ハリーは九と四分の三番線に到着すると、シリウスとマリーダと共にプリベット通りのダーズリー家ではなく、グリモールドプレイスの屋敷へと帰宅した。ダーズリー家にはフクロウを飛ばしている。もっとも、ハリーはダーズリー家、特にバーノンがフクロウを家に入れるとは思えなかったが。大量の手紙とフクロウの羽根や糞はあの家の人間にとって一種のトラウマになっていた。
「ハリー。こんなところですまんな。しかし、ここには保護魔法も施されているし、ダンブルドアとの連絡手段がある。ひとまずここに帰ることを許してくれ」
シリウスの言葉から、シリウスはまだ下宿先を引き払った訳ではなさそうだった。
「シリウス。僕はダーズリー家でなければどこでも構わないよ」
家に入るなりシリウスに呼びかけられ、ハリーは嬉しそうに返事をした。
「うん、シリウス。あなたが守ってくれるなら安心だよ。ダンブルドアが味方でいてくれるのも嬉しい」
ハリーは少なくとも前者については本心からそう言った。ハリーにとってこの家は唯一無二の安息の地だったし、その家を守る人が心強い味方なら何も文句はなかった。
「手紙で聞いたが、スリザリンの女友達とは上手くいっているのかな?」
マリーダはハリーにダフネとの関係について尋ねてきた。ダフネの名が出た瞬間、シリウスの顔は少しだけ曇った。ハリーはそれに気付かないフリをして答えた。
(ダフネが純血主義的な考えに染まりかけたことは、シリウスには絶対に言わない方がいい)
ハリーはダフネとのやり取りについて、なるべく美化しながら話した。
ハリーにとってダフネは尊敬すべき人物であり、恋愛的な意味でも好きな相手だった。そのイメージが損なわれるような事は話したくなかったのだ。
(……出来ればマリーダにも相談に乗って欲しいんだけどな)
ハリーは異性に対する接し方について、マリーダからアドバイスを聞きたかった。マリーダはスリザリン出身で、ハーマイオニーやルナよりもスリザリン的な純血主義教育に理解があると思ったからだ。
「そうか。それは良かった。その子もきっと君と居て楽しかったのだろう」
マリーダは優しく言った。ハリーはその表情を見て、シリウスに教えなくて正解だったと悟った。
(……ダフネについて相談するなら、マリーダにしよう)
ハリーはそう心に決めた。もっともシリウスはハリーが思っていたよりは寛大だったのだが。
「それではハリー。荷物を整理してきなさい。部屋まで案内しよう。クリーチャー、ハリーの荷物を持て」
シリウスは努めて明るく振舞うようにしていた。ハリーは少し申し訳なく思ったが、素直に言うことを聞いた。そしてすぐにハリーのトランクは老いたハウスエルフの手でハリーの寝室へと運ばれていった。クリーチャーはハリーには一瞥もくれずシリウスにも悪態をついていたが、マリーダの前を通りすぎる時だけは声のトーンが違った。
「若奥様。ポッターの小僧に二階の客室を使わせたらいかがですか?それとも地下牢に閉じ込めますかな?」
「馬鹿を言うな。……後で紅茶を持って行きなさい。クリーチャー」
「かしこまりました、若奥様」
クリーチャーは老いぼれた顔に狡猾そうな笑みを浮かべ、奥へと消えていった。ハリーはシリウスについて階段を上がりながら、小声で聞いた。
「ねえ、シリウス。あのハウスエルフはマリーダに対しては優しいよね?」
「……すまないハリー。その通りだ。俺も奴の忠誠など期待はしていない。マリーダが奴の相手をしてくれるというのであれば願ったり叶ったりだがな」
シリウスは暗い顔で言った。ハリーもそれを見てシリウスの気持ちを察した。
「……マリーダに感謝しないとね」
クリーチャーはハリーにとってもシリウスにとっても不愉快な相手ではあったが、同じ屋敷にいて折り合いが悪い相手しかいないというのは辛いことだとハリーは経験的に理解していた。ハリーはクリーチャーの心情を考え、クリーチャーと良好なコミュニケーションが取れるマリーダの存在をありがたく思った。マリーダがいなければクリーチャーの態度は二割増しで酷くなっていたに違いないからだ。
長い廊下の端に一つだけあるドアの前でシリウスが立ち止まった。
このドアが、ホグワーツに行くまでハリーの荷物を保管する部屋になる。もっともイースター休暇中はハリーはあちこちに移動することになるので、ほとんど帰ることはないが。ハリーは少し緊張した面持ちで、そのドアをくぐった。
部屋に入った瞬間、ハリーは驚いて声をあげた。
その部屋には、たくさんのプレゼントが置かれていたからだ。手紙やカードの類もあり、何か特別な贈り物には封印が施されているものもあった。
「これは……どういうこと?ドラコと……ジンネマン家、あとビスト先輩からの贈り物もある」
そのほとんどは魔法界の名家からのプレゼントで、マルフォイ家からの贈り物もあった。贈り物の中ではもっとも特別な魔道書の差出人はバナナージ·ビスト先輩からだった。
「知っての通り、俺とマリーダは今度式を挙げる。俺のゴッドソンである君も、マリーダの親戚であるビスト家と付き合わなければならなくなってくる。面倒なことになって済まないな」
「そこまで気が回らなかったな。どんな贈り物を返せばいい?」
ハリーはシリウスに尋ねた。シリウスは心配するなとハリーの肩に手を置いた。
「今回はもう俺が返礼品を君の名前で返している。魔法界では自分の所持品のなかでも貴重なものを贈り合うのが慣例だが、『本当に貴重』である必要もない。こういった場合の贈り物として相応しいものは、贈られたものと同じくらいの値がつくものでいい。ただ、若者が好きそうな流行りものはよく分からんな。……ドラコの好きそうなものに心当たりはあるか?」
ハリーは他の贈り物に目を移しながら言った。
「ありがとう、シリウス。最高の箒用具についてアズラエルに聞いてみるよ」
「うむ、そうするといい。……しかし、ハリー。君もこれから考えていかなくてはならないぞ」
「……それって?」
「グリーングラス家との付き合いだ」
シリウスは真剣な表情で言った。ハリーの頬は少し赤くなった。
「ああ……うん。……そうだね」
シリウスは、羞恥心でそう言うのが精一杯のハリーの頭をくしゃくしゃと鷲掴みにして撫でた。
「俺も出来る限りフォローしよう。心配するな」
「……ありがとう、シリウス」
ハリーは嬉しいような恥ずかしいような気分だった。ハリーはその後、ダフネへの手紙をシリウスに覗き込まれながら書き終えると(シリウスはにやにやと微笑みながらハリーの手紙を見ていた)、バナナージから贈られた本を引っ張り出してベッドに倒れ込んだ。その本の内容は、『継続的な呪いの緩和方法と根本的な対処法』で、著者はセバスチャン·サロウという魔法使いだった。
(……この本。血の呪いに関する記述もある。バナナージ先輩……)
ハリーはバナナージ·ビストの思い遣りに感謝した。バナナージはハリーがダフネと親しいことも、グリーングラス家の事情についてもある程度把握していたに違いなかった。
ハリーはサロウという著者の名字に聞き覚えがあったが、どこで聞いたのかを著者に関する記述を見て思い出した。
(……スリザリン出身で19世紀の魔法使い。……スリザリン出身。サロウ……)
セバスチャンは転入生の友人の一人だったのだ。ハリーは妙な因縁を感じながら、セバスチャンの残した書物を読み進めた。かつてスリザリンに在籍した一人の魔法使いは、真摯かつ詳細にあらゆるカースや呪いについての緩和方法を記載していた。
***
ブレーズ·ザビニは九と四分の三番線からマグルの世界へと戻っていった。よく見知った顔の運転手迎えられたブレーズは、ベントレーに乗って自宅へと帰還した。
「どういう風の吹き回しだよ。俺に帰ってこいなんて」
ブレーズがにこやかに尋ねても、運転手は『存じません』の一点張りだった。
「兄さんたちは帰ってきて欲しくねえだろうによ」
「存じません」
「なぁジーン、みんなして噂してるだろ?俺のお袋が父さんを殺したって。何で俺に帰れって?」
「存じません」
「……ったく。しょうがねえ。運転の邪魔して悪かったな、ジーン」
ブレーズは欠伸をして背を伸ばし、自宅へと到着するのを待った。憂鬱な世界が待っていると分かりきっていてそこに戻るというのは、あまりいい気分ではなかった。ホグワーツに居た時はついぞ感じなかった感覚だった。ジーンは丁寧に運転をしながら、ブレーズへと話しかけた。
「そう悪いことではありませんよ、坊っちゃん」
ジーンの声色に悪意が感じられないことに違和感を感じながらも、ブレーズは黙って到着を待った。
***
ブレーズが自宅に戻った時、使用人たちは礼をもってブレーズを出迎えた。
(いったいどうなってんだ)
ブレーズは一瞬呆然とした。自分の母親が当主を殺したというのに。
「ブレーズ様。まずはカルマ様の寝室へとお入りください」
「……?ちょっと待てよロベルト。まずは当主のギーレン兄さんに会ってからだろう」
「まずはカルマ様に会うようにとの、ギーレン様のご命令です」
使用人のロベルトにそう問いただしたものの、ロベルトの返事はにべもない。ブレーズも、命令だと言われれば従うより他になかった。
(……ったくどうなってんだよ)
ブレーズは、自分が兄たちから憎まれていることは自覚していた。魔法という未知の手段を用いて父親を殺害した相手の息子を憎むくらいは、マグルではないブレーズにだって理解できたからだ。
ブレーズにも兄たちの気持ちは分かる。広い屋敷を歩きながら、ブレーズは何があってもよいように自分の気持ちを整えていた。
「カルマ様。ブレーズ様です」
使用人はノックの後、そう呼びかける。しばらくしてから中から鍵が開いた音がした。
「……ブレーズ」
兄のカルマの声は、意外なほど落ち着いていた。
(……俺を憎んでるんじゃなかったのかよ)
ブレーズはそう思いつつも、とりあえずは挨拶をした。
「お久しぶりです、兄さん」
「よく帰ってきたなブレーズ。まずはここに座りなさい」
カルマの口調に、やはり憎しみは感じられなかった。それどころか、ブレーズは自分が歓迎されているかのような錯覚すら覚えた。
「ありがとうございます」
ブレーズは礼を述べて椅子に腰掛ける。
(……まったくわけがわからん)
しかし答えはすぐに示された。カルマがゆっくりと話し出したのだ。
「ホグワーツでは変わりないか?」
「……?はい?どうして兄さんがホグワーツのことを御存知なのですか?」
ブレーズはこれまで、実家の兄たちに手紙を出したことはない。一年生と二年生のころは母親に手紙を書いていたが、母が逮捕され、起訴されてからは母に手紙を書くことはあれど兄たちに手紙を出したことは一度もなかった。
「兄から聞いたのだ。君がホグワーツ魔法魔術学校で友人に恵まれていることも兄は御存知だ。兄は魔法省の役人からホグワーツについての説明を受けたようだが、その時君も随分と優秀であると聞いたそうだ」
「はあ……」
(いや……ハリーのオマケ扱いだろ)
ブレーズは兄が何を言っているのか、さっぱり理解できなかった。しかしカルマの口調にはどこか優しいものすら感じられた。
「その通りですよ兄さん」
しかし、兄の言葉を否定しても良いことはないだろうとブレーズはさらりと兄の言葉を肯定した。カルマは嬉しそうな顔になった。
その時、部屋の奥からものすごい音量の泣き声が響いた。それと同時に、部屋にあった布団や敷物がふわりと浮かび上がり、カルマやブレーズもふわりと宙に浮いた。
「ぶえええええええっ!!!!」
「カーラ!カーラ!大丈夫だ、ここには怖いおばさんはいない!パパでちゅよ-!!」
カルマは必死で部屋の中を飛び回り、浮いている布団や敷物を押さえようとする。
(すげぇ!)
ブレーズはおくるみにくるまれた可愛らしい赤子の姿を見て、全てを察した。
桃色のおくるみに身を包んだ赤子は宙に浮きながら右へ左へと暴れまわっていたが、やがて泣き止んだかと思うとゆっくりと床に降りたった。
「ほらカーラ。ブレーズだ」
カルマはそう言うと、赤子をそっとブレーズに差し出した。赤子はまだぐずっていたが、ブレーズが赤子をまったく恐れていないのを感じ取ったのか、それともブレーズの顔が気に入ったのか、茶色のつぶらな瞳でじっとブレーズの目を見つめてきた。ブレーズがホグワーツで女子たちに向けるようにニヤリと微笑んでやると、赤子はきゃっきゃと喜んだ。
「……兄さん……この子は」
「君の姪だ、ブレーズ。カーラと言うんだ。可愛いだろう?」
兄の喜びようからして、この子は……。
「本当に可愛いですね。兄さんが産んだんですか?」
ザビニは笑っていった。
「何を言うんだ!カーラは私とイセリナの娘だ!」
カルマは怒ったような口調になったが、カーラがぐずりはじめるとすぐに相好を崩した。
「おお、ごめんねぇすまないねぇカーラちゃーん?パパでちゅよー!」
カルマはカーラを高く抱き上げ、揺すってあやした。カーラの周囲から魔力の輝きが発されようとしているのがブレーズには一目瞭然だった。
(ああ……なるほど……)
ブレーズは自分が置かれている状況がようやく分かってきた。なぜ姪がメイドやシッターではなく、家族から世話されているのか。どうしてこのタイミングで自分が呼ばれたのか。
「兄さん。俺にその子と遊んでやってくれ、ってことですね」
ブレーズがそう切り出すと、カルマはハッとしてカーラをブレーズに抱かせた。
「いや、確かにその通りだが……」
「兄さん。俺はあの母親の息子なんですよ。悪魔の子供って奴です」
ブレーズは兄の言葉を遮ってそう切り出した。カルマがキョトンとした顔を浮かべたのをブレーズは見逃さなかった。
(……何でだよ)
ブレーズは言葉を続けることにした。
「俺はあいつと同じ悪人かもしれないんですよ。その子に悪いものがうつったらどうします」
「……何?」
兄は驚きというより、『何を言っているんだこいつは』という目でブレーズを見た。
「兄さんが何を考えてるのか、俺にはさっぱりわかりません。どうして俺を呼んだんです?あなたの父親を殺したのはあいつですよ?」
ブレーズの言葉に、カルマは凄まじい怒りを孕んだ視線を向けてきた。
「ブレーズ、君は……ッ!!」
兄は確かに怒っていた。だがそれはブレーズが予想していたものとは違い、ブレーズではなくまるで何か別のものに怒っているように見えた。そしてブレーズには兄の怒りの原因も分からないのだ。
「……どうして兄さんが怒るんですか」
(何なんだよ……)
カルマは興奮を抑えるためになのか、それともカーラに悲鳴を聞かれたくないのか、声を落とした。
「君には……関係のないことだ。君の母親のことは。私は君を信じる」
(関係ねーわけあるか!)
ブレーズの中で怒りが沸点に達しかけたが、無理やり抑え込んだ。
「……まあ、いいですけど」
ブレーズは兄から視線を外した。
(信じていない人間に子供の面倒を見させるか?いくらなんでもそれはねーよ)
自分が信頼されるなんてことは、金輪際ないはずのことだった。少なくとも、この屋敷でそんなことがあるとは思ってもみなかった。
「兄さんたちだって忙しいでしょう?姪の面倒は見ますよ。このくらいいくらでもやりますよ」
「そうか……いやすまないなブレーズ。カーラ、おともだちが出来て良かったな」
続けて、カルマは部屋にベビーシッターを呼んだ。はきはきとよく働く若いシッターだということだった。
「シッターのフラウだ。フラウ、この子がブレーズだ。フラウ、ブレーズと共に、この子のことを頼みたい」カルマの声はさっきよりも和らいでいた。
「姪の世話くらいいくらでもやりますよ。俺、こう見えて面倒見はいい方なんで」
ブレーズの言葉にカルマは破顔した。
「……ったく、調子が狂うぜ。カーラ、お前は両親思いのいい子になれよ?」
ブレーズは、カーラにそう語りかけた。
『可愛いだろう?』『親戚だよ』『友達が出来てよかったな』
兄の態度を思い返しながら、ブレーズはフラウと共にカーラの相手をしていった。
「この子が怖いっすか?」
ブレーズがカーラに浮かされようと髪の毛を逆立てられようと平然としてカーラに笑いかけているのを、フラウは畏怖のこもった目で見ていた。
「坊っちゃまはカーラ様が怖くはないのですか?」
「フラウさんみたいな美人といたら、怖いって気持ちも薄れますよ。なぁカーラ」
フラウはカーラの魔法を恐れていたが、自分よりも年下の少年がまったく恐れることなくカーラと接するのを見て、徐々にカーラへの警戒を解いていった。イースター休暇から帰る頃には、フラウとカーラはすっかり打ち解けていた。
フラウはブレーズのことを信頼するようになり、カーラの世話を積極的にこなすようになった。カーラもブレーズか、フラウのどちらかが見ているうちは癇癪で魔法を発動させることはなくなった。とはいえ、赤ん坊の機嫌など大してあてにならないことは重々承知している。結局ブレーズが自分で面倒を見て良かったのかどうか分からなかった。
(あー……ホグワーツに残ればよかったかも)
ブレーズはふとそう思った。カーラという姪が、穢れた血と蔑まれる場所それがホグワーツのスリザリンだということをブレーズは認識してしまったのだ。もっともあの母親がしたことを考えれば、友人が残らないホグワーツに残ったところであまり気持ちのいいものでもないのだが。
姪の泣き声が妙に耳に残りながら、ブレーズは自分にとっての家を後にしてホグワーツに戻るのだった。
***
イースター休暇中、ハリーはロンと共にチャドリーキャノンズとホーリーヘッドハーピースとの試合を観戦した。女性だけで構成されたハーピースと、一部リーグ最弱とされるキャノンズとの試合は序盤は拮抗した展開を見せたが、次第にハーピーズ優位で進んだ。ハリーはキャノンズが首をインカーセラスで締め上げられるように追い詰められる姿を眺めながら、ロンが必死でキャノンズの旗をふって応援する横でプロ選手の技を盗もうと目を凝らした。
(プロは本当に無駄がないなあ)
ハリーはレベルの高さを改めて実感した。学生が正確さのために犠牲にする速度、安全面を重視してこなさないファウルすれすれの危険なプレー、箒の限界を極めたテクニカルな動きによって観客を盛り上げながら得点を重ねていく両チームのチェイサーに対して声援を送り、もっと試合を長く見たいと思ったところでハーピーズのシーカーがスニッチを掴み試合終了となった。
「いっつもこうだぜ。後一歩ってところでキャノンズは勝てないんだ……」
「70対260。点差ほどの実力差はない。いい試合だったよ、ロン」
ハリーはマリーダとシリウスと共に屋敷へと戻った。シリウスはどうやらキャノンズの勝利に賭けていたようで、マリーダに特大のアイスキャンデーを奢っていた。
***
イースター休暇が終わり、ホグワーツに戻るという日の晩に、シリウスはデイリープロフィットを穴が空くほど読み込んでいた。
「シリウス、どんな記事?」
ハリーが聞くと、マリーダがシリウスの代わりに答えた。
「ホグズミードからディメンターが撤退しないそうだ。魔法省がディメンターを管理出来ていないと、記事には辛辣に魔法省の管理責任を問いかけている」
ハリーはディメンターがまだホグズミードにいると聞いて一つの懸念を抱いた。
「……それは、ドロホフとシトレがまだ生きてるってことなんじゃないかな。シリウスはどう思う?僕は、闇の魔法使いがあれで死んだとは思えないんだ」
ハリーは胸のうちで燻っている懸念をシリウスに話した。シリウスは新聞を畳むと、ハリーの目を見て言った。端正なシリウスの顔には皺が浮かんでいた。
「……闇祓いたちの検証がまだ終わっていないということだろう。それがはっきりするまではなんとも言えん。確かなのは、確証が得られるまでホグズミードからディメンターが消えることはないということだ」
(仕方ないことか)
とハリーは思った。ハリーもシリウスも、想像の斜め下の理由で検証が中断されたことなど知る由もなかった。
「ディメンターは闇の魔法使いに反応するんだよね。ホグズミードに闇の魔法使いがいると確信しているから撤退しないんじゃないかな」
「なるほど。ディメンターにも職務意識はあったという意見か。面白い目の付け所だな」
ハリーの意見をシリウスは面白がった。ハリーは内心複雑な気分だった。
(……まぁ、ぼくに近付いてきたからっていうのがその根拠なんだけどね……)
「しかし難儀なことだ。ドロホフとシトレが生存している可能性がある上、ディメンターがホグズミードにいる以上、また以前のように暴走する可能性も考慮にいれなければならないんだからな。ハリー、パトロナスはもう出せるんだったな」
「ああ。アスクレピオスと同じクスシヘビだよ」
『俺もハリーの銀色の奴を見たが、中々センスがいいと思うぜ。キマってた。さすがは俺の飼い主だ』
『ありがとう、アスク。後で最高級のマウスをあげる。僕は君をずっと見ていたから君みたいなパトロナスになったのかもしれないね』
ハリーがパトロナスについて触れると、アスクレピオスはハリーにそう語りかけた。マリーダはハリーがアスクレピオスと会話する様子を興味深そうに見ていた。
「蛇……か」
シリウスは微かにそう呟いた。すかさずマリーダが言った。
「それはとても素晴らしいことだな。ハリー、その調子で頑張るんだぞ。ドロホフやディメンターのことは、魔法省や闇祓いが何とかしてくれる。君は自分の覚えたい魔法を覚えればいい」
「ありがとうマリーダ。実はまだ出来ない魔法もあるんだ。今はそれを克服するのが課題だね」
ハリーはマリーダに微笑んで言った。スリザリンOGのマリーダにとって、堂々とパトロナスを出せるハリーのような後輩は眩しく見えた。しかしそれ以上に、マリーダはシリウスとハリーのことが気にかかっていた。
「パトロナスにしろ他の魔法にしろ、覚えたてが一番事故を起こしやすい。それは気を付けておくんだぞ、ハリー」
シリウスがそうやってハリーを諭す姿を眺めながら、マリーダの胸中は複雑な思いで満たされていった。
(……シリウスは今何を思ったんだろう。蛇でなければ良かったと、思ったのではないか)
暗黒時代にあって、グリフィンドールとスリザリンの仲は険悪を極めた。スリザリン内の一部の連中が起こした犯罪でも、世間はスリザリンと一口にまとめてスリザリン生全体を非難し、恐れて遠ざける。そして一部の勇敢なグリフィンドールの過激派は、スリザリンに好き勝手にされまいとスリザリン生全体を憎む。シリウス·ブラックにとってハリーがスリザリンの象徴であるへびを出すことは何よりも辛いことだったのだろうとマリーダは察した。
(ハリーのパトロナスは獅子がよかったのか?)
そう聞きたい気持ちを、マリーダは堪えた。
シリウスにとってハリーが親友の忘れ形見であり、シリウスが失った親友に深い友愛を抱いていたことはマリーダも気付いている。そこに後から来た女である自分が介在する余地など一切ないことも。
シリウスと同じ時間を過ごし、彼といくつかの秘密を共有してもなお、シリウス·ブラックにとってジェームズ·ポッターが最愛の存在であることが揺るがないことは明らかだった。
(……私は……シリウスに何と言うべきだろうか)
ハリーに自分の願望を投影するのをやめろ、とでも言うべきだろうかとマリーダは思った。それはスリザリンらしい衝動的な悪意、否、現在の自分を見てもらえないことから来る嫉妬心の発露とでも言うべきもので、全くもって誰のためにもならない考えだった。
(…………振り向いて貰えるまでは、都合のいい女であり続けようか)
マリーダ·ジンネマンは、結局そう結論を出した。彼女は常人よりずっと我慢強い女だった。シリウスの持つ歪みがハリーにとって重荷になっているのではないかと考えるより、重荷であって欲しいと考える己の思考の歪みに気がついていた。
(私が今シリウスに感じている感情はエゴだ。側にいる自分より、今いない筈のジェームズ·ポッターに夢中になることが許せないという己のエゴだ。それは殺すべきものだ)
マリーダは己をそう律した。シリウスが失ったものの代わりになり、あわよくばシリウスの心を己のものにしたいと思ったのは昔の話。
シリウスの持つブラック家当主としての肩書きと血筋。それと繋がりを持つことで、ジンネマン家やビスト家の地位を『自称純血』の成り上がり一族から、聖28一族に次ぐ地位にまで押し上げる。それがマリーダに課せられた使命だと、マリーダは自覚していた。
「どうしたマリーダ。押し黙って考えごとをしていたようだが」
ハリーが自分の部屋に戻った後でシリウスはマリーダに話しかける。こういうところが、マリーダがシリウスを嫌いになれない原因でもあった。
「む、ああ。私はシリウスが無茶をするのではないかと考えていた。ドロホフが死亡したのでなければ、自分の手で捕まえたいと思うのではないかと」
マリーダは不意打ちでシリウスから声をかけられ、咄嗟にそう言った。シリウスはマリーダの内心にまでは気が回らない。シリウスは親しい人間にレジリメンスを使うような人間ではないからだ。
「よく分かったな。流石はマリーダだ」
「……冗談のつもりだったのだが」
マリーダはシリウスがドロホフ逮捕を考えているということには頷けなかった。
「ドロホフが死んだのか生きているのか、今の我々には判断ができん。しかし、生きているのであれば早急に捕まえるべきだ。そうでなければ無用な犠牲が増え続ける」
シリウスの言葉は正しい。
ドロホフのもっとも害悪なところは、犯罪行為を全く躊躇しないというところにある。例えば、同じ闇の魔法使い扱いのギルデロイ·ロックハートであれば己のターゲットとなる知られざる英雄や、己の秘密を知った相手以外に手は出さない。
しかしドロホフは、魔法省の手に落ちた瞬間に『ディメンターのキス』を受ける、という超法規的措置が取られている。アズカバンからの脱獄経験がある魔法使いを投獄するより、殺害した方が市民の受けがよいとファッジは判断したのだ。
捕まればもはや後がないと判断しているだろうドロホフは、それこそどんな行為ですら厭わないだろう。ありとあらゆる冒涜的な魔法を用いて敵対者を害することは想像に難くない。それが予想できるからこそ、マリーダはシリウスの考えを恐れた。
ドロホフのような凶悪犯が己の預かり知らぬところで死ぬのであればそれは結構なことだとマリーダも思う。しかし、シリウスがドロホフと接触してシリウスが死ぬか、シリウスがドロホフを殺害するという結末は望ましくないとマリーダは思っていた。
「無用な犠牲のなかにシリウスが入るのは嫌だと言わせてくれないか?」
だから、マリーダはそう口に出した。シリウスがそれを聞くことはないと分かった上で、口に出せる最低限の我儘だった。
「ハリーがパトロナスを出せるようになったのは、ハリーがシリウスに守られたからだ。後ろ楯もなく、なんの知識もない半純血が幸福を感じられたのは、間違いなくシリウスが居たからだと思う」
マリーダとシリウスはしばし見つめあった後、少しの間、互いの睫毛が見えるほど二人は近づき、ほんの少しの間のあと離れた。
「それは違う」
と、シリウスは言った。
「俺はジェームズの代わりをしているだけだ、マリーダ」
何を、とマリーダは言おうとした。シリウスでなければ出来なかったことは山ほどある。それを口に出したかった。
だが、結局マリーダは黙ってシリウスの言葉に頷いた。そういうところが、シリウスとマリーダが長続きした何よりの原因だった。
「俺はジェームズからゴッドファーザーになるよう頼まれたとき、心に誓った。ジェームズの身に何かあったとき、俺がジェームズになると。だが、その誓いを果たせなかった。俺自らそれを放棄して、過ちを重ねた」
「……だから、俺はジェームズが生きていたらどうしただろうかと、最近はそればかり考える。それが、あの子から両親を奪った俺ができる償いだからだ」
シリウスの考えはあまりにも自己犠牲的で儚く、破滅的だった。マリーダは何も言わずにシリウスに寄り添った。マリーダがシリウスに惹かれたのも、まさにその破滅的な思考を、献身を、そしてシリウス自身を美しいと思ったからだった。
(シリウスがジェームズになれたとしても。私は)
(私は、リリー·ポッターにはなれない)
それは人として当然の感情だった。それを告げられないまま、シリウスとマリーダの夜は更けていった。
シリウスとハリーの悲しきすれ違い。
一方ザビ(ニ)家は超展開に。
ザビニが優しい奴になっていたからこうなりました。残酷なだけのクソガキだったらどうなっていたか。