霞色の空   作:R.RIU

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【不吉】

 

 

 それからの数日間、霞にとって夢のような毎日が続いた。

 京太郎は長野に帰ってしまったのだが、気軽に電話をしてくれる。

 何より、『自分には彼氏がいる』という安心感が霞を整えた。

 毎日の早起きや修行も昔と同じようにこなすことができた。

 

 「(認めて、もらわなきゃ)」

 

 そう、霞の心にあるのはその一筋だ。

 ここで恋に現を抜かして修行を疎かにするようでは理解してもらえない。

 そんなことは霞もわかっている。

 今すぐにでも誰かに漏れてしまえば、彼と会うことを禁じられるのは容易に想像できる。

 隠れて、なんとか光を掴む。

 今の自分になら出来ると、言い聞かせるように必死に修行した。

 

 「少し、マシになったようですね」

 

 「お祖母様」

 

 声をかけられるが、以前と違って覇気のこもった声で返す。

 

 「あなたに決められた使命。

  そのことを忘れてはいけません」

 

 「はい」

 

 嘘はついていない。

 霞にとって京太郎はかけがえのない全てだ。

 かといって、今まで十年以上姫様のために生きてきたことも事実。

 

 叶うのならば、どちらも守りたいと思うのは傲慢ではない。

 

 「その身は姫様のために」

 

 「はい」

 

 天倪としての役目も果たしてみせる。

 ただ一つ、隣に京太郎がいればいい。

 それだけ許してくれれば、この身を捧げたって構わない。

 

 京太郎も小蒔も、六女仙もみんな大事。

 そのために今、霞が出来ること。

 

 一人前の巫女になること!

 

 全てはそこからだ。

 京太郎には待たせてしまうかもしれないが、一緒になるためには説得は必要だ。

 きっと大丈夫。

 話せばわかってくれる。

 そんな霞の一筋の思いを胸に抱いて修行する。

 それしか霞にできることはなかったのだ。

 

 祖母はじいっと霞のことを見据える。

 その長く生きた眼力は、若い娘の考えることなどお見通しと言わんばかりだ。

 

 「お祖母様?」

 

 「本日、伝えておく事項があります」

 

 ――空気が変わった。

 

 人の身にて一切の拒絶を許さないほどの圧力。

 どれだけ生きて、どれだけ修行すればこの極致にたどり着けるのか、霞にはわからない。

 

 「霞の婚約者と会わせます」

 

 「……えっ」

 

 たった一言で、霞の希望は打ち砕かれた。

 

 「霞ももう高校卒業ですね。

  石戸の血を引くものとして、神主を迎え入れる必要があります」

 

 「そう、ですね」

 

 「相手の血筋、性格は考慮してあります。

  もちろん、専門の大学の出身者です。

  貴女の娘が神代の天倪となるように、この地を支えるのです」

 

 ――なんだそれは

 

 霞は叫びだしそうになるのを必死に抑えた。

 わかっていた、ずっと前からわかっていたことだ。

 自分には自由意志なんてない。

 神代の分家として、姫様に最も近い血を持つものとしての義務がある。

 両親から直接言われたことはないが、噂話で婚約者がいると聞いたことはある。

 その時は『自分たちからアタックしなくていいなんて楽ですよー』なんて励まされた覚えがある。

 

 けど、けど!

 

 ――このタイミングはないでしょう!

 

 霞にだって色々と準備はあった。

 駄目もとだって、やってみるべきことはあった。

 何にせよ霞から行動して、本気であることを伝える意思はあったのだ。

 

 ――私には恋人がいる。

 

 そう言おうと思った瞬間に、気づいてしまった。

 霞に一切合切何も言わせないこのタイミングで婚約者に合わせようとした理由。

 ハッとして顔を上げる。

 修行している振りすらも保っていられない。

 お婆さんを見据えると、ゾッとするような暗い眼差しをこちらに向けていた。

 

 「六女仙から報告がありました」

 

 それはまた、霞を絶望に落とす一言。

 

 「貴方が男性と密会し、親密な関係になっていると」

 

 六女仙で、彼との関係を知っているもの。

 恋人同士になったことを知っているものは、霞視点ではいないはず。

 そこそこ親しいことを知っているものは、霞の知る限り二人。

 

 「霞、それは許されないことです」

 

 初美と、巴。

 

 「年若い貴女には残酷なことでしょう。

  しかし、物事には必ず理由がある。

  貴女にも理解するときがやってきます」

 

 初美も巴も親友だ。

 同い年で、小さな頃から親しい。

 

 「見合いの日付は学校が始まる頃に伝えます」

 

 情報が漏れてしまった原因が、その二人に裏切られた。

 

 「以後、私用の携帯電話は没収します。

  休みが終わるまでは通常通り修行するように。

  最後に――」

 

 トドメとばかりに、釘を刺された。

 

 「――姫様には、何も教えてはいけません」

 

 それが役目なのだと、純粋でなければいけないのだと語っていた。

 それ以上何かを言っていた気がするが、もう何も聞き入れることが出来なかった。

 

 

 ……

 …

 

 

 電気が付いていない自室で呆然と寝転がる。

 夜でもないし、眠気は全く来ない。

 泣きはらした目で、鏡を見る。

 

 「(酷い顔……)」

 

 何度洗っても涙が落ちず、自室での待機を命じられた。

 もちろん、携帯は没収されている。

 今までならば少し時間があれば京太郎と連絡を取ろうと考えもしたが、それも出来ない。

 せめて寝てしまえば少しはマシにもなるかもしれないが、それも出来ない。

 

 「今、しなければならないこと」

 

 あの後、祖母は呪いのように『霞』と連呼した。

 呪いの名前として名付けられた『霞』を聞くたびに機械のように使命をこなそうと身が起き上がる。

 どんな精神状態でもやらなければならないことが浮かんでくる。

 

 「姫様に気づかれないように」

 

 こんな泣きはらした顔ではとても会えない。

 全てが小蒔のせいだと怒りを与えられる性格ならば良かった。

 だが、『そんなことはできないように教育されている』

 小蒔のために天倪になった、八つ当たりかもしれないが、そのせいで京太郎との仲を引き裂かれた。

 

 ――それでも姫様には傷を与えてはいけない。

 

 楔が霞の胸の内を蝕む。

 自然と化粧道具を取り出し、涙の跡を隠し始めた。

 この化粧道具も京太郎に会う前に用意した、ちょっとお高いものだと考えるとまた涙が出てくる。

 何度も化粧を使って、涙が出てこなくなるまで繰り返す。

 

 「私は、石戸霞」

 

 自分に言い聞かせる。

 今まではこれで全て解決していた。

 

 ――でも、もう無理だ。

 

 一度でも『普通の女の子』を知ってしまった。

 何も知らなければ、大丈夫だった。

 知ってしまった以上、もう元には戻れない。

 

 コンコン

 

 霞の部屋をノックする音がする。

 幸い、化粧は済んでいる。バレることはないはずだ。

 

 「どうぞ」

 

 「霞さん、入りますー」

 

 入ってきたのは巫女服姿の巴。

 先ほどまで一緒に修行していたはずだ。

 まだ修行の終わりの時間ではないはずだが、と霞は考える。

 

 「今日は早いのね?」

 

 「それを言ったら霞さんもじゃないですか。

  なんでか『霞についているように』って言われちゃって」

 

 ここで霞は理解する。

 要するに、祖母がよこした見張りというわけだ。

 

 「わざわざ悪いわね」

 

 「それより、霞さんが体調悪いみたいで」

 

 「そう、もう大丈夫よ」

 

 見た目は平然としてみせるが、巴とは長い付き合いだ。

 訝しげな目でこちらを見ているのがわかる。

 

 「『大丈夫』」

 

 「……そうですか」

 

 語尾を強く言えば、『詮索するな』の合図。

 それがわかる程度には長い付き合いだ。

 巴は一つため息を吐いた。

 

 「霞さんはいつだって自分で背負いこんじゃうんですから」

 

 「そうね、そうかもしれないわ」

 

 「……?」

 

 巴が感じているのは、拒絶ではない。

 まるで柳が和ぐかのように無抵抗な感覚。

 今の霞と会話しても、流されてしまっている。

 

 「それが私の役目だから」

 

 「『みんなの役目』ですよ?」

 

 巴が訂正する。

 巴としてはいつも背負いこんでしまう霞のことを心配しているだけだ。

 

 ――だがここに不幸な行き違いが存在する。

 

 「(巴ちゃんか、初美ちゃんか)」

 

 ――密告したのは、どちらだ。

 

 祖母が言っていることが本当かどうかはわからないが、可能性が高いのは二人だ。

 祖母に何も言えず、姫様にも何も言えず、霞が怒りを向けられる相手はこの二人しか残っていない。

 霞の視線にはかつて親友を見るような慈母の眼差しはない。

 

 「お待たせですー」

 

 「ハッちゃんまで」

 

 「あらあら」

 

 考えているうちに初美もやってくる。

 どうやら、霞の考えていることは当たりらしい。

 

 「初美ちゃんまで、どうしたの?」

 

 「どーしたもこーしたもないですよー!

  霞ちゃんが修行で体調を崩したって」

 

 「あら、心配かけてごめんなさいね」

 

 「もっと謝ってくださいねー!」

 

 ふんす、と胸を張るのはいつも通りの初美だ。

 二人の態度から犯人を捜すのは難しそうだ。

 

 「……そういえば霞さん」

 

 「何かしら?」

 

 「その、高校卒業したらすぐに結婚するって」

 

 「……」

 

 「えっ、本当ですか!?」

 

 言いづらそうに俯く巴に、本気で驚いている素振りを見せる初美。

 

 「休みが終わるまで体調を崩されたら困るから、私たちに付き添いの命が出ました」

 

 「命令って言い過ぎですよー。

  面倒ですねー」

 

 祖母がつけたのだろうか。

 言外に六女仙を見張りにつけると伝えている。

 

 「ふふっ、二人ともよろしくね」

 

 「えっと、霞さん……」

 

 「何かしら?」

 

 巴も初美も、少し暗い顔をしてこちらを見ている。

 

 ――何を今更

 

 「『大丈夫』よ」

 

 無表情で、それだけ伝えた。

 

 

 ……

 …

 

 

 それはもう夏も終わる頃の話だった。

 夏休みが終わるまでの数日間、霞は『石戸霞』として過ごした。

 京太郎と出会う前に戻ったどころではない。

 巫女としてのお手本のように、人形のように完璧にこなした。

 そこには人間としての感情は挟まない。

 挟んでしまえば、壊れてしまうから。

 

 「ちょっと、疲れたわね」

 

 夏休みが終わり、高校に戻る準備をする。

 修行漬けだった毎日から解放される分少しはマシになるだろうか。

 実家に戻って荷物を整理していると、一枚のメモを見つけた。

 

 『清い心』

 

 ――それは京太郎が残したメモ。

 

 霞の良い言葉の意味を集めた手書きのメモだ。

 

 「あ……」

 

 それを見た瞬間、崩れ落ちた。

 この数日間抱え込んでいた心労が全て襲いかかる。

 

 ――ずっと誰かが側にいて監視されていた

 

 ――携帯電話は取り上げられていた

 

 ――もし、携帯に京太郎から電話がかかってきたらどうしようと、考えないようにしていた

 

 「ダメ、またあの時の私に戻っちゃう」

 

 このメモを見れば京太郎の恋人である石戸霞に戻ってしまう。

 そうなればもう耐えられない。

 仮面を被ってでも何もなかったことにして生きていかねば、霞が壊れてしまう。

 

 「……?」

 

 ふと、メモを裏返してみた。

 メモは彼が使っていた電話番号が記載されていた。

 

 「――!!」

 

 それは、一つの光明。

 もしかしたら助けを呼べるかもしれない。

 それだけを考えて実家の電話へと走る。

 実家の電話は昔ながらの黒電話だ。趣味でもなければ使っている人はいないだろう。

 

 「(京太郎さん……)」

 

 深く考えてした行動ではなかった。

 とにかく京太郎と話したい、その一面だけが体を動かしていた。

 

 『もしもし、どなたですか?』

 

 「あっ、京太郎さん……。

  霞、石戸霞です」

 

 『あれ、霞さん?』

 

 受話器から聞こえてきたのは前と変わらぬ彼の声。

 こちらの状況が全くわからないからこそ、彼は変わらない。

 その変わらなさに霞は安心を覚える。

 

 「ごめんなさい。

  その、携帯の使いすぎで取り上げられちゃって」

 

 『あー、だから繋がらなかったんですね。

  電話のしすぎで怒られちゃいました?』

 

 「そんなところね」

 

 『それは、俺のせいです。ごめんなさい』

 

 「ううん」

 

 咄嗟に出た嘘にしては悪いものではない。

 助けを求めるように電話したはずなのに、京太郎には知らせたくなかった。

 

 「その、京太郎さんの声が聞きたくて」

 

 『マジっすか。

  それ言われると一番嬉しいっす!』

 

 「え、へへ」

 

 いつもと変わらない会話。

 彼と話しているとなんでも楽しい。

 

 「もし良ければ、家から電話してもいいですか?」

 

 『こっちは全然問題ないですよー』

 

 「よかった」

 

 今後、電話できることがあるかどうかもわからない。

 それでもその可能性に期待したかった。

 

 「京太郎さんは何をしてました?」

 

 『俺は鹿児島旅行に行ったことを両親に問い詰められて……』

 

 「えっ」

 

 『めっちゃかわいい彼女が出来たって自慢してやりましたよ!

  ほら、あの携帯で撮った写真!』

 

 「は、恥ずかしいわ」

 

 『ごめんなさい、両親に見せるなんて重すぎますよね?』

 

 「そんなことない!

  光栄よ……」

 

 重いのはこちらの事情だ。

 京太郎になんて伝えればいいのかわからないのだ。

 

 『めっちゃ可愛くて優しくて、でもちょっとドジなこともあるって自慢しました!』

 

 「もう! ひどいわ!」

 

 『へっへー。

  そんなドジなところも可愛いんですけどね』

 

 「か、かわっ!?」

 

 『そんなところです!』

 

 「きゅ、急にデレられても……」

 

 『普通の人が見たら霞さんって美人タイプだと思うんですけど、個人的に可愛いタイプだと思うんですよね』

 

 「ふぇっ」

 

 『まぁそれは俺だけが知ってればいいんですけどね!』

 

 京太郎はやけに上機嫌なようで、それからもずっと霞のことを褒め続けた。

 霞が顔を真っ赤にして止めようとするが、京太郎は止めはしない。

 

 『その、元気でました?』

 

 「えっ?」

 

 『最初の声が元気なさそうだったんで、また思い悩んでるのかなって』

 

 「……京太郎さんにはかなわないわ」

 

 負けだ。

 惚れた方が負けというが、ここまで見抜かれるならば幸せだ。

 

 「『大丈夫』よ」

 

 『あっ、それ嘘ですね』

 

 「えっ?」

 

 『勘です』

 

 胸がドキッとする。

 初美や巴に何度も言い続けた言葉をバッサリ切られて呆然とする。

 

 『無理しないでください。

  何かあったら俺がいます。

  その、俺で出来ることならなんでもしますから』

 

 「京太郎さん……」

 

 こうしてただ話をしているだけで霞がどれだけ救われているか、京太郎はわかっているのだろうか。

 電話越しに泣きそうになるが、もっと楽しい話をしていたいのだ。

 

 『なんなら、もっと楽しい話をしますよ!』

 

 「ふふっ、じゃあお願いしようかしら」

 

 『じゃあ、あの話から――』

 

 それから1時間ほど、彼は沢山の楽しい話を聞かせてくれた。

 霞のことを思ってか女性の話は出さなかったが、それでも彼は沢山の話題を持っていた。

 男友達と馬鹿をやった話などは女の子の霞には理解できない話だ。

 そんな他愛もない話がとてもうれしい。

 

 「ちょっと話しすぎちゃったわね」

 

 『もう夜も遅いですしね』

 

 「またこちらから電話するわ」

 

 『はい。おやすみなさい、霞さん』

 

 「おやすみなさい。京太郎さん」

 

 そうして霞は受話器を置く。

 胸に手を当てて先ほどの会話を思い出す。

 

 ――とても楽しい

 

 どんなに辛くても、こうして彼が話してくれるだけで辛さが飛んで行ってしまいそうだ。

 もう直ぐ手放さなければいけないものだとは、考えないようにしていた。

 

 

 ……

 …

 

 

 実家で一時間以上も電話を占領していれば誰かに気づかれるのが当前。

 霞はそのことに気づかなかった。

 いや、あまりに辛くて、楽しくて気づけなかったのだ。

 

 「……」

 

 「……」

 

 切ったはずの受話器の前でじっと胸に手を当てている霞。

 そしてそれを見る霞の両親。

 

 両親は霞に何も言わず、お互いに頷く。

 そう、彼らにはやることが出来たのだから――

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