久しぶりに持った通学バッグが重く感じる。
夏休みボケと言うべきか、霞が精神的に参ってしまっていると言うべきか。
学校までの足取りも重い。
「(それでも、行かないと)」
親にも祖母にも気づかれてはいけない。
京太郎と唯一連絡できたあの黒電話が霞の最後の砦。
昨日はタイミングが良かったけれど、親がいるときに見られてしまえばそれすらも出来なくなる。
「(せめて、ギリギリまで)」
京太郎にも説明しなければいけないと言うのに、それも嫌だ。
京太郎には何も知られずに終わらせたいという霞のワガママ。
人として不義理ではあっても、理屈で抑えられる心ではない。
「霞さん」
「あら、巴ちゃん」
『偶然』のように霞と遭遇する巴。
これも命令されてやっているのかと思うと気持ちが暗く沈む。
「学校生活も久しぶりですね!」
「ええ、そうね」
「霞さんは勉強も得意だからいいですよね……」
「そんなことないわよ。
巴ちゃんだって成績悪いわけじゃないでしょう?」
「ううっ、苦手というか嫌いというか」
「私だって好きなわけじゃないわよ?」
「ハッちゃんよりかは得意なんですが……」
「ダメな見本じゃない」
「そうですね……」
初美は性格通りと言うべきか、勉強が嫌いと公言している。
もちろん、ある程度の学力は求められているために最低限のものは持っている。
しかし、うまくギリギリのところでやりくりするのが上手いのだ。
「でも、要領いいですよね……」
「そうね。
最低限のことだけしちゃうタイプだから」
「私なんて要領悪いから……」
「そうかしら?」
霞からすれば料理がうまく出来るような巴の方が羨ましい。
『みんなのまとめ役』としての仮面を被っていない時の霞は基本的に天然だ。
要領が良いのではなく、頭を使ったり試行回数を稼ぐのが霞だ。
そんな霞からすれば、料理という特技を持つ巴のことが羨ましい。
「まずは夏休みの宿題とか」
「ああ、大変だったわねぇ」
「あー!」
聞き慣れた声。
薄墨初美がこちらに向かって走ってくる。
「なんでそんな話をしているんですかー!」
「だって、夏休みの宿題は重要でしょう?」
「二人ともちゃんとやったんですかー?」
「それは、ねぇ」
「やりましたよ」
霞はコツコツと、巴は序盤になるべく終わらせるタイプだ。
もちろん初美は……。
「まさか初美ちゃん」
「終わってないです」
「なんでドヤ顔!?」
「一応終わる寸前には頑張ったんですよー!」
そう、夏休み最後の週にラストスパートをかけるタイプだ。
だがそのタイプがちゃんと終わらせてくるはずもなく……。
「見せてくださいよー」
「だーめ。
初美ちゃんは毎回そうじゃない」
「ぶー、いいですよー。
巴ちゃんに見せてもらいますから」
「わ、私!?」
「巴ちゃん、ダメよ。
そうやっていつも押し込まれて宿題を見せているんでしょう?」
「わー! なぜ知ってるんですかー!?」
「巴ちゃんがいつも愚痴っているから……」
「私、断りきれなくて……」
巴は押しが弱い。
どんなに叱っても、結局は初美に宿題を見せてしまうだろう。
霞もそのことはわかっているからこれ以上は言及しない。
「ほどほどにね」
「これで最後ですよー!」
「最後……」
「そっか。学校生活も最後だもんね」
「そうなんですよー」
最後の学校生活という単語に心が揺れる。
『石戸霞』の仮面が外れそうになるが、必死に抑える。
「最後くらい、ちゃんとやりましょうね」
「ぐえー」
「ははは……」
まぁ、そんなことを言いつつも霞も初美に宿題を見せてしまうのだろう。
――さて、表面上は取り繕えただろうか。
……
…
始業式が終わり、今日は少しのホームルームで1日が終わる。
今回、宿題の回収は一部のものだけで、大体は最初の授業の時に回収するらしい。
「抜かりないですよー」
「本当にねぇ」
初美は始業式に回収する分の宿題だけは終わらせてあり、残りを巴と初美に見せてもらっている状況だ。
「修行漬けに麻雀漬けで宿題する暇なんてないですよー」
「あら、私たちはちゃんと終わらせてきたわよ?」
「私も今終わらせるからいいんですー」
「ハッちゃんはずるい」
「そうね、ずるいわ」
「チッチッチ。
これは『賢い』と言うんですよー」
サラサラと手を動かしながら器用に口も動かしている初美。
巴は提出する宿題をまとめている。
「霞さんの分も集めますね」
「そうね。お願いするわ」
わざわざ霞の鞄から宿題を取り出してくれる巴に礼を言う。
夏休みが終わり、ただ普通の毎日が戻ってくる。
まだ初日なのに、体が馴染み始める。
宿題に集中し始める初美を横目に、霞と巴が話し出す。
「しかし永水女子は宿題が多すぎますね」
「それはあるわね」
「霞さんはこっちに来るのが一番遅かったですから。
その辺り少し大変だったんじゃないですか?」
「そうねぇ。
結構慌ただしくて大変だったわ」
巴と話していると今までの日々を思い出す。
祖母に言われてお役目を教わり、修行の日々。
六女仙として数えられて姫様のために尽くす。
「なんだか遠い昔のよう」
「そんなに前じゃないですよ」
「あら、そうかしら。
インターハイの出来事も結構前に感じるわ」
「それは、そうですね」
霞にとってはインターハイでの出来事以上に衝撃的な出来事が会った。
それが須賀京太郎との出会い。そして交流。
霞にとっては今までとは違った明るい毎日。
それらを思い出すと、それ以外の記憶がどうしても薄くなってしまうのだ。
「いろいろとありましたね」
「そうね」
「そうですよー。
私と霞ちゃんの100本勝負だってありました」
「ああ、そんなこともあったわね」
「今度は負けませんよー」
「そんなことを言っても、初美ちゃんはじゃんけんも弱いし」
「もう最初にチョキは出しませんよー!」
「ハッちゃん、この前それを言って別のでも負けてたよね」
「ぐぬぬ……。
この前の勝負でもほとんど五分でしたから!」
「今度は膝枕してもらえるといいね」
「また私の膝枕が景品なのかしら?
もう、前みたいに私が勝った時はどうするの」
「霞ちゃんが勝つことなんてないですよー」
「言うわね……」
霞が軽く腕まくりをする。
「じゃあまずは腕相撲で勝負しましょうか」
「また力勝負ですかー!?
卑怯です!」
「じゃあ麻雀?」
「ここには三人しかいないですし」
「麻雀から離れた勝負がしたいですよー。
それに、お互いの手の内がわかりすぎてて不毛です」
「それはあるわね」
身内とのオカルト合戦。
神を下ろして対決するわけにもいくまい。
「高校生活が終わったら、こんなこともなくなるんですかねー」
「そうかもしれませんね」
「そう、ね」
和やかに話す二人に対して、霞は一瞬躊躇する。
自分の中で忘れようとして封じ込めているものが出てきてしまう。
「大人になったら遊ぶことも少なくなるって言いますし」
「私たちも遊んでいるというより、他のことで一緒にいることが多いですけどね」
「そういえばそうですね……」
「それでも」
霞が言葉を区切る。
「やっぱり何かが変わるのかしら」
「お家の集まりでもないと会えなくなったりしそうですね」
「お仕事の関係なんて嫌ですよー」
「なってみないとわからないけどね」
各々が思い浮かべる将来。
二人にとっては家を継ぐことが当たり前の思考。
――本当に、そうなるのかしら
霞は考える。
二人の思考はかつての自分。
家の元で何の疑問も持たずに生きてきた自分。
もし、彼女らの言うように家のためだけに生きることが前提ならば……。
――『天倪』である私は、生きていないかもしれない
例えば姫様に降りる天災を自分の身に変える。
神代のために、依り代となる。
自分が自分でなくなってしまう要素は多くある。
そのことを考えると、とても胸が寂しくなった。
「(だから、一緒にいるべきなのかしら)」
彼女らは役目を果たしただけ。
霞と京太郎の関係について密告したのも、『仕方ないこと』
自分に言い聞かせるように何度も思い返しても、暗い感情が抜け落ちることはなかった。
……
…
学校も終わり、帰宅時間になる。
早く帰れるというだけで学生は心沸き立つ。
周りにも『どこに遊びに行こう』などという話が盛り上がっている。
だが、霞には関係のない話だ。
もう直ぐ婚約者と会わせられる霞に自由時間はほとんどない。
常に六女仙の誰かが側にいる。
表向きは『大事な石戸の跡継ぎを守る為』だとは言う。
それを言えば『身代わり』が大事だと言うのも皮肉な話だ
「あれ……?」
授業が終わり、帰る時間になっても二人が来ない。
キョロキョロと周りを見回してみてもどこにもいない。
「(先生に呼ばれたのかしら?)」
先ほど教師に呼ばれて何かを話していたのを思い出す。
僅かな時間。
「(帰りましょう)」
ほんの少しの、抵抗。
「(『私は』誰かと一緒にいろなんて言われていないわ)」
子供のような反抗心。
どちらにせよ家に帰るだけならば怒られることもあるまい。
自分の部屋でしか自分の時間が取れないなどと言うのも窮屈だ。
ほんの少し歩いて、自分を見つめ直すのも悪くない。
……
…
石戸霞は鹿児島で育った。
他の土地に連れられることはほとんどない。
旅行などと言ってどこかに行くこともなかった。
例えば、『オカルト』を介して他の土地に行くことはある。
だが、その土地柄に触れるといったことはない。
「(東京、暑かったわね)」
麻雀のインターハイ。
東京に宿泊したことは霞にとって大きな経験をもたらした。
知らないことをたくさん知ることができた。
「(コンクリートジャングルに、満員電車)」
東京名物というには些か美しいものではないが、霞にとって貴重な経験だ。
「(ここにある景色と真逆ね)」
山の中を歩いて思う。
「(たくさんの人がいた)」
街中を歩くだけで人の波。
ナンパしてくる人もいた。
「私、知らないことだらけ」
それらは六女仙のまとめ役として生きていた経験だけでは決して知ることができない。
そして、何よりも――
「京太郎さん……!!」
もっとも大切な人と、出会うことができた。
姫様を助けてくれたこと。
そのことでちょっと警戒していたこと。
宮永咲を一緒に探すことになったこと。
なぜかデートをする流れになったこと。
ナンパから助けてくれたこと。
背伸びして美術館に行きたいと言って、盛り上げてくれたこと――。
「(たくさん、たくさんある)」
電話して何気ない話をしてくれたこと。
ファミレスで愚痴を聞いてくれたこと。
名前呼びをしてくれたこと。
家に帰っても、連絡をしてくれたこと。
鹿児島にまで来てくれたこと。
『最後に、清い心』
――こんな自分を、褒めてくれたこと。
短い時間だったのに凝縮されすぎていて、どれもが霞にとって色鮮やかな思い出だ。
「やだ、やだよぉ……!」
足を止め、子供のように泣き出した。
彼以外の人と一緒になるなんて考えられない。
身代わりになって死んでしまって、彼に会えなくなるなんて嫌だ。
手のひらで顔を覆い、涙を拭ってもキリがない。
「(ハンカチ……)」
鞄の中からハンカチを取り出そうとする。
今日の鞄はやけに重く感じる。
霞の心が曇っていて、精神的に辛いからだろうか?
「……えっ?」
ハンカチを取り出そうと小物入れを漁ると、そこには一冊の手帳が入っていた。
見覚えのない、コンビニで売っているような手帳だ。
ただ、霞はそんなものを買った記憶はない。
「?」
誰かが間違って入れてしまったのか。
中身を見てみると、何やら文章が書いてある。
『霞へ』
手帳に似合わない、達筆な書き方。
同年代の女性が書くようなものではない。
『自分の生きたいように生きなさい』
その一文のためだけに、何度か書き直したような跡がある。
霞の心臓が高鳴る。
『両親より』
最後に加えられた一文で、霞は悟った。
手帳に貼ってある付箋のページに行くと、そこには霞用に作られた銀行口座が書いてあった。
「……!?」
声が出ない。
慌てて周りを見回しても、田舎道には誰もいない。
メモ帳に書いてある通りにバッグを漁ってみると、霞が見たこともないような多額の現金が入っていた。
「これっ……て……」
胸の高鳴りは収まらない。
期待して、いいのだろうか?
そんな不安と裏腹に、霞の足は既に動き出していた――。
……
…
鹿児島から長野までは遠い。
それも学校帰りに行くとなれば相当限られる。
とにかく駅に行って電車に乗り、霞はそこから考える。
様々な理屈が頭の中でぐるぐると回る。
いきなり押しかけて否定されないだろうか。
京太郎に迷惑をかけるし、住む場所だって考えていない。
こんな重い考えをしていて、理解してくれるだなんて思えない。
霞がいなくなったことで両親にかかる迷惑だって計り知れない。
六女仙はどうなるのか、姫様はどうなるのか――。
問題は山積みだし、霞が考えたところでどうにかなるものではない。
しかし、両親の言葉を思い出す。
『自分の生きたいように生きる』
両親が何を思ってそれを書いてくれたのか、霞には見当もつかない。
親の心子知らず、とはよく言ったものだ。
だが、厄介払いをされたわけではないはずだ。
「(私の、生き方)」
もっと素直に考える。
今一番やりたいことは何だろうか。
「(京太郎さんに会いたい)」
そうだ。結局のところそれだけだ。
京太郎が霞を受け入れるかどうか、それは霞がいくら考えたってわからない。
今はただ霞が自分の気持ちに素直に行動するだけだ。
「(背中を押してもらえたから)」
他ならぬ両親に、霞の心を変えてくれた京太郎に――
もし、京太郎に否定されたのならばその時はその時だ。
一目会えただけでも幸せなのだと言い聞かせる。
「(六女仙、は――)」
ズキリ、と胸が痛む。
頭の中でゆっくりと考える。
――六女仙とは、たくさんの思い出がある。
一緒に修行し、姫様のために生きて、麻雀インターハイに参加して、他にもたくさんだ。
たくさんの不安を胸に抱えて景色を眺める。
流れゆく鹿児島の景色。
「(六女仙のためじゃない。
私は私のために生きる)」
一度解き放たれた心が戻ることはない。
もう霞は外の世界を知ってしまったのだ。
どんなに考えても、この足を止める気はない。
「(これが最後になるかもしれない)」
気づけば新幹線に乗っての移動。1日だけではつかなそうだ。
それでも、ほんの少しだけでも彼がいる長野に近づきたい。
電車に揺られる景色を見て、もう二度と見ることは出来ない覚悟を決める。
「(それでも、あなたに会えるなら――)」
ただ一つの想いとともに、霞は向かう。