ザビニといくつか口論を繰り返したとき、ハリーは内心自分も無駄に頑固になり、ザビニやドラコに言い過ぎたと思うことは多々あった。それでも他人へのいじめに対するザビニの残酷さや、ドラコのいじめを見て見ぬふりをすることは出来ないといい続けた。
英雄気取りとかかっこつけだとか、散々な罵倒を受けたハリーは友情など成立しないのではないかと思ったが、ザビニとの間を取り持ったのはアズラエルだった。
「二人で共通のルールを作りましょうよ。ザビニはグリフィンドールに甘いと受けとられたくないし、ハリーは虐めなんてしたくない。あらかじめルールを決めておけば、この二つは、矛盾なく両立できるはずです」
グリフィンドール生に何かされたらすぐに相談するとか、ザビニたちスリザリンの仲間を頼るというルールをザビニは言った。要するにザビニの言いたいことは、スリザリンの仲間を頼れというものだった。
「優しさをむやみやたらに振り撒いたって、他の寮生から感謝なんてされないぜ。都合よく利用されるだけさ」
と、ザビニは言った。確かに、明確にハリーのためを思っての友人としての忠告だった。
ハリーは生まれてはじめて、寮の共同生活の中で喧嘩をした。ダーズリー家でダドリーと揉めたとき、ハリーは居候でしかなく発言の自由はなかった。しかし、スリザリンでは確かに対等の立場だった。ハリーがどの寮生とも仲良くしたいと辛抱強く言い続けると、ザビニも最後には折れた。
「本当に石頭だな、ハリーは」
ハリーは話をしたことで、何となくザビニのことを理解できた気がした。ザビニは露悪的なだけで、友達思いのやつなのだ。
「こんなに友達と話をしたのははじめてかもね」
「ウッソだろお前。どんだけ友達いなかったんだよ」
ハリーはそう思うと嬉しく、スリザリンの仲間を大事にしようと今まで以上に勉強に力をいれた。しかし、勉学に力をいれ始めても、グリフィンドールとの合同授業では、箒の飛行訓練以外で点を稼ぐことは出来なかった。
***
「ドラコは僕より勉強が出来るのになんで言わないの?」
変身呪文の授業の終わり際に、ふとハリーが聞いた。ドラコの授業態度はお世辞にも真面目とは言いがたかった。
「他の人に発言の機会を与えるのが僕の仕事なのさ」
とドラコは気取って言った。
そういう友達個人のやり方を、それが他人の迷惑にならないならなるべく尊重する必要があることをハリーは何となく意識し始めていたが、一方でそれが上手く出来ず、あるいは些細な失敗をして人間関係につまづいている人間もいた。
ニキビだらけのハッフルパフ生のエロイーズ・ミジョンは周囲に笑われるほどにきびを気にしていて、ハリーは彼女にスネイプの授業で作ったニキビ消しの魔法薬を贈った。
「ハリーお前、センスがねーな。選ぶにしてももっと顔のいい子にしろよ」
ミジョンに薬を贈ったとき、ザビニの他人の顔面に対する辛辣な評価を無視して、ハリーは魔法薬のレポートを書き終えた。
「僕も傷でいろいろ見られるのにちょっとうんざりしてきたからさ。
魔法薬でなんとか出来るなら、それが一番じゃないかと思って」
「ザビニはそういう意味で言ったんじゃないと思うよ……」
ファルカスが呆れたようにハリーに言った言葉の意味は、ハリーには分からなかった。ちなみにザビニやドラコ、アズラエルたちとは異なり、ファルカスの話す英語はハリーと同じ労働者階級の英語である。ハリーにとってファルカスは、劣等感を抱かずに接することが出来る相手だった。
***
10月になってしばらく経っても、上級生から魔法のコツを教わってもハリーがグリフィンドールとの合同授業で点を取れなかったのは、学年一の才女、ハーマイオニー・グレンジャーが原因だった。彼女の努力と集中力、記憶力はすさまじく、正確すぎる解答をするので他の生徒が点を稼ぐには、先生が配慮して質問に答える生徒を指名する必要があった。スリザリンの女生徒たちはそんな勉強熱心なハーマイオニーをせせら笑い、それを庇うべきグリフィンドールの女生徒も、彼女の高圧的な態度に辟易した様子だった。ハーマイオニーは孤立無援だった。
あるとき、廊下でロンが彼女について話をしているのをハリーは聞いた。
「本当に悪夢みたいなやつだよ。あんなだから友達がいねえんだ」
その時、誰かが廊下を駆け抜けていった。全く手入れされていない栗色の髪の毛の少女だった。彼女が相当に追い詰められていることが分かる。
ロンは、話をしていたグリフィンドールの黒人男子と気まずそうに顔を見合わせていた。
「見なよ、グリフィンドール生は仲間を追い詰めるときだけ勇気を発揮するんだねえ。そういえば、グリフィンドールの象徴たる獅子っていうのは女性にばかり働かせる生き物らしいよポッター。知ってたかい?実に獅子らしいと思わないかい?いや、あいつは獅子じゃなくてウィー……」
「僕たちがとやかく言うことじゃないよ。ほっとこう、ドラコ」
そのままドラコに話をさせ続けるとろくなことにならないと、ハリーはドラコを引き摺って次の授業に向かった。
ロンとハーマイオニーの問題に、表立って介入することはハリーには出来なかった。何をどうすればいいのか分からなかった。
その日の夜、ハリーはザビニたち同室の友達三人に、ロンとハーマイオニーについて相談した。
「なるべく目立たないように、ロンと彼女を和解させる方法はないかな」
「放っておいたほうがいいんじゃねえの?あの子がいないほうが、点数稼ぎはしやすいだろ。うちとしては」
ザビニはハリーの話には興味なさげに、クィディッチの雑誌を読みふけっていた。
「僕は助けることには反対です。他所の寮生だし、別にいじめって訳じゃあないでしょ、それ。よくある弄りですよ。そんなもの気にしてたらホグワーツで生きていけませんって」
そう言ったのは、ハリーたち四人のなかでは一番優しいアズラエルだった。彼はスリザリン生の中では温厚で、当たり障りのない理屈をつけることがうまい。
「そもそも、原因だってハッキリしてないでしょう。下手に口を挟めば、グリフィンドール生からの反感を買うだけですよ」
「それは……まあそうだね」
ミジョンの時とは違い、原因もハッキリとは分かっていないのだ。
「いっそグレンジャーを虐めてやればいいんじゃねえの?そうすればあいつらはグレンジャーを庇うだろ」
ザビニは手に持った雑誌を放り投げてそう言う。雑誌は宙を舞ってファルカスの手に渡った。
「ザビニ、君僕の言ったこと聞いてた?」
ハリーは呆れと、かすかな軽蔑を含んだ目でザビニを見た。込み入った話をしてから、ザビニに対してはあまり遠慮をしなくなっていた。
「うわ…流石にないわー…」
「イケメンの本性見たりだよね」
アズラエルやファルカスがザビニのブラックジョークにドン引きした顔を見せ、ザビニはそんなハリーたちを鼻で笑った。
「オメーらだって俺の同類だろ」
(……そうか。ハーマイオニーはマグル生まれだった……)
ハリーは純血こそが貴ぶべきもので、マグル生まれは入学すらさせるべきではないとドラコが言っていたことを思い出した。ハリー以外の三人は、彼女と関わりたくないと暗に言っている。
彼ら三人の名誉のために言えば、彼らはマグル生まれを虐めたことはなかった。上級生の一部が、時折談話室でマグル生まれについて聞くに堪えない汚い言葉を吐いているのを耳にして、互いに顔を見合わせていただけだ。そして、それはハリーも同じだった。スリザリンがそういう生徒を受け入れる寮であり、彼らは先輩で、寮の仲間だった。
ハリーは、もしかしたら自分に兄弟と呼べるような人間がいるとすれば、それは寮で寝食を共にする三人かもしれないと思っていた。毎日顔を合わせても、罵倒も暴力もなく普通に話すことが出来る相手ははじめてだった。その彼らが乗り気でないのなら、ハリー一人で、何とかする方法を考えなくてはいけない。
ファルカスとアズラエルは気まずそうにザビニから目をそらした。ハリーはそれでも、ロンのために彼女のことを何とかしたいと思っていた。そして。もう一度だけロンと話がしたい。鼠のことを謝りたいと。
***
ハリーは、結局事態を好転させることはできなかった。マクゴナガル教授に相談したが、彼女の反応は冷たかった。
「ポッター。私としては、貴方がどの寮の生徒に対しても友人として、人としての礼節を持って接していることを嬉しく思います。ですが、ホグワーツでは生徒間のトラブルは生徒間で解決するものです。そうやってみんな、己自身で対人関係を学んでゆくのです」
マクゴナガル教授の名誉のために言えば、これはホグワーツの古くからの伝統のせいであり、彼女の怠慢というわけではなかった。むしろ彼女は、大勢の生徒に対して公平で、時には自分なりの援助をすることもあった。
何ら有効な打開策を見いだせないまま、時間だけが過ぎ去っていた。ハロウィンの飾りつけを見ながら、ハリーはハロウィンの衣装でダーズリー家を脅しつける自分の姿を想像した。
ハロウィンの当日、ザビニたち四人やドラコもふくめた、ホグワーツのほとんどの生徒が、ホグワーツの大広間に集まっていた。ハリーはファルカスに、自分の分のお菓子を分け与えていた。
その時、大広間の扉が開かれた。
いつもスリザリン生から馬鹿にされていたクィレル教授が、息も絶え絶えにこう言った。
「トロールが……地下室に!!」
たちまち大広間は大混乱になった。監督生たちが生徒を落ち着かせようと躍起になる中で、ハリーはグリフィンドールのテーブルでロンたちが慌ててテーブルから走り去っていくのが見えた。
「やあネビル。ちょっといい?」
ハリーは混乱の最中、グリフィンドールのテーブルで怯えていたネビルから話を聞こうとした。ネビルはハリーの隣にいたザビニを怖がりながら、ロンがハーマイオニーを助けにいったことを話した。
「ザビニ!!ロンが危ない!!助けに……!!」
ハリーはザビニがついてきてくれると思っていた。だが、ザビニの足はその場から動かない。
ザビニは、日刊予言者新聞でシリウス・ブラックの偉業を知った。他の大勢のスリザリン生のように表向きはブラックの行動を嘲笑ったが、ホグワーツの大多数の生徒や、スリザリン生のように、シリウスに憧れる気持ちもあった。
そして、今の自分の立ち位置がシリウスに近いことに気付いていた。
……自分ならハリーの側で、ハリーが道を踏み外さないように誘導し、魔法界の英雄の側で栄光を掴みとることが出来る。
そんな、スリザリン生の美徳の一つである野心家な一面がザビニにはあった。自分なら出来ると、思い込んでいた。
だが。ザビニの足はいつまで経っても、その場から動かなかった。アズラエルも、ファルカスも。
「ごめんみんな。たぶん僕は間違ってるのかもね……
でも、行くよ」
ハリーはスリザリンの仲間を置いて、一人で行くことを決めた。ハリーは、みんなが来ないことに失望しつつ、どこかで安堵してもいた。これで、みんなを傷つけずに済む。シリウス・ブラックのように。
ハリーにとってシリウス・ブラックは、立派すぎて想像も出来ないような、それこそ映画のなかにいるかのような人だった。父親のために、そんなすごい人を牢獄に入れたのかと思うと、ハリーはシリウスについて後ろめたい気持ちになったし、もしも自分の友達がシリウスのように冷たい監獄に入れられたり、ひどい目にあったらと思うと耐えられなかった。
(そんな目に遭わせるくらいなら、一人で行くべきだ)
ハリーは、運命の分岐点に足を踏み入れた。
「……だって。グレンジャーは、マグル生まれだろ……?」
ザビニは信じられないものを見る目でハリーのうしろ姿を見送った。ハリーの背中は、ザビニたちにはあまりにも眩しすぎた。スリザリン生でありながらマグル生まれの生徒を助けるのは、スリザリンにとって背信的な行為であるはずなのに、人として正しいと思わずにはいられなかった。なのに、自分達の足は一歩も動かない。ザビニはこの時、自分ではジェームズ・ポッターにとってのシリウスのような存在にはなれないと感じた。そしてザビニと同じように、ドラコ・マルフォイもまた、ハリーがいなくなったと聞いても動かなかった。動けなかった。固まっていたファルカスが、先生にハリーがいなくなったことを告げるまで、スリザリン生たちはハリーの行動の是非を考えていた。
大多数のスリザリン生の名誉のために言えば、彼らの多くに共通する傾向である自己保身を優先する性格は、スリザリンの寮生として正しい。スリザリンの目的である純血の保全のためには、軽々しく純血が命を懸けるなどあってはならないからだ。
命を懸けるべき場面で先に命を散らすべきなのは、スリザリンの教えに従うならば半純血の役目であり、純血はその高貴な血を軽々しく懸けるべきではないのである。
ハリーが命を懸けたのも、スリザリン生として過ごすうちにスリザリンの価値観を覚え始めたからかもしれない。己が半純血であり、栄光以外にスリザリンのなかで己の存在価値が見いだせないからかもしれなかった。
(……来ちゃったよ……)
ハリーは三階の廊下にいた。ハリーより一回り背が高く、赤毛の少年、ロンがトイレの前にいる。ロンは、女の子の泣き声が響きわたる廊下にいた。ロンの先にはトロルがいる。ロンは今まさに廊下で魔法を使って、こん棒を持った醜悪な怪物を、トイレからロンのほうに誘導しようとしていたのだが……
「ロン!」
後ろから走ってきたハリーは、思わずロンに話しかけてしまった。そのタイミングが最悪だった。
「ハリー?どうして君が!!」
ハリーがロンに話しかけたことで、ロンは使おうとしていた魔法を中断せざるをえなくなった。そのせいで、トロルは女子トイレの扉の前に立ったまま、女子トイレとロンとを見比べながら立ち往生している。
その時、女子トイレから女の子の泣く声が聞こえた。
「どうして私……グリフィンドールにしちゃったの?レ、レイブンクローにしておけばよかった!!組分け帽子は薦めてくれたのに」
誰もいないと思ってか、トロルに気がついていないのか、ハーマイオニーの嘆きすすり泣く声が廊下にまで反響して聞こえてくる。
(ソノーラスでもかかっているのか?どうして?)
ハリーは明らかにおかしな状況に違和感を感じた。スリザリンの女子生徒の誰かが(ハリーですら、こんな虐めをするのはスリザリン生くらいだろうと思っていた)虐めでかけたのかもしれないが、タイミングが良すぎる。まるで、誰かがこの廊下にトロールを誘導したような都合の良さを感じた。
どうしてかおかしなことに、ハーマイオニーに対して答える女の子の声もした。
この時ハリーは、嘆き悲しむハーマイオニーに同情した。ソノーラスの効果か、聞きたくない時や聞くべきでないときに限って声が耳にはいってくる。
『レイブンクローなら虐められないなんて、ウソよ。レイブンクローの叡知は、虐められない方法をわたしにもたらさなかった。もちろんハッフルパフやスリザリンでもダーメ!
人間はね、虐める生き物なの。そうしないと生きていけないの』
命なき悪霊の囁きが、薄暗いトイレの中に響いていた。
『私はレイブンクローだった!友達も出来ず、頼れる後ろ楯もなく。明るい兆しも見えない悲惨な学校生活。落ち着けるのはトイレだけ……』
「いやあ!」
ハーマイオニーのすすり泣きが響き渡った。
「ラ、ラベンダーもみんなも私がグリフィンドールじゃないって言うの!!みんなが、みんな、強気で陽気じゃなきゃいけないって!グリフィンドールらしくなくちゃいけないって!!」
ハリーはかすかに胸が傷んだ。ハリーにはハーマイオニーの痛みが分かったような気がしたからだ。ザビニやドラコからスリザリンらしくないと言われたときは辛かった。ハリー自身はスリザリンであることを誇らしく思っているのに、それを否定されるのは辛い。周囲から期待されるような、スリザリンらしさを発揮できない自分が辛い。
グリフィンドール生が過剰にグリフィンドール生らしくなろうとすることにも、ハリーは罪悪感を感じていた。ハリーによって真のグリフィンドールOBであるシリウスの存在が明らかになったが、グリフィンドールOBの恥であるピーターの存在はグリフィンドール生たちの誇りを大いに傷つけ、他の寮生たちから要らぬ中傷をされていた。
ハリーとロンは、トロールを誘導するタイミングを完全に失っていた。トロールはハーマイオニーの声にも反応せず、じっと立っているようにしか見えない。もしかしたら、このままなにもしないで先生が来るまで待っているほうがいいのではないだろうか。
と、その時、トロールがひときわ大きな唸り声を上げた。ロンがなにか魔法を飛ばしたが、魔法はトロールに直撃したにもかかわらず、なんの効果もない。トロールはロンに目もくれず、女子トイレの扉をこん棒で殴り付け、魔法で強化されていた扉を粉砕した。
ハリーとロンは、恐怖にすくむ足を必死に動かしてトロルへと立ち向かった。
本作のハーマイオニーはレイブンクローよりもグリフィンドール生の適正が高い子ではなくて、グリフィンドールの適正が高すぎる子のつもりで書いています。
そのせいでグリフィンドール適正が並な周囲とは浮いてしまうんです。