Encounter-佐為の目覚め-   作:鈴木_

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09 思惑

『去年に引き続いて、韓国日本の出場メンバーは去年と同じか』

 

シャンパングラスを片手に、今年も中国の団長になった楊海が誰に言うでもなく、出場メンバー表に目を落としながら呟く。

今年もなったというより、やはり楊海が日本語と語学に通じていることが中国団長に推された要因だろう。

 

もちろん楊海側に断る理由は無かったが、それ以上に今年の北斗杯参加は碁を打つだけではない違う意図が絡んできたことを内心面白く思ったものだ。

会場の至るところで関係者が挨拶を交わしている中、ある一角だけが微妙に浮いている。チラチラと絶えず視線を向けられている。

 

そして、向けられている人物は自身に向けられている視線に気づいているだろうに、見ているこちらが気持ちいいほど見事にスルーしているのだ。

そこに韓国選手団の団長である安太善が、選手たちの元を離れにこやかに楊海の元へ歩み寄ってくる。

 

『楊海さん、お久しぶりです。今年もお手柔らかにお願いします』

 

『太善、久しぶりだな。今回は去年の雪辱を晴らさせてもらうから覚悟しとけよ』

 

『はは、相変わらずだ』

 

安太善と楊海は韓国語で会話する。

すでに国際棋戦で何度も顔を会わせている間柄なので、楊海の方は軽口も付け足す。

 

『聞いたぞ、太善。韓国の棋戦で今度挑戦者になったらしいじゃないか。タイトル取れよ?』

 

『全く楊海さんは耳が早いですね』

 

耳が早いというべきか、語学を趣味にしている手前、常に多言語を覚え忘れないために、その国の新聞を毎日読むのが最も効果的なのだ。

その為、楊海は毎日中国だけでなく韓国語や日本語で書かれた新聞にも必ず目を通す。もちろん読むからには少しでも興味のある囲碁関係の新聞がいい。

 

『sai、現れましたね』

 

『ああ。これで塔矢先生は確実にsaiの正体、正体とまでいかなくても対局日時を約束するだけの連絡手段を持ってるな』

 

本来ならプロ棋士が他国のアマに関心を持つことはほとんどないと言っていい。しかし『sai』だけは例外である。

ネット碁ユーザーだけでなく、2年前のネット対局で塔矢行洋に真剣勝負で勝った正体不明のネット棋士として、一躍その名前が国を問わず広まった。

と、同時にsaiの正体について、しばらく噂されたものである。

その対局を境にネットから消えていたsaiが再び現れ、行洋と再戦した。2年経ったとはいえ、saiの名前を憶えているものは少なくないだろう。

 

2年越しの再戦はサーバーダウンで流れてしまったが、一度のみならず、二度もsaiと互戦での対局が出来たのだ。

片方が頻繁にネット碁をしていて、それで偶然に対局することが出来たというならまだ話は分かるが、お互いがほどんどネット碁に現れず、前もってその時間に照らし合わせたようにログインした。

これがただの偶然であるわけがない。

 

『塔矢先生は、決して口を割らないでしょうね』

 

『だろうなぁ~。というか、あの人からそんな情報聞き出せるようなやつなんて、この世にいるのかよ?』

 

『徐彰元先生でしたら塔矢先生とも家に招かれるほど親しいですし、もしかすれば……。でも、その前に肝心の徐彰元先生を動かすのが至難の業でしょうけれど』

 

肩を竦めた安太善に、それもそうだと楊海は賛同する。

となると、余計に知りたくなるのが人の性(さが)だろう。

プロの縛りがなくなった大棋士まで一緒になって、堅く口を閉ざし、正体を隠そうとするsai。

そこに何かが隠されていると分かっていながら、むざむざ諦めるような聞き分けのよい性格ではない。より強い者と対局してみたいと棋士であれば強く望む。

かと言って、碁を生業としている同じプロ棋士の一人として、楊海にはプロであった行洋が同じプロ棋士相手にそこまで肩を持つとはどうしても考えられなかった。

 

(棋力は別として、saiはまず間違いなくアマだ)

 

プロではない一般人だからこそ、行洋は自身に勝るとも劣らないsaiの棋力に敬意を払い、正体を不明のままにしておきたいsaiの意思を尊重しているのだろう。

そう考えれば行洋の考えに納得できる反面、楊海の中でさらに疑いが増すのだ。

レセプションの開会式で、皆の注目を浴びながら平静を乱すと無く挨拶をした『藤原佐為』という人物がネットのsaiではないのかと。

 

一切の素性を闇に隠し切るsaiに、楊海はある意味、感嘆すら覚える。

もし本当に『藤原佐為』がsaiだったとして、この大会で初めてスポンサー企業関係者の名前としてその名が挙がるまで、誰も知らなかったのだ。

それだけ『藤原佐為』が碁界とは無関係に生きてきたことが知れるというものだろう。

 

現に、楊海が中国選手団を代表して佐為に挨拶したとき、それとなく囲碁は打つのかと尋ねてみれば、あっさり『一度も打ったことがない』というソツのない返事を頂いている。

恐らく安太善も同様に探りを入れただろうが、煙に巻かれたのだろう。

 

『だが、相手はスポンサー様だ。あまり下手なことは出来ん』

 

『でもこれだけ注目を浴びながらあそこまで堂々とされると、こっちもただ黙っているのは癪ですよね』

 

ニヤリと安太善が口角を微かに上げる。

 

『何か策でもあるのか?俺も混ぜろ』

 

『策という程でもないです。ただ秀英が、進藤くんと藤原さんが親しく話しているのをエントランスで見たそうなんです』

 

『進藤君が?』

 

『秀英は日本語が分かりますからね。何を話しているのかまではハッキリ聞き取れなかったそうですが、どうも敬語じゃなかったっぽいんですよ』

 

『そりゃまた進藤君が礼儀知らずだったってわけじゃなく?』

 

『そこまでは私からは何とも言えませんけれど、いくら進藤君がまだ子供だったとして、スポンサー相手に初対面でいきなり馴れ馴れしい口がきけるような雰囲気を、例の人物がしてると思いますか?』

 

『思わないな』

 

即答した。あれだけ整った容姿の人物を前にすれば、警戒はせずとも普通なら誰でも気構えする。仮に日本選手だけすでに何度か会ってたとしても、本当に打ち解けられるような関係になるのは、相応の時間が必要だろう。

 

『でも、韓国(ウチ)は去年の一件以来、永夏の巻き添え食らって、進藤君からひどく嫌われていますからね』

 

思い出したように、安太善は困り顔で天井を仰ぎ見た。

通訳の間違いからきた些細な誤解。それを永夏は面白がって余計に拗れさせたのだ。

 

『そんなこともあったな、ハハ』

 

懐かしそうに楊海が笑う。

 

『楊海さん、日本語できるんですから進藤君に聞いてみては?仮に誤魔化そうとしても、彼はそこまで嘘をつくのに慣れていないでしょうから、少しくらい態度に出るかもしれません』

 

『秀英君は進藤君と親しいんだろ?そっちはどうなんだ』

 

『秀英はそういう取引というか、駆け引きを嫌う部分がまだまだあるから、二の句もなく断られました』

 

安太善は両手を挙げて降参のポーズをとる。

プロであっても子供は子供の判断で物事を見る。その子供らしい純粋さから見れば、大人の取引や駆け引きはズル賢く映るだろう。

 

『だからって、俺がいきなり声をかけるってのもなぁ。逆に警戒されそうだし、せめて日本の団長が倉田だったらまだ良かったんだ。いらんときにはふてぶてしい面で現れて手間をかけさせるくせに、本当に必要なときにはいないんだからな、アイツは』

 

楊海はこれまで見てきた倉田の面倒を思い出しながら、しかめっ面でぶちぶちと愚痴をこぼす。

 

『倉田さんの代役も日本は奮発したものだと、聞いたときは驚きました。まさか現タイトルホルダーを代役に当ててくるなんて。これもネットのsaiが現れたことに関係するのでしょうか』

 

安太善の視線が日本選手団の中心にいる白いスーツを着た人物に向けられる。

現在、日本のタイトルを2つ保持し、他のタイトルもリーグ戦に残り、今年中にさらにタイトル数を伸ばすかもしれない。

世代交代を迎えようとしている日本の碁界で、緒方が次の世代となる筆頭であり、今最も勢いに乗っている。

 

『緒方先生ねぇ。実は俺、話したことないんだよな。一度くらい手合わせしてみたいもんだが、さてどうだろうな?緒方先生は塔矢先生の弟子だ。塔矢先生と裏でグルになってsaiを隠そうとしてくることも考えられるぞ?』

 

つまり、大の男二人の知恵を寄せ集めたところで、結局は策無しという結論に辿り着くのだ。

 

『……saiと思わしき人物はすぐそこにいるのに手は出せない。ご馳走を目の前にして、よだれを垂らすだけで我慢しなければならないのと同じ状況だ』

 

苦笑しながら安太善は呟く。

 

『もし叶うなら、一度でいいから対局してみたいんだがな』

 

『とりあえず、日本にはあと4日はいれます。その間に何か進展があることを期待しましょう』

 

そう言った安太善に楊海も頷き返した。

 

 

 

 

普段からにこやかな顔をしていることなど全くといっていい程ないが、今の戸刈は眉間に皺を寄せ明らかに表情を強張らせていた。

戸刈を知る者であれば、この表情を見ただけで何か重大な問題が起こったのだと分かる顔だ。まっすぐに佐為の元まで足早にやってくる。

 

「佐為、何をした?」

 

周囲に誰もいないことを確認した上で佐為の隣に立ち、不機嫌を隠すことなく戸刈は話を切り出す。

 

「戸刈さん?」

 

「会場の雰囲気が去年と違って変に浮き足立っている。中韓の関係者も何故あんなにお前に注目しているんだ?気づいているんだろう?新しいスポンサーだからというだけでは説明がつかん。それに……二日前、緒方先生に電話でお前への取次ぎを頼まれた。急だったこともあり、もちろん断ったが」

 

戸刈の知らせに、佐為はなるほどと顔を少し俯かせクスリと笑む。正面からは無理と踏んで、周囲から攻める手段を緒方は取ってきたらしい。

攻めどころは間違っていない。

北斗通信社システムの戸刈なら、同じスポンサーとして佐為と対等に話すことが出来る。

 

それを踏まえて、去年からの日本棋院と北斗通信社の付き合いを利用しようとしたのだろう。

だが、戸刈と佐為の付き合いはそれ以上に長いのだ。

 

「ありがとうございます。でも何もしてませんよ、本当に」

 

もししたとすれば、それは北斗杯開催前に行洋とネット碁を途中まで打ったことくらいだ、とは佐為の心の中だけの呟きである。レセプションの挨拶一つでここまで自分が注目を集めるのは誤算だったという他ない。

自分で考えていた以上に『sai』の名前は海を越えて知れ渡っていたらしい。

 

「だが、タイトル保持者が日本選手団の団長になってくれたお陰で、この大会の話題性が上がったのは確かだ。彼の話を聞いてやるだけでもダメなのか?」

 

「話を聞いたところで、緒方先生の期待に添えることは何一つ言ってやれないのに?」

 

クスリと、何も知らない者であればその笑みを向けられただけで騙されてしまいたくなるような惚けた佐為のこの一言に、逆に戸刈の眉間に皺が増える。

 

「相手の用件を分かってて避けてたのか?」

 

「だいたいですが」

 

「あの日、進藤君の中継を偶然見て、お前がいきなり北斗杯のスポンサーに自分の会社も参入したいと言い出した時はどういうつもりかと疑ったが、この状況も最初から分かっていたのか?」

 

「どうでしょうね?そう見えないかもしれませんが、自分でも結構驚いているんですよ?私って有名人だったんだな~と」

 

公式手合ではない。非公式かつアマとしてネット碁でしか打っていないのに、これほど世界のプロ棋士たちが『sai』という正体不明の棋士の名を知り注目していたのだと、この会場に来て初めて佐為は実感した。

のらりくらしとした佐為の態度に戸刈は埒があかないと早々に見切りをつける。今はレセプションの最中で責任者が長話をしている時間はないのだ。

 

「私のところで止められるものは出来るだけ止めておく。だが直接は知らん」

 

「十分です」

 

小さく佐為が頷いたのを視認して、戸刈は何も言わずその場を後にする。

碁のテレビ中継を佐為が偶然見た日以来、仕事以外に興味を持たなかった佐為が急に囲碁に興味を示したことを意外に思ったのは確かだ。

しかし、佐為が碁に興味を持つのはいいとして、何故プロ棋士たちがああも佐為を注目するのか理由が分からない。

不審に思って、戸刈が棋院側の関係者に尋ねても言葉の歯切れが悪く、濁されてしまう始末だった。むしろ尋ねた相手から、佐為の素性を尋ねられる始末で。

 

壇上で挨拶をする佐為を見る彼らの目は、ただの新規スポンサーを見る目ではなかった。

まるで、碁盤を挟み、対戦相手を見やるような、自身と同じ碁の棋士を見やる真剣な眼差しをしていた。

 

 


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