ハリー→愚者
シリウス→死神
「企みは順調のようだな、ダンブルドア」
生者は一人と一羽しかいない筈の校長室で、アルバス·ダンブルドア以外の男性の皮肉げな声が響く。彼との会話が、部屋の外に漏れることはない。ソノーラス系統の魔法を防ぐだけではなく、校長室内のどんな話も校長室という空間の外に伝わることがないように、アルバス·ダンブルドアが防護魔法を施しているからだ。
「企みとは一体何のことかなフィニアス。私にはさっぱり心当たりがないが」
アルバス·ダンブルドアは、一年生の生徒に語りかけるような気安さでフィニアス·ナイジェラス·ブラック元校長の肖像画に返答した。生前のフィニアスはアルバスが入学した頃の校長であり、偉大な先人として最大限の敬意を払っている。それが故に、アルバスはフィニアス·ナイジェラスの肖像画に対しても生前のフィニアスに対してしたように接していた。
「惚けたことを。あの半獣を使って、我がスリザリンの生徒を『矯正』しようという試みについてだ。うまくいきそうで、君は枕を高くして眠ることが出来る。違うかな?」
「パトロナスの習得は、ハリー自身が望んだことだよ」
「わざわざ目の前に大きな餌をぶら下げてまで必死に誘導してかね?過干渉だと思うのだがね」
フィニアスの皮肉を、ダンブルドアは涼しい顔で受け流した。ホグワーツの伝統に照らし合わせるならば、確かにフィニアスの言葉通り、教師陣のハリーへの干渉は度を超えている。
ホグワーツの内部で闇の魔術を独自に習得し、あまつさえ法律で禁じられている信仰する生徒がいるとして、それを見て考えを改めさせようという教師は少ない。良くも悪くも、生徒の問題は生徒自身で解決するのがホグワーツの伝統であり、生徒の所属する寮の担任が対応することで、校長が上から指図するというのは少々行きすぎていた。
「ルーピンに指図したのはやむを得ないことだよ。ハリーには、己の意図せぬところではあるが影響力がある」
ダンブルドアはフィニアスに、わざわざ干渉した意図を語った。
「あの年代の少年たちは、良くも悪くも分かりやすい力に傾倒しやすい。それに、力を持った人間の影響も受けやすい。突出した一人の生徒が良からぬ手段に傾倒することで何が起きるのかは、貴方もよく理解している筈だ」
その言葉に、フィニアスは昔を思い浮かべるような遠い目をした。フォークスの鳴き声だけが響く校長室の隅で、歴代校長の肖像画の中の一人、ディペットがダンブルドアに懇願した。
「……そこまでにしておいてくれアルバス。それ以上は私の耳が痛む……」
そんなディペットを、フィニアスは嘲笑した。
「ならば肖像画から耳を削り取って貰いたまえ。いやいいや、出来るならば口も、か」
(……ふん。パトロナスや結界の試練を通して、力に依らない魔法があると教え更正を促す。アルバスらしい迂遠なやり方だが、口で直接ああしろこうしろと言うよりはまだ効果のあるやり方ではある)
ディペットを黙らせたフィニアスは、肖像画の中で思考を巡らせる。
(……問題は……なぜそこまで闇の魔術から遠ざけようとするかだ。我がスリザリンには闇の魔術に対して寛容な風潮がある。いかに校長と言えどスリザリンの伝統にまで口を出すのであれば止めねばならぬと思ったが……)
黙々と筆を走らせるアルバス·ダンブルドアをチラリと見ながら、フィニアスは渋い顔をした。
(……カロー家の若造とポッターにあの試練を受けさせたのも、スリザリンの伝統を壊すためか?)
そう聞きたい気持ちを、フィニアスは抑えた。アルバス·ダンブルドアがスリザリンの伝統を変えるというのは、はっきり言ってあり得ないことだからだ。
(……それは、ない。あるとすれば別の理由に違いなかろうが……)
アルバス·ダンブルドアは改革者にはなり得ない。それが出来ないということを、フィニアスは肖像画の中から嫌というほど見てきたからだ。フィニアスは、アルバス·ダンブルドアに対して語りかけた。教師が生徒に対するようにかけた言葉のつもりだったが、フィニアスの尊大な態度は思いやりというものを周囲に感じさせなくしていた。
「……アルバスの意見は……ホグワーツの常識から言えば非常識ではあるが、あの年代の子供たちの愚かさを考慮すればもっともな対応ではある。そういうことにしておこう。今はな。だが、あの半獣を信用するのは如何なものかと思うがね。表面を取り繕うことだけを覚えさせかねん」
「リーマス·ルーピンは信頼できる人間だよ」
「報練相を怠った実績のある元監督生だがね」
フィニアスはそう言うと、肖像画の中でいつものように狸寝入りをしようとアイマスクを取り出す。そんなフィニアスに、今度はダンブルドアから話しかけた。
「私も意外だ。フィニアスは半純血の人間には好意的ではなかった筈だが?ハリーがスリザリン生だからと考えを改める君ではないだろうに」
意趣返しのようなダンブルドアの言葉に、フィニアスはいよいよ本当に無言となり、狸寝入りを決め込んだ。純血主義者のフィニアス·ナイジェラスが、なぜ純血主義者ではないハリーを心配するような素振りを見せたのだろうか。ダンブルドアはしばらくその理由を考えながら、コーネリウス·ファッジへの書類をしたためていた。
***
土曜日のハリーは、ルーピン先生の前で会心の出来でパトロナスを披露した。ハリーのパトロナスは薄く白い湯気のように杖先を漂うだけで、有体とは程遠い。しかしそれでも、これまでのハリーのパトロナスとは一目瞭然の出来映えだった。ハリーを蝕んでいた邪悪な魔力が消え去ったように、普通の魔法を使うのと同じ感覚でパトロナスを召喚することにはじめて成功したのだ。
「ルーピン先生!!やりました!先生のお陰です!!」
ハリーは満面の笑みでルーピン先生の指導に感謝した。遅々として成果を見せず、暴走するばかりのハリーのパトロナスを制御し、見捨てずに指導してくれたことには感謝の気持ちしかなかった。ルーピン先生にやっと成果を見せられたことが、ハリーにはとても誇らしかった。
「今の感覚はとても良かったよ、ハリー。君がこんなに早くにパトロナスのコツを掴んだことに驚いているくらいだ」
ハリーは興奮を抑えようと少し息を整えてから、使用した幸福な記憶についてルーピン先生に報告した。それは今朝、ハリーのもとに届いたふくろうからもたらされたものだった。
「ええ、先生。僕もこんなに上手くいくとは思っていなくて驚いたんですけど。僕のゴッドファーザーが結婚するんです!今朝、ふくろうでその知らせを聞きました!」
「……それは……本当かい?」
ハリーの言葉に、ルーピン先生は目を見開いて驚きの顔をした。
「はい!夏休みには式を挙げる予定だそうです。『友人にスピーチを頼むつもりだから楽しみにしておいてくれ』ってゴッドファーザーは言ってましたけど、本当に結婚するなんて信じられなくて!長続きせずに振られるか、怒らせて捨てられるかだと思ってたのに」
「ははは。そんな言い方をしてはブラックさんも悲しむだろう」
ハリーはぼかした言い方をしたものの、ハリーのゴッドファーザーがシリウス·ブラックであることは魔法界では周知の事実だったようで、ルーピン先生は顔を綻ばせてハリーを嗜めた。
「……はい。でも、僕は自分でも信じられないんですけど、こんなに嬉しいのは生まれてはじめてなんです」
ハリーは心の底からそう言った。友人の誰にもまだ言っていないが、夢のようで、こんなに嬉しいことがあっていいのだろうかとなるほどにハリーの心は浮き足立っていた。
「……祝ってあげるといい。他の誰より、君が祝福してあげることが、きっと彼の喜びになる」
ルーピン先生の言葉が、ハリーの胸に染み渡った。
「……はい、先生」
「さ、喜びの気持ちが覚めないうちに続きといこう、ハリー。パトロナスの幽体を実体化させるのは、これまでの何倍もカロリーと魔力を消費する。ホースの先端から狙った場所に出すようなつもりで、杖の先に自分のすべての幸福を集めるんだ」
ハリーはその日、ルーピン先生の指導を受けながらエクスペクト パトローナムの感覚を覚えていった。実体化は出来なかったものの、最後の言葉はハリーの心の支えになった。
「簡単に出来ることは、少し時間がたった時に簡単に忘れてしまうものだ。だがね。こうして苦労して練習して覚えた魔法というのは、時間が経って大人になった後で覚えている。今日はもうお帰り、ハリー」
***
ハリーが研究室から出てしばらくの間、リーマス·ルーピンは己のトランクの中身を取り出した。トランクの中から出てきた写真立てには、深紅のローブを身に纏った四人の学生の姿があった。四人のうち、一人の学生の姿はリーマス自身の手でテープが貼られ、見えなくなっている。リーマスの胸中には祝福の気持ちと、言い様のない寂しさがあった。
(そうか……あいつも大人になったんだな……これで独身は俺だけか……)
リーマスは暫くの間、その写真を眺め、それから丁寧にトランクの中にしまった。