美少女にTS転生したけど第二性がオメガだった 作:肉の粒うどん
いつからだろう? わたしが
体の制御を本能に明け渡し、暇になった理性で考える。
目の前には甘い匂いを発したオメガが居る。
わたしの部屋で、わたしの匂いに包まれながら、わたしを誘惑するオメガが居る。
手足が勝手に動く、だなんて、小説の中でしか知らなかった現象を今まさに体験している。
わたしの
いつからだろう?
一切の誇張なしに、生まれる前からいつも隣に
10歳の第二性診断。わたしがアルファ、祢子ちゃんがオメガと聞いたとき、何の迷いもなく祢子ちゃんと
幼いわたしにとって、
わたしの両親も、なんなら祢子ちゃんの両親も似たような考えを持っていただろう。お母さんの口癖は「ほら紫衣! 祢子ちゃんの隣に立つならしっかりしないと!」で、祢子ちゃんのお父さんの口癖は「祢子のこと、よろしくな?」だった。
そう、このころはまだ、わたしはわたしが好きだった。あなたが居ない日に心を
腰が抜けたように動かないオメガの正面に立つ。視線に気づいたオメガが私を見上げる。
眼が媚びている。
荒い吐息が媚びている。
赤く上せた頬が媚びている。
甘い匂いを発する
もう彼女以外他に何も見えなかった。見る必要性も感じなかった。自分の体ごとオメガを押し倒す。鈍い音がどこかで鳴る。どうでもよかった。
オメガは抵抗しない。
すでに緩んでいたリボンタイを取っ払って、彼女のブラウスを第3ボタンまで開ける。噛むのに邪魔だったから、長い後ろ髪をまとめてかき上げた。甘い匂いがより一層強くなる。
オメガは抵抗しない。
口を開く。犬歯が太く、鋭く伸びていく。涎が垂れてカーペットに染みを作っている。
ぐちゃぐちゃになった舌を伸ばして、
オメガは抵抗しない。
部屋中が異常な熱で覆われていて、手持無沙汰な理性だけは俯瞰でわたし達を見下ろしている。
暇な理性は考える。考える。
いつからだろう? あなたが違う場所を見ていると気づいたのは。
うん、少し思い出してきた。
昔から、祢子ちゃんは少し不思議な所があった。
女の子なのに、ふと男の子みたいに見えるところ。
自分が卒業するわけでもないのに、卒業式の朝は毎年涙ぐんでいるところ。
通学路では必ず、ただ一度の例外もなく、わたしを歩道側に寄せるところ。
告白を断るとき、いつも同じセリフを言うところ。
ああ、すっかり思い出した。
中学1年の夏だった。日付はたしか、7月13日。
『ちょっと呼び出されたから行ってくるね~』
そう言った祢子ちゃんの顔を思い出す。少しだけ恥ずかしそうな、だけどなんだか懐かしそうな顔。
しぃは先に帰ってて。そう言われたけど、どうしても気になったわたしはこっそり後をつけたのだ。
暑い日だったのを覚えている。午後4時20分、屋上に降り注ぐ陽光で汗が止まらなかった。
相手の男子はベータか、もしくはオメガだったと思う。アルファ同士だけが感じ取れる、特有の威圧感が彼からはしなかったから。
『に、忍冬さん! 俺──』
彼がなんと告白したのかは覚えていない。正確には、彼女の返事以外なにもかもがあいまいで判然としない。
『やー、うん、ごめんなさい! 私、好きな人が
『今はもう会えないんだけどさ。まだその人のこと、忘れられないってカンジで』
『え? ……んー、まぁ、アルファではないかな? 強いて言うならベータ?』
最初は聞き間違いかと思った。次に適当な嘘をついているのだと思い込んだ。
返答した彼女の顔を見て、ただの現実だと思い知った。
祢子ちゃんには本当に、心の底から好きな人がいる。
生まれてから13年間、ずっと隣にいたわたしではない。
13年間想いを伝えてこなかった、臆病者の、ちっぽけなアルファではない。
わたしが今まで見たこともなかった
3年前の7月13日、わたしは
そして、同じときから。
わたしは
「……っあ」
「ッ!!」
耳元で聞こえた声。その音に乗った艶で意識が再浮上する。とっさに体を起こす。
理性が体の制御を取り戻した、いや取り戻してはいない。身体の暴走を一時的に止めているだけだ。
そうだ、わたしは何をしているのだろう。祢子ちゃんの言葉を聞いた日から、彼女が前に進めるその日まで支えようと決めたではないか。
臆病者で矮小なわたしでは祢子ちゃんの番にはなれないから。
彼女が素敵な人と巡り合えるまで、一番の親友としてサポートしようと誓ったではないか。
目線を下に向ける。
祢子ちゃんの
アルファがオメガを
こうして初めて二人は番になり、死ぬまで消えない噛み痕が残るのだ。
なんとか、致命的な過ちを犯す前に踏みとどまれたらしい。
臆病者のアルファはオメガを噛むことすらできないのか── 心の隅に沸いた劣等感を踏み潰す。必死に見ないふりをする。
「ハァッ、ねっ祢子ちゃんごめっ、わ、たしっ」
「……」
正気に返ったはいいものの、あまり悠長にもしていられない。
甘い匂いはまだ部屋中に充満している。時間が経つほど濃くなっていく。
一刻も早く祢子ちゃんに
「祢子ちゃ、おくすり入れてるカバンどこっ、あっ、あれ?」
「……」
祢子ちゃんの通学鞄を探そうとして、やけに目線が低いなと思って、そこで初めて彼女に馬乗りのままだったと気付いた。
「あっ、ごっごめんすぐどくねっ」
転がるように彼女の上から退く。ゴン、と音がして、ちゃぶ台に
だめだ、頭がうまく働かない。甘い匂いが離れない。
どこだ、どこだ? 祢子ちゃんの通学鞄。必死に記憶を辿る。
学校。鞄を肩に提げた祢子ちゃんと校門を出た。
わたしの家。玄関までは持っていたはず。
そのあとはどうした? 急に祢子ちゃんの様子がおかしくなって、鞄を持ったまま階段を上って、それで──
「っわたしの、部屋の前……!」
そう、祢子ちゃんがわたしの部屋に入る前。ドアに手をかけたタイミングで鞄を落としている!
「はぁっ、待ってて祢子ちゃん、今お、おくすりとってくるからっ」
腰が抜けたまま、体を部屋の入口に向ける。
ドアは閉まっていた。違う、わたしがさっき閉めたのだ。オメガの匂いを少しでも外に出したくなくて。
「はぁっ、はぁっ」
甘い匂いは強くなっていく。どんどん甘くなっていく。
痛む脚を抑えて立ち上がり、ドアノブに手をかけた。
生まれて初めて、6畳しかない自分の部屋に感謝した。これ以上広かったら間に合わなかったかもしれない。明日からは狭いクローゼットも愛せるはずだ。
「っ、これで、なんとか……!」
あとはドアノブを回して、廊下に落ちている鞄のジッパーを開いて、内ポケットの抑制剤を飲ませてあげるだけ。
それだけ、だったのに。
「あっ、あれっ? えっ?」
異常に気付く。ドアが開かない。ガチャガチャと音はするのだが、いつもみたいにドアノブが回らない。
「あっ、なっなんでっ、なんっで!!」
扉一枚隔てた向こう側にさえ行ければ、
この部屋から出られさえすれば、
抑制剤さえ飲ませれば!
わたしはドアノブを回し続ける。ガチャガチャと音が鳴り続ける。
「あいてあいてなんでっ! わたしのへやなのに!!」
思い返すと、きっとこのとき既にわたしは
だから、
後ろの人影に気づかない。嗅ぎ慣れたシャンプーの香りに気づかない。
「あいて、なんでっ、なん──」
「ね、あついよ?」
ドアノブを握りしめるわたしの手。その上に、わたしより大きくてきれいな手が重なった。
「えっ? えっ」
「んふふ、つかまえたぞー」
「あ、だ、だめ!」
後ろから、やわらかくてあたたかいものに包み込まれる。いつの間にか祢子ちゃんがわたしを抱きしめていた。
予想外だった。
いますぐ離れてと、このドアさえ開けば大丈夫だからと、そう注意しようとした。震えた声で伝わるか不安だったけど。
でもそれ以前に、注意するために振り返ったのは。わたしより17cm背の高い彼女を見上げたのは、完全に失敗だった。
「しぃ」
「あついよ」
「たすけて?」
そうやって覗き込んでくる祢子ちゃんの顔が。
わたしを包み込む祢子ちゃんから伝わってくる熱気が。
どうしようもなく、3年前の7月13日を思い出すから。
名前も知らない、知る気もない誰かに向けるはずの、
だから、だから、わたしは、
ドアノブから手を離した。
☆☆☆☆☆☆☆
ドンドン、ドンドン、ドンドン、
なにかをたたく音がする。
「紫衣! ここを開けなさい! 紫衣!」
「しぃちゃん! 祢子! おねがい!」
聞き馴染んだ声がする。聞き馴染んだどころではない、お母さんの声だ。それと
もう晩ご飯の時間かな。忍冬家といっしょに食べる日ではなかったはずだけれど。
そもそも、お母さん今日は遅くなるって言っていたのに。いつの間に帰ってきたんだろう。
視界が真っ暗で、眼をつぶっていたと気付いた。眠ってしまっていたみたい。
だけど眠っていたにしてはとても疲れていて、とても心地よい。
「ん、ふぁ。 ……はーい」
寝ぼけたままの声で返事して瞼を上げる。電気も付いていない、月明かりだけが頼りの室内。
まず飛び込んできたのは祢子ちゃんの寝顔だった。かわいい。
でもなんで祢子ちゃんまで寝ているんだろう。学校から帰ってきて、そのままいっしょにお昼寝したんだっけ?
ドンドン、ドンドン、ドンドン、
ドアをたたく音で集中できない。
ええと、今日はいっしょに勉強会する予定で、でも祢子ちゃんの顔が赤くて。
わたしは止めようって言ったけど祢子ちゃんはわたしの家に来て、祢子ちゃんが私の部屋に入って。
祢子ちゃんに
上半身を起こして、隣で眠る祢子ちゃんを見つめる。
はだけたブラウス、投げ捨てられたプリーツスカート、ぐちゃぐちゃに濡れたベッド、乱れた烏羽色の髪。
項から滴る赤色。月明かりでもはっきり見える噛み痕。
自分の唇をなぞる。
この世の何よりも甘くて、少し鉄っぽい味が口内に残っている。
わたしの犯した過ちと、抱いた彼女の柔らかさを思い出して、このまま朝が来なければいいと切に願った。