京太郎とのデートの日まで、霞はそれをみんなに話さなかった。
いくら夏休みが修行の日々とはいえ、普通の休日もある。
その日が偶然京太郎の鹿児島滞在の日と重なったのは奇跡的だし、大事にしたい。
だが、誰にもそれを言わないということは、誰にも相談できないということだった。
「(どうしよう……)」
洋服箪笥の前でウンウン唸る。
例えば永水に来る前の友達だったり、六女仙が関係なければ相談することもできる。
だが、姫様の意向で永水女子に来てからはそんな友達は作っていない。
電話で相談することも考えたが、色々とリスクが大きい。
「(そもそも、洋服の種類が少ないのよ……)」
霞が着たいのは『今時の子』が着ているような『普通の服』だ。
だが、いかんせん自分に合う服というものがなかなか見つからないし、オーダーメイドはお高い。
お小遣いと相談して少しは買い揃えるにしても、今までのものがあまり役に立たないのは泣きたくなった。
「(前は制服と巫女服で誤魔化したけれど……)」
巫女服は嫌だ。
せっかくそう言ったしがらみを全て忘れて遊ぶことができるのに。
何より、デートに巫女服という発想自体おかしい。
では制服。これは前にも使った手法だ。
しかし個人的な旅行で来ている京太郎は制服ではなく私服を着ているだろう。
私服の男性と制服の女性。
どんなに頑張っても『そういう関係』に見られそうだ。
「(じゃあどんな関係に見られたいのかしら)」
霞は一人考える。
おそらくはかっこいい私服で来てくれる彼に合わせられる格好。
男と女が何の障害もなくただ遊ぶ、そんなデート。
それは一般的には恋人同士と言うのではないか。
「(わー! わー!)」
夜中に叫び出さずに枕に顔を突っ伏して堪える。
堪えることができたのは、ひとえにデートに邪魔を入れたくないという乙女の思考そのものだ。
「(私と京太郎さんが、二人で歩く)」
前と違って私服で歩く。
鹿児島を案内してもいいし、京太郎の行きたいところに行ってもいい。
「(私服で、手をつないで)」
霞の乙女な思考が外側に漏れ出す。
今までは隠してきた(本人的には)つもりの乙女な夢。
好きな人と手をつないでデートをしたい。
好きな人に引っ張って行ってもらいたい。
好きな人に敬語で喋ってさん付けで呼びたい。
たくさんの夢を、今まで隠してきた。(最も、初美にはバレバレだったようだが)
「(さん付けは、できてる)」
こちらの方が年上なので敬語ではない。
残り二つはほぼ同意義。
「(手をつないで……)」
考えるだけで頭が破裂しそうだ。
京太郎の長身から、つまり上から大きな掌を差し伸べられたら胸がキュンとなりそうだ。
むしろ、考えているだけで悶えている。
枕を抱きしめて布団の上でゴロンゴロンと転がり回る。
――今の霞を見て、『みんなのまとめ役』なんて思う人はいないだろう
「やっぱり、私……」
自分の気持ちを再確認する。
薄々気づいていたつもりだが、やっぱり間違いなさそうだ。
「京太郎さんのことが好き、なの、かも」
ボンっと音を立てて顔が真っ赤になる。
今まで自覚していなかった部分に気づき、冷静でいられない。
――そっか、みんなこういう気持ちなんだ
恋する乙女に憧れていた。
それは決して許されることではなかった。
永水に来る前、友達の家で読ませてもらった少女漫画。
自分の家で買うことはできないから、謝りながらも読み漁った。
その主人公の女の子が抱く『恋する気持ち』に憧れた。
どんな気持ちなのか、想像もつかなかったけれど、今ならわかる。
「これで一人前の乙女、よね」
ずっと憧れていた『普通の女の子』になれて嬉しい。
自分に課せられた使命なんかなんのその、恋する乙女の前にはないも同然だ。
――いや、意識しないうちに考えないようにしているのだろう。
「京太郎さん」
名前を呼ぶ。
胸が温かくなる。
「京太郎さん」
姿を思い浮かべる。
心臓がドキドキする。
嬉しくて、温かくて、切ない思い。
デートの日が来るまで耐えられるか、別の意味で心配になってきた。
「それどころじゃないわ!」
自分の気持ちを自覚したのならばすることがある。
京太郎とのデートを成功させることだ。
そのためには、まずは服。
「少し時間を作って買いに行きましょう」
お小遣いとお年玉を使えばなんとかなるはず。
なるべく可愛いけれど、露出は少ないものにしたい。
彼が露出が多いものが好みだったら失敗だけれど、はしたない女だと思われたくない。
――さてそうなると、一つ問題が出てくる。
「下着はどうしましょう……」
石戸霞。
間違ってはいないが、どこかずれている。
……
…
朝早く起きるのは得意だ。
いつも早くから起きて修行しているのだから、デート前ならばもっと時間を持って起きられる。
修行のためとはいえ日常的になっていて得をした、などと考える余裕もある。
起きて入念にシャワーを浴びて、時間をかけて身だしなみを整える。
「結局、これにして……」
わざわざ買ってきて、この日のために準備した服装。
少しでも彼の好きな服装だったらいいな、などと思う。
待ち合わせ場所には早く着く。
家にいてもソワソワしてやることがないか、バレて厄介なことになるかだ。
少しでも家にいる時間を短くするというのはよく考えたものだろう。
「前みたいに、早く来てくれたら……」
そんな気持ちが湧いてくる。
京太郎にも京太郎の予定があるだろう。
それも、前と違って旅行中だ。長野からわざわざ鹿児島まで来ている。
そんな余裕はないだろうから、今は待つ時間を楽しもう。
「あれ、霞さん?」
「きょ、京太郎さん!?」
「まだ一時間も前なのに……」
「ふふっ、来ちゃいました」
少し敬語が入るのは、自分の好みだ。
『男の人を立てる女の子』に憧れているからだ。
「俺も時間があったんで来たんです。
早く会えて良かった」
「そ、そう?」
「はい!
すっごく楽しみにしてました」
「わ、私も」
前と違って余裕を持てない。
おっとりとした口調も、お姉さんのような立ち振る舞いもできない。
「霞さん?」
「は、はい」
「いや、様子がおかしくて」
「き、気にしないで。
楽しくてこうなってるんです!」
「そ、そうですか」
なんだこれは。恥ずかしい。
二人とも顔を真っ赤にして俯く。
お互いに純情。一歩を踏み出せない。
「か、霞さん」
「は、はい」
「今日は動物園に行こうと思うんですが、いいですか?」
「もちろんよ!」
「良かった」
京太郎がホッとしたように頷く。
「その、霞さん」
「?」
「その私服、すっごく似合ってます」
「!?」
「俺、そんな風に露出が少ないおしとやかな格好が好きで……。
って俺の好みとかどうでもいいですよね!?」
「そ、そんなことないわよ!?
とっても嬉しいわ!」
「ど、どういたしまして?」
こうして二人とも混乱の極致に至る。
京太郎は言っている通り露出の少ない格好が好みのようで、デレデレとだらしなく顔を緩ませる。
そんな表情も今の霞にとっては格好良く見えるらしく、はうぅっと顔を俯かせる。
「じゃあ、行きますか」
「はい」
霞がチラチラと京太郎の手を見ながら、自分の手に視線を向けてアピールする。
京太郎は顔を赤くしてぽりぽりと頭を掻いたあと、右手を差し出した。
「手、繋ぎましょうか」
「……はい!」
暖かくて、大きくて、ゴツゴツとしている男の手。
霞には経験のない新しいものをどんどん与えてくれる。
夢が叶って、霞はこっそりはにかんだ。
……
…
「わぁぁ」
「霞さんって動物好きなんですか?」
「ひ、人並みよ」
某動物園に来てチケットを二人分。
霞が払おうと思った時には京太郎が出してくれていた。
むくれて反抗しようとするも、ギュッと手を強く握られて黙ってしまう。
「俺も好きなんです。
家でカピバラ飼ってるくらい」
「カピバラって……」
「あそこにいるやつですよ」
見慣れない動物がのしのしと歩いている。
「あれ?」
「そう、あれです。
大きいですけど、ネズミなんですよ」
「ネズミ?」
「地球で一番大きなネズミがカピバラです。
見た目もモコモコしてて可愛いでしょ」
「……」
じーっとカピバラを見つめる。
カピバラは霞のことなど気にしないようにのしのしと歩いている。
「見た目がモコモコしてるけど毛がすっごく硬いんですよ」
「へぇ……」
「ほらほら、霞さんも!」
「触っても大丈夫?」
「ちゃんと洗って消毒出来ますから!」
元気よくカピバラを撫でる京太郎。随分と慣れているらしい。
恐る恐る触ってみると、視覚から得られる情報とは違う手触り。
「ゴワゴワしてる……」
「でしょ! もふもふはしてないんですよねー」
「でも……」
「?」
「かわいい……」
言ってからハッとする。
ニヤニヤと霞を見る京太郎。
「もう! 京太郎さんったら!」
「へへっ」
悪戯を成功させたように喜ぶ。
そういう反応をされると嬉しいやら、困ってしまうやら。
言わされたことに悔しいのは間違い無いのだが、それ以上に喜んでいる京太郎がかわいい。
「どんな風に飼うのかしら?」
「あー、カピバラの飼育ってめちゃくちゃ大変なんですよ。
家に専用のプール無いとダメだし」
「家にプールがあるの!?」
「親も好きなんですよねぇ。
めっちゃ金かかってるらしいんですけど」
それは一般家庭では無いのでは無いか。
とはいえ、霞も一般家庭では無い。
似ているとは言い難いが、少しでも近い気がしてホッとする。
一通り動物を見て、ベンチに座る。
「そろそろご飯にします?」
「そ、その、お弁当を作ってきたの……」
「マジっすか!?」
「あんまり自信は無いんだけれど……」
「霞さんの手料理ってだけでめっちゃ嬉しいです!」
気合こそ入れたが、実力が伴っているとは限らない。
元気よく食べ始める京太郎を凝視する。
「めっちゃうまいっす!」
「よかった……」
霞が胸を撫で下ろす。
今日一番の懸念事項がなくなったと言っても過言では無い。
ダメになっていないか、美味しくなかったらどうしようなどとずっと考えていたのだ。
「このタコさんウインナーかわいいですね」
「あら、京太郎さんはそういうのが好み?」
「いえ、このために切り込みを入れている霞さんがかわいいんです」
「!?」
先ほどまでの純情さは何処へやら、嬉しそうにからかってくる。
一気に距離が縮まった気がして嬉しいが、心臓が持ちそうにない。
「……霞さん」
「はい」
「実は今回、霞さんに会いに来たのには理由があるんです」
「……」
なんとなく、察してはいた。
ここまで話しかけてくれて会いに来てくれる。
自意識過剰でなくても期待はするものだ。
「まず、一つ嘘をつきました」
「えっ?」
「家族旅行なんかじゃないです。
自分のお金で霞さんに会いに来たんです」
「!」
「だから霞さんの休みの日ならいつでも良かったんです。
たまたま、じゃないんです」
「……うん」
霞のためにそこまでしてくれることが、嬉しい。
ずっと待っていた『王子様』のようだ。
「それで、会いに行こうって思ったのは理由があって」
「……」
京太郎の言葉を待つ。
「『霞』って言葉は、決して悪い意味じゃないんですよって伝えたかったんです!」
「……えっ」
京太郎から繰り出されたのは、予想外の言葉。
「電話で言ってましたよね。
いろいろと悪い意味があるって」
「それは、そうだけど」
「俺、あれから調べたんです。
あんまり勉強は得意じゃないんで、間違ってるかもしれないんですけど」
一拍置いて、吐き出す。
「まず、『親切』って意味がありました。
咲を一緒に探してくれた霞さん。
『無邪気』って意味もあります。
かわいいものが好きな霞さん。
それに、『幸福』って意味もあるんです。
両親はそれを願ってつけたのかもしれません。
最後に、『清い心』」
一気に吐き出す京太郎。
霞はその勢いに押されて何も言えない。
「こんなにいっぱい良い意味があるんです。
自分を卑下しないでください」
「……ううっ」
涙がこぼれる。
自分のことを、そんな風に考えてくれた人なんていなかった。
コンプレックスを肯定してくれた。
「俺は、そんな霞さんが好きなんです」
「……はい」
涙が止まらない。
これだけ気を遣ってくれているのだから期待はしていた。
だが、そんな期待以上に自分のことを理解してくれていた。
「わ、私も!」
それ以上は言えなかった。
涙が流れて、嗚咽が溢れた。
悲しかったんじゃない。喜びが胸を満たしていた。
――私は、他の人の身代わりなんかじゃない!
――でも、でも!
霞を渦巻く状況は子供の恋愛感情が通るものではない。
「京太郎さんが、好きです」
そんな大人の理由に負けたくないと、精一杯の笑顔で京太郎に応えた。
……
…
京太郎と霞は恋人になった。
簡単に会うことは出来ないし、両親に認めてもらうのも大変かもしれない。
でも、諦めなければなんとかなると自分に言い聞かせる。
それから少しの時間、とても幸せだった。
手をつないでデートの続きをして、霞が憧れていた恋人割引のスイーツを食べたりした。
携帯の写メで自撮りして、二人で分け合った。
何気ない一つ一つの遊びが、京太郎といるだけで輝いて見えた。
思い切って腕を組んでみると、京太郎が顔を真っ赤にする。
胸が押し付けられていることに気づいて、霞もまた顔をも真っ赤にした。
――彼が好きなら、この大きい胸も嫌いじゃない
京太郎が帰るときには、胸が切なくなった。
それでも、また会えると信じて手を振った。
京太郎に渡してもらった『霞』の『良い言葉』のメモを見るだけで、心が落ち着いた。
「夢みたい……」
小さな頃から夢を見て、夢のままにしておこうと隠し続けていた想いが叶った。
それだけで十分幸せなのだ。
……
…
「霞ちゃん」
悪石の巫女が、それを見ていた。
瞳に静かに灯る暗い炎。
「私たちの本家がどうなのか、わかっていますかー?」
それは初美の意思ではない。
もっと大きなものの流れにいる。
「私たちだって、霞ちゃんと同じなんです」
悪意があるわけではない。
彼女とは親友だ。
小さな頃から六女仙として、同じ年の女の子として生きてきた。
「なんで霞ちゃんだけ……っ!!」
彼女が歪んだ嫉妬を浮かべるのは、決して悪ではない。