎の番号を見て悶々とする。
コールしても出なかったらどうしよう。
忙しくて会話できなかったらどうしよう。
もう遅いし、迷惑だったらどうしよう。
様々な考えが浮かぶ中、霞はただ『わがまま』を取った。
『もしもし、霞さん?』
「京太郎さん。
良かったらお話しできないかなって」
『大歓迎です!』
胸をほっと撫で下ろす。
拒絶されなくて良かったという思いだけが胸を埋め尽くす。
「そっちはどう?」
『いやー、全国であれだけ活躍したのもあって、大盛り上がりですよ』
「ふふっ。
清澄高校、すごかったものね」
『部員も今年から入ろうか迷ってくれてる人も多いですし、来年は期待できそうです!』
「やっぱり女性が多いのかしら?」
『うー、うちの部員目当ての野郎も来るんですけど、ここまで結果を残してると逆に尻込みしちゃうみたいで』
「京太郎さん的には嬉しい?」
『複雑ですね。
来年は俺も団体戦に出られるかな!? って言うのと、お前ら女性陣に色目使うんじゃねー! っていう二つありまして』
「ふんふむ」
それは、京太郎が少なからず想う人が清澄にいる、ということだろうか。
霞自身も気づかないうちにしかめ面をする。
『今年が奇跡だったんで、来年以降はまったりやるそうですよ』
「そうなの?」
『顧問もいないし、部員数も増えたら対処出来ませんからね。
ある程度諦めていた方が後々トラブルを起こさないって新部長と決めました』
「諦め」
『そうじゃないと、胸が苦しくなりますから』
「そう、よね」
京太郎がそういうことを言っただけで、霞はホッとした。
少し胸の中が整理できる。
『でも、ただではやられませんよ!』
「え?」
『今年は予選落ちで清澄の名に泥を塗っちゃいましたが、来年はもっと頑張る予定です!』
「泥をって……」
霞は考える。
清澄高校というただの公立高校で負けたのならば、それほど気にする必要はないのではないかと。
ただ、来年以降の新入部員のことを考えると彼の立ち位置が危ないかもしれないことはなんとなく考えついた。
「京太郎さんは、強いわね」
『そんなことないです。
負けた時スッゲー落ち込んで、慰めてもらったくらい情けないです』
「……誰に慰めてもらったのかしら?」
『同じ麻雀部の原村和ですね。
軽く声をかけてくれただけでも人って落ち着きますね』
「ふーん……」
この胸のモヤモヤはなんだろう。
友達が元気になって、うれしいはずなのに。
原村、和。
確かアイドルのような扱いすら受けているインターミドル覇者だ。
インターハイでも大活躍していた。
自分の胸をじっと見つめる。
――勝ってる!
初めて自分の胸を好意的に見れたかもしれない。
「女の子との会話中に他の女の子の名前を出すのは良くないわよ?」
『ひでー!?
聞かれたから答えただけじゃないっすか!?』
「ふふっ、女の子は理不尽なの」
ちょっとした優越感を抱いてからかう。
京太郎の反応も理想的で、楽しくなる。
「ねぇ、京太郎さん」
『はい』
「京太郎さんはさっき『どうしようもないことは諦める』って言ったわよね」
『そうっすね』
「京太郎さんが今一番欲しいもの、実現したいことを想像してみて」
『……』
何を想像したのだろうか。
来年の麻雀の結果、あたりが妥当か。
「どうしようもない状況まで追い詰められて
もう諦めるしかないと言われて
それを諦められる?」
『諦めないです』
即答。
霞はあまりの早さにびっくりしてしまった。
『絶対に、諦めないです』
「そう、よかった」
『あっ、落ち込んでると思いました?』
「ふふっ、余計な気遣いだったかしら」
嘘だ。
これは霞本人がどうあればいいかを考えるための質問だ。
利用してしまったことを後悔する。
『ありがとうございます!』
「いえいえ」
それでも、少し気が上を向いたようだ。
京太郎と会話しているだけで胸が温かくなる。
「それじゃ、明日も早いから……」
『結構長い時間話しちゃいましたね』
「いきなりかけてごめんなさいね」
『いえ! いつでも!』
「それじゃあ京太郎さん。
お休みなさい」
『はい、お休みなさい』
最近、考えてしまって眠れないことが増えた。
しかし、今日はよく眠れそうだ。
疲れていたのか、布団に入ってからすぐに意識が落ちた。
……
…
石戸霞の朝は早い。
今は永水女子にいるから実家の手伝いをすることはないが、それでもやることはたくさんある。
朝からご飯の準備を整え、学校に行く前には瞑想。
霞に与えられた『天倪』の役割として、自然と『恐ろしいもの』が体に入りやすい。
乱れた精神ではそれを御し切ることもできない。
そもそも入ってこさせないために、しっかりと修行する。
「ふぅ……」
本家の修行はともかく、気遣いをするのが大変だ。
他の六女仙もそうだが、分家として本家に仕えている以上は立場を弁える必要がある。
「あっ、霞さん。おはようございます」
「おはよう。巴ちゃん」
同じく修行している巴と合流する。
巴と春は祓い人。
小蒔や霞が神様を降ろした際に、体を清める役割を持つ。
霞にとってはなくてはならない半身だ。
「東京でエンジョイした分、修行が厳しいですね」
「そうね……。
やっぱり日常的にこなしていると気づかないものね」
どうしても楽をしてしまう。
朝早く起きる必要がないだけでも相当楽で、そこから自由に行動してもいい。
霞たちにとっては夏休みといえば修行の日々でしかなかった。
あの東京での数日間こそが、本来の女子高生の夏休みなのかなどと考える。
「霞さん?」
「?」
「いや、とっても疲れているようなので……」
「そう、かしら」
巴が心配してくれている。
しかし霞の心の中には『普通の女子高生』の生活。
「(ダメダメ。こんなことを考えていたら負けちゃう)」
自分が悪神に負けてしまえば、巴や春に迷惑をかける。
それ以上に、小蒔にも影響を及ぼす可能性があるのだ。
「(私がしっかりしないといけないんだから)」
「霞さーん?」
「巴ちゃんは大丈夫?」
「私は平気です!
もう体が戻りました!」
「そ、そう……」
周りを見渡せば、初美と巴は特に問題なさそうだ。
春は元からサボり癖こそあるが、要領よくやっているだろう。
中等部の二人のことはよく分からない。
小蒔は霞たちの知るところではない。
「(もしかして、夏休みボケをしているのって)」
自分だけかもしれない、などと思って焦る。
早く元の生活に馴染まなければ、と思っても体がうまくいかない。
「霞」
「お祖母様!?」
それでも懸命に修行を続けていると、声をかけられる。
今一番会いたくない相手だ。
霞の宿命を告げた相手であり、厳しい師匠でもある。
決して悪い人ではないし、尊敬しているのだが、今は心に準備が出来ていない。
「修行に身が入っていないようですね」
「申し訳ありません……」
案の定叱られる。
もっとも、この人に褒められたことなど一度もない。
むしろ実家関連での修行で褒められたことなど一度もないのではないだろうか。
「心」
「?」
「あなたの心に迷いが見られます」
「!」
やはり年季が違う。
この人の前では何も隠せない。
霞は京太郎との関係も漏れているのではないかと不安になる。
彼とはただの友達、そう言って理解してもらえるだろうか。
「霞」
「はい」
「詳しくは知りません。
けど、その葛藤はあなたには不要なもの。
あるべき姿に成りなさい」
「……」
「『霞』と」
「はい」
まるで暗示にでもかけられたかのように、心を無にして頷いた。
その瞬間、世界が霞色に染まった。
……
…
霞色の世界の中で、呆然とする。
1日修行を通しても悩みは晴れない。
あの時の祖母の言葉が離れない。
人間としてではなく、人形として、天倪として生きる未来。
ずっと前から定められて、そのために作られた人格。
色のないボヤけた世界で、じっと携帯を見つめていた。
――着信
ほんの数コールだけ躊躇して、それを受け取る。
「もしもし、京太郎さん」
『あっ、霞さん!
今大丈夫ですか?』
「ええ、平気よ」
その瞬間、世界に色が戻る。
ボヤけていない、そこにある現実。
今見ている光景は霞だけのものだ。
『なんか元気なさそうで……』
「そうね……。
ちょっと色々とあって」
『何かあれば聞きますよ』
思えば、ここで吐き出してしまえばいいのかもしれない。
全てを吐き出して、諦めて、人形に戻ればいい。
「京太郎さんは、『霞』ってわかる?」
『カスミ、ですか?』
「そう、私の名前の漢字の話」
『えっと、ボヤけている。そういう意味でしたっけ?』
「そう。
夕焼けの空、『沈み行くもの』と言ってね。
『不吉』なんて意味があるの」
『えっ、でも『カスミ』なんてよくある名前じゃ……』
「それは『香る』『澄む』と名付ける場合の話。
私は身代わりにされる存在」
――ああ、私は何を言っているのだろう。
霞はいきなりこんな話をしだした自分に後悔する。
こんな自虐、いきなり話されたってわかるはずがない。
「ご、ごめんなさい。
いきなりナイーブな話をしてしまって」
『……いえ、そんなことないです』
彼が羨ましい。
彼は霞の中で中心だ。
京太郎とは日本の中心で輝く健康男子の意味を持つ。
たかが名前とも言うが、今の霞にとっては些細なことでもコンプレックスになっていた。
『その、霞さん、今日電話した理由なんですが』
「あ、ああ。ごめんなさい。
なにかしら」
『実はこの夏休み、家族旅行で鹿児島に行く予定なんです。
一日だけでも会えないかなって……』
「……!」
現金なことに、胸が高鳴る。
先ほどまでの悩みが吹き飛んでしまったようだ。
『空いている日ってありますか?』
「えっと、……この日なら空いているわ」
『やった!
その日なら鹿児島にいます!』
「え、ええ」
彼の誘いを拒絶しなければいけない。
これ以上彼に浸かってはいけない。
こんな麻薬のような中毒性、抜けられなくなる。
そう分かっていても、デートの日付を決めていて楽しくなる。
どんなに辛くても、その日まで頑張れる。
『霞さん。おやすみなさい』
「ええ、おやすみなさい」
少し話して、楽しくて、本当にそれから始まったのに。
彼が来るのが楽しみで仕方ない。
今度はどこに行こうか、鹿児島を案内しようか。
ああ、まずは制服でも巫女服でもない私服を用意しなければいけない。
「か、買いに行かないと!」
――どうやら、忙しくなりそうだ。