Encounter-佐為の目覚め-   作:鈴木_

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15 佐為VS緒方 【完結】

 

 

本来の予定なら、大会が終われば韓国、中国の選手たちは当日のうちに母国へ戻る予定だった。前回は、秀英が個人的に日本に残りヒカルと対局していたが、出場者と団長まで全員が日本に滞在日を一日延ばした。

その理由は、saiと緒方が朝からネット碁で対局すると、事前に分かっていたからである。

 

理由が何故かはヒカルも分からない。自身がネットのsaiであると認めても、佐為はなぜか緒方との対局を、盤面向かい合うのではなく、ネット碁で打つことに拘ったのだ。

ネットのsaiであることを自ら認めているのに今更何故?と周囲は頭を捻ったが、緒方にしてみればsaiと打てさえすれば、もう盤面向かい合おうがネット碁だろうがどちらでも良かった。

3年前、トップ棋士として最盛期だった行洋を打ち負かしたsai。

そのsaiとようやく対局が叶うのだ。

当然対局するからには勝つに越したことはない。

 

しかし、己の一手にsaiが応え、試され、挑んでくるというのは、北斗杯の会場で交わした言葉での約束より、優しげな雰囲気を崩すことなく細められた鋭い視線が向けられたことの方が、緒方に対局の実感と歓喜をもたらした。

その対局を観戦するために、塔矢家に棋士たちが久しぶりに集まっているのだ。

 

「君は藤原さんの傍で対局を観戦するのかと思っていた」

 

「俺もそうしようかと思ってたら、佐為にこっち行けって断られたんだよ。対局中、一人で検討してるより皆で検討した方が俺の勉強になるからって」

 

清々しい朝からむすっと不満顔で答えるヒカルに、アキラは呆れながらも下駄箱からスリッパを出してやる。

そのアキラの影からヒョイと、寝癖でさらに跳ねたツンツン頭が顔を出す。

 

「なんや、進藤こっち来たんか」

 

寝起きなのだろう。ボリボリと寝癖がついた頭を手で掻きながら現れた社に

 

「社?大阪戻ったんじゃ?」

 

「俺は塔矢先生がついでや言うてここ泊まらせてくれた。宿代勿体ないって」

 

流石のヒカルも行洋の名前を出されては、文句はつけられない。

 

「ホラ、社もさっさと顔洗ってこい。もう皆揃っているんだぞ!」

 

アキラに急かされて洗面台へと社が向かう。

だが、ヒカルにとって最も意外だったのは、佐為と対局する緒方も塔矢邸に来ていたことだった。

何故対局する本人が観戦・検討するために集まっている塔矢家の、それもアキラの部屋にいるのだと、ヒカルはじっと襖の隙間から表情の見えない後姿を覗いて、またこっそり襖を閉じる。

 

「藤原君が緒方君に対局後そのまま検討できるウチで打つのはどうだろうかと提案してね」

 

検討用の広間で上座に座った行洋がそう言ったとき、後になって考えれば、確かにヒカルは何かの勘が働いたのだ。

行洋、否、佐為がまだ何かを企んでいる。

そんな気がしたのに、目の前ですでに今か今かと対局が始まるのを待っている楊海をはじめ、中国選手たちや韓国の安太善、高永夏、洪秀英らの姿に、考え過ぎかと軽く流してしまった。

 

昨日対局したばかりだというのに、こうして全員揃って佐為と緒方の対局を観戦しようとしている。その現実に、ヒカルは不思議な感覚になった。

ただ、前回、saiのアカウントを使用しtoya-koyoと対局して、対局を観戦しようとしたユーザーのアクセスが集中し過ぎて、対局途中でサーバーが落ちてしまった前例がある。

 

故にそのニノ鉄を踏まないために、有名になり過ぎたsaiとtoya-koyoのアカウントは使えない。

よって観戦のために作ったヒカルのアカウントを、今回に限り佐為が代替ということで使用することになった。

これならヒカルのアカウントは一般ユーザーには知られていないから、サーバーが落ちるという最悪の状況は回避できる。

対局は行洋の時と同じ持ち時間三時間の、白コミ6目半で行われた。あらかじめログインしていた緒方のアカウントに佐為が対局を申し込むことで、緒方が黒、佐為が白を持つ。

 

公式対局と非公式なネット碁での対局。

同じ対局でも棋譜が残り賞金がかかるか、またはそうでないかの差はあるが、この一局はさらに一介の碁打ちとしてのプライドがかかっている。緒方はプロ棋士であり、タイトルホルダーとしての、そして佐為の方も行洋を下したネット碁無敗の棋士として、また自身が本因坊秀策であることを伏せたまま、負けてやるつもりは全くない。

ガチンコの真剣勝負だ。

 

「これって、ただのネット碁の対局やろ?」

 

北斗杯の合宿で初めてsai vs toya-koyoの棋譜を知り、こうしてリアルタイムで佐為が緒方と対局している観戦画面を見ながら、社が信じられないと呟く。

信じられないというのは、目の前で繰り広げられている対局が、公式対局ではないことに対してだ。

 

佐為の棋力を疑うつもりはない。棋譜という絶対の証拠があるのだから。

だが、一般人でも気軽に打つことの出来るネット碁のはずなのに、観戦している一局はどの公式手合いにも見劣らない。むしろタイトルをかけたトップ棋士同士の一局と言っても、誰も疑わないだろう。

北斗杯の前に、行洋と佐為が対局して対局途中にサーバーを落としたというのも納得出来るような気がした。

佐為がいつも使っているsaiのアカウントを使っていれば、対局相手が行洋でないとしても相当数の観戦数が押し寄せたはずだ。

 

(あの人、ホンマにこれでプロやないんか?それより、誰にも知られないでこんな強うなるなんて可能なんか?)

 

対局画面を眺めていた社がツバを飲む。

去年の北斗杯の合宿でヒカルと対局した時、碁を覚えて2年でここまで打てるものなのかと驚いた。

もっともそれはヒカルに碁の師匠がいないということを踏まえての驚きであり、こうして佐為という師がいたことが判明した今では、それも納得出来る。

だが、次にでは師匠の佐為は一体誰に碁を学んだという疑問が出てくる。

 

『謎めいた強さを持ち、誰にも負けたことがない棋士』

 

そんな棋士に惹かれない碁打ちはいないだろう。一般人は言うに及ばず、碁を生業とするプロ棋士ならさらにその強さの謎に惹きつけられる。

 

『ノゾキ?先にこっちをツイでおくのが先だろ?』

 

佐為の打った一手に韓国語で永夏が指摘したのだが、指の動きで韓国語が分からない面々にも、その意図は伝わる。

 

『だよね、久しぶりに打って、藤原さんの打つ感覚が鈍ったとか?』

 

秀英も永夏の考えに賛同し、この場にいる多くが永夏の指摘に頷く中、

 

「どう思う?進藤君」

 

上座から行洋の冷静な声が降ってくる。そう促すからには、行洋も佐為の意図を汲みあぐねているからなのだろう。

行洋だけはヒカルが幽霊だった佐為と共に過ごした時間を知っている。

誰よりも佐為と共に同じ時間を過ごし、誰よりも佐為と打って、誰よりも佐為を知っている。そのヒカルなら佐為の打った意図に思うところがあるのでは、と考えての問いだった。

行洋の促しに、検討室の室内がシンと静まる。

誰もがヒカルの答えを待っていた。

対局画面を見つめ、じっと考えていたヒカルがゆっくりと口を開く。

 

「……それでいいと思う。佐為なら、……佐為ならきっとツグよりノゾキの方が先だって考える」

 

「だから、どうして?」

 

と、アキラ。

 

「だって佐為は真ん中の黒を丸ごとつぶしたいって思ってるから」

 

確信めいたように断言したヒカルに、周囲が反応できるまで、たっぷり三秒は置いただろう。その三秒後に悲鳴に近い驚きの声が上がった。緒方が対局しているアキラの部屋が、この検討用に用意された部屋から離れていたのは幸運だったろう。

もし部屋が近く急に上がった大声に緒方が集中を乱されでもしたら、北斗杯合宿で塔矢家常備となったハリセンが緒方の渾身の力で喜んで舞っていた。

 

「えええっ!んなアホな!」

 

と頭を抱え叫んだのは社だ。

 

『いくら塔矢先生に意見を求められたからって、もうちょっとマシなこと言え』

 

『それはいくら何でも緒方先生相手に無理があり過ぎるだろう?』

 

秀英と楊海にそれぞれ通訳してもらった、永夏とヒカルと対戦した王が苦言を零した。

アマ相手ならいざ知らず、対局相手は現タイトルホルダーの緒方だ。

プロ棋士相手にそんな強引な手はまず通らないと普通なら考える。

しかし、アキラはヒカルが佐為の対局で見栄を張ろうとしてそんなことを言ったようには思えず、首を傾げ盤面をじっと眺めた。

 

「いや、進藤君の言うとおりかもしれない」

 

何かがひらめいたように目を見開き、身を乗り出してきた行洋が、石を持ち、パチパチと黒石と白石を交互に打っていく。

その石の軌跡に、一人二人と、『あ』と何かに気づいたように声を上げる。

しかし、即座に眉間に皺が寄り唸った。可能性的には無くはない。だが、際どく難しい。

もし自らが打っていて、この局面でこの流れに気づいたとしても打ち切る自信があるかどうか。まず打たずに避けて通る道だ。

 

「これでも結構際どいでしょう?黒を切ることは出来るかもしれなくても、つぶすとなるとやっぱり難しいですよ。ここを潰したとしても、緒方先生が他で地を稼ごうとして、他に目を向けたらそれまでな気もしますし」

 

うーんと腕を組み、自分なら打たないなぁと悩む楊海に、

 

「際どいってことは可能性があるんでしょ?佐為なら絶対見逃さない。緒方先生の手を全部考えた上で、そう打ったんなら本気で潰せる自信があるんだ」

 

ヒカルが断言する。

あまりの自信満々さに楊海も驚きながら、一言「冷静になってね」と前置き一つして、

 

「進藤君、藤原さんのこと良く分かってるね。やっぱり弟子だから?」

 

「違う、かな」

 

「違う?」

 

「アイツは確かに師匠なんだけど、俺自身でもあったから。自分の考えてることくらい分かるよ」

 

「なんだそりゃ」

 

ヒカルの意味不明な回答に、楊海は己の日本語の学力がまだまだ低いのかと疑ってしまった。けれど、ヒカルの言葉を理解できたのは、この場では行洋と、もしかするとアキラだけだったのかもしれない。

 

『本当に緒方先生の中央の黒潰した……』

 

対局が中盤も半ばで秀英が信じられないと呟く。

 

『見事』

 

その一言に尽きる白の打ち回しだった。強引過ぎる力碁だ。けれど、その力碁は佐為の深いヨミとすばぬけた計算がなければ決して証明できなかった碁だ。

中央の黒がつぶれたことで、その間に手薄になった白に最後のマギレを求めたが、最後まで緒方の黒が追いつくには至らなかった。

投了の宣言が白から出て、画面に映される。

勝った佐為はもちろんだが、負けた方も決して恥じるどころか、誇りに思ってもいいほど名局だった。

対局が終了しても部屋から出てこないだろう緒方に、ヒカルたちの方から緒方のいるアキラの部屋へ向かう。

 

「どうだった、佐為は?」

 

佐為と打ってみた感想を行洋が尋ねると、

 

「考えていたより遥かに強かったです」

 

満足そうな表情で緒方が振り返ってつぶやく。その声は、落ち着き静かで、満足感に満ちていた。

緒方は再度ディスプレイに向かい、

 

『いい一局だった。負けたことは悔しいが満足だ。だが、まだ対局したのはこれが初めてだ。次はこうはいかない』

 

佐為はログアウトしていない。まだディスプレイの向こうにいる佐為に、キーボードをリズミカルに打ち込んでエンターキーを押す。

 

『あります。私は以前、貴方と一度だけ打ったことがあります』

 

「え?」

 

佐為から返ってきた返事に、緒方の眉間に皺が寄る。

また緒方を余所に、同じことを初めて佐為と会ったとき自分も言われたなと行洋は頭の隅で思い出す。

 

(俺が佐為と打ったことがあるだと?)

 

そう言われても緒方に佐為と打ったような心当たりは一切ない。もし佐為がアカウントを全く別のHNで打っていたとしても、少しくらい打ち筋や棋風が記憶に残るはずだ。

だが、思案する緒方の背後で、冷や汗を流していたのはヒカルだ。

 

(佐為?一体何言うつもりだ?)

 

今日、この塔矢邸に来て感じた嫌な予感が再度押し寄せてくる。

 

『いつだ?』

 

緒方がチャットを打ち返す。すぐに返事は返ってきた。

 

『打ったと言っても、緒方先生はだいぶお酒が入っていて、簡単な死活すら間違える有様で、まともな対局ではなかったかもしれませんが』

 

「酒が入って、死活を間違え、た?」

 

タイピングしようとしていた緒方の指がピタリと止まった。

酒が入っていようとプロ棋士の端くれ。ただのアマ相手ならどんなに酒が入っていても負ける気はしないし、負けた過去もない。

だが、脳の片隅に残っている記憶が一つある。

佐為の言うとおり酒が入って、簡単な死活を間違えて負けてしまった一局。酔った頭でsaiのような打ち回しだとぼんやり思った気もする。

 

『差し出がましいとは思うのですが、あまりお酒の飲み過ぎは体によくありませんし』

 

そこでチャットの入力が一度途切れ、

 

『酔っ払いが夜中まで頑張って客に指導碁をしている子供に絡むのは、褒められた行為ではないと思います』

 

一文の最後の締めまで、きっちり文章を返してきた。

 

「…………」

 

無言の緒方の後、日本語が分からない趙石がまだ少年っぽさの残る声で

 

『藤原さんはなんて言ってるの?』

 

と無垢に楊海に尋ねてくるが、このチャット内容を緒方の許可なく通訳していいものか、流石の楊海も困り顔になる。

やはり大人には泥をかけられたくない面子というものがあるのだ。

同じく太善たちに通訳を急かされている秀英もどう通訳したものか、言い難そうに口をもごもご動かしていた。

 

「緒方さん、そんなことしてたんですか?」とアキラ。

 

「緒方君……」

 

愛弟子がいつの間にかしでかしていた粗相に、声を低めたのは行洋。

社などは、トップ棋士の隠れた醜態暴露にニヤけそうになる口元を押さえている。

 

「進藤ッ!」

 

「ひぃっ!」

 

動物的本能で咄嗟にヒカルは逃げようとしたが、それよりも振り返った緒方の腕がヒカルを捕まえる方が早かった。

緒方の手がヒカルの腕をがっちりと捉え、とても逃げ出せない。

まだ座っていた緒方が立っているヒカルを睨みあげる形で、

 

「詳しく話を聞かせてもらおうじゃないか?あ?俺はお前と対局した覚えはあるが、佐為と対局した覚えはないぞ!?」

 

「だって緒方先生が佐為と打ちたいって駄々捏ねるから、先生の希望通り打たせてあげただけだろ!」

 

「駄々捏ねるだと!?あのときお前は俺に気付かれないよう隠れながら佐為の指示を聞いていたのか!?」

 

別に佐為は間違っても隠れていないし、ヒカルは堂々と佐為が言う場所に石を置いていただけなのだが。

 

「なんだよ!?佐為と打てればあとはどうでもいいって昨日言ってたじゃん!?」

 

「昨日なんぞ知らん!」

 

猛然と追及してくる緒方に、行洋の入院していた病院を思い出す。

あの時も、迫ってくる緒方に恐怖を感じたが、今こうして鬼の形相で睨んでくる緒方はもっと怖い。

 

この緒方に対して、正直に幽霊だった佐為が後ろから指示してましたなんて言ったところで、頭に血が上った緒方が信じてくれるわけがなく迷わずハリセンが落ちてくる。

saiの矛盾は多々あれど、元から幽霊だったころの佐為を証明するものは何一つない。こうして記憶を取り戻し肉体を得た今であればなおのこと証明は難しい。

 

(佐為の馬鹿!だからあんなに緒方先生と対局するのにネット碁に拘って、俺をこっち寄越したんだな!?あんだけ自分がネットのsaiだってこと内緒にしときたいとか言ってたくせに!俺が昨日バラしたの根に持ちやがって!)

 

1時間後に佐為が何食わぬ顔で塔矢邸にやってくるまで、説明に窮したヒカルは検討中も緒方に睨み続けられるのである。

 

 

 

 

― 完 ―

 

 

 

 

 


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