マクギリスは夢と希望をハリーに詰め込みすぎている。
ハリーはその日の晩、夢を見た。夢の中でハリーは、ふわふわと漂いながら一人の少年を見下ろすように話を聞き、色々な人の顔を見ることができた。
整った顔立ちのスリザリン生の少年が、呪文学の授業で十点もの得点をもらった。背格好から考えて一年生だとハリーは思った。ハリーはどこかでその少年の顔を見たような気がしたが、スリザリンの先輩たちや同級生たちと良く似た顔立ちの少年や少女も、その少年と一緒に授業を受けていた。パグ犬のような顔立ちの少年や、ダフネと似た雰囲気の黒髪の少年もいて、ハリーは上空から漂うようにスリザリンの生徒たちが魔法を使う様子を眺めていた。
少年は呪文学の授業が終わった後、大勢のスリザリン生から称賛を受けていた。アブラクサス、と呼ばれているドラコに良く似た生徒が、しきりにその少年を褒めちぎっている。
「いやぁ、凄いよ○○。きみはどこの出身なんだい?……○○なんて名前は魔法界じゃあ珍しいし、○○○なんて姓も……聞いたことがないなあ」
ハリーには、アブラクサスの言葉のうち、少年の名前がうまく聞き取れない。しかし、アブラクサスの言葉をきっかけとしてその場の雰囲気が変わったように思えた。アブラクサスの表情には顔立ちの整った、しかし良く見ればみすぼらしい少年に対する微かな見下しが透けて見える。つい先程まで少年の周囲にいた友人たちも、アブラクサスの顔色を窺っている。
反論せず黙ったままの少年に対して、少年への称賛にまみれていたアブラクサスの目に、見下すような意志が宿った。顔立ちの整った少年の近くにいた別の少年、レストレンジが少年に代わって反論する。
「○○は蛇語が使えるんだぞ、アブラクサス。○○は、きっとスリザリンに連なる血筋の人間だ。それを疑うのか?」
「……?蛇語?何だって?……そ、そうか。道理で……いやぁ、それは済まなかったね、○○」
アブラクサスは蛇語という単語を聞いて、また態度を改めた。○○と呼ばれた少年は、気にしていません、と言いながらも去っていくアブラクサスの後ろ姿を睨み、拳を握りしめていた。
「きみほど才能のあるやつはいないよ、○○。アブラクサスは君に嫉妬してあんな風に君を貶めるようなことを言ったんだ。気にしてはいけない」
「ああ、分かっているよオリオン。……レストレンジもありがとう。君の名前は何だったかな?」
事態を我関せずという風に見守っていた黒髪の美形な男子、オリオンが、少年をフォローした。アブラクサスに反論するほど少年に入れ込んでいたわけではないが、その心情を傷付けたまま捨て置くほど無情でもない。オリオンというのは、スリザリンらしい子だとハリーは思った。ハリーの目には、オリオンの姿がマクギリスに重なって見えた。
少年を取り巻く人たちの中で、整った顔立ちの少年は明らかに浮いていた。どこか気品すら感じる容姿とは裏腹に、その身なりはスリザリンの中では薄汚れていて、悪目立ちしていたからだ。
整った顔立ちの少年の名前が、なぜかハリーには聞き取れなかった。その事に疑問を感じる前にハリーの意識は覚醒し、そして起きたときには、ハリーは夢の内容をすっかり忘れていた。
(変な夢を見た気がするけど……思い出せないな)
ハリーはそういう夢を見たとき、どうすべきか知っていた。ダーズリー家で空飛ぶバイクの夢を見たとき、ハリーは夢の記憶を忘れるために勉強に没頭したが、今回は夢を見たという事実そのものを記憶から追い出すために、必要の部屋から持ち出したパトロナスの書物に目を通した。
眠たい目を擦って起きてきたファルカスに挨拶した時には、ハリーは変な夢を見たという事実すら忘れていた。
***
次の日の夕食後、ハリーはルーピン先生の使う魔法によって冷気と恐怖を感じながら、再びパトロナスの召喚を試みた。
(……インセンデイオ マキシマの体験をイメージして……杖に魔力を込める!)
ハリーは今ならば成功させることも可能だと思った。マキシマの習得は心の底から幸せだと思う記憶で、しかも昨日の新鮮な記憶だ。
ハリーがマキシマの記憶を使ったのは、それが闇の魔術と縁遠いものだったからだ。闇の魔術の記憶でも暴力に関する記憶でもなければ、パトロナスもハリーに従うだろう、と期待を込めて、ハリーの柊と不死鳥の杖から魔力が迸る。
「エクスペクト パトローナム(パトロナス召喚)」
……しかし、ハリーの杖から放たれたものは、純銀に輝く美しいパトロナスではなかった。それは、パトロナスのようでパトロナスではない何か。黒く、不吉で、闇の魔術そのもののようなものが、禍々しい魔力と邪気、そして敵意を持ってハリーの杖の主導権を奪い取ろうとする。パトロナスのような何かは笑っていなかった。少なくともハリーには、それが苛立っているように見えた。
「あっ!」
ハリーが不味いと思った瞬間にはもう、ルーピン先生のプロテゴがハリーと黒いパトロナスを覆い尽くしていた。黒い靄が、プロテゴを破壊しようともがくがプロテゴはびくともしない。やがて靄は勢いを失っていき、しゅうしゅうと音を立てて霧散していった。
「……ルーピン先生……ありがとうございます。そして、本当にすみません」
ハリーは力無く頭を下げて、ルーピン先生から杖を受け取った。
「いいや、ハリー。確実に良くなっている。あの黒いパトロナスは、少しずつ弱まっている。君が、少しずつ良い方向に進んでいる証拠だ。ハリー、今回はどういう記憶を使ったのか教えてくれるかな?」
ルーピン先生はハリーを励ましたあと、今回ハリーが使った記憶について尋ねた。毎度お決まりのやり取りで、ルーピン先生はハリーがどういう記憶を使うのかをハリーの意志に任せ、パトロナスを召喚させてからその記憶について尋ねていた。
「昨日、僕はインセンディオ マキシマに成功してフリットウイック教授から労いの言葉をかけていただきました。その記憶を使いました」
ハリーはそう答えた。ハリーの中に、パトロナスを支配できない悔しさが滲む。
(……これでも駄目なのか……?どうしてなんだ……?)
ハリーは自分だけ、ここまでパトロナスに苦戦することに納得がいかなかった。確かに自分は闇の魔術を使ったかもしれないが……ロンの幸福の記憶である家族旅行や、ザビニの幸福の記憶であるワールドカップ観戦の記憶と比べても、そう劣るものではない筈だった。
「ルーピン先生。何がいけないんでしょうか。今回はいけると思ったんですが」
ハリーはルーピン先生にアドバイスを求めた。膨大な魔力を一度に消費するパトロナスの召喚にはクールタイムが必要だった。
(……闇の魔術を使ったときは休憩なんて必要ないのに。……いや、そんな考え方じゃ駄目だ。僕が未熟なだけだ)
ルーピン先生のアドバイスは的確だった。ルーピン先生はハリーが行き詰まったとき、必ず別のアプローチを試みるように指導してくれた。
「そうだな。君自身が成し遂げた幸福な記憶をパトロナスは嫌がっている、ということは。そこから離れてみる必要があるのかもしれない」
「分かりました。やってみます、先生」
ルーピン先生はハリーに、皆での思い出や、大切な誰かとの思い出を使うように求めた。ルーピン先生のお陰で、ハリーの右手は何の痛みもない。ハリーは深く深呼吸をして、ルーピン先生の魔法を待った。
***
(もう少しだな。時間はかかるが、ハリーも体感的に気付き始める頃だ……)
リーマスは、ハリーのパトロナスをプロテゴで優しく落ち着かせながらハリーの進歩をよく観察していた。
ハリーが使った記憶は、バジリスクの殺害やトロルとの戦いの勝利、あるいは決闘大会での勝利など、戦闘に絡んだものが多い。いずれも、魔法によって何かを獲得した記憶だった。
リーマスが見たところ、ハリーの用いた幸福は戦闘による勝利やその果ての栄光というものが多い。闇の魔術そのものに幸福を感じるようでは先が思いやられるところだったが、一番最初に使った記憶が闇の魔術による殺害というところに比べれば、ハリーは格段に成長していると言える。
(問題は、ハリーが力を求めているという部分だな……)
ハリーは生き残るために、闇の魔術に頼らずに一人前の魔法使いとなるために力を求めた。結果として三年生でマキシマを習得し、ハリーの目標は達成されたように見える。
しかし、目標を失った今のハリーこそ最も危うい。リーマスは経験的にそれを理解していた。
生き残るための手段として、大切なものを守るために力を求めていたはずが、力そのものを求めることが目的となっていく魔法使いは多い。手段のために目的を見失い、破滅していく魔法使いや魔女をいやというほど見てきたリーマスにとって、ハリーにその道を進ませることは避けたかった。
(パトロナスがハリーに敵対的だったことは、ある意味では幸運だったかもしれない。ハリーに対して、自然と力に執着することを忘れて、別のアプローチを試みるように説得することができる……)
リーマスは、パトロナスからハリーを護る過程でプロテゴの熟練度を取り戻していた。今では無言呪文でもマキシマレベルのプロテゴを使うことは容易く、ハリーを傷付ける心配なく安全に訓練することができる。パトロナスの挙動とハリーの使った幸福との因果関係を調べたところ、ハリーの幸福は戦闘以外のものであったときのほうが、パトロナスの暴走は少なく、パトロナスの闇の魔術に近い力も弱まっていた。
ハリー自身が、自分自身のやり方に疑問を持っている証拠だ。リーマスにとっては嬉しい成長だった。
(ハリー自身が気付ければいいが……いや、ハリーを信じよう)
リーマスはハリーの自由意思に任せながらパトロナスを召喚させ、ハリーの更正を促そうと考えていた。闇の魔術や、それに近い類いの暴力の記憶。それは戦争や生存競争で生き残るためには必要なのだが、三年生のハリーが幸福として持っていていいものではないとリーマスは思っていた。
(ハリーには沢山の幸福があるが、問題はハリー自身がそれに気付いて受け入れられるかどうかだな……)
パトロナスがハリーの魔術に関する記憶を嫌うのは、ハリーの願う本当の幸せがその中に無いとパトロナスが判断しているからだ。そして、ハリーが本当に楽しいと思える記憶にパトロナスが答えないのは、パトロナスがハリーに改心を促しているからだ。
ハリーの我の強さを反映してか、パトロナス自体もやや我が強い個体となったということだ。ハリー自身が己の在り方を変えるか、あるいは考え方を変えてパトロナスと向き合うか。ハリーとパトロナスとの意地の張り合いはおそらく長期戦になるだろう。しかし、リーマスの任期中に折り合いをつけていくはずだとリーマスは考えていた。
リーマスがハリーの様子を観察し、ハリーが魔法を使えるほど回復したことを確認してから杖を取り出す。ハリーの反応は早く、即座に杖を構える。リーマスはその速度に加点したい気分になりながら杖を振り上げたとき、研究室の扉を乱暴にノックする音があった。
「ハリー、少し待ってくれないか」
「はい、先生」
ハリーに魔法をかける前に、リーマスは来客を出迎える。扉を開けたときに目の前にいたのは、脂ぎった髪に仏頂面を携えた薬学教授だった。
「こんばんわ、セブルス。一体どうしたんだ?……生徒が呪いにかかったのか?それとも、例の薬について何か?」
リーマスはセブルスの表情から、良からぬ出来事を想像して言った。
「どちらでもない。ルーピン先生に至急確認したいことがある。専門家としての意見を頂きたい」
セブルスはリーマスの意見も聞かず、リーマスの部屋へとつかつかと入ってきた。ハリーが立ち上がりセブルスに挨拶をするが、セブルスは一瞥しただけだ。
(流石に露骨すぎるだろう…それとも、ほとんどの生徒にはそんな感じなのか、セブルスは)
リーマスの見るところ、セブルスはスリザリンにおけるお気に入りの生徒とそうでない生徒で対応に差がある。ハリーに対してはその中でも最悪の対応だった。具体的には、他所の寮の生徒と同じ扱いだ。
「……数日前、私の書斎に不審なものが届いた。闇の魔術がかけられていると考えられる。君の意見を伺いたくてね」
そしてセブルスは、リーマスとハリーの目の前で、マローダーズマップを起動した。リーマスとハリーは、マローダーズマップがセブルスを愚弄するその瞬間に立ち会わなければならなかった。三人の間に、冷たい沈黙が走った。ハリーは恐怖で口も聞けない。
(何の拷問だこれは……?)
リーマスはセブルスから、かつての自分達の歩んだ黒歴史を突きつけられることになった。それは懐かしくも遠い日の記憶である。他人に対して取り繕わず、生の感情をぶつけてもよいと思っていた十代の自分達の残滓。今になって見るには辛いものがあった。
結局、リーマスはハリーの手前、ゾンコの悪戯グッズだと誤魔化して過去の遺物を己の手で管理しなければならなくなった。今でも忘れがたい友の記憶と、今では友ではなくなってしまったかつての友の名残がある地図は、リーマスの手の中で使われる日を待ちわびていた。
トムくんを闇の帝王だとか言い出したのもマクギリスみたいな人たちだったのかもしれません。
悪意じゃなくてその人なりの善意が歴史を動かしたのだとしたらエモ……
……え?ヴォルデモートは自称?あっそう……