美少女にTS転生したけど第二性がオメガだった   作:肉の粒うどん

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拙者、アルファが本能に逆らうものの結局負けちゃう描写大好き侍と申す


2話

 いつからだろう? わたしが狼立 紫衣(わたし)を嫌いになったのは。

 

 体の制御を本能に明け渡し、暇になった理性で考える。

 目の前には甘い匂いを発したオメガが居る。発情期(ヒート)を迎えたオメガが居る。

 わたしの部屋で、わたしの匂いに包まれながら、わたしを誘惑するオメガが居る。

 手足が勝手に動く、だなんて、小説の中でしか知らなかった現象を今まさに体験している。

 

 わたしの本能(アルファ)は彼女を噛むと決めたみたいだった。当然の帰結だった。部屋の真ん中でへたり込むオメガに一歩ずつ近づいてゆく。

 

 いつからだろう? 忍冬 祢子(あなた)が居ないと不安になったのは。

 

 一切の誇張なしに、生まれる前からいつも隣に祢子(ねこ)ちゃんがいた。だから、わたしたちはずっと一緒にいると思っていた。

 10歳の第二性診断。わたしがアルファ、祢子ちゃんがオメガと聞いたとき、何の迷いもなく祢子ちゃんと(つがい)になるんだろうなと思った。

 幼いわたしにとって、(それ)はシロツメクサの指輪を交換し合う行為と何ら変わらなかった。ただ運命だと感じた。

 わたしの両親も、なんなら祢子ちゃんの両親も似たような考えを持っていただろう。お母さんの口癖は「ほら紫衣! 祢子ちゃんの隣に立つならしっかりしないと!」で、祢子ちゃんのお父さんの口癖は「祢子のこと、よろしくな?」だった。

 

 そう、このころはまだ、わたしはわたしが好きだった。あなたが居ない日に心を(ざわ)つかせたりしなかった。

 

 腰が抜けたように動かないオメガの正面に立つ。視線に気づいたオメガが私を見上げる。

 

 眼が媚びている。

 荒い吐息が媚びている。

 赤く上せた頬が媚びている。

 甘い匂いを発する(うなじ)が媚びている。

 

 もう彼女以外他に何も見えなかった。見る必要性も感じなかった。自分の体ごとオメガを押し倒す。鈍い音がどこかで鳴る。どうでもよかった。

 

 オメガは抵抗しない。

 

 すでに緩んでいたリボンタイを取っ払って、彼女のブラウスを第3ボタンまで開ける。噛むのに邪魔だったから、長い後ろ髪をまとめてかき上げた。甘い匂いがより一層強くなる。

 

 オメガは抵抗しない。

 

 口を開く。犬歯が太く、鋭く伸びていく。涎が垂れてカーペットに染みを作っている。

 

 ぐちゃぐちゃになった舌を伸ばして、これから噛む場所(くびすじ)を舐めた。汗さえも甘く感じた。

 

 オメガは抵抗しない。

 

 部屋中が異常な熱で覆われていて、手持無沙汰な理性だけは俯瞰でわたし達を見下ろしている。

 

 暇な理性は考える。考える。

 いつからだろう? あなたが違う場所を見ていると気づいたのは。

 

 うん、少し思い出してきた。

 

 昔から、祢子ちゃんは少し不思議な所があった。

 

 女の子なのに、ふと男の子みたいに見えるところ。

 自分が卒業するわけでもないのに、卒業式の朝は毎年涙ぐんでいるところ。

 通学路では必ず、ただ一度の例外もなく、わたしを歩道側に寄せるところ。

 告白を断るとき、いつも同じセリフを言うところ。

 

 ああ、すっかり思い出した。

 

 中学1年の夏だった。日付はたしか、7月13日。

 

『ちょっと呼び出されたから行ってくるね~』

 

 そう言った祢子ちゃんの顔を思い出す。少しだけ恥ずかしそうな、だけどなんだか懐かしそうな顔。

 しぃは先に帰ってて。そう言われたけど、どうしても気になったわたしはこっそり後をつけたのだ。

 

 暑い日だったのを覚えている。午後4時20分、屋上に降り注ぐ陽光で汗が止まらなかった。

 相手の男子はベータか、もしくはオメガだったと思う。アルファ同士だけが感じ取れる、特有の威圧感が彼からはしなかったから。

 

『に、忍冬さん! 俺──』

 

 彼がなんと告白したのかは覚えていない。正確には、彼女の返事以外なにもかもがあいまいで判然としない。

 

『やー、うん、ごめんなさい! 私、好きな人が()()んだよね!』

『今はもう会えないんだけどさ。まだその人のこと、忘れられないってカンジで』

『え? ……んー、まぁ、アルファではないかな? 強いて言うならベータ?』

 

 最初は聞き間違いかと思った。次に適当な嘘をついているのだと思い込んだ。

 

 返答した彼女の顔を見て、ただの現実だと思い知った。

 

 祢子ちゃんには本当に、心の底から好きな人がいる。

 

 生まれてから13年間、ずっと隣にいたわたしではない。

 13年間想いを伝えてこなかった、臆病者の、ちっぽけなアルファではない。

 わたしが今まで見たこともなかった()()()を向ける人がいる。

 

 3年前の7月13日、わたしは狼立 紫衣(わたし)を嫌いになった。

 そして、同じときから。

 わたしは忍冬 祢子(あなた)が離れていく、その日を恐れて続けている。

 

「……っあ」

 

「ッ!!」

 

 耳元で聞こえた声。その音に乗った艶で意識が再浮上する。とっさに体を起こす。

 

 理性が体の制御を取り戻した、いや取り戻してはいない。身体の暴走を一時的に止めているだけだ。

 

 そうだ、わたしは何をしているのだろう。祢子ちゃんの言葉を聞いた日から、彼女が前に進めるその日まで支えようと決めたではないか。

 

 臆病者で矮小なわたしでは祢子ちゃんの番にはなれないから。

 

 彼女が素敵な人と巡り合えるまで、一番の親友としてサポートしようと誓ったではないか。

 

 目線を下に向ける。

 

 祢子ちゃんの(うなじ)にくっきりついた歯形。出血はしていない。ギリギリ噛み(あと)までは至っていないようで安堵した。

 

 アルファがオメガを(つがい)にするには、食い千切る勢いで項を噛む必要がある。尖った牙でオメガの皮膚を貫通し、アルファの体液を注入する。

 こうして初めて二人は番になり、死ぬまで消えない噛み痕が残るのだ。

 なんとか、致命的な過ちを犯す前に踏みとどまれたらしい。

 臆病者のアルファはオメガを噛むことすらできないのか── 心の隅に沸いた劣等感を踏み潰す。必死に見ないふりをする。

 

「ハァッ、ねっ祢子ちゃんごめっ、わ、たしっ」

 

「……」

 

 正気に返ったはいいものの、あまり悠長にもしていられない。

 甘い匂いはまだ部屋中に充満している。時間が経つほど濃くなっていく。

 一刻も早く祢子ちゃんに抑制剤(ダウナー)を飲ませないと。彼女から離れて、わたしの熱を吐き出さないと。

 

「祢子ちゃ、おくすり入れてるカバンどこっ、あっ、あれ?」

 

「……」

 

 祢子ちゃんの通学鞄を探そうとして、やけに目線が低いなと思って、そこで初めて彼女に馬乗りのままだったと気付いた。

 

「あっ、ごっごめんすぐどくねっ」

 

 転がるように彼女の上から退く。ゴン、と音がして、ちゃぶ台に(すね)をぶつけたのだと悟った。

 だめだ、頭がうまく働かない。甘い匂いが離れない。

 

 どこだ、どこだ? 祢子ちゃんの通学鞄。必死に記憶を辿る。

 

 学校。鞄を肩に提げた祢子ちゃんと校門を出た。

 わたしの家。玄関までは持っていたはず。

 そのあとはどうした? 急に祢子ちゃんの様子がおかしくなって、鞄を持ったまま階段を上って、それで──

 

「っわたしの、部屋の前……!」

 

 そう、祢子ちゃんがわたしの部屋に入る前。ドアに手をかけたタイミングで鞄を落としている! 

 

「はぁっ、待ってて祢子ちゃん、今お、おくすりとってくるからっ」

 

 腰が抜けたまま、体を部屋の入口に向ける。

 

 ドアは閉まっていた。違う、わたしがさっき閉めたのだ。オメガの匂いを少しでも外に出したくなくて。

 

「はぁっ、はぁっ」

 

 甘い匂いは強くなっていく。どんどん甘くなっていく。

 痛む脚を抑えて立ち上がり、ドアノブに手をかけた。

 生まれて初めて、6畳しかない自分の部屋に感謝した。これ以上広かったら間に合わなかったかもしれない。明日からは狭いクローゼットも愛せるはずだ。

 

「っ、これで、なんとか……!」

 

 あとはドアノブを回して、廊下に落ちている鞄のジッパーを開いて、内ポケットの抑制剤を飲ませてあげるだけ。

 

 それだけ、だったのに。

 

「あっ、あれっ? えっ?」

 

 異常に気付く。ドアが開かない。ガチャガチャと音はするのだが、いつもみたいにドアノブが回らない。

 

「あっ、なっなんでっ、なんっで!!」

 

 扉一枚隔てた向こう側にさえ行ければ、

 

 この部屋から出られさえすれば、

 

 抑制剤さえ飲ませれば! 

 

 わたしはドアノブを回し続ける。ガチャガチャと音が鳴り続ける。

 

「あいてあいてなんでっ! わたしのへやなのに!!」

 

 思い返すと、きっとこのとき既にわたしは()()になっていたのだろう。

 

 だから、ドアノブの真下にある横向きのツマミ(自分でかけた内鍵)に気づかない。

 

 後ろの人影に気づかない。嗅ぎ慣れたシャンプーの香りに気づかない。

 

「あいて、なんでっ、なん──」

 

「ね、あついよ?」

 

 ドアノブを握りしめるわたしの手。その上に、わたしより大きくてきれいな手が重なった。

 

「えっ? えっ」

 

「んふふ、つかまえたぞー」

 

「あ、だ、だめ!」

 

 後ろから、やわらかくてあたたかいものに包み込まれる。いつの間にか祢子ちゃんがわたしを抱きしめていた。

 

 予想外だった。発情期(ヒート)の怠さで、立ち上がるのも難しいと思っていたのに。

 

 いますぐ離れてと、このドアさえ開けば大丈夫だからと、そう注意しようとした。震えた声で伝わるか不安だったけど。

 

 でもそれ以前に、注意するために振り返ったのは。わたしより17cm背の高い彼女を見上げたのは、完全に失敗だった。

 

「しぃ」

 

「あついよ」

 

「たすけて?」

 

 そうやって覗き込んでくる祢子ちゃんの顔が。

 

 わたしを包み込む祢子ちゃんから伝わってくる熱気が。

 

 どうしようもなく、3年前の7月13日を思い出すから。

 

 名前も知らない、知る気もない誰かに向けるはずの、()()()をわたしに向けるから。

 

 だから、だから、わたしは、

 

 ドアノブから手を離した。

 

 

 

 ☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 ドンドン、ドンドン、ドンドン、

 

 なにかをたたく音がする。

 

「紫衣! ここを開けなさい! 紫衣!」

 

「しぃちゃん! 祢子! おねがい!」

 

 聞き馴染んだ声がする。聞き馴染んだどころではない、お母さんの声だ。それと祢子ちゃんのお母さん(おばさん)の声。

 

 もう晩ご飯の時間かな。忍冬家といっしょに食べる日ではなかったはずだけれど。

 

 そもそも、お母さん今日は遅くなるって言っていたのに。いつの間に帰ってきたんだろう。

 

 視界が真っ暗で、眼をつぶっていたと気付いた。眠ってしまっていたみたい。

 

 だけど眠っていたにしてはとても疲れていて、とても心地よい。

 

「ん、ふぁ。 ……はーい」

 

 寝ぼけたままの声で返事して瞼を上げる。電気も付いていない、月明かりだけが頼りの室内。

 

 まず飛び込んできたのは祢子ちゃんの寝顔だった。かわいい。

 

 でもなんで祢子ちゃんまで寝ているんだろう。学校から帰ってきて、そのままいっしょにお昼寝したんだっけ? 

 

 ドンドン、ドンドン、ドンドン、

 

 ドアをたたく音で集中できない。

 

 ええと、今日はいっしょに勉強会する予定で、でも祢子ちゃんの顔が赤くて。

 

 わたしは止めようって言ったけど祢子ちゃんはわたしの家に来て、祢子ちゃんが私の部屋に入って。

 

 祢子ちゃんに発情期(ヒート)が来てるってわかったから、わたしは抑制剤を飲ませようとしたけどドアが開かなくて。

 

 上半身を起こして、隣で眠る祢子ちゃんを見つめる。

 

 はだけたブラウス、投げ捨てられたプリーツスカート、ぐちゃぐちゃに濡れたベッド、乱れた烏羽色の髪。

 

 項から滴る赤色。月明かりでもはっきり見える噛み痕。

 

 自分の唇をなぞる。

 

 この世の何よりも甘くて、少し鉄っぽい味が口内に残っている。

 

 わたしの犯した過ちと、抱いた彼女の柔らかさを思い出して、このまま朝が来なければいいと切に願った。


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